白糸台すずかの思い違い   作:後菊院

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臥城奈緒登場


03話

    1

 

 

 「――き、きたァァァァァ!!!」

 

 こぶしを掲げてガッツポーズした私。紅茶を噴き出した久瑠崎。そして、私たち二人のリアクションに驚く母さん。

 

「た、確かですか、すずかのお母さん!? すずかに恋人って、それ本当ですか!?」

 

 久瑠崎の口から、紅茶がだばぁとこぼれている。けど、本人はそのことを気にしている余裕なんかなさそうだった。

 

 母さんはちらりと私のほうを見る。困惑しているようだった。

 

「確かかって、それはすずかに訊いたほうがいいんじゃないの?」

 

「いえ、すずかのお母さんからお聞きしたいです。確かですかそれ!?」

 

 母さんにぐいっと近づく久瑠崎。目が血走っていた。私もまた母さんの返答を聞き逃すまいと集中する。

 

「いや……直接すずかから聞いてるわけじゃないんだけどね? 最近、まともなお洒落をして出かけることが増えてるの。この前なんか、帽子なんか買っちゃってたんだよ? 帽子。先週の金曜日なんかは、夜に誰かと通話してたみたいだし――何より、そういう活動をしてることを、私に隠そうとしているのね。それが何というか、初めて彼氏ができたときの自分を思い出して、なんか、そうだろうなって」

 

「……つ、つまり、彼氏がいるという決定的な証拠はまだつかんでいないんですね?」

 

「まあ、そうね。どうしたの? すずかから直接教えてもらってないの? ……あ、わかった。サクラちゃん、誰がすずかの彼氏なのか当てようとしてるわけね? だったらごめんね、そこまで詳しくは知らないなぁ。すずか、教えてくれたりしないの?」

 

「そりゃもちろん――ふがっ」

 

 口を開いて、「そりゃもちろん赤宮くんだよ」と言おうとした私は、久瑠崎に取り押さえられた。「あー! 待ってまだ言わないで! 当てる、私が当てたいからー!」

 

 棒読みチックなセリフを言いながら、久瑠崎は私に「赤宮くん」の名前を言わせまいと必死だ。しかしそれは無駄な抵抗、ただの時間稼ぎというやつよ。ははは、追い詰められたな久瑠崎サクラ! 私と赤宮くんが付き合っている可能性は、ここにきてぐんと高まったのだ!

 

「じゃあね~。お邪魔しました~。サクラちゃん、ゆっくりしてっていいからね~」

 

 私たちの「じゃれあい」を尻目に、母さんは手をひらひらさせながら部屋から出ていった。ガチャンと扉が閉まったタイミングで、久瑠崎はようやく私から離れる。

 

 自由になった口で私は言った。

 

「勝ったな」

 

「勝ってない!」

 

 久瑠崎は「シャーッ」と猫みたいにうなり声をあげた。ちょっとキモかった。

 

「全然勝ってない。まだ全然付き合ってるって決まってない。何もかもあやふや。何も証明できてない。0点」

 

「65点は堅いでしょ」

 

 私はにんまり笑って言ってやった。「まあ確かに、決定的証拠とは言えないけど? 通話のログを見ればいいんだよ。そうすれば通話相手がわかる」

 

「……ぐう」

 

 まだぐうの音は出るらしい。

 

 私は勉強机に座って、PCを立ち上げた。PCにはヘッドセットがつけっぱなしになっている。私の後ろに久瑠崎がひっつく。二人してモニターを見つめた。

 

 PCが起動し、PINの入力画面が表示される。そこで私は、はたと手を止めた。

 

「どうしたの」

 

 久瑠崎が後ろから聞いてくる。

 

「パスワードがわかんないんだよ」

 

「なんでわかんないの?」

 

「独房にパソコンなんか無かったからね」

 

 とりあえず、スマホと同じパスワードを打ち込んでみることにする。でも、あえなく弾かれる。

 

「ダメだ、ログインできない」

 

 私は部屋の中を見渡した。なにかないか。パスワードの手がかりになりそうな何か。

 

 私に、本当に論理的思考能力があったのなら、パスワードは何らかの方法で突き止められるようにしているはず。

 

 幼馴染に記憶改変能力者がいることがわかっていて、対策を取らない奴は馬鹿だ。何らかの方法でパスワードを復元できるようにしていると考えて良い。

 

 この部屋のどこかにヒントがある。そんな気がする。

 

 過去の私はどんなパスワードを設定した?

 

 考える。例えば、そう、本棚に収まっている本の頭文字を順番に打ち込んでいくとか……でも、それは確信のある推理とは言えない。「間違いなくこれがパスワードだ」と思えるくらいの何かがあるはず。もしくは、どこかにパスワードを書いた紙が隠されているとか。

 

 勉強椅子をくるりと回して、熟考する——そして思いつく。も、もしや、パスワードは「Akamiya」か!? い、いやまさか。でももしかしたらそうかも、少なくとも試す価値はあるよね!? つーかもしそうだったら絶対付き合ってるよね!? うわあどうしよどうしよやっぱり恋人かも、でもいざ実際に入力して違ってたらショックだな——なんて考えていると、私は椅子から転げ落ちた。

 

 考えすぎて、椅子に変な体重の掛け方をしたようだった。私はすってーんと転び、「いったぁ!?」と声をあげた。

 

「だ、大丈夫?」

 

 久瑠崎が机に手をつきながら訊いてくる。私はなんとか身を起こしながら、「大丈夫……いてて」と返事をした。

 

「うーん、それにしてもPCのロックは解除できないね。指紋認証でも試す?」

 

「指紋認証……それだっ!」

 

 久瑠崎の提案に私は飛びついた。生体認証、それこそが記憶改変に抗う術だ。パスワードは覚えていられないけど、指紋ならそうそう変わることないもんね。

 

 私は椅子を立て直し、着席するとPCの指紋認証用キーに指を置いた。ドキドキしながら反応を待つ——けど、ロックは解除されなかった。指紋認証、登録されていないらしい。

 

「あー、何やってんのよ過去の私ぃ!」

 

 記憶改変できる友達がいるなら、それ相応の対策ぐらいしときなさいよ!

 

「まあまあ。そもそもすずか、ハイテク機器あんまり好きじゃなかったしね」

 

 久瑠崎は乱れた髪を手で直しながら言った。

 

「何それ。それもウェンズデー由来?」

 

「博麗霊夢由来かも。霊夢への入れ込みようは半端ないからね。コスプレしてたし」

 

「こ、コスプレ……」

 

 霊夢ちゃんのコスプレ? まあ、似合わないことはないと思うけど、それはまたどぎついことしてたんだな、過去の私。

 

「じゃあ、手がかりも見つからなかったことだし、私そろそろ帰るね……」

 

「え? もう帰るの?」

 

 おもむろに立ち上がる久瑠崎。私が声をかけると、久瑠崎は歯切れ悪そうに「う、うん。まあ長居しちゃすずかのお母さんにも悪いし……」

 

「ふうん……」

 

 まあ、引き留める強い理由はない。私はずきずき痛む頭をおさえながら、久瑠崎を見送るべく立ち上がった。

 

「あ、いいよいいよ見送りなんて。家、すぐそこだし」

 

「そう? じゃあ、まあ、また明日。あ、そうだ。明日学校に着いたら、まず何よりも先に赤宮くんの記憶を元に戻しなね。可能な限り」

 

「う、うん。もちろん。じゃあね……」

 

 そう言って、久瑠崎は帰っていった。がちゃんと静かに部屋の扉が閉まった。

 

 扉越しに聞こえる、「お邪魔しました」という、他所行きっぽい久瑠崎の声を聞きながら、そうだ私の記憶も戻せるところは早々に戻してもらうんだったと後悔する。けど、仕方ない。サクラさんはもう帰ってしまわれた——いけないいけない、記憶が侵食されてる。さっきまでのアホな久瑠崎を思い出すんだ。

 

「……なんか、最後よそよそしかったな」

 

 思い出した印象を呟く。

 

 普段の久瑠崎を私は全く知らないけど、帰る直前の久瑠崎はそれまでと様子が違っていた。気のせいだろうか? 違う気がする。

 

 何かおかしい。

 

「……『椅子に変な体重の掛け方をした』?」

 

 どんな体重の掛け方だっただろうか。

 

 こんな感じかな——と、私は椅子に座り、記憶を再現する。けど、椅子がひっくり返ることはなかった。

 

 勢いが足りないのかと思い、もうちょっと速度をつけて再演する。けど、やっぱり椅子は倒れない。この程度で倒れるほど、私の椅子は安っぽくなかった。

 

「……もしや」

 

 あいつ、また記憶をいじったか?

 

 本当は、私はPCのロックを解除できたんじゃないだろうか。

 

 私が倒れてたとき、あいつはこの机に手を置いていたよね?

 

 PCをいじって、指紋認証設定を消したんじゃない?

 

「……」

 

 確証はない。けど、直感がある。そそくさと帰ったことといい、何かおかしい。

 

「……あいつが来たときは、盗聴器でも仕掛けておくのが良さそうだね」

 

 私はひとり呟いた。

 

 

    2

 

 

 学校というものは、大変憂鬱で、恐ろしくて、いじめっ子と暴力教師がよってたかって私のことをいじめてくる地獄のようなところである——というのが、私の記憶だったが、それが全く信用できない記憶であるというのは明白だったので、次の日、私はごく普通に起床して、ごく普通に朝ごはんを食べ、ごく普通に支度を整えると、ごく普通に家を出た。

 

 無論、サクラさんへの感謝の礼拝なんていう馬鹿げた習慣はやらなかった。「やらないと恐ろしいことになるよ!」と脳内のミニすずかが叫んでいたけど、黙らせた。

 

 電車に乗り、月野駅へ。本当は久瑠崎と一緒に登校したかった(そして「また記憶弄ってんじゃないでしょうね」って詰めたかった)けど、あいつの登校時間を知らなかったので、やむなくひとりでの登校だった。

 

 LINEしたけど、あいつは未読無視。学校で会ったらとっちめてやる。

 

 月野駅の改札を出るとき、ちょうど同じタイミングで、すぐ隣の改札を抜けた女子と目が合った。私と同じ月野坂の制服。けど、スカートじゃなくてズボン。長髪の黒髪ストレートで、背が高い。黒縁の眼鏡。

 

「やあやあ、すずか嬢。本日はお日柄も良く」

 

 臥城奈緒(がじょう なお)は、いつもの調子でそう話しかけてきた。

 いつもの調子というのはもちろん、「私の記憶によると」という但し書きがつくのだけど。

 

「……おはよう」

 

「ん? どうしたどうした。なんか変だよ君。挨拶なんて返ってこなくて、睨みを利かせてくるだけだろうと思っていたのに。なにか心境の変化でもあったのかい」

 

「別に、そんなことないけど」

 

「いいや、そんなことあったね。誤魔化せないよ。別人になったようじゃないか。うん、まったくもって別人だ。誰だい、君は」

 

「誰って、白糸台すずかですけど」

 

「はーっ、君らしくもない。せめて『ウェンズデー・アダムスでないことだけは確かね』くらいは言ってほしいものだよ。まったく、張り合いがない。これじゃ私がピエロじゃないか」

 

「ピエロだよ」

 

 まったくもって、臥城は私の記憶通りの女だった。そこはかとなく芝居がかっていて、嫌味なのか素なのかわからないことをべらべら喋る変人。でも見てくれが良いのと、頭が良いのと、人間関係の立ち回りが上手いから、人に嫌われるタイプの変人ではない、らしい。生徒会にも入っているとか。

 

 なんかこう、我ながら、不思議な記憶の思い出し方をしてるな。

 

「『ピエロだよ』か。うふふ、今のは君らしかったな。でもウェンズデーや博麗霊夢を気取っているときの君じゃなく、思わず素が出たときの君だ。なあ、どうして君はなんの仮面もかぶっていないんだい? 教えてくれよ」

 

 こいつ、無駄にするどい。

 

「あんた面倒臭い。とっとと失せなさい」

 

「おっと。慌ててウェンズデーらしきペルソナを作ったね。図星かい。それにしても奇妙だな。何が君を変えたのだろう? また厄介な難事件にでも巻き込まれたのかな?」

 

「難事件って。そんなコナンみたいな世界に生きてないから」

 

「いいや君はどうあっても面白おかしい出来事に見舞われる世界の住人だ。それだけは間違いない。コミケでの事件を見事に解決してしまったのを目撃した段階で、私は確信しているよ。君こそ真の名探偵だ」

 

「……?」

 

 コミケ?

 

 記憶にないんだけど。私はなにかやったのか?

 

 私の困惑を露知らず、臥城は喋り続ける。

 

「ちなみに君は全くの別人になっているというわけではなさそうだね。なぜって君は今『そんなコナンみたいな世界に生きてないから』と言った。『世界』だ、『世界』。決して『世界観』とは言わなかった。『【世界観】というのはある個人や集団が世界に対する見方、世界に対する解釈の仕方を指すときに使う言葉であって、【世界設定】とは似て非なるものだ』という思想がそこはかとなく匂ってくる。そのあたりの考え方のくせが健在であるということは、君はどうやら白糸台すずかのようだな。全くの別人と中身が入れ替わっているなんてことはないようだ。まだまだ常識が通じる範囲、コナン的世界にとどまってはいるようだね。るーみっくなワールドに飛んでいってしまったわけではないらしい」

 

「何ごちゃごちゃ言ってんの?」

 

「いやいや失礼、君と一緒に登校できるのが嬉しくてね、ついつい喋りすぎてしまう」

 

 私の記憶によると、私はこいつを苦手としているらしい。

 

 苦手というか、不快というか。

 

 初対面のときから苦手だったみたいだ——初めて会ったときの記憶というのが、ぽっかり抜け落ちてしまっているけど。もしかすると、それが「コミケの事件」なのかもしれない。コミケか。嫌な予感がする。

 

「しかし今日の君はなんとも興味深いな。見れば見るほど不思議に思えてくる。本当にどうしたんだい? 何かあったのか? なにか困っているのなら、力になるよ」

 

「……ええと」

 

 まいった。まずいな。こいつに挨拶なんかするんじゃなかった。

 

 私の異変を気取られつつある。

 

 記憶がなくなっているってバレたら、多分、久瑠崎についても喋らないといけなくなるだろう。久瑠崎の記憶改変能力について。なんとしても隠し通さなければいけないっていう、絶対の約束があるわけではない。でも、記憶改変能力なんて馬鹿げた超能力を、誰彼構わず他人に触れ回ってしまうのはまずかろうって感じ。公にばれた暁には、久瑠崎は多分、どっかの研究所に連れ去られる。

 

 ……いや、まあ、いいか別に?

 

 正直、今のところ、久瑠崎に対して良い印象がない。私と久瑠崎は友達だったらしいけど、それは友達だったらしいってだけだ。偽りの記憶を植え付けられた今、そういうのは全部他人事にしか思えない。

 

「実はさ……」

 

 私は口を開いた。

 

 ——実は私、記憶を喪ったんだよ。

 

 そう言おうと思った私の脳裏に、ひとつの記憶がよぎる。

 

 私と久瑠崎が写った写真。

 

 小さい頃の、昔の写真。昔って言っても、それは写真の色褪せ具合から察しただけの、客観的な事実にすぎない。

 

「……」

 

 他人事のような記録。でもなんというか、あれを今の私が壊してしまうのは、ちょっとはばかられた。

 

「『実は』?」

 

 臥城が私の言葉を繰り返す。

 

 続きを促すように。

 

「……あー」

 

 私は右手で頭をかきながら、「いや、やっぱいいや。何でもない」と言った。

 

「おいおい。それはないだろう。明らかに何かを言いかけた。うざったいラブコメ漫画みたいな所作じゃないか。まるで思い人でもできたような――ま、まさか」

 

 臥城の表情が急に愕然となった。

 

「まさか、まさかまさかまさか! あ、あ、あああぁ~!」

 

 青ざめた顔で、私から二歩ほど後ずさる臥城。

 

「な、なに。いきなりどうした――」

 

「わああああっ! 終わりだ、破滅だぁあっ!?」

 

 臥城はそう喚き散らすと、めちゃくちゃな走り方で走り去っていった。学校じゃない方向に。

 

「なんなの……」

 

 私は取り残された。意味が分からなかった。あいつ、なんでいきなり発狂した?

 

 

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