白糸台すずかの思い違い   作:後菊院

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04話

    1

 

 

 都立月野坂高校といえば、最寄駅から学び舎まで続く登り坂――月野坂が有名だ。月野坂を登り切ったところに、月野坂高校はある。「近場の進学校と比べて偏差値では負けているけど標高では勝っている」というわけのわからない言説があったりなかったり――とにかく、私はヘロヘロになって坂を登り、「見知った」校舎をぐるりと回り込んで正門に辿り着いた。

 

 正門を抜けた先、校舎北側のあんまり人が通らないスペースで赤宮くんとお喋りしている久瑠崎サクラの姿を目撃し、「あっ!」と声をあげてしまったのだけど、これは仕方ないことだと思う。

 

 幸いなことに、二人とは距離があったので、私の声は届かなかったようだ。二人がこちらに気づく前に、私はさっと物陰(生垣の裏)に移動して、二人の様子を観察する。

 

 赤宮くんは、相変わらず格好いい。ものすごく格好いい。背が高いし、目元が涼しげだし、鼻高いし顎のラインがシュッとしてるし。制服の着こなし方まで、なんか他の男子と違う気がする。

 

 対して久瑠崎は、なんというか、全体的に見窄らしかった。

 

 別に家が貧乏ってわけじゃないはずなんだけど、なんかこう、丸い背筋とか、自信無さげな笑みとか、忙しなく動く目線とか……はぐれモノ感が立ち姿から滲み出ている。赤宮くんとは全く釣り合っていない。

 

 そんな二人が相対している様は、なんというか、歪だった。

 

 久瑠崎が何か喋り出したので、私は耳を澄ませて、会話を盗み聞くことに集中する。なんだ、あいつは何を言おうとしている?

 

「――あ、あのさダーリン」

 

 あのさダーリン?

 

 殺すぞ?

 

 危うく生垣から飛び出して久瑠崎に襲いかかりそうになった――それをギリギリで踏みとどまる。

 

 久瑠崎の言葉はまだ続いていた。

 

「昨日、すぐ帰っちゃって、ご、ご、ご、ごめんね? ごめんなさい。謝りますね……」

 

「いや全然。気にしてないよ、なんか急用あったんでしょ? 仕方ないよハニー」

 

 ハニーって。

 

 赤宮くんになんてこと言わせてんだよ。

 

 私はぎりりと歯噛みした。

 

 久瑠崎は目を丸くして、素っ頓狂な声で叫んだ、

 

「は、ハニーっ!?」

 

「なんでてめーが驚いてんだよ」

 

 離れたところでひとり、私はぷっと毒を吐いた。

 

「ん? どうしたのハニー。俺、なんか変?」

 

「いやっ、いやいやいや。光栄です」

 

「光栄?」

 

「うっ、うん。えっとさ、あの、あのですね。今ちょっと時間もらっ、いただ、もらってるのはね? 昨日、昨日帰って変なものなかったかって聞きたくて、で、聞くんだけど……ね。聞いていい? ってか、もう聞いてるよね、ごめ、えへへ……」

 

 久瑠崎の喋り方に、もうちょっとどうにかならないものかなと私は思った。いくら記憶を変えて「私はカノジョです」って植え付けても、そんなんだったらすぐに恋が醒めると思う。いや、だからあいつはずっと一人なのかな。なんというか、芯の部分が駄目っぽい。

 

「変なこと聞くよ、ごめんね? あの、昨日なんだけど。いや昨日じゃなくてもいいんだけど、あぁ、でもやっぱり昨日――あああそんなことどうでもよくて! あの……ダーリンの部屋に、なんか変なものなかった……? ないよね?」

 

 私に見られているとはつゆにも思っていないだろう、久瑠崎は赤宮くんに問いかける。必死な調子だった。なぜかはわからないけど、鬼気迫るものがあった。

 

 変なもの?

 

「変なもの? いやぁ、別になかったけどな。いきなりどうしたんだよハニー」

 

 赤宮くんも、私とまったく同じ疑問を抱いたらしい。だよね。久瑠崎の質問、意味わからないよね。

 

「い、いや。あはは……」

 

 久瑠崎は髪を触りながら、キモい笑い方で笑っている。その自信無さげな上目遣いをやめろと思う。そしたらもうちょっとマシになるでしょ。

 

 本当になんの話だろうか。てっきり私は、久瑠崎が赤宮くんの記憶を(可能な限り)元に戻すため、人気の無いところに彼を連れ出したのだと思ったのだけど。

 

「変なものって何?」

 

 赤宮くんが、久瑠崎に訊き返した。

 

「いや……ええと……」久瑠崎はなぜか口ごもる。

 

 だけどやがて久瑠崎は意を決したようで、弱々しいながらもまっすぐ赤宮くんを見つめた。その横顔は、いつものどうしようもない久瑠崎と比べると、多少はマシに見えた。

 

「――爆弾の設計図、家になかった?」

 

 久瑠崎は、赤宮くんに向かってそんな質問をぶつけた。

 

 私は耳を疑った。

 

「……爆弾?」

 

 赤宮くんが、久瑠崎の言葉を反芻する。

 

「うん……爆弾。じげ、時限、爆弾……」

 

 久瑠崎の横顔は、また自信のないいつもの卑屈なそれに戻っていた。

 

「――って、あはは、そんなのあるわけないよね。ご、ごめん。ごめんね、変なこと聞いて……」

 

「別にいいよ。はは、時限爆弾って。いきなりどうした? ハニー、いつもよりも面白いじゃん」

 

「へっ、えへへっ? へへへ……」

 

 気持ち悪く笑う久瑠崎――いや、そうじゃない。久瑠崎の笑い顔なんか気にしてる場合じゃない。

 

 時限爆弾?

 

 何かの比喩?

 

 さっぱりわからない。

 

 爆弾の設計図なんかあってどうするんだ――製造? 作るの? でも、なんで? なにか爆破したいの? 犯罪じゃない?

 

 そのとき、ふと、私の頭にひとつの疑問が浮かぶ。

 

 ――どうして私は赤宮くんと会っていた?

 

 あの公園で、二人だけで。

 

 目まぐるしく、疑問が脳裏に並ぶ。関連性のなさそうな疑問が次々と、風に吹かれる紙吹雪みたいに私の目の前に現れては過ぎ去っていく。

 

 どうして久瑠崎はそんな質問を赤宮くんに投げかけるの? 爆弾の設計図なんて。なんでそんなものが赤宮くんの部屋にあるって疑ってるの?

 

 どうして久瑠崎は昨日、急に帰ったの? どこか不自然だったけど、あれは何だったの?

 

 赤宮くんって、何者?

 

 私の知っている赤宮くんは、社交的で格好良くて、万能で、でもどこか影があって、漫画から出てきたヒーローみたいな男の子だけど、それって本当?

 

 関連性がありそうで、でもまだうまいことつなぎ合わせることのできない疑問の群れ。

 

 まだ材料が乏しい。でも、なんだろう。なんかこれ、知ってる。

 

 この思考の仕方。

 

 関連性の見えない疑問を視界に浮かべて、羅列して、本当の問いの形を作っていくプロセス。この思考を続けていけば、やがて答えにたどり着く――

 

「――でさ、君はいつまでそこでこっち見てるわけ? 白糸台さん」

 

 赤宮くんが言った。

 

 赤宮くんはこちらを見ていた。どくん、と私の心臓が鳴った。恋心のせい? いや違う。「見つかった」という警鐘だ。

 

 まずい。

 

 得体の知れない男に、見つかってしまった。

 

「えっ? あ――す、すずか?」

 

 遅れて久瑠崎も私に気づく。久瑠崎はわかりやすく狼狽していた。「えっ、いや、え!? なんで!? 記憶消したはずなのに――ええい、もう一回!」

 

「やめろ、久瑠崎!」

 

 私は叫んだ。

 

 馬鹿、消すな。

 

 私に気づかせておけ。

 

 あんた一人じゃ、その男に太刀打ちできない――

 

 

    2

 

 

「――あれ、なんだっけ」

 

 校舎北側。

 

 ぼうっと一人、私は突っ立っていた。

 

 なんでこんなところにいるんだっけ? 朝起きて、支度して電車乗って駅で降りて、臥城と会って別れて、それから――

 

「……ああ、そうだ。ちょっと一人で踊りたくなったんだった」

 

 無性にダンスしたくなった。だから一人になれる場所に来たんだ。

 

 ダンスなんて碌にやったことないし、人に見られたら恥ずかしいからね。

 

 ダンス――うん、ダンス。

 

 ダンス……?

 

 なんでダンスなんかしたくなったんだ?

 

「……私、変だな」

 

 ひとりごとを言いながらも、とりあえず私はくるりと片足軸で回ってみる。意外に上手く回れた。あれ? なんか踊れそうじゃん。

 

 勢いそのまま、鞄を傍に置いてステップを踏んでみる。いつぞや体育で習った、なんちゃらステップ。

 

 楽しいなこれ。

 

 私って運動神経は悪くないんだな。えへへ、もうちょっとちゃんと練習したら、誰かに見てもらうのもいいかも。赤宮くんとか。赤宮くんをダンスで魅了か、それは全然アリだな。ぐへへ。

 

 ひととおり踊ったところ、息があがってきたので私はダンスを切り上げる。喉が渇いたなと思いながら、鞄を拾う。スマホで時刻を確認したところ、あと2分で始業時間だった。危ない危ない、早く教室に行かないとと思って振り返ると、そこに一人の女子生徒が立っていた。

 

 臥城奈緒だった。

 

 臥城は呆気に取られたように、あんぐりと口を開けていた。そのせいで役者みたいな美人顔が少し間抜けになっていた。でも、臥城に見られていたことに気づいたときの私の方が、もっと間抜けだったと思う。瞬間的に顔が熱くなり、「へあっ!?」て、ウルトラマンみたいな声が出た。

 

「あっ、えっ、なっ、なんでっ!?」

 

 しどろもどろでそんな風に言ったのは私だ。「なんで?」って、多分聞きたいのは臥城の方だよね――なんて思考が走る。それで余計、どんな言葉を捻出すればいいのかわからなくなって、あわわと狼狽してしまった。

 

「あの……すずか嬢。いや、白糸台さん」

 

 非常にかしこまった調子で臥城が私の名前を呼んだ。その後に続く言葉が怖かった。

 

「君は今、恋をしているね?」

 

「え?」

 

「いや、いいんだ! みなまで言う必要はない。私の勘違いの可能性は残しておきたい。というかそれがなくなったら私はどうにかなってしまう! 頼むから肯定も否定もしないでくれ」

 

「はあ……」

 

「恋だ。恋が君を変えたんだ。全部恋のせいだ――ああくそっ! 昨日までの切れたナイフみたいな白糸台すずかは一体どこへ行ってしまったというのか! 一体誰なんだ、君の心を奪った相手は!」

 

「えっ、ええと――」

 

「ああああいいんだ言わないでくれ! それがもし私でなければ、私は入水したくてたまらなくなってしまう! 入水だ入水、一人でだ! 一人で入水は見苦しいぞ! 悲劇にもならない。精々が怪談だ。馬鹿じゃないか!? いや――だが、やはり聞かなければならない! これは試練だ! 私に課された大きな大きな試練なのだ! やはり教えてくれ! 君の想い人を!」

 

 「私でなければ」って。

 

 なんだこいつ、レズか?

 

 まあ確かに、思い返せば臥城はやたらベタベタと私に付き纏ってきていたような――んん、いまひとつ記憶の輪郭がぼやけているのだけど。

 

「なにあんた、私のこと好きなの?」

 

「好きに決まってるだろう! 君以外を好きになんかなるもんか。大好きだよ! もちろん、恋愛的に!」

 

 どストレートに感情をぶつけられて、私はたじろいだ。参ってしまった。どうしよう、こういう小説テーマのメインストリームじゃないところに出てくるガールズラブは必須タグの条件に含まれるのかしらなんて考えて思考を逃がそうとしたけれど、ダメだった。

 

 臥城に手を掴まれた。

 

「さあ! すずか嬢! すっぱりと私を振ってくれ!」

 

「えっ、いや。なんでそうなるのよ……」

 

「情けは無用! 他に好きな人ができたのなら、私など邪魔なだけだろう! さっさと殺すがいい! さあ! この手を振り払え!」

 

「殺さないし……というかそもそも、好きな人なんかいなくたってあんたは鬱陶しかった――」

 

 ――と、そこで私は言葉を切る。

 

 おかしい。

 

 「好きな人なんかいなくたって臥城が鬱陶しかった」というのは、明らかに、おかしい。

 

 私はずっと赤宮くんのことが好きだったはずだ。

 

 ずっと好きな人がいたはずだ。

 

 昨日の今日とかの話じゃない。ずっと前から好きだった。だから私は、ストーカーを――いやいや違う。ストーカーは偽物の記憶だ。私はストーカーじゃない。

 

 あれ、でも、だとしたら。

 

 「赤宮くんが好き」っていう記憶も、偽の記憶?

 

「ど、どうしたんだすずか嬢。もしかして、私にもワンチャンあるのかい」

 

「うっさい雌猫。今、考えてるんだよ」

 

「か、考えるぅっ!? 本当かい!? 考えてくれるのかい!?」

 

 考える――考える、考える。

 

 「赤宮くんが好き」という記憶が偽だったとして、久瑠崎はどうしてそんな記憶植えつけた?

 

 答えはわかりきっている。記憶改変をしたとき、あいつは「白糸台すずかは赤宮くんと付き合っていた」と思い込んでいたから。そしてさらに、「赤宮くんが好き」じゃないと、私を「赤宮くんのストーカー」にできないからだ。

 

 昨日の放課後、久瑠崎は、私と赤宮くんがあの公園で手を繋いでいたところを目撃した。その瞬間、あいつはショックを受けた。そして怒った。

 

 そのときのあいつの思考回路は、きっとこんな感じだろう。

 

「すずかのやつぅ、私の大好きな赤宮くんと付き合っていたの!? 幼馴染の私に、赤宮くん大好きな私に内緒で!? ゆ、許せん。許さない! グチャグチャにしてやる! いいか、お前はストーカーだっ! ストーカーにしてやるぅ。そして私は赤宮くんの彼女だ! うわっはっはどうだ参ったか! さらにさらに、お前は私の崇拝者で、私を裏切ったら全裸で踊る約束をしてたことにしてやる! どうだ参ったか! お前はもう終わりだ、いいな、これで私の勝ちだ!」

 

 ――大体こんな感じだろう。アホの思考回路を再現するのは疲れるし、すっごいイライラしてきたけど、そこは一旦置いておく。

 

 ひとつだけ確かなのは、私の記憶はあてにならないということだ。

 

 「赤宮くんが好き」という記憶すら、偽りの可能性がある。

 

 そしてその可能性を押し高めているのが、いま私の目の前に立っている女の証言。

 

「ねえ、あんたさ、私が昨日とまるで別人だって言ったよね。それは恋をしたからだと思う?」

 

 私は、握ったままの私の手を、さぞかし有難そうに撫で回している臥城へと問いかけた。

 

「おっ、えっ、そ、それは、どう答えるのが正解なのかな」

 

「いいからさっさと答えなさいよ」

 

「仰せのままに! ああ、そうだ。君は昨日、恋に落ちた! と、私は確信している! 君は誰かに恋をしたから別人のようになった……ん、だろう? 違うのかい? いや、なんでそんなこと聞くんだ――」

 

「そうなのね? 私は、今日、突然恋をしているように見えるのね?」

 

 ぐっと臥城を引き寄せる。

 

 臥城は神妙な顔で、こくこくと二回頷いた。

 

「わかった。ありがとう」

 

「いや、こんなの大したことじゃないよ……。な、なあ、ひとつ聞いていいかい? ちょっと突拍子もないことを思いついたのだけれど」

 

「なに」

 

「君、もしかして、記憶喪失かい?」

 

 臥城は引きつった笑いを口元に浮かべながら、そう言った。

 

 鋭い――いやまあ、その仮説に辿り着くのはむしろ必然か。私はなりふり構わず質問したし。

 

 でもまあ、頭が切れるのは間違いなさそうだ。テンションがぶっ壊れてるのが玉に瑕だけど、これからの「調査活動」をする上で、こいつが味方だったらなにかとやりやすい気がする。というか、手元に置いておかないと、色々危なそうだ。

 

「臥城」

 

「はいっ」

 

「ちょっと付き合ってくれる?」

 

「う――つ、付き合うというのは、どういう意味で……?」

 

「探偵ごっこよ」

 

 私はちょっと笑った。

 

「昨日の私の行動を調べるの、手伝って」

 

 私が赤宮くんに恋をしていなかったとして。

 

 昨日の私は、どうして赤宮くんと会っていた?

 

 

 

 

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