呪物語 作:マクガフィン
001
弁護士の方と出会いました。
「
「はぁ」
私は、先日臥煙さんに依頼された任務で、岩手県盛岡市内のある会社を調査をしていたのです。
遠路はるばる東北は岩手までの電車一人旅で、引きこもりの私はそれだけでそれなり以上に草臥れました。
もちろん、依頼は怪異事について。ある会社のオフィスと居酒屋に呪いがいないか、残穢が残っていないか見るだけの、移動距離の割には簡単なお仕事です。
そして先刻、調査は何事もなく終わり、結果は白。
まっさらなキャンパスにどれだけ書き込んでも、呪いの汚れは映りませんでした。
そう、怪異はおろか、"場所自体は"澱んでいる感じすら無かったのです。
どちらかと言えば、澱んでいたのは人間で、兎に角、呪いのせいだ、いる筈だ、と言い淀むことすらせず断言して、何度も何度も再調査を頼んできました。正直、少し鬱陶しく最後の方は対応がおざなりになっていた気がします。
そんな感じで、かなりストレスが溜まった為、早く学校に戻りたかった所で先程の弁護士さんが話しかけきました。
「いきなり不躾で本当に申し訳ないが、君はこの会社とどのような関わりがあるのか、ほんの少しでいい、聞かせてもらう事は出来ないだろうか」
弁護士って、職質もするお仕事なんですね。知りませんでした、皆さんに笑われる前に、常識を更新しておきましょう。
「えっと、私は……」
こういう時、どうすればいいんでしたっけ?
夜蛾先生から対処法を習った気もしますが、すっかり忘れてしまいました。
取り敢えず、呪術は秘匿しないといけないのは分かります。
ですが、職質されている時に黙秘したら、やましい事があります、と言っているようなもの。
でしたら、同じ"し"業でも、"詐欺師"の貝木さんのように適当な嘘八百を並び立てるしかありません。
「わ、私は、法廷画家志望の、千石撫子で、この会社には、えーっと」
「済まない、虚偽は述べないでほしい」
「あわわわわ」
バレてましたー!
いえ、バレるに決まっています。何なんですか、法廷画家志望って。目の前にいらっしゃったのが弁護士の方だったので、咄嗟に昔の情けない嘘がぶり返して、掘り返されてしまいました。
というか法廷画家の部分以外には特に嘘は言っていない上、キチンとスケッチブックは手に持っていたので、絵を描く人というのは誰でも読み取れると思われます。
となると、法廷画家の部分があまりにも嘘臭かった事になるのです。そんなにも私が法廷画家目指す事が不自然なのでしょうか?
002
「えっと、あの会社にはお祓いにいったんです」
黒歴史を製造したあの後、あわわわしながら慌ただしく慌てて、補助監督の方に処理を放り投げました。
そして二、三日は誰にも合わないよう部屋に引き篭るべく、駅で東京行きの特級券を買おうとしてた矢先、再び先程の弁護士の方……日車さんに声をかけられました。
呪術を秘匿する誤魔化しの専門家である補助監督の方を振り切って、なんとかして来たと思われる為、私は驚きこそしたものの、先ほどとは違ってある種の諦めのような考えがありました。
プロで誤魔化せないのでしたら、私に誤魔化せる訳ありません。
しかたがない、しかたがない。
という訳で、全面降伏し、駅近の喫茶店でお話を伺っていたのです。
「ああ、資格持ちの神職者だと聞いている」
日車さんは、私の語り出しにそう返答しました。先程と違い、嘘だと疑われることすらありません。
というか、今の私って、対外的には神道の神職、という事になっているらしいです。初耳ですね。
しかし、神社に神様として祀られてしまったこともあるので、適切といえば適切かもしれませんが、巫女服はおろか、和服や礼服すら着ていないジャージ一丁の神職なんて説明をこの人はよく信じてくれましたね。一応、法律の専門家さんですよね。
「神社本庁が指定する資格書を確認した、本庁に問い合わせて偽造ではないと裏は取れている」
「は、はぁ」
成る程、法律の『専門家』ですね。一瞬で私にはよくわからない小難しそうな熟語が並びました。
「それで、その、弁護士先生が、私にどんな話があるのでしょう。えっと、私も一応、お祓いだとか云々の『専門家』ですが、業界歴浅いので、相談やご依頼は上を通してくれると助かります」
「いや、俺は君の、あの会社に入った千石撫子の話を聞かせて欲しいんだ。どうか、どうかご協力してくれないか?」
そう言って、日車さんは私なんかに深々と頭を下げました。
出会った時から思っていましたが、この人も大概特徴的な人です。
パリッとしたスーツに、綺麗に伸びた背筋、そしてあまりに真っ直ぐ過ぎる視線。
見た瞬間から、しっかりしたお方、真面目そうな雰囲気が伝わってくるくらい纏っている空気感が硬いです。
私の周囲にはこんなお堅いの男の人はいませんでしたので、私としても対応には苦心しています。
というか、直近に出会った大人の男性は、中身はともあれ見た目はイカつい夜蛾先生と文字通り悪い大人の詐欺師の貝木さんなのでギャップで風邪を引きそうです。
「はぁ、まぁ、お話だけなら」
なので、私は対処法も分からず、ふわっとそう返すことしか出来ませんでした。
003
曰く、事件がありました。
交通事故です。
事故なのに事件と二行で矛盾していますが、それには事情があります。
飲酒運転を行っていた運転者によって、被害者の方が命を落としたのです。
故に、事故であり事件。日車さんは刑法やらなんやらと、もうちょっとちゃんとした説明をしていましたが、私の頭が警報を鳴らしながら煙を吹いてしまったため正直さっぱりです。
そして、そこまでして事情を聞いたこの事件ですが……正直、悲しい事件というのは間違いありませんが、適当にニュースをつけたら一週間に一回は聞く、ありふれた悲劇である、という感想もまた覆しようがありません。
ええ、怪異でなくとも、死や悲劇は世の中にありふれています。あふれかえっています。
それ故に、私たち現代人は、いちいち悲しまなく、悲しめなくなりました。
「ありふれた事件だというのは、百も承知だ。それでも、当事者にとっては、関係者にとっては、たった一つの人生を左右する重大なことなのだ」
ええ、そうです。どれだけありふれていようと命は一つ、逆にその死も一度きり。
当事者たちは、今までは遠巻きに見ていたそれらに直面すると、今までの慣れが嘘のように慌てふためきます。
皆、悲劇を自分ごとだと、当事者になりうると考えてもいないからでしょう。
私は被害者としても、加害者としても、どちらでもその当事者になったときは、自身が
そんな当惑している当事者達に寄り添うのが、法律家という人たちなのでしょう。
とりわけ弁護士は、加害者に寄り添うお仕事です。
「───強要されていた。そう彼は供述している」
ええ、加害者が真に加害者としての側面しか持たないというのはありえません。語られ始めたのは私もよく知るお話でした。
「職場の人間が、彼が車で来たことを、車を使用しなければ帰宅出来ない事、翌日も出勤しなければならない事を認知していた上で、ほぼ無理やりに近い形で酒類を飲ませられたらしい」
「加えて、彼は遺伝的にALDH2が不活性、即ちアルコール類を体質的に全く口に出来ない体質でな。当人はここまで正確には分かっていなかったにしろ、自身が他に比べて極度に酒に弱い事は把握していた。しかし周囲はそのような体質に理解を示さなかったみたいでな、故に、"付き合い""最初の一杯のビールだけ""飲んで鍛えろ"、などと言って、どれだけ説明しても強要され続けたそうだ」
「彼が19歳、即ち未成年であることを鑑みれば、周囲の成人達がそれを知っていた事を含めれば十分以上に情状酌量の余地がある」
未成年飲酒。
誰に強要されるまでも無く、一升瓶をダース単位でラッパ飲みしていた私にも、耳の痛い話です。
飲酒という一点の落ち度で言えば、自発的にぐびぐび飲んで、通ってきた大人(詐欺師)に酒をパシらせてまでして飲んだくれていたあの時期の私のほうが余程裁かれるべきでしょう。
「えっと、よくわからないんですけど、……話を聞く限りだったら、仕方がない、というのは亡くなった方に対して不誠実ではありますので、その人が罪を犯した、という事実はありますが、その人だけが悪かった訳では無い、ってくらいに落ち着きそうなんですが……何か問題があるのでしょうか?」
「そうだな、問題はその職場の人間が皆で口裏を合わせて、彼の自発的な飲酒である、と主張している事だ」
そこには人の悪意がありました。
逃避、責任転嫁、見て見ぬフリ、何も言わないことによる加害。
私もよく知る、誰しもが使える呪い。
「勿論、彼らの主張が事実であり、依頼者が虚偽の主張をしている可能性も否定しきれない事実だろう。現状、どちらの主張にも確固たる証拠は無く話は平行線だ」
……なるほど、少し私にも話が見えて来ました。
「私がお祓いにいったあの会社が、口裏を合わせている会社なんですね」
「ああ、そうだ。だから俺は、君から話を聞きたいんだ」
004
人は、自身の非を認めたくない生き物です。
出来れば、他人のせいにしたい、出来なくとも、責任の一端くらいは擦りつけたい。
自分だけが悪い、自分も少し非があった、なんて真っ平ごめん。謝りたくないのです。
それは、外聞だけで無く心の中でさえそうなのですから。
外に嘘はつけても、いえ、外部に完璧な嘘をつけばつくほど、自身の心に、そのあり方に対する非難が蓄積していきます。
逃れるためには、自分の心の中でも嘘をつくしかありません。
でも、どうやって?
ええ、この答えは私にもとても覚えてのある行動です。
在りもしない『怪異』のせいにしてしまうのです。
『あの時の俺/私は、疲れて/憑かれていたのだ』と
こうやって自身への非難を心の外に分離して、自身の心を避難させます。
「そんな感じなので、本当に怪異がいるかどうかはさておき、怪異のせいにしたい、というのは強く感じました」
私は、日車さんのお話が本当だと仮定した場合の、私が見た彼らの態度の訳について、推測し、説明しました。
「いくら口裏を合わせても、皆が皆、上手に自身に嘘をつける訳ではありません。なので、そのあたりをついていけば、一人くらいは良心の呵責に耐えかねる人が出てきてもおかしくないと私は思います」
「……協力に感謝する、千石撫子、俺はこの恩を忘れることはない。法律関係で何かあったら相談してくれ、必ず力になると約束しよう」
「いえいえ、私はそんな大それた善意でこの話に口を出したわけじゃないんです。ただ、過ち方が昔の私のようだったから、見当違いの罪滅ぼし、的な」
「君は、自身に嘘をついた事があると?」
「……はい、これ以上なく酷く」
「何もかもから目を閉じて、都合の良い妄想だけを夢に見て、現実を全て壊して、そのうち本当に何も見えなくなりそうだったんですよ」
「……」
「だから、日車さんみたいに、真っ直ぐものをあるままに見られる人の事は、少々眩しすぎて、私にとってはちょっと辛いこともあります。それでも私はそんな人達を応援しているんです」
「目を閉じないこと、私自身を見つめる事の大変さを知っていますから」
「どうか、頑張ってください!」
私は、最後にそうエールを送り、喫茶店の席を立ちました。
日車さんは、ぽかん、としていたので格好つけて伝票まで持とうとしたら、それはあっさり防がれました。
……恰好がつきませんね、私は。
ならばせめて退店くらいは恰好良くドアを開けようと勢いよく───
「へぷ」
ドアにぶつかりました。
005
帷。
業界用語であり、その意味は一般人を巻き込まないように人払いをする結界。
そして、もう一つの用途。
内から外に出られないようにする、閉じ込める為の結界でもあるのです。
「……だめだ、ケータイが使えない」
店内のパニックをよそに、私は先ず高専への連絡を試みます。が、これには出来ませんでした。たしか帷の基本的な副次効果でしたっけ。怪異という目に見えないものを閉じ込められるので、電波という同じく目に見えないものも遮断出来るのは何だか自然な感じですね。
「おい、こんなかに窓か補助監督やってる奴がいる筈だ、そいつとそいつが話していた奴に用がある。そいつらを差し出せば多少はいいようにしてやる。早くしろ!」
呪詛師です。
コンバットナイフと目出し帽という、あまりにもありふれたステレオタイプ犯罪者装備です。あまりに貧弱な装備であるため無関係且つ不運な強盗かとも疑いましたが、その口からは業界用語が飛び出してきましたので、こちら側の人間ではあるようです。
「助けは希望するだけ無駄だ。この帷は高位の人避け、認識阻害の代物でな。術師でも見つけるのは梃子摺る」
いえ、見つかっちゃってます。素人同然とはいえ、私も術師なのです。
多分、犯人の方にとってこの状況は想定の外なのでしょう。
帷の内側の人間に対しては、コンビニ強盗レベルの装備なのに対して、外側には『帷』というそれなりの対策を施しています。
これはもう、私はそんなに戦えないキャラです、と自白しているようなものではありませんか。
先日のゴキブリ呪霊とのジャンル違いの戦闘で、ナイフ一本に恐れ慄く感性を失ってしまったので、心拍すら上がる事無く、どうしよっかな〜と思考に耽る事が出来ています。
手持ちの式神は神撫子のみ。使えば何とかはなりますが、正直、過剰火力感が否めません。どうやってもコンビニ強盗に毛が生えたレベルのお方を相手に神様をぶつけたら怪我では済みませんから。
ここは、私の毒を使う方針でいきましょう。適当に煽って1、2撃頂いたら相手は毒に浸されますから。
そう方針を固めて、私が声を上げようとした時でした。
「俺が店内の人間を代表して話を聞こう。俺は弁護士だ。強盗事件や立て篭もり事件の判例やそれらの事件の推移を何例も知っている。お互いにとって損の無いような状況にすると約束しよう」
日車さんが、私のそれに先んじて、店内にいた方達のパニックを納めて犯人と交渉を始めたのです。
正直、凄い手際の良さです。
「はん、交渉ぅ〜?んなもん必要ねぇよ!俺が用があるのは、お前なんだからな、弁護士野郎!」
しかし、今起こっているのは怪異事、法律の外の律せない、不可思議の理不尽。
となれば、そちらはそちらの『専門家』の出番でしょう。
「えい」
「な、ナイフがぁぁぁ!」
ぶっ殺されそうになった日車さんの間にスルッと入り、ナイフを喰らうつもりでしたが……ナイフの方がぽっきりいってしまい天井に突き刺さりました。
「て、テメェ、術師だな!ッ、何だこの呪力量!話が違……」
セリフを最後まで言い終わることもなく、泡を吹いて倒れました。本当に三流もいいところの敵役でしたね。
「千石撫子、君は一体……?」
「えっと、皆んなにはナイ『領域展開───』」
変なテンションで、気色の悪い黒歴史を製造する前に、状況は再び一変しました。
006
夜の森、冷たくも何処か湿った風、立ち並ぶ墓石。
辺りの様子は様変わりしていました。
間違いありません、『領域展開』です。
誰が、どうやって、というのが全く分からないまま、領域内に囚われてしまいました。
確か領域の基本的な効果は、───特定攻撃の必中。
『口裂け女』の領域に入った時の金縛り効果で身をもって体験していますが、恐ろしいくらいに必ず当たります。
「わぁ、お墓だ〜!肝試しでもしてるの?」
即座に神撫子にご降臨願い───
千石撫子は、目の前が真っ暗になりました。おまけに動けません。
「いえーい、墓荒らしー!罰当たりだけど怖く無い、だってバチ当てる側だし。神様だし」
即座に神撫子に掘り起こされました。
掘り起こされた、という言葉から分かるように、あの一瞬で、私はお墓に埋葬されていたらしいのです。
成る程、必ず当たる攻撃は埋葬攻撃のようです。
となると、巻き込まれた方達も既にお墓に───
「千石、これは一体……?」
なっていませんでした。日車さんと、店内にいらっしゃった不運な市民の皆様も一緒のようです。
どうにも、その辺りにタネがありそうですね。
「ぷはぁ、もう!勝手に埋めないでよ!私、ヘビだけどツチノコじゃ無いよ!」
二度目の埋葬対象は神撫子だったみたいで、今の一瞬で地面に埋められて、脱出までの展開があったみたいです。
あとツチノコは『土の子』ではなく『槌の子』で、別に土は関係ありません。
「下がってください、日車さん。怪異事です、一応、『専門』なんで、なんとかします」
「しかし、君は───」
「君は、子供だ。職業に就いていても、この状況に対して専門であったとしても、命の危機である状況で、大人が未成年を盾に、責任を押し付けて良い訳が無い」
日車さんは、こんな非常事態でも、誰もが目を閉ざしたくなるような怪しく異なる状況を目の前にしても、そう正論を言ってのけたのです。
「確かに、俺は何も知らない。愚かにも、知らなければいけない事すら知れないでいた事を、今知った程、この世の中に対して無知蒙昧だったらしい」
「しかし、一端でも知った、見てしまった以上は、俺はこの不条理から目を閉ざしたく無い」
「肉盾としてでも呪い避けとしてでも、何でもいい。君の役に立てないだろうか」
それは心の根まで、あまりに真っ直ぐな本音でした。
眩しいまでの、思わず目を閉ざしたくなるような正義でした。
「ありがとう、日車さん。……指示を出したら、今いる他の市民の方を出来るだけ結界の縁、私や大きな物音から出来るだけ離れた位置に連れて行って欲し───」
「千石三級術師!それより良い方法があります」
しかし、そこに被せるような声がかけられました。声色は焦燥感に満ちていますが、聞き覚えのある声でした。
「えっ、補助監督さん?いらっしゃったんですか?」
「申し訳ございません、帷への対処を試みていた為、連絡が遅れました」
日車さんが最初に絡んでいた時に、事後処理をなんとかしてくださった補助監督さんです。いつの間にか、私の近くに寄ってきていたみたいです。
「それで、方法なのですが、領域に対抗するには、領域が必要です。幸い、日車氏は脳に結界術がセットになっている術式が備わっています。千石術師の『構築術式』でそれを活性化させるよう脳の一部に新しい構造を足して、覚醒を促すのです。時間がありません。設計図は用意したので、これをなぞって下さい」
補助監督の方は、そう口早に捲し立てました。用意良く、複雑そうな設計図まで用意して。
成る程、私の術式にはそんな力が。"使っている私でも知らない"術式の仕様をプロの方は当たり前のように知っているようなので、頭が上がりません。
でも───
「何も分かっていない日車さんの許可も得ず、こちらの世界に巻き込んでしまうのは、どれ程の緊急時でも了承しかねます。だから日車さん───」
素人の私にも、釈然としない事、善悪の天秤くらいはあるんです。怪異の世界の人間の都合で、誰かをこの世界に引き込む事がどういうことか、巻き込まれの専門家だった私には想像がつくのです。
「俺の脳が少し弄られる位の事で力になれるのなら、了承しよう。だが、それはこの人物の主張が事実であるのならばだがな」
「詐欺の常套手段だ。緊急性の高い時に、大量の情報を捲し立てて、判断力を麻痺させてよく分からないまま、相手を頷かせ、契約させる」
「───答えろ、お前は何が目的だ」
「───ふっ」
「ははは」
「はははははっ」
「あーっははははっ」
007
「いや〜、一回やってみたかったんだよね、犯人バレした時の三下犯人の三段高笑い」
「にしても、千石撫子、君は周囲の人間に恵まれているね。やっとのことで、人払いを済ませて実験を始めようとしたのに、ご覧の有様よ」
女性は、額に縫い目のある女性は、補助監督でもなんでもなかったその女性は、私を知っているみたいでした。
そうです。今回の任務は"私一人の予定"だった筈です。
呪いが居るか、居ないか、ただ確かめるだけの。
窓と呼ばれる呪術を感知出来るだけの方でも
補助監督と呼ばれる、直接呪いを祓うには力不足の方でも
こなせるレベル、いえ、そちらの方々が本来こなす業務である任務だったのです。
その任務に、過剰戦力の私が行っているのに、補助監督がいる筈がありません。
「尤も、私の正体がバレたところで、状況は何も変わっていない」
「この『疱瘡婆』の領域に踏み込み、肝心の千石撫子は、領域対策を持っていない」
「君は、この実験を行う以外、助かる方法が無いのよ」
「私の見立てでは、日車寛見は、最初から結界術を、領域がデフォルトで使用可能な術式を持っている」
「領域の対策として最も有効な手段はこちらも領域を使う事」
「この喫茶に入った時点で、私にとって良い結果は確定している」
「私としては別に何でも良いけど、死にたくなったら言ってくれ。君が死んでも、その身体には次の予定があるからね」
そして、今までと違うことは、敵の、怪異の、その正体を見破ったところで、別にどうすることも出来ないという点です。
口ぶりからして、狡猾なことに、結果がどう転んでも……実験対象の私が、情報を渡すまいと、決死の覚悟で自死してさえ、予定通りであるという感じがします。
どうしましょうか。
この『領域』に対して為すすべが無い現状では、どうしようもありません。
「神撫子って、領域使えたりしないよね」
「なんで?出来るし、神様なめんな」
「だよね、出来ないよ───えっ?」
『領域展開』
『───
何だか、酷い当て字を見た気がします。
008
思えば、かつて私は、領域を使った事がありました。
神様時代、私を騙そうと嘘を吐いた貝木さんを逃すまいと。
白い蛇の園の心象で、神症で、空間を塗り替えた事がありました。
いえ、後付けで、今にして思えば、あれは業界で『領域』と呼ばれるものだったと思い至っただけですが。
しかし、てっきりあの頃は式がつかないガチ神様だったから出来た芸当だと私は考えていましたが(現に、ゴキブリ呪霊と戦った時に展開していた白蛇の園は、ただ生得領域を広げていただけでした)、そこはそれ。
きっと式神とはいえ、神様に『出来ない』を問うのは地雷だったみたいです。
今回は良い結果に転びましたが、これからは注意しないといけませんね。
「必中効果は、……蛇だね。地面が全て蛇で接地している以上、必ず当たる上、振り払っても振り払っても巻きつき噛みつき圧殺する執念深さ。それに加えて目に見えない蛇……これは『蛇切縄』の呪いかな、兎に角、空気も全て彼らで満ちているから、例え飛べたとしても無意味、と」
「近代の術師によく見られる必中必殺領域の典型だ。この領域自体に面白味は無いけど、君の術式によって作られた式神の術式が、領域まで孕める域に達するとは」
「いいね、最高だよ。千石撫子。君の術式があれば───」
「術式が
「面白さに免じて、今回は見逃してあげよう。非術師の術師化という命題に於いては、君はサブプランに過ぎないしね。どうか研鑽を積んで、私により多くの可能性を魅せてくれ」
「逃すとお思いですか?ここ、私の領域ですよ」
件の呪詛師の方は、肩まで蛇で覆われて身動き一つ出来ない状況になって、いえ、私がしました。
しかし、全く余裕が崩れる様子はありません。底が知れないのです。
「まだまだ青いね、押し切られたのは疱瘡婆の領域だけで、私自身の領域対策は掃いて捨てるほど残っている。この身体は戦闘向きじゃないにしろ、呪術初心者の領域にやられる程、焼きは回っていない」
その一言と同時に、領域の縁に穴を開けられました。どういう訳か領域の必中効果も失われています。
おまけに疱瘡婆と呼ばれた呪霊も何らかの呪具により、封印・回収されてしまいました。
「神撫子!」
「ぶっころ!」
逃すまいと、神撫子に追い打ちの指示を出します。攻撃手段はいつもの投げやりな投げ槍でした。
『
『術式反転』
投げやりな槍は、投げた奴の無軌道さを象徴するかのように、当たる寸前に何らかの影響で軌道を変えられて、届くことはありません。
「じゃあ、"また会おう"、千石撫子」
「次会うときは、どうかもっと面白いものを魅せておくれ」
009
「呪術、呪霊……そういうことか。この国の神道組織は政教分離の原則をやや逸脱して、国と結びついていると問題視していたが……実態は警察などの公的機関に近い役割をはたしていたのだな」
はい、今回の顛末です。
あの呪詛師の方が領域から逃げおおせた後、私は次こそは本物の補助監督や窓の方々に連絡して、事態の収拾を計りました。
この収拾には、今回の流れを、即ち怪異事を見てしまった一般市民の方々の記憶の収集も含まれます。
その記憶処理の手続き対象に、元々は日車さんも含まれていましたが、脳に不活性ながら術式がある事や今回の黒幕から着目されていた事により、守秘義務なんかの"こちら側"の原則を守らせることにより、記憶処理は保留となったのです。
あと、やっぱり、優秀な弁護士さん、というのが大きかったみたいですね。社会的信用がハンパないです。同じ"し"業でも、詐欺師とは天と地の差ですね。
因みに元々調査していた、飲酒運転の件に関してですが、泡吹いて倒れたコンビニ強盗呪詛師の方が三下の悪役らしくあっさり依頼人の情報を吐いた為、良い方向に向かう事になりそうです。
やはりというか何というか、呪詛師の依頼人はあの会社の人達で、こちらの業界が呪いの可能性を否定した事に腹を立てて、担当した窓と補助監督、ついでに彼らにとって目障りだった日車さんを呪い、こちらの業界に改めて調査を依頼する為に行ったという、あまりに本末転倒な話でした。
尤も、黒幕にあの縫い目の呪詛師……臥煙さん曰く『羂索』がいる以上、彼らの非合理的な行動を100%彼ら自身のせいと断言することもよろしくありません。
しかし、この話においては、唯一こちらの世界に無関係だった日車さんを呪うよう指示したこと、その点が天秤を傾けました。
その後の顛末までは、まだ伺いしれません。後は、あちら側、法と常識の世界のお仕事、即ち、日車さんの『専門』です。
「千石、君の過去に何があって、どんな罪を犯して、その時何を想って、今の状況になっているのかは、俺はまだ断片的にしか知らない」
ふと、別れ際、盛岡駅まで送りに来てくれた日車さんが、そう話を切り出しました。
「しかし、君が今日、こうして多くの人を救った事、救おうと命をかけた事は、嘘ではない」
「君の過去が何であれ、弁護士である俺は、千石、君の味方であろう」
「君が送ってくれたエールの返礼としては何だが、君の道行きが正しく、善きものであり続ける事を、俺は願っている」
真正面からの賞賛というものは、気恥ずかしいものですね。
私は、そんな馴れない