基本といえば基本味だ。
あさっての方向へ飛んだ思考を無理矢理呼び戻す。
『
明後日といいながら昔の女に気が向くなど恥ずべきことだ。
やはりどうも平穏の中で思考も注意も散漫になっているようだと自省する。
『
この商品の素晴らしい点は栄養補給に関する効率化だけではなく味までしっかりと拘っている点だ。
人間が摂取する食べ物の味には5種類の重要となる味というものがあるらしい。
甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の5つでこれを基本味と呼ぶ、らしい。
弥堂は調理技術にはまったく精通などしていないが、そのような知識を適当に聞きかじっていた。
手に持った
正六面体のブロックが6つ連なるスティック食品。
このブロックの一つ一つがそれぞれ基本味のどれかが凝縮されており、これを一本摂取することで基本味全てを網羅することが出来る。
つまり、この商品は工場生産されてはいるが、調理品ということになる。
弥堂はそのように解釈していた。
まず1ブロック目を齧る。
今回は甘味だ。
この
味などどうでもいいと弥堂は考えてはいるが、その努力には敬意を払う必要があると考えていた。
甘味ブロックの摂取によりこの時点まで生命を稼働させたことにより失われたエネルギーを補給した弥堂は2ブロック目を齧る。
酸味だ。
含まれるクエン酸がミネラルを吸収しやすくしてくれ、おまけに疲労回復効果もある。
同様に咥内のブロックに含まれる酢酸はなんか血管をいい感じにしてくれて血圧が大丈夫になるらしい。
ミネラルがどこにあるのかは弥堂にはわからなかったが、この商品のパッケージには全ての栄養素が入っているという謳い文句がある。きっとどこかに入っているのだろう。
3番目は塩味だ。
ガチガチに固められた塩化ナトリウムを噛み砕いていけば、わりと熱中症が対策されたような気がした。
4つ目はうま味だ。
なんかうまいと感じたからたんぱく質がキマった。
5番目、苦味だ。
このパッケージは当たりだ。
通常の食事を摂る者たちがそうするように、弥堂はカフェインの塊を歯で圧し潰しながら食後のコーヒー気分を楽しむ。
そして6番目。
もう基本となる5つの味は全て出てきた。なぜ6番目が存在するのかといえば、この商品は5番目まではランダムに基本味のどれかを配置し、ただ6番目には必ず全ての基本味を1つに突っこんだブロックを配置しているのだ。
弥堂自身はこれぽっちも神なぞ信じてはいないが、エルフィーネはかなり信心深い女だった。
彼女はよく言っていた。
神は無駄をお許しにはならない、と。
この手の中の一口大の正六面体に人間が調理をする上で重要な全ての味と、生命活動を行う上で必要な栄養素が全て詰まっている。
これにはその神とやらも大変お喜びになるに違いない。
弥堂は心中で十字を切り、そして衝撃に備える。
たった一口で全てを賄える。しかしそれは当然ノーリスクではない。
人間の生命の総てを凝縮したと言っても過言ではないこのブロックを咀嚼すると脳に多大な負荷をかけるのだ。
だが、それでもこの効率の良さに弥堂は病みつきになっていた。
生命という劇物を口へ運ぶ。
(食事などただの燃料補給だ。それをいちいち下処理だの下味だなどと遠回りをして、さらに切ったり焼いたり煮たりなど手間をかけた挙句に盛り付けがどうだとか皿の並べ方が気に食わないだとか何の役にも立たんルールを作って終いには食器の後片付けだ。非効率極まりない。おまけにその手間をかけることこそが素晴らしいものであると宣う愚か者までいる。だがそこまではまだいい。別に個人でどうするかはそいつの自由だ。しかし、注目を浴びるために先鋭化し、手間をかけないことが怠惰だとまで言う糞野郎は死ね。大体口に入れて飲み込めば最終的に糞になって出てくるんだ。変わらんだろうが。糞の元を作るのに道徳性や美学を見出す変態性癖者どもが。それに美味いというのは快楽だ。自分が快楽中毒の糞生産機であることに自覚もなく、その快楽に憑りつかれ美味い物を口に入れずにはいられない中毒患者どもは心臓と血管を破裂させた上でケツ穴から糞と一緒に血を噴き出して死――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――)
眼に映る映像を認識する。
眼球を右、左と動かす。
ここは体育館裏の自分の一人飯スポットだ。
制服の胸ポケットからスマホを取り出しY’sへ宛てて『M(ikkoku)N(etwork)S(ervice)』の運営を命じる文面を作成し送信した。
すると受信箱に未読の返信メールが来ていることに気が付く。
送り主はY’sで、MNSとは何かと説明を要求されている。
いくらなんでも返信が早い。
よく見れば今自分が送ったメールよりも先にこの返信メールが届いている。
(まさか――)
弥堂は素早く眼球を回し周囲に監視カメラや学園の警備用ドローンがないか確認する。
奴は昨日、学園の警備ドローンの操作の乗っ取りに成功したと言っていた。
先程までのやりとりをそれで監視していた可能性がある。
自分にはない技術を味方が持っているのは悪いことではないが、あまり調子にのり過ぎるようであれば処分することも検討しなければならない。
弥堂は脳内の『始末リスト』のランキング上位にY’sの名前を入れた。
とりあえず今は泳がせておいてやると、メールの時間差には触れずに、予め作成しておいたMNSの概要を記したメモファイルを奴に送り付けた。
スマホの画面を落としたところでもう片方の手に
空だ。中身はない。
そういえば自分は食事中だったと思い出す。
たしか
弥堂自身は存在もしていない神への感謝の念などこれっぽっちもないが、彼の師であるエルフィーネが大層信心深い女で、彼女がそうしていたので毎回ではないが食事の際には同じ祈りを捧げるようにしていた。
何故かその食事と祈りの途中で、脳に強烈なインパクトが生じ意識を失っていたような気がする。
しかし、そのような事実は記憶の中には記録されていないので気のせいだろうと思考を切り捨てた。
食事の作業を終えたのであれば、とっとと次の作業にとりかかるべきだ。
水無瀬に持たされていた袋から弁当箱を取り出し、昨日同様に箸で一頻り中身を掻き混ぜてから内容物をビニール袋に捨てる。
近くの水道で箱と箸を濯いでから、これもまた昨日同様に弁当の中身を移したビニール袋を持って焼却炉へと近づく。
炉の扉を開け手に持った袋を放り入れようとしたところで、ガサガサと葉擦れの音がする。
すぐ近くの茂みだ。
そちらへ眼を遣ると茂みの中から細長い白い尾が出ている。
そういえばさっき――
そう記憶を探るよりも早く、その尾の持ち主が茂みの外へと踊り出てきた。
彼、もしくは彼女は弥堂の顏を一瞥すると「むぁ~ん」と一泣きし、その場でコロコロと転がり始めた。
『ねっ、ねーねー、知ってるー? この学園の中に猫いるんだって!』
『の、野良猫みたいね。白猫らしいわ』
そういえばさっき教室を出る直前に早乙女と舞鶴がこのようなことを言っていたなと思い出す。
ゴロンゴロンしながら徐々に弥堂の方へ寄ってきている足元の獣を視る。
『だ、誰か餌付けしちゃったのかなー。本当はよくないんだろうけど、猫かわいいもんねー』
野崎さんの言葉通り、人間に餌を貰い慣れているのだろう。
初見のはずの弥堂にも全く恐れる素振りを見せない。
だが、毛つやがいいとまでは言えない。
弥堂はスッと眼を細めてから猫を視るのをやめ、周囲に目を走らせる。
そして若干うんざり気に鼻から細く息を吐くと、足元の猫を雑に拾い上げ茂みの裏へと強制連行する。
ガジガジと親指を甘噛みして抵抗してくるケダモノをぺいっと地面に放る。
着地するや否や、再度背を地面に擦り付け始める彼の前に弥堂はしゃがみこんだ。
浮き出たあばらを見ながら手に持ったビニール袋を逆さまにして中身を地面にぶちまける。
身を翻し立ち上がった彼はそれに近づくとクンクンと鼻を鳴らし、弥堂の方へ顔を向けて「むぁ~ん?」と問いかけるように鳴く。
ペットなど飼ったことのない弥堂は、人間が食べる用に作られた餌が猫の体調にどのような影響があるのかといった知識は寡聞にして知らない。
だから――
「それはお前にやった物ではない。俺はただここにいらない物を捨てただけだ。それをどうするかはお前が好きに判断をしろ」
何の感情も映さない瞳を向け平淡な声で告げると、彼はもう一度鳴き声をあげ、『ちょっとなにを言ってるかわかりませんね』とばかりに肉に喰らいついた。
彼にとってはもう弥堂は用済みなのだろうが、弥堂は彼の食事の様子をジッと視る。
歯を突き刺し引っ掛けてから顎を閉めて持ち上げ、首を振って引き千切り口の中に残った物を申し訳程度に磨り潰し飲み込む。
繰り返されるその動作と彼の様子を眼を細めてただ視る。
食事の様子を不躾に観察してくる男には構わず、彼は夢中で摂取している。
多少身体に悪かろうとも飢えるよりはマシとでも考えているのだろうか。
それとも学園の生徒たちに定期的に餌を分け与えられていて、人間の食事を食べ慣れているのだろうか。
それなりに痩せているように見えるが、目の前に食べ物を出されて即座に食らいつかないくらいの余裕はあるようだった。
黄ばんだように汚れた白い毛並みの獣が地面に散らかった残飯に顔を突っこむ様子をしばし観察して、特に何も起きなそうだと判断し、そっとこの場を離れる。
ほぼ空になったゴミ袋だけを焼却炉に放り込み、荷物を回収して教室へと戻るルートを踏む。