体育館裏へと辿り着く。
西側の部室棟の北に体育館があり、そのさらに北部にはプール施設があった。敷地全体を地図で見下ろすと学園内の北西部にあたる位置である。
弥堂はそこまでは通り抜けずに、体育館裏手の学園の敷地と公道とを隔てる外壁との間にある焼却炉の付近へと来ていた。
ここらへ来る生徒は少なく、静かな場所だ。
そのため、弥堂は自身の『一人飯スポット』の一つとして定期的に利用していた。
外壁側に設置された、清掃員が使用する特殊な焼却炉の向かい側には水道が引かれている。その脇の地面に腰掛けるのにちょうどいい高さのコンクリートの段差があった。
弥堂は体育館の壁に背を預け腰を下ろす。
持っていた荷物――コンビニで購入した商品の入った買い物袋と、水無瀬 愛苗から手渡された弁当袋を脇に置いた。
ポリ袋から水のペットボトルを取り出し、眼を細める。未開封であることを確認してからボトルキャップを回した。
水を二口飲み、キャップを締めて脇に置く。
それからスマホを取り出し、タスクアプリを起動した。
本日は4月16日の木曜日。
土日は休みとなるため、明日の金曜日で今週の学園の日程は終了だ。
なので、今週中にやらねばならない仕事は必然的に明日までに終わらせなければならないことになる。
弥堂は自身に課されたタスクリストを手元の画面に表示させ確認していった。
順に眼で追う。
いくつかの教科での課題。
風紀委員の活動レポート。
廻夜からの課題は――クリア。
『バイト』の予定。
そして、最後の一つで眼が止まった。
『反省文の提出』――
「――ちぃっ」
思わず舌を打つ。
弥堂はとにかくこの反省文というものが嫌いだった。
要は始末書だ。
自身がミスをしたのならばそれを作成するのは仕方のないことではある。
だが、成果を出せなかったのならばともかく――
『不適切』『不健全』だのと意味のわからない難癖を教員どもに付けられ、不要な時間的コストの消費を強いられる。
このことに非常に強いストレスを感じていた。
(まさか――)
弥堂はハッと眼を見開く。
(敵性部活動の者どもの息が教員の一部にかかっていて、それでこちらに妨害工作を……?)
証拠はない。
――ないが。
その可能性は十分に考慮しておくべきだと判断する。
そしてそれは然程的外れではないと、そう強い確信があった。
でなければ説明がつかないことがあるのだ。
この反省文の要求が毎週複数件ある。
普通に考えて――
このような意味のない作文を、これだけ大量に作成させられることが『普通』だとはとても考えづらいからだ。
それとも自分が知らないだけで。
高校生とは意味もなく毎週多大な反省を強いられることが『普通』のことなのであろうか。
でなければ、この学園に転入してから今までの期間――
遅刻も欠席もなく真面目に通学をし――
学園の治安維持に努める風紀委員としての職務を全うしている自分のような模範生が――
――このような憂き目にあうはずがないのだ。
やはりこれは何らかの陰謀である。
弥堂はそう結論づけた。
しかし公式な手順で以って作業として課された以上、現状はそれに甘んじる他ない。
今まで気付なかった自分の方が間抜けだったのだ。
今は大人しく従っておくべきだと判断する。
(今はな――)
そのような思惑を巡らせつつ。
次は今回の反省文が一体何についての反省なのか――という部分に思いを馳せる。
罪に問われたのは、先日の『自己紹介』の件だ。
自身の所属する部活動の先輩であり部長である
担任教師の木ノ下 遥香には、『考えられないレベルの失言』――
――このように評された。
事があったのは、およそ1週間ほど前の4月8日 水曜日。
二年生へと進学して、新しいクラスに新しいクラスメイト達と編成されて迎えた新しい学期が開始された日だ。
体育館で行われた新入生のための入学式兼在校生の始業式が終わり、それぞれの生徒が各クラスへと戻り。
その後に行われた最初のHRでの出来事である。
出席番号順に各生徒が教壇に立ち、クラスメイト達に向けて自身のプロフィールなどを喋る。
とてもありふれた自己紹介だ。
弥堂の順番が廻って来て席を立ち、教壇へと向かう時のことだった。
その道中で。
以前の自分の保護者のような立場にいたルビア=レッドルーツ――
記憶の中でも鮮烈に燃えるあの緋い女の言葉を思い出し、弥堂はそれを実行した。
しかし、そのルビアに教えられた通りの『自己紹介』がどうも拙かったらしい。
反省文を作成するにあたっては、一体何が悪かったのか――その情報が必須となる。
それについて廻夜部長は多くを語らなかった。
弥堂を呼び出し説教を行った担任教師の木ノ下に至っては、興奮しすぎていてその言動は支離滅裂であった。
教職に就いて2年目のまだまだ新米教師といえる彼女だが。
いい歳をした大人の女性があれほど顔を赤くして怒り狂う理由とは一体どんなことなのであろうか。
弥堂は自らの所業を思い出すべく、記憶から記録を取り出す――
――4月8日 水曜日 9時20分頃
場所:2年B組教室
席を立つ。
俺の順番だ。
席を離れる際に隣の座席の
前に立って自分のプロフィールを読み上げるだけだ。
それだけのことに何を頑張ると言うのだ。
まるで小さな子供を送り出す若い母親のように不安を滲ませた顔で。
まるで励ますかのような声音で、そう言った。
ナメているのか。
子供はお前だろう。
――と俺は考えた。
数歩進んだところでルビアの教えを思い出した。
こういう場面での作法があったはずだ。
当時のルビア=レッドルーツとの会話の記録を取り出す。
不完全な記録。
何も出来ない甘ったれのガキの思い出を幾年か後に記録としたもの。
正確性は疑わしい。
彼女は笑っていた。
恐らくこんな顔で笑っていた。
そして彼女はこう言った。
恐らくこんな声で言った。
彼女の言いそうなことではあるし、実際に教わった通りに振舞ったことも何度かある。
記録は不完全だが大体このような感じだろう。
問題はない。
――と俺は考えた。
大雑把でいい加減な女だったが、あの女の教えが俺を生かした。
彼女がそうしろと言うのならばそれでいいのだろう。
――と俺は考えた。
教壇に立つ。
左から順にクラスメイト達を見渡す。
大体は覚えのある顔だ。
数名ほど警戒が必要な対象はいるが問題はない。
敵性存在も現状いない。
どうにでも出来る。
――と俺は考えた。
『まずは見下ろせ。んで睨みつけろ――』
ルビアの言葉だ。
不完全な記録。
了解。
――と俺は考えた。
ネクタイを緩めシャツのボタンを2つ外す。
以前に、クソの役にも立たない消耗品のチンピラ崩れどもを相手に、よくそうしてやっていたように見下ろす。
どいつもこいつも平和ボケした腑抜けた顔だ。
ルビアの世話になっていた時の自分のようだ。
――と俺は考えた。
教室全体を睥睨するように無言で見下ろす。
気の短い者ならもうここで仕掛けてくるはずだ。
それを待つ。
教壇の脇に立った女が「び、弥堂君……あの……?」と遠慮がちに声をかけてくる。
木ノ下 遥香。
この新しいクラスの担任教師だ。
教師2年目で担任を任されたという情報だが、一目でわかる。
使えない女だ。
この女に教わることなど何かあるのだろうか。
――と俺は考えた。
15秒待ったが反応はない。
戸惑う者、怯える者、嫌悪する者、わずかに敵意を放つ者。
慌ただしく挙動不審な水無瀬。
次の段階へ進もう。
――と俺は考えた。
『ハッタリでもなんでもいいから一発カマしてやんな――』
『テメェはこう言ってやんな――』
ルビアの言葉だ。
その先の言葉も憶えている。
不完全な記録。
了解。
――と俺は考えた。
左手を握る。
破壊はしない程度に。
だが出来るだけ大きな音が鳴るように。
教卓へとこの手を叩きつける。
――俺は実行した。
そのまま教室を黙って見渡す。
怯える者、嫌悪する者、臨戦態勢に入った者。
慌ただしく挙動不審な水無瀬。
だが動く者はいない。
次の段階へ進もう。
――と俺は考えた。
名を名乗る。
「俺の名前は弥堂 優輝だ。俺は――」
一度言葉を切り眼に力を込める。
動く者はいない。
ルビアの次の指示。
不完全な記録。
了解。
次の段階へ進もう。
――と俺は考えた。
ゆっくりと間を作ってから言葉を発する。
――俺は実行した。
「俺は、抜かずに三発出せる――」
――と俺は言った。
――記録を切る。
(この後は俺は発言をしていない。恐らくここまでの中での行動のどれかが問題だったのだろう)
弥堂は胸中でそう見当をつける。
実際のところ、問題どころではなかった。
『俺は、抜かずに三発出せる』
この発言で教室は静まり返った。
当然だ。
生徒さん達は白目を剥いた。
当然だ。
木ノ下先生も白目を剥いた。
当然だ。
首を傾げていた。
完全に全員の度肝を抜いて――満足げに自席へと引き返していく弥堂にクラスメイト達は戦慄していた。
弥堂が教卓へと拳を叩きつけたことによって、臨戦態勢をとっていた数名の生徒も思考停止をしていた。
弥堂が席に戻るとようやく教室は騒めき始める。
水無瀬とは逆側の隣の席の女生徒は、弥堂が席に着く際に「ひっ」と悲鳴を上げていた。
女子生徒達の殆どは顔を赤らめるか青褪めるかしており、怯えている者が多かった。
男子生徒は敵愾心を剥き出しにする者もいたが、大半は雄としての敗北感に心を折られていた。
悔しさに顔を歪める者、絶望的な戦力差に涙を流す者もいた。
これらに該当しない生徒達も男女問わず、弥堂の常識外れな言動を軽蔑していた。
そんな中で、水無瀬さんだけはよくわかっていないのだろう。
戻ってきた弥堂に変わらぬ笑顔で声をかけた。
「おかえり弥堂くんっ。おつかれさま! ……ねえねえ、抜かずに三発出せるってどういう意味? 何が三発出るの?」
無邪気な質問によって、再び教室に激震が走る。
普段は水無瀬を邪険にしてロクに受け答えをしない弥堂だが、こういう時に限って律儀に反応をした。
他にも意味がわかっていない者もいるかもしれない。
ここで上下をはっきりさせる。
廻夜流に言うのならば『マウントをとる』――
その為にはしっかりと『わからせて』やった方がいいだろう。
弥堂はそう考え、水無瀬の方を向く。
教室後方でガタッと大きく椅子を蹴倒す音が聴こえた。
弥堂の蛮行を止めるべく――
大好きな親友の愛苗ちゃんに汚い言葉を聞かせない為に、
弥堂が口を開く。
しかし、
希咲 七海が不埒者にドロップキックを叩きこむよりも前に――
――それよりも先に動く者があった。
「びっびびびびびとおくんっ! あっ、あとで指導室まで来なさああぁぁぁぁい……っ!」
この学校に勤務してまだ1年――というか教職に就いてまだ1年だが。
生徒達からは優しい、穏やかで大人っぽいと評判だった木ノ下先生は――
今までの人生でも一度も出したことのないような声量を以て、無事に弥堂の発言を止めることに成功した。
このクラスに就任して最初の重要な仕事であった。
本人にとっては甚だ不本意なことであろうが。
その後生徒指導室へと呼び出した弥堂との間で、また一悶着あったのだがそれは今は別の話――
――時は戻り体育館裏。
弥堂は脇に置いたポリ袋から、コンビニで購入した昼食を取り出す。
手に持っているのはブロック状のバランス栄養食だ。
『
人間が生きる上で必要なありとあらゆる栄養素を親の仇の様に詰め込んで圧縮した商品である。
弥堂が嗜食している一品だ。
何か特別必要性に駆られて外食をするわけでもない限りは、ほぼ三食全てをこの“Enegy Bite”で済ませている。
先程教室で水無瀬に『変なの』呼ばわりをされ、その流れで希咲に『あんた一体何食べてるわけ?』と問われこの商品を紹介したのだが。
二人掛かりでクソミソに貶された一品である。
――と言っても、好き放題に罵ってくれたのは9割が希咲であったが。
(――ふん、素人どもが)
道理を解さぬ愚か者どもへの嘲りが甦る。
先程奴らに説明してやったこの商品の素晴らしい点を頭の中で羅列しようとした瞬間――
『ヴヴヴッ――』 と、手の中の端末が短く震える。
着信を知らせる通知音だ。
液晶画面の上部を見ればE-MAILの着信を示すアイコンが表示されていた。
サバイバル部や風紀委員会との連絡には、最もユーザー数の多いと言われている『edge』というメッセンジャーアプリを使用されている。
電子メールの方で連絡が来るのは主に『バイト先』からと――
弥堂は受信メール一覧を開いて、その最上段に表示された未読の新着メール――
その差出人を見て眼を細める。
予想通りの相手からであった。
メールを送信してきた相手の名前を示す欄に記載されていたのは――
――差出人不明――
(――Y'sか)
通称『サバイバル部』
正式名称『災害対策方法並びに遍く状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』
これに所属する廻夜・山田君・弥堂に次ぐ第4のメンバーで。
おそらく情報収集及び管理統制に特化している――と思われる部員である。
山田君以上に謎に包まれた部員で、顔を見せたことがないどころか、学園に提出している部員の登録名簿にもその名前は記載されていない正体不明の生徒だ。
Y'sというのは仮称であり、偽名もしくはコードネームのようなものなのだろう。
彼――もしくは彼女から送られてくる様々な情報文書のその文末には『Y's』と――
署名のように必ずそう記されている。
もしかしたら名前ですらないのかもしれない。
だが弥堂は、そこから『ワイズ』と――便宜上そう呼称していた。
このY'sはこうしてEメールや紙の文書で――
こちらが必要とする情報。
これから必要となるかもしれない情報。
各種テストの極めて精度の高い出題予想から、近所のスーパーの耳寄りなお得情報に加え、お住いの地域のゴミ収集の日のお知らせまで。
――ありとあらゆるお役立ち情報を網羅し、こちらに提供してくる。
反省文について詰めようとしていたところだったが、緊急性の高い案件の可能性もある。
弥堂は瞬時に頭を切り替えて、メール本文を画面に表示させた。
『無題』
『差出人不明』
そのメール本文には――
『愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してるいつも見てる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる死にたい愛してる愛してる愛してる愛してる産みたい愛してる好き愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる気付いて愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる好き愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる見て愛してる愛してる愛してる愛してる私を見て愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる何でもします愛してる愛してる愛してる愛してる下さい愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる爪が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる髪の毛が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる唾液が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる血が欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる全部欲しい愛してる愛してる愛してる愛してる死にたい愛してる好き好き愛してる愛してる愛してる殴って愛してる愛してる首を絞めて愛してる愛してる愛してる踏みつけて愛してる愛してる愛してる愛してる研いで愛してる愛してる愛してる愛し――