「――ふむ」
弥堂は画面を眺めながら無感動に“Enegy Bite”を一口齧る。
作業的に咀嚼をしながら、文字の流れに沿って画面上で目線を滑らせていった。
いつも通りの文面だ。
このまま読んでいけば『愛してる』の連呼が『見て』の連呼に変わり。
それが文章が終わりに近い合図だ。
そして文末に本来の用件が記され、『Y's』の署名で締められる。
一見すると狂っているようにしか見えないこの文面にも今でこそ慣れたものだが。
初めてこのメールを読んだ時には、弥堂としても眉を顰めざるを得なかった。
暗号が酷いからだ。
『愛してる』だのなんだのと、意味のわからない単語の羅列は暗号に違いない――
弥堂はそう考えていた。
問題はその暗号をこちらが解読できないことだ。
なので、『意味がわからん。暗号を変えろ』――と返信したことがある。
そうするとヤツはこちらの言い分には応えずに。
弥堂の返信に対して、弥堂の自宅住所と学園で行われた身体測定で計測された弥堂の身体情報だけを送り返してきた。
これは恐らく『余計な口をきくな』『いつでもお前を狙える』――という脅迫であろう。
自分の方が立場は上なのだと主張しているのだ。
強気な奴だ。
しかし、暗号が解読不能では意味がない。
なので一度、自身の所属する組織の上司である『サバイバル部』部長の廻夜に、これを見せて相談をした。
だが、彼は意味深に笑うばかりで何も語らなかった。
『お前が知る必要のないこと』――
そういうことなのだろう。
心なしか廻夜の顔色が青褪めているようにも見えたが、彼は大きなサングラスを掛けていてその顔色は窺い難い。
おそらくこちらの気のせいだったのであろう。
というわけで。
現状の活動においては、読める範囲の情報で不足はないと弥堂は割り切っていた。
機密性に関しては完全とはとても言い難いが、万が一他人の手にこの端末が渡ってパスワードを突破されたとしても――この狂気的な文章を最後まで読んでいく暇人もそうはいまい。
それに、例え漏洩したとしても弥堂にとって致命的な情報はここにはない。
自分が内容確認後すぐに破棄をすればそれでほぼ問題はないであろうと、そのように判断した。
どこまで突き詰めたとしても、恒久的に完璧な機密保持などは不可能だ
情報はいずれどこかで必ず漏れる。
ならばそれに注力しすぎるのは効率が悪い。
弥堂はそう考えていた。
端末を持った左手の親指を画面上で幾度も上に滑らせていくと、ようやく目当ての箇所に辿りつく。
そこには――
『あなたの誕生日・体重・靴のサイズを教えてください』
――という文章があり、その次にURLが記載されたハイパーリンクが設定されていた。
弥堂は迷わずリンクを踏む。
自動的にブラウザアプリが起動し、飛ばされた先のサイト情報が読み込まれる。
すぐにパスワードを要求された。
弥堂は考えもせずにそれを入力していく。
『4196827』
誕生日4月19日、体重68㎏、靴のサイズ27㎝。
先程の文章で質問された答えだ。
このパスワードは毎回違う内容で、弥堂のパーソナルな情報を求められる。
パスワードが認証されるとページが表示された。
装飾の一切ない、白い背景に黒いテキストで文章が表示されているだけのものだ。
『あなたの名前・部屋番号・出席番号を教えてください』
――という文章が一番上に表示されており、その下にファイルのダウンロードリンクが2つ並んでいる。
一番上のファイルをタップすると再度パスワードの要求だ。
『yb30221』――と入力すると、ダウンロードが開始され、すぐにテキストファイルが開かれる。
弥堂は慣れた様子でそれに眼を通していく。
1つ目のファイルに書かれているのは、仮想敵対部活動の弱みとなるような醜聞が殆どだ。
それは噂レベルのものから、信憑性の高いもの、時には確定した事実までをも――情報の確度によってランク付けをしてリスト化されている。
これはこちらから攻撃をしかける先の候補リストだ。
2つ目のファイルには、逆にこちらに害を及ぼす可能性のある相手のリストが載っている。
他の生徒や他校のグループに狙われていると情報が掴めた時。
また、職員会議や生徒会の議題で『サバイバル部』や『
その計画や注意喚起等の報告がここに記される。
1つ目のファイルには特に目ぼしいものはなかった。
すぐに攻勢に出られるような目標はない。
〇〇部の誰かが喫煙をしているかもしれない――そんな程度の、優先度の低い情報だけであった。
続けて2つ目のファイルに眼を移す。
こちらも緊急性の高い情報は特にはなかったが――
「――正体不明の新勢力だと?」
その内の1つが眼についた。
見ると詳細は現状不明。
部活動や同好会などのように学園に正式に登録をされたコミュニティではなく、非正規の集団のようだ。
放課後に一人で居る生徒を複数人で取り囲み迷惑行為を働いているらしい。
現状の被害報告は数件程度。
暴力行為を行っているわけではない。
だが、被害者には女子生徒が多く、何やら意味不明なことを主張してくるらしい。
被害にあった男子生徒は仲間になるよう勧誘をされたようだ。
彼らは自分たちを『
(弱者の剣……、慈善家気取りのテロリストか……?)
弥堂は眼を細める。
Y'sの評価では、楽観視はするべきではなく早期解決推奨。
来週初めの風紀委員会の会議で議題に上がると予想。
対応LEVELは3。
(レベルは3か……。だが……)
対応LEVELとは緊急性の目安のランクだ。
1~5まであり、5が最も緊急性の高い案件となる。
だが、レベル5までいってしまえば、それはもう手遅れということにもなる。
場合によっては総力戦も辞さない――そういったケースを想定している。
なので、実質的にレベル3はすぐに対応にあたらねばならないような案件なのだ。
だが、弥堂としてはこの案件にあまり興味が湧かなかった。
というのも――
――『非正規集団』なのだ。
つまり――連中は学園から予算を割り振られ活動しているわけではない。
なので、こいつらを潰したところで『サバイバル部』には何のメリットもない。
『風紀委員』としての立場で考えるのであればそうもいかないのだが、自分はあくまでスパイである。
自ら積極的に関わる必要はないと判断をした。
もしも来週の風紀委員会の会議でこの件の対応を命じられれば、それから対応をすればいいだろう。
(とは言え……)
スマホの画面から一度眼を離し思索する。
このところなにやらキナくさい。
この『弱者の剣』といい、先程の山田君の件といい――事件が増えている気がする。
山田君の場合は彼自身がそうなるように仕向けたのではあるが。
それを抜きにしても事件が、と言うよりはそれを起こす者――所謂『不良生徒』が増加傾向にあるようだ。
去年、弥堂がこの学校に転入してきた時よりも校内にガラの悪い者の姿が明らかに増えた。
それに伴い事件や騒ぎが増えている気がするのだ。
それは校内に限った話だけでもない。
そういった素行の悪い生徒達は、放課後や休日に学園外でも一般市民や他校の生徒と揉め事を起こす。
各所からの苦情が学園に上げられているという話も聞いたことがあった。
時には警察沙汰になることもあり、学園の治安は明らかに悪化を辿っている。
(一度調べてみるべきか……)
物事に変化がある時、それには必ず『理由』がある。
衰退するにしても発展するにしても、そこには必ず誰かの意志と仕掛けがある。
偶然そうなるなどという可能性は極めて低く――またそれを期待をするべきではない。
このまま彼らの行動を放っておけば、他校や街の半グレどもの不興を買い、そこからさらに大きな揉め事に発展する可能性もある。
そうなってしまえば『サバイバル部』が無関係でいられる保証もない。
調査の結果次第では、この件はレベル4として対応に当たらなければならないだろう。
出来れば風紀委員会の方で本格的に問題視されるよりも先に。
風紀委員としてこれを『仕事』として割り振られてしまえば、その対応をする際にはどうしても採れる手段に制約が付く。
いざとなれば手段を選ぶつもりはないが。
しかし事後のことも考慮すれば、それは弥堂としても面白くないことになる可能性もある。
難しい案件だ。だが――
(――これは俺向きの『仕事』だ)
弥堂は一旦メールアプリへ戻り『Y's』への返信メールの作成を始めた。
内容は――
『学園内の不良生徒のここ1年間での増加数とその傾向及び学園内の不良生徒の現在数』
『校内校外での我が校の生徒の関与した事件数とその詳細内容及び学園へのクレーム数とその内容』
これらを可能な限り詳細に調べ上げて報告をするように――
――という要請だ。
簡潔に指示だけを入力し、一度内容を確認してから送信ボタンを押す。
そしてファイルの残りの内容を確認するためにブラウザアプリへ戻ろう――としたところで。
手に持ったスマホが振動した。
画面上部にはまたメールの受信を知らせるアイコンだ。
「…………」
弥堂は無言でメールを開封する。
そのメールには――
『唾液をください。』
――それだけ記されていた。
「…………」
弥堂は数秒文章を認証した。
念のため確認したが、差出人は不明で、相手のアドレスは先程の未登録の――恐らく捨てアドレスと思われるものからであった。
つまり、Y'sからだ。
返信が異常に速すぎることも気になるが、それよりも内容だ。
『唾液をください。』
もう一度確認したがどうやら見間違いではなさそうだ。
いつもの怪文の中に確かに唾液だの髪の毛だの爪だのといった、体組織を寄こせという文言はあった。
だが、まさか暗号ではなく本気だったのかと訝しむ。
とりあえず返信をする。
『だめだ。』
『爪をください。』
間髪入れずにまた返信が飛んでくる。
『だめだ。』
『足の爪でいいので!』
「そういう問題じゃねえんだよ」
思わずメールの文章に声を出してツッコんでしまったことを弥堂は悔いた。
そして疲労感が沸き上がってくる。
『黙れさっさとやれ』
弥堂は投げやりに返した。
すると――
『じゃあ靴下で! 使用済みの靴下で!』
弥堂は眼を閉じて――
他人の使用済みの靴下を入手することの意味と、それから得られる成果と、それにより自身が失う可能性のあるものは何かという――人類の殆どが無縁なままその人生を終えるであろう疑問に思いを馳せた。
10秒だろうか20秒だろうか。
その場で瞑目し、それから眼を開ける。
『いいだろう。その代わり仕事は色をつけてやれ。』
めんどくさくなったので、弥堂はY'sの要求を飲むことにした。
『よろこんでええぇぇぇぇ!』
歓喜の返信が届き、その数秒後にもう1通メールが届く。
最後のメールには、またいつもの『愛してる』連呼の長文が書かれていた。
正直もう見たくなかったが、いつもの形態をとっている以上これは『仕事』の情報かもしれない。
疲労を滲ませながらも本文の最下部まで辿り着く。
するとそこには、画像リンクと『Y's』の署名だけがあった。
いつものパスワードなどはない。
これは初めてのことだった。
先のやりとりで弥堂は大分うんざりしつつあったので、特に気にせずにその画像を開いた。
「――――⁉」
一瞬眼を見開き、そしてすぐにそれは細められる。
手に持った端末のディスプレイに映ったのは、弥堂の想像だにしないもので――