その後そのままの姿勢でしばらく待ってみたが、彼女が立ち直る様子はなく、自力での再起動は無理だと判断をした。
このままこうしていても、
「おい、希咲」
「……うん」
「その、なんだ、大丈夫か?」
「……うん、だいじょぶ」
「あれだ。消さなくていいのか?」
「……けす」
「立てるか?」
「……たつ」
言葉とは裏腹に背中で寄りかかる彼女が、弥堂に預けた体重を引き取っていく様子はない。
恐らく自分が今どういった状態でいるのかもわかっていないのだろう。
弥堂は見切りをつけ、刺激をしないようそっと彼女の左手をとり、彼女がその手に持ったままのスマホを彼女の手ごと目線の高さまで持ち上げてやる。
画面に映った文字列が視界に入ると、希咲がまた身を竦ませた。
腹部に回した彼女の身を抱く右腕から震えが伝わる。
その腕に何故か添えられている彼女の手がギュッと服の袖を握ってきた。
身体を強張らせた際に肛門でも締まったのか、弥堂の足の付け根近くに圧しあてられている彼女の尻が動き、左右の尻肉が柔く噛みついてきた感触を知覚する。
彼女が再びパニックを起こす前に声をかけてやる。
「暗号だ」
「……あんごう」
「そうだ。暗号だから大丈夫だ」
「……あんごう…………だいじょぶ……」
「ほら、お前のパンツを消すぞ。前のメールに戻れ」
「……ぱんつ……けす…………」
しかし、復唱はするものの彼女は一向に動かない。
焦れた弥堂は一つ舌を打ち、スマホを握る彼女の手の上から包み込むように自身の手を重ね親指で操作しようとする。
「……おっきぃ」
「あ?」
「……て」
「ん? あぁ。お前よりはな」
「……ん」
「…………」
ジロリと一度彼女の頭部を見遣ってからスマホの画面へ目線を動かし、先程着信した新着メールの文面を流して確認する。
わけのわからない狂気的な文章だけで他には特に何も記述はなく、またURLリンクなどもなかった。
「なんなんだこれは。仕事の連絡じゃないのか」
「……しごと、じゃない」
「見てんじゃねーよ」
「……いたい」
一緒になってスマホの画面を覗く希咲の頭を顎で小突いてやると、彼女からはそんな痛みを訴える声が無感情に発せられた。
「悪かったな」
「……うん、いいよ……?」
「…………」
いくら放心しているとはいえ、異常なまでに従順と表現していいのか、とにかくやけに大人しい彼女の気味の悪さに居心地が悪くなる。
その居心地の悪さの正体を考えないようにしながら、最初の怪文書メールからいくつか後に届いたメール本文を表示させる。
「……まぁいい。このメールだ。見ろ」
「……やだ。こわい」
「駄目だ。見ろ」
「……うん」
「…………これにはお前のパンツへのリンクがあるだけだ。おかしな文章はない」
「……こわい」
「……わかった」
弥堂は希咲の手の上から親指を画面へ伸ばして触れ、上方へ擦り上げる。すると、Y’sの用意した『希咲 七海おぱんつ撮影事件』の特設サイトへのハイパーリンクが表示される。
「おら、押せ」
「……うん」
「……押すぞ?」
「……うん」
弥堂は彼女の代わりにリンクを踏んでやった。
画面にどアップで表示されたのは、もう見慣れた気がするミントブルーの生地に黄色のリボンや刺繍の施されたパンツだ。
『今日もお前のせいでこんな目に……』と弥堂はそのパンツを睨みつけた。
「おら、確認しろ」
「……かくにん、する」
「これはお前のパンツで間違いないな?」
「……うん、ない」
「……それはどっちの意味だ?」
「……あたしの、ぱんつ……」
「よし」
「……りすぺくと?」
「違う」
「……りすぺくと、して」
「あ?」
「……あたしの、ぱんつも、して」
「…………」
余程に先程の件を根に持っていたのか、そんな言葉と同時に彼女に摑まれていた右腕が解放される。
弥堂はとても投げやりな気分になり、解放された右手で画面のパンツを指差す。
「……おぱんつ、よし」
「……よし」
「…………」
脱力するように右手を身体の脇に降ろすと、すぐにその手はまた彼女に捕まえられた。無意識の行動なのだろうが、ギュッと握られる。
弥堂は何か文句を言ってやりたかったが、何も言葉が思いつかなかったため止めた。代わりに厭味で溜め息を吐いてやったが今の彼女には伝わらないだろう。
「……では、確認したな?」
「……した」
「消すぞ」
「……けして」
とは言ったものの、元々これは消したつもりの物であった。
先程希咲が何やら特別な手順を踏まないと完全に消すことは出来ないようなことを言っていたが、その正式な手順とやらを弥堂は寡聞にして知らない。
知らないことを考えてみても時間の無駄だと即断し、知っている者に命じることにする。
「おい。これ消せ」
「……うん、けす」
自身の手を握っていた彼女の手を外して逆にその手の甲から掴み、その手をスマホへ近付けさせると、希咲の右手はスマホを操作し始めた。
「ついでだ。それ全部消してくれ」
「……うん、してあげる」
「…………」
明らかにおかしくなっているのは彼女なのだが、それに釣られてのことなのだろうか、弥堂は自分までどうにかなってきそうな錯覚を覚え、気を強くもった。
「……けした」
「あぁ。ご苦労」
「……えらい?」
「…………あぁ、えらい」
「……うん」
「……じゃあ、このスマホはもういいな?」
「……うん、ありがと」
「…………謝れ」
「……え……? ごめん、なさい……?」
「いや、いい。今のはミスだ」
「……うん」
弥堂は自分でも何故彼女に謝罪を要求したのかわからなかったが、とにかく言い知れぬ強烈な危機感を覚えた。
とにかくこれ以上はまずいという正体不明の強迫観念に急かされ、彼女の両肩を優しく掴むと丁寧にその身を離してやる。
「さぁ、もう立てるな? 足元に気を付けろ。手を離すぞ?」
「……え? あ、うん……ありがと」
慎重に希咲の身体から手を離して様子を見守っていると、ボーっと立つ彼女は数秒してハッとなった。
「えっ? あれ……っ? あたし今――」
「――どうやら体調はよくなったようだな。何よりだ」
「は? うん……ねぇ、あんた今抱き――」
「――無事に目的も遂げられたようでそれも何よりだ。よかったじゃないか」
「あ、うん。そうだけど……てかさ、なんであたし達あんなくっつい――」
「――これで和解ということでいいな? 俺としてもキミと敵対したいわけではないからな」
「え……? うん……、うん…………?」
何か、乙女として軽くスルーしてしまってはいけないようなことがあったような気がして、希咲は首を傾げる。
何やらお尻というか腰というか、そのあたりに変な感触というか違和感というか、よくわからない不快感が残っているのがやけに気になった。
しかし、それを問おうにも、弥堂があまりに平然としていて淀みなく喋り、まるで何でもないことのようにしているものだから、自分だけ大袈裟に騒ぎ立てるのはもしやダサいのでは? といった考えが過る。
そんな気がしてしまって、乙女的には大変アレだが、プロのJKとしてのプライドが邪魔をし、執拗に追及することを憚れてしまって七海ちゃんはお口をもにょもにょさせた。
やがて、不満は多々あれどどうにか色々と呑み込み、先程までの自分の状況を思い出して湧き上がる羞恥を隠して平然とした態度をとることを選択する。
また騒ぎ出されては面倒だと考えていた弥堂は、控えめにもじもじとすり合わされる希咲の太ももの隙間をジッと視て、どうやら思うような結果を得られたようだと一定の満足感を得た。
彼女が心変わりしない内に場を終わらせるよう行動する。
「それではお前の用件は以上だな。結果は約束できんがなるべく実行できるよう心がけよう。では、な」
「あぁ、うん……。じゃね…………って! 待てコラーーっ⁉」
彼女が完全に正気に戻りきる前に、迅速にこの場を離脱しようとしたがそれは叶わなかった。
舌を打って立ち止まる。
「なんだ?」
「なんだ? じゃないでしょ! まだ終わってないし!」
「終わりだろ。もう用件を3つ聞いたぞ」
「聞いてない! まだ2つ!」
「あ?」
彼女との認識の祖語に眉を顰める。
呆けている間にまさか記憶でも飛んだのかと懐疑的な眼を向けた。
「1つ目が水無瀬の護衛。2つ目が水無瀬を4/20の月曜日に甘やかすこと。3つ目がお前のパンツを消すこと。全部で3件だろうが」
「最初の2つはそうだけど、最後のは違うっ」
「なんだと?」
「3つ目のはお願いじゃないから! 当たり前の要求でしょ⁉」
「……百歩譲ってそうだったとして。じゃあ、なんだ? 本題でもないのにあれだけの時間をとらせたのか?」
「あ、あんたが素直に言うこときかないから悪いんでしょ⁉」
「…………」
「あ、こらっ! 無言で顏触ってくんな! てゆーか、聞き慣れてきちゃったけど当たり前みたいに『あたしのパンツ』って言うな! キモイんだよ変態っ!」
「いてーな、爪たてんじゃねーよ。そんなにパンツに触れて欲しくないのならもういっそ脱いじまえ」
「ななななななっ――⁉ バカじゃないの⁉」
「うるさい黙れ。昨日といい今日といい。何でお前のパンツはこんなにも俺に無駄な手間をかけさせるんだ。ナメやがってクソガキが」
「だからいちいちあんたのこと意識してパンツ穿いてねーって言ってんだろ! 勘違いしないでよね!」
「知ったことか。お前のパンツは効率が悪い。そんなものが存在するからこうなる。2度あったのならどうせ3度目もあるだろう。じゃあ、どうする? 簡単だ。この世から消してしまえばいい」
「わけわかんないこと――って、こらっ! あ、ああああああんたどこに手ぇ伸ばして……っ⁉ さわんな! 死ね! クソへんたいっ!」
「うるせえ。いいからパンツ脱げ」
「脱ぐかボケーっ! こんにゃろ、ぶっとばしてやる!」
ギャーギャー言い合いながら二人はもみくちゃになる。
1秒、また1秒と、希咲のパンツに関して対立する時間が増えていく。
「なぁ……俺ら、何見せられてんだろうな……」
「さぁ? つっても、勝手に野次馬してんだけどな」
「スマホのことで弥堂が詰められてたと思ったら、ビックリするようなイチャつき方しだして、そんで今……またケンカしてんのか……?」
「いや、あれもイチャついてんだろ」
「イチャついてるわね」
「なんかムカつくからよ。今、グルチャで言い触らしまくってるわ」
「あ、あたしもやってるー」
「やっぱパフォーマンスよねー」
「ここまでやんなくたって、別に弥堂なんかイカねーっての」
「それなー。顏悪くないけどちょっとね……」
「頭おかしすぎだもんね」
「パンツリスペクトされちゃうしね」
「やっぱ希咲ムカつくわ」
「紅月くんだけで足りねーのかよってね」
「でも、あのイカレ風紀委員を引き取ってくれてると思えばまぁ、多少は……」
「おぉ……女子コエェ……」
「まぁ、俺らも弥堂ムカついてるし、そういうもんなのかもな」
「もういいだろ。帰ろうぜ? クソが」
「あぁ、クソが」
二人を観察していた人々は口々に「クソが」と毒づいてこの場を離れていく。中には路上に唾を吐き捨てる者までいる始末だ。
お互いを罵り合うことに夢中な二人は、周囲が静かになっていっていることには気付かない。
お互いのことしか見えていなかった。
しばしの間、公道で人目も憚らず罵倒し合った弥堂と希咲だったが、その人目がなくなっていることに気が付き、どちらともなく休戦を申し出て場を納めることでお互いの意思を擦り合わせた。
「……ナットクできない」
「しろ」
「出来ないっつてんじゃん!」
「うるせえ。この『世界』に納得出来るものなど何一つとして存在しないと考えろ。そうすれば恙無く諦めて生きていける」
「なんでそんな人生送んなきゃなんないのよ!」
あまり擦り合ってなかった。
「いいから話を進めろ。何でお前一人にこんなに時間をとられなきゃなんねえんだ」
「はぁ? あんたのせいでしょ! あたしがあんたに構ってもらいたがってるみたいな言い方すんな!」
「わかった。構ってもらいたかったのは俺だ。もう十分構ってもらった。満足だ。胃が持たれるほどにな。おら、早く言え」
「なんなの! いちいちムカつく言い方ばっかして」
「言わねえんなら帰るぞ」
「言うわよ!」
ぶちぶちと文句を言いながら希咲は切り出そうとするが――
「言うけど。でも、その前にさ……」
「あ? テメェいい加減にしろよ」
「すぐイライラしないでよ!」
「お前のせいだろうが」
「なんであたしにだけすぐキレんの!」
「そんなことはない」
「あるもん! いつもムッツリしてて態度悪いけど、他の子にそんな風にキレないじゃん!」
「お前も大概だろうが。野崎さんたちと話していた時みたいに冷静に場を回せ。何故俺にはいちいち突っかかってくる」
「あんたの頭がおかしすぎるのが悪いんでしょ!」
またどんどんとヒートアップしていきそうになるが、弥堂が希咲へ手を向けて制止する。
「――待て。一回待て」
「あによっ⁉」
眦を上げた希咲に怒鳴られるが言い返したくなる気持ちを努めて抑える。
彼女に手を向けたままでもう片方の手で眉間を揉み解しつつ提案をする。
「もうやめよう。どれだけ言い合ったところで絶対に決着はつかない」
「そんなことわかってるわよ!」
「諦めよう。お互いに」
「またそれ?」
「落ち着け。これはとりあえずだ」
「……どういう意味?」
不機嫌そうに眉を寄せる希咲へ説明をする。
「いいか? このままでは俺達は殺し合いに行き着く。それしか解決方法はない」
「そこまでなの⁉」
「だから一旦この場ではお互いに諦めよう。気に食わないことや癇に障ることもあるだろうが、今日はもうそれは口には出さずに一旦持ち帰ろう」
「……それって結局なにも解決になんないんじゃないの?」
「あぁ。だから怒りや蟠りをぶつけるのは次に会った時にしよう」
「つぎ?」
幾分か落ち着いた様子の希咲を見て弥堂も手を降ろす。
「あぁ。幸いなことに俺たちは一か月近くだったか? 顔を合わせることはないのだろう?」
「だいたい半月くらいね」
「そうか。だからこうしよう。今日これから何か怒りを感じても今日はもう何も言わない。そして半月経ってそれをまだ覚えていたら、その時にぶつけあおう」
「……まぁ、そうね。自分でもわかってるけど、なんか知んないけどすんごいムカついちゃうだけで、しょうもないことでばっかケンカしてる自覚はあるわ。半月もすれば、どうでもよくなってるってことよね?」
「そうだ。大部分は時間の経過が誤魔化してくれる。解決するのを諦めよう」
「なんか後ろ向きなのが気になるけど、いいわ。それで手を打ったげる。感謝してよね」
「……お気に召さなかったようで悪いな。ありがたすぎて唾でも吐きたい気分だ」
「……汚いわね。別に気に食わないなんて言ってないでしょ。あんたにしてはまぁまぁいいアイデアなんじゃない?」
「……そうか。お前にしては理解が早くて助かる」
「…………」
「…………」
男女二人向かい合いながら見つめ合う。
しかしその空気はピリついたもので、二人ともにコメカミをビキビキさせ、その目はガンギマリだ。
そのまま数秒睨み合って、二人同時にハッとなる。
「こういうの……っ! こういうのやめようってことね……っ⁉」
「……そうだ。お前の気持ちはわかっている。だが、どうか今は抑えてくれ。俺も同じ気持ちだ。お前がムカつく」
「フフフ……、だったらぁー、なぁーんですぐそーゆーこと言っちゃうのかしらぁー? あたしだっていっぱいガマンしてるんだからー、あんたもチョットくらいガマンしてよー。あたしだってムカつくよ? あんたのこと」
まるで恋人同士が愛を囁き合うように熱っぽく視線を絡めて、お互いに嫌いだと素直に伝えあった。
「……ねぇ? あんたさ、ホントはあたしのことダマそうとしてんでしょ? そうやってウソついてあたしだけ黙らせて、自分ばっか悪口言おうとしてんでしょ?」
「疑り深いのはメンヘラの証拠だぞ? お前はメンヘラじゃないんだろう? だったら俺を信用することだな」
「ふふっ……うふふふ…………そうねー、もちろん信じてるー。てことはぁ、聞いてくれるのよね? あたしの話」
「…………」
「よね?」
「…………あぁ」
コテンと首を傾げて、煽るようにあざとい仕草を見せる希咲に弥堂は渋々頷いた。
希咲は一度目を閉じ、胸に手を当てて深呼吸をして気分を切り替える。
次に顔を上げて目を開けた時には怒りの表情は鳴りを潜めており、しかしその代わりに眉がふにゃっと下がった。
「それじゃ……えっと、その……あんた大丈夫……?」
「……どういう意味だ?」
「怒んないでよ! バカにして言ってるんじゃないのっ」
「じゃあ、なんのことだ」
「ほら、さっきの。メールっ」
「メール……? あれがどうした?」
「いや、だって、あれヤバイじゃん!」
「だから暗号だと言っただろう」
「暗号って……、じゃあ、あれ本当はどういう意味なの?」
「……そこまでは教えることはできんな」
機密情報にあたる為に弥堂は詳細を明かさなかった。
彼にもその機密情報がなんなのかわからないからだ。
「……ちなみにさ。あれって誰からなの?」
「……部員だ。情報を扱うことに特化した専門の者がいる」
「……女の子よね?」
「さぁな」
「それも教えらんないってこと?」
「いや。会ったことも声を聴いたこともないから知らん」
「は?」
どうせいつもの秘密主義かと思ったら予想外の答えに希咲は目を丸くする。
「同じ部活なんでしょ? そんなことってある?」
「と言われてもな。実際そうなのだから仕方ないだろう?」
「あたし部活やってないからわかんないけど、フツー名簿とかあるんじゃないの? いくらこのご時世個人情報とか厳しいって言ってもさ、クラスくらいはわかるでしょ?」
「残念ながら部の名簿に名前は載っていないな」
「いやいや、学園の手続き上そんなわけないでしょ」
「ヤツの仕事上その方が都合がいいからな。正体不明の部員だ」
「……それは部員ではないのでは?」
聞けば聞くほどに謎が深まり、希咲はメールを初めて見た時の恐怖がじわじわと蘇ってくるのを感じた。
「てか、名前くらいはわかるでしょ? 苗字しか知らないの? それとも中性的な名前とか……?」
「名前も知らんな」
「なにそれ……? あんたにしては危機感なさすぎじゃない?」
「俺とて一度部長に尋ねたことはある」
「そなの? それで?」
「部長は意味深に笑うだけで教えてくれなかったな」
「……あんたと部長って仲いいんじゃないの?」
「キミの言う仲がいいの意味と同じかはわからんが、関係は良好だ。しかし、それと仕事上の都合とは関係ない」
「どういう意味よ」
「彼が教えてくれないのなら、それは知る必要がないか、俺には知る資格がないか、そういうことだ。もしくは、知りたければ自分で調べろということかもな」
「闇の組織の者か、あんたらは」
「一応調べてみたことはある。学園の職員が管理する生徒名簿にはな、生徒の名前に紐づけて所属部活動も記載される。夜中に侵入して全生徒分の情報を閲覧したが、それらしき人物は存在しなかった」
ちなみに同じ方法で希咲や水無瀬の情報を調べたこともあるが、そのことについては特に言及しなかった。
「あんたそれフツーに犯罪……」
「必要なことだ」
「……今日はいっぱいいっぱいだから聞かなかったことにしてあげる」
「それが賢明だ」
「てゆーか、うちの生徒じゃないんじゃないの?」
「正体不明の生徒だ」
「正体不明の人は入学できないでしょ!」
混乱が極まってきて希咲は頭がクラクラしてきた。
「あんたの部活ってマジで一体なにを……いや、これは今はやめとくわ。情報量ヤバくて頭パンクしそう」
深入りすればするほどに頭がおかしくなりそうな弥堂の日常に触れ過ぎれば、また本題が遠のくと希咲は判断した。
「というか質問が多いな。結局何が言いたいんだ?」
「……うん、もうキッパリ言うわ。それさ、ストーカーじゃないの?」
「ストーカーだと?」
単刀直入に斬り込んだ指摘に眉を寄せる弥堂の顏を見て希咲は胡乱な瞳になる。
「なにそんな発想はなかった、みたいな顔してんのよ。どう見たってこれストーカーとかヤンデレの人とか、そんな感じじゃないっ」
「そんなわけがないだろう。言っただろう? 会ったこともないと」
「いやっ、向こうが一方的に知っててーとかあるかもしんないじゃん!」
「その可能性はあるかもしれんが、だが、そもそもストーカーとは不利益を齎す者だろう? 今のところはヤツから提供される情報などは一応は有益なものとなっている。問題はない」
「あのメールが送られてくる時点で不利益以外のなにものでもないと思うんだけど……」
「俺としては暗号が解りづらい以外には特に問題を感じていないな」
「それもどうかと思う。あんたメンタルどうなってんの……?」
怪物を見るような目を弥堂へ向ける。
「ねぇっ、やっぱ絶対ヤバイって……! 大体情報ってなんの情報よ」
「……詳細は言えんが、風紀委員の仕事に使える情報や、テストの出題予想に、スーパーの特売情報から住まいの地域のゴミの日の知らせなど多岐にわたる」
「確かにスーパーの特売は気になるけど、でも全然部活関係なくない……? てか、あんたばっちりプライベートに踏み込まれてんじゃん! 住んでるとこのゴミの日って、なに住所教えてんのよ!」
「教えてはないな」
「は?」
混乱する希咲へ弥堂は何でもないことのように説明をする。
「俺はヤツにパーソナルな情報は何も教えてはいない。勝手に調べたのだろうな」
「確定じゃん! ストーカーじゃん!」
「落ち着いて考えてもみろ。ヤツは腕利きの情報屋だ。それくらいのことは造作もないだろうし、またそうでなくては使い物にならん。むしろそのスキルを信頼できる。そうは思わんか?」
「頭おかしいと思う……」
「まぁ、確かにそういった言動も見受けられたが今のところは問題はないな」
「いや、あっちもだけど、あんたも頭おかしいと思う」
「それは見解の相違だな」
「うぅ……価値観がぁ…………価値観が違いすぎるよぅ……」
自分が普段何気なく日常生活を送る学園内で、あまりにも犯罪的で猟奇的な関係性が存在することを知り、七海ちゃんは泣きが入った。
「あんたさ、ケンカ強いから自信あるんだろうけど、相手が女の子だからって甘くみちゃダメよ? アブナイ子はいきなりグサっていくからね?」
「お前が何を気にしているのかわからんが、俺は相手が女でも油断はしないし容赦もしない。心配は無用だ。慣れているからな」
「……ホントに? だって、わかってないでしょ?」
「ナメるな。俺はプロフェッショナルだ。女に刺されたことなど何度かある。だからどんな女も信用はしないし、仮に刺されたとしても慌てることはない。確実に首を圧し折って道連れにしてやる」
「それ、もうダメじゃん…………」
なおも弥堂へ注意を喚起する反論を続けようとしたが、それ以上は言葉が出てこずやがて希咲は沈痛そうな面持ちで俯いた。
「……ごめん。あたしから言っておいてあれだけど、今日はもうこの話題ムリ……。なんかあたしどうにかなっちゃいそう……」
「そうか」
「また今度でもい?」
「半月後に覚えていたらな」
弥堂としては特に重要な話題でもないし、特に続けたい話題というわけでもなかったため、適当に肩を竦めて流した。
「で? 本題はなんなんだ? 今の話が関係するのか?」
「あ、うん……、全然関係ない」
「…………」
『じゃあ、なんのために』と口から出かけた文句を寸前で呑み込む。一応はそういう約束だからだ。
希咲の話は、衝撃的なメール文章を目にしたために弥堂を心配してのことなのだが、当然そんなことは彼には伝わってはいない。
「最後のも愛苗のことなんだけど……って、なによ、その顔っ」
「まだあいつを甘やかす気か? 今度はなんだ? おしめでも変えてやればいいのか?」
「……あんた愛苗にそんなことしたら絶対殺すから」
数秒前の心配顔はどこへやら、攻撃色満載の完全に殺る目を弥堂へ向ける。
そのまま数秒ジッと弥堂を見るが、溜息を吐いて力を抜いた。
「まぁ、いいわ。お願いしたいのは、あたしが愛苗の様子を聞いた時にそれを教えて欲しいのよ」
「……何故俺が。それこそ野崎さんにでも頼め」
「もちろんそうするけど、なんていうか念のためよ」
「いくらなんでも過保護すぎるだろう」
「いいじゃん。おねがいっ。そんな頻繁には聞かないから」
「そもそも連絡手段がない。無理だ」
「あるじゃん」
「あ?」
希咲はニッコリと笑って指を差す。
その細長い指が指し示す先は弥堂の手の中のスマホだ。
「ID交換しよ?」
そう言って笑顔を浮かべたまま彼女はほんの少し首を傾げてみせた。