俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章18 4月18日 ②

 

「さて、まずは久しぶりだな、ユウ坊」

 

「坊はやめてくれよ、チャンさん」

 

「カカカ。ワシから見りゃあオメーなんぞただの坊主じゃよ」

 

「それに久しぶりじゃない。先週会ったばかりだろ。華蓮さんの件は世話になった。助かったよ」

 

「アー? お互い一週間も生き延びたんじゃ。十分に『久しいな』って再会を喜び合うに値するだろうが」

 

「それは違いないな」

 

「啊ァー! 啊ァー! そうじゃろうそうじゃろう。物分かりのいいガキはぁ好きだぜぇ?」

 

 

 嘆息混じりに仕方なく同意してやると、怪しい中国語混じりの国籍不明の老人は機嫌よく笑う。

 

 

「んで? カレンちゃんはどうだったい? ありゃあイイケツじゃな」

 

「歳考えろよ、じいさん」

 

「なんじゃい、別にいいじゃろ。んで? オメーもうハメたんか?」

 

「そういうんじゃない」

 

「カーー。最近のガキはナイーブだねえ」

 

 

 鬱陶しい邪推をされるが、老い先が短くなると話が長くなるのは人間の習性なので聞き流してやる。

 

 まだこれから情報を受け取らねばならないので、この老人にはまだ使い道が残っている。

 

 

「ところで、惣十郎(そうじゅうろう)の坊主はどうだい? 元気か?」

 

「そのようだな」

 

「まったくよぉ、あの若様も偉くなったもんじゃ。あのガキ自分で来ねえでワシんとこにパシリ寄こしやがったぞ」

 

「あいつもまだ顔を売るわけにはいかないんだろうな。特にここいらでは」

 

「カカっ、人様にもお天道様にも顔向けできねえことばっかやってっからそうなんだよ。オメーもだぞ? 瘋狗(ファンゴォウ)

 

「返す言葉はないが、それでもホームレスには言われたくねえな」

 

「アァ? ダァレがホームレスだ? そこにあんだろ? 立派なワシのマイホームが」

 

 

 首だけを傾けてこちらを睨み、弥堂の背後を顎でしゃくってくる。

 

 そちらへ眼を向けると段ボールをいくつか組み合わせて無理矢理造った犬小屋のようなものがあった。

 

 

「随分と立派な家だな。固定資産税が高そうだ。ちゃんと払ってんのか?」

 

「アイヤー! ニホンゴ ムツカシイヨー!」

 

「調子のいいジジイだぜ」

 

「そんなことよりオメーこの街に何しに来やがった? えぇ? 狂犬(ファンゴォウ)

 

 

 ギロリと向けられる瞳の奥に剣呑な光が宿った。

 

 

「何、と言われてもな。ヤツから聞いてるんだろ?」

 

「ワシが聞いてたのは使いが来るってことだけだ。オメーが来るとは聞いてねえぜ」

 

「誰が来ても同じだろう。何か問題があるのか?」

 

「おい、ガキ。テメーここで何するつもりだ。そこらの通り中に死体をばら撒くつもりか?」

 

「人聞きの悪いことを言うな。俺がそんな非道いことをしたことはないだろう?」

 

「だからそれをこれからするのか? ってワシは聞いとんじゃ」

 

「さぁな。生憎それを決めるのは俺じゃない。俺はただのパシリだからな」

 

「お為ごかしはやめな、小僧。テメーがそんなタマかよ」

 

「…………」

 

 

 表情のない弥堂とニヤリと哂う老人。

 

 二人の間に緊張感が漂う。

 

 

「ガキのする目じゃあねえな」

 

「ガキじゃないから構わないだろう」

 

「カッ、そんなこと気にしてる内はガキなんだよ」

 

「…………」

 

啊哈(アーハァー)、なんちゅー眼つきじゃクソガキめ。怒ったのか? 狂犬」

 

「さぁな。確かめてみるか?」

 

「オー、コエーコエー、やめとくぜ。年寄りを脅すんじゃあねえよ」

 

「……よく言う」

 

 

 一触即発を匂わせた空気はチャンさんが目線を外し、通りの方へ向き直したことで霧散した。

 

 

「んじゃあ、仕事といくかい」

 

「そうだな」

 

 

 そして二人ともに何事もなかったかのように本題に入る。

 

 

「まぁ、そうは言ってもまだハッキリとしたネタはねえんだがな」

 

「あぁ。それは俺も予め聞かされていた。顔見せだけしてこいと言われている」

 

「そうか。チッ、あの鼻タレめ。狂犬を寄こして自分の本気度を示唆してやがんのか」

 

「どういうことだ?」

 

「フン。オメーはどう聞いてるか知らねえがな。例のヤク。惣十郎の小僧が言ってる程にゃあまだ世間に出まわっちゃあいねえぜ?」

 

「やはりそうか」

 

「大方あの嬢ちゃんのこと心配してんだろ? それで神経質になってやがんだろうさ」

 

「気を付けろ、チャンさん。アンタがそれを知っていることを知ったら、奴は鉄砲玉を送り込んでくるぞ」

 

「カカ、そいつぁコワイねえ。んじゃあ、ワシは知らんぷりしとくぜ」

 

 

 おどけてみせる老人には合わせず弥堂はもっと確信部分に斬り込む。

 

 

「アンタでも難しいのか?」

 

「アン? いやぁ、それほどでもねえな。時間があれば売人には辿り着けるじゃろ」

 

「そうか」

 

「ヤツら、無差別に捌いてるわけじゃあねえ。これはワシの勘じゃが、どうも売る相手を選んでるフシがある」

 

「選ぶ、とは?」

 

「そこまではわからん。言ったじゃろ? 勘だって。これから探ってくさ」

 

「そうか。ヤサは?」

 

「そっちの方が難しいなあ。ヤツらヤクザもんと違ってわかりやすく家だの事務所だの構えねえからなあ。スラムの相当奥まで行かねえと拠点の一つも見つからねえだろうよ」

 

「時間がかかる、と」

 

「まぁ、気長に待ちな。どうせオメーらワシと違って老い先長ぇだろうがよ」

 

「…………」

 

 

 今日のところはそこまで期待はしていなかったが、求めていた新しい情報はなさそうだ。

 

 それにこの老人が難しいと言うことは、そう簡単な仕事にはならなそうだ。

 

 正攻法では。

 

 

「オイ」

 

「……なんだ?」

 

「オメーよ、早まったこと考えるんじゃあねえぞ」

 

「何の話だ」

 

 

 まるで釘を刺すような口ぶりだ。

 

 

「フン。しらばっくれんじゃあねえよ。どうせ目に付いた端からぶっ殺していきゃあ向こうから近づいてくるとか考えてんだろ?」

 

「過激だな。恐いことを言わないでくれ」

 

「クソガキめ。どっちみちヤツらの本当のカシラはこの国にゃあいねえんだ。パシリの首なんかいくら集めても無駄だぜ」

 

「何を言っているのかわからんが、記憶には留めておこう」

 

 

 数秒、無言の時が流れる。

 

 

「フン、まぁいい」

 

「こんなところか?」

 

「あぁ。週の半分くらいはこの時間にこの辺におる。デカいネタを掴んだら組のモンに報せる」

 

「わかった。また来る」

 

 

 名残などなくすぐに歩き出し、老人を追い越しメイン通りに出る。

 

 

「待ちな」

 

 

 しかしすぐに呼び止められ背中越しにチャンさんへ目線を遣る。

 

 

「シケモクの礼じゃ。特別にオメーにはイイモンをやろう」

 

「いいもん……?」

 

 

 チャンさんはそう言うと看板に貼り付けられた紙の中から一枚を選んで剥がし取り、それを弥堂へ差し出す。

 

 

「これは?」

 

「まぁ、見てみろ」

 

 

 彼の指示通りに渡された物に目を通すと、それは一枚の写真と名刺大のカードだった。

 

 カードの方をまず読む。

 

 

『カイカン熟女クラブ 初回指名料無料優待券』

 

 

「…………」

 

 

 続いて写真を見ると一人の下着姿の女性が写っており、プロフィールのようなものが書いてある。

 

 

『当店人気嬢 朝比奈 29歳 熟れ熟れEカップがお客様を天国へと誘います!』

 

 

 弥堂は一応チャンさんへ向き直した。

 

 

「死にてえのかジジイ」

 

「なんじゃい! 母性たっぷりのイイ女じゃろ!」

 

「そういう問題じゃねえんだよ」

 

「カッコつけてんじゃあねえよガキが。いいから抱いとけって」

 

「なんでお前らは事あるごとに俺に女を抱かせようとするんだ」

 

「オメーが溜まってる顏してっからだよ。一発抜いてスッキリしとけって」

 

「余計なお世話だ」

 

 

 弥堂は付き合っていられないとばかりに写真とカードを地面に放り捨て歩き出す。

 

 

「その姉ちゃんな。その店のナンバーじゃったんだが……」

 

 

 聞きたくもない情報が背後から聴こえてきたが、その声音が先程までの軽薄なものではなく、どこか重みが含まれているように感じられ思わず足を止める。

 

 

「先々週くらいからかの。身体のあちこちに不自然に膨らんだ血管が浮かび上がってるとかでよ。気持ちワリーってな、客が減ってるらしいんだわ。おまけに元々おっとりした子で優しいサービスのいい子だって評判だったんだが、どうも近頃妙に苛々してるようで情緒不安定になってるって話だ」

 

「…………」

 

「だからその子よ。稼ぎが減って焦ってるんだが、そんな時に限って体調悪くしちまったみてえでよ。休みがちになってたんだが、そろそろヤベーってんで来週あたりからまた出勤してくるって話だ」

 

「……いつだ?」

 

 

 振り返り問いかけると老人の眉毛の陰で目が哂う。

 

 

「なんだよ、興味あんのか? スケベめ」

 

「いいから答えろ」

 

「そうだなぁ……ワシの勘じゃあ火曜か水曜あたりは店にいるじゃろなぁ。遅番じゃ」

 

 

 老人は答えながら弥堂が捨てた紙を拾い上げる。

 

 

「こいつが欲しいか?」

 

「アンタの勘は当たるからな。寄こせ」

 

「何に使うんだ?」

 

「抱く以外にその女に使い道があるのか?」

 

「女は大切にするもんじゃぞ、ドスケベめ」

 

「そうだ。俺はドスケベだ。だから風俗キャッチのアンタの世話になる」

 

「そういうことじゃ。若いうちはそうやって素直にヤればいい。ほれ、もってけ」

 

「感謝する」

 

 

 弥堂は『カイカン熟女クラブ 初回指名料無料優待券』と『熟れ熟れEカップ 朝比奈さん 29歳の写真』を手に入れた。

 

 

「そうじゃ、そこに行くんなら一つ頼みがある」

 

「なんだ」

 

「その朝比奈ちゃんのな、乳輪の大きさを測ってきてくれぃ。出来るだけ正確な数字を頼む」

 

「何言ってんだジイサン」

 

「バカヤロウ。乳輪はなデカければデカいほどいい。ガキにはわかんねえだろう」

 

「…………」

 

 

 弥堂は胡乱な瞳になり懐に手を入れると袋を取り出し、その中のシケモクを地面に撒いた。

 

 

「アヒャアァーーーーーっ! シケモク! シケモクジャアーーーーーっ!」

 

 

 歓喜の声を上げ再び地面に這いつくばる老人を置いてこの場を立ち去る。

 

 

 用事は済んだ。収穫もあった。

 

 

 後は駅の逆口の路地裏を下見してから、ヤカンを買って帰ることにしようと、一定の満足感を得て弥堂は歓楽街を後にする。

 

 

 

 

「あんだぁ、テメー? 誰に断ってここ歩いて――」

 

 

 路地裏を征く。

 

 

 この美景市は、ここまで散々治安が悪いだの穢れているだのと記してきたが、それはあくまで多少なりとも裏側を知っている者たちからの印象である。

 

 そういった事情を知らない者たちからすれば、見た目上、表面上は再開発されてまだそうは年月が経っていないこともあって、比較的綺麗で新しい街であると思われている。

 

 

「――オエっ…………、オエエエェェェェっ……!」

 

「――イデェ……っ! くそっ、テメー一体――」

 

 

 どこの街もそうであるとも謂えるが、それに倣うのならば、この美景市も多分に漏れずに陽の当たる場所とそうでない場所がある。

 

 一度滅んでもそれでもなお、そういうことになる。

 

 

 光と陰。表と裏。

 

 

 新美景駅周辺での話であれば、表となるメイン通りと、文字通り裏となる路地裏とで、明確に明暗が別れる。

 

 

「――じゃあーーーっ! コラァっ! テメー!」

「ぎゃああぁぁっ⁉ やめっ……やめて……っ!」

 

 表に居るのは所謂一般人だとか社会人だとかと呼ばれる者たちで、裏側を知らぬ者、知っているから避ける者、そしてそんなものはこの世に存在しないと見て見ぬフリをする者だ。

 

 わざわざ暗がりに首を突っこまずとも平穏、無事に暮らしていける者ということになる。

 

 

「――デェェェっ⁉ イデエェよぉ……っ!」

 

 

 人間とはこう在るべき、そう成るべきと教えられ、そしてそれに大きくは違わずに居られた者たちだ。

 

 

 一般的に社会と謂えば、そういった光に照らされた場所で、その光の下を歩くことを許された者たちのことを指す。

 

 

 だが、光が差せば必ず陰となる場所が生まれ、全ての物事には背景があり、さらにそれには裏側があったりすることもある。

 

 

「あん? 見ねえツラだな……オマエどこ――」

 

 

 平穏に無事に日々を暮らす中で、口にする美味しいもの、便利に使う道具、楽しんでいる娯楽。

 

 それらがどうやって作られているか、どうやって成り立っているかを多くの者が知らないし、知らないフリも出来る。

 

 

「ヒッ――⁉ お、お前らっ! 逃げるな……っ! まて――」

 

 

 もしかしたら、今着ている衣服は世界のどこかの侵略された国の住民を強制労働させて作られた物かもしれないし、世界中の人間に大きな感動を与えた催しが行われた会場は、奴隷のように働かされた人々が死傷者を出しながら完成させた物かもしれない。

 

 十分に暖の足りた部屋の中で着飾り、泣きたいという欲求に従い感動を探し涙を流し、生きる為でない食べ物を口に入れながら「美味しい、美味しい」と笑うのだ。

 

 

 しかしそれは決して咎められることでも、恥ずべきことでもなく、誇るべきことだ。

 

 

「外人だっ! 外人どもが殺し屋送り込んできやがった……っ!」

「ミタケさんにっ! ミタケさんに伝えてこいっ! 行け……っ!」

 

 

 何故なら『世界』がそれを許したからだ。

 

 

「ギッ――⁉ こいつ……っ⁉ ツエェぞ……っ!」

「ヤマトくんは……っ⁉ ヤマトくんはいねえのかよ……⁉」

 

 

 表側に居られる幸運、裏側を見ずに済む幸運は、『世界』から能えられた『加護』だ。

 

 

 無知なままで、不感症のままで生きていられる幸福をただ喜べばいい。

 

 

「ヤベデ……っ! やべでぐだざい……っ! もうなぐらないでぐだざい……っ!」

 

 

 明日は我が身と怯えてもいいし、怯えなくてもいい。

 

 

 己で選んで幸運となったわけではないのと同じように、今の幸運が永続的なものなのか、そうでないのかもどうせ自分では選べないのだ。

 

 

 だから、裏を知らず、闇を覗かず、今日も『世界は美しい』と謳っていればいい。

 

 

 

 知ってしまえば、視てしまえば。

 

 

 その瞬間に世界は美しくなくなってしまう。

 

 

 たった一歩足を踏み入れただけでもう二度と戻れなくなってしまうこともあるのだから。

 

 

 だから、知らぬままで、覗かぬままでいて欲しい。

 

 

 こちらも知られぬよう、覗かれぬよう上手くやる。

 

 

 気安い好奇心や気紛れのような正義感でこちら側に来られては迷惑だ。

 

 

 社会(せかい)の決まり事など所詮は表側の世界だけのものだ。

 

 

 知られなければ、見られなければ。

 

 

 何が起きても、何をしても、その全てはなかったことだ。

 

 

 だから――

 

 

(――俺の邪魔をするな)

 

 

 弥堂は必要な作業をしながら路地裏を進む。

 

 

 もう何度角を曲がっただろうか。

 

 

 大分奥まで這入りこんだ。

 

 

 ここいらの建物は街の復旧の最初の方に建てられたものだ。

 

 これから街を復旧するにあたっての“とりあえず”で、適当とまでは言わないが速さを優先させて作られた地区となっている。

 

 そのため、この街の中ではわりと古い方になる建築物が、碌に区画整理もされず乱雑に建てられている。

 

 

 その復興開始の当時ここいらの建物を使っていた者たちは、後から完成した綺麗に整理された新しい区画へとっくに引っ越してしまっている。

 

 

 本来であればひと通りの復旧が終わった後にこの辺りも整理される予定だったのだが、復旧のどさくさに紛れて金に糸目をつけずに外国の者たちがここらの土地や建物を買い漁ったため、市も自治体も手が出せなくなってしまい、その末にこのような裏の街が出来てしまった。そのように聞いている。

 

 それが顕著なのが北口の外人街であり、今のところこちらにまでは手が付けられていないようだが、それも時間の問題に過ぎない。

 

 

 ここを売り飛ばした元の所有者たちは、その取引で得た金で治安の良い場所に綺麗な家を建て、何も知らずに幸運と幸福を謳歌していることだろう。

 

 表のメイン通りを歩いている者たちも同様に、週末の買い物や食事に遊びに心躍らせながら光に照らされた場所を歩いている。

 

 

 その裏側に何があるのか、何が起きているかなど知ることもなく。

 

 ここで何が起きてもそれは誰にも知られることはない。

 

 

 ただ運のない者がひっそりと息を引き取るだけのことだ。

 

 

 それは誰であっても例外ではない。

 

 

 

 当然、弥堂 優輝も、例外ではない。

 

 

 

 

 ガリッ、バリッ、ゴリッ――と。

 

 

 潰して砕く音に紛れてピチャピチャと水音が鳴る。

 

 

 その音の発生源は進行方向の先。

 

 

 この路地裏でも一際明かりの届かない暗がり。

 

 

 積み重なったゴミ袋のような塊が蠢いている。

 

 

 足を止め眼を細めてそれを視る。

 

 

 ドッドッドッ――と頭蓋の中身が脈動する。

 

 

「ギィっ……?」

 

 

 ガラスを擦ったような不快な鳴き声とともに形を崩した蠢きから赤い目が浮かぶ。

 

 

 それが弥堂を見た。

 

 

 ネズミだ。

 

 

 昨日もここらで見たネズミの化け物。

 

 

(ゴミクズー……)

 

 

 水無瀬はこれをそう呼んだ。

 

 

 大型犬ほどのサイズのある在り得ない生物を視れば――

 

 

(――なるほど。1種族につき1個体。そんなわけはないよな……)

 

 

 どうやら二日も続けて交通事故レベルの貧乏クジを引いてしまったようだ。

 

 

 そして今日はそれだけでなく――

 

 

 

「オイオイオイオイ。ダ~メだぜぇ~? よいこがこんな所に来ちゃあ……」

 

 

 ネズミのいる場所よりも奥から、化け物の身体の脇を通って何かが近づいてくる。

 

 

 成人男性ほどの大きさのヒトガタのシルエット。

 

 

 化け物ネズミ以上の存在感を発しながら、ここに居るようで居ないような、より曖昧に感じられる存在。

 

 その姿の詳細ははっきりと見えない。

 

 

 辺りが暗いためによく見えないというわけではなく、全身が真っ黒で闇と同化している。

 

 

 闇夜に浮かぶ三日月が三つ。

 

 二つの目と一つの口。

 

 輪郭のない顏に表情だけを造っているように見える。

 

 

(全身タイツの黒い人、ね……)

 

 

 水無瀬はそう表現していたが、弥堂にはライダースーツのように見えた。

 

 全身を覆う黒のライダースーツに黒いヘルメットを被ったようなシルエット。そしてそのヘルメットに三つの三日月。

 

 

(まぁ、どちらでも一緒か)

 

 

 タイツだろうがスーツだろうが、そんなものはどちらでもよく、そして意味がない。

 

 

 弥堂はさりげなく周囲を視る。

 

 

 この場所に辿り着くまで暫くの間、ギャングたちも見掛けなくなっていた。

 

 どうやら自分は奥の奥、裏の裏までノコノコと来てしまったようだ。

 

 

 世界の裏側で何が起ころうとも表には知られない。

 

 

 こんな奥では、こんな裏では。

 

 

 例え人が死んだとしても誰にも知られない。

 

 化け物に食い殺されたとしても誰にも気付かれない。

 

 

 例え、その“人”が弥堂 優輝だったとしても。

 

 

 ネズミの少し前でその闇の化身のような黒が立ち止まる。

 

 三日月のような口がニィっと歪められた。

 

 

「ドウモ コンバンハー! 悪の幹部デエエェェェッス!」

 

 

 弥堂は眼を細めさりげなく右足を半歩引いた。

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