「おーい! 兄ちゃーん!」
聞き覚えのある声が聴こえ、自分が呼ばれたのだと判断をして弥堂は顔をあげた。
公園の入り口の茂みに突っ込んでいた手を引き抜き声のした方向に眼を向けると、公園前の道路を反対側の歩道から手を振る子供たちがいた。
弥堂と目が合ったことがわかると先頭で手を振っていた男の子はニカッと笑い、道路を渡ってこちらに駆けてくる。
その後ろにいた二人の男の子がキョロキョロと目を動かしてから慌ててその後に続こうとするのを見て、弥堂は車道へ目線を振った。
パタパタと近づいてくる足音を聴きながら立ち上がりつつ、手にはめた軍手を外す。
「兄ちゃん、遊ぼうぜ」
「かける。道路を渡る前に首を振れと言っただろう」
「右見て左見てまた右見ろ的なやつだろ? ダリィよ。オレそんなのやんなくても何となくわかるんだ。よゆーだぜ!」
「……お前がそうでも、そいつらは違うだろう?」
顎を振って彼の背後を示してやると、かけるの後を追ってきた子たちが遅れて到着したところだった。
「かける君。一人で先に行かないでくださいよ」
「速いよ、かけるくーん」
「お前らが遅すぎるんだよ」
息を弾ませて抗議をする仲間たちに、かけるは悪びれもせず言い放つ。
「お前に余裕があるんなら、お前がそいつらの分まで周囲を見てやれ」
「えー。めんどくせーよー」
「お前に着いていくのに夢中で周りを見てなくて、そいつらが車に轢かれたりしたら嫌だろう?」
「え? それはヤダな。車に轢かれたら痛いんだろ? かわいそうだぜ」
「そうだな。運が悪ければもう一緒に遊べなくなるぞ」
「マジかよ⁉ どうしたらいいんだ、兄ちゃん」
「簡単だ。仲間のために首を振れ。それで声をかけて気付いたことを教えてやれ」
「わかったぜ! それいつやればいいんだ⁉」
「いつもだ」
「いつも⁉」
ガーンとショックを受けて「マジかよ……めんどくせえな……」と呟きながら引っ込む彼と入れ替わる形で、息を整えた二人が話しかけてくる。
「こんにちは、弥堂さん。今日もボランティアですか?」
「お兄ちゃん、こんにちは」
「あぁ、こんにちは。そうだ。いつもの仕事だ」
答えながら軍手を着け直し作業を再開しようとしていると、かけるが戻ってくる。
「兄ちゃん、サッカーしようぜ! 暇だろ?」
「かける。俺はゴミを拾ってるんだ。ちゃんと話を聞いていろ」
呆れたような声を出しつつ、彼に顔を向ける。
「いいじゃん。そんなのつまんねーだろ? サッカーしようぜ!」
「かける君、そんなこと言っちゃダメだよ」
「なんでだよ。この兄ちゃんいっつもゴミ拾ってんだから今日くらい仲間に入れてやってもいいだろ? かわいそうだから一緒に遊んでやろうぜ」
「そうじゃないですよ。邪魔しちゃ悪いでしょってことです」
弥堂に向かってサッカーボールを突き出すかけるを仲間二人が窘める。
「別に俺はいつもゴミ拾いをしているわけではない」
「え? だって兄ちゃん会うたんびにゴミ集めてんじゃん」
「休日になると俺はここにゴミを拾いに来る。そしてお前らは休日にここに遊びに来る。だから俺達は休日にここで顔を合わせる回数が増え、そしてその度にお前らは俺がゴミを拾っているシーンをよく見る。だからそんな気がするだけだ」
「なに言ってんのかわっかんねーよ、兄ちゃん。もっと簡単に言ってくれよ」
「ち〇こ」
「ギャハハハハっ! ち〇こ! ち〇こって言った! 兄ちゃんいっけないんだー! ギャハハハハ」
「いけないんだー」といいつつ彼は「ち〇こ! ち〇こ!」と大はしゃぎで、今しがた疑問に思っていたことも弥堂を遊びに誘うことも忘れてキャッキャッと小踊りする。
彼らはこの近所に住む小学生で、弥堂の言ったとおり休日にボランティア活動でこの中美景公園に訪れると顔を合わせることが多い。先程のように物怖じをせずに遊びに誘ってくるため、すっかりと顔見知りとなった低学年のおともだち達だ。
ちょっと生意気な元気印の“かける”。メガネをかけて大人びた口調で喋る“はやと”。他の子より身体がまだ小さく少し内気な“しゅん”。仲良し3人組の小学生である。
「いつもかける君がすみません」
「別にかまわん」
「ボクたちもお手伝いしようか?」
「いや、大丈夫だ」
「でもみんなでやった方が早く終わるよ?」
「終わってしまったらゴミがなくなってしまうだろうが」
「え?」
お目めをぱちぱちさせる男の子たちへ弥堂は年長者として説明をしてやる。
「ゴミを拾うためにここに来ているのにゴミがなくなってしまったらもうゴミを拾えないだろ?」
「えっと……、弥堂さん……? 言ってる意味が……」
「お兄ちゃんはゴミをなくすためにゴミ拾いしてるんじゃないの?」
「いや、ゴミ拾いはあくまで手段であり目的ではない」
「どういうことなの?」
「むずかしいよ」
弥堂は知的好奇心が旺盛な子供たちに社会について教えてやることにした。
「お前ら、休みの日に誰に言われたわけでもなく、こんな所で他人の捨てたゴミを拾っている俺のことをどう思う?」
「え? それはとても立派だと思います」
「うん! お兄ちゃんはいい人なんだなって思うよ!」
「そうだろう。そんないい人な俺が通う美景台学園がとてもいい教育をしているいい学校なんだと思うだろう?」
「はい。うちの母も褒めてました」
「ボクのママもね、みんなでお兄ちゃんの高校に行けばいいんじゃない?って言ってたよ!」
「それこそが俺の狙いだ。いいか? 通常このように働いたら金を貰えるよな?」
「はい。労働には対価が必要です」
「ボクもママのお手伝いするとお小遣いもらえるよ!」
「そうだろう。だが、このゴミ拾いは仕事ではない。雇い主がいないからな。だから金は貰えない」
「え? お兄ちゃんかわいそう」
「まぁ、それがボランティアですし仕方ないですよね」
「だから、金以外の報酬を貰うんだ」
「え?」
純真な子供たちは目の前の大人の目が濁っていることにはまだ気付けない。
「先程お前らは言ったな? 俺がいい人であると。そう思われることこそが報酬なんだ」
「で、でも、無償で奉仕することがボランティアだって先生が……」
「それは嘘だ。大人はそうやってお前らガキを騙してタダ働きをさせようとするんだ」
「そ、そんな……、先生がそんなことをするわけ……」
「そ、そうだよ……! 先生やさしいもん! 間違えてママって呼んじゃった時も怒らなかったんだよ!」
「それはどうだろうな」
「――嘘つくなよ、兄ちゃん」
ポーン、ポーンとリフティングをしながらかけるが戻ってきた。
「オレ、兄ちゃんのせいで先生に怒られたんだからな」
「ほう」
「こないださ、学校のみんなで草むしりしましょーってなってさ。そんでオレ言ったんだよ。『こんなとこでやっても目立たねーから意味ねーって、仕事させんなら金くれって』よ。そしたら先生が『ボランティアはそういうものじゃありません』って言ってよ。めっちゃ恥ずかしかったぜ」
「そうか。だがお前らも10年もすれば気付く。誰が嘘つきだったのか」
「ヤなこと言うなよ! 絶対ぇ兄ちゃんが嘘つきだよ。だって顏がワルモノだもん。今はいいことしてっけど、隠れてなんかやってそうだもん」
「うるさい。もういいからそっちでサッカーしてろ」
「おう! 兄ちゃんも混ぜてほしくなったら言えよな!」
「あぁ。ちゃんと周りを見ながらやれよ」
「わかったー!」
作業中に話しかけてくるマナーのなっていない子供たちを弥堂は追い払った。彼らは少し離れた場所で三角形になりパスをし合う。
子供たちの声とボールを蹴る音を背景にしながら暫く作業を続けた。
「兄ちゃん! おい、兄ちゃん!」
「……なんだ」
しかし、そうは時間を置かずにまた声をかけられる。
「これむずいよっ! キョロキョロしながらやるとトラップできねえよ!」
「工夫しろ。なんかこう、いい感じにやれ」
「テキトーだなっ! こんなことしてイミあんのかよ⁉」
「さぁな。もしかしたら、いつかいいことがあるかもしれないし、ないかもしれない」
「ちくしょうっ! 大人ってそうやって子供を騙すんだな!」
「そうだ。子供は黙って言うことを聞いていろ」
「それ知ってるぜ! パワハラだ!」
口ぶりとは逆に彼らは楽しそうにボールを蹴り合っている。
それを横目にしながら作業に戻ろうとすると、新たに人が現れた。
「みんなーーっ!」
パタパタと足音とともに幼い女の子の声が近づいてくる。
キャッキャッとボール遊びをしていた男の子たちはその声を聴くと揃ってハッとし、気持ち表情をキリっとさせた。
「わたしもいっしょに――あっ⁉」
駆け寄ってきた女子は男の子たちの少し手前で転んでしまう。
すると。気持ち精悍な顔つきをしたショタたちはサッと駆け寄った。
「えへへ……、転んじゃったぁ……」
「ったくよ、“みいろ”はドジだよな。そんなとこに座ってたら邪魔だからよ、ほら立てよ」
「理解に苦しみますね。何故何もない所で躓くんです?」
「ボク絆創膏持ってるから貼ってあげるね?」
そっぽを向きながらぶっきらぼうに手だけを差し伸べる“かける”。
その手をとって立ち上がる女の子の背後でメガネをクイっとしながら愛想のないことをぼやきつつ肩を支える“はやと”。
そして立ち上がった女の子の前で跪き、上目遣いで純粋な瞳を向けてから膝に絆創膏を貼ってあげる“しゅん”。
「みんなありがとう! ねぇ。わたしも仲間に入れてよ!」
「あ? オレたちはサッカーやってんだ。危ねえから女は下がってろよ」
「実際問題、足手まといなんですよ」
「ボ、ボクは別にいいと思うんだけど……、ゴメンね……?」
三者三様に何かしらのキャラ付けがされたような安易な会話が繰り広げられる。
「そっか……、やっぱりわたしなんかとは誰も仲良くしてくれないんだね……、わかってた。だって前からずっとひとりぼっちだったもの……!」
「おい待てよ、“みいろ”。オレのモノになれよ?」
「貴女みたいなヒト、危なっかしくて放っておけませんよ。面倒を見切れるのは私だけです」
「ボクね、“おねえちゃん”のことだいすきっ!」
「えっ……? どうしたの……みんな? そんな、急に困るよ……」
「ハッ、おもしれえ女」
「貴女は不思議なヒトですね」
「ボクにはわかるんだ……、“おねえちゃん”はやさしい人だって……」
「そんな、こんなのってないよ……。わたしはただみんなと仲良くしたいだけなのに……、あーつらい、とってもつらいよぉー。もうわたしのことは放っておいてよぉー」
「みいろ」
「みいろさん」
「おねえちゃん」
「わたしは平穏に暮らしたいだけなのに、急に色んな男の子に言い寄られちゃって……、これからわたし一体どうなっちゃうのぉ~~~!」
“みいろ”と呼ばれた女の子がバッと両腕を広げて空に向かって一頻り声を伸ばすと、男の子達はスンと表情を落とし、数秒その場で待機してから所定の位置に戻り何事もなかったかのようにパス練習を再開した。
弥堂がその一連の謎の茶番を胡乱な瞳で見ていると、女の子も何事もなかったかのような振舞いでこちらへ歩いて寄ってきた。
「こんにちは、お兄さん」
「……
「もうっ、お兄さんっ! ちゃんとこんにちはしないとダメなんだよっ」
「悪かったよ。こんにちは美彩」
「はい、こんにちはお兄さん。あとね、“みー”のことは“みー”って呼んでっ」
「わかったよ、“みー”。これでいいか?」
「うんっ」
美彩はニコッと笑顔を見せる。
「それで? さっきのは?」
「うん。あれは『乙女ごっこ』だよ?」
「……おとめ……?」
「そうだよっ」
曇りのない純真な瞳でそう告げられ弥堂は慎重に考えた。
「その、なんだ……? 乙女、とは……?」
「えっ? 乙女は乙女だよ? ヘンなお兄さん」
「……というのは、先程のお前の振舞いが乙女で、それを演じるごっこ遊び……という意味か?」
「えっ? たぶん……? もうっ、お兄さんは言い方がむずかしくてよくわかんないっ!」
「……それは、悪かったな」
とりあえずの謝罪をしながら弥堂は歪みそうになる眉の形を努めて平坦に維持した。
「乙女とはああいった女のことをいうのか?」
「そうだよ? あのね、お姉ちゃんのお部屋にあったマンガとかゲームの女の子があんな感じだったの!」
「……お姉ちゃん、漫画、ゲーム」
弥堂は新たな情報を慎重に咀嚼していく。
「あのね? わたしたち幼稚園からずっと一緒だったのに、最近みんなサッカーとか男の子たちだけで遊んでてね、あんまりいっしょに遊べなくなっちゃってたの」
「そうなのか」
「それでね? お家で一人でご本読んでたりしたんだけど、すぐに読むのなくなっちゃって……。それでね、お姉ちゃんに漫画貸してもらおうと思ってお部屋に行ったらね? お姉ちゃんいなかったんだけどベッドに乙女の本がいっぱいあったの!」
「……そうか」
「そのご本だとね? さっきみたいな感じの女の子がいっぱい男の子たちに仲良くしてもらっててね? わたしね、これだっ!って思っちゃったの!」
「……思っちゃったのか。ちなみに、姉はいくつなんだ?」
「えっとね、高校生だよ! お兄さんと同じくらいじゃないかな?」
「……そうか」
返事をしつつ弥堂は考える。
乙女とはそのようなものだったか。
しかし、乙女というものについて一家言を持たない弥堂ではすぐに答えが出てこない。なので記憶の中に乙女について記録されているものはないかと探してみる。
すると――
――うっさいわねっ。乙女の嗜みよっ!
近い記憶から探っていったら割とすぐに該当するものが見つかった。
先日の希咲 七海の言葉である。
一体どういったやりとりであっただろうかと思い出してみる。
『戦闘に身を置くことを前提として生きているわけではないが、常人の目には留まらないスピードで動き、成人男性の首の骨をいともたやすくヘシ折れる威力の蹴りを放てるような戦闘能力』
これが乙女の嗜みであるというのが彼女の主張だった。
(――ダメだ)
弥堂は首を振って記録を振り払う。
自身には馴染みの薄い、乙女という概念について思考を巡らせてみたが、弥堂の記憶にある女性たちは大概が頭のおかしい女ばかりであった。これらを常識として年端もいかない小学生女子に教えるわけにはいかないと口を噤む。
「ねーねー、お兄さん」
「……なんだ?」
そのように間誤付いていると女児に話しかけられる。
「あのね? 最近乙女ごっこもマンネリしちゃってきたから新キャラでテコ入れしたいんだけどね、演者が足りないの。だからお兄さんも手伝って?」
「お前意味わかって言ってんのか? 大体俺に何をさせるつもりだ」
「あのね! “あくやくれーじょー”が足りないのっ!」
「…………」
弥堂は小学生女子の拙い言葉を慎重に翻訳する。
「……それは悪役の令嬢ということか?」
「そうだよー! 人気なんだよ! 特別にお兄さんにやらせてあげるね?」
「……申し訳ないが俺は令嬢ではないんだ」
「悪役ではあるの?」
「うるさい」
コテンと首を傾げる女児にきちんと説明をする。
「いいか、“みー”。俺は女ではないので令嬢にはなれない。それに風紀委員なので職務倫理上の問題で悪役をすることは憚れるのだ」
「むーっ、またむずかしいことゆったー!」
「すまない。簡単に言うと俺は女ではない、だから遊ぶなら年の近い女の子を誘ってはどうだ?」
「えー? だって“みー”ね? いろんな男の子と仲良くしたいなー。女の子は“みー”にイジワルするんだもん」
チリチリと首筋が焦げ付くような感覚を覚える。
「だからお兄さん――“みー”となかよしになろ?」
ゾクリと背骨に怖気が走った。
前々から薄々感じていたが、弥堂はこの女児に危険を覚えていた。
相手は小学生だ。
そんなわけはない。
そんなわけがないのだが、脳内ではメンヘラセンサーが喧しく警報を鳴らし続けている。
「……考えておこう。あと悪役令嬢については心当たりがある。今度紹介してやろう」
「えー。あ、でも女の子にイジワルされると、それを見た男の子が優しくしてくれるからいいのかな……?」
「……そうかもな」
弥堂は無難な回答をすることに努め、まともに話したこともないクラスメイトを売ることに決めた。
それよりも――と、乙女について思考を戻す。
彼女の姉が所持していたという乙女の本にゲーム。
少女漫画のような物かと思ったが、どうにもキナ臭い。
キナ臭いというかイカ臭いというか、チーズ臭い。
そんなニュアンスだ。
小学生にとっては不健全なものなのではと感じたが、如何せん弥堂は乙女についての知識もなければ少女漫画などへの見識もない。
余計な口を出すよりもここは一度有識者である廻夜部長の意見を伺ってみるべきかと考える。
そもそも他所の家のことで自分には関係ないし、相手が大人なら勝手に好きなことをして勝手に死ねばいいと思っているが、顔見知りの子供がおかしな育ち方をするとわかっていて見過ごすのはしのびない。
ここは慎重な対応が求められる。
そんなことを考えつつ、だが身の危険も感じるので、そろそろこの場を離脱するべきかと思い始めたその時――
「――クラァッ! ゥラァッ! テメェコラァッ!」
閑静な公園に怒号が轟いだ。
そしてその怒号が自分に向けられたものであると弥堂は判断をしたので、不安そうに寄ってきた子供たちを背後へ隠す。
公園の入り口の方から、見るからに特殊なご職業に就かれていることがわかるガラの悪い二人の男がヨタヨタと歩いて近寄ってきた。
「オゥコラ、狂犬のぉ。オドレずいぶんと景気がよさそうじゃあねえか」
「ヘメー、ファレにこフォワッヘここベヒョーバイフィホんビャボケェっ!」
「……ここはオレらのシマだ。一応テメーは若の客人だが盃を交わしたわけじゃあねえ。あんま好き放題してんじゃねーぞ」
「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」
「……ヤス。ちょっとオメェ黙ってろ」
色の濃いグラサンをかけアイパーでバリッとリーゼントを固めているアロハシャツを着た男が、至近距離で弥堂にガンをつける色眼鏡をかけたパンチパーマの男を引き剥がした。
「誰だ、お前ら」
震える子供たちの前で弥堂は顔色一つ変えずに問う。
「アァッ⁉ テメェいつなったら人の顏と名前覚えんだこの野郎ッ!」
「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」
当然きっちりと記憶しているのだが挑発をするためにすっ呆けてみせると、男たちは色めきだった。
「
ガバっと股を開いてポケットに突っ込んだ手でボンタンを広げつつ顎をあげて名乗ったのはグラサンリーゼントの男だ。
「同ふぃくっ! オレァアンパン売りのヤヒュビャア~ッ!」
続いてガバっと股を開いて存在しない眉を眉間にグッと寄せて名乗ったのはアンパン売りのヤスちゃんだ。
彼は大好きなアンパンを食べ過ぎたせいで前歯の本数が心許無くなってしまった為に、日本語の発音が困難なのだ。詳しい事情は不明だが、きっと歯磨きを怠ってしまったのかもしれない。特にサ行とタ行を縛りプレイしているらしい。
そんな彼らへ弥堂は侮蔑の眼差しを向ける。
「お前ら、簡単に組の名前を出すなと
「だとこら、んなダセェ真似できっかよダボが! こっちは命がけで看板背負っとんじゃ!」
「その看板を持ってかれるから名前を出すなと命じられてるんだろ」
「知ったことかよクソが! サツごときナンボのモンじゃボケェッ!」
「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」
「……ヤス。とりあえずオメェは何言ってっかわかんねえから黙ってろ。な?」
腕まくりしながら前に出ようとするヤスちゃんのジャージの襟をリュージが掴んで止めると、ヤスちゃんの背中のウサちゃんマークと『PRAY BOY』の文字が歪んだ。
「お前らヤクザなんだから暴対法くらい覚えとけ」
「いや無理だろ。ムジィよ。そんなんわかるなら高校落ちてねえよ」
「お前らがそんなんだから外人どもにナワバリ持ってかれんだよ」
「アァ? そんなんすぐに取り戻したるわ。ナメんじゃねえぞ?」
「そうだといいな」
馬鹿と話しても無駄だと適当に流すとクイクイと袖を引かれる。そちらに目を向けると、怯える“かける”が見上げてきた。
「に、兄ちゃん……、ヤクザ……、ヤクザだよ……っ!」
「あぁ、そうだな」
「そうだなって――」
「――ビャーッピャッフィボ、フォラァッ!」
「――ひぃっ⁉」
突然奇声をあげたヤスちゃんはバッと身を低くし、キョロキョロと周囲を窺いながら慎重な動作で“かける”に近づく。
そしてゴソゴソと懐から取り出した物を4本指で掴みスッと“かける”に差し出す。
色眼鏡の奥の瞳が意外と澄んでいたので“かける”はつい受け取ってしまった。
手の中の物を見てみるとそこにあったのは、ここいらのコンビニチェーンで売られているアンパンだった。
ニィっと口元に蓄えたチョビヒゲを歪めて笑顔を作ってから、ササッと元の位置にヤスちゃんが戻るとリュージが口を開く。
「坊主。滅多なこと言うもんじゃあねえぞ? ヤクザって言ったら逮捕されちまうぜ?」
「えぇっ⁉ オレ逮捕されちゃうの⁉」
「あぁ。だが今回はオマワリにバレなかったからセーフだ。バレたらヤベェぜ? 気ぃつけな」
「そ、そうだったんだ……」
「よく覚えとけ。ヤクザって言ったら逮捕。悪いことしてもオマワリにはバレなきゃOK。これだけ覚えときゃ高校行けるぜ」
「う、うん……。ありがとおじさん……」
おずおずと礼を述べるかけるに、リュージはニッと歯列を見せつけた。
「つーか、坊主よ。お前らコイツの弟か?」
「え? ちがうよ?」
きょとんとした顔をするかけるの返答にリュージは眉を寄せ、表情を神妙そうなものにする。
「ワリーこた言わねえ。コイツとは関わるな。高校行けなくなっちまうぞ?」
「えぇっ⁉ なんで⁉」
「コイツはダメだ。普通に頭イカレてっからよ。ぜってぇそのうちパクられっから近づかない方がいいぜ」
「で、でも……、確かにこの兄ちゃん顏コエーし、わけわかんないことばっか言うけど、今日だってゴミ拾いとかしてるし、これでも結構いいとこあるんだぜ!」
「アァ? ゴミ拾いだぁ?」
ヤクザに社会不適合者扱いされ、小学生に擁護されるという屈辱に弥堂が怒りを感じていると、ギンッと表情をイカつくしたリュージがガンをつけてくる。
「オゥコラテメェ! ダレに断ってうちのシマでゴミ拾いしとんじゃあっ!」
「えぇ⁉」
ゴミ拾いをしているのに大人に怒られるという事態に小学生たちはびっくり仰天する。
「あ? 何か文句があるのか?」
「大アリに決まってんだろうがぁっ! ここら守ってんのは皐月組じゃあ! うちのシマのゴミはオレらのモンなんだよ! オレらが全部カタづけるって決まっとんじゃあ!」
ジロリと眼を向ける弥堂に食って掛かるリュージと、無言でヨタヨタと弥堂の周りをうろつきながらガンをたれるヤスちゃんの手には、よく見ればゴミ袋と銀色のトングが握られていた。
「つまりここのゴミを寄こせと俺に言っているのか?」
「当たり前じゃボケェッ! 若に目ぇかけてもらってっからってチョーシこくんじゃあねえよ! どうしてもゴミが欲しいんならきっちりミカジメ料納めんかいぃっ!」
「ナメフェッホエンコフめファッボフォラァッ!」
「ナメているのは貴様らだ。俺に命令をするな。二度とゴミを拾えないように指を全て切り落としてやる」
「なんでケンカすんの⁉ 協力して一緒に拾えばよくない⁉」
小学校で習った常識が全く通用しない大人たちの会話に子供たちが大混乱する中、弥堂とヤクザコンビは一触即発の雰囲気になる。
その時――
「――待たんかイィッ!」
大きなダミ声が公園の入り口の方から響いた。