俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章27 深き宵深く酔い浅き眠り朝は来ない ④

 

 服を着るという社会人として当たり前のことすら一人で出来ないと言う成人女性に弥堂は胡乱な瞳を向ける。

 

 

「何言ってんだ、アンタ」

 

「なによ。キミのせいで脱がされたんだからキミが着せる。当たり前でしょ?」

 

「俺が居ない時は自分で直してるんだろ?」

 

「そうよ。いつもしてるし、さっきのお客様とだって何回かしてる。これからもするわ。でも、それをキミに見られるってことは全然意味が違うのよ。私がなにも傷ついてないとでも思った? 普通はキミみたいに大丈夫なわけではないのよ」

 

 

(俺はただ慣れているだけだ)

 

 

 そのように浮かんだ反論は心中だけに留める。

 

 

「……わかったよ。アンタの言うとおりにしよう」

 

「ふふ。いい子ね」

 

 

 傷ついているはずの女が満足げに笑うのを尻目に、とっとと済ませようと弥堂は彼女の腰から垂れさがっているドレスの布に手を伸ばす。本来は上半身を覆うための部分だ。

 

 

「ちょっと。なにしてるの?」

 

「……? これを首の裏で結べばいいんだろ?」

 

 

 早速ダメ出しをされ、手に掴んだドレスの紐を怪訝な眼で視る。

 

 

「そうだけど。その前にちゃんと下着も着けてよ」

 

「そこまで俺がやるのか?」

 

「そうよ。当たり前じゃない」

 

「今日は俺の当たり前が世間の当たり前とはいくつか離れていることが知れてよかったよ」

 

「そう。どういたしまして」

 

 

 憎まれ口すらあっさりと受け流され弥堂はせめてもと舌打ちをする。

 

 

「こら。舌打ちしないの」

 

「……そんなことよりおブラはどこだ?」

 

 

 周囲を見渡すがそれらしき物が見当たらないため問う。

 

 

「そこにあるじゃ……、ちょっと待ちなさい。おブラ……? なによそれ」

 

「おブラはおブラだろ」

 

「なんなのその言い方はって聞いているのよ。なんで『お』を付けるの? 気持ち悪い」

 

「掟だ。部活の上司にな、そうするよう強く言いつけられている」

 

「部活って……、ねぇ……? キミだいじょうぶ?」

 

「なにがだ」

 

 

 突如素に戻ったような態度で心配そうな目を向けられた。

 

 

「キミ、学校で友達とかどうしてるの?」

 

「別にどうもしていないが」

 

「……どうせ不良グループまっしぐらだろうなって諦めてたけど、まさかオタクグループに入っているの? ごめんなさい。私がもっと気にかけてあげるべきだったわ」

 

「そのような事実はない」

 

「どうしよう……、屈辱だわ。ウチの子のカーストが低いなんて……。ねぇ? 授業参観とか三者面談とかで保護者が必要な時は言いなさいよね? ちゃんと私が行くから」

 

「やめろ。担任がアンタと同じ歳くらいなんだ。遠慮してやってくれ」

 

 

 三者面談に自分と歳の変わらないキャバ嬢が保護者として現れたら、あの気の弱い担任教師は卒倒してしまうだろうと、面倒ごとの気配を察知した弥堂はやんわりと断る。

 

 

「イジメ……られることはまずないだろうけど、寂しくなったらいつでもメッセしてね? 電話でもいいわ。接客中以外ならすぐに返すから……」

 

「余計なお世話だ」

 

「だって……、キミ絶対友達いないでしょ? せっかく高校行ったんだから友達とメッセしたりとか普通の青春ぽいことして欲しいなって……、私は出来なかったから……」

 

 

 事情があって高校を中退した彼女には、自分の分も弥堂には普通の青春を経験して欲しいという想いがあった。

 

 だから、今から1年と少し前、彼女のところに転がり込んでチンピラのようなシノギをしながら生活していた弥堂が、ある日ちょっとしたキッカケから高校に通ってみようかと興味を持った際に強く勧めてきて、おまけに費用の全てを負担してくれたのだ。

 

 

(くだらない代償行為だ)

 

 

 弥堂としては本心ではそう考えていても、彼女に恩があるのは事実だし、自分でも『普通の高校生となる』必要があると考えての行動なので、態度には出さずに受け入れている。

 

 実際のところ、工面してもらった金はもう返せるのだが、彼女の方が一向にそれを受け取ってくれないので、彼女の元を離れた今も借りを返せぬまま中途半端に関係が続いている。

 

 

 そして『普通の高校生となる』、それ以外にもいくつかある彼女の代償行為に与してしまっている。

 

 

 それを切り離せないのも、言葉にして彼女を詰れないのも――

 

 

(――俺も他人のことを言えた義理じゃないか)

 

 

 沈痛な空気を挟んでいても仕方がないので口を開く。

 

 

「……心配するな。それくらいの相手はいる」

 

「……本当に?」

 

「あぁ。先日もクラスメイトからID交換をしようって言われて何度かやりとりをした」

 

「……でも、どうせカースト底辺のオタクなんでしょ?」

 

「そんなことはない。ギャルだ」

 

「……ギャル、ですって?」

 

「あぁ。しかも学園内でもトップクラスに容姿が優れているとか言われてる女だ。カーストは高い」

 

「……へぇ」

 

「……なんだ?」

 

 

 華蓮さんを安心させようと事実を述べたら何故か違った意味で空気が重くなった。

 

 

「……そう。カワイイんだ。ギャル……、JK……、クッ……、Jッ! Kッ……!」

 

「なにかマズイのか?」

 

「いいえ! というか、普通に仲がいいってことよね……?」

 

「別に仲がいいというわけではないがな。まぁ、問題ない」

 

「本当に……? セフレとかじゃなく……?」

 

「そういうんじゃない」

 

「まさか……、なにかシノギに使おうとしてる……?」

 

「……そのような実績はない」

 

 

 弥堂はさりげなく目を逸らしながら現状での事実を伝えた。

 

 

「というか、アンタが心配するから言ったんだろ。なにか問題あるのか?」

 

「……別に。ただ、JK……、JKね……」

 

「JKがダメなら今度はオタクの友人を作ることにするよ」

 

「ダメよ。オタクは絶対ダメ」

 

「何故だ?」

 

「だってなんかダサイじゃない。ウチの子がオタクとツルんでるなんて私イヤよ」

 

 

 元ヤンの華蓮さんはオタクに偏見を持っていた。

 

 しかし、今度は弥堂がそれを聞き咎める。

 

 

「おい、オタクになにか文句があるのか?」

 

「だってキモイじゃない。ハマれば金払いはいいけど、でもたかが知れてるし、なに喋ってるかわからないし」

 

「ふざけるなよ。貴様我が部の部長を侮辱するのか? 許さんぞ」

 

「えっ⁉ なに……⁉ 私よりもその部長の方がカースト上なの……⁉ 今日一番のショックなんだけど……」

 

 

 ガーンとガチショックを受ける華蓮さんに追撃をしかけたくなるが、このままではまた口論になると弥堂は我慢をし、話題を戻すことにした。

 

 

「もういいだろ。それよりおブラだ。おい、早くおブラを出せ」

 

「……そのキモイ言い方本当に気に食わない。けど、いいわ。ほら、そこのソファーにあるでしょ?」

 

「ソファー?」

 

 

 さっきも見た場所ではあるが、言われて改めて眼を向ける。

 

 しかし、ソファーの座席にあるのは女性ものの小さなハンドバッグと見慣れない楕円形のシートのような物だけだった。

 

 

「ないぞ」

 

「あるでしょ。そこ。ヌーブラ」

 

「おヌーブラだと……?」

 

 

 つい最近覚えたばかりの単語を聞き、弥堂は眼に力をこめて再度それを視た。

 

 

「……あの剥がした湿布みたいな丸いやつか?」

 

「湿布って言うな。でも、そうよ。それよ。とってきなさい」

 

 

 かつて生活費という餌をくれていた年上の女性に命じられ、フリスビーを投げられた犬のようにヌーブラを取りに行く。

 

 

「ていうか、なによおヌーブラって……。気に食わないわ」

 

「文句が多いぞ」

 

「なんで『お』なの?」

 

「女性の下着に敬意を表すために『お』を付けろと言われている」

 

「パンツは?」

 

「もちろん『おパンツ』だ」

 

「キメェ」

 

 

 吐き捨てるような顏で毒づく彼女を尻目に座席に乗せられたそれを手に取る。未だ経験のしたことのないような不思議な感触に戸惑った。

 

 

「でも、それじゃおヌーブラっておかしくないかしら?」

 

「そうか?」

 

「だってブラジャーとかパンツとかって下着の種別?に『お』を付けてるわけでしょう? ヌーブラはヌードブラジャーなんだから『ヌーおブラ』じゃない?」

 

「しかし有識者の意見では『おヌーブラ』だと聞いたんだが」

 

「なによ有識者って……、オタクの部長でしょ?」

 

「いや、部長ではない」

 

「じゃあ誰が――って…………、おい、さっき言ってたギャルだろ? そいつに聞いたな?」

 

「……そのような事実はない」

 

「やっぱりセフレでしょ?」

 

「違う」

 

「……じゃあ向こうが色目使ってきてんのか」

 

 

 疑惑の眼差しを向けられ、このまままた詰問が始まることを危惧した弥堂はしっかりと事実を伝えていく。

 

 

「そういうのじゃないぞ。あいつは」

 

「あ・い・つ……! 『あいつ』ねぇ……? ふぅ~ん……」

 

「勘ぐるな。本当にそういう相手ではないし、その予定もない。当然向こうもそんな気はない」

 

「なんもねぇ男に下着の話なんか振るわけねえだろ……、メスザルが……、ウチの子に色目使いやがって……。ねぇ、付き合う前に一回私に会わせなさいよ。審査してあげるわ」

 

「……機会があればな」

 

 

 何故か疑心暗鬼に陥った保護者気取りの女に呆れた弥堂は適当な返事をした。華蓮さんの中ではそれが約束になったことに気付かず。

 

 

「あと。『ヌーおブラ』って言いなさい。『おヌーブラ』は気に食わないわ」

 

「どうでもいいだろ」

 

「ダメよ。掟よ。ヌーおブラの方がカワイイし」

 

「わかったよ。それより、こんなもんどう着けるんだ? バンドがないぞ」

 

「バンドって言うな……、それは貼るのよ。シールみたいに」

 

「貼る?」

 

 

 首を傾げながら手に持ったヌーおブラをひっくり返してみる。その際に指を動かすと親指の腹に粘着性を感じる。

 

 

「なんだこれ……? ベトベトしてるぞ」

 

「だからそれを胸に貼ってから、ホック付いてるでしょ? それで留めるの」

 

「へぇ……」

 

 

 指を離す時の剥がれる感覚、再び指を付けて押し込んだ時のムニっとした感触。生返事を返しながら無心で何度か繰り返す。

 

 

「……気に入ったの?」

 

「そんなわけがあるか」

 

「ねぇ……? もしかしてオタクになっちゃったの? 前は下着に夢中になる性癖なんかなかったじゃない」

 

「性癖じゃない。未知の物だったから少し気になっただけだ。胸パッドともまた感触が違うんだな」

 

「胸パッド……?」

 

「ん? 胸パッド? なんだそれは?」

 

「今言ったでしょ?」

 

「言ってない。気のせいだろ」

 

 

 失言をゴリ押しで誤魔化したが、華蓮さんの疑惑はより深まることとなった。

 

 自らの与り知らぬところで、見知らぬキャバ嬢のお姉さんに敵視される。

 

 今回もなにも悪いことはしていないのに、希咲さんは可哀想なことになった。

 

 

「とりあえず貼ればいいんだな」

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 

 また何か面倒な追及をされる前にと、行動に移そうとした弥堂だったがまたも止められる。

 

 

「今度はなんだ?」

 

「その前に拭いてよ。舐められてからそのままで着たくないわ」

 

「…………」

 

 

 反論の言葉が思いつかない程に呆れていたらそれを同意と取られたのか、華蓮さんはテーブルの上からブランデーのボトルを取ると口を開け、手に持ったハンカチに中身をかける。

 

 床に敷かれたカーペットに高級そうな琥珀色の液体が零れ染みこんでいく。

 

 途端に漂ってくる臭いに弥堂が顔を顰めている内に彼女は準備を終えてしまった。

 

 

「はい。これで拭いて」

 

「酒はなんなんだ」

 

「消毒よ。なぁに? その顔は。相変わらずお酒ダメなの?」

 

「別に」

 

「男なんだから呑めた方が得するわよ?」

 

「別に呑めないとは言っていない。臭いと存在が嫌いなだけだ」

 

「これ高いのよ? 1本18万もするんだから。お水価格だけれど」

 

「なおさらだな。自分の正気を失わせる物にわざわざ大金を払うなど理解に苦しむ」

 

「気難しいわね。まぁいいわ。さ、はやく」

 

 

 酒に対する苛立ちで忘れていたが、自分が今とんでもなく意味不明なことを命じられていたのを思い出す。

 

 だが、もう面倒になっていたので素直に従うことにした。

 

 

「……ん…………」

 

 

 右の胸の下に左手を挿し入れて重さを支える。

 

 右手に持った濡れたハンカチを押し当てて上下に動かした。

 

 

「……冷たいわね」

 

「酒なんかぶっかけるからだろ」

 

「なんか消毒になる気がしたのよ。すごい冷えそうで気に食わないわ」

 

「じゃあ、おしぼりにするよ」

 

 

 テーブルにあった未使用に見える丸まったおしぼりを広げてハンカチと替える。

 

 

「……んぅっ……、ちょっと、強く擦らないで……っ! 肌が痛むでしょ」

 

「そんなに力は入れてない」

 

「きっと生地が悪いんだわ。どこの業者よ」

 

「地下のピンサロと同じ業者らしいぞ。大分経費が浮いたと前に黒瀬さんが喜んでたな」

 

「……たまに広げると中からそれっぽい毛が出てくるんだけど……」

 

「そういうことだろうな」

 

「すぐに業者を変えさせるわ! 安ければいいってもんじゃないのよ……っ! あぁ、気に食わない……っ!」

 

「あの人経費削減の鬼だからな……、ほら、もういいだろ」

 

 

 終了を報せる合図に横からピシャっと軽く叩く。

 

 すごく軽蔑をした目で見られた。

 

 

「本当にキミ、そういうところよ」

 

「別にいいだろ。これくらい。で? 次は?」

 

「だから貼るのよ。先に貼り付けてそれから真ん中でホック留めるの」

 

「こんなもんちゃんとくっつくのか? それならそれでかぶれたりしないのか?」

 

「大丈夫よ。だから、あと、痛くならないように……あ、こら――」

 

 

 まだ説明の途中だったようだが、適当にビチャッ、ビチャッと貼り付けた。

 

 そのままホックを留めようと中央へ引っ張る。

 

 

「待ちなさい。適当にやらないでよ」

 

「貼れと言ったのはアンタだろうが」

 

「ちゃんと貼ってって言ってるの。こんな変な貼り方してなかったでしょ? 形崩れちゃってるじゃない」

 

「俺にその『ちゃんと』がわかるわけがないだろう」

 

「えー? ていうかヌーブラ前に見せたことなかったっけ?」

 

「ない。初めてだ」

 

「そうだったかしら。まぁいいわ。一回剥がして。やり直し」

 

「……めんどくせえな」

 

「本音を言わない――って、痛いっ……! そんな乱暴に引っ張らないでっ」

 

「乱暴になどしていない」

 

「してたでしょ。摘まんで引っ張られたみたいに伸びてたじゃない」

 

「知るか。それはアンタのコンディションの問題だろ」

 

「いいから着ける時も外す時も優しく慎重にやりなさい……、あ、これ使って」

 

「なんだこれは」

 

 

 手渡された丸いシールのようなものを不審気に睨む。

 

 

「保護パッドよ」

 

「何に使うんだ?」

 

「デリケートな部分にこれを当ててからブラ貼って」

 

「デリケート?」

 

「キミが今引っ張ったとこよ」

 

「あぁ……、なるほど」

 

 

 華蓮さんは察しの悪い男へ胡乱な瞳を向けるが、弥堂はたかが乳の1個や2個のために色々とややこしいことをするのだなと感心していたので気にならなかった。

 

 

「じゃあ、とりあえず片方だけ斜めにして貼って」

 

「斜め?」

 

「そう。えーと……、外側から合わせる感じで……そう、それで下から持ち上げながら、貼っていって……、最終的にホックがおへその方に向いてればいいかな……」

 

「おい。この保護なんとかに納まらないぞ。ひっこめろ」

 

「ムチャ言わないで。そんな簡単に引っ込むわけないでしょ。大体キミが触ったからこうなったんじゃない。あと、ちゃんと納まるから。失礼ね」

 

「触ってないが。これを始める前からずっとそうだっただろ」

 

「……へぇ。生意気じゃない。いいわ。もっと遡って元はといえば誰が原因だったか話しあう?」

 

「いや、結構だ。それより続きを。教えてくれ。興味がある」

 

「それもそれでどうかと思うわよ? その場凌ぎで適当なこと言うのやめなさいって何度も言ってるでしょ?」

 

 

 年上のお姉さんに叱られながらキャバクラの店内でキャバ嬢にヌーおブラを貼り付ける。

 

 我がことながら、何がどうなったらこのような事になるのか、人生とは一体何なのだろうかと嘆きたくなる。つまりは、彼が本当に興味を向けなければならないのは、己の行動と人間関係の業なのかもしれない。

 

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