俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章27 深き宵深く酔い浅き眠り朝は来ない ⑤

 

 弥堂が人の生の無常を思っていると、腰に回されていた手でペチペチと尻を叩かれる。

 

 

「はい、白目剥いてないでもう片方も」

 

「……あぁ」

 

「……うん、いいじゃない。上手よ」

 

「そりゃどうも。役に立つ機会などないだろうがな……、貼ったぞ」

 

「左右のホックの間が手がひとつ入るくらい空いてればOKよ」

 

「入らねえぞ」

 

「キミの手大きいからね。うーん……、まぁこれでいいでしょう。留めて」

 

「これじゃ留められないんじゃないのか?」

 

「いいから」

 

「わかったよ」

 

 

 指示に従いグイっと左右から引き寄せて中央で合わせると、思ってたより簡単にホックが噛み合う。

 

 

「これでいいのか?」

 

「まぁ、いいかな。細かいところは後で自分で直すわ」

 

「最初から自分でやればいいだろ」

 

「これも勉強よ。それより、どう? 綺麗に谷間出来てるでしょ?」

 

 

 どこか楽し気な華蓮さんは胸の下で組んだ腕で持ち上げてみせながら、パチッとウィンクをしてポーズをキメる。

 

 弥堂は無感情な眼で自らの作品とも謂えるその谷間を視た。

 

 

「……ここまで手間をかけるほどの意味があるのか?」

 

「もちろん」

 

「そうか。まぁいい。では次だな」

 

「ん? つぎ?」

 

「あぁ。この後に分厚いパッド突っこみながら補正おブラを着けるんだろ? どこにある?」

 

「……なにを言ってるの?」

 

「ん? 違うのか?」

 

「いや、そんな物々しいこと…………、あぁ、なるほど……、ふぅ~ん……」

 

 

 意味のわからないこと言い出した弥堂に怪訝な目をしていた華蓮さんだったが、何かを察知して表情を変える。

 

 しかしそれは不機嫌なものではなかった。

 

 

「補正ブラ……、パッド……、シリコンブラ…………。ふふっ……、カワイイものね……」

 

 

 何やら納得をした様子の華蓮さんは、目の前の男を通した向こう側にいるであろうギャル系JKに遠隔でマウントをとり、溢れ出る自信と優越感に身を浸す。

 

 

「いいのよ……、ふふふ。大丈夫。それらは『私には』必要ないから。うふふふ……」

 

「……? そうか。じゃあ終わりだな」

 

「えぇ。あ、そうそう。ちょっと私のバッグとってちょうだい」

 

「わかった」

 

 

 言われたとおりにソファーに置かれたハンドバッグを取りに行くため弥堂がこちらへ背を向けた瞬間、華蓮さんは悟らせぬよう自身の胸をポインポインと揺らし勝利の悦びに酔う。

 

 所詮はガキか、とまだ見ぬギャルJKを見下し、圧倒的勝者の余裕から彼女へ塩を送ってやることにした。

 

 

「これでいいか?」

 

「えぇ、ありがとう」

 

「もう帰っていいか?」

 

「ダメよ。というかブラ着けただけでまだドレス直してないじゃない」

 

「……今やるよ」

 

「ちょっと待って。その前に……、はい、これ」

 

「……なんだこれは?」

 

「さっき使った保護パッドよ」

 

「こんなにいくつも渡されてもな……、アンタ2つしかないだろ? 犬や猫じゃあるまいし」

 

 

 手渡されたのはまだパッケージに入ったままの、女の子のお胸のデリケートな部位を守護するためのヒミツ道具だった。

 

 しかし弥堂にはその用途と意図がわからず眉を寄せる。

 

 

「私にじゃないわよ」

 

「どういう――まさかこの俺に付けろとでも……」

 

「そんなわけないでしょ。あの子にあげなさい。学校のギャル子ちゃんに」

 

「……どういうつもりだ?」

 

「ただの年上で経験もお胸も抱負なお姉さんからのお節介よ。キミ、補正下着だのヌーブラだのは知ってたけど保護パッドのことは知らないってことは、そのことだけ聞いてないんでしょ?」

 

「ん? まぁ、そうだな」

 

「それ、使った方がいいわよって教えてあげない。そうね。雑に扱ってると真っ黒になっちゃうわよとでも言っておきなさい。もっとも? もう既に真っ黒かもしれないけれど……、ふふふ……、あはは……」

 

「……了解した」

 

 

 弥堂にはまるで意味がわからなかったが、何故かここは逆らってはいけないという防衛本能が働き、とりあえず受け取っておくことにした。

 

 

「じゃあ、ドレスを着せて仕上げてちょうだい。あぁ、気分がいいわ」

 

「……あぁ」

 

 

 気味が悪いと思ったが口には出さず、垂れさがったドレスの紐に指を絡めて掴む。頭の後ろに腕を回して後ろ髪を持ち上げた華蓮さんの首の裏へその手を持っていく。

 

 

 密着するような距離にまでなると、彼女は片手を弥堂の腰に回してくる。

 

 緩く腰骨を撫でられた。

 

 

「ねぇ、学校楽しい?」

 

 

 そのことに何か反応をするよりも、何かを思うよりも早くジッと見上げてきながら問いかけをされる。

 

 

「……あぁ」

 

「そう。勉強は大丈夫? ついていけてる?」

 

 

 ドレスの紐を結び終わったタイミングで次の質問をされ、それに対する答えをどれにするかと思考をしているうちに、髪を持ち上げていた方の手を胸に置かれた。

 

 紐を結び終えてまだ彼女の首の後ろに置いたままの両手に、重力に従った彼女の髪がパラパラと落ちてくる。

 

 

「……問題ない」

 

「そう。まぁ、ダメでも私じゃ教えてあげられないんだけどね、ふふっ……」

 

 

 もしかしたらこの時が彼女の首にまわした手を引き返させるタイミングだったのかもしれないが、弥堂は両手を覆うように被された彼女の長い後ろ髪に囚われているような錯覚をし、何となく引き戻すことが出来なかった。

 

 

「ご飯はちゃんと食べれてる?」

 

「あぁ。金ならある」

 

「そうじゃなくって。ちゃんと自分で用意出来てるのって聞いてるの」

 

「大丈夫だ」

 

 

 やわやわと胸を撫でられながら他愛のないことを訊かれる。

 

 必要性の感じられない行為だが、逃げ遅れた自分が悪いと彼女の好きにさせる。

 

 

「洗濯はちゃんとしてる?」

 

「あぁ」

 

「嘘。してないからジャージなんて着てるんでしょ?」

 

「そういう理由で着てるわけじゃない」

 

「服ないの? 今度一緒に出掛けましょう。買ってあげるわ」

 

「持っていないわけじゃない。大丈夫だよ」

 

「本当かしら。キミそういうの全然頓着しないし……、あら? これ裏表反対じゃないの? 頓着しないどころの話じゃないわね。クソダセェな。あんまアタシに恥かかせんな」

 

「華蓮さん、口調」

 

「あらやだ。ふふ、恥ずかしい」

 

 

 おざなりに体裁を繕いながら彼女は両手を弥堂のジャージの前を留めているチャックへと伸ばす。

 

 首の下の隙間から手を挿し入れて内側に隠れたチャックを下ろしていく。

 

 

「ほら、腕抜いて。直してあげるから」

 

「やめろ。自分で出来る。ガキじゃないんだ」

 

「今日び小学生だってこんな着方しないわよ」

 

「裏表を間違えたわけじゃない。表は学校名がプリントされてるから隠すために裏返したんだ」

 

「学校ジャージかよこれ……。いたわ……、中学ん時とかに私服が学校ジャージのヤツ……。ウチの子がこんなクソダサ男子だなんて、許せないわ……」

 

「別にいつもこれを着てるわけじゃない。普段はちゃんと普通のジャージを着てる」

 

「結局ジャージなのね! もう許さないわ。キミが着る服は私が決めます。まぁ、ジャージは乾きやすいから洗濯は楽かもしれないけど、男一人の洗濯物の量なんてたかが知れてるでしょ?」

 

「洗濯などするだけ時間の無駄だ。衣類は全てクリーニングに出すことにした」

 

「は? そんなのお金がもったい……、って、なによこれ?」

 

 

 ジャージのチャックを下ろして前を開くと中にはTシャツを着ていて、そのTシャツの上からベルトで小さなバッグのような物が身体に巻き付けられていた。

 

 

「……まさかチャカじゃないわよね?」

 

「違う。ただの小物入れだ。ジャージはポケットが少なくて不便なんだ」

 

「だったら着るんじゃないわよ。普通にジャケットでも羽織ればいいじゃない」

 

「それに着替える予定だったんだが時間がなかったんだ。急げと言われたからな」

 

「はいはい、私のせいね。ごめんなさい。あまりこんな物で上着を膨らませて歩かない方がいいわよ? 職質されるし。キミ、叩いたら埃しか出てこないんだから」

 

「…………」

 

 

 ちょうど午前中に署に連行されて数時間拘束されていたので返す言葉がなかった。

 

 

「……はい、今度は腕通して……なんか汚いわね。よく見たら破れてるとこあるし、ていうかこれ、血……っ? キミもしかしてボコられたの?」

 

「転んだんだ」

 

「嘘言わないの……、でも中のシャツには付いてないわね。ちょっと顔をよく見せてみなさい」

 

「なんともないって言ってるだろ」

 

「いいから。んーー、でも顏にも傷はないわね……。てことは返り血?」

 

「転んだんだ」

 

「……まぁいいわ。さ、腕こっちに伸ばして……、ん?」

 

「ガキじゃないんだからいいって言ってるだろ……、どうした?」

 

 

 そろそろ世話を焼かれるのが鬱陶しく感じてきて彼女を離そうとしたが、何故か華蓮さんがジャージの袖口をジッと見て黙ってしまったので、弥堂も訝し気な眼で無言になる。

 

 

「…………べつに。それより、やっぱり顏に傷があるみたいだからもう一回見せてみなさい」

 

「そんなものはない」

 

「あるから。口の端が切れてるみたい」

 

「なんだと? そんなはずはない」

 

「いいからっ」

 

 

 語気を強めて顔を掴まれてしまい、弥堂は諦めて彼女の思うようにさせることにした。

 

 自分が負傷しているかどうかなどもちろん弥堂は自分自身で把握しているので、完全に無駄な時間だと嘆息をする。

 

 すると、ちょうど先程のハンカチを持った彼女の手が口元に近づいてきており、鼻息が彼女の肌に触れた。

 

 

「酒くせえな」

 

「…………」

 

 

 せめてもの意趣返しにと悪態をつくが、彼女は無言でジィ……っと弥堂の唇を見ていて黙殺された。

 

 やがて唇にハンカチをあてられる。

 

 

 ごく薄い布を徹して彼女の指の感触が伝わる。

 

 

 右から左へと布が引かれる。

 

 

 撫でられているというようなものではなく擦られているといった感覚。

 

 

 そうなるのはハンカチの布地の裏の彼女の指が強く唇を押し込んできているからだ。

 

 

 数往復して彼女はハンカチを離す。

 

 

 それから華蓮さんは拭き終わった後の布地をジッと睨んだ。

 

 

 数秒ハンカチを凝視してそれから目線を上げて今度は弥堂の顏を数秒見る。

 

 

 彼女がどういうつもりかは弥堂にはわからなかったが、長年の経験から『自分はこれから処刑されるのだ』と、この数秒の間にそれだけは理解した。

 

 その間に彼女の視線は弥堂のジャージの袖口に向いている。

 

 

 弥堂は反射的にその腕を身体の後ろへ回したくなったが、その前にガッと手首を掴まれ、『自分はもう助からない』のだということを悟った。

 

 

「ふぅ~ん……」

 

 

 自身の目の前まで持ち上げた弥堂の袖口をよく見て、なにやら得心がいったように唸る。

 

 続けて弥堂のすぐ傍、ほとんど抱き合うような距離にまで踏み込むと首筋で鼻を鳴らす。

 

 

 それから一歩下がると弥堂の目を見てニコッとキャバ嬢スマイルを繰り出す。

 

 

「もう一回訊くわね?」

 

「…………」

 

「ケガしてない?」

 

「……さっき答えただろ」

 

「ケガしてない?」

 

「……してない」

 

「そう。じゃあこれは?」

 

 

 言いながら弥堂の眼前にハンカチを出して彼にそれを見せる。

 

 薄い青色のハンカチの生地には掠れたような紅色の跡がある。

 

 

「これはなにかしら?」

 

「それは……」

 

「ちなみに。私にはこれが血に見えるわ。だからキミがケガしてるんじゃないかって思ったの」

 

「…………」

 

 

 彼女の表情は変わっていない。

 

 貼り付けたような完璧な笑顔で口調も穏やかなままだ。

 

 

「でも。もしもキミがケガなんてしてないって言うんなら。そうしたら私にはこれが『別の違うもの』に見えてしまうわ」

 

「…………」

 

「でも勘違いしないで? キミを疑ってるわけじゃないの。私は寛容な女だからキミの言うことをそのまま信じるわ。信じたことにしてあげる」

 

「…………」

 

「だから、キミがケガをしてるって言うんなら。例えハンカチのコレや袖についたソレがどう見ても血に見えなくても、キミのジャージの他の血痕と全然色が違くても、キミからマキちゃんが付けてるのと同じ香水の匂いがしても。キミがそう言うんなら私にはコレが血に見えるの。見えてあげる」

 

「…………」

 

「じゃあ、最後にもう一回訊くわね?」

 

「…………」

 

「キミ、ケガしてない?」

 

「……してる」

 

「そう。じゃあコレはキミの血なのね?」

 

「……そうだ」

 

「ふふっ……、ふふふ…………」

 

 

 彼女は全くといって怒ってなどいない。ただ、とても満足そうに笑った。

 

 

「…………なにをすればいい?」

 

「そうね。じゃあ、週に1回、私のところに洗濯物を持ってきなさい。一週間分ためて。私がやってあげる」

 

「いや、それは――」

 

「――知ってると思うけれど私の休みは水曜よ。次は3日後に逢えるわね? 楽しみだわ」

 

「待て、華蓮さん。俺は――」

 

「――ご飯も食べていきなさい。そろそろ私が作ったご飯、一度くらいは食べてくれてもいいんじゃない?」

 

「待ってくれ。予定があるんだ。その日は」

 

 

 聞く耳もたずに上機嫌そうに決定事項を言い渡してくる彼女に何とかそれだけを伝える。

 

 

「キミにしてはつまらない言い訳ね。いつもはもっと驚くようなことを言うのに」

 

「言い訳じゃない。先約があるんだ。重要な仕事だ」

 

「へぇ……? 誰に会うのかしら? 守秘義務が……なんて許さないわ。私を納得させてみなさい。出来なければその予定はキャンセルよ」

 

「……朝比奈さんだ」

 

「……女でしょ?」

 

「確かにそうだが、だが安心しろ。朝比奈さんは人妻だ」

 

「は?」

 

 

 スッと華蓮さんの表情が落ちる。

 

 

「待て。人妻と言っても人妻ヘルスの人妻だ。キミが考えているようなことじゃない」

 

「……驚いたわ。確かに私の考えているようなことをまた超えてきたわね。ていうかキミ、よくこの状況でそんなことが言えるわね。気に食わないわ」

 

 

 ドンと弥堂の胸を突き飛ばし踵を返すとソファーの方へ歩いていく。

 

 

 わかりやすく怒らせてしまったが、しかしこれならもう帰れるだろうと弥堂は密かにほくそ笑む。

 

 

「じゃあ、こっちに来なさい」

 

「……なんだと?」

 

 

 ソファーに座り直しこちらを厳しい眼差しで見る彼女の言葉を訝しむ。

 

 

「なによ。なにをビックリしてるのよ」

 

「明日は学校なんだ。俺はもう帰るぞ」

 

「どうしてこの流れで帰れると思ったのよ。私がビックリだわ」

 

 

 言葉どおりの態度で目を丸くする彼女が、自身の隣の座席スペースをポンポンと叩く。

 

 

「帰すわけないでしょ。前に教えたわよね? 他の女に気付かせない、女の痕跡の消し方。全然わかってないみたいだから補習よ」

 

「…………」

 

「ふふ……、長い夜になりそうね。せいぜい私の機嫌がよくなるよう、上手に相手をしなさい」

 

 

 楽し気に笑う彼女の目はしかし、全く譲る気のないような色で。

 

 

 どうやらこの夜はまだまだ終わりそうにないなと、一つ溜め息を吐いて自分を諦めさせソファーへ向かう。

 

 

 どうせ帰ったところで碌な眠りなど訪れはしないのだから。

 

 どうせ今日は明日に繋がることはなく、ただ今が連続していくだけだ。

 

 

 ならば、どうせ何処に居ようとも変わりはない。

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