俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章28 こちらはどちら、そちらはどちら ①

 

 ジィッ――とゆっくりファスナーが引き上げられる。

 

 

「じゃあ、また水曜日にね」

 

「あぁ……」

 

「あ、ちょっと待ってて」

 

 

 ジャージの上着のファスナーを半分ほどまで閉めたところで、何かを思いだした女はテーブルに置かれた自分のバッグを取りに行く。

 

 

「――はい、これ」

 

「なんだこれは」

 

 

 問いながら華蓮さんが差し出してきた物を受け取った弥堂は、手に持った瞬間に見当がつく。

 

 

 厚みのある封筒だ。

 

 

「必要ない」

 

「必要になった時に使って」

 

「自分で稼げてるから大丈夫だ」

 

「急に入用になることもあるでしょ。いいから……、ほら――」

 

 

 押し切るように言いながら、押し付けていたものを弥堂の手から取ると、上着の隙間に手を挿し入れ内側に仕込んだ小型のバッグに封筒を突っこむ。

 

 

「あのな、華蓮さん……」

 

「気にしないで」

 

 

 聞く耳をあえて持たないようにしてすぐに華蓮さんは弥堂のジャージを完全に閉じて、ポンポンと胸を叩く。

 

 

 何かにつけて他人から金を奪おうとする弥堂だったが、華蓮さんのような人からこのような形で金を渡されるのはとても苦手としていた。

 

 それとこれとにどんな違いがあるのかというと、『借り』になるからだ。

 

 

 元々敵対していた者や、無関係でこれから敵対しても構わないというような他人から、犯罪紛いや犯罪になる方法で金を奪っても何も思うところはない。

 

 しかし、そんな彼でも、敵対するつもりのない相手から温情や施しを受けると借りになってしまうため、それに居心地の悪さを感じてしまう。

 

 一般的な道徳や倫理からズレているのは間違いがないが、それでもその程度の人間性はまだ弥堂にもあった。

 

 

「ふふっ……、あとこれもあげる」

 

「……もう勘弁してくれ」

 

 

 嫌いな物を口に入れた子供のような表情をする――華蓮さんからはそう見える――弥堂に微笑みかけながら、彼女はハンドバッグの中から追加で物を取り出す。

 

 

「なんだこれは」

 

「ゴムよ」

 

「ゴム?」

 

「避妊具。コンドーム」

 

「あぁ、これが……こういう箱に入ってるのか」

 

 

 物珍しそうに手に持った箱を目線の高さにまで上げて視ると、光沢のある箱の素材が部屋の照明を明後日の方向へ跳ね返した。

 

 

「なんで見たことないのよ。もうその反応がキミがいかにカス男かを物語っているわね」

 

「なにを言っているのかよくわからないな。それより、これはなんだ?」

 

「だからゴムだって言ってるじゃない」

 

「そうじゃなくて、何故これを俺に?」

 

「あぁ、そういうことね」

 

 

 得心がいったと華蓮さんは一歩下がり、胸の下で腕を組むと諭すように切り出す。

 

 

「いい? いつも女の子の方が用意してて着けてくれるわけじゃないんだから、ちゃんとキミが常備してなさい」

 

「なんの話だ」

 

「真面目な話よ。男が用意してなくて無理矢理ナマでサレたってことばかり取り沙汰されるけど、そこに付け込んでくる女もいるからね?」

 

「付け込む? どういうことだ?」

 

「ワンチャン妊娠しちゃえばこの男を確保できるって、そう考える女もいるのよ」

 

「……それは怖いな」

 

「……お前覚えがあるな? 気に食わねぇ」

 

 

 ギロっと睨まれるも束の間、また元の表情に戻りレクチャーのようなものを続けられる。

 

 

「口調。アンタ一体なんの心配をしてるんだ?」

 

「んん、要は自衛のためよ。ナマでシたがるのはなにも男ばっかりじゃないから。キミがどれだけ他所で遊んできても私は構わないけれど、妊娠はマズイからね。キミ、子供抱えながら生きるのなんて出来ないでしょ?」

 

「……それは確かにそうだが、誤解がある。俺は別に女遊びなどしていないし、その予定もない」

 

「それでも急に入用になっちゃうこともあるでしょ」

 

「あるわけないだろ」

 

「いいえ。私にはわかるわ。特にそんなつもりもなかったのになんか気が付いたらそういう感じになってて、『あれ? 俺なんでこの女抱いてんだ?』ってなるのがキミよ。覚えがあるでしょ?」

 

「……ちょっとわからないな」

 

 

 極めて特殊な状況を想定した極端な質問をされたので弥堂は明確な回答は控えさせてもらった。

 

 

「キミが自分で持ち歩くのがイヤならギャル子に持たせておきなさいよ。言い訳が出来ないように追い込んでおくのよ」

 

「アンタどんな状況を想定してんだ。そういう相手じゃないと言ってるだろ」

 

「甘く見ちゃダメよ。若くても女の子の方がそのへんしっかりしてるなんて嘘よ。その日の気分で簡単に振り切れるし、運命の相手なんて何度でも現れるのよ」

 

「なにか身に覚えでもあるのか?」

 

「……ちょっとわからないわ」

 

 

 何か身につまされることでもあるのかと思って尋ねてみたが、何故か明確な回答は避けられた。

 

 

「とにかく持って帰りなさい。すぐナマでヤりたがる男はただのバカだけど、なにかにつけてナマでサせたがる女はマジでヤバイから」

 

「……わかったよ」

 

「……一応。これは本当に一応だけど、念のため。もしもデキちゃったりしても簡単に産んでいいなんて言うんじゃないわよ。地獄だからね。あと、ヤった後に急に半年くらい連絡断ってからある日突然母子手帳持って現れるマジモンのバケモノもいるからね? 油断しちゃダメ。絶対に絆されるんじゃないわよ。私が責任とるから連れてきなさい。費用はもつわ」

 

「わかったって言ってるだろ。ほら、受け取るよ」

 

「あと、女の方から出してきたゴムには穴が空いてないかちゃんと確認するのよ」

 

「もういいだろ。しつこいぞ」

 

 

 彼女が何を言っているのか弥堂にはよくわからなかったが、受け取らないと終わりそうになかったので渋々テカテカ光る箱を懐に収めた。

 

 

「その点ではマキちゃんは安心よ。ああ見えてめちゃくちゃ計算高いから決定的なリスクは侵さないわ」

 

「薦めてるのか咎めてるのかどっちなんだ」

 

「薦めてはないわよ。あのタイプはその代わりに、ある日『あ、今日からちゃんとしよう』ってなってスパッと遊び相手を全部切るわよ。のめりこんでたら地獄よ? 気を付けなさい」

 

「だからそんな予定はないと言ってるだろ」

 

「……キミって意外と押しに弱いっていうか、何度断っても相手がめげなかったら面倒だからって手出しそうなのよね……。それってウチの子がナメられてるみたいで気に食わないわ」

 

「……そのような事実はない」

 

 

 弥堂は若干目を逸らしながら強く否定した。

 

 

「……それなら、そうだな。今度代わりの男でもマキさんには紹介しておこう。マサルでいいか。男好きと女好きでちょうどいいだろ」

 

「……あの子はダメよ」

 

 

 顔なじみのどうしようもない男を生贄に捧げようと提案したが、華蓮さんはなにやら渋い表情だ。

 

 

「マサル君さ、昇格したって聞いた?」

 

「あぁ、さっき聞いた」

 

「あれね、上がれたのはスカウトで8人だか9人一気に入れたからなんだけど……」

 

「……そういえば言っていたな」

 

 

 先程マサル君からの申告と数字が合わなかったが弥堂は気付かないフリをしてやった。

 

 

「あれさ、多分ヤバイわ」

 

「やばい?」

 

「えぇ。最初の子が入店して数日経ってから違和感あって他の子も観察してみたんだけど、あれ、全員がマサル君と付き合ってるって思ってるわ」

 

「……そんな馬鹿な話があるのか?」

 

「あるわよ。別にちゃんと出来るんなら色管理してもいいと思うけど、あれはダメなパターンね。最近全員が薄々気付いてきたのか待機席の空気が地獄みたいになってるらしいわ」

 

「…………」

 

「私はあまり待機にいることないから関係ないっちゃ関係ないんだけど、あれは時間の問題ね。遠くない内にバレるわ。半分以上辞めるとかってなったら風紀の罰金だけじゃ済まないでしょうね」

 

「借金負わされた上に降格か。だが、複数の女性を騙すなどというのは非常に許しがたいことだ。その責任はとるべきだろう」

 

「…………」

 

 

 自分の入れ知恵から起こった事態であることを悟られるわけにはいかないので、弥堂は軽薄で無責任な男に対して義憤を燃やしてみたが、却ってそのことで何かを察したのか、呆れたような侮蔑したような目を華蓮さんに向けられた。

 

 

「……まぁ、私達には関係ないわね。関係ないけどもしもの時は私がなんとかしといてあげるわ」

 

「……関係ないが、頼んだ」

 

 

 暗黙でなにかを取り決めたのでこの話はもう終わったことになったので、話題を変える。

 

 

「……ところで、最近店や街の方で何かないか?」

 

「随分とざっくり聞いてくるわね」

 

「何もないならいいんだ」

 

「待って……、そうね。最近クスリのことでちょっと……」

 

「へぇ?」

 

「……これはまだ確定情報ではないわ。でもクスリの撒き方が前よりも強引になってきてるかもしれない」

 

「具体的には……?」

 

「……言ったでしょ? まだなにも確定してない――」

 

「――言えよ」

 

 

 目を背けながら話す彼女の言葉を遮り強く言いつけると、ビクっと一度肩を撥ねさせ、それから諦めた様に溜め息を吐く。

 

 

「……どのみちキミには遅かれ早かれ話はいくものね。いいわ。先週うちの女の子たちが営業終わりにホストに行ったのよ」

 

「それで?」

 

「そのうちの一人だけ他所に連れ込まれてマワされたわ」

 

「クスリは?」

 

「もちろん」

 

「同行していた他の女は?」

 

「普通に帰されてたわ」

 

「そうか」

 

 

 情報を整理しながら考える。

 

 

「その女は今?」

 

「症状が普通じゃないみたいで、皐月組の持ってる医者で預かってたんだけど……」

 

「惣十郎か?」

 

「……えぇ。惣十郎くんのところの人が来て預かるって」

 

「そうか。相手はハーヴェストか?」

 

「……そうね」

 

「わかった」

 

 

 いくつかの点が繋がる。

 

 街で情報を探ることも含めて街に出るように依頼されたが、主となる目的は弥堂を戦場に近い場所に配置することのようだった。

 

 

 本来であれば腕利きの情報屋であるチャンさんを使っているのなら、情報収集に弥堂を使う必要などない。

 

 チャンさんは今回の新種のクスリはまだ表にはあまり出ていないといった。

 

 惣十郎も電話ではまだ情報はほとんどないと言った。

 

 

 どうやらどいつもこいつも本当のことなど全部を話す気は全くないようだ。

 

 とても信頼など出来たものではない。

 

 

 しかし、それは当然だ。

 

 奴らは味方でもなければ仲間でもない。

 

 

 同時に、それでこそだと評価する。

 

 背中を預ける仲間としては全く信頼できないが、同じ標的を追う別働の戦力としてその性能は信用に値する。

 

 

 その上で自分が欲しいだけの成果を得ればいいだけのことだ。

 

 

「黒瀬さんは?」

 

「……とりあえずは被害者の子から情報とれるまでは様子見だって」

 

「だろうな」

 

「しばらくはあのグループの店には行かないようにって通達されたわ」

 

「客にも注意しろ。恐らく売人が侵入してくるぞ」

 

「……黒瀬さんもそう言ってたわ」

 

「今のところは?」

 

「多分、まだ大丈夫よ」

 

「そうか」

 

 

 ジッと彼女を視て、尋問でもするように尋ねていく。

 

 気の強い女でもあるし、ナワバリ意識も高い女だ。

 

 こんなナメたマネをされたら怒り狂うはずだが、彼女は冷静だ。

 

 それどころか――

 

 

「――ねぇ」

 

「なんだ」

 

「この件」

 

「もちろん俺も噛む」

 

「……私はそうして欲しくないと、思っているわ」

 

 

 それどころか、まるで怯えるように自身の露出した肩を抱きどこか不安そうな様子だ。

 

 

「らしくないな」

 

「これ、勘だけど、多分大きなハナシになるわ」

 

「だろうな」

 

「本当はもう用心棒なんてやらなくても生活できるでしょう? 私に気を遣って――」

 

「――それだけで俺が首を突っこむと思うか?」

 

「…………」

 

「この件は恐らくキミの目的にも繋がる」

 

「――っ⁉」

 

 

 彼女の身体が震える。

 

 怯え、不安、それ以外に怒り、悲しみ、喪失感、様々な感情がその身体を震わせる。

 

 それらは過去からくるものだ。

 

 

「……ねぇ、やっぱり――」

 

「――キミは俺を最大限利用すべきだ」

 

「そんなの……」

 

「もともとそのつもりで俺を拾ったんだろ? だったらそうするべきだ」

 

「それは――っ! だけど……、そうね、そうよ。でも今はもう……」

 

「どのみち、キミが手を退いたとしても関係ない。例え皐月組に手を退けと言われたとしても、俺は俺の目的の為にこの件には介入する。恐らく人が死ぬ。結構な数が。その中に特定の人物の死体がいくつか増えるだけのことだ」

 

「待って。だからってそれでもしも――」

 

「きちんと線を引け。キミの目的を達成するためなら避けては通れないだろう。あらゆる手段を使うべきだし、それが出来ないのならとっとと実家に帰って結婚でもして全部忘れてしまえ」

 

「そんな言い方……っ!」

 

「拾った野良犬が手元で死ぬか、野に帰した後にどこか知らない場所で野垂れ死ぬか、それだけの差だ」

 

「どうしてそんなことを言うの……っ!」

 

「何度も言っただろ。どのみちずっと一緒には歩けない」

 

「…………」

 

 

 彼女はこちらを見ない。

 

 泣き出しそうになると顔を見られたくないから目を合わせなくなる癖がある。

 

 

 だから近寄り踏み込んでその身体を抱く。

 

 腰を引き寄せ頬に手を当てこちらを向かせる。

 

 

「華蓮」

 

「聞きたくないわ……」

 

「新種のクスリだそうだ。売る相手を選んでいるらしい。だがその基準はわからない」

 

「今、そんなこと……」

 

「通常なら潜り込んだ売人が餌を撒いて売り子を繁殖させるんだろうが、どう出てくるかわからない」

 

「…………」

 

「いいか。調べようとするなよ。そういう気配を感じたら俺に報せろ。後は勝手にやる」

 

「……私の言うことは聞かない癖に、自分ばっかり――ぅむっ……⁉」

 

 

 不満を漏らすその口を言葉の途中で塞ぐ。

 

 

 唇で。

 

 

 彼女は抵抗の意思を見せる。

 

 力をこめて押し返そうとする。

 

 しかしそれは形ばかりで、しばらく唇を合わせていると諦めを示すように彼女は力を抜いた。

 

 

 唇を離すと恨めしそうな目を向けられる。

 

 

「……悪いことばっかり、上手なんだから」

 

「悪いな。頼む」

 

「……わかったわよ。今日はもう帰って。キミは明日学校でしょ」

 

「あぁ」

 

 

 用は済んだと一切の余韻も未練も見せずに弥堂は踵を返す。

 

 部屋の出口の扉に近づくと背後からそっと触れられる。

 

 

「……死なないでよ」

 

「運がよければな」

 

 

 スッと腕を前に回されて抱きしめられる。

 

 

「……ちゃんと帰ってきてね…………、いってらっしゃい……、ユキト……」

 

「……あぁ…………、姉さん」

 

 

 振り返らずに扉を閉めた。

 

 

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