4月20日 月曜日 午前8時27分。
所属する部活動である『サバイバル部』の朝練を終えた
とりとめもなく意味もない、ただ騒がしいだけの高校生とかいうガキどもが発する雑音を聞き流しながら、本日の授業で使う予定の教材を机に詰めている。
今日の朝練はいつもよりも早めに終わった。
自分たちが何の練習をしているのかということについては勿論本日もわからなかったが、今日の朝練は元々軽く流す予定になっていて、サバイバル部としての本日の活動の肝となるのは放課後であると通告されていたので特に問題はない。
ひとつ問題があるとしたら自分が何を軽く流したのかがわからないという点だが、弥堂にとってはそれはどうでもよかった。
兼ねてより議題にあがっていた『普通の高校生として平穏な日常を送っていた僕がある日突然魔法少女と出会った件』についての議論を、いよいよ本日から本格的に開始するとあって、本日の朝練では議題についてのレポートを作成し提出するよう求められていた。
それに関してはきちんと事前に準備をしてきていたので、問題なく提出することが出来たのだが、そのレポートを渡した相手である部長の
先週末に会議の延期を通達された際に彼は『どうしても決着をつけなければならない相手がいる』と言っていたので、恐らくその戦いにおいて負傷したものと思われる。
包帯について特に指摘をせず弥堂は無言で彼にレポートを渡した。
そうすると特に聞いてもいないのに、彼は『あ、これかい? いやぁ、近所の野良犬と決着をつけてさ? いやぁ、あれはすごい戦いだったなー』などと説明をしてきた。
恐らく『余計なことは訊くな』と、そういう意味であろうと弥堂は解釈した。
野良犬とは暗殺者のことで、部長にとっては野良犬を追い払う程度のことでしかない。だからこの程度の傷で騒ぐな、と。
きっと彼はそう言いたかったに違いない。
男と男の暗黙の了解を承諾しコクリと一度頷いただけで黙ってしまった弥堂の方へ、『あー痛い。いやー、痛いなー』などと言いながらチラチラと視線を遣ってきていたようにも感じられたが、彼はトレードマークである色の濃いサングラスを今日もかけていた為、その目線の動きは掴みづらい。きっと気のせいだろうと弥堂は無言で待機した。
骨折のギプスを自慢する小学生ではないのだ。その手のアピールであるはずがない。
そうすると、気持ち落ち込んだようにも見えなくもない彼はノソノソと弥堂が渡したレポートを広げ、ザっと確認をした。
上から下へ流し見て、「はて?」と首を傾げてから二度見して、「そんなバカな」とギョッとしたようにレポートと弥堂とを交互に見比べて絶句した彼はどこかドン引きしていたようにも見えたが、彼は顔面に包帯を巻き付けていたのでその表情は読みづらい、だからきっと気のせいだろう。
やがて何かと折り合いをつけたのか、沈痛そうな声音で「これは責任をもって預かる。続きは放課後に」と言い残して彼は部室を出て行ってしまった。
いつもであれば、そこから朝練終了時間まで一人で喋り続ける彼がそのような行動に出ることは珍しい。
よほど自身の作成したレポートが秀逸だったのだろうと弥堂は自らの仕事に一定の満足感を得て部室の戸締りをし、そして教室へと向かい現在に至る。
弥堂の思いつく限りの『魔法少女との向き合い方』はレポートに記して廻夜へ渡した。きっと放課後に彼は弥堂では思いつくことの出来ないような効率のいい『魔法少女の仕留め方』を教授してくれるに違いないと期待を胸に秘める。
そうしていると、パタパタパタっという間抜けな足音が廊下から近づいてきてガラガラガラっと教室の戸が開く。
どうやら魔法少女様のお出ましのようだ。
例によってレールの上を勢いよく滑った戸はいつものように跳ね返って戻ってくる。
しかし今日は少し結末が違った。
戸を開けた者が入室する前に閉まろうとしていた戸は水無瀬さんのお手てによってハシッと摑まえられる。
彼女は首尾よくキャッチできたその戸を一度ジッと見てから「うんうん」と頷き、そして今度はカラカラカラとゆっくりと開ける。
そして教室に入りパタンと丁寧にとを閉めると何事もなかったかのように振り返って大きく手と声をあげる。
「みんなぁ、おはようっ!」
「おはよう、愛苗ちゃんっ」
「愛苗っちはろぉー!」
「おはよう水無瀬さん」
「おはよう!」
「おはよおおおぉっ‼」
「うおおぉぉぉぉっ‼ 水無瀬さああんうおおおおぉぉっ‼‼」
「おはよー! 愛苗」
「おはよう」
「……おはよう。水無瀬さん」
「……おはよう……」
「おはよう、愛苗ちゃん」
「おっ、おはよう、水無瀬さん」
「おはよう」
「うーっす」
「おはよー」
「やぁ、水無瀬くん!」
「けほっ、けほっ……おはよぅ……」
水無瀬の声に応えて挨拶の声が連鎖していく。
しかし――
「…………」
弥堂は違和感を覚える。
だが、すぐに「あぁ、そうか」と納得をする。
いつもよりも挨拶の声が少ないと思ったがそれも当然だ。
今日よりしばらく『紅月ハーレム』という
その中には停学中の
登校してきた
この教室では定番となっている朝の光景だが、水無瀬へ返る声が少ないのはそのためだろう。
しかし、そうだとしても――と、気に掛かることがあったのだが、それとは別の思考が浮かんでしまい、今しがたの気付きが上書きされ頭の奥に押しやられる。
その別の思考とは、主に2点。
『紅月ハーレム』と呼称しているのに何故その主である
もう1点は、希咲のことを思い出したせいで本日実行するようにと彼女と交わした約束を思い出してしまったことだ。
昨夜にedgeでメッセージでの対決を彼女としていたのだが、最終的に彼女に暴言をぶつけてそのまま電源を切り弥堂的には勝ち逃げをしたつもりだった。
しかし今朝起きてスマホの電源を立ち上げてみたら、充電が数%一気に減る程の大量の未着信メッセージがまとめて届き、流石の弥堂もゾッとした。
彼女との約束を反故にしたら、あれを超えるような爆撃をされる恐れがあるので、いくらなんでもそれはキツイなと、弥堂は希咲との約束の優先度を上げることにする。
机の天板に両手をついて上体を残したまま先に腰を上げる。
自然と前傾姿勢になったその一瞬に教室左後方の席が視界に映る。
そこに居るのは二名の女生徒。
教室左最後方の席にその席の主である出席番号最後尾26番の結音が座り、その脇に寝室が立っている。
寝室の席は結音の右隣の男子のさらに隣の席を割り振られているから、現在はそこまで出張ってきている形だ。
この二人はよく連るんでいるようで、黒ギャルの樹里と白ギャルの香奈で白黒ギャルコンビだのジュリカナだのの呼称で通っているようだ。
ガラの悪い男子生徒のグループのいくつかと関係があると弥堂の元にも情報が入っている。
その白黒ギャルは他には目を向けずに談笑している。
「…………」
一瞬だけ白黒ギャルを視て、しかし今の弥堂にはここにはいないメンヘラギャルの方が優先度が高かったのでジュリカナから目線を切り、彼女らの対角線上の教室右前方にある出入口へ歩く。
そうは時間はかからずに、仲の良い者に一頻り手を振ってからいつものようにモタモタと進行ルートを探す水無瀬の前に着いた。
保護者が不在中のクラスのマスコット女子に、クラスの危険人物が徐に近寄ったことで、教室中に俄かに緊張感が伝播していく。
ひそひそと話される警戒感を含んだ生徒たちの声をバックグラウンドに当の水無瀬さんは「あっ!」と弥堂に気付いたことで嬉しげな顔をすると、
「弥堂くん、おはよーっ!」
学園中の嫌われ者にも分け隔てなく元気いっぱいの朝の挨拶をした。
その挨拶の声を境に教室中の声がピタリと止む。
多くの者が警戒し緊張しながら二人の様子を見守る。
二人に近い位置に座る不良の鮫島くんが腰を僅かに椅子から浮かせた。もしも何かが起こりそうなら弥堂を止めるために飛び出していくつもりのようだ。
何やら教室の空気が変わったことを感じとった水無瀬が不思議そうに首を傾げる姿を弥堂は眼に写しながら、心中では別の女の姿を映す。
『なぁに? あんたそんなカンタンなこともできないわけ? クスクス、なっさけなぁーい』
やけに高飛車な仕草で口元に手を添え嘲笑う希咲 七海の姿を幻視する。
実際には彼女はそんなことを言っていない。近しいことは言っていたが事実ではない。
これは記憶に記録された彼女の映像ではなく、弥堂の印象から生み出された幻像だ。
なので、ただの思い込みなのだが、人は往々にして自身の感情や印象を起因として相手の人物像や真意を勝手に作り出してしまうものだ。それを被害妄想と呼ぶこともある。
しかし、これは自分が悪いのではなく、『世界』が人間をそうデザインしている以上そう思ってしまうことは仕方がないので、つまりそうデザインされている人間にそう思わせてしまうような、弥堂にそのような印象を与えてしまうような希咲の言動が悪いのだ。
弥堂はそのような言い訳を思いつき、そういうことにした。
希咲への反骨心を胸に滾らせ、水無瀬に向きあう。
「おはよう、水無瀬」
教室が俄かに騒めく。
普段目の前で挨拶されても頑なに無視をしている男が、今日に限ってわざわざ席を立って教室の入り口まで出向き自発的に挨拶を行うなど、一体どういった風の吹き回しだと、多くの生徒が疑心暗鬼になる。
「うん、おはよーっ。えへへ、ありがとう」
水無瀬さんだけは何も疑問を抱かず嬉しそうに再び挨拶を返し、何故か礼まで言う。
弥堂はそんな彼女の唇を視て、続けて胸をよく視る。
数名の女子から軽蔑の眼差しが飛んだ。
水無瀬の呼吸に乱れは視られず、胸の動きからも息切れをしている様子はない。
今日も走ってきたように思えたが、体力的な疲弊はないようだ。
少し当てが外れたなと思いつつ、しかしそれでもやることは変わらない。
「あ、弥堂くんもしかしておトイレ? ごめんね、塞いじゃって……」
「いや、気にしないでいい。ションベンじゃない」
慌てて道を譲ろうとする彼女に断りを入れて弥堂は無造作に近づく。
「今日も学校に来れて偉いな。さぁ、荷物をこちらに」
「へ?」
何を言われたのか理解が追い付いてない彼女が呆けている隙に彼女の手からスクールバッグをやんわりと抜き取る。
誰もがポカーンとする中ですぐに次の行動に移る。
彼女から取り上げたバッグの持ち手を腕に通すと、そのまま一息に水無瀬を横抱きにして抱え上げた。
『えぇぇぇぇぇーーーーっ⁉』
2年B組の生徒さん達はびっくり仰天する。
こうしてみんなの今週の学園生活は、開幕お姫様抱っこという凶行によってスタートを切った。