入室してドアを閉める。
温度の感じられない硬質な瞳に、机の上で踏ん反り返っている女児を写した。
そして踵を揃えて腰を折る。
「お疲れ様です。遅くなって申し訳ありません、委員長閣下」
弥堂は社会人として上司に尽くすべき礼を以て、10歳の女の子に頭を下げてご挨拶した。
「うむっ。許そうっ」
金髪ロリは鷹揚に頷く。
すると、彼女の脇に控えていた男がスッと近づく。
「委員長」
「む、なんだ? そーじゅーろー」
「『ノコノコと』はあまり良い意味の言葉ではありません。主に相手を馬鹿にする時に使われます」
「えっ⁉ そ、そうなのか……? ご、ごめんな? びとぅー……、ノエル知らなかったんだ……」
「いえ、構いません。それよりも、ちゃんとゴメンなさいが言えて偉いですね。さ、これを……」
眉をふにゃっとさせる女児に弥堂は怒っていない旨を伝えつつ彼女に近寄る。
そして淀みのない動作で、自身の立身出世に関わる人事考課に絶大な権限を持つ者のちっちゃなお手てに、さりげなく飴玉を1つ握らせた。
「お? くれるのか? いつもありがとうな、びとぅーっ!」
「いいんですよ。こちらこそ委員長殿にはいつもお世話になっています。そんなことより、ちゃんとありがとうが言えて偉いですね。さ、もう一つ……」
「やったぁー! そーじゅーろー、そーじゅーろー! びとぅーがキャンディくれた!」
「それはよかったですね。これも委員長がいいこだからですよ」
「たべてもいいかー?」
「残念ですが、間もなく会議が始まります。おやつはそれが終わってからです」
「えっ……? そっか、そうだよな……。ふたつ貰ったから、一個そーじゅーろーにあげて一緒にたべたかったのに……」
シュンと肩を落とす児童の姿に、『そーじゅーろー』と呼ばれた男はキュンと胸を打たれる。
「……いいですよ。うっかり忘れてましたが、今日は委員長が10歳になってから半年ちょっと経った記念日でした。ハフバのボーナスです」
「えっ? ホントか⁉ やったぁー。そーじゅーろー、袋あけてたべさせてーっ!」
「は、はい……」
男は手の震えを抑えながら覚束ない手つきで包みを開ける。
中身の飴玉に直接素手で触れ、指で摘まんで取り出す。
そしてそれを内視鏡を通すような慎重さで、女児の唇に近づけていった。
「ぁむっ」
決して彼女の唇に触れぬよう素早く指を離し、首尾よく咥内へと送り込んだ。
彼女はもごもごと機嫌よく頬を膨らませながら、ちっちゃなお指を器用に使ってもうひとつの包みをピリリっと開ける。
「はいっ。そーじゅーろーにはノエルがたべさせてやるな?」
「……ありがとうございます」
男は緊張感を滲ませた表情で己の口を操作し、決して自分の体細胞が彼女に触れてしまうことのないように飴玉を頂戴した。
どうにか成功させ、ホッとしながらコロコロと口の中で転がす。
ノエルたんはニッコリした。
男もニッコリだ。
弥堂は当然ニッコリしなかったが、周囲の他の者もニッコリした。
すると、バンッ! と机を強く叩かれ大きな音が鳴る。
全員が咄嗟に音源の方を向くと、そこには一人の女生徒だ。
机の上に両手を置いて腰を突き上げながら顔を俯けプルプルと震えている。
「いい加減にして下さいっ!」
バッと顔を上げると同時に、彼女は几帳面に揃えられた前髪の下の眦が厳しく吊り上げた。
「私たちは委員会の活動をする為に集まっているんですよっ! 会議の開始時間だってとっくに過ぎています!」
怒鳴りつけられ他の風紀委員たちは怯えたように顔を逸らし居心地悪そうにした。
「筧っ! アナタ書記でしょっ! しっかりしなさいよ! 大体アナタは委員長を甘やかしすぎなのよっ!」
ビシっと指差されたのは、先程幼女を餌付けしていた男だ。
細身の坊ちゃん刈りをした優男であり、この風紀委員会で書記を務める二年生男子である。
そして風紀委員長の忠実なるイエスマンだ。
「やれやれ……、あまり大きな声を出さないでくださいよ、五清さん。ノエたんがビックリしてしまうでしょう……?」
筧に野暮ったい黒縁眼鏡の奥から冷ややかな目線を投げ返されたのは
綺麗に切り揃えられた黒髪のおかっぱ頭と吊り目気味の瞼。その中にある理知的な色が過ぎる瞳の色からは、几帳面さと神経質さも伺える。
彼女は筧の言葉に眉を歪め嫌悪感を露わにした。
「なにがノエたんよ……。気持ち悪い……」
「あー。いーけないんだ、いけないんだー! 委員長っ、五清さんが気持ち悪いとか言いましたぁー。ノエたんはノエたんなのにぃ。ひどいなぁー。ね? 委員長?」
筧は小物っぽく音頭をとりながら、この場で一番役職が高い女児に擦り寄る。
すると、年上のお兄さんに頼られた女児は「フンス」と力強く鼻息を吹いた。
「ワタシが風紀委員会委員長、豪田 ノエルであるっ!」
バンっと力強く片手を翳して宣言すると、周囲からワッと拍手と歓声が湧く。
しかし、委員たちは五清さんにギロリと睨みつけられるとすぐにオドオドと大人しくなった。
五清さんはその勢いのまま今しがた名乗りをあげた委員長にも喰ってかかろうとし、寸でで口を閉じる。
非常にやり辛そうな顔をして口をもごもごさせ、彼女の姿を見る。
豪田 ノエル。
私立美景台学園高等学校の女子制服を身に纏った、見た目は10歳、中身も10歳、生まれてたった10年の正真正銘のリアルロリJKだ。
彼女はイギリス生まれで日本へは海外留学という扱いで滞在している。日本とイギリスの二か国を以て支援をするレベルの天才児童様であり、そしてイギリスにある彼女のご実家は現代において爵位を冠するお貴族様である。
彼女の実家と、この美景台学園の理事長とは家同士の親交が古くからあるらしく、やんごとなきご実家の、のっぴきならぬ事情から、ノエルの安全な成長と研究の為に学園でお預かりしているようだ。豪田は日本での仮の保護者の姓で、便宜上名乗っているだけで本名は別の高貴で崇高なお名前がある。
さらに彼女の存在をややこしくしているのが、彼女は高校生ではなく大学生だということだ。
正式には美景台学園の理事長が他に経営している美景台大学の生徒ということになっており、しかし彼女の情操教育のために少しでも歳の近い者たちと過ごさせようとのご配慮から、高等学校の方の校舎で過ごすようになっている。
普段の言動からはとてもそうは見えないが、彼女はちょっと次元の違うレベルの天才のようで、大学に行っても彼女に何かを教えられる者は存在しないので、研究さえ出来れば何処でも構わないと高校校舎の方に専用の研究室が設置されているのだ。
そんな俗世に関わる必要のない彼女が、何故風紀委員会の委員長などをやっているかというと、それには理由がある。
3年ほどをこの学校で過ごすうちに、特に必要もないのに身を持ち崩すような悪さを軽率に行ったり、しょうもない理由で簡単に醜く争ったりする、そんな知能の低いお兄さんやお姉さんたちを哀れみ、ここは天才の自分がなんとかしてあげなきゃと、昨年より風紀委員長にノエルは立候補をしたのだ。
自分たちの雇い主が大変懇意にされているお客様から大事にお預かりしているお天才のお貴族様がやりたいと仰っているので、何よりも自身のキャリアが大切な教師たちが忖度をし、その結果見事ご当選あそばされたのだった。
そういった経緯で、五清が風紀委員会に入ったのと同時期にノエルが委員長として君臨した。
五清は年下の上級生、幼い上司という漫画でしか見たことのないような存在との接し方に、風紀委員として1年間活動した今でもその関係性を持て余していた。
子供だから悪いというわけではない。
子供でもやることをやってくれるのなら何も問題はない。
しかし、この世紀の大天才という触れ込みの女児は、見た目だけではなくその振る舞いの一切も、全てが子供のそれだ。委員長としてそれでは非常に困る。しかし見た目が子供なので強くは言いづらい。だが業務に支障は出ている。そんな現実に大きなストレスを感じていた。
だが、ここまでは譲ってもいい。百歩では足りないが、ここまではギリギリ許容を出来る。
五清 潔が何よりも許せないのは――
「さ、委員長。おっきな声を出したから喉のケアをしましょう。ハチミツのど飴です」
「委員長殿。水分も補給した方がいい。このオレンジジュースを」
――この幼き君主に擦り寄り堕落させ暗愚とし、甘い蜜を啜ろうとする奸臣どもだ。
こいつらが最もこの風紀委員会にいてはいけない存在だと、彼女の正義感を強く刺激するのだ。
別に天才児が期待外れでもそれを責めようとは思わない。
しかし、こいつらのせいでお子様委員長が日に日にアホの子になっていっている気がする。間違いないと五清は考えていた。
「……筧。アナタ、委員長を甘やかしすぎよ……」
「そうでしょうか? 僕はそうは思いませんが」
「学園内でのお菓子の飲食は禁止でしょ? 風紀委員が率先して破ってどうするのよ……っ!」
「確かに校則ではそうなっているかもしれません。でも、委員長はまだ小さいんですよ? どうしてそんなヒドイことを言うんです?」
「だったら……っ! そもそも風紀委員長なんて責任のあるポストに就くべきじゃ――」
「――そーじゅーろー? ノエルちっちゃくないぞ? もう一人前のレディだからな?」
「えぇ、えぇ。そのとおりです。ノエたんは立派なレディですとも。だから風紀委員長の仕事だって立派に出来ますもんね?」
「おぉ! 任しとくのだ! ノエルは天才だからな!」
「さすがです! 委員長っ!」
「ぐっ……!」
再び周囲から拍手が鳴ると五清は悔し気に唇を噛む。
この1年間で筧のせいで他の委員まですっかりと絆されてしまい、風紀委員会全体がこのような空気感になってしまった。
この男はこうやって只管にノエル委員長を甘やかし、全肯定し、さらに調子にのせてしまうのだ。そして雑事は自分がやっておきますと言い、実質的に委員会を主導している。
ただ、その先の結果、彼自身が何を狙っているのかはまるでわからない。だが最大限の警戒は必要だ。
そしてもう一人。
最も排除しなければならない男がいる。
五清はギンッと鋭い眼差しを弥堂へ向けた。
この男が一番の害悪だ。
風紀委員の名を振り翳して、学園内外で横暴に振舞い無茶苦茶な理屈を押し通して私腹を肥やす。
こいつのせいで風紀委員会は圧政を布く国の独裁者の私兵のようなイメージになってしまった。
こいつは間違いなく風紀委員会によって取り締まられる側の人間なのだ。
「……弥堂」
「なんだ」
「委員長は許すって言っていたけど、時間はちゃんと守って。アナタ一人を待つために全体が遅れているのよ。今後は気を付けて」
「わかった。伝えておこう」
「……? 伝えて、おく……?」
「あぁ。俺が遅れたのは生徒会長閣下の用事のためだ。今後二度と繰り返すなと、会長閣下に五清がそう文句を言っていたと責任をもって伝えておこう」
「ぐっ……、ぐぐぐ……っ!」
弥堂はこの場にいる誰よりも社会的立場の高い者の名前を出して、己への責任の追及を逃れた。
五清さんは目を血走らせるほどに悔しがる。
「……フン、ババアが」
「はぁっ⁉」
筧がボソッと漏らした呟きを聞き咎め今度はそちらを睨みつけるが、筧は取り合わない。
「さぁ、みんな。会議を始めましょう。ね? 委員長?」
「うむ。今週もがんばって学園を守るのだ! よりよき学園生活のために!」
『よりよき学園生活のために!』
ノエルの言葉を他の委員たちが復唱する。
どこか狂信的にも感じられる光景に五清は身震いをした。
筧の作り出した雰囲気にすっかりと他の委員も迎合してしまい、もはや風紀委員会の中にまともな常識を持った人間は自分しかいないのではと、激しい疲労を覚える。
げんなりとしている五清を他所に委員たちはぞれぞれの席へと座っていく。
頭を振って気を取り直し、五清も自席へと向かう。
今日の会議で追及しなければならないことは何点かある。
自分がしっかりしなければこの学園はクズどもに滅茶苦茶にされると使命感を燃やし、彼女は会議へと臨んでいく。