『絶対に許さない』
目の前の生徒は、白井というその女子は
希咲はその言葉に困惑と、そして少なくないショックを受けていた。
揉め事などには不本意なことに場馴れしてはいるので、ガラの悪い者、気性の荒い者から罵詈雑言や卑猥な言葉を投げかけられることにはある種の耐性のようなものは出来ていた。
しかし、今目の前に居るような所謂普通の生徒。それもこの白井という子のように大人しそうで真面目そうな女の子からそのような攻撃的な言葉をぶつけられたことは、記憶にある限り今まで一度足りとてない。希咲にとっても初めての出来事であった。
そしてまた、このような子に『許さない』などと。そこまで強い言葉を言わせてしまうような恨みを、そんな傷をつけてしまうようなことをした覚えもまったく持ち合わせておらず、相まってショックを受けてしまった。
先程までのように、厭味ったらしい法廷院を相手にしていた時のように、売り言葉に買い言葉で強い言葉を投げ返すわけにはいかない。もしも自分が意図せぬところで、目の前のこの女の子を傷つけてしまっていたのならば、ちゃんと話を聞いてあげて謝らなければならない。
七海ちゃんは基本的にやさしくていいこだった。
慎重に言葉を選びながらヒアリングをする。
「えっと、あの……白井さん、だっけ? 初めまして――よね? あたしたち。その……あたし、あなたに何かしちゃったかな……?」
「ふん、お高くとまりやがって白ギャル風情が。私のことなんて視界の端にも留まったことがないって言いたいの? 見下してくれるじゃない」
「あ、あれ?」
白井さんは見かけによらず随分と攻撃性の高い女子だった。
「さっきも自然と私を数から省いてくれちゃって、なに? 男しか見えないわけ? さすが年中発情してるメス猿は違うわね。オスと見れば見境なく媚売りやがってこのヤリ〇ンが」
「そっそそそそそそそぉんなつもりじゃなかったんだけどぉ~っ、ふっふ不快にさせちゃったみたいでぇ~っ、ごっごめんなさいねぇ~っ……あとぉっ、ちょぉ~~っとあたしのことぉ誤解してると思うなぁ~っっ」
とんでもなく不名誉な暴言を投げかけられたが、もしかしたら本来大人しくてとてもいい子な白井さんに、こんな汚い言葉を吐かせる程の、それ程までに怒り狂ってしまう程の何かを自分がしてしまったのかもしれない――そんな可能性がまだわずかに微粒子レベルで存在しているかもしれないことを考慮して、希咲は激しく口の端をピクピクさせながらもどうにか自制することに成功した。
七海ちゃんは基本的にがまん強くて思慮深いいいこだった。
「そうだぜぇ。無視したつもりなんてなくても気が付かれなかったってのは、とぉっても傷つくんだぁ。それって『ひどいこと』だと思わないかい? だってそうだろぉ? 地味でブスなのが悪いだなんてそんなの――「代表」――え?」
すかさず便乗して煽りにきた法廷院だったがその言葉は最後まで言うことは出来なかった。彼が援護をしようとした仲間である白井さんその人に言葉を切られたのである。
白井はじっと法廷院を見る。まばたきもせずじっと。
「私、ブスではありません。ほんのちょっと地味めなだけです」
「あ、はい」
「認めましたね? 謝ってください」
「す、すみません……」
目がマジだった。
「あと、うるさいから黙っててもらえますか? 代表、話長いんですよ。長いわりに中身なくて全然進まないし」
「あ、はい」
「認めましたね? 謝ってください」
「ご、ごめんなさい……」
法廷院はしょんぼりして黙った。背後の高杉が労わるように彼の肩に手を乗せると、法廷院はそっと高杉の手に自分の手を重ねた。
(きも)
男二人の仲睦まじい光景を見た希咲はそう思ったが、白井さんの言う通り彼の話は長いので、迂闊にそんなことを口にしてはまたどんな難癖を鬼の首をとったかのように嬉々として喚かれるかわからない。努めて飲み込んだ。
瞬殺で法廷院をヘコませた白井は振り返ると再び希咲へと言葉を向ける。
「ふん、誤解なんてしていないわ。見たまんまでしょ? 男の目を惹きたいからそんなに派手に着飾って目立つんでしょうが」
「別にそんなつもりもないし、あたしそんなに飾ってもいないけど」
「へぇ、そんなにがっつり目作っておいてよく言うわね。どんだけ盛ってるのよ」
「や、あたしアイライナーしか入れてないけど」
「はぁ? よくもそんなわかりやすい嘘を」
「ほんとだってば。ほら」
言いながら希咲は白井に近づき、少し屈むと指で瞼を抑えて彼女に見やすく顔を向ける。
「わ、ほんとだ。うそでしょ。これまつげも全部自前? はぁ~生え方きれー」
「うん。アイラインだけ引いてあとはグロス使うくらい」
「やだ。二重並行型じゃんしかもすごいキレイだし。いいなぁ私めっちゃ一重だし」
「え、でもでも、一重の方が色んなパターンのメイクできるし、あたしちょっと羨ましいなぁ。白井さん瞼腫れぼったいわけじゃないから、少しライン入れるだけで全然目大きくできるよ」
「え? ほんとに? 」
「ほんとほんと。下手にあいぷちとかまつエクするより全然自然にキレイに出来るわよ。あれ失敗するとすっごいのっけてる感するからあたしあんま好きじゃないし」
「えー、うそだー」
「マジよマジ。白井さんの目なら目尻の方に少し長めにライン引いてそのあとで指とか出来れば綿棒使ってぼかすの。シャドウなしで自然に目大きく見えるから」
「マジぃ? 帰ったらちょっと練習してみようかしら」
「やってみなよー。絶対かわいくなるって。使う色だけ自然になるように気を付ければわりと簡単よ」
「ほんと? ありがとー。ねぇねぇ、希咲のこれってカラコン?」
「ん、そうよー。色は派手じゃないから気が付かれにくいけどね、瞳のね輪郭強調出来るやつで。これだけでけっこう目力アップよ」
「へぇ。そうなんだー。私もやってみようかなぁ。先生とか大丈夫?」
「だいじょぶだいじょぶ、おじさん先生とか絶対わかりゃしないから」
「はぁ。でも色々選ぶのも大変そうね」
「あ、なんだったらあたしお買い物着いてってあげるわよ? アイライナー選ぶのとかも手伝ったげる」
「え? うそいいのー?」
「全然いいわよそれくらい。んー、でもあたしバイトしてるから予定合えばいいんだけど……あ、ねぇedgeやってるよね? ID交換しよー」
「やってるー、するするー」
「ちっと待ってねぇ今スマホだす――「ね、ねぇキミたち?」――あん?」
突如始まった怒涛の女子トークに恐る恐るといった感じで法廷院が口を挟んだ。女子二人に「何よ? 邪魔しないでよ」的な視線を向けられ彼は怯んだ。
「あ、あのさ。邪魔して申し訳ない。だけどどうしてもね、ちょっと、その……」
「なんですか代表。言いたいことがあるなら必要なことだけさっさと言ってください。そして黙ってください」
「そういう空気読めないとこがダメって言ってんのよ、こりゃモテないわ」
「んんっきっつ。じゃ、じゃああのね手短に。……いや、キミらね。これから勝負だ! って感じの空気だったじゃん? え? これボクが空気読み違えてるわけじゃないよね? んでさ、こうして争いになった事情とか一切明かすこともなくすごい速さで仲良くなってるけどさ、ちょおぉっと超次元すぎやしないかなぁってさ……そ、そうだよねぇ?」
少し前までの姿が嘘だったかのように自信なさげに同意を求める法廷院の言葉に、白井さんはハッとなるとドンっと希咲を突き飛ばし慌ててバッと距離をとった。
「お、おのれ、狡猾なメス猫め……あやうく騙されるとこだったわ」
「えぇぇ……」
突き飛ばされた希咲は危なげなくバランスを取り戻すと、ちょっと残念そうにスマホをカーディガンのポッケに仕舞い、スマホに付けたキャラクターストラップだけ見えるように外に出した。なかよしのネコさんとタヌキさんがぷらんぷらん揺れる。
「そうやって人に取入って今の地位を築いたのね。なんて恐ろしい女なの……」
「えー、お買い物いこーよー」
あざとく指を咥えながらちょっとだけうるうるさせた目を向けてくる希咲に、白井さんは「くっ……かわいいっ」と一瞬慄くが、すぐに頭を振りキッと眦を上げる。
「それはありえないわね。私はね、希咲 七海。あなたのせいで地獄を見たのよ……いえ、今も地獄にいるのっ!」
今の仕草を自分じゃなくて愛苗がやったら多分墜とせたなーなどと思いつつ、希咲もスッと表情を切り替え白井に向き直った。
「ごめんなさい、よくわからないわ。あたしが白井さんに何かしちゃったってんならちゃんと謝るから、だから聞かせてくれる?」
「いいご身分ね。そうやってあなたが、あなた達ギャルが好き勝手に振舞ってるせいで、その陰で、どれだけ私たちのようにほんのちょっと地味めなだけで、真面目に学生してる罪もない清楚で可憐な女子生徒たちが迷惑をしていると思うの⁉ 私たちがどれだけ涙を飲んだか想像すらしたことないでしょう!」
「……ごめんなさい、それ、どういうこと? 本当にわからないの……だから許される、だなんて思ってないわ。お願い。訊かせて……」
やたらと白井さんの自己採点が高そうな部分が気にはなったが、頑張ってそこには目を瞑り希咲は神妙に問う。どんなことがあったのか皆目見当がつかなかったが、切実な表情で訴えられる悲痛な白井の叫びに胸が不安で騒めく。
希咲自身には他の一般生徒の迷惑になるような行為をした覚えは全くない。しかし、これだけ顔色を変えて訴えかけてきているのだ。自らの与り知らぬところでもしも彼女を傷つけてしまったのならば――それを知るのは怖い。嫌な予感に胸が締め付けられる。しかし、訊かないわけにはいかない。知らなかったから、悪気がなかったから、なんてことは言い訳にはならない――免罪符にはならないのだ。
「――ねぇ、希咲さん。女子生徒の下着に関する校則――知ってるかしら?」
「下着の校則? そんなの決まってなかった気がするけど……ごめんなさい、詳細は把握してないわ」
「ふん。呑気なものね。まぁいいわ――代表、彼女に教えてあげてください」
「えっ? それボクが言うの?」
自分に振られるとは思っていなかったのだろう、突如センシティブな話題に関して言及するよう要請され、完全に油断していた法廷院はギョッとした。
白井はじっと法廷院を見た。まばたきもせずじっと。
「――わ、わかったよぉ……えぇと、そうだね。校則にはこうある。『女子生徒の下着の色は白』ってね。やれやれまったくだよぉ。今時の世界基準から考えたら時代錯誤もはなは――「あ、もう結構です。黙ってください」――あ、はい」
法廷院は指示通りに口を閉ざすとしょんぼりとした。慰めるように高杉の手が彼の肩にそっと添えられ、法廷院はその高杉の手に頬を寄せた。
「補足すると正確には、『女子生徒の下着は白色が望ましく、またその形状・模様なども現代日本社会的な通念に基づき高校生としてふさわしいと思えるもの』と記載されているわ」
「そ、そうなんだ……でもそれが何か――」
希咲はお互いの体温で痛みを和らげ合う男たちは極力見えないフリをしつつ、その真意を問う。
「――そうね、これだけなら別に何も問題ないわ。代表は何か難癖つけようとしてたけど、この文章を要約すると『別にやりすぎなければ何でもいいよ』ってことだもの。比較的校則のゆるいこの学園らしい校則だわ」
「じゃあ、それが――」
「――教頭よ」
「え?」
「三田村教頭先生。あの無駄にプライドの高い行き遅れのクソババアよ。あなたも自分が通う学校の教頭くらい知ってるでしょう?」
「えっ⁉ あーー……うーん、お名前とお顔はもちろん知ってるけど、その……それ以外の部分についてはどうかなぁ~……ちょっとわからないかなぁ~……」
希咲さんは明言をすることを避けた。
「ふん、賢しいことね、まぁいいわ」
「えっと、ごめん。また話が見えなくなってきたんだけど、その、下着の校則と教頭とあたしが一体……」
希咲が慎重に詳細な説明を求めると、白井さんはスッと表情を落とし遠い目をして虚空を見上げ語りだした。
「そうね――あれは半年ほど前の秋の頃だったわ……」
「あ、はい」
ふと周りを見ると手持無沙汰になった男子たちはそれぞれスマホを弄りだしていた。希咲はわずかながら現状に不満を感じたが、白井さんの気に障らぬようさりげなく室内シューズのつま先で床をグリグリすることで気を紛らわせた。
「――去年の秋のある日。朝起きた時にね、珍しくとても気分がよかったの。私寝起きが悪くてね、朝はいつも最低な気分なことが多いんだけれど、何故かその日はさわやかに一日を迎えられたの。だからね……ちょっといつもと違うことがしたかったのかしら、私は黒のTバックを穿いて家を出たの。ローライズのね」
「は? あ、いや……続きをどうぞ……」
思わず声を出してしまった希咲だったが白井さんがじっとこちらを見てきたので、彼女に謝意を示し続きを促した。
「――何で黒のローライズTバックを? って聞かれても答えられないわ。そういう気分だったとしか説明できないわね。それは許してちょうだい。もともとはね、私服でパンツ穿く時に透けたり下着のラインが出たりしないようにする為に購入した商品でね、学校に穿いて行こうだなんて思ってもいなかったし、穿いて来たこともなかったわ。ただの実用品よ。だからね、魔が差したってわけでもなく、起きたらたまたま気分がよかったから何となく思い付きで穿いてみた。それだけのことなの……でもそれは大きな過ちでそして、悲劇の始まりだっ――ちょっと? 聞いているの?」
「は、はいっ。ごめんなさいっ」
そーっと自分もカーディガンのポッケからスマホを取り出そうとしていた希咲であったが、目敏くそれを見咎められ注意をされた。希咲は泣く泣く両手を身体の前で組んで清聴する姿勢を白井さんへとアピールした。
「それでね、登校中に風でスカートが捲れてしまってとかそういう話じゃないの。そんなとるに足らない出来事ではないわ……学校には無事に何事もなく着いたの。私はね、いつも決まった時間に登校をしていてね。特別な用事などがない限りは必ず毎日同じ時間に。別に潔癖なほど規則正しい生活をしなければ気が済まないとか、そういう性格ではないわ。目に余るほどのだらしなさは嫌いだけれどね」
「そーですか」
「登校時間だけ。これだけは必ず同じ時間に到着するように決めて実行しているの。何故だと思う?」
「いや、ちょっとわかんないっすね」
「ふふふ、そうよね。これだけじゃわからないわよね」
「そっすね」
希咲さんの集中力はとっくにゼロになっていた。ふと見ると、希咲を取り囲んで散っていた男子たちも法廷院の周りに集まり、男子4人で何やら仲良くスマホゲーをしているようだった。彼らの集中力もとっくにゼロだった。
希咲はこのままダッシュで逃げればこの一連の出来事を全部なかったことに出来ないかなと、そんな考えが一瞬頭に過る。
だが、法廷院が先程示唆していた水無瀬について――彼らが彼女に対してどういうスタンスなのかを確かめるまでは、自分も彼らを逃がすわけにはいかないという事情を思い出し、世の無常と己の境遇を嘆いた。