俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章35 fatal error ④

 

 マグカップに溜められた黒い湖面に瞳を落とす。

 

 

 僅かに揺れるその濁った水面はなにも映さない。

 

 

 弥堂 優輝(びとう ゆうき)はカップを口元に寄せ一口コーヒーを啜り、そして飲み込まずにベッとシンクに唾とともに吐き捨てた。

 

 

 ここは弥堂の自宅アパートのキッチンだ。

 

 

 ふぅと軽く息を吐く。

 

 

 今日は弥堂にしては珍しく少々メンタルが揺れるような出来事があった。

 

 しかし、それも今では落ち着いていた。

 

 

 あの後、繁華街や路地裏を徘徊し本来の任務を熟した。

 

 

 寄り道をするなという簡単な日本語すら理解できない動物たちにその意味を身を以て教えてやり、その動物たちに近づく可能性のある強欲なハンターたちにも生命の大切さを自身の生命が脅かされる体験をすることを通して教えてやった。

 

 

 自分と同じか、それ以下のクズを無心で殴ることによって心は平穏を取り戻す。

 

 弥堂は自分でもそれはどうかと思ったが、そういう性質(タチ)なのだから仕方ないととっくに割り切っていた。

 

 

 時刻は現在23時半を過ぎた頃だ。

 

 

 シャワーはとうに済ませ、明日の学校の準備をすれば、あとはもう寝るだけというところで今日はコーヒーを飲み忘れていたことに気が付き、たった今そのルーティンも消化したところだ。

 

 急な仕事が入りでもしない限りは特にすることもない。

 

 

 今日の成果を考える。

 

 

 当然わかっていたことだが、初日で売人が見つかるようなことはなかった。

 

 なので、特に焦るようなこともなく、見掛けたちょっと悪そうな奴は顔見せのつもりで一人ずつ地道に殴っていった。

 

 

 その甲斐もあって、路地裏に棲みつくギャング気取りどもは完全に警戒態勢に入り、表をうろつく美景台学園の不良たちの何人かにもこちらの熱意が伝わり、当委員会の活動にご理解を頂くことが出来た。

 

 

 目に見える実績としては、ぶん殴った生徒さんの大多数に『Mikkoku Network Service』に登録して頂くことができ、まとまった数の新規会員様の獲得に成功したことだ。

 

 

 ガタガタっとテーブルが鳴る。

 

 

 ガムテープによって辛うじてダイニングテーブルであるという事実を繋ぎ止めている半壊したそれの上に置いたスマホが、バイブレーションによってメールの着信を報せたのだろう。

 

 

 先述したMNSの本日獲得した新規会員のリストをY’sに報告しておいたので、それに関する連絡かもしれない。

 

 

 マグカップの中身を全てシンクにぶちまける。

 

 水道でカップを濯ぎ飛散した黒液を水で流す。

 

 カップの中を覗くと銀色の底に黒い瞳が映る。

 

 

 水を止めカップをシンクに置き、弥堂はスマホの元へ向かった。

 

 

 

 スマホを手に取りメールアプリを起動させると、案の定Y’sからの返事だった。

 

 先程渡したリストに関する返信のはずだが、弥堂が送信した先のアドレスとは別のメールアドレスから送られてきている。

 

 何故こいつは日に何度もアドレスが変わるのだろうと考えながらメールを開いた。

 

 

 新着メールは2件。

 

 

 その内の1つはリストを受領したことに対するただの返事。

 

 もう1つのメールはいつもの長文暗号から始まり、それを辿って降りていくと本文はなく1つのリンクが張られている。

 

 弥堂はそのリンクを踏んだ。

 

 

 ハイパーリンクに飛ばされた先はこの為だけに作られたかのようなサイトの真っ白なページ。

 

 そこに唯一あるのは何かのダウンロードリンクだ。

 

 

 そのリンクに触れそうになった指が寸前でピクっと止まる。

 

 

 つい先日に同様の状況で起こった出来事が否応なく想起されたからだ。

 

 

 これをダウンロードしたらまた希咲のパンツが目の前に現れ面倒なことが起きるのではと弥堂は警戒する。

 

 

 だが、こうしていても仕方がないので、弥堂は意識を切り替えリンクをタップした。

 

 すると『はい』『いいえ』の確認などすっ飛ばして問答無用でダウンロードが開始される。

 

 意外に容量があるようで、ダウンロードの進捗を報せるゲージのゴール地点には数100MBの総量が表示されている。

 

 

 弥堂の警戒感が跳ね上がる。

 

 記憶の中に記録した希咲 七海(きさき ななみ)のパンチラ画像を詳細に思い出しながらイメージ上で睨みつけ、事の推移を見守る。

 

 

 やがてダウンロードが終わるとこれまた勝手にインストールが開始され、そしてホーム画面に一つの見慣れないアイコンが追加された。

 

 そのアイコンを睨む。

 

 

「……M……、S……、N……?」

 

 

 アイコンは赤い背景にその3文字だけが記されている。

 

 タップして起動してみる。

 

 

「これは――⁉」

 

 

 スマホに表示されたのは名簿のようなものだった。

 

 

 数十人ほどの名前が縦に並び、名前の横には住所や連絡先などの情報がある。

 

 

 ズラっと目線を下へ流すと、知っている名前もいくつかある。

 

 

 例えば――

 

 

――佐川 百介 サガワ モスケ 白 美景台学園2年C組 部活なし 住所……

 

 

 このように一人一人の個人情報が詳細に載っている。

 

 

 弥堂は名前の横にある地図のようなアイコンに気が付き、それを押してみた。

 

 するとこのアプリとは別の元々スマホに入っていた地図アプリが勝手に立ち上がる。

 

 表示されたのは当然地図なのだが、その地図上の一点で赤く点滅する箇所がある。

 

 

 ある予感がしてその地点の住所を確認し、先程の名簿アプリに戻る。

 

 地図アイコンをタップした人物の住所を確認すると、地図アプリ上の点滅している地点の住所と一致した。

 

 

「これは……」

 

 

 色々と察しはついたが念のため確認をとろうと弥堂はY’sにメールを返信する。

 

 

『これはなんだ。』

 

『がんばりました!』

 

 

 向こうからの返事はほぼノータイムで返ってくる。

 

 

『このアプリはどうした。』

 

『作りました!』

 

 

 弥堂は眉を顰める。

 

 

(作った……だと……?)

 

 

 確かY’sに『M(ikkoku)N(etwork)S(ervice)』を運営しろと命じたのは4月17日だ。

 

 記憶の中の記録を確認すると3日前の出来事で間違いがなかった。

 

 

(その時点から開発をスタートして3日でこれを作り上げたのか?)

 

 

 こういったIT技術に関する知識は弥堂にはないので、その労力を正確に推し量ることは出来ないが、それでも簡単なことではないように思える。

 

 

 考えていると新たにメールが着信しそれを見てみると、またダウンロードリンクだ。

 

 それを開く前に追加でメールが届く。

 

 

『今度から新規会員様には今送ったリンクのアプリをダウンロードさせて下さい。チャット形式で密告が出来るようになっていて、それで送られてきた情報は、さっき見てもらった一個目のアプリの“密告まとめ”のタブに自動でアップされるようになってます。なので、一個目のアプリは絶対に貴方や関係者以外には渡さないでくださいね! 会員様用の方はアプリが入っている端末の位置情報を勝手に盗んで教えてくれる機能もありますので、いつでも追い込みがかけられます!』

 

「…………」

 

 

 弥堂は文面を無言で睨みつける。

 

 

 何を言っているのかいまいちわからなかったのだが、とりあえずナメられたらおしまいだという敵愾心だけ湧いてきたからだ。

 

 

 そして、自分の誤認識を改める。

 

 

 昨今、SNSなどでよく底辺プログラマーだの開発者だのを名乗る者たちが、アプリやゲームなどを作ったり運営したりするのはとても大変なことで、人件費を削るために自分たちが酷使されているなどと告発めいた愚痴を投稿すると、それに多くの賛同や同情が集まっているのを見掛ける。

 

 そういった業界のことは寡聞にして知らなかったので、機械化だIT化だと色々と世の中が便利になったと謂われても、楽をしているのはやはり上位の数%で、ボリューム層となる大半の労働者が苦しむのはいつの世でもどこの世界でも変わらないのだなと、そう考えていた。

 

 

 しかし、それは大きな間違いだった。

 

 

(小賢しい嘘を……)

 

 

 自分が騙されていたと憤りを感じる。

 

 

 このようなアプリが3日で2つも、それも恐らくたった一人で作り上げることが出来るのならば、自分が今まで見てきた『開発は大変だ』という話は全部嘘だったことになる。

 

 きっと隙あらば手を抜いて仕事をしたがるクズどもが今よりももっと楽をするために印象操作をしているのであって、アプリやゲームを作って管理・運営していくのはとても簡単なことなのだと認識を改めた。

 

 

 何かにつけてHPや事務管理ソフトを無料で作らせようとしてくる中高年経営者や役員と同じ境地の価値観に辿り着いた男子高校生は、Eメールを巧みに操って返事を送った。

 

 

『ごくろう。ちゅうもん通りだ。』

 

『きゃーーっ! ありがとうございます!』

 

 

 そんな注文をした覚えはないが弥堂はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

 元々は全て手作業にてリストを作らせようとしていたが、まぁ便利ならそれにこしたことはないと一定の満足感を得た。

 

 

 Y’sに関しては始末することも考えてはいたが、このような働きが出来るのならもうしばらく生かしておいてやってもいいかと、様子を見ることにする。

 

 

 しかし、今回の仕事に関しては上々の成果だと評価が出来るが一点、どうしても修正しなければならない点がある。

 

 

『我ながら完璧な仕事をしました! 褒めてください!』

 

『かんぺきだと。かんちがいをするなよくずが。』

 

 

 なのでその点について苦言を呈することにする。これには相手を調子にのせない為という目的もある。

 

 

『えむ、えぬ、えす、だ』

 

『はい?』

 

『えむ、えす、えぬ、じゃない。えむ、えぬ、えす、だ。二度とまちがうな。次は殺すぞ』

 

『キレすぎじゃないですか⁉』

 

『神に対して不敬だ。すぐになおせ。殺すぞ』

 

『はいただいまー!』

 

 

 神の偉大さもわからぬ愚か者を心の底から軽蔑しメールアプリを閉じた。

 

 

 スマホを置き、代わりに同じテーブル上に乗っていたスクールバッグを引き寄せる。一応明日の持ち物を確認しておこうと思ったからだ。

 

 バッグのチャックを開けたところで、スマホから『ぺぽ~ん』と通知音が鳴る。

 

 まだ何かあるのかと、画面上に浮かんだポップアップをタップしたところで「しまった」と己のミスを悟る。

 

 

 Y’sと連絡をとっているEメールの通知音はバイブレーション設定になっている。今しがた鳴った通知音はSNSとメッセンジャーアプリが一体になった『edge』のものだ。

 

 こんな時間にedgeで自分に連絡してくる相手は一人しかいない。

 

 

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