コッコッコッと――
渡り廊下を歩く。
規則正しく靴底で床を鳴らす。
春。
4月も半ばを過ぎた今頃。
一学年の課程を修了し二年生へと進級してから1週間ほどが過ぎた頃である。
“約1年間ほど”と――そんな風に曖昧な表現になるのは、弥堂の個人的な理由だ。
弥堂がこの美景台学園へと通い始めたのが、去年の5月のGWを過ぎた頃からであった為である。
なので、通常の4月に入学をした同級生たちとは違って、弥堂は厳密にはこの学園で1年間を過ごしていないからだ。
高校へ進学したばかりの一年生の5月に転入――
そんな特異な身の上での入学。
その為、弥堂は現環境へ溶け込むのに少々梃子摺ることとなった。
しかし、約1年という時間が経とうとしている現在では、中々に卒なく高校生と為ることに成功した――
彼はそんな風に自己評価を下していた。
運動部用の部室棟から渡り廊下を通り、三年生用の校舎の入り口へと差し掛かる。
廊下と建物の継ぎ目となる敷居を越えた際に、壁に貼られている学園敷地内の見取り図が目に入った。
この私立 美景台学園は少々特殊な構造になっており、各学年ごとに校舎が別れている。
そのため弥堂も、一年生の時に約1年間ほどの時間を過ごした教室があった以前の校舎から――
現在は二年生用の校舎へと、進級時に学び舎を移していた。
学園の正門は敷地の南側にて開かれている。
正門を潜るとまず、真っすぐ北へ向かって並木道が伸びる。
その道の両端には桜の木が等間隔に植えられており、今時分の季節には新入生を歓迎するようにその花を元気に咲かせていた。
その桜のアーチを通り抜けると、正面に学園のエントランスとなる建物がある。
全学年共通の生徒用の昇降口だ。
教員や学園の運営職員、それから来賓などは東門から警備員の誘導に従い敷地に入る。
生徒とは別の専用の玄関口から建物へと入るように別けられていた。
昇降口から西側に一年生用校舎があり、その北側に三年生用校舎。さらにその北側には先程まで弥堂と廻夜が居た部室棟がある。
そちらは運動部用の部室棟だ。
反対に、昇降口の東側にはまず二年生用の校舎があり、その北側には学内の各委員会が活動する為の部屋が並ぶ専用の棟がある。
さらにその北側には、文化系の部活用の部室棟が設けられていた。
そして、これらの各棟に囲まれた敷地の中心部には、教員や事務員、警備員などの詰め所や、学園理事の執務室などが設けられた事務棟がある。
各校舎が二階建てで造られている中で、この事務棟だけは5階建てとなっていた。
その最上階の屋外には、この棟の象徴となる巨大な時計が設置されている。
そのため、学内では正式名の事務棟ではなく、“時計塔”と呼称されることも多い。
このように敷地内が少々複雑な構造になっていることから、外部からの訪問者だけでなく学園に来たばかりの生徒や職員までもが校内で道に迷うことが頻繁にある。
その対策として、学園施設内の至る所にこの校内の見取り図が貼られることとなったのだ。
学内西側の運動部の部室棟から、弥堂の目的地である二年生校舎はちょうど対角線上に位置する。
そのため、弥堂が部室から自身の所属する学級の教室へと辿り着くにはまず三年生校舎へ入り――
それから事務棟経由か、一年生校舎経由かのどちらかのルートを選択して進む必要があった。
2階建ての各校舎の1階部には教室はない。
生徒同士の交遊や来客の待合室となる簡易的なラウンジスペースがあり、他の部屋は倉庫などになっている。
あとは上階へと昇る階段のみで、2階部には各学級の教室が並んでいた。
各学年には大体5~7クラスずつあり、1クラスにつき凡そ25~30名ほどの生徒が所属している。
各棟を繋ぐ渡り廊下は2階にもあり、其処は空中渡り廊下となっていた。
弥堂の所属するサバイバル部の部室は部室棟の2階にあったため、弥堂は現在2階の空中渡り廊下を使用して二年生校舎へと向かっている。
弥堂は事務棟ルートではなく一年生校舎を経由するルートを選択し、三年生校舎から空中渡り廊下へと出た。
サバイバル部――
それが弥堂が所属する部活動である。
去年の秋頃に、部長である廻夜 朝次にスカウトされ入部をした。
当時二年生だった廻夜自身が在学後に設立をした歴史の浅い部活動である。
何故か運動部として分類されていた。
サバイバル部という呼称は通称であり、正式には――
『災害対策方法並びに
――が公式の名称として登録されている。
名前が長過ぎるせいで設立者本人ですらその正式名称を偶に忘れてしまう。
なので、サバイバル部が通称となっており、そして部外の生徒にはそれが正式名称だと思われていた。
というか――
実際のところ、殆どの生徒にその活動内容はまともに認知されていない。
そのため非常に怪しげな部活動だと思われている。
そして、それだけではなく。
大半の生徒には、その名は悪名として認知されていた。
週に2・3回ほど、今朝のように『朝練』として始業前に活動がある。
弥堂は入部してから今日まで、真面目にそれに参加をしてきた。
だが、大体においてその活動風景は今朝と似た様相であり。
弥堂が入部をして半年ほどが経過した今となっても、一体自分達が何の練習を行っているのかは、未だに不明なままであった。
朝も夕も。
活動内容としては廻夜が持参した娯楽小説や漫画を読まされたり、アニメDVDや動画を鑑賞させられたりするか――
そうでなければ先ほどのように活動時間中、終始彼が一人で喋り続けていることが多い。
そのため、入部当初は名称通りの目的の活動を行っているのかという点において。
弥堂は少々疑念を抱いていた。
しかし廻夜に云わせると――
現代で起こりうる災害の対策方法は素人が下手に考えるよりもインターネットで調べた方が確実である。
――とのことであった。
そして、実際対策するにあたって必要なのは概ね物資であり。
その物資を確保するために必要なものは金であると。
故に、我々が行うべきは金策であり、金のない奴は死ぬしかない――
廻夜は拳を振り上げそう豪語した。
これには弥堂もなるほど、と。
一理あると納得をした。
これまでの実際の活動内容としては――
廻夜の指示で出資元不明の怪しげな事業のバイトに従事をしたり。
これまた彼の指示で風紀委員会へと所属をしたり。
――などと、その活動は多岐に渡る。
風紀委員会では――
他運動部の不祥事を時には密告をし、時には捏造をし。
そして時には現場を取り押さえることによって、対象の部活動を縮小や廃部に追い込んだり等をした。
運動部全体に割り振られる予算と部室の空きを作ることが主な目的であった。
さらにその粛清から生き残った他運動部の弱みを握ったり、捏造をした上で丁寧にお願いをすることで――
各運動部の来期の予算増額要請の申請を、本人達に取り下げさせたり等と。
そういった交渉事も行った。
その甲斐あって、無事に今期からのサバイバル部の予算を大幅に増額させることに成功している。
これらの成果から――
司令官である廻夜部長の卓越した手腕は、弥堂にとって疑いようのないものとなっていた。
こうした一連の活動の影響で、少々校内で騒ぎが起きたりしたせいか。
今現在も新一年生を除く多数の生徒と一部の教職員からは、サバイバル部と弥堂は恨まれたり睨まれたりしている。
だが、それは今は別の話であり。
そして所詮は聞く価値のない敗者の泣き言であった。
少なくとも弥堂はそう考えていた。
――以上が、去年1年間の『災害対策方法並びに遍く状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』の主な活動内容であった。
これについては概ね満足な成果を上げることが出来た。
弥堂はそのようにも判断している。
これらの成果によって、現代で起こりうる災害時に生き残る為に必要な物資は粗方用意することに成功した。
それらを部室や校内の至る場所に隠して設置(無許可)することも達成出来ている。
其処で、三年生校舎から続く渡り廊下が終わりを迎え、現在地は一年生校舎へと変わった。
それを引き金に、弥堂は思考を去年の活動から今期へと切り替えた。
今期――
つまり、これからの1年間では次のステップへ進もう。
――それが部長である廻夜の方針であった。
日常で起こりうる災害には既に備えた。
ならば次は起こる可能性の極めて低い非常事態に備えようと――
部長は腹を揺らし高らかにそう宣言をした。
『起こる可能性の極めて低い非常事態』とは――
例えば、授業中に突然校内がテロリストに占拠されたり――
例えば、旅行で偶然訪れた山荘にて密室殺人事件が起きたり――
例えば、突然世界中で超能力に目醒める人類が次々と現れ各地で異能力バトルが勃発したり――
例えば、ある日空から美少女が降って来たり――
そして――
例えば――
ある日唐突に『異世界』へと迷い込んでしまったり――
――などといった事柄だ。
つまりは言ってしまえば、極めて荒唐無稽な状況を想定していた。
現実に起こりうる可能性は限りなく低いが、決してゼロだとは言い切れず。
しかし仮に備えなくその事態に直面すれば、確実に死は免れない――
そんな事態への対策をしっかりと行う。
そして実際にそういった事態に直面した時に、確実に生き残ってこそのサバイバル部であり。
もしもそれが出来なければ他校のライバル達とは戦えない――と。
廻夜は身振り手振りを交えそう熱弁した。
彼が持ってくる小説に異世界転生ものが多いのは、これらが教材だからである――と。
今年最上級生となる男はそう強く主張した。
これには弥堂も同意を示した。
他校に同じ活動内容の競合勢力が存在するのかという事実関係については彼は寡聞にして知らなかった。
だが、何事も徹底的に行うという姿勢には敬意を払うべきだと考えたのだ。
また、例え共感出来る内容ではなかったとしても、部長である廻夜は事実上弥堂の上官となる。
所詮末端の平部員に過ぎない弥堂には、与えられた指示に対して疑問を持つ資格も意味もないのだ。
一構成員でしかない自分は唯々諾々と与えられた『役割』 を忠実且つ確実に熟すのみ――
そして、それこそが弥堂の得意分野でもあった。
一兵卒には特定の思想も思考も必要ないのである。
このように活動内容については弥堂に概ね不満はなかったが、未だ不明瞭な点もある。
それというのも、自分と部長の他に活動をしている部員を見たことが殆どないのだ。
この美景台学園において。
部活動として設立、又は継続を認められるには、『部員数5名以上が必要である』と。
校則にてそう定められており、生徒手帳にもそう記載されている。
弥堂の知っている限りのサバイバル部の構成員は――
部長である廻夜――
平部員の弥堂――
それから部室に顔を出した所を見たことはないが、隣のクラスの山田君――
姿形すらただの一度も見せたことのない、正体不明の情報提供者Y’s――
部の名簿に名前の記載はあれど、実際にはどこの学年のどこのクラスの名簿にも存在しない数名の部員――
――これらのメンバーで構成されている。
だが、弥堂は実際に朝夕の部室での活動では、廻夜以外の人間の姿を見たことがなかったのだ。
部の消耗品である弥堂としては、下される命令に否やはない。
だが同僚のことは知っておいても損はないだろう。
そういった判断で、上層部である廻夜の不興を買わない程度に、この半年ほど他の部員の正体を探ってはみた。
しかし、そうはしてみたものの、その成果は芳しくはなかった。
とはいえ、十全とはいかなかったが、その中で解ったこともある。
そんな風に、弥堂が自身の所属する部活動の部員達について弥堂は思索を巡らせようとした時――
一年生校舎から昇降口へと繋がる空中渡り廊下に出た。
景色が変わったことで一瞬思考が途切れる。
廊下が続く先へと視線を向け。
自身の歩調が乱れず一定のままであることを確認してから、弥堂は思考を再開する。
コッコッコッ――と。
意識をして。
大きすぎず小さすぎず遅すぎず速すぎずに音を鳴らす。
一定のリズムで床を踏んで離す。
まず、隣のクラスの山田君――
彼とはこの半年の間、一度も部活動中に顔を合わせたことはない。
だが、この山田君のみが唯一、部の名簿と学園に登録されている名簿の記載が一致をした人物となる。
山田君にはかつて一度だけ、弥堂から接触を図ったことがあった。
ある日、弥堂の隣のクラスに『山田 薫』という部員がいるので、彼から“レポート”を受け取ってくるように――と。
廻夜からの指示を受けた。
そこで過日の昼休みに、弥堂は隣の教室を訪問してみたのだ。
時期的にはちょうど他部潰しを始めた頃だろうか。
各種工作をするにあたって同僚がどの程度“出来る”のかを把握しておくのも悪くはない――と。
そういった思惑も勘定に入れつつ、弥堂は彼の者を訪ねた。
しかし、実際に彼と対面をしてみての印象は異質の一言に尽きた。
山田君は――まるで少女のような面差しに少女のようにか細い手足で――やたらと怯えた様子で受け答えをする。
そんな男子生徒の様相は、どこからどう見ても只の弱者であり、只の小者にしか見えなかった。
人を見る目はあると自負をしている弥堂をして、山田君は見たままの臆病な女子供にしか視えなかったのだ。
だがキレ者の廻夜部長が、そのような役立たずの無能者を登用するはずがない。
間違いなくこれは“擬態”であると――弥堂はそう察する。
恐らく彼は潜入工作に特化したタイプの諜報員なのであろうと判断をした。
端的に「仕事の話がしたい」と迫った弥堂に対して、山田君はヒッとか細い悲鳴をあげる。
それから山田君は、まるで野卑な盗賊に襲われたか弱い貴族の令嬢のように涙を浮かべ、ふるふると震えながら「やめてください」「話が違う」などと言った。
これは『演技に合わせろ』ということなのだろうと弥堂は判断をする。
山田君のロールに乗る形で、弥堂は「例のモノをよこせ」と発言しつつ手近にあった机を蹴り上げた。
すると山田君は、まるで首筋に刃物でも突きつけられた人質のように顔を青褪めさせ、「これで勘弁してください」と財布を差し出してくる。
まさに迫真の演技であった。
なるほど、こうやって部員同士の物資の受け渡しを偽装するのかと――そう得心をしながら弥堂は財布を受け取る。
そして用は済んだと、教室を後にしようとした。
その際、弥堂は出口へと向かいながら、周囲の騒めく生徒達の様子を横目で確認する。
『これではまるで、周囲の者たちには不良生徒が気弱な生徒から金品を巻き上げたようにしか見えていない――』
――と、そのように山田君の手管に感心をした。
そして今回のコンタクトは完璧な“取引” であったと、弥堂は胸中で自分たちの仕事に大いに満足をした。
その後教室を後にし、弥堂は素早く且つ不自然に見えない動作で男子トイレの個室に入る。
だが受け取った財布の中身を確認してみても、部長に要求されたレポートに見えるような物は何も入ってはいなかった。あったのはせいぜいレシートだ。
もしや『レポート』とは何かの隠語なのではないかと――
弥堂は当日の放課後の部活動時に、廻夜に財布ごと手渡しそれを確認した。
そうしたら、廻夜は一瞬言葉を失ったかのようにも見える仕草をして――
『この財布は自分の手で山田君に返しておく』
『レポートは恐らく弥堂が訪問した直後と思われるタイミングで、山田君のクラスメイトが廻夜の教室へと持ってきた』
『山田君は保健室で寝込んでしまったので代わりにクラスメイトが来た』
――などと顛末を語った。
若干廻夜部長の表情が引き攣っていたようにも見えたが、それは気のせいであろう。
彼は大きなサングラスをかけているせいで意外と表情が読みづらいのだ。
弥堂はなるほどと頷く。
自分は陽動に使われていたことを理解をした。
多重に張り巡らされた偽装工作の中の捨て駒の一つとして使われた――
そのことに怒りを覚えることはない。
自身は素人ではないのだ。
だからむしろ。
味方でさえも狡猾に騙し切り、確実に目的を達成した上司と同僚の、その巧妙な手腕を高く評価した。
どうやら試されていたのは自分の方であったらしいと――弥堂は自覚をする。
また同時に、彼らとならば今後も『いい仕事』が出来そうだと判断をした。
このように謎の多い活動内容や部員達ではある。
だが、廻夜から自分へとその詳細が語られないのは――
未だ木っ端部員に過ぎない弥堂にはそれは『知る必要のないこと』であり、その資格を得たいのならば自らが使える男であることを示せ――と。
廻夜からのそういうメッセージなのだと、弥堂は認識した。
ならばと――
弥堂は自身の有用性を示すべく『部活動』へと励み。
ここまで及第点以上と自己採点出来る程度には『仕事』を熟し。
成果と実績を只管積み重ねてきた。
そして
次いで、謎の情報提供者
一年生校舎からの渡り廊下を踏破し、今度は正面昇降口の棟へと差し掛かかった。
敷居を踏みつけ領域へ足を踏み入れる。
思考を再度戻しつつ、一歩、二歩と足を進めたところで。
瞬間――
――その思考の全てが吹き飛ばされた。