「――どうしてもね、毎日その時間じゃないといけないのはね、そう……あのね、私ね――好きな人がいるの」
「はぁ……」
「その人がね、毎日登校してくる時間があって。まぁ、毎日ぴったり同じ時間ってわけじゃないわ。日によって多少前後するの。だからね、私はその人に逢いたくて、彼より少しだけ早めに毎日同じ時間に登校して、室内シューズに履き替えて、昇降口の隅っこで彼が登校してくるのを待つの」
「ほうほう、それでそれで?」
恋バナ展開を見せてきた白井さんの話に希咲さんの興味が急速に回復してきた。彼女もまたJKのプロフェッショナルなのであった。自分の恋バナは苦手でも他人のそれは大好物なのである。
「でもね、それで彼と一緒に教室までとかそんな展開にはならないの。ごめんなさいね。あのね、彼はとても人気のある人でね、いつも場の中心にいるような人で。明るくて、優しくて、格好よくて。あと、ちょっとだけかわいくて……もちろん朝の登校の時も彼の周りには仲間がいっぱいで、その中にはかわいい女の子もいるし私なんかじゃとてもその輪には入れないわ。私はそんな彼をずっと、もう一年以上遠くから見ているの。片想いなの 」
「えーー白井さんかわいそうっ。でもでもちょっとそれ胸きゅん。話しかけたりしてみないのぉ?」
「ふふっ……話どころか挨拶もしたことないわ。多分彼は私のことなんて存在すら知りもしないと思う……なかなか勇気がでなくて話しかけられないってのも勿論あるんだけど、それだけじゃなくてね。言い訳に聞こえちゃうかもだけど、私ね。人の中心にいる彼の笑顔が大好きなの。だからね、こんな私みたいな女が声をかけて、彼の周囲の空気を壊したくないなって」
「きゃーーーなにそれぇ、白井さんちょーおとめー、かわいいーー」
男子生徒たちはその頃死んだ目で各々のソシャゲのデイリーミッションを消化していた。男とは自分以外の男がちやほやされる話になど一切の興味がない生き物なのだ。
「でもね、私もね、一個だけ勇気をだして頑張ってることがあってね」
「うんうん、なになに?」
「あのね、登校してきた彼とその仲間がねシューズを履き替えて教室に向って歩き出したらね、私はそっとその後を追うの」
「うんうん、それでそれで?」
「もちろん声をかけたりはしないわ。私ね、急いで教室に向ってるフリして、少しだけ小走りでね彼らを追い抜くの」
「おぉ、でっ? でっ?」
「それでね彼の前に出て、行先が分かれるまで彼の前を歩くの。その時は――その時だけは、後ろ姿だけだけれど、彼が私を見てくれるのっ」
「きゃああああああっ、いいっ! それいいっ‼」
「でしょでしょ⁉ ほんのわずかな時間だけど私もう毎日ドキドキしちゃってぇ!」
「きゅんきゅんするぅー」
多分敵同士である希咲さんと白井さんは手を合わせてキャッキャッと姦しく燥いだ。しかし今回はすぐに自力でハッとした白井さんに手をパシッと払われキッと睨まれる。希咲はまた指を咥えて目をうるうるさせるあざとい仕草をしてみた。
白井さんはクッと呻くようにして視線を逸らすが頑なな姿勢は崩さなかった。
「慣れ合わないでちょうだい! 私とあなたは敵同士よ! それに言ったでしょう……これは悲劇なのよ」
「ちぇー、なかよくしよーよー」
この子とは友達になれる。希咲はそんな手応えを感じていた。
「ふん、まぁいいわ。ここからが本題よ。偶然その日、たまたまその日、よりにもよってその日にね! ――ねぇ、希咲。この学園の室内シューズ、なんで靴紐がついてるのかしらね……?」
「えっ……っと……なんでだろう……?」
声のトーンを落とし問いかけられた質問に、希咲は自身の足元に目を遣り自分が履いている室内シューズのその靴紐を見た。当然ながらそこに答えが書いてあるわけもない。
「ふふっ、別にね理由なんてなんでもいいの……それ自体に別に意味はないわ。でも、ね。時々思うの……もしも学園指定の上履きが、靴紐のないタイプのものだったならって……」
「えぇーっと……えっ! ……それって、まさか……あ、ううん、なんでもな――」
希咲は白井の話すその先が見えてきたような気がする。だが、それに気付かないフリをした、しようとした。
「――私はその日、いつもよりちょっとだけ気分がよくて、だからかな? ちょっとだけ浮かれていたのかもしれない……いいえ、認めるわ。私は浮かれていた。だからね……気が付かなかったの……想像もしていなかったの……まさか、自分のシューズの紐がほどけているなんて……っ」
「あっ……あっ……そんな……そんなのって……」
残酷な結末が、想像をしたとおりの結末が近づいてくる。気付かないフリをしたい、見えないフリをしたい。しかしそれは、その残酷な出来事の当事者たる――被害者たる白井が許さない。
「ふふっ、私ね。運動神経があまり良くなくてね。壊滅的ってわけじゃないんだけど、でも運動は得意ではなくて。でもね、何もないところで転んだりとか、そんなことは今までなかったの。ホントよ?……その時まではね――」
「あぁ……いやっ……いやぁっ…………」
両手で左右の耳を塞ぎ首を振って続きを聞くことを拒絶する希咲に白井は近づき、彼女の両腕を抑え耳を開けさせると下から覗き込むように顔を寄せる。顏の横に垂れる髪が口の中に入っても構わず、希咲の耳元で「ダメよ……聞きなさい」と囁く。狂気を孕んだ彼女の瞳が妖しくゆらめく。
「やっぱり浮かれていたの。運動の得意でない私がね、多分いつもよりも少しだけ速いペースで走って彼を追って、そして追い抜いたの。フフフフフ……もうわかってるでしょうけど、でもダメよ。許さないわ。最期まで聞いてもらうわよ」
「やだっ……やだぁっ……もうやめてぇ……」
涙を流し許しを懇願する希咲を白井は決して許さない。最期まで追い詰めていく。
「彼の前に、大好きな彼の前に躍り出た瞬間だったわ。タイミングなんてもっと前でもよかったじゃないっ、もうちょっと後でも、彼と別れた後でもよかったじゃないっ。そもそも、たまたま、普段穿かない下着を穿いたその日じゃなくてもよかったじゃないっ! でも、その日だったの。その時だったの。偶然、たまたま、彼の目の前に出た、そのタイミングだったの! ……私は靴紐を踏んだわ。思い切りね。もちろん転んだわよ……彼のっ、目の前でっっ‼ 恰好悪いでしょう? 笑ってちょうだい……アハハハハハハ……」
「そんな……そんなのって……そんなのってないわ……」
白井は希咲の手を離すと壊れた笑みを浮かべよろよろと後退った。その頬には涙が流れている。
「転んだ私はどうなっていたと思う? 運動神経の鈍い私がどんな姿で……彼の目の前で……っ」
「もういい……もういいのよ白井さん……もうやめてぇ」
白井にはもう希咲の声は聞こえてはいないのだろう。壊れた笑みで光のない目でどこも見てはいない。しかし、その口は、その口から出る言葉は止まらない。
「私ね、無様にね、顏を床に擦り付けて、彼の方へとお尻を突き出して這いつくばっていたわ。彼の――ずっと大好きだった彼の前にっ! 黒のローライズTバックを穿いたお尻を突き出してっ! まるで……まるで――浅ましくおねだりでもするみたいにねっ‼」
「し、しらいさあぁぁんっ」
そこまでを言い切るともう限界だったのだろう、白井さんは両手で顔を覆うとワッと泣き出した。痛ましすぎて耐え切れなくなった希咲は、「おわりよ……私はもうおわりよ……」と譫言のように呟く白井さんに抱きつきワッと泣いた。二人しばらく抱き合いながら、わーっと泣いた。
彼女らのやりとりに我関せずでソシャゲのスタミナ消化のノルマを熟していた男子たちだが、高杉君以外の3名は「お尻を突き出して――」の部分で若干そわそわしていた。自分以外の男が持て囃される話には一切興味がないが、下ネタ部分だけは聞き逃さず反応をするのが男という生き物であった。
「じら゙い゙ざん゙~、づら゙がっ゙だね゙ぇ゙~、がな゙じがっ゙だね゙ぇ゙~」
スンスンと鼻を慣らし希咲が言った。
「わ゙だじの゙だめ゙に゙な゙い゙でぐれ゙る゙の゙ぉ゙? あ゙り゙がどね゙ぇ゙~、あ゙り゙がどね゙ぇ゙~」
スンスンと鼻を鳴らし白井さんも言った。
「――でもね」
白井は突如泣き止むとスッと表情を落とし立ち上がって、床に尻をつけて座りながら号泣する希咲を見下ろす。
「でもね、これでまだ話は終わりじゃないのよ――」
「え――」
希咲の目から光が消え、その表情は絶望に染まる。尻もちをついたまま床を擦り白井から逃げるように後退る。
「――いや……むりっ……もうむりぃ……」
「ふふふ……ダメよ、許さないわ――ねぇ希咲。黒のTバックって男と女で認識が違うと思わない?」
「え?」
突如投げかけられた質問に希咲は答えられない。思考が着いていかない。
「私たちからしてみたらさ、とっても実用的じゃない 黒のTバックって」
「え? う、うん……そうね。さっき白井さんも言ってたけど、透けないようにとか下着のラインがわからないようにとか対策に使うし、ローライズのパンツ着るなら下着もローライズじゃないと見えちゃうし……あ、あと、その……黒だと汚れも目立ちづらいし……」
「まぁ、そうよね。でも男どもってなんかやたらとありがたがってるじゃない? まるで男を誘う用の特別えっちな下着って感じで……この童貞どもがっ」
希咲と話しながらキッと鋭い視線を童貞どもに向ける。
しかし高杉君を除く男性陣3名はそれどころではなかった。
心の余裕を失くした七海ちゃんは言わんでもいいことまで答えてしまっていたのだ。
「こっちは必要に駆られてるんだからもっと気軽に使いたいってのにバカな男どものせいで、世の女性全員が迷惑して損をしてるのよ。そうでしょ?」
「え? あーーうーーん……まぁ、わかるような気もするけどぉ……」
「そうでしょ? 別に黒のローライズTバックなんて誰でも持ってるのに。希咲だって1枚くらい持ってるでしょ?」
「う、うん。まぁ。便利だし。あと黒はやっぱ締まって見えるから、下着に限らず普通に着たいよねぇ」
「ほら。聞いた? クソ童貞ども。黒のTバックはあんた達が信仰してるようなものじゃないのよ」
女性の立場からの切実な事情を投げかけられたが、高杉君を除く3名のクソ童貞たちはそれどころではなかった。
わりと女子のレベルが高いと市内外でも評判であるこの私立美景台学園の中でも、トップクラスにかわいいと評判の希咲 七海の口から『黒のローライズTバックを所有している』という歴史的な新事実が世界的に発表が成され、クソ童貞たちは興奮を禁じえなかったからである。
「まぁ、でも。性別が違うし、多少お互いの事情に疎くなるのは仕方のない部分もあるわ。私も男子の下着とかさっぱりわからないしね。希咲は詳しいでしょうけれど」
「あ、あたしだって別にそんなの詳しくないしっ」
「でもね、恐ろしいことに。同じ女性でもそこのクソ童貞どもと同じ認識の奴がいるのよ」
「え? そんなひといるの?」
「えぇ、悲しいことにね……さて、話の続きだったわね」
「う、うん」
白井さんはさっきまで号泣していた希咲が泣き止んで少し落ち着いてきた様子を確認し、話を進める。彼女は自分でも気づかないうちに若干七海ちゃんに絆されてきていた。
「私が無様にケツを曝け出した時にね、もちろんだけどその場に居たのは彼だけじゃないわ。彼の友人の男子も女子も、関係ない人たちだっていたわ……くそがっ!」
「ケ、ケツって……」
「その中にね、居たのよ。そのクソ童貞と同じ価値観を持ったクソババアが」
「え、それってまさか――」
「そうよ。教頭よ。あのクッソババアのせいで私はさらなるクッソ地獄に叩き落されたのよ!」
希咲は『ここまでで全然あたし関係ないじゃん』と思ったが、白井さんに同情していたので大袈裟に「ナ、ナンダッテー」と驚いて見せた。
「あんの行き遅れがよぉぉっ! タイミング悪く居合わせやがってばっちり私のパンツ見やがったのよ! 希咲も知ってるでしょ? あいつがどういう奴か!」
「あー、まぁ、ね。ちょぉーっと口うるさいわよね」
希咲さんは若干言葉を濁した。
この私立美景台学園の教頭である三田村先生は昨今の社会における女性の立場や男女平等などの、そういった問題に非常に熱心な方で、45歳という教職という業界においては比較的若い年齢で教頭という役職に抜擢され、生徒指導に関しての責任者は別に居るのだが何かにつけて口を出し、学園に通う生徒や同じ教師たちに対して非常に熱心な指導という名のご活動をされていらっしゃるご立派な方である。
自立した女性として教育に身を捧げるためにと生涯独身を公言し、ステータス値にちょっとデフォで全男性へのヘイトがカンストしてらっしゃる不具合が発生している疑いがあるところが玉に瑕な、多様な意味で声の大きな女性であった。
「あんの売れ残りがよおお、よりによって彼の目の前で! 公衆の面前で! 私に『その下着はなんなんだ? そんな男性に媚びるような下着を身に付けて神聖な学び舎に来るとは不謹慎だ。あなたのような男に媚びる女がいるせいで世の女性の立場は一向に上がらず、いつまでも男性に搾取され続けるんだ。あなたは女性の社会的立場の向上を阻害するつもりか』とかなんとかよお、わっけわかんねえことぬかしやがって!」
「あーー、言いそう。絵が浮かぶわ」
「しかもさ、怒られてる私を見かねてさ、これもよりによって私の好きな彼がね? 止めに入ってくれたのよ! その優しさが死ぬほどつらかったわ! でも好きぃぃぃっ」
「うわぁ……」
「そしたらさ、あのババア、彼に絡み始めやがってさ! 『やっぱり男に媚びてくる女を優遇するの? あなたのような女性を蔑視する男性がいるせいでどれだけの女性が機会を与えられずに泣いていると思うの? あなたはこれからの社会での男女平等をどう考えてるの?』とかってさ、私と彼を並べて説教始めるのよ! 彼、小声で私に『ごめんね』って言ってくれたわ。私が悪いのに! 私もごめんなさいとしか言えなかったわ……ねぇ、信じられる? これが1年片想いした挙句の彼との初会話なのよ⁉ 彼のあの時の気まずそうな顔! 今でも夢に出るわ! あの時もうその場で舌噛んで死のうかと思ったわよ! ちくしょおおお!」
「き、きっつぅぅ」
「これが私よ! 白井 雅という女よ! 好きな男の前で年上の女から『お前はいかにいやらしい下着を着用しているのか』ってくどくど30分もかけて丁寧に説明された憐れな女よ!」
「は、はい……なんか、あの、申し訳ございません……」
天井なしに吹き上がっていく白井さんの怒りの様相に希咲はもう罪過もないのに謝るしかなかった。
「大体、黒のTバックごときでいやらしいとかいつの価値観よ! あの脳みそアプデされてねえババアが社会問題とか笑わせるわ! テッメェらがわっけわかんねえお立ち台の上でセンス悪ぃ扇子振り回してケツ見せびらかしてた時代とはもう違ぇんだよ! あんなんただの実用品だわボケがっ!」
「んんっ、白井さん? ちょぉ~っとお口が悪いかなぁって」
「テメェが結婚絶望的だからってよぉコンプレックス拗らせやがってこっちの足まで引っ張ってくんじゃねえっつーのよ! 若い時に調子こいてテメェの価値高く見積もって売り渋ったから売れ残っただけの不良在庫がよおお! テメェが一番の女の敵なんだよ、あんのどブスがあああああ!」
「ちょ、ちょっと……」
「くそが! くそが! くそが!」と喚きながら白井さんは手近にあった法廷院が座る車椅子に蹴りを入れる。申告どおり運動能力に乏しいのか大して威力はないものの、男性陣は身を寄せ合って震え上がり「ごめんなさい、ごめんなさい」と罪過もないのに謝罪をすることしかできなかった。
希咲が慌てて羽交い絞めにして車椅子から彼女を引き離すと、ようやく落ち着いたのか「ぜーぜー」と肩で息をしながら大人しくなる。男子生徒たちは涙目で口々に「ありがとね、ありがとね」と希咲に礼を言った。
まだ何も全容は見えてこない。
ただただ疲労感だけが希咲を苛んだ。