そこで、希咲は「そういえば静かね」と、先程まで散々悩まされていた
すると、白井に詰められていた時以外は、常に不敵な態度を崩さなかった彼は、苦虫を噛み潰したような表情で弥堂を睨みつけていた。その口がようやく開かれる。
「
法廷院が恨めしそうにまた、悔しそうに弥堂をそう呼んだ。
「アンフィニッシュ?」
「だっ、代表。それは一体……?」
慄いたように問いかける西野と本田の声に、法廷院は我に返ったように表情をまた不敵なものへと改めその疑問に答える。しかし、その頬には一筋の冷や汗を垂らしたままで。
「
「え、えぇ。それはもちろん」
「新入生でもなければ知らないやつはいないんじゃないですか?」
弥堂からは目を離さぬまま囁き合うように情報を共有していく。
(へー。やっぱこういう迷惑なことする連中には恐がられてんのね)
その彼らの様子を見て希咲はある種の感心したような印象を抱いた。
『風紀の狂犬』弥堂 優輝。
その噂は希咲も当然耳にしたことがある。当然悪名だが。
様々な内容で伝えられている彼に関する話は、中には少々常軌を逸したような内容のものもあり、希咲としてもその全てを真に受けていたわけではないのだが、しかしこうして今、彼が実際にその風紀委員の業務を行う場面に行き会ってみて、あながち眉唾でもなかったのかとそう思った。
「そうさ。誰でも知ってる。狂犬。官憲の犬め。だが、これはわりと新しい話でね。聞いたことないかな? つい一週間ほど前の話さ。新クラスでの彼の自己紹介の時の噂について……」
「じ、自己紹介……?」
「えっ⁉ だっ、代表! それってまさか……?」
(ん? 自己紹介?)
聞こえてくる彼らの話の内容に希咲は激しく嫌な予感がした。
「彼はこう言ったそうだね。『抜かずに3発出せる』――と」
「あぁっ……あぁっ……‼」
「くそっ……! あの野郎っ! ちくしょう……っ!」
法廷院の説明に合点がいったのか、西野と本田の目にも強い屈辱からくる激しい憎悪の炎が灯る。
(あーーもーーやだーー……聞きたくない……)
希咲は直接関係はないものの、自分が所属する学級の恥部が露呈したようで何故だか恥ずかしくなった。
「抜かず、終わらず……即ちその銘は――
「うあああああっ! くそがっ! くそがっ!」
「こんなのって……こんな格差が許されるのかよ……!」
男たちは悔しさのあまり泣いた。敗北感と屈辱に身を囚われながら。怒りに震えて涙が止まらなかった。
「バッカじゃないの、どいつもこいつも」
「死ねよクソ童貞」
そんな様子の彼らを女子2名は冷たく見放した。
しかし――こういった彼らの態度について、希咲は以前から感じていた疑問を、聞きたくはなかったがつい何と無しに口から出してしまった。
「ねぇ、てかさ、うちのクラスでの自己紹介の時もそうだったけど、何であんたたち男どもはみんなこれ聞いて泣くわけ?」
「はああああああっ⁉ これが泣かずにいられるかよおおおおっ⁉」
「ひっ、きもっ」
軽はずみに投げかけた質問だったが、先程自分に迫った時以上の正気を失った表情で怒鳴られ、希咲は早くも聞いたことを後悔した。
「いいかい⁉ 『抜かず』。彼はそう言ったんだよ⁉ そもそも『抜く』ためにはまず『挿れる』必要がある。だってそうだろおぉぉっ⁉」
「あ、あーー、うーーーん、あたしちょっとわかんないかなぁ……」
希咲は明言を避けた。
「つまり彼は『挿れた』ことがあると! そう言っているんだ! その上で3発だって? ふざけるなああああ! ふざけやがって! 僕たちのようにね『挿れた』ことすらない者たちは! 『挿れる』目途すら立っていない者たちはね、勝負の舞台で鎬を削るどころか……勝負に参加する資格すらないと。奴はそう言って見下したんだ! くそっ! 許さないっ! 絶対に許さないぞ! 弥堂 優輝ぃぃっ!」
本気だった。それは紛うことき男の本気の涙であった。
「あ、あほくさ……」
想像以上の酷い答えで、やっぱり聞かなきゃよかったと希咲は強く後悔をした。
「ふん、負け犬どもが」
弥堂は男泣きに咽ぶ彼らを見下ろし嘲った。
「うあああああっ! 哂うなぁ‼ 僕を哂うなぁっ!」
その言葉に西野君がキレた。
「あっ、ちょっ、ダメだよ西野君。落ち着いて!」
「そ、そうだよ。暴力はよくないよっ」
弥堂に殴りかかるような勢いの、西野君のあまりのキレっぷりを見て逆に冷静になったのか、「殺してやる、殺してやる」と喚く彼を法廷院と本田が必死に止める。
「ちょっと! あんたも煽るんじゃないわよ! てか、そんなことでマウントとるな。相手の女の子にも失礼でしょうがっ」
希咲も弥堂を窘めるが――
(――ん? 相手の女の子?)
自分の発言によって何かに気付きサーッと血の気が引いていく。
(そっそそそそそういえばそうよね。今まで気にしてなかったけど、法廷院の奴の言葉じゃないけど、『それ』ってことは『そういう』ことよね……? どっどどどどどどどうしよう⁉)
気付いてはいけなかった因果関係に行き着いてしまい、自身の親友である水無瀬 愛苗の恋路に大きな障害が存在することが判明してしまった。
(こんな奴に彼女とかいるわけないって安易に決めつけてたけど、うわ、これやばっ……どっどうしよ……えーと、えーと……あばばばばばば)
七海ちゃんはおめめとサイドテールをぐるぐる回して混乱した。
「まぁ、そういう訳さ、弥堂君。狂犬クン。つまりはキミはボクたちの怨敵であり、ボクたちもまたキミにとっての敵ということさ。だってそうだろぉ? 何せキミは疑う余地もなく強者だからねぇ。キミは恵まれているんだ。キミは『持つ者』であり『権力側』だ。ならば、ボクはキミと戦わなければぁならない。ボクたちの『平和』と『自由』と『権利』を守るために」
「…………」
宣戦布告。
法廷院のその言葉に――先程のような怒りに任せた叫びでなく、粘着いた厭味たらしい口調で、しかし、その目には希咲に対峙していた時にはなかった強烈な敵意が宿っており、そんな表情で紡がれた明確に敵対を告げる言葉に因って場に緊張感が張り詰められていく。
彼の仲間たちもまた、はっきりと敵意を顕す視線を弥堂へと向けた。
弥堂 優輝はその宣誓には応えない。
(恵まれている――だと?)
答えず、言葉には出さずにただ、心中で嘲った。彼らを――ではなく自分自身を。
「び、弥堂っ。あのね、こいつら――「――二つだ」」
希咲は弥堂の左腕の腕章にそっと自身の左手で触れ、彼らの異常性を伝えようとするが、その言葉は聞き届けられなかった。
弥堂は身体を完全に集団の方へと向けることで、希咲を拒絶するように彼女の手を外し、その左手の指を二本立てて法廷院たちに見せてやり勧告する。
「いいか。『不自由』な貴様らがとれる選択肢は二つだ。一つは、今すぐ自分の足で学園の外へ出ること。もう一つは、今から自分の足で歩けなくなるまで俺に痛めつけられてから、学園の外に放り出されることだ。俺はどちらでも構わん。好きに選べ」
「おいおい、のっけから野蛮極まりないねぇ。一周回って嬉しくなってくるよぉ。風紀委員ってのは生徒の話を訊くこともなく初手から暴力を背景にした『脅迫』をするのかい?」
「結果は変わらんからな。貴様らが『何者』で『何』をしていようと、学園から公式に認められた活動・団体でないのならば、話を訊いたところで最終的には立ち退かせるだけだ。ならば、最初から叩き出した方が効率がいい。貴様らになぞ興味はない」
「なんてこった。興味がないだなんて、ひどいことを言うねぇ。ボクら『弱者』のことなんて眼中にもないってのかい? そいつはずるいぜぇ。ボクたちはこぉんなにもキミを憎んでいるっていうのに。それにボクたちはキミの名前を知っているっていうのに、キミは知らない。そんなのおかしいと思わないかい? だってそうだろぉ? そんなのは『不公平』じゃあないかぁ」
「知ったことか。そんなに名を知ってもらいたければ首からIDタグでもぶら提げておけ。後で無様に気を失った貴様らを学園外に放り出す時にでも検分して生徒名簿と照合し、その名前の横に『不良品』と書き加えておいてやる」
「そいつは明確に『差別用語』だぜぇ。官憲の犬風情が――このボクの前でよくぞ言ったぁ!」
もちろん敵はこの車椅子に座った男だけではない。彼の周囲を固める彼の仲間たちからも強い敵意が視線にのせて弥堂に向けられる。そして弥堂の左後方からも視線が向けられているのが首筋の肌で感じ取れた。しかしそれに載せられている意は敵意ではないものの、どこか居心地の悪さを感じさせられ、弥堂は目線だけを回し自身の左後方――
希咲は、普段は美しく弧を描く切れ長で涼やかなイメージを持たせるその猫目を、弥堂の持っていた彼女の印象としては珍しく、まん丸に開いてきょとんとした表情でこちらをじーっと見ていた。その意外さから弥堂はつい彼女へ問いかけてしまう。
「なんだ?」
「や。ちょっとびっくりしちゃって……あんたがそんなに喋ってるとこ初めて見たわ」
弥堂は希咲から目線を外し、「あ、こら。なんであたしは無視すんのよっ」と喚く彼女を尻目に再び法廷院たちへと視線を向けた。
というのも、希咲としては、弥堂 優輝という男の子は口下手で不器用な子という印象を持っており、先程自分が体験したように、言っていることは無茶苦茶でもペラペラとよく口が回る法廷院と口論をするのは彼には荷が勝つのではと、弥堂を心配し慮り忠告をしようとしたのだが、なかなかどうして対等以上に法廷院と舌戦を繰り広げている様子に虚を突かれたのだ。発言内容としてはもちろん弥堂の方も最悪なのだが。
「ふん、そうやってこまめに男に媚びて持ち上げてやって取入るのね。さっきはさりげなくボディタッチしてたし、なんていやらしいメス猫なのかしら……勉強になるわ」
「今のやりとりをどう見たらそうなるのよ、目ん玉腐ってんじゃないの……てか、顔くらい出せ」
白井さんが余計な口を挟んだことにより、希咲はきょとんとした幼げな表情からいつもの不機嫌そうな顔に戻り発言主へと半眼を向ける。しかし、白井さんは弥堂が勧告という名の脅迫をし始めたあたりから、完全に高杉の背後へ隠れ、今では顏すら出していない。
そのため、彼女の身代わりに希咲から半眼を向けられ、これまでずっと無言・無表情で静止していた高杉は、少々居心地が悪そうに身動ぎした。
そして若干この場が弛緩したことを好機と見たか、すかさず法廷院が口を挟む。
「クフフ……それではこの機に名乗らせてもらおうか。意地でも名乗らせてもらおうか。ボクの名前は法廷院 擁護だよぉ、狂犬クン。『
流暢に口を回し名乗りを挙げる車椅子に乗った法廷院を、弥堂はつまらなさそうに見下ろす。
「そしてここにいる彼らはね、ボクが組織した団体の仲間さ。おっと、組織したと言ってもボクの部下というわけじゃあない。『平等』がボクの信条だからね。ボクはただの代表者さ」
「組織だと?」
「おやぁ? おやおやおやぁどうしたんだい? やぁっとボクたちに興味を持ってくれたのかなぁ? フフフ、いいだろう、意地悪しないで親切にも教えて差し上げようじゃないかぁ! ボクたちはね、キミのような『強者』から、『持つ者』から取り上げて、全ての『弱者』に配当し、この世界を均して全ての『弱さ』を救ってあげるために集まったのさぁ! そう! ボクたちは『
「『
それは弥堂としても記憶に新しい名であった。今日の昼休み、自身の所属するサバイバル部の情報統制担当である『
「そう読んでくれて構わないぜ。なんなら頭文字をとって『N・N』と呼んでくれてもいいけれど、だけど『弱剣』と略すのは勘弁してくれたまえ。だってそうだろぉ? 『弱い人』は許されるべきだけど、『人の弱さ』を補うために作られた剣が『弱い』だなんてそんなのは許されないからねぇ。物には『人権』はないから、それはさすがにこのボクを以てしても擁護しきれないよぉ」
「……貴様らがここ最近放課後に孤立した生徒を取り囲んで、迷惑行為を働いているという団体か」
「は? あんたら、あたしにだけじゃなくて普段からこんなことばっかしてるわけ?」
「ハハハッ! うれしいねぇ! かの有名な『風紀の狂犬』の耳にまでボクらの高尚な活動と名がすでに届いているとはっ!」
「なにが高尚よっ! ふざけんじゃないわよっ! ただの迷惑な私刑行為じゃないっ!」
何やら調子をとりもどした希咲と法廷院の言い争いを背景に、弥堂は思考する。
『
Y'sからの申告では対応レベルは3。可能な限り早急に対応する必要があるとのことであったが、弥堂としては部活動でもないこいつらを潰したところで自身が正式に身を置くサバイバル部には何の益もないと評価をした。そのため、風紀委員会所属とはいってもあくまでスパイである弥堂としては、風紀委員の通常業務以上のコストをかけてまで、こいつらを相手にする必要などないと昼休みに判断をしたばかりであった。
しかし、風紀委員会の方から弥堂に対応にあたるようにとの命令が下されるか、それとも――
「――こうして業務中に遭遇してしまったのならば仕方がない。これはもう俺の仕事だ」
そう結論付けた弥堂の声に希咲と法廷院も言い争いをやめて彼へと視線を戻す。
「こいつらって有名なの? あたし初めて聞いたんだけど」
「…………」
「おいこらっ、だからなんであんたはあたしだけ無視するわけ⁉」
「お前には知る資格がない」
「あんだとこらー!」
ぎゃーぎゃーと言い募る希咲に対して、弥堂は職務に忠実に守秘義務を遵守した。
「いいだろう、気が変わった」
「ほう? ボクらの話を聞く気に――「貴様らの選択肢はなくなった」――なんだって?」
「貴様らは誰一人帰らせん。全員打ちのめして風紀の拷問部屋に連行してやる。簡単に解放されると思うなよ。他の関係者、他の協力団体、背後関係から資金の提供元まで洗いざらい吐き出すまで日の当たる場所に戻れると思うな」
「おいおい拷問だって? 乱暴だなぁ。大体それは『人権の侵害』だぜ? だってそうだ――ん? 拷問? 今拷問って言った?」
先程より圧を強めて身柄の拘束を要求する弥堂に、基本的には臆病な『弱者の剣』の面々は急速に不安に駆られた。