俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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序章19 剥き出しの幻想に包まれし者たち ➁

 

「ホーケーインポだよ。小中学時代のボクの渾名さ……ひどい名前だと思うだろぉ?」

 

「んーと、えーと……ごめん、ちょっとあたしわかんないかなぁ……」

 

「カマトトぶってんじゃないわよおおぉぉっ! ヤリ〇ンのくせにっ‼」

 

 希咲は性的なワードについての言及を避けたが、何故か暫く大人しくしていた白井さんがキレた。

 

 

「『ほうていいん』を『ホウケイインポ』。なんとなく語感を合わせただけの実に小学生らしい下らないネーミングさ。覚えたての下ネタワードを言いたいだけのクソガキどものやりそうなことだよ‼ 小学校の間だけならばまだいい。百歩譲って許そうじゃないか。だけど! 色々と性に目覚めるお多感な中学時代まで、ずっとこんな渾名で呼ばれ続けた惨めなボクの気持ちがキミにわかるかい⁉」

 

「えぇ……なんというか、その、大変痛ましく思います……」

 

「男連中だけじゃなくて終いにはキミのようなギャルたちにまで弄られる始末さ! 経験人数がそのままステータス値になると勘違いしてるようなメス猿に囲まれて、こんな名前で侮辱される気弱な童貞の心の痛みなんてキミたち『強者』にはわからないだろおぉ!」

 

「いやだから、あたしはそういうのじゃ――」

 

「インポはまだいいよ! ボクは逆境の中でも勃ち上がれる男だってことはボク自身よくわかっているし、それは毎晩自分で確認してるからね!」

 

「そういう情報マジでいらないんだけど」

 

「でもね! 包茎は仕方ないだろ!? 身体的特徴なんだからしょうがないじゃないか! それとも手術しろとでも言うのかい? 関係ないんだから放っておいてくれよ! だってそうだろぉ? ボクが包茎で、男が包茎でキミたちに何か不都合があるっていうのかい? どんな不都合か具体的かつ詳細に説明してみなよ!」

 

「そ、そんなのわかんな――っていうか、あんたそれ普通にセクハラよ!」

 

 本日最高にヒートアップしている法廷院はこれまでの己の中に蓄積した負の感情を全て吐き出さん勢いだ。

 

 

「大体さぁ! 包茎はボクだけじゃないだろぉ!? 日本人男性の7割だか8割だかは包茎だってデータがある! 念入りに調べたからね! ボクをそう呼んでバカにしてた奴らも計算上ほぼ全員包茎なはずだし、この学校の男子だって7割以上は包茎なんだ! クラスに15人の男子が居れば10人は包茎なはずなんだよ! みんなみんな包茎のくせにボクだけバカにしやがってちくしょう‼」

 

 高度に医学的な統計データを用いた法廷院の弁論に、彼の脇に控えていた本田君と西野君が俯き気味に目線を逸らしソワソワした。何かしら身につまされることでもあるのかは不明だが、彼ら二人は可能な限り自身の存在感を薄めて早くこの話題が終わってくれることを心から願った。

 

「キミにならわかるだろう⁉ 希咲さん! 毎晩別の男の上でスクワットをして、様々な棒状の器官を取り扱ってきたキミになら! 包まれた器官と包まれていない器官のリアルな比率をキミは膨大な回数の臨床試験の中で目撃してきたはずだ‼」

 

「見てねぇっつってんでしょーが! あんたたち何べん同じこと言わすのよっ‼」

 

「嘘つくんじゃないわよ、この救命セックス病棟24時が! ギャルとはそういうものだって臨床データが上がってるのよ」

 

「白井てめー、調子こきやがって――」

 

 またも在りもしない不名誉な性経験とレッテルを押し付けられ、この手の話になると必ず絡んでくる白井への怒りで思わず手に力が入る。そのせいで無意識だが、弥堂の口を抑えていた左手の指が強張り彼の顏に爪が食い込んだ。

 弥堂は額に青筋を浮かべいい加減我慢の限界だと、彼女の指が動いたことで拘束が緩んだ唇の隙間から舌を出し、舌先から押し付けるようにして希咲の指を舐めあげた。

 

「――ぶにゃああああああああああああぁぁぁぁっ⁉⁉」

 

 希咲は白井へと反撃の罵詈雑言をぶつけてやろうとしていたが、突如意識外から左手の指に感じた他人の舌の体温の熱さと、ねとっとした湿めった感触に驚き奇声をあげる。反射的に背筋を反らしながら伸ばしてつま先立ちになり、足先から順番に上半身の方へと背筋を急速にブルブル震わせ、髪のサイドのしっぽをぴーんと上に伸ばす。

 

 彼女の性格的に怒り狂って反射的に殴りかかってくるかと弥堂は備えていたが、体験したことのない感触に驚きすぎてしまって、希咲はへなへなっと腰から脱力をすると、その場の床にぺたんとお尻を着けて座り込んでしまった。

 

「なんでなめたのぉ……?」

 

 女の子座りでへたり込んでしまった体勢のまま右手で左手の手首を力なくつかみ、左の掌を向けて弥堂が舐めた指の湿った部分をこちらに見せながら、気の強い彼女が見せたことのない表情で放心したようにこちらを見上げてくる。

 ふにゃっと眉と大きな猫目の目尻を下げて、その瞼に涙を浮かべながら情けない声音で抗議をしてくる希咲 七海の姿に、弥堂は胸の奥底の方から何か得体の知れないドス黒いものが湧き上がってくるような気がしたが、気がしただけなら気のせいだろうと彼女を無視し、法廷院へと向いた。

 

 

「おい、ホーケーインポ」

 

「あああぁぁぁん⁉」

 

 初手から躊躇することなくNGワードを使用していく。

 

「ふん、弱いからだなんだと、日頃から自分がやらなくてもいい、出来なくてもいい理由を探すことにだけ四六時中全力を注ぐ、腑抜けのお前にぴったりの名だ。そうだろう? ホーケーインポ」

 

 弥堂の血も涙もない煽りに法廷院は怒声を爆発させそうになるが、寸前で飲み込み湧き上がるものを必死に抑え込むと、ガクンと上半身を折り曲げ、そこから頭だけを上げて前髪の隙間からギラついた視線を妖しく輝かせる。

 

 

「フッフフフッフ……つっつつつつつつつよがるのはやめたまえよ、狂犬クン」

 

「なんだと」

 

 自分に煽られ怒りに翻弄されるばかりであった法廷院の様子が変わったのを弥堂は敏感に察知した。

 

「ククク……見えたぜぇ、勝利への道筋ってやつがぁ……キミはもう終わりだよ、狂犬クン」

 

「…………」

 

 不敵に眼を光らせる法廷院の言葉に弥堂は慎重に真意を探る。

 

 その弥堂の足元では床にへたり込んだままの希咲が「うぅ……」と涙目で情けない呻きをしながら、弥堂のズボンの膝上あたりで先程舐められた手をゴシゴシしており、そしてさらにその希咲の様子を見て、白井が舌打ちをし苛立たし気にガリガリと爪を噛んだ。

 

 

「まさかこんな諸刃の剣があったとはね……だがこうなった以上はキミも道連れだ。ボクと一緒に高杉君の待つ地獄へ行こうゼェ」

「代表、高杉さん死んでないです」

「しっ――バカっ本田、声を出すな。気付かれるぞ」

 

 勝利を確信したかのように不敵さを取り戻した法廷院を向こうにして弥堂は油断なく見据える。

 

 

「フフフ。ボクのことばかり言ってくれるけどね、狂犬クン。そういうキミはどうなんだい?」

 

「……どういう意味だ」

 

「ハハハッ、さっき言っただろう。日本人男性の7・8割は包茎だって! ここには男子が5人いる。計算上その中で4人は包茎だってことさ」

 

「それがどうした」

 

「ククク……つまりボクはこう言っているのさ。ねぇ狂犬クン――キミも包茎なんじゃあないのかなぁ?」

 

 法廷院のその言葉に『どん』っと空間に激震が走ったかどうかは定かではないが、少なくとも法廷院の仲間である西野と本田はキョドった。確実に話の流れがマズイ方向になってきていると敏感に察知した彼らは、必死に己の存在感を薄めてどうか自分に話が回ってきませんようにと祈った。

 

 弥堂は何言ってんだこいつという気持ちで無言で眉を顰めたが、その弥堂の無言の隙を『効いている』と捉えた法廷院は俄かに調子づいた。

 

 

「だってそうだろぉ? まぁ8割って言ったらほぼ全員って言ってもいいかもねぇ。ひょっとしたら全員包茎だって可能性も十分にあり得るぜぇ? 『平等』に『公平』にみぃんな包まれているのさぁ! 素晴らしいことじゃあないかぁ」

 

 ドヤ顏で持論を展開する法廷院の言葉に西野と本田はビクっと肩を竦ませた。そんな彼らの様子を白井さんはじっと見ていた。

 

「ねぇねぇ、狂犬クンさぁ、キミはどうなんだい? キミも『包まれ棒』なんだろぉ? 恥ずかしがらずに言ってごらんよぉ?」

 

「下らんな。お前と一緒にするな包茎院」

 

 その呼称に包茎院はコメカミにビキっと血管を浮き上がらせるが、かろうじて笑顔を保ちスルーした。ここで仕留め損なえば自分たちはもうノーチャンスだ。今有利なのは間違いなく己なのだと戒める。慎重かつ確実に事を進める必要があると彼は感じていた。

 

 心底から下らないとつまらなさそうに返答する弥堂の股間部分を白井さんはじっと見ていた。

 

「ちょっと男子ども! そういう会話は女子のいないとこでやってよね」

 

 少しばかり気を持ち直したらしい希咲が、まだ床にぺたんと座ったままだが咎めるように軽蔑の眼差しで、お手本のような女子台詞でコンプライアンスの重要性を訴えるが、法廷院はそれを無視して続ける。

 

「一緒にするなって? それはどういう意味なんだい? まさか自分は『むきだし棒』を所有しているとでも主張するのかな? おいおい、見栄を張るなよぉ。いいじゃないか、ほんとぉのことを言ってごらんよぉ。なぁに、恥ずかしがる必要なんてないんだ。みぃんな同じなんだよぉ。ねぇ、西野君、本田君?」

「え⁉ いや、それはまぁ、そういうデータが出ている以上そういう事実が存在する可能性は高いと、客観的にはそう捉える必要があると言わざるをえないかもしれませんね」

「あー、高杉さんが動いたー目を覚ましたのかなー? あれー違ったー、勘違いかー」

 

 西野君と本田君は明確な回答を避けた。

 

 

「ほら彼らもこう言ってるじゃあないかぁ。キミもそうなんだろぉ? 正直に言ってごらんよぉ」

 

「同じことを何度も言わせるな。この質問に何の意味がある」

「サイッテー」

 

「おいおいおい、話を逸らそうとするなよぉ。もしかして必死かいぃ? もう素直に認めちゃいなよぉ、狂犬クゥン。自分は『包まれし者』だってさ。キミがいくら『むきだし』の申告をしてもボクらには真実はむきだされないからねぇ。だったら信頼の出来る機関がむきだしたデータの方を信じちゃうよぉ。だってそうだろぉ? キミが『包まれし者』ではないと証明しようとするならもう実際にむきだすしかないんだ。でもそんなの出来るはず――「――見せなさいよ」――えっ⁉」

 

 完全に勝利ムードの法廷院が畳みかけようとした時、なんか知ってるパターンで白井が口を挟んだ。先程同様に『弱者の剣』男子メンバー3人はギョッとして白井の方へとバッと顔を向けた。

 

 

「何よ。見せればいいじゃない。証明なんて簡単でしょ? むきだせばいいじゃない」

 

「白井さん、キミはその方向性でいいのかい?」

 

「あんた完全に痴女じゃない……そこまで追い詰められてるの……?」

 

 希咲と法廷院が同情の眼差しを向けたが白井さんは自分に向けられる憐憫には気が付かなかった。何故ならば、彼女は先程からずっと目ん玉かっ開いて弥堂の股間を凝視し続けていたからである。彼女はもう誰にも救えない。

 

 

 完全に正気を失っているとしか思えない白井が常軌を逸した要求を弥堂へと叩きつける。

 

「どうしたのよ、弥堂 優輝。さっさとむきだして見せなさいよ。いつまで包まれているつもり?」

 

「この女はイカレてるのか?」

 

「アハハハ、そ、そうなんですよ。彼女ちょっとおかしくて……」

「ほ、ほら、白井さん。下がりましょう。普通に殴られますよ」

 

 西野と本田が弥堂へと卑屈な笑みを浮かべ誤魔化すようにしながら白井を回収しようと彼女に近づく。

 

「邪魔をするなああぁぁぁっ」

「あぁっ」

「ひぃっ」

 

 しかし、腕をぶん回した彼女にあっさりと振りほどかれ、続いてギンっと血走った眼を向けられると彼ら二人はあっさりと引き下がった。

 

「さぁ、邪魔者はいなくなったわ。心置きなくむきだすのよ、弥堂クン……だってずるいじゃない? あなたさっき私のむきだしのお尻を鑑賞した挙句にその足でじっくりと感触まで楽しんだじゃないの。私にも見るくらいの権利があるはずだわ」

 

「お前程度の女の尻で俺を楽しませられたとでも思っているのか? 思い上がるなよブスが」

 

「んっ……なんてオレ様なの……嫌いじゃないわ。でもこれは貴方の為でもあるのよ? 弥堂クン」

 

「なんだと?」

 

 公衆の面前でむきだすことで何かしらのメリットが自分にむきだされるようなことがあるのかと、弥堂はつい聞き返してしまった。

 

「むきだしてみてもちょうだい――考えてみてもちょうだい。このコンプレックス拗らせたクソ童貞どもは何としてでも貴方を貶めてやろうと必死なのよ。きっとこのままいつまででも粘着してくるわ、他にやることがないから。だったらさっさとむきだしてしまった方が、貴方的にも他の仕事に早く取り掛かれるから効率がいいと思わないかしら」

 

「ほう、一考の余地はあるな」

 

 自分の仲間を貶める発言をしてでも男子の男子的な部分を目視したい。花も恥じらうはずの地味系JK白井さんは欲望と好奇心を剥き出しにして必死だった。

 彼女は普段は比較的大人しく真面目に学園生活を送っている生徒なのだが、この『弱者の剣』の活動中は何かが開放されるのか、普段被っている一般人の皮の中身が剥きだされすぎてしまう傾向があった。

 

 

 その白井の説得に弥堂は一定の理解を示す。効率がいいというフレーズが気に入ったのだ。

 

「ちょっ、ちょっと弥堂もなに納得してんのよ! そんなのダメに決まってるじゃないっ」

 

「黙りなさいよクソビッチが! なに? 自分はいつでもそんなもの好きなだけ見放題だからって余裕を見せつけているわけ⁉ 見下さないでちょうだい‼――あ、弥堂クン、ちなみにむきだしてくれたら私は知ってること何でも喋ります」

 

「誰がクソビッチよ! あたしだってそんなもん見たこと――「――よし、いいだろう」――は?」

 

 気のせいかと思いたくなるような弥堂の了承の声が聞こえ、そんなバカなと頭がフリーズするが、次いで聞こえてきた『カチャカチャ』という異音にすぐに再起動する。

 

 その金属と金属が擦れるような音は希咲の顏のすぐ真横で聞こえてきた。いまだ床にお尻を着けて座り込んだままの姿勢の希咲はバッとその音の方向――弥堂 優輝の方へと慌てて首を回した。

 

「ちょちょちょちょーっとおぉっ! 弥堂あんた、嘘でしょっ⁉」

 

 どう見てもベルトを外しているようにしか見えない弥堂の仕草にパニックになる。サイドのしっぽがぴーんと上に伸びた。

 

「あんたっ、ばかっ、やめなさ――あほおおおっ!」

 

 慌てて彼を制止しようと声を上げるが、続けて聞こえてきた『ジッ』とファスナーを下ろすような音にびっくりしてもうまともな言葉も並べられない。完全に混乱した彼女はどうにかこの蛮行を止めなければとズボンを下ろそうとする弥堂の手を摑まえようと手を伸ばした。

 

 ここまでの動作を白井はまばたき一つせずに目ん玉かっぴらいて焼き付けようとしていた。

 

 しかし、希咲の努力むなしく、あえなく『ズルっ』と下着ごと弥堂の制服のスラックスは彼自身の手によってズリ下ろされた。

 

「ぎゃあああああぁぁぁぁっ」

「キャアアアアアァァァァッ」

 

 複数の悲鳴が響く中でついに衣服によって包まれていなければならないモノが公共の場にてむきだされた。

 

 弥堂を止めようと彼に向って半ば飛び掛かるように両手を伸ばした希咲だが、寸でのところで間に合わず、目の前でズボンが下ろされていくのがスローモーションで見えたような気がした。何とか決定的なモノだけは目に映さないようにと彼女は悲鳴を上げながら顏をバッと下に向ける。ちなみに「ぎゃあー」と叫んだ方が希咲だ。

 

 勢いよく頭を動かしたために彼女の頭の左側で括ったそこそこ長さのあるサイドテールがぶんっと振り回される。

 

「いてっ――何すんだ希咲」

 

 何故か弥堂が希咲へと抗議の声を挙げたが、希咲はもう何も考えられないくらいにテンパっていたので返答は不可能だった。

 

 

「キャアアアアっ、イヤアァァアっ、なにそれっ、なにそれえぇぇっ⁉ 知らないっ! そんなの知らないぃぃぃっ」

 

 乙女のような悲鳴を上げて泡を食っているのは法廷院であった。自身の包まれたものとはあまりに形状の異なる、弥堂のむきだされしものを目にして彼はショックと恐怖のあまり泣きだしてしまった。

 それは西野や本田も同じようで、男3人尻もちをつきながら身を寄せ合い身体を震わせながら金切り声を上げる。

 

「おい、これで満足か?」

 

 弥堂が問いかけたのは白井だ。

 

「はい。大変結構なお手前でございました」

 

 白井さんはまるで憑き物でも落ちたかのような清らかな微笑みで満足した旨を伝えると、深々と頭を下げた。最敬礼だ。自身の身体の両側に左右の手を指まで綺麗に揃えてそれぞれ真っ直ぐ伸ばし、背筋と首が曲がらないよう意識をしながら45度の角度で腰を折ることで、むきだされしご本尊へと最大限の敬意を払った。

 

「しまってよおぉぉっ。もうそれしまってよおおぉぉっ」

 

 法廷院の方ももう十分だと涙ながらに訴えているようだったので、弥堂は下ろした下着とズボンを直した。

 

 

 希咲 七海は床にぺたりと座り込んで、顔を上げないように視線を床へと縫い付けたまま完全にフリーズしていた。身体の動きは止まっていたが現在彼女の頭の中は絶賛大混乱中である。顔を下に向けているので他の誰にもその表情は見えなかったが、左手の甲に右手を重ねるようにして、口元を両手で隠して顔中を真っ赤に染め上げていた。

 

 視線を下げることで視界に映っていた弥堂の足元から、彼の手が昇っていくのに連動して肌色が制服のズボンによって塗り替えられていく。頭の上からまた聞こえてきた『カチャカチャ』というベルトを弄る音にさらに追加で羞恥が湧き上がってきて何故か目に涙まで浮かんできた。

 

(見ちゃった見ちゃった見えちゃったっ! どうしてくれんの――いや違う、見てないあたしは何も見てない。見てないったら見てないもんっ‼)

 

 

 緊急回避で顔を下に向ける直前。何やら今まで生きてきた中で、一度も目にしたことのない何かがボロンっとまろび出た一部始終が目に入ったような気がするが、気がしただけなのできっと気のせいだ。

 

 ぶっちゃけ何かよくわからない黒いシルエットが見えただけ――どころの話ではなく、色々と詳細にはっきりくっきりと形状からその動きまで記憶に刻まれているが、見ていないものが記憶にあるわけはないので、絶対に気のせいなのだ。

 

 床にお尻を着けて座っていたせいで目線の高さが度し難いほどに丁度よく、また彼の行動を阻止しようとほぼ正面から彼に向って身体を前のめりにしながら腕を伸ばしていたことで、距離感としても冒涜的なほどにアリーナ最前列席であったが、何が何でも気のせいったら気のせいなのだ。

 

 希咲は自分の優秀すぎる動体視力を心の底から呪ったが気のせいなのでセーフだ。そう自分に強く言い聞かせていた。

 

 

 問題はそれだけではない。

 

 勢いよく頭を下げた際にサイドテールが派手にぶん回された。あの時の弥堂の『いてっ――何すんだ希咲』という台詞。

 

 これはダメだ。絶対に深く考えてはいけない。禁忌に抵触する。あの時に振り回された髪の先の方で『ぺしっ』という何か肉を打つ手応えが感じられたような気がするが、真相にまで辿り着かなければそんな事実は存在しなかったことになるので、乙女の意地にかけて絶対に考えてはいけないのだ。

 そうしなければ自分の乙女生命は終わってしまうという強い危機感があった。

 

(気のせい気のせい絶対に気のせいなんだからああぁぁぁっ)

 

 混乱のあまり大声で叫びだしたくなる衝動を堪えるために、口元に当てた左手の人差し指をガジガジして気を紛らわせる。強い刺激を与えることで少し落ち着けたのだが思っていたよりも痛かったので、そのまま痛みの残る人差し指の基節部を唇で挟み込んで、歯形のついた皮膚を舌先で舐める。目をぎゅっと強く瞑って動悸の早まった胸の鼓動に必死に耐える。

 

(うぅぅぅっ、ばかっ、ばかっ、びとうのばかっ。なんでこんな日にこんな場所で初めて――いや違う、それは違うわよ七海っ。セーフ、セーフだから。だってあたしなんにも見てないもん、見てないったら見てない。だから全然だいじょ――)

 

 思考の中で言い訳を羅列していたら、ハッとあることに気付き――気付いてはいけなかったことに気付いてしまい、そろーっと恐る恐る自身の口元へと目だけを動かす。今、現在進行形で唇ではむはむしながら舌先をチロチロ当てている左手の人差し指を見る。

 

(えっ、えっ……ちょっと待って、この指ってさっきあいつが舐め――)

 

「――うにゃああああぁぁぁぁぁぁっっ‼‼」

 

 本日一番の混乱に陥り本日一番の絶叫をあげた。

 

「おい、うるさいぞ希咲」

 

「うるさいばかっ! ばかばかばかっ! あほせくはらへんたいばかしねええぇぇぇっ‼‼」

 

 希咲はとんでもないことをしてくれた不埒者に対してそこまで罵声を浴びせたところで、とうとう処理能力が限界を迎え『びえー』と泣き出してしまった。

 

 完全無欠なギャン泣きであった。

 

 

 弥堂は、いつも無表情で何があっても動じることのない彼にしては珍しく茫然とした。

 

 今年高校二年生となり、いい年をしてと謂ってもいいような年頃の娘が、床に尻をつけて座り込みながら、まるで女児のように突然に脈絡もなく大声を上げて泣きだす様を見て驚いていた。

 しかも弥堂から見ても割と大人びている少女だと思っていた希咲 七海がそのような痴態を演じているものだから、どうしたものかと呆気にとられてしまった。

 

 

 弥堂はその偏った経験上、自身の目の前で女が泣き出した場合ほぼ9割自分が悪いということを知っていた。

 以前に自身の保護者のような役回りをしていた大雑把な緋い髪の女はそもそも泣くようなことはなく、むしろ当時の弥堂の方が泣かされていたのだが、彼の師のような立場にいた別の女は、その強大な戦闘力に似合わず何かにつけてよく泣く女で、その度に彼女から口を酸っぱくして弥堂からしてみれば耳にタコどころか、鼓膜が拒否反応を起こすくらいにクドクドとしつこく弥堂が悪いと言い聞かされていた。

 

 実際に、出会った頃は感情など持ち合わせていない冷血人形にしか見えなかったメイド服姿のその彼女が、自分と深く関わるようになってから時が経つにつれて、事あるごとにめそめそとよく泣くようになっていったのを継続的に見ていたものだから、弥堂はもう女が泣いたら自分が悪い、これはそういうものなのだと大雑把に認識していた。

 

 反論したり否定したりを試みた時期もあったが、そうすると余計に泣かれるのでもう面倒だからそれでいいやと、大変不誠実な受け入れ方をしていた。

 

 

 そんな姿勢でいるものだから、自分が悪いという風に認識をしてはいても、では具体的に何が悪かったのかという点においては弥堂に理解が出来たことは極めて稀で、今回もその例に漏れず自分の何が悪かったのかがさっぱりと不明で、どうしてこうなったと深く溜め息を吐いた。

 

 他所を見てみれば法廷院たち3人も何故か泣いている。

 

 

 弥堂は仕方なく白井 雅へと声をかけた。

 

「おい、これのどこが効率がいいんだ?」

 

 無駄だとわかってはいたが、誰か他の者に責任を押し付けたくなったのだ。

 

 しかしその問いに白井は言葉では応えず、黙って清らかで清楚な微笑みを浮かべた。

 

 

 弥堂は天井を見上げた。

 

 どうしていいかわからない。こんな風に思うのは一体何年ぶりであろうかと過去を想った。

 

 

 その背中に夕陽が差し込む。

 

 窓の外を見遣れば大分日が傾いてきており完全下校時刻が近づいてきているようであった。

 

 オレンジ色に染まりつつあるその風景の先へと郷愁の念を込めて遠く目を向ける。

 

 

 ただ一度その衣服という名のベールに包まれたものを剥きだしただけで、高校生4人を号泣させてしまったその男の背中には虚しさだけが残った。

 

 しかしその背中に確かに漂っていた哀愁を、清らかな微笑みを浮かべた白井が満足気に見守っていた。

 

 

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