俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章54 drift to the DEAD BLUE ㉔

 どうやらこれは茶番などではなくガチな話のようだと、蛭子も気持ちを切り替える。

 

 手の甲で口の周りの脂を雑に拭うと望莱へ真剣な目を向けた。

 

 

「…………」

 

 

 望莱は何も喋らない。

 

 

 こちらから促してあげるべきかと希咲が口を開こうとすると、ポツリと小さな声が漏れる。

 

 

「……31回――」

 

「……え?」

 

 

 ピクリと希咲の眉が跳ねる。

 

 

 意味深そうに何かの数字だけを呟いた望莱の真意が掴めない。

 

 蛭子から目線だけ向けられる。

 

 

 望莱が弥堂についての情報を得たのは希咲との通話からだ。

 

『どういうことだ?』という意味のこめられた視線に希咲は目を伏せ首を横に振った。

 

 

 自分も同じものを見ていたはずだ。

 

 だが、望莱が掴めたというなにかが、希咲にはまるでわからなかった。

 

 

 蛭子と共に無言のままただ望莱を見つめ、彼女が詳細を話し出すのを待つ。

 

 

「……31回。これがなんの数字だかわかりますか……?」

 

 

 すると逆に彼女の方から問われる。

 

 

 希咲は一度蛭子の方を見遣り、ここは自分が答えるべきかと口を開いた。

 

 

「……ゴメン、みらい。あたしたちには何のことだか……」

 

「そう……、ですよね……。無理もありません。わたしも未だに信じられない……、いえ、信じたくない――そう言った方が正確かもしれません……」

 

「オイ……、弥堂のことを言ってんだよな?」

 

「そうです。まさか、こんな人間が存在するなんて……。こんなことが出来る人がいるなんて……、このわたしの頭脳をもってしても想像すら――その可能性を発想することすら出来ませんでした。わたしは、彼がとても恐ろしいです」

 

 

 また震えの強くなった右手を抑える望莱に希咲も蛭子も掛ける言葉がない。

 

 

 そしてまたも希咲は動揺する。

 

 

 あの時彼女と同じものを自分はより近くで見ていたはずなのに、希咲には望莱の言う弥堂の恐ろしさ――その正体のようなものがまるでわからなかった。

 

 

「恐怖……、畏怖かもしれません……。あの時彼がしたことに、越えられない壁――それに近いようなものを感じました。この人には勝てない。まさかこのわたしがそんなことを思う日がくるなんて……」

 

 

 普段人を喰ったような態度を崩さない彼女は自信家だ。

 

 しかしそれは過信でなく、事実彼女はとても高い知能を有しており実際にそれを使いこなす。

 

 その彼女が「こんなのは初めてだ」と言うように、彼女と長い付き合いになる希咲にしてみてもこんな彼女を見るのは初めてのことだった。

 

 

 望莱の尋常でない怯え様に希咲たちの心も委縮してしまうが、しかしこうして黙っていても仕方がない。

 

 どのみち彼女の抱える畏れは仲間である自分たちも関係するものだ。

 

 しっかりと情報と認識を共有し、共に問題解決に協力しあうべきだ。

 

 

 希咲は意を決して踏み込む。

 

 

「ねぇ、みらい。お願い、教えて。31回ってなんのこと……?」

 

 

 どこか自分を気遣ったような声音の希咲の問いに、望莱は諦めたような笑みを浮かべ、恐怖から口に出来なかったことを語る。

 

 

「七海ちゃんが彼と通話していたのは15分ほどでしたか……?」

 

「え?」

 

 

 思った物とは違った望莱の言葉に戸惑いつつ、希咲はその時のことを思い出す。

 

 

「えーっと……、そうね。なんかスンゴイ長かったような気がするけど、1限前の隙間時間だからそんなもんよね」

 

「はい。31回……、より正確に総計を出すのなら実質40回。これはそのたった15分間で彼があることをした回数です」

 

「えっ?」

 

 

 その言葉に希咲は驚く。

 

 

 あの通話の最中に弥堂が何かをしていた。

 

 そんなことには希咲はまったく気が付いていなかった。急速に記憶を巻き戻して思い出してみるが、やはり見当もつかない。

 

 

 望莱が恐怖を抱くようなことを、40回も。

 

 一体何をしていたのかはここに至っても全くわからないが、自分が全く気付かないことなどあるのだろうか。そう疑問を感じる。

 

 しかし、だからこそ望莱がこうまで恐れているのかもしれない。

 

 

「……なぁ、ワリィ」

 

 

 ここまで黙って聞いていた蛭子が口を挟む。

 

 

「オレはそん時のことを見てねェからよ、全く想像がつかねェんだ。だからズバリと言ってくれねェか? あの野郎が一体何をしやがったのかを」

 

 

 核心的な答えを求める蛭子に望莱は重く頷く。

 

 

「弥堂先輩のしたこと……それは――」

 

 

 望莱の唇の動きを注視する二人の喉がゴクリと鳴る。

 

 

 

「それは――セクハラです……っ!」

 

「…………は?」

「…………ア?」

 

 

 

 クワっと目を見開く見開くみらいさんだが、希咲と蛭子の眉は盛大に寄せられた。

 

 

「40回……、たったの15分の間に40回もセクハラをしたんです! こんなことが出来る人間がいるだなんて……、信じられませんっ!」

 

「…………」

「…………」

 

 

 みらいさんは驚きと恐怖を叫ぶが、二人は真面目に聞くんじゃなかったと激しく後悔した。

 

 

「バカなこと言ってんなよ、オメェ」

 

「そうです! そんなバカなと、わたしだって未だに信じ難いです! ですが、事実です。彼は15分の間に40回もセクハラをやってのけました!」

 

「いや、そうじゃなくってオマエにふざけんなって言ってんだよ」

 

「ふざけてなんかいませんよーっ!」

 

「うおっ⁉」

 

 

 呆れながら指摘をするとみらいさんが激昂した。

 

 

「なんですかその軽いリアクションは! こんな短時間に40回も女の子にセクハラをしたんですよ⁉」

 

「な、なにキレてんだコイツ……、きっしょ……」

 

「てゆーか、あんたいちいち数えてたわけ? キモイんだけど」

 

「また騒いでいるのかお前たちは」

 

 

 ガチギレするみらいさんに七海ちゃんと蛭子くんがドン引きしているとそこに天津がやって来た。

 

 

「飽きもせずによくやるものだな」

 

「真刀錵ちゃん聞いてください!」

 

「断る。それよりも七海。飲み物が欲しいんだが」

 

「蛮くんがひどいんです! セクハラくらいいいだろ的なこと言うんです!」

 

「なんだと?」

 

 

 望莱をあしらおうとした天津だったが、訴えられた内容に眉を顰めた。

 

 

「15分間に40回も色んな女の子にセクハラしたんです!」

 

「それは尋常なことではないな。許し難い」

 

「それなのに、どうでもいいだろ的な態度なんです!」

 

「蛮、貴様なんだ、その軟弱な体たらくは。そんなに我慢出来ないのなら私に相談しろ。聖人が許すのなら一考してやる」

 

「オレがセクハラしたみたいな風にすんじゃねェよ!」

 

 

 とんでもない冤罪をかけられ蛭子くんは慌てて否定した。

 

 

「む? 違うのか?」

 

「違ェよ! ンなわけねェだろっ!」

 

「みらい、貴様また謀ったのか?」

 

「いいえ! 弥堂先輩のお話です!」

 

「弥堂だと?」

 

「はい。彼はなんと15分間に40回もセクハラをしたんです」

 

「なんだと。それは度し難い変質者だな」

 

「そうなんです。常軌を逸した変態性なんです! わたし……こわくって……」

 

「無理もない」

 

 

 みらいさんがこれ見よがしに腕を縮めて自身の身体を抱くと、気づかわしげに天津が背中を撫でた。

 

 

「だって1分間に2.6回もセクハラをするんですよ? 期待値も決定率も常識外れです。驚異のスタッツです。ワールドクラスの変態さんですよ……。わたしはその脅威性を伝えたのですが真面目に聞いてもらえなくって……」

 

「安心しろ。性犯罪者など私が斬り捨ててくれる。おい、蛮。貴様は男のくせになにを日和っている。義憤を燃やせ」

 

「い、いや……、そういうことじゃあなくてよ……」

 

「どういうことだ? 望莱の話を聞いていなかったのか? 1分間に2.6回のセクハラだぞ? 甘く見るな」

 

「そうです! 蛮くんはセクハラを容認するんですか⁉」

 

「い、いや……、えぇ……? 確かにヤベェけど……、う~ん……?」

 

 

 自分の認識が間違っているのかと不安になった蛭子は希咲に助言を請う。

 

 

「な、なぁ? オレがおかしいのか?」

 

「う~ん……、難しいとこね。確かに15分で40回もセクハラするクズは許せないけど……、情報の伝え方とタイミングって重要よね……」

 

 

 希咲もなんとも困り果てる。

 

 

 話の流れ上はそれっぽい雰囲気を演出してしょうもないことを言い出した望莱を叱りたいところではあった。

 

 だが、1分間に2.6回もセクハラをする高機動型変質者が許せないのも事実である。

 

 そしてなにより、その40回のセクハラの内のほとんどが自分に向けられたものであることも希咲にとっては看過できない事実で、だからこそどういった立場を表明すればいいのか判断に迷うところであった。

 

 

「蛮、貴様まさかヤツに臆しているわけではないだろうな?」

 

「アァッ⁉」

 

 

 すると、迷っている内に天津の天然煽りによって蛭子の闘争心に火が点いてしまった。

 

 

「ンなわけねェだろうがっ!」

 

「ならばよし。そういえばお前はヤツを随分と嫌っていたな」

 

「え? そうなんですか、蛮くん?」

 

 

 それは知らなかったと望莱が目を丸くすると、蛭子は表情を苦いものに変えた。

 

 

「当たり前だろうが」

 

「なんでです? なにかあったんですか?」

 

「……自己紹介でちょっとな」

 

「あー……」

 

 

 ボツリと蛭子が漏らすと希咲は得心がいったように声を出した。

 

 

「自己紹介って、アレですか? 『ぬかサン事件』のことですか?」

 

「なによそれ。そんな言い方してんの初めて聞いたんだけど」

 

「でも何のことか一発でわかりましたよね?」

 

「しらないしっ」

 

 

 望莱がニコッと微笑むと希咲はプイっと顔を逸らす。

 

 その間に蛭子は憎々しげに語り出した。

 

 

「ベツに自己紹介なんてどうでもよかったんだがよォ……、自分の出番の前に“あんなもん”ブチかまされて空気ボロボロにされた後でよォ、一体オレに何を言えっつーんだよ……!」

 

 

 “あんなもん”とは当然弥堂が自分の自己紹介の際に、教壇から教室へ向けて『俺は抜かずに三発出せる』と表明した件だ。

 

 

 自己紹介は出席番号順に行われた。

 

 弥堂の出席番号は21番、蛭子は23番だ。

 

 

 自分さえやりたいことが出来ればいいと考えているクソ芸人に客席の空気を壊された合同ライブのような地獄と化した中で、その後に自己紹介をするのはキツイものがあった。

 

 なので、弥堂の後の順番の者たちは皆居た堪れない顏でただ事務的に自己紹介を熟した。

 

 唯一、弥堂の直後である出席番号22番の水無瀬さんだけが何も気にせず元気いっぱいに自己紹介をしていた。

 

 

「情けない」

 

「蛮くんってばアレですよね? なんかキレてる風な雰囲気で突然教室を出て行って自己紹介バックレたんですよね? 『ケッ、自己紹介とかガキみてェなことやってられっかよ』とか言って」

 

「しょうがねェだろうが!」

 

「……ちなみに遥香ちゃん涙ぐんでたからね? もうやるんじゃないわよ?」

 

「あぁーっ! 先生はマジゴメンっ!」

 

 

 自己紹介なんて興味ねえし?的な態度の蛭子くんだったが、彼は本人は否定してはいてもその言動や振舞いは完全にヤンキーだ。

 

 なので、初っ端でナメられるわけにはいかないので、自己紹介では軽くニラみをきかせてやろうと考えていた。

 

 

 そんな中での『ぬかサン』だったので、学園最強のヤンキーとしてはもうバックレるしかなかったのだ。

 

 

 そのことを女子三名に詰られ、蛭子くんは担任教師の木ノ下への罪悪感に頭を抱える。

 

 

「お前はいつまで経っても気が弱い」

 

「ヘタレヤンキーです。少しは弥堂先輩の(おとこ)っぷりを見習ってください。初対面の生徒もいる最初のHRで自分のちんちん性能を公開するなんて並みの漢気ではありません」

 

「いや、見習えって……、そいつが許せねェって話じゃねェのか?」

 

「性犯罪者とはいえ見習うべきところは見習うべきです。蛮くんには出来ますか? 教室のど真ん中で徐に脱衣し、大して仲良くもない男子に衆人環視の中で乳輪の直径を測定してもらい、あまつさえその数値を発表するなんて。大したものです。ね? 真刀錵ちゃん?」

 

「うむ。なかなか出来ることではない」

 

「出来るっつーか……それはやろうとするのもダメなことだろ……」

 

 

 性犯罪者をダシに女子たちに詰られ、何が正しいのかわからなくなった蛭子はげんなりとする。

 

 

「まぁまぁ、それくらいにしといてあげなさいよ。蛮が言いたかったのは、確かに弥堂はクズだけど今はそういう系の話してなかったじゃんってことよ。こっちの業界的な強さとか正体とか、そういうので恐いって言ったのかと誤解しちゃうでしょ?」

 

「七海ちゃんまでなんて悠長なっ!」

 

「えっ? あ、あたしも……⁉」

 

「そうですよ! セクハラスコア40! その内訳は七海ちゃんに31回! その他の女の子に9回ですよ! 七海ちゃんは当事者なのに、セクハラオッケーしちゃうんですか⁉」

 

「ぅげっ……31回……? え? あたし、そんなにされてたの……?」

 

 

 そう言われると希咲にも大変ムカムカとこみあげてくる怒りがある。

 

 

「わたし! これが許せなくって……! 悔しくって……っ!」

 

「みらい……」

 

 

 ジィンっと、七海ちゃんのお胸が感じ入る。

 

 

 いつもふざけたことばかり言って、年下のくせに自分のこともおちょくってくる困った妹分だが、まさか自分のために怒ってくれていたとは思わなかった。

 

 感動して望莱へ手を伸ばすが、すぐにハッとなってその手を引っ込める。希咲の表情はスンと無表情になった。

 

 

 よく考えたら、義憤に駆られているような態度でいるが、この子は件のビデオ通話中――しかも相手は男子だ――に不意打ちでブラを外してきやがったのだ。

 

 万が一イケナイものがカメラに映り込んでしまったりしたら、弥堂よりもこの子の方が罪が重い。

 

 

 危うく騙されるところであったと望莱へジト目を向けた。

 

 

「なんでオマエがそんなに癇癪起こしてんだよ」

 

「だって! さっき蛮くんとリィゼちゃんのことでお話した時に、『わたしが一番七海ちゃんを困らせるのが上手い』って言ったじゃないですか?」

 

「ン? あぁ、言ったっけか?」

 

「ちょっと、なによそれ。メーワクなんだけど」

 

「あれはある意味強がりで、そして事実昨日まではわたしもそう思っていました……」

 

「おいこら聞け」

 

 

 希咲が途中で聞き咎めたがみらいさんは止まらない。

 

 

「ですが、わたしは今朝、生まれて初めて自分にも上がいることを知ってしまいました……。15分間に31回……、しかも片手間に他の女の子にも手を出しながら……。わたしにも同じことが出来るかと聞かれれば、即座に首を縦に振ることは出来ません……」

 

「ちょっと! 張り合おうとすんじゃないわよ! マジでやめてよ⁉」

 

「近くに生身の女の子がいっぱいいる中で、ビデオ通話の七海ちゃんにだけは31回も……、恐るべき七海ちゃんへの執着心……、飽くなき七海愛……っ! わたしの人生最大のライバルに出遭ってしまいました……っ!」

 

「くだらねー。バカじゃねーの」

 

「あんた変なライバル心とかで何かしようとしてきたら、マジでお尻ぶつかんね」

 

 

 ワナワナと悔しさで震える拳をぺふっとテーブルに叩き落すみらいさんに希咲と蛭子は侮蔑の目を投げかけ、もう彼女を構ってあげるのをやめる。

 

 

「えっと、真刀錵なんだっけ? 飲み物?」

 

「ん? あぁ。リィゼの奴がワインが欲しいとかうるさくてな」

 

「それであんたが取りに来てあげるの珍しいわね。聖人は?」

 

「アイツは今リィゼに与える肉を串から外す作業に従事している。仕方ないから私が来た」

 

「そ。なら、ワインの瓶にぶどうジュース詰め替えたのが川で冷やしてあるわ。ワンチャンこれで騙せないかなって」

 

「あぁ。あの豚女ならわからんだろ。どこだ?」

 

「ん、こっち。連れてってあげる」

 

「あ、オレも行くぜ。ついでに他の冷やしてる飲み物も全部引き上げちまおう」

 

 

 俯いて涙を溢しながらプルプルするみらいさんを捨て置いて三人でテーブルを離れる。

 

 

「……あのよぉ、七海」

 

「ん?」

 

 

 特に無駄口をきくこともなく飲み物の場所へ向かっていると、少し気まずげに蛭子に話しかけられる。

 

 

「聖人のヤツにはあぁは言ったが、オマエは考えた方がいいっつーか……、考えてもいいんだぜっつーか……」

 

「……うん」

 

 

 要領を得ないような言葉だが希咲には彼の言いたいことが察せられた。

 

 

「学園の襲撃はこっちを失敗させる工作だってオレは思ってる。実際失敗しかけたしな。弥堂がその工作員だって可能性もないわけじゃあねェ……」

 

「……そうね」

 

「だが、そうだったとしても優先順位は変わらねェ。オレらにはこっちが大事だ」

 

「…………」

 

 

 一緒に歩く天津にも聴こえているはずだが、彼女は興味がないのか口を挟むことはない。

 

 

「でもよ、オマエはそうじゃねェ。本当はそうじゃなかったはずだ。だろ?」

 

「…………」

 

「聖人は絶対に行かせるわけにはいかねェ。オマエがここに居てくれたら助かるのも事実。だけどよ、それはオレらの都合であって、オマエの都合じゃねェ」

 

「…………」

 

「たまにはオマエも自分の都合優先させたっていいんだぜ?」

 

 

 希咲は後ろ手を組んで空を見上げる。

 

 言葉はないまま数歩進む。

 

 

「……ジッサイ、どう思う?」

 

「……弥堂か?」

 

「うん」

 

「……わかんね。今回の件での敵じゃないとは思うんだけどよ。でも、アイツがクソほど怪しすぎてマジわかんねェ」

 

「ふふっ、うける。なにそれ」

 

「つか、こういうのはオレよりオマエの方が勘が当たるだろ? オマエはどう思ってんだ?」

 

「……敵じゃ、ない」

 

 

 それはもう勘ではない。

 

 

 直感でそう思うのではなく、きっとそう思いたいというのが最早先にきてしまっている。

 

 理由は色々だ。

 

 

 だから、自分でも良く当たると思っている自慢の勘は、彼のことに関してはもう正常に働かなくなっているし、当てにはできないと感じた。

 

 

 

「ん。ここ」

 

 

 

 希咲は立ち止まって川の中を指差す。

 

 

「感謝する」

 

「…………」

 

 

 ずっと黙っていた天津が口を開いた。

 

 きっと自分が話を終わらせたがっているのを察してくれたのだろう。

 

 

 蛭子もそれがわかっているようで、特に彼の方からも言及することはなかった。

 

 

「これ全部引き上げてコンロの方に置いとくからよ、後で回収頼むな」

 

「うん」

 

「オレがやっとくから、オマエ少しゆっくりしとけよ」

 

「ん。ありがと」

 

 

 彼の言葉に甘えてその場を離れる。

 

 

 今ここまで歩いてきたルートを辿って戻る。

 

 

 今度は空は見上げず、過ぎていく川原の石に目を落とす。

 

 

 

 結局蛭子の言ってくれたことには何も答えられなかった。

 

 

 あるいは、答えなかった。

 

 

 どうすればいいのかわからない――

 

 

――のではなく、きっとしたいことが多くて選べない。

 

 

 希咲はそれを認めた。

 

 

 人は選択をしなければならない。

 

 

 自ら種としての可能性を拡げてきたことで、単体でその全てを行うことは不可能となったからだ。

 

 

 人生において重大な選択というものがあり、それは誰にでもいつか訪れるもの。

 

 

 そんな言葉をよく聞く。

 

 

 いつか選ばなければいけないとして、じゃあ、その“いつか”とはいつなのだ。

 

 

 大きいもの、小さいもの、日常の中でも選択はいくらでもいくつでもある。

 

 

 正解を引けたとしても、それが人生における重大なものだとわかるのは結局のところ時間が過ぎてからだ。

 

 

 今目の前にある選択肢がその重大なものだと、気構えた上で選べることなどないのではないか。

 

 

 ではいつ、『重大な選択をする』ということをしなければならないというのだ。

 

 

 今目の前にあるものがその重大な選択だとわかっていれば、教えてくれれば、切り替えをして今選ぶということが出来るかもしれないのに。

 

 

 考えても仕方のないことへの怒りが腹の裡から湧き上がるのを感じた。

 

 だが、こんなことはやはり考えたところで意味がない。

 

 

 では、その『重大な選択かどうかを判断すること』について、どうしたらいいのだろうと考えると、嫌いな仏頂面が脳裏に浮かんだ。

 

 

 

『――俺は切り替えが遅い。だからなるべくそれをしなくて済むように、一貫することと徹底することを心掛けている』

 

 

 彼の言葉がリフレインされる。

 

 

『――周囲がどう変わっても全て無視してしまえば、自分は変わらずに、変えずに済む。他人とのコミュニケーションのコツは、要はいかに相手を無視して自分の都合を押し付けられるか、だと考えている』

 

 

 先週共にした帰り道で、お互いの切り替えが早いかどうかという会話をした時のものだ。

 

 今の心境にマッチするものがあったので思い出したのだろう。

 

 

 なるほどなと思う一方、後半の方はちょっとどうかと思うので、これ以上あの野郎に毒される前に頭の上でパッパッと手を振って、記憶の中の弥堂を黙らせる。

 

 

(……他になんか言ってなかったっけ……)

 

 

 その前に言っていたことを思い出す。

 

 

『――何気ない日常の平穏というものはどんなきっかけで崩壊するものか知れない。だから風紀委員の俺は例えお前らにとっては小さな変化だとしか思えないようなものでも見逃すわけにはいかんのだ。それがどんな些細なものだったとしてもな』

 

『――影響があるかはわからないが、それは同時に影響がないこともわからない、という意味にもなる。事が起こった後で、まさかこんなことになるとは思わなかったので見逃しました、などという言い訳を誰が聞いてくれる?』

 

『――考えなしよりはマシだ。自分の首から流れる血を見て己が油断をしていたと気付く。そんなこともあるからな』

 

 

 いくつかの言葉が浮かぶ。

 

 これらを口にしていた彼の顔は全ていつもの無表情だった。

 

 

(でも、そっか……、あんたは“そう”なのね……)

 

 

 きっと彼にとっては全てが重大な選択なのだ。

 

 

 切り替えが上手くない。

 

 だからどんな時も自分は変わらず変えず一貫して徹底する。

 

 

 どれが重大な選択かわからないのなら、その全てに毎回生命を賭ければいい。

 

 

 彼はそういう生き方をしているんだ。

 

 

 だから日常生活においては極端だと思えるような言動をする。

 

 

 しかし、自分のようにいちいち『これは日常なのか非日常なのか』と迷う必要がない。

 

 

 小さな大したことがない選択全てを間違えたとしても、後になってわかる重大な選択だけを落とさなければそれでいいと、日常において普通であることを捨てているのだ。

 

 

 もしも日常がずっと平和に過ぎていくのなら、彼は周囲から嫌われ疎まれるだけになってしまう。

 

 だが、非日常下においては絶対に間違わない。少なくとも呑気にしていて選択をしないで終わる――そんなことには絶対にならない。

 

 

 だが――

 

 

(ちょっといい風に考えすぎか……)

 

 

 こういう心境で聞くとまるで正しいことのように思えてしまうが、少し冷静になって修正する。

 

 

 なにせ――

 

 

 希咲は足を止めてガックシと肩と頭を落とす。

 

 

(――これ……、あたしのパンツの話だったのよね……)

 

 

 なにか途轍もなく自分が情けなくなってきてしまい、ヨヨヨと涙を流す。

 

 

(なにが赤は攻撃色だ……よ! 誰がオマエのためにパンツ替えるか、ばかっ! もう帰れっ!)

 

 

 イメージの中の仏頂面に右ストレートを食らわせ変態の国に還す。

 

 その勢いで頭を上げる。

 

 

(なんかどうでもよくなってきた!)

 

 

 真面目に落ち込むだけ馬鹿々々しくなり、何も解決はしていないがもう一度歩き出すだけの元気を取り戻す。

 

 

 次だ――と心に決める。

 

 

 大事な決断をする時は遠くない、それはきっと間違いがなく。

 

 

 だから、次にそうかもしれないと感じた時は迷わないと決めた。

 

 

 その時は思い悩まず即断で殊更に軽く、突きつけられたカードから選んで引くと。

 

 

 あのバカを引っ叩くのと同じくらいに軽い調子で。

 

 

 

 

 

 

 テーブルに戻ると、ついさっきまで悔し涙を流して身を震わせていた望莱がグデッとテーブルに身を投げ出してスマホをペタペタと触っていた。

 

 きっともう飽きたのだろう。

 

 

「あんた、いい加減にしときなさいよ」

 

「えー?」

 

 

 希咲に声をかけられると彼女はニコッと笑った。

 

 言っても仕方ないかと彼女の隣に腰を下ろす。

 

 

「またゲームしてんの?」

 

「いえ、今はメッセ送ってます」

 

「へぇ」

 

 

 彼女に関しては時間が空けばすぐにスマホを触り出すと思っていたので珍しいと感じた。

 

 

「理事長に連絡してんの?」

 

「いいえ。お相手は京子ちゃんです」

 

「生徒会長?」

 

「はい。ネットで拾ったフリー素材のマッチョ画像を送りまくってます」

 

「なんでそんなことすんのよ!」

 

 

 てっきり今回の事件のことで必要な情報交換でもしているのかと思っていた希咲はサイドテールをぴゃーっと跳ね上げて叱りつける。

 

 

「もちろん嫌がらせです」

 

「やめなさいよ!」

 

「昨夜わたしも京子ちゃんにメッセしてたのに、蛮くんにだけ返事したのが気に食わないので屈強なマッチョたちで威嚇しています」

 

「きっと忙しかったんだろうからしょうがないでしょ……」

 

 

 予想以上にしょうもない理由だったので彼女からスマホを取り上げて強制的に止めさせた。

 

 

「あーん、七海ちゃんったらわたしが他の子とどんなメッセしてるか気になって仕方ないんですね」

 

「……ある意味気になるわね。気が気じゃないっていうか……」

 

「じゃあ、代わりに七海ちゃんのスマホ見してください」

 

「イヤよ。なにが“じゃあ”か」

 

「どんなメッセしたのか気になります」

 

「知らないし」

 

 

 プイッと顔を背けるお姉さんにみらいさんは萌える。

 

 

「七海ちゃんが情緒不安定です」

 

「ちがうし」

 

「えー? でもでもヘラってました」

 

「ちがうし」

 

「でも、七海ちゃんはメンヘラですし」

 

「ちがうし! 人が落ち込んだりとかしたらメンヘラ呼ばわりすんのやめてよ」

 

「えー? 落ち込んでたんですかー?」

 

「うっさい黙れ」

 

 

 推しに冷たくされると興奮するタイプのオタクであるみらいさんは調子づく。

 

 

「でもでも、七海ちゃんって情緒不安定になるとダイレクトに生理に影響出たりするじゃないですか」

 

「それは体質っ! ほっといて」

 

「ほっとけねえよ。だから、七海……、俺の傍にいろよ……」

 

「イケボやめろ」

 

「えー? でもですね、今回のことはまだそんなに重く考えなくて大丈夫ですよ?」

 

「……? どういうこと……?」

 

 

 むしろ重く受け止めようというのがさっきの話し合いだったはずだ。

 

 そう纏まるように進行していたのはむしろ彼女のはずなのにと、希咲は怪訝そうな顔で彼女の顔を覗く。

 

 

「特に昨夜の襲撃の件。あれは真面目に考えるだけムダムダですよ」

 

「は? なんで?」

 

「だってウソですし」

 

「はぁっ⁉」

 

 

 先程の話が全て引っ繰り返るようなことを軽く言い放つ彼女に驚く。

 

 

「ちょっと! どういうことよっ⁉」

 

「ふふふ、まずは、しぃー……ですよ?」

 

 

 声を荒げる希咲に望莱は唇の前で人差し指を立ててみせる。

 

 希咲は一応彼女の要請どおりに声を潜めた。

 

 

「あんたさっきはテキトーに言ってたってこと?」

 

「いいえ。まあ、適当ではあるんですけどわたしは嘘を吐いてません」

 

「……? 意味わかんないんだけど」

 

「わたしがどうってより、まずあの報告書。そもそもあれが嘘なんですよ」

 

「えっ?」

 

 

 望莱の言葉に驚きつつ、こうやって事態を二転三転させるようなことをポンポン出してくるからこっちの情緒が不安定になるんだと、希咲は恨みがましい目を彼女へ向けた。

 

 

「わたしが喋ったのは一応こういう可能性もありますよーって意味では本当のことです。でも前提となるあの報告書が嘘なので、適当に途中で切り上げました」

 

「途中……、あっ! そういえば、あんた襲撃のことは➀~➄で細かく区切ってたけど➃と➄は話さなかったわよね? あれなんでなの?」

 

「あれはですね、飽きたっていうのもあるんですが、あそこに言及しちゃうと嘘がバレちゃうのでみんなを煙に巻いて誤魔化しました」

 

「えっと……? 他のみんなには内緒ってことなの……? なんで?」

 

「そうですね……、一応自分を正当化する理由としては皆に――特に兄さんに危機感を持たせるためってことにしておきましょう」

 

「本音は?」

 

「忖度しました」

 

 

 やはり不可解な彼女の言葉に希咲はまた気が重くなる。

 

 

「忖度って、誰に?」

 

「“うきこ”ちゃんにです」

 

「“うきこ”?」

 

「はい」

 

 

 生徒会長である郭宮 京子のお付きのメイドであり、学園の清掃担当でもあり、そして警備担当でもある双子のちびメイドの青い方だ。

 

 

「わたしと“うきこ”ちゃんは忖度しあう関係なんです」

 

「一緒になって嘘ついてるってこと?」

 

「いいえ。何か正式に契約したり共謀しているわけではありません。お互いの都合上可能な限り融通しあっているだけです」

 

「またややこしいこと言うわね」

 

「ふふ、そんなに難しいことじゃないんですよ」

 

 

 望莱は身体を起こして希咲と向き合う。

 

 

「あの報告書は“うきこ”ちゃんの嘘が多く反映されています」

 

「本人から言われたの?」

 

「いいえ。勝手にそう読み取りました。それでそれがバレないよう協力したんです。忖度ってのはそういうことです」

 

「でも、なんで……?」

 

「こうやって気付いた時にこちらのラインを越えない範囲で、可能なだけ忖度してあげれば、彼女も同じようにしてくれるんですよ」

 

「たとえば?」

 

「そうですね……」

 

 

 なんてイカガワシイ関係なんだと希咲がジト目で問うと、望莱は腕を組んで思い出すフリをする。

 

 

「例えば、学園の生徒の個人情報とか、郭宮の財政情報とか、可能な限りの漏洩をしてくれますね」

 

「余裕でライン越えてない⁉」

 

 

 初手犯罪のカードをオープンされ七海ちゃんはびっくり仰天する。

 

 

「あとは、前に京子ちゃんがお金なくて困ったと嘆いていたので、こっそり“うきこ”ちゃんに盗んできてもらった京子ちゃんのパンツを顔写真付きで裏サイトで何回か売ったことがあったんですけど……」

 

「あんた何してんの⁉」

 

「そうしたらですね、たまに京子ちゃんが街を歩いていると知らないオジサンが近づいてきてお礼を言ってくるという事案が発生するようになりまして。それで御影にバレてエライことになりそうだったんですけど、“うきこ”ちゃんが誤魔化すのに協力してくれました」

 

「……聞かなきゃよかった」

 

 

 希咲は次に生徒会長に会った時にどんな顔をすればいいのかわからなくなる。

 

 

「……で? あんたの方は?」

 

「わたしは専ら今日のように彼女の嘘のお手伝いですね」

 

「そもそも何処がウソなの?」

 

 

 希咲に問われれると、望莱は少し考えてから話しだす。

 

 

「何処というか、もう全体的になんですけど。最初の印象どおり色々辻褄が合わないじゃないですか?」

 

「まぁ、うん……」

 

「これは予想ですけど、“うきこ”ちゃんは当日なにかミスをして、それを怒られたくないから嘘の報告をして、“まきえ”ちゃんを言い包めるか黙らせるかして誤魔化そうと考えたんだと思います。あの子よくこういうことするので」

 

「なるほど……、でもウソつくにしてももう少しなんと言うか……」

 

「そうですね。もっと辻褄を合わせるべきです。おそらく彼女にも誤算があったんですよ」

 

「誤算?」

 

「はい。それは“まきえ”ちゃんも嘘を吐いたことです。そのせいであっちこち破綻しちゃったんでしょうね」

 

「要はグダったってわけね……」

 

 

 聞けば聞くだけしょうもない結末になりそうで疲労感が増す。

 

 

「多分“まきえ”ちゃんは弥堂先輩のために嘘を吐いたのかなって思います。それ以外に彼女が嘘を吐くことは考えられないですし」

 

「てゆーか、➃だっけ? あれのどこがウソなの?」

 

「んー、そうですね。➃は➁と➂の間、➁弥堂先輩救出戦、➂弥堂先輩VS妖6体の決戦。これの間のことですね」

 

「それがなんなの?」

 

「難しいことじゃないですよ。➁で弥堂先輩を人質に取られて“うきこ”ちゃんは敗走したって言ってましたよね? そんで➂で妖が6体に増えてそれを弥堂先輩がやっつけたって、報告書ではそうなってましたよね?」

 

「そうね」

 

「妖が6体に増えたって報告は“まきえ”ちゃんから。つまり敗走した“うきこ”ちゃんはその後の戦いを見ていない。そして妖が増えたっていうのも恐らく目視ではなく“まきえ”ちゃんの探査術式で掴んだんだと思います。なにせ彼女も決着がつく直前まで部屋で拘束されていたんですから」

 

「あ、そっか……、つまり――」

 

「――そう、つまり、この部分はもう何もかもが滅茶苦茶なんですよ。おそらく“うきこ”ちゃんは決着の現場を全く見ていない。その戦いを見ていれば妖が何体いたかを自分で報告しているはずです。基本“うきこ”ちゃんの嘘をベースに所々“まきえ”ちゃんの嘘が混ざって、それで滅茶苦茶な話になってしまって……。というのが本当のところでしょう」

 

「なによそれ……」

 

 

 こっちは真剣に考えて悩んでいたというのに、そもそものベースの話が嘘で破綻した作り話だったなんてと、希咲は苛立ちを感じる。

 

 

「意外と、深夜に彼女たちが先輩を呼び出して鬼ごっこをして遊んでたら、本気になりすぎて学園を壊しちゃったって真相だったらウケますよね」

 

「笑えないわよ。ともかく妖に襲撃されたってところはホントなんでしょ?」

 

「そこは間違いないと思います。➄に関しては今の話を踏まえると通報と警察到着のタイミングが結界が壊れたタイミングを考えるとおかしいってところがツッコミどころです。➀~➂にもちょいちょい嘘があるので、気が向いたらクイズします?」

 

「もういいわ……」

 

 

 とても彼女のように楽しむ気にはなれずに希咲はゲンナリする。

 

 

「でもヘンじゃない?」

 

「なにがですか?」

 

「あんたさ、あの子たちは会長にウソつけないって言ったじゃん」

 

「言いましたね」

 

「吐いたじゃん」

 

「ふふ、七海ちゃん。わたしは正確にはこう言いました。『京子ちゃんに本当のことを言えと言われたら嘘を吐けない』と。つまり京子ちゃんは報告を求めただけで、彼女たちに本当のことを言えとは言っていない、そういうことです」

 

「なによそれ! もうっ!」

 

「特に疑っていなければ、いきなり本当のことを言えだなんて、普通は言いませんしね」

 

「むかつくっ!」

 

 

 してやったりといった顔の望莱に希咲は憤慨した。

 

 

「まぁまぁ、これで問題なくなったということで」

 

「どこがよ! 学園のことは相変わらずわかんないし、こっちでだって問題だらけじゃん!」

 

「なにかありましたっけ?」

 

「聖人のこともそうだし、それがなくってもあたしたち食糧ピンチなの変わってないのよ?」

 

「あぁ、そんなことですか」

 

 

 ポンッと掌を打ってから、みらいさんは右手の親指と人差し指で輪っかを作るとそれを口に咥えて「すひゅぅ~」と口笛を鳴らした風の演出をする。

 

 

「えっ……⁉」

 

 

 すると、森の中からゾロゾロと緩慢な動きで動物たちが集まってきた。

 

 心なしか動物たちは皆一様に投げやりな表情に見えた。

 

 

「うぉっ⁉ な、なんだこれ……っ⁉」

 

 

 ちょうどこちらへ戻ってきた蛭子くんも驚いている。

 

 

「食糧です」

 

「え?」

「は?」

 

 

 何を言われたのかわからないと希咲も蛭子もキョトンとする。

 

 

「これらは非常食として必要な時に都度消費していきましょう」

 

「おばかっ!」

「オマエこの野郎っ!」

 

 

 血も涙もないみらいさんの発言に二人ともに眉を吊り上げる。

 

 

「動物が可哀想なのは無理だって言ってんだろ⁉」

 

「えー? 七海ちゃんもですか?」

 

「……この子たちの境遇を考えると、ちょっと……」

 

「実に恐ろしきはニンゲン、ということですね……」

 

「オマエのせいだって言ってんだよ!」

 

 

 仕方ないとみらいさんがもう一度「すひゅぅ~」と口笛を吹いた風に合図すると動物たちは森の中へ帰っていく。

 

 その後ろ姿をなんとも言えない表情で蛭子は見送る。

 

 

「マジでよくこんなに集めたな……」

 

 

 鹿、猪、兎、カンガルー、コアラ、猿、etc……と、中には見ただけではパッと名前が出てこない動物までいて、暑いところからも寒いところからも関係なく集められたようだ。

 

 

「この子たちにまで餌あげたりしてたらマジで数日ももたないわね……、どうしよ……」

 

 

 希咲が物憂げに溜息を吐くと、川べりに寝そべっていたコディアックヒグマのペトロビッチくんがジロリとこちらへ視線を向ける。そして徐にムクっと立ち上がった。

 

 そしてノソノソと歩いて川の中へ入っていく。

 

 

 テーブルにいる希咲たち三人だけでなく、聖人たちも含めて一同はその様子を見守る。

 

 

 やはり3mほどの人食い熊が動き出すと自然と視線を持っていかれた。

 

 

 そんな自分で自分の餌をとることも出来ない愚かなニンゲンたちの視線を意に介さず、ペトロビッチくんは川の中央あたりで止まり二本足で立ち上がる。

 

 

 彼がそのまま動かなくなると、シィンと場が静まる。

 

 

 その瞬間――巨大熊の目が煌めいた。

 

 

 ペトロビッチくんはそのぶっとい腕をブゥンっとぶん回し、クマさんハンドで川の水をぶっ叩いた。

 

 

 すると水飛沫とともに宙へ舞い上がった鮭が木漏れ日にキラキラと照らされる。

 

 

「えっ⁉」

 

 

 グズなニンゲンたちが驚きの鳴き声をあげる中でペトロビッチくんは連続して腕を振り、その度に鮭が飛ぶ。

 

 

「ス、スゴーイ……っ!」

 

 

 キャーっと喜びの悲鳴をあげたギャルがクマさんの元へ走る。

 

 

「ペトロビッチくんスゴイっ! エライっ!」

 

 

 獲れた鮭を川原へ運んでどしゃっと置くクマさんの背中を、七海ちゃんはナデナデして大絶賛する。

 

 推しの王に褒められたペトロビッチくんはデロンとだらしなく舌を垂らすと再び川に入っていく。

 

 自分こそが一番王の役に立つオスであることを示すためだ。

 

 

 ブンッブンッと一心不乱に腕を振り続ける。

 

 その度にキャーっと黄色い歓声が上がる。

 

 

「ペトロビッチくん、まだ獲れる⁉ あたしクーラーボックス取ってくるからもうちょっと頑張ってね!」

 

 

 絶対に通じるはずのない日本語で話しかけた希咲がロッジの方へ駆けていくと、アラスカ生まれロシア育ちのクマさんは高速で腕を振り始めた。

 

 

 残された一行は呆然と鮭が舞い続ける光景を見ていた。

 

 

「……あの鮭もオマエか?」

 

「はい。こんなこともあろうかと」

 

 

 一人だけ余裕の笑みを浮かべるみらいさんが蛭子にドヤ顔を見せる。

 

 

「……そうか」

 

 

 最早言葉が見つからなくなった蛭子が川の風景を見ていると、森の中からトコトコと歩いてきたペンギンがパチャンっと川に飛び込む。

 

 様々な気候の場所から無節操に集められた動物たちが特に問題もなく元気にこの島で過ごしている様子がどうにも受け入れ難かった。

 

 

「……これも龍脈の恩恵ってことか」

 

 

 あまり考えたくないのでそういうことにした。

 

 

「こうしてはいられません」

 

 

 蛭子が思考を手離すとみらいさんが立ち上がる。

 

 食糧確保の為に奮闘するペットを飼い主としてサポートするべきだと考えたのだ。

 

 

「ペトロビッチくん、手伝ってあげます!」

 

 

 気炎を吐くとみらいさんは川に石を投げ込み始める。

 

 

――ガチンコ漁だ。

 

 

 ガチンコ漁とは水中の石を強く叩き、その衝撃で気絶させた魚を獲る漁法だ。

 

 

 しかし、彼女の身体能力はクソザコなので、そのような衝撃を生み出せるほどの大きさの石を持ち上げることは出来ない。

 

 そのため小石ばかりをポイポイと投げ込む。

 

 

 そのせいで逃す魚もおり、ペトロビッチくんはとても迷惑そうな顔をした。

 

 

「さぁ! もっと! ほら! はやく! ええい、じれったいです!」

 

 

 なかなか成果が上がらないことに焦れたみらいさんはパチャパチャと水を鳴らしクマさんに近寄る。

 

 そしてヨジヨジと背中を昇って強引に自分をおんぶさせると、川面を指差しながらペトロビッチくんの頭をペチペチと叩いた。

 

 

「今です! ほらっ! あっ! 今いけました! ペトロビッチくんしっかり! ほら右右……、ちゃんとわたしの指示の意図を汲んでください! あっ! あぁー、また逃がしたー。だるーっ」

 

 

 半野生のクマさんは狩りの邪魔をする厄介指示厨にピキっと青筋を浮かべる。

 

 そしてその場でしゃがんで水中に身を半ば沈めた。

 

 

「おや?」

 

 

 みらいさんが不思議そうに首を傾げるが、首に跨る彼女を乗せたままクマさんはシームレスにスイーっと川を泳いでいく。

 

 

 その光景を川べりの一同がボケーッと眺めていると、やがて川下の方へ消えていった。

 

 

 彼と彼女の姿が見えなくなって何秒かするとガターンっと大きな音が鳴り、蛭子は驚いてそちらへ視線を向けた。

 

 どうやら聖人が椅子から転げ落ちたようだ。

 

 

「うっ、うわぁぁぁぁーっ! みらいっ! みらいぃぃぃ……っ!」

 

「お、おいおい……」

 

 

 川原に尻もちを着いていた彼は大層血相を変えて立ち上がると突然走り出そうとする。

 

 しかし、余程に動揺しているのか、運動神経の良い彼にしては珍しく、足を躓かせて前のめりに転倒しそうになる。

 

 ちょうど自分の目の前だったので蛭子はそれを受け止めた。

 

 

「どうしたんだよ、聖人? なにかあったのか?」

 

「なにか⁉ なにかだって⁉」

 

 

 完全に気が動転しているようで、聖人は何故そんなことを聞かれるのかわからないといった様子だ。

 

 

「オイ、少しは落ち着けよ」

 

「落ち着いてなんていられるか! 妹がっ! 僕の妹が人食い熊に連れ去られたんだぞ⁉ なんでそんなに冷静なんだよ……っ⁉」

 

 

 揺れる瞳でそう声を荒げる彼の主張を蛭子は宙を見上げて咀嚼した。

 

 そして――

 

 

「――あぁ、まぁ、ベツにいいだろ。みらいだし」

 

「――っ⁉」

 

 

 なんでもないことのようなそんな言い草に聖人はびっくり仰天した。

 

 

「な、なにを……っ⁉」

 

「聖人。大の男がみっともない真似をするな。恥を知れ」

 

 

 そこへあまりの醜態に見かねた天津もやってくる。

 

 

「真刀錵っ! みらい……っ、みらいが……っ!」

 

「ん? まぁ、いいだろう。みらいだしな」

 

「そんな……っ⁉」

 

 

 自分と仲間たちとの余りの温度差に絶望し、そして彼は蛭子の腕を振り払った。

 

 

「もういいっ! 僕だけでも――」

 

 

 そして彼は川の流れを追い越し走り始める。

 

 

「みらいぃー! 今っ……! 今助けに行くから……っ!」

 

 

 魔王に攫われた姫を救いに行くようなテンションのイケメンの背中を蛭子と天津はボーっと見送る。

 

 それから蛭子は天津の顔をジッと見た。

 

 

「……致し方なし」

 

 

 すると彼女は諦めたように嘆息し聖人の後を追って駆けて行った。

 

 

 蛭子はそのまま天を見上げて特に何も考えずにボーっとする。

 

 

「ウメェー、このワインクソウメェですわぁーっ!」

 

 

 ワインの瓶からグラスに並々とぶどうジュースを注ぎ一人で乱痴気騒ぎをする王女さまへ無感情な目を向けた。

 

 

「バンっ! ジャパンのワインも素晴らしいですわね! これは二十年ものと見ましたわ」

 

「そっか」

 

「ナナミのいない内にもう一本頂けませんこと⁉ 王女たるこのわたくしに相応しいこの高級感! わたくしぶったまげましたわぁー!」

 

「そこにあるから好きに飲めよ」

 

 

 スーパーで売られているぶどうジュースに大喜びの王女さまから視線を外す。

 

 

 王族だからといって舌が肥えているわけでもないのだなと失望する。

 

 

 判別をするのなら高い物も安い物も――あるいは良い物も悪い物もどちらも知っておかねば是非をつけることは出来ない。

 

 

 良いと崇められる物が無ければ悪いと蔑まれる物も無く、悪いと烙印を押される物が無ければ良いと称賛される物も無い。

 

 

 相反する物同士でありながら、お互いの存在を確立するにはお互いが必要となる。

 

 

 陰陽。

 

 

(クソくだらねェな……)

 

 

 バカ王女以外には誰もいないことだしと、懐からタバコを取り出し煙を空へ吹き上げる。

 

 

(あーあ……、これ絶対ェさっき立てた予定どおりにいかねぇェよな……)

 

 

 ほんの少し希咲がこの場を離れただけで途端にこのザマだ。

 

 

「オイ、ワインはそこじゃあねェ。そこの箱の中に入ってる」

 

「あら、ご親切にどうも」

 

 

 今の配置上、あと少しで戻ってくる希咲に現状を説明するのは自分の役回りだ。

 

 つまり、一番最初に怒られるのが自分ということだ。

 

 その時にせめて道連れにしてやると、王女さまにぶどうジュースの在処を教えてやり、もう一本煙を吐いた。

 

 

 どう足掻いても時間は流れ続けてその時は必ずくる。

 

 

 煙に揺れる空を眺めてただその時を待った。

 

 

 

 

 

 そうしている間にも時は流れ、同じように水も流れる。

 

 

 川は流れ、流れゆき、流れ着く。

 

 

 死の海へと。

 

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