しばしの膠着があった後、私立美景台高校の学園内文化講堂にて、『
大元の騒動の主である『
「フッ、語るに落ちたな希咲 七海」
「そっすか」
嘲笑するように告げる弥堂に対して希咲さんは意外とやる気がなかった。
だが、弥堂はそんな彼女の様子を気にするでもなく、ベルトコンベアに乗って流れてくる製品を眺める作業員のように無感情な目で彼女を見定める。
彼は自らの勝利を確信していた。
彼女を自身の活動の資金源とする為に、ここでしっかりと上下関係をはっきりさせた上で脅迫して働かせるという友好関係を築く。
他人が聞いたらちょっと何を言っているのかわからない謎の理屈だが、弥堂としては己のその方法論に一切の疑いを持っていなかった。
そして自分ならばこの程度のタスクは余裕で熟せるという確信があり、それは過信からくるものではなく、自身の持つスキルや経験から考慮したただの事実からくる自信であった。
故にこれから行うのはただの作業である。
弥堂は強烈な自負を眼光に宿し希咲へと牙を剥く。
「その様子だとどうやら観念をしたようだな。自分でもわかっていると見える」
「いや、ちょっとわかんないっすね」
「とぼけても無駄だ。お前の証言にははっきりと矛盾がある」
「そっすか」
普段目力の強い彼女が色のない目で投げやりに返事をする姿が、弥堂にはギロチンに掛けられ己の最期を悟った罪人のように映った。
「お前は俺が手を押し付けて『むにっ』とした感触を自身の胸で感じ取ったと、そう言ったな?」
「そっすね」
「であるならば、その時には同時に俺の手にも『むにっ』とした感触がするはずだ。そうだな?」
「そう――だけど、生々しいこと言わないでくんない? 何が言いたいわけ?」
自分の胸を勝手に触ってきた男に、その感触の感想を目の前で述べられることについて、彼女は嫌悪感を隠しもせず表情に出して示すが、弥堂にはその姿は真実を突き付けられることに怯える犯人のように見えた。
「認めたな? ではそれが共通認識であるということを前提とした場合、お前の発言には矛盾が生じる」
「回りくどいわね。どうせまたわけわかんないこと言うんでしょうからさっさとしなさいよ」
「本当にいいのか? 今なら俺の胸の裡に留めておいて、お互いなかったことにしてやることも吝かではないぞ? 無論、お前の態度次第だが」
「…………あんたって敵対したら断固として許さんって感じのスタンスじゃなかったっけ? あたし段々わかってきたの。あんたさ、基本的に問答無用で頑固な性格なのは間違いないと思うんだけど、そうやって言ってることが変わる時はろくでもないこと企んでる時だって。ねぇ、当たってるでしょ? どうなのよ?」
「…………」
都合の悪い真実を突き付けられた被告人のように弥堂は黙秘権を行使した。希咲はしらーっとした目を向けるがそれ以上の追及はしないでおいてあげた。
だがそれにも関わらず、自己中心的な男は自分の追及したいことだけはしっかりと主張すべく、なかったことにして再び口を開く。
「都合が悪くなったからといって話を逸らすな」
「よくも真顔で言えるわね。あんたのメンタルどうなってんの? アスリートなの?」
「アスリートではないがプロフェッショナルではある」
「だからなんのプロなのよ……あんたそれ言いたいだけでしょ」
「うるさい、黙れ」
「はいはい、んじゃ言いたいこと言いなさいな。どぞー」
「余裕ぶっていられるのも今のうちだ」
「わかったわよ。ちゃんと聞いたげるから。で? なんだったっけ?」
呆れた口調ながらもどこか楽し気な様子で、下から覗くようにこちらの顏を見てくる希咲だが、弥堂の言うとおりすぐに顔色を変えることになる。
「ふん、難しい話ではない。先程の話を踏まえた上で俺の手には『むにっ』などという感触はカケラもなかったというだけのことだ」
「は? あんたまだそんな――」
「――俺の手に伝わってきたのは『ふにっ』という柔らかなものではなく、もっと硬くて分厚い布の感触だけだ」
「なっ――」
名探偵が真犯人を暴き出す時のように人差し指を突き付けてくる弥堂の口からでた言葉に、希咲は絶句し頭が真っ白になる。
「俺は女の
弥堂はデカイ乳も小さい乳も嗜んだことがある己の経験に基づいた記憶に絶対の自信を持っていた。しかしながら、そのデカイ乳と小さい乳の持ち主である、紅髪のガラの悪い女とくすんだ金髪の無表情メイドさんがその絶対の自信を持つ記憶の中で、道端にぶちまけられた生ゴミを見るような眼でこちらを見ている気がしたが、気がしただけなら気のせいなので彼は気にしなかった。
「…………」
ひた隠しにしていた自身に纏わる重大な秘密を、少人数しかいないとは謂え公の場で露わにされた希咲は無言で俯く。
少し離れた場所から「ほう……」と興味深げで感心したような白井の声が聴こえたが、今の希咲にそれに構う余裕はなかった。
「仮に俺がお前の胸部に触れた手を押し込んだとしても、お前の装備している強固な装甲に阻まれて実際には内部の
声高な雰囲気で己の無実を証明する弥堂の答弁を遮って、俯いてプルプル震えていた希咲から、先程までの揶揄うように少し楽し気にしていた時とは打って変わって低い声が漏れる。
地鳴りを轟かせるような暗鬱なオーラを纏った彼女がゆっくりと顔を上げる。
その眼は攻撃色一色に染まっていた。ガンギマリである。
「殺す」
「なんだと?」
重大な秘密を暴かれた乙女から端的に殺害宣告を受けた弥堂は訝しんだ。
可能不可能は置いておいて、このような衆目に曝された現場で殺人を行うメリットを思いつかなかったからである。怒りによって衝動的に犯行に走るにしても、そこまで正気を失わせるような挑発をした覚えはない。
加えて、このような状況で殺人事件を起こすデメリットが計算できない程に無能な女だとも思っていなかった。
「……気付いてはならないことに気付いたわね…………知ってはいけないことを知ったわね…………」
「…………?」
彼女が何を言っているのか弥堂には理解出来なかった。
乙女の、特に思春期の彼女らの身体的情報に無遠慮に男が触れることは基本的にご法度である。それ以外にも本日の放課後に散々彼女に働いてきた狼藉の数々。普通に考えればどれか一つをとっても完全にアウトである。
それを考えれば、半ば以上有耶無耶にされたようなものではあるが、渋々でも許してくれそうな雰囲気を出してくれていた希咲 七海は十分以上に寛容な少女であると謂える。
しかし、自分が悪いことをしたと思ってもいない。したことの意味もわかっていない。自分の口に出した言葉の齎す影響を推測出来ない。相手の気持ちがわからない。
彼がその眼窩の窓から覗いた外の世界に存在するものを視て、彼という人格が収監された小部屋の中で、これはこうであろう、こうなるであろうと考えた認識と、実際に現実世界で起こる出来事には悉くズレが生じていた。
即ち、弥堂 優輝という男は正真正銘、本当の意味でのどうしようもないコミュ障であった。
「あんたの頭蹴っ飛ばして記憶ごとぶっ飛ばすわ」
故にこうして人を本気で怒らせる。
弥堂本人的には、どうしてそうなるという理屈はさて置いても、一応友好関係を結ぼうと会話をしていたはずなのに、何故かこうしてよく相手と戦闘になる。彼の日常にはこういった儘ならない事態が間々あった。
「残念ながら俺は一度記憶した情報は絶対に失わない。それこそ文字通り頭を吹き飛ばしたとしてもな」
「そう。なら――試してみるわ」
問答無用。
言葉よりもむしろ希咲の目に込められた強烈な敵意が何よりそれを伝えてきた。
ここに至ってはどうしてこうなったと考察する暇も最早ない。弥堂も瞬時に迎撃に意識を切り替える。戦闘の判断だけは間違えない男であった。
ドッドッドッ――とアイドリングをするように脈打つ心臓の音が疑似的に頭に響く中、視線の先に捉えていた希咲の姿がこれまでのように消える。
そして、消えたと弥堂が認識をした瞬間にはやはり彼女はもう眼前に現れていて、既に足をこちらに振り下ろしてきていた。
だが、弥堂とて『準備』は既に出来ている。
彼女の攻撃に対して適切に対応する。
蒼銀を内包する眼が、先に見せた時と変わらぬ軌道を描く蹴り足を捉えた。
ズドン――と、超重量物が地面に叩きつけられたような音が響く中、驚愕に目を見開いたのは今度は希咲の方であった。
「な――」
渾身に近い威力を乗せたはずの蹴りは弥堂の左腕一本で完全に受け止められていた。先程はガードの上から彼の身体ごと吹き飛ばしたのに、それよりも威力を強めたはずの攻撃を片腕で揺らぎもせずに事も無げに防がれた。
「――摑まえたぞ」
『なぜ』という疑問を口にする間もなくガードに止められた足を掴まれる。
「えっ、うそっ、やだっ――」
「――終わりだ」
肩と首で彼女の足首を固定し、脹脛を巻き込むようにして掴んだ右腕で彼女の膝を押さえながら自らの肩に押し付ける。そうして身動きを封じたまま左の掌を彼女の脇腹に押し当てる。
(やばっ――! 緊急回避――できないっ! 拘束を――ダメっ! 外せない! なら、反撃しなきゃ――)
焦燥に駆られ行動選択に惑う希咲の思考を一つに纏めたのは、彼女の目に映った自分を仕留めにかかる弥堂の眼であった。だが戦闘下に於いてのその落ち着きはただの思考停止だ。
蒼銀の膜の奥の黒い、昏い――必殺の意志を持ちながら何の温度も感じさせない無情の瞳。その眼窩の――窓の奥向こうに居る誰かと、『ナニカ』と目が合ったような気がした。
言い表せないなにかの深みに呑まれ彼女は判断を遅らせた。それはこの局面に於いて致命となる遅延となる。
零距離――
人を致傷に至らしめる威を生み出すのに距離を必要としない技法を修めている弥堂にとっては、一見して攻撃を繰り出すような隙間のない密着状態でも状況を終了させるに足る決定機となる。
先に二度見せたように相手を破壊する威を生み出す為に足先から捩じる。
「――待ってくれっ!!」
その声が横合いから聴こえた直後――
ズダン――と、希咲が弥堂の腕に足を叩きつけた時に匹敵するような轟音が轟く。
先程“
「――何のつもりだ?」
その弥堂の口から放たれた言葉は、未だ拘束したままの希咲の目から決して目を離さずしかし、横合いから制止の声を掛けてきた者に対して向けたものであった。
ハッ、ハッ、ハッ――と、浅い吐息が希咲の口から漏れる音が静まった廊下にやけに鮮明に響いたように聴こえた。
「いやぁ、やっぱり声をあげることは大事だねぇ。間に合ってよかったよぉ。だってそうだろぉ? コンクリ壊すようなトンデモパンチが女子にぶちこまれるとか、そんなのとっても『ひどいこと』だからねぇ」
弥堂の問いに答えたのは法廷院だった。
「俺は『何のつもりか』と訊いたぞ」
変わらず希咲の右足を抱えたまま眼前の彼女の瞳を見詰めたままで再度問う。だが法廷院に詰問を投げながらも弥堂の意識は希咲の瞳へと吸い込まれそうな錯覚を覚えていた。
揺れる彼女の瞳。
緊張からか、或いは恐怖からか。
法廷院の『間に合った』という言葉通り、“零衝”を始動させたものの生み出された威を希咲の脇腹にあてた掌から彼女の体内へと徹す前に、攻撃行動を停止し力を逃がすことには成功していた。
だが実のところ弥堂の練度でそれをするのは極めて成功率が低く、また大変に危険を伴う行為であった。
力の流れを自由自在に操る弥堂の師のエルフィーネであれば、放ちかけた技を中途で止めることなど造作もないことであるが、未熟な弥堂がそれをした場合、最悪おかしな方向に力を流してしまい、ロックして抱えていた彼女の足を複雑骨折させる可能性すらあった。
弥堂としては今後手駒にして扱おうとしていた女である。なにも殺すつもりどころか内臓を損傷させる心づもりすらなかった。なので制止に失敗するよりはそのまま腹に打った方がいくらかは安全であったという事実が存在するのだが、幸か不幸かそれを知るのは弥堂のみであった。
今回制止に成功したのはただの奇跡であり、希咲が無傷でいるのはただ運がよかったからである。
弥堂はその『運がよかった』という点で、胸中でまた希咲 七海に対する評価を上げた。
戦いが続く中で長く生き残る為に最も必要なことは、力の強さでも技の精密さでもなく、何よりも運がいいということが重要であった。
彼の保護者のようなものであったルビア=レッドルーツにそう教えられ、また弥堂自身もこれまでに生きてきた時間の中で、その通りであると実感していた。
自分が今こうして生きていられるのも運がよかったからであり、そして彼に生き残る術と戦う術を教えてくれたルビアやエルフィーネもまたきっと――
こうした事実事情に関しては当然希咲は知らないはずで、しかし零衝の威力に関しては先に見て既知である。故に、それが自身の身体に叩き込まれればどのようなことになるか――それは容易に想像が出来て、だからなのか動揺に揺れる彼女の瞳が弥堂の眼に映っていた。
気に掛かったのは彼女の瞳の美しさ――ではなく、その表面に写った自分の目である。
激しく感情に揺らぐことなどもう何年も記憶にはない。他人からよく無機質だの無感情な目だのと言われていることは理解しているし、自分でもそのように認識をしている。
彼女の――希咲 七海の絢爛さを煌めかせる瞳が今、彼女の感情の動きで揺らぐことによって――その彼女の瞳の中で、感情の揺らぎのない自分の眼が揺れている。そのように視える。
ただの当たり前の現象だが弥堂はそれに不思議な感慨を得た。
今、揺れる瞳で揺れる弥堂の眼を映す彼女の目玉を嵌め込んだその眼窩の向こうでは、希咲 七海には弥堂 優輝というモノがどのように見えているのだろうか。
先刻、水無瀬 愛苗を前にして抱いた意味のない問いを、今度は希咲 七海に対して抱く。意味のない思考だと断じたはずなのに何故か再び脳裡に浮かぶ。
無駄だとわかっていることについて考えることをしなくても、こうして意図しなくとも何度も同じことを思いついてしまう。
人間とは全く以て非効率的な生き物だと弥堂は思った。
こうして希咲と見つめ合いながら自問することも意味がないし、まともに会話が成立しない法廷院に対して問いかけることも同様に意味がない。
意味がないことばかりをしている。
目的の為には手段を選ばず、そしてその手段は効率的であればある程いい。そう考える弥堂にとってこの非効率的な状況はとても苛立つものであった。
もっと謂ってしまえば、現在設定しているその目的ですら本当はどうでもよく、ただ無常な日々と無情な自分を誤魔化しているに過ぎ――
「――もう、いいんだ…………」
思考が途切れる。