俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章63 母を探す迷い子 ⑦

 

 目の前でなにやらモジモジ、オドオドとする水無瀬を見下ろす。

 

 

 その態度から今彼女がどう考え何を懸念し何故逡巡しているのかを正確に把握する。

 

 それを理解した上で弥堂は彼女からスッと目線を切り、地面でのたうつ中年男の方を向いた。

 

 こちらから先に片付けることにする。

 

 

「お、おごぉぉ……、痔がぁ……っ! オジさんはイボ痔なんだぁ……」

 

「おい、ジジイ」

 

 

 患部を押さえるオジさんの手を弥堂は踏みつけた。

 

 

「ひぎぃっ⁉」

 

「白昼堂々、こんな駅前で売春の交渉とはな。随分とナメた真似をしてくれたな」

 

「売春だって⁉」

 

 

 痛みに藻掻いていたオジさんは、弥堂のその言葉に心外だとばかりに目を剥く。

 

 

「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ! オジさんはそういうオジさんではないんだよ!」

 

「じゃあどういうオジさんなんだよ」

 

「オジさんはただパパになってあげようとしただけなんだ!」

 

「見返りは?」

 

「オジさんのママになって欲しかったんだ!」

 

「金は?」

 

「払うよ? 払うに決まってるだろ! 当然だよ!」

 

「買春じゃねえか」

 

「あいたたたた……っ⁉」

 

 

 なにを憚ることもなく、年端もいかぬ少女に金銭を渡して性的な要求をしたと主張するオジさんの肛門に弥堂は負担をかけた。

 

 

「ち、ちがう! オジさんは決して買春なんてしていない!」

 

「まだ言い逃れをするか」

 

「そんな卑劣な犯罪者たちと一緒にしないでくれ! オジさんはただ、国や会社に負わされた責任を何もかも忘れてほんの一時だけ赤ちゃんに戻りたいんだ! そしてママに甘やかされて社会に感じるストレスを癒されたいだけなんだ! 母の愛を探して流離う孤高の旅人なんだ!」

 

「なに言ってっかわかんねえんだよ、このエロジジイ」

 

「ぎゃあぁぁぁっ!」

 

 

 弥堂は『赤ちゃんになりたい』と主張する大人の尻の合間に爪先を捻じ込み、4~50年ほど使用されてくたびれた肛門に更なるストレスを強いた。

 

 男は堪らず悶絶する。

 

 

「ひぐぅぅぅっ……⁉ だ、だいたい、キミはなんなんだ⁉ なんだってこんなにもオジさんのお尻を責め立てるんだ⁉」

 

「見てわからないのか? この眼鏡は役に立っていないようだから俺が処分しておいてやる」

 

「あっ、あっ……、やめろぉ……っ! オジさんそれがないと……っ!」

 

 

 高価そうな眼鏡を剥ぎ取ろうとするとオジさんが両腕で頭を抱えるようにして抵抗してきたので、弥堂はそれを諦めると流れるような自然な動作で同じく高価そうなタイピンと腕時計を奪い取った。

 

 

「お、追い剥ぎだぁ……っ! だ、だれか……」

 

「追い剥ぎではない。俺は風紀委員だ」

 

「風紀委員だって……?」

 

 

 理解が追い付いていない様子の男を弥堂は冷酷な眼で見下ろす。

 

 

「おい、オッサン。貴様エラいことをしてくれたな?」

 

「オ、オジさんが一体なにを……」

 

「よくも我が校の生徒に手を出したな?」

 

「えっ?」

 

「そこのガキは我が校の生徒だ。それに手を出すということは我々への宣戦布告と受け取る」

 

「せ、宣戦布告って、そんなヤンキー漫画みたいな……⁉ それにオジさんは手を出してなんか……」

 

「うるさい黙れ。貴様のような醜い中年の豚男は女子高生の視界に入るだけで条例違反だ。この薄汚い犯罪者め。ただで済むと思うなよ」

 

「な、なんてオジさんに生き辛い社会なんだ……!」

 

 

 これまで身を粉にして働き社会に貢献してきたというのに、思いの外自身の身分が低いという事実を知り、オジさんはビックリ仰天した。

 

 

「いいか? 生徒とは学園の支配者たる生徒会長閣下の所有物だ。それに手を出すということは窃盗罪だ。ワンチャン強盗罪にも抵触するだろう。貴様の人生はもう終わりだ」

 

「む、無茶苦茶だっ! 裁判を要求する! 弁護士を雇わせてくれ! オジさんお金はあるんだ! 最高裁までだって無罪を訴えるぞ!」

 

「裁判など必要ない。沙汰はこの俺が下す。言っただろう、俺は風紀委員だと。俺には生徒会長閣下の敵を認定し、その者の全財産を没収した上で強制収容所送りにする権限が与えられている」

 

「警視総監にだってそんな権限はないよ⁉ オジさん詳しいんだ!」

 

「警察も法も知ったことか。言いたいことの続きは事務所で聞いてやる」

 

「じ、事務所……っ⁉ やっぱりキミはヤクザなのか……⁉」

 

 

 余りに手慣れた脅迫の手管に、目の前の若い男が想像通りのご職業に就かれていることを感じとりか弱い中年男はプルプルと身を震わせる。

 

 しかし、それは即座に否定された。

 

 

「誰がヤクザだ。勘違いをしているようだが、俺の事務所に来いと言っているわけではない。お前の会社の事務所に一緒に行こうと言っているんだ。貴様の雇い主や上司も同席の上でキッチリと話をつけよう」

 

「ま、まってくれ……! 職場は困る! オジさん来月昇進が決まっているんだ……っ! もう名刺だって作り直したのに……っ!」

 

「そうか。それはいい商談が出来そうだな。とりあえずその名刺とやらを見せてみろ。立て」

 

「い、いやぁぁぁっ! 脱がさないでぇーっ!」

 

 

 弥堂はオジさんの胸倉を掴んで無理矢理彼を立たせる。そして慣れた手つきでスーツの上着に手を突っこみ、そのふくよかな懐を弄る。

 

 すると、中年男性は痴漢に襲われる少女のような悲鳴をあげた。

 

 

 このまま自分よりも遥かに社会における実績のないただ若いだけの男によって、オジさんの豊満な肉体に無法の限りが尽くされてしまうのかと思われたその時――

 

 

「――ま、待って……!」

 

 

――正義の魔法少女によって救いの手が差し伸べられる。

 

 

 慌てて駆け寄ってきた水無瀬は、悪の風紀委員の魔の手から見知らぬオジさんを庇いたてる。

 

 

「おねがいっ、オジさんをイジめないでぇ……!」

 

「邪魔をするな。貴様は性犯罪者を庇うのか?」

 

「あ、あのね……? このオジさんは親切なオジさんなんだよ……!」

 

「本当か? 本当にお前はその男の人間性を理解しているのか? ここでお前がそいつを見逃したことで、後にお前の大事なお友達の七海ちゃんがその豚男に犯されることになるかもしれんぞ?」

 

「で、でも……、え? ななみちゃん……?」

 

 

 必死にオジさんの弁護をしていた水無瀬だったが弥堂の言動に一部違和感を覚え、コテンと首を傾げてしまう。

 

 

「キ、キミとこの男は知り合いなのかい……?」

 

「えっ? あ、はい……、その、おとも……、いえ、同じクラスなんです……」

 

 

 そしてオジさんに怪しい男との関係性を問われると、『友人』と言いかけてそれを訂正した。

 

 水無瀬のその口ぶりに弥堂は彼女の思い違いを察したが、特にそれを正すことはせず、それよりもオジさんを恐喝することを優先させようとする。

 

 

 しかし、その前に激しく狼狽えだしたオジさんが声を喚かせた。

 

 

「なななな、なんてこった……! まさかこのオジさんがハメられるとは……!」

 

「え……? はめ……?」

 

「オジさんはハメる方のプロなのに! 美人局に引っ掛かるなんて……!」

 

「つつ……? あ、あの、オジさん落ち着いてくださ――」

 

「――うっ、うわぁぁぁーーっ⁉ 触らないでくれぇっ!」

 

 

 酷く動揺した様子のオジさんに水無瀬が手を差し伸べようとすると、オジさんはガターンっと尻もちをついた。

 

 

「お、おやじ狩り……っ! おやじ狩りだぁ……っ! たすけてぇーーっ!」

 

「えぇっ⁉」

 

 

 そして大変怯えた様子で悲鳴を上げられてしまい、愛苗ちゃんはびっくり仰天した。

 

 

「おい騒ぐな。いいから一緒に来い」

 

「ひっ⁉ ひぃぃぃ……っ!」

 

 

 先程奪った名刺入れを片手に弥堂が凄むと、オジさんはイボ痔であるのにも関わらずにその肉厚なお尻を路面に擦りながら大袈裟に後退る。

 

 そうして距離を空けると見た目に似合わず俊敏な動作で立ち上がった。

 

 

「も、目的は金か⁉ 金ならあるんだ!」

 

「貴様、罪もない少女に獣欲を向けておいてなんだその言い草は。貴様の罪が重くなったぞ。具体的に言うと賠償金の額が上がった」

 

「や、やっぱり金か……! それならいくらでもやる! そらっ――!」

 

 

 オジさんはガバっとスーツの上着を開くと、その裏地に吊るされていた無数の財布をバババッと周囲へバラ撒いた。

 

 

「貴様――!」

 

 

 そのあまりに品性に欠けた所業にギラリと弥堂の眼が光る。

 

 

「公共の場である街の広場にゴミを撒くなど非常に許し難い。貴様、ただで済むと思うなよ」

 

 

 弥堂は社会通念に則った文言でオジさんを強く非難した。

 

 

「あ、あの……、オジさん行っちゃうよ……?」

 

 

 そう言いながらも一向にオジさんを追おうとしない弥堂に、水無瀬が控えめに報告をしてくる。

 

 

「なんだと? それはとても口惜しいな。だが、この場を汚したまま離れるわけにはいかない。街の住民に迷惑がかかってしまうからな」

 

 

 弥堂は地面に膝をつきバラ撒かれたサイフを拾い集めながら、水無瀬の顔も見ずに答えた。

 

 その間にオジさんは逃走を開始し、ドスドスと足を鳴らしながら周囲に出来ていた人だかりの中へ入る。

 

 

 騒ぎを起こしていたせいで、いつの間にか野次馬が集まっていたようだ。

 

 そのことに気付き、水無瀬は目を丸くする。

 

 

「わ、いつの間にかこんなに人が……」

 

「そう……だなっ。これだけの人数の住民に迷惑をかけるわけにはいかないから……なっ!」

 

 

 水無瀬に返答をしながら弥堂は地面に撒かれたサイフの内の一つを巡って、その辺にいた少女と引っ張り合いをする。

 

 この広場で立ちんぼをしていた売春少女の内の一人だ。

 

 

 なかなかに執念を見せて喰らい着いてくる少女の一瞬の隙をつき、弥堂は彼女の背中に片腕を回すと、素早い手つきで服の上からブラのホックを外す。

 

 そして、そのことに怯んだ少女から力尽くでサイフを奪い取り、さらに少女をドンっと突き飛ばした。

 

 

 弥堂に乱暴をされた少女はガバっと股を開きながら尻もちをつく。

 

 そこへ今までどこに居たのか、ネコ妖精が近寄ってきて、少女のミニスカートに顔を突っこんでフンフンっとニオイを嗅ぎだした。

 

 

「あ、あの……っ、大丈夫ですか……⁉」

 

 

 拾得物の強奪合戦に敗北した哀れな少女に、水無瀬は駆け寄って手を差し伸べようとする。

 

 しかし、邪悪な風紀委員と妖精に手ひどくセクハラを受けた少女はその手をとらず、水無瀬に一頻り毒づいてから立ち去っていった。

 

 

「うぅ……、怒られちゃったぁ……」

 

 

 ションボリとした愛苗ちゃんが立ち上がると、弥堂も既に獲物の収集を終えていた。

 

 

「少年、少年。今のオンナ、あれ三本目ッスよ。違う男のニオイが二人分くらいしたッス」

 

「そうか」

 

「ありゃあ既に一発ヤって、それからここに戻ってきてまた一仕事って感じッスよ。間違いねぇッス。ネコ妖精であるジブンの鼻は誤魔化せねぇッス」

 

「それは素晴らしいな」

 

「クゥ……ッ! 性が咲き乱れてて滾るッスね!」

 

「そうだな」

 

 

 頼まれてもいないのによくわからない報告をしてくる四足歩行動物を適当にあしらいながら、弥堂は回収したサイフの中身を手早く数えて舌を打った。

 

 サイフは全部で10個ほどあったのだが、それにはそれぞれ一万円ずつしか入っていなかった。

 

 

 どうやら随分と手馴れた男のようで、こういった緊急時のために予めバラ撒く用の財布をいくつも用意していたようだ。

 

 

 臨時収入としては悪くない金額だが、あの中年男のあまりに公序良俗を無視した振舞いに弥堂は義憤を燃やし、『このままでは済まさんぞ』と名刺入れを漁って職場の特定を試みる。

 

 

 すると十数枚ほど同じ内容の名刺が出てきたので、これが本人の名前の書かれたものであると判断した。

 

 氏名、所属先名、勤め先住所を読みとろうとして、眉を顰めた。

 

 

 期待していたのは『株式会社〇〇』のような表記だったのだが、どうもあの男の勤め先はそういったよくある会社ではないようだ。

 

 まともな社会経験のない弥堂のような高校生にはそれが馴染みの薄いものであったので、あまり理解が出来ずに眉根を寄せる。

 

 

 すると――

 

 

「東京都 くらしのきよはらい 美景市分室――」

 

 

 人だかりの方から弥堂の手にする名刺の内容を諳んじる声が聴こえてくる。

 

 

「――地質安全課調査係 係長代理補佐 佐藤 一郎……」

 

 

 声の方へ弥堂と水無瀬が目を向けると、野次馬と野次馬の間から先程のオジさんがひょっこり顔を覗かせており――

 

 

「もちろん、偽名ですっ」

 

 

 顏の横に人差し指を立てながら、オジさんは茶目っ気たっぷりにパチリとウィンクをした。

 

 

「うるせえ、とっとと失せろ」

 

「もげっぷ⁉」

 

 

 いい歳をして己というものを全く弁えない中年男の仕草にイラっとした弥堂は金を抜き取って空になった財布を投げつける。

 

 それは見事にオジさんの顔面に直撃し、奇怪な呻きを漏らしながら人だかりの中へ転がって行った。

 

 

 最早追う気にならず、オジさんの件はもうこれで終わったこととし、弥堂は改めて水無瀬に向き直る。

 

 

 すると、水無瀬は俄かに緊張を露わにした。

 

 彼女へ向かって駆けだそうとしていたメロはその空気を感じ取って踏鞴《たたら》を踏む。

 

 

 二人が逡巡し動き出せない中、弥堂は特に顔色を変えることなく水無瀬へ近づいた。

 

 

「あ、あの……、わたし……」

 

 

 何かを言おうとするが何も言えず。

 

 どこか怯えたように弥堂から目を逸らし、水無瀬は俯いてしまう。

 

 

 そんな彼女の前で弥堂は立ち止まった。

 

 

「おい」

 

 

 声をかけると水無瀬はビクッと肩を跳ねさせてギュッと目を瞑る。

 

 弥堂は彼女へ手を伸ばすと――

 

 

「――このバカが」

 

「ぁいたぁー⁉」

 

 

 パシンっと栗毛の頭を引っ叩いた。

 

 

「な、なんでぶつのぉ……っ?」

 

「黙れ。余計な手間をかけさせやがって」

 

 

 ぶたれた頭を押さえながら涙目で見上げてくる彼女をにべもなく一蹴する。

 

 

「でも……、って――あれっ……?」

 

 

 何かを主張しようとした水無瀬だったが、そこであることに気が付きコテンと首を傾げる。

 

 

「び、弥堂くん……?」

 

「なんだ? 水無瀬」

 

 

 水無瀬の瞳にじわっと涙が浮かぶ。

 

 愛想の欠片もない弥堂の返事だったが、涙の理由(わけ)は当然それではない。

 

 

「もしかして……、私のことわかるの……?」

 

「どういう意味だ。バカにしてんのか?」

 

「だ、だって……、みんな私のこと……」

 

「どうやら俺はまだ忘れていないようだな」

 

「なんで……?」

 

「知るか。というか、覚えてなかったら、わざわざここまでお前を探しに来ないだろうが。聞かなくてもわかることをいちいち聞くな」

 

「私のこと……、探しに来てくれたの……?」

 

 

 その問いの答えはもう既に口にしていたので、弥堂は答えなかった。

 

 

 すると、水無瀬の涙腺は遂に決壊してしまったようで、ポロポロと涙が零れ出した。

 

 

「……っく……ぃっ……ぅくっ……ぅ、ぅぇええ……っ」

 

 

 次々に零れ落ちていく涙に追いつくように彼女の口からは嗚咽まで漏れ始めてしまう。

 

 

 弥堂は特にそれについて何も思わなかった。

 

 焦ることも苛立つこともない。

 

 彼女に会ったらどうせこうなるだろうと予測していたからだ。

 

 

 ただ、泣く子を余計に刺激することだけはないよう、面倒だなという態度だけは極力隠すようにした。

 

 多少時間を無駄にすることは覚悟し、不意に降った通り雨が過ぎるのを待つような心持ちで立っていようと考える。

 

 

 だが、矮小な存在である弥堂の予測など容易に超えてくるのが、『世界』に贔屓された特別な存在である『神意執行者(ディードパニッシャー)』という者たちだ。

 

 

「――ぅぇぇっ……、びどぉーぐぅん……っ!」

 

「あ? お、おい――」

 

 

 感極まってしまった水無瀬は弥堂に飛びつく。

 

 弥堂は反射的に彼女を受け止めてしまった。

 

 

 親に泣きつく幼児のように飛びついた後は完全に脱力してしまい、仕方ないので弥堂は彼女の身体をしっかりと支えて抱き上げてやった。

 

 すると首に両腕を巻き付けられて完全にしがみつかれてしまった。

 

 

「はぁ」とこれ見よがしに大きく溜息をついてやるが、それは子供のように泣く彼女の声に掻き消された。

 

 

「ふぐっ……ぅぇ……っ、わたじねっ、びどぉぐっ……もうっ……」

 

「うるせえな。何言ってっかわかんねえよ」

 

「だ、だっでぇ……だってぇ……っ」

 

「後にしろ。もういいから泣いてろ。死ぬほど泣け」

 

 

 泣いている女の子に慰めの言葉をかけることはせず、「もっと泣け」と命令しながらピシャリと強めにお尻を叩く。

 

 すると、途端に水無瀬はわっと泣き出した。

 

 完全に堰が崩壊したようで物凄い泣きっぷりだった。

 

 

 ギャン泣きする女の子を下手に慰めようとしても無駄であると考えている弥堂は、こういう時は泣き疲れるまで先に泣かしてしまった方が効率がいいことを熟知していた。

 

 その鬼畜の所業にネコ妖精もドン引きしていて、自身のパートナーを慰めにいくことを忘れてしまっていた。

 

 

 メロだけでなく駅前の広場で女の子をマジ泣きさせていれば当然人目を集める。

 

 周囲の人だかりは先ほどよりも増えているようだった。

 

 

(ただ、疲れすぎて寝られると面倒なんだよな……)

 

 

 そんなことを考えながらふと野次馬の方へ視線を遣ると、一人の見覚えのある人物を発見する。

 

 広場でJKを抱っこしながらガン泣きさせているこちらの様子を、人だかりに紛れてジッと見ている女が居た。

 

 出勤前のバニーさんだ。

 

 

 マキさんは弥堂を――というよりは、彼に抱っこされている水無瀬の方を注視しているようで、弥堂が眼を向けてもそれに気づかない。

 

 

 そんな彼女のことを弥堂が胡乱な瞳で睨んでいると、ようやくして彼女とパチリと目が合う。

 

 弥堂の視線に気が付いたマキさんはハッとして、そしてすかさずにダッと逃げだした。

 

 

 マズイ人物にマズイ所を見られて、きっとマズイ誤解を与えてしまっただろうなと、弥堂はうんざりとした気分になる。

 

 そんな今も耳元では水無瀬の子供のような泣き声が続いている。

 

 

(……まぁ、子供か)

 

 

 それなら仕方ないと溜息を吐いた。

 

 雨宿りをしても、雨の方から屋根の中に横向きに飛び込んで来られては、只の人間にはもうどうしようもない。

 

 逃げ出したバニーさんについても、どうせ後で行くことにしていたし別にいいかと割り切って、ビルに切り取られた灰色の空を黙って見ていることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こりゃヒデェな……」

 

 

 遅れて現場に到着した蛭子は、運んできた希咲の旅行バッグの置き場を探しながら所感を口にする。

 

 

「んま、蛮くんったら何てどうでもいいコメントを。そんなことじゃモテませんよ」

 

 

 砂浜に立って壊れた船を見上げていた望莱がそれを茶化した。

 

 

「ウルセェよ。それより、大丈夫なのか?」

 

「見てのとおり大丈夫じゃないですよ?」

 

「そうじゃねェよ。七海だ。アイツは大丈夫なのか?」

 

「当然想像どおり大丈夫じゃないですよ」

 

 

 どこか揚げ足をとるような望莱の言葉に蛭子は特に怒ることはなく、「そりゃそうか」と納得だけをした。

 

 揶揄うような口調ではあったが望莱の表情も真剣なものだったので、今回はいつものような煽りだとは受け取らなかった。

 

 

 そのまま二人ともに無言になりしばらく立ち尽くしていると、船の上から希咲の姿が見えた。

 

 彼女は砂浜に飛び降りてくる。

 

 

 軽やかなその動作とは裏腹に、希咲は随分と消沈した様子だった。

 

 その表情から望莱は全てを察することが出来たが、それでも彼女へ声をかける。

 

 

「七海ちゃん。どうでしたか?」

 

 

 希咲はただ首を横に振った。

 

 

「そうですか。困りましたね……」

 

「外装とか甲板は直せると思う。でも……、機械系までやられてて、そっちは……」

 

「ふむ……」

 

 

 その報告に望莱は思案する。

 

 すると現場に着いたばかりの蛭子が口を開いた。

 

 

「これは、どうしたんだ……?」

 

「七海ちゃんがここに着いた時にはもう……」

 

「そうか……」

 

 

 気を遣って望莱が代わりに答えると蛭子も多くは聞かなかった。

 

 ただ、その表情は険しいものに変わった。

 

 

「蛮くん」

 

「……七海にはワリィが、すぐに美景に戻れなくなったって話より先に考えなきゃならねェことがある」

 

「…………」

 

 

 蛭子のその言葉に希咲は何も答えない。

 

 そんな彼女をチラリと見て、望莱が答えた。

 

 

「誰がやったのか――ということですね?」

 

「あぁ。ここにはオレら以外に人は居ないはずだ」

 

「わたし達が壊したのでなければ――」

 

「――侵入者がいる可能性がある」

 

「ですね。ちょうど真刀錵ちゃんが戻ってきたので、そのあたりを聞いてみましょうか」

 

 

 望莱の視線に追従すると、船の傷を見ていた天津がこちらへ向かって歩いてきていた。

 

 蛭子は早速彼女に訊いてみることにする。

 

 

「真刀錵――」

 

「――人間の仕業じゃない」

 

「……はっ?」

 

 

 どうやらこちらのやり取りが聴こえていたようで、天津は単刀直入に答えを示した。

 

 今しがた立てたばかりの仮説があっさりと否定され蛭子はポカンっと口を開けて固まってしまう。

 

 

「どういうことです? 真刀錵ちゃん」

 

「あぁ。あれは刃物などの道具で破壊した痕ではないな」

 

 

 望莱が聞き直すとやけに確信めいた口調で答えが返ってきた。

 

 彼女はある意味刃物のプロのようなものなので、その天津が言うのならそうなのであろうと、望莱も疑わなかった。

 

 

「私が見た限りでは何かしらの術で破壊したようにも思えん。だが、そちらは私は専門ではない。蛮、一応確認して来い」

 

「あ、あぁ……」

 

 

 天津に指示され蛭子は船の方に向かう。

 

 

「術ではない。ということは、真刀錵ちゃん」

 

「陰陽府の連中の仕業ではない」

 

「なるほど。では、一体誰が」

 

「それはわからん。だが――」

 

 

 言いながら天津は視線を森の方向へ向ける。

 

 

「――だが、鋭い爪、それを身体の大きな獣が力尽くで振るえば、あのように引き裂かれたような傷になるであろうな」

 

「――えっ?」

 

 

 その視線の先を辿ると、森の入口の少し手前のちょうど砂浜との境界となるような位置にある大きな岩――その横で伏せながらばつが悪そうに身を縮める熊が居た。

 

 

「え? まさかペトロビッ――」

 

 

 その姿を認めて驚きを口にしようとした望莱の言葉が止まる。

 

 

 すぐ後ろから、空気を震わせるほどの怒りが伝わってきたからだ。

 

 

「――あんたが……っ!」

 

 

 虹色を内包する希咲の瞳の色が攻撃色に染まる。

 

 

「な、七海ちゃん待っ――」

 

 

 慌てて望莱は手を伸ばして彼女を止めようとするが、今度も最後まで言い切ることが出来ない。

 

 サンダルを履いた希咲の足首に巻かれているアンクレットが光ると、望莱が言葉を言い切る前に希咲の姿がパッと消えた。

 

 

 その消えた跡に残された蒼い輝きの残滓を視認した時にはもう、希咲は十数メートル先のヒグマの眼前に現れていた。

 

 

 希咲の右脚が振り上げられる。

 

 その足にはいつの間にかブーツが履かれていた。

 

 

 神速と呼べるほどの彼女の速度には誰も反応が出来ない。

 

 彼女は怒りのままにその脚を船を破壊した犯人目掛けて振り下ろす。

 

 

「――っ!」

 

 

 だが、その脚を振りぬく先の怯えた目を見てしまい、彼女は歯噛みして無理矢理蹴りの軌道を変えた。

 

 

 ペトロビッチくんの口が悲鳴をあげるように動く。

 

 しかし、聴こえるはずの鳴き声は轟音に塗り潰された。

 

 

 ペトロビッチくんを避けた希咲の細長い右脚が、彼の隣にあった大岩に叩きつけられる。

 

 体長3メートル近いコディアックヒグマを超える大きさの岩の半分ほどが粉々に砕け散った。

 

 

 超速で振られた脚が生み出した衝撃と砕けて飛散する破片に巻き込まれて、ペトロビッチくんはゴロゴロと地面を転がる。

 

 そして見る影もなくなった大岩の痕を目にしてプシっと粗相をすると、慌ててコロンと転がって王の前に腹を出して降伏の意思を伝えた。

 

 

 岩の前に立ち尽くす希咲はギンッと鋭い眼差しを彼に向ける。

 

 それからゆっくりとペトロビッチくんへ近寄っていく。

 

 

 その細い肢体に内包する強い怒りを表すように、サイドテールがゆらりと揺れた。

 

 

 そして彼の目の前まで行くと立ち止まり、一度意識して息を吐いてから、怯えてブルブルと震える毛皮にそっと掌をあてた。

 

 

「…………ごめんね」

 

 

 ポツリと呟き、彼の毛並みを一撫ですると森の方へ歩いて行った。

 

 

「七海ちゃんっ⁉」

 

 

 その背中へ望莱が声をかける。

 

 すると希咲は振り向かずに足だけを止めた。

 

 

「……ここに居ても出来ることないし、屋敷に戻るわ」

 

「……どうするんです?」

 

「もしかしたら倉庫とかに何か部品とかあるかもしれないし……、もしかしたらそれがあればどうにか直せるかも……」

 

「……そうですか。わたしたちも後から戻ります」

 

「……うん。ごめんね」

 

 

 希咲は歩き出す。

 

 森の中へ入る直前、彼女のブーツが一瞬蒼い輝きを放つと消え去り、元通りのサンダルに変わっていた。

 

 

 残された三人はその背中を見守る。

 

 彼女の姿が完全に木々に飲み込まれると、蛭子が恐る恐る口を開いた。

 

 

「おぉ……、コエぇ……。久しぶりに見たぜ、アイツのマジギレ……」

 

「んもぅ、蛮くんのヘタレヤンキー」

 

「いや、アレはコエぇだろ」

 

「こわこわカワイイですね」

 

「意味わかんねェよ」

 

 

 推しを全肯定する彼女に呆れてから切り替える。

 

 

「さて、オレたちもどうすっか。七海だけの問題じゃなく全員帰れなくなったな」

「でも、まぁ、七海ちゃんの言うとおりここに居たって仕方がないですし、追いつかないように気をつけながらわたしたちも戻りましょう」

 

「他人事みたいに言ってるが、今回もきっちりオマエのせいじゃねェか!」

「んま、心外です! 一体わたしがなにをしたって言うんですかー!」

 

「あのクマ連れてきたのテメェだろ! 元を辿ればオマエが悪いんじゃねェか!」

「まぁまぁ、動物のしたことですし。それともなんですか? 蛮くんはやらかしちゃった動物さんは漏れなく殺処分しろと言うんです? それをSNSでも言えますか?」

 

「そんなこと言ってねェだろ!」

「そうですか。でも、そうですね……、ペトロビッチくんも無理矢理人間によってこんな島に連れてこられ色々とストレスが溜まっていたのでしょう。どうかここはわたしに免じて彼を許してあげて下さい」

 

「だからっ! 最初っから最後まで、テメェが悪いとしか言ってねェんだよ! もういい! オマエに言ってもムダだ!」

 

 

 動物擁護派ヤンキーの蛭子くんは怒りを撒き散らしながら屋敷へ戻るルートを進んでいく。

 

 話してわかる余地がないと見限られたみらいさんには全く悪びれた様子はない。

 

 

「んもぅ、蛮くんったら短気です。ねぇ? 真刀錵ちゃん」

 

「…………」

 

 

 天津へ水を向けると、彼女は一度望莱をジッと見て、それから答えた。

 

 

「……みらい。お前は鬼子だ」

 

「まぁ、ひどい」

 

 

 望莱はそれに薄い笑みを浮かべた。

 

 数秒程目を合わせて、天津の方から視線を切って彼女も戻っていく。

 

 

 その場に一人残された望莱は誰の姿も見えなくなるまで薄い笑みを浮かべたまま砂浜に立っていた。

 

 

 やがて彼女も屋敷の方へ歩いていく。

 

 

 森に入る手前――プルプルと怯える自らのペットの横を通り過ぎる。

 

 

 擦れ違いざまにその毛皮に触れた。

 

 

 言葉はかけずに笑みは浮かべたままで、可哀想な動物を慰めるように、労わるように、労うように――ひとつ、毛皮を撫でた。

 

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