普段努めて、意識して考えないようにしている事柄が心中に過ったが、それは法廷院からの返答により中断され、強制的に回帰する。
スイッチを切り替えたようにもう希咲の瞳の中にも興味が湧かなくなっていたが、しかし法廷院からの言葉は想定していたとおり、意味のわからないものであった。
「もういいんだよ……狂犬クン……」
再度紡がれた言葉は心なしか、今日これまで見てきた彼という人物にそぐわない穏やかな声音であったが、やはりその真意は弥堂にはわからなかった。
「意味のわかる言葉を話せ」
「目的を忘れてやいないかい? それはもう達せられた。だからもう、いいんだよ……」
「目的……だと……?」
目的。
それは今しがた脳裡に過っていた言葉だった。
そもそも、今ここでこうしていることの目的とは何だったであろうか。
今現在での直面している状況に対する弥堂の目的と謂えば、希咲を金づるにすべく友好関係を結ぶ為に彼女と戦闘をしている。本人は疑問を持っていないがちょっと意味のわからない目的と手段であった。
だが、弥堂の内心など知る由もない法廷院の云う目的とは違うであろう。
では、もっと大きな目的のことか。
この学園で過ごしこの状況に介入した風紀委員としての目的のことか。
それともその風紀委員であることすら手段としている、弥堂が所属するサバイバル部としての目的のことを指すのか。
それも違うであろう。
それこそ法廷院には知り得ないことであるし、逆にそれを知っているのであれば一度は彼らを見逃すことにしたが、そうするわけにはいかなくなってくる。
弥堂の法廷院に対する警戒度が上がる。
「そうだよ。何だかよくわからない展開の連続で忘れかけていたけど、思い出してみて欲しい。そもそもさ、狂犬クン。キミが希咲さんと戦っていたのは彼女のパンツに関する真実を証明しようとして彼女を怒らせたからじゃあないか。だってそうだろぉ?」
「おぱんつ……だと……?」
そういえばそうであった。
弥堂は心中であったが自身の失念を認めた。
この現場を治めることになんのメリットも生じないことから面倒になって、そういえば適当にそんなことを言っていた。
法廷院をはじめとするこの鬱陶しい連中におぱんつを見せてとっとと追い払えと。クラスメイトの女子である希咲にそう命じたところ、何故か怒り狂った彼女が襲いかかってきたのであった。
希咲的には、その理不尽な謂れのない命令よりも、弥堂が何故か所持している証拠品という名の彼女のパンチラ画像が大問題なのだが、弥堂としては自身がその証拠品を所持していることの正当性についてカケラも疑いを持っていなかった。
法廷院はそのことを指して目的と発言した。そしてそれはもう達せられたと。だが、それは――
「どういう意味だ?」
「んー?」
「目的を達したとはどういうことだと訊いている」
「あぁ」
少し前までの常に饒舌な様子とは打って変わって感嘆詞しか口に出さない法廷院の反応は鈍かった。弥堂の剥きだされしモノを肉眼で目視した後の白井の様な穏やかな表情ながら、しかし視線の置き所は定まらなく何かに気をとられているように見える。
法廷院が背後の高杉へと目配せをすると彼は黙って首肯し車椅子を押してゆっくりとこちらへ近づいてきた。
それに続くように『
法廷院だけでなく西野と本田も穏やかでどこか満たされた表情ながら、だが視線だけは定まらない。白井は何故かニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていて、高杉は無表情でそっぽを向いている。
彼らの言動は弥堂にも希咲にも不可解であったので思わず二人は目を見合わせる。弥堂は特に何も思わなかったが、希咲の方はこいつと仲良く目を合わせているような状況ではなかったと思い出すと、ハッとして視線を逸らす。
しかし逸らしたはいいもののその置き所に迷い、ややあってからこちらに遠からず近からずな位置で立ち止まった法廷院たちの方へと仕方なく向けた。
高杉はともかく、他4名の何だかよくわからない態度が希咲には気味が悪いと感じられた。目を泳がせる男3人の視線が自分に向く回数が多い気がするし、白井に至っては露骨に自分をニヤニヤして見ている。端的に言って、きもかった。
弥堂から攻撃を受けそうになったショックと『
希咲が居心地の悪さを感じている中、法廷院が弥堂からの問いに答えるべく口を開く。
「そうだね……その質問に答える前にまずはお礼を述べておこうか。狂犬クン、ありがとう」
「あ?」
弥堂の口から彼らしからぬ意味を為さない感嘆詞だけが零れる。彼の対面の希咲も変貌した法廷院の態度に訝しんで眉を顰めた。
どうして弥堂といいこいつらといい、脈絡もなく言動がコロコロと変わるのだろうか。ごく一般的な感性を持つ希咲としては、とてもではないが着いていけない。
(こんな奴らに着いていきたくもないけど‼)
また会話が拗れて進まなくなるのを嫌って悪態は心の中に留めた。
「キミの言う通りだったよ、狂犬クン。キミが正しかった。ボクは大変に感銘を受けたね。こんなことがあるのか――と。まさに目から鱗だよ。ボロッと落ちたね。だってそうだろぉ?」
「そうだな。だが啓蒙とは無料ではない。感銘を受けたのならばお前は金を払う義務がある。わかるな?」
「こらっ! あんたはまためんどくさいからって、すぐそういう適当なこと言う。絶対何のこと言ってんのかわかってないでしょ!」
「…………チッ……」
「舌打ちすんなこらっ」
「キミ達ほんと仲いいねぇ」
隙あらばすぐに口論を始めようとする弥堂と希咲に、法廷院がのほほんとそんな感想を述べるが即座に希咲に睨まれ、彼は視線をサッとやや下方に逸らした。
「おい、とっとと訊かれたことに答えろ。こいつが煩くてかなわんだろうが」
「だからこいつって言わないでって言ってんでしょ! あたしあんたの女じゃないんだからねっ!」
「お前ほんとうるせぇな」
「やっぱり仲いいじゃないのさ」
目線をやや下方に向けたまま今度はボソッと呟かれた法廷院の言葉は、尚も口論を続ける二人の耳には届かなかった。
やがて、若干うんざりした表情の弥堂がやや肩越しに横目でじろりと法廷院を見遣る。
法廷院たちは弥堂に右足を抱えられたままの希咲にほぼ正対するような位置取りをしているので、未だ彼女の足を抱えたままの弥堂が彼に催促の視線を送るにはこのように少々窮屈な体勢で目線を向けるしかなかった。
「コホン――えーっと……ど、どう伝えたものかな……ねぇ?」
弥堂の視線を受けた法廷院は何故かもじもじとしながら、言葉選びに迷い仲間たちに助けを求める。
法廷院の問いかけを受け、何故か西野と本田までもじもじした。
「こっ、困りますよ代表。僕の口からはとても……」
「そ、そうですよ! ちょっとLvが足りないというか……代表が言って下さいよっ」
「えぇー、それを言ったらボクだって火力不足だよぉ。だってそうだろぉ?」
男3人、もじもじとしながらもどこか和気藹々と盛り上がる。困ると言いながらも顏は若干嬉し気で、視線は弥堂や希咲と目を合わせないような微妙な高さでキョロキョロとさせている。
挙動不審な彼らの様子に弥堂が苛立たし気に舌を打つが、彼が話し出す前に希咲が口を開く。彼女も大分焦れていたのだ。
「なんなのよ、キモイわね。はっきり言いなさいよ」
「あ、いいのかい?」
「え?」
希咲からの追及に委縮するのではなく、それまで何かを言いづらそうにしていた彼らはむしろ、どこか助かったと――肩の荷が下りたとばかりに顔を輝かせた。そのような反応をされると希咲としては困惑するしかなく勢いを失う。
「本人が許可してくれるなら遠慮なく言わせてもらうけれども、いやね――まぁ、言うというかなんというか…………ふへへ……」
遠慮なくと言いながらも変わらず言葉を濁し、法廷院はどこか小物臭い曖昧な笑みを浮かべながら、あちこちへキョロキョロさせていた視線を希咲へと向けてきてそのまま固定する。
西野や本田も同様の小物スマイルでこちらを見てきた。
「へ? あたし?」
薄気味悪い笑みを浮かべた男3人に一斉に視線を向けられ希咲はたじろぐ。が、すぐに違和感に気付き眉を顰めた。
というのもこの連中、希咲の方を見てはいるが誰一人として自分の顏を見ていない。どこか不自然に目線が若干下に――つまり下半身に向いている。
「なんなわけ?」と怪訝に思いながら彼らの視線の先を捉えようと、自らも目線を下げようとして、しかしそうするまでもなく気付く。
気付いたというか思い出した――自分が現在どのような状態なのかを。
サーっと顔色を悪くすると彼女はバッと首を回した。目線を向けた先は下ではなく横――すぐ隣にいる男を見た。
弥堂 優輝。クラスメイトで風紀委員のクソ野郎だ。相も変わらず無表情でつまらなさそうな仏頂面をしている。何故か無気力には見えないがいつもと変わらず無感情で何事にも動じない落ち着いた目をしている。その様子がやけに腹立だしく感じたが今はそれはいい。
問題はこの昆虫男ではなくこいつが抱えているものだ。
色白な肌が大部分を占めて紺色のソックスを着用しているそれはどう見ても女の足だった。わかってるけど。
希咲は苦し紛れに右足のつま先をピョコピョコ動かしてみた。
当然弥堂の肩に乗る形で抱えられているその足のつま先がピョコピョコした。当たり前だけど。
その際に室内シューズに包まれたそれが彼の頭に少し触れて、癪な無表情男が少しだけ不愉快そうな顏をした。それが少しだけ嬉しかった。
しかし、今はそんなことで満足して現実逃避しているわけにはいかない。
ここに至り、彼女は完璧に今の自分がどのような体勢でいるのか認識をする。
先程弥堂に渾身の右のハイキックを放ってそれが阻まれ、そのまま彼に蹴り足を摑まれたままであった。
正確な数字を希咲は把握していないが、180㎝に近い長身の彼の頭の高さにまで伸ばした足を、そのまま彼の肩に担がれるような状態でガッチリとロックされている。
I字バランスとまではいかないが、だがそれに近いほど足を真っ直ぐに、かなり上方に伸ばしたままの姿勢をキープすれば、制服のスカートを短くして着用している自分の正面側から今のこの姿を見られた場合にどのようなことが起きるか。
なるべく現実を認めたくない希咲が出来るだけ遠回りに思考を回していると、厭味な女が無慈悲にトドメを刺しにきた。
「ふふっ、随分といい恰好じゃない。大サービスね」
つまり、大股開きで大解放していた。
「ぎゃああああああああああああぁぁっ‼‼」
あらんばかりの声量で悲鳴を上げる。
普通に喋ってもよく通る声をしている彼女に大声量で至近距離で叫ばれ、弥堂のお耳はないなった。
キーンと耳鳴りに苛まれ顏を盛大に顰める彼の様子を確認して溜飲を下げるような余裕は彼女にはなかった。
遅れて「アハハハハハハハ」と、他の女が自分と同じ場所まで堕ちてきた事実にご満悦な様子で哄笑をあげる狂った女がいたが、そんなことにも構っていられる暇はない。
無意識に弥堂の首に足首から先を絡めて姿勢を保つと、右手でお尻側を左手で前側を抑えてスカートごと股間を隠す。
「みっ、みるなっ! ばかっ! みないでっ‼」
早くも涙目になりキッと睨みつけると、大人しい童貞たちは素直に従いサッと紳士的に目を逸らした。
彼らの視線が外れたことを確認するとすぐに弥堂へと再度顔を向ける。
「はっ、はなして! いつまで掴んでるの! はなしなさいよっ!」
「あ?」
若干耳がまだ本調子でない弥堂は不愉快そうにしながら、不可解な要求をしてきた少女に聞き返す。
「『あ?』じゃないでしょ! なにしてくれてんのよ! 早く放しなさいよ! へんたいっ!」
「意味のわからんことを言うな。何故放さなければならん」
「なんでじゃないでしょ! ぱんつっ! パンツ見えちゃってるのっ!」
「それがどうした」
うら若き乙女として当然の要求をするが、価値観も倫理観もズレている天然セクハラ野郎にはまったく意図が通じない。
「どうしたじゃないわよ! やなのっ! ぱんつ見られるのやだっ! はなしてよっ! やだやだやなのっ!」
「阿呆が。せっかく摑まえた敵の拘束をわざわざ解いてやる間抜けがどこにいる」
「敵っ⁉」
割と緊張感のあるバトルの末に希咲の足を捉えてからこっち、大分ゆるい空気になりかけていたが、この男に限っては微塵も戦闘レベルを解除してはいなかった。
一欠けらの油断も感じさせない鋭い眼光で、瞼に涙を浮かべ羞恥に震えるクラスメイトの女の子を突き刺した。
「敵だろうが。自分から攻撃をしかけてきておいて何を今更」
「ちがうっ。てきじゃないっ! もう蹴らないからぁっ!」
「ふんっ、この俺が敵の言うことをそのまま信じるように見えるのか?」
「みえないっ! みえないけどあたしのパンツみえちゃってるからしんじてっ!」
「わけのわからんことばかり言うな」
「わけわかるもん!」
「わけわかんねぇよ」
パンツ見えちゃってる系女子が必死に交渉を持ち掛けるが、鉄面皮の男の意思はその硬い表情の如く揺らがない。彼はプロフェッショナルであった。
「もうわかったからっ! あたしの負けでいいからっ! もうしないからやめてっ!」
「ほう」
涙ながらに訴えかけてくる少女の言い分は未だにカケラも信じてはいないものの、しかし彼女の敗北宣言には一定の興味を示した。
「ねぇーっ! おねがいっ! ホントにやなの。あたしこんなのむりなの」
「何が無理だというのだ」
「なにって、だってパンツ見えちゃってるって言ってるでしょ! なんでわかんないのよ⁉」
「おぱんつが見えたから何だというのだ」
「はずかしいのっ! あたしパンツ見られたくないのっ! 当たり前でしょ! もうやだあああ!」
「恥ずかしい、だと?」
そろそろ本気で泣き出してしまいそうな様子で希咲は訴えるが、絶望的に物分かりの悪い男は「こいつは何を言っているんだ?」と、本気で理解していない様子で訝しむ。
「戦いの最中で、恥ずかしいから拘束を解けだと? もう少しマシな嘘を吐け、素人めが。ここは戦場だぞ」
「学校よっ‼」
「ぬう」
希咲は現在乙女として大変に困っている状況にあったが、弥堂も弥堂で少し困っていた。
あのような一撃で成人男性の首の骨を粉砕する程の蹴りを放つ女が、戦いを仕掛けておいて拘束されたら、おぱんつが見えて恥ずかしいから許してだと?
そのような話は弥堂の持つ常識や経験に照らし合わせると、とても考えられないようなことであった。
だが、自分にこうして泣きそうになりながら縋ってくる少女の様子に、嘘を言っているようには感じられない。嘘を言っているようには見えないのに、嘘のようなことを要求してくる。どうしたものかと彼にしては珍しく逡巡した。
一応はまだこの少女と友好関係を結んで資金源とするプランは変更してはいない。面倒だからいっそ締め落して縛り上げておいて、目を覚ましてから対応を考えるべきかと、物騒でいい加減な選択肢が浮かび上がる。
「ねぇ、弥堂? 蹴っちゃったのは謝るからさ。もうやめよ? ね?」
「だが――」
「――あたしホントにむりなの……男の子にパンツとか見せたことなかったのに……こんなの……こんなのやだぁ……」
「ぐっ……し、しかしだな……」
大きなおめめに悲痛に大粒の涙を浮かべ、終いには鼻をグスグス鳴らしだした希咲の姿に弥堂は自分でもよくわからない居心地の悪さを感じ始めた。
「…………恥ずかしいと、言ったな? だがキミはギャルだろう? ギャル種というのはおぱんつを対価にして金を得ることを生業としていると識者に訊いた。この程度を恥ずかしがっていたら商売にならんだろう。違うのか?」
「あたしそんなことしないもんっ! なんでみんなすぐそういう風に決めつけるの⁉」
「だが、事実として実例がだな――」
「――ねぇ、しんじて? あたし、そんなことしない。あんたも、あたしがそういうことするように見えるの……?」
『見える』
そう答えたかったし、反射的に即答しそうになったが、この場面でそんなことを言おうものならば、また彼女が大泣きして対話不能になることはいくら弥堂と云えども予測出来ていたので、それを避けて口を噤んだ。