俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章66 4月25日 ②

 

 場面が変わって、食卓。

 

 

 そんなに広くはないけれど狭くもない部屋。

 

 その部屋の中央には大きいとは言えないけれど決して小さくはないテーブル。

 

 そのテーブルにクソガキの俺と皇女であるセラスフィリアが向かい合わせに座っている。

 

 テーブルの周囲には数人のメイドが控えていて、彼女らに見守られながら二人は食事をとっている。

 

 

 ここは皇女専用の食堂のような部屋で、公的な会食や皇族同士で食事をとる予定がない時に、イカレ女が私的に食事を摂る時に使われた部屋だ。

 

 

 私的とはいえ、本来はもっと大きなテーブルを置いて、さらにそのテーブルさえ小さく見えるような無駄に広い部屋に、もっと何倍もの人数のメイドや料理人をズラっと並べるのが慣習だった。

 

 しかし、このイカレ女は二言目には「効率」がどうのと言い出す面白みも人間味もない下らない女だったので、それは無駄だと変えさせた。

 

 

 物も空間も無駄だし、なにより人的コストの無駄だと。

 

 馬鹿のように他人が飯を食っているところを眺めている暇があるのなら、その時間を使って他の仕事をしろと命じてこのコンパクトな食堂を造らせた。

 

 

 それはこの国や彼女の身分に照らし合わせた価値観や常識からすると非常識なことなのだが、当時のものを知らないバカなクソガキは、古い慣習や常識に囚われない画期的で核心的な考え方をする凄いお姫様なのだと感銘を受けた。馬鹿め。

 

 

 しかし伝統や常識を破ると迷惑するのは他人だ。

 

 しかも彼女の周囲には基本的に彼女よりも身分や立場の低い者しかいないので、彼女には逆らえないし、頭のイカレた女に諫言をするような僭越な真似をすれば殺されかねないので従う外ない。

 

 つまりパワハラだ。

 

 

 自分がただやりたくないというだけの理由で、それを正当化するための理論武装をし、そして好き勝手に振舞う。他人の被る迷惑や彼らの体面についてまるで配慮することが出来ない。

 

 そんな自己中心的で非人道的なイカレ女を俺は強く軽蔑している。

 

 

 大体、コストがどうのと言うが、そんなことの為にいちいち新しい部屋を造らせて調度品を用意させていたら、それこそコストの無駄だ。

 

 イカレ女は賢い風に装っているが実はそれほど頭が良くないのではと、今の俺は考えている。

 

 

 一番効率のいい食事の方法は『ながら食事』だ。

 

 仕事をしながら、移動をしながら、シャワーを浴びながら、食事を摂る。

 

 これが一番効率のいい食事で、いちいち食事ごときに個別に時間や場所を用意するなど馬鹿のすることだ。

 

 さらに望ましいのは、素手で、尚且つ、片手で食える物。そしてゴミは最小限で手も汚れない食べ物であれば尚よい。

 

 

 これがベストであり、これ以外は考えられない。

 

 つまりそれには反論の余地がないということであり、もしもそれ以外の方法での食事を俺に強要すれば、それは俺の時間を浪費させることであり、それは明確な敵対行為となる。

 

 何故なら人間には寿命というものがあり、それは死ぬまでに残された時間のことだ。

 

 その時間を他人に浪費させるというのは明らかに毀損行為であり、間接的な殺害行為だと受け取れる。

 

 だから、俺に時間を無駄にさせる奴を殺しても正当防衛が成立するし、もしもそうでなく他人の時間を浪費させることが許されるのなら、俺にもそいつらを自由に殺す権利が間違いなくあるはずだ。

 

 

 そんなことも理解していないこのセラスフィリア=グレッドガルドという女は、非常に頭が悪く下品で下賤な野蛮人であり、教養もなければ常識も弁えず物事の道理も解さず他人への礼儀もなくさらに陰毛が濃い――そういった唾棄すべき低俗な人間性であることをここに強く主張する。

 

 おい、聞いてんのかイカレブス。スカしたツラで肉切ってんじゃねえよ。なんだその食い方は。

 

 フォークで押さえる、ナイフで切る、フォークで刺す、口に入れる、噛む。そんな切れ端食うために何工程要してんだよ。丸ごと口に入れて直で噛め。そんなこともわからずによく「効率」などと語るな。

 

 大体、皇族だのとイキがっているがどう考えても天皇家の方が上だ。

 

 天皇一家の方が快適で便利で文明的なアレを、なんだ、スマートライフだ。つまり日本の方がすごい。お前とお前の国はカスだ。死ね。

 

 

『話逸れてんぞ』

『憎しみに囚われてはいけませんユウキ』

 

 

 黙れ。

 

 

 つまり、彼女は私的な食事の時間はここで過ごすようにしていたということだ。

 

 元々は家族での食事が習慣だったようだが、イカレ女が幼少の時に父皇が病床に伏せるようになり、それ以降は親族同士で暗殺者を差し向け合う不健全な関係性になったようで、とても食事を共にするのは不可能となった。

 

 そのため、イカレ女は会食以外は一人で食事をし、周りにも一定の信頼をおける手駒しか置かなくなったそうだ。

 

 

 今目の前にある食事風景も部下はメイドの数名のみで一見してわかる護衛はいない。

 

 どう見ても不用心だが、皇女の背後に控える一人のメイド――彼女が一人居れば護衛は事足りる。

 

 

 160cmない小柄な身体、幼い造りだが儚げな印象のある顔は知性と精神の成熟を感じさせる。何よりとても美しかった。

 

 くすんだ金髪で後ろ髪を一つに纏めて右肩から垂らしている。

 

 その髪は一つも揺れることなく、微動だにしないまま主の食事を見守り、さらに周囲への警戒を行っていた。

 

 

 ブレない体幹と髪。

 

 それと同様に表情もピクリとも動かない。

 

 いついかなる時も。

 

 

 まるで冷血な人形のようで、当時のクソガキは彼女を恐がっていた。

 

 

 顏の造りは自分と同じ年代くらいに見えるのに、でも雰囲気がずっと年上のようで、そんな不思議な魅力のある美しさは、感情が全く見えないことでとても怜悧で冷徹でもあり、その得体の知れなさに物怖じしていたのだ。

 

 そんな彼女とまさかあんな関係になり、さらにはあんなに手の付けられないメンヘラだったとは、この時のクソガキは思いもよらない。

 

 

『言われてんぞ』

『……黙りなさい。殺しますよ』

 

 

 そんなセラスフィリアの日常的な食事風景にはクソガキの姿もあった。

 

 この国に来てからこいつらの世話になり――というか飼育をされ、イカレ女の食事に付き合うよう命じられていた。

 

 バカなクソガキは忙しい皇女様との食事の時間を毎日の楽しみとしていた。

 

 目の前にいる皇女様はとても顔がいい。それに最初はあの狂気性を知らなかったから、女を知らない中一のガキがそうなってしまうのも無理が無いと謂えよう。

 

 

『そうか? コイツちょっとメンクイすぎじゃね? 何べん騙されりゃ懲りるんだよって』

『……ユウキは純粋なんです』

 

『こっち見ろよ』

『黙りなさい。殺しますよ』

 

 

 しかし、この時はもう、そうではなかった。

 

 

 クソガキはひどくセラスフィリアに怯えていた。

 

 それも当然で、あの解体訓練以降は心の底からイカレ女を恐れていた。

 

 

 目の前の女のナイフとフォークを動かす一挙手一投足にビクビクと反応をしている。

 

 イカレ女の持つ残虐性と加害性に怯えていたのはもちろんだが、何より理解不能だったのは、あの解体訓練を経た後もこうして自分と食事を摂るように命じられていたことだ。

 

 

 日本で普通に育った普通の中学生であるクソガキにとって食事とは、家族や仲の良い友人やクラスメイト、そういった者たちと共にするものだったからだ。

 

 決して自分を殺そうとしたり、拷問をしたりするような女と向かい合ってするものではない。

 

 

 イカレ女が使うナイフとフォーク。

 

 あれが切り分けているのはもしかして自分の身体の一部なのではないか。

 

 もしかしたら気付かぬ内にまた身体のどこかを切除されているのではないか。

 

 確かこの時はそんなようなことを考えて疑心暗鬼になっていたように憶えている。

 

 

 そんな風に、食事をする手つきの覚束ないクソガキの世話をしているメイドが一人いる。

 

 彼女はミリィといった。

 

 彼女は地方の村出身で、家族に楽をさせるためにこの皇都へ働きに来ていた。

 

 

 通常、皇女付きのメイドとなると高水準な教育を受けている必要があるので、大抵は貴族の娘が就くそうだ。

 

 当然村娘のミリィはイカレ女付きのメイドではなく、突然客人として皇宮に住まわすことになったこのクソガキの世話をさせる為に急遽探した結果抜擢されたらしい。それまでは皇宮の外で下働きをしていたそうだ。

 

 

 ミリィはとても心の優しい素朴な女の子で、気さくに話しかけてくれて、屈託なく笑いかけてくれた。

 

 クソガキは彼女をとても気に入っていた。

 

 恐らくミリィの顏がいいからだ。

 

 

 このクソガキは本当にしょうもないクソガキで、顔のいい女は大体好きだった。だが、中学生など所詮そんなものだろう。仕方がない。

 

 

『テメェのことだろうが』

『…………』

 

 

 それにこれはある意味日本のルッキズム的な教育的な何かにさらされ続けてきたことによる実害とも謂える。

 

 さらに、人間とは神によってデザインされて創られたものだ。エルフィがそう言っていた。

 

 つまり、男女問わず顏のいい異性に甘くなるのは、神が人間をそうデザインしたからであるとも謂える。つまり神が悪い。

 

 

『テメェいつも神なんていねェって言ってんだろうが』

『ユウキ、今すぐに発言を撤回して懺悔なさい。殺しますよ』

 

 

 また話が逸れたが、クソガキは日本から突然常識もマナーも何もかもが違うこの国に来てしまって、右も左も分からずに困ってしまうことが多い生活を送ることになった。

 

 同じく貴族の常識や皇宮のマナーに疎いミリィも自分と同じような失敗をする。お互いにばつが悪そうにしながら一緒に笑い合う――そんな日々に安心を感じていた。

 

 情けないガキだ。

 

 

 今ならすぐに気付けるが、それはおかしいと、そう思うべきなのだ。

 

 

 ともかく、夢に映る記憶の映像は動いて、ミリィは挙動不審なクソガキの食事をサポートをしている。

 

 いつも明るい笑顔を浮かべている彼女の表情は優れない。

 

 

 当然だが、クソガキは自分の身に起きたことをミリィに伝えてはいない。

 

 身体を部位ごとに切断されて、傷口を凍らせて止血することで死ににくくした上で丁寧に解体され、それでも死にそうになったら魔法で完全に治癒され同様の作業を繰り返される。

 

 こんな猟奇的で人外魔境そのものな話を、心根純粋な彼女に聞かせられない。

 

 

 だから、何も知らない彼女が、様子のおかしい自分のことを怪訝に思っても仕方がない。

 

 クソガキはこの時そう思っていた。

 

 そう勘違いをしていた。

 

 

 

 カチャンと――

 

 

 食器を鳴らす大きな音が、会話のない食卓に響く。

 

 クソガキの手から落ちたスプーンがスープ皿を打った音だ。

 

 

 ミリィが配膳してくれたスープを一口飲んだら数秒して身体に違和感を感じる。

 

 横隔膜がキュッと締まって胃が痙攣を始め、腹から上がってきて漏れる息が喉を灼く。

 

 そんな自分の異常に気付くと同時に眩暈を感じる。

 

 クラッと揺れる頭を支えられずに首がカクッと下に垂れる。

 

 すると自然に視界に入ったテーブルクロスにポタッポタッと赤い点が増えていく。

 

 思わず顔を上げて手を当てると自分の鼻血だった。

 

 

 視線を上げたことで正面が視界に入る。

 

 

 テーブルの対面では、食事を共にする相手がこんな状態であるにも関わらず、こちらをチラリとも見ないまま無関心で食事を続けるセラスフィリアの姿があった。

 

 イカレ女が切り分けた肉を口に入れる場面を目にする。

 

 

 それに恐怖がフラッシュバックし、思わず身を引こうとするも、全身から力が抜けて椅子から転がり落ちる。

 

 

 受け身もとれずに床に転がると、偶然向いた目線の先にはミリィが居た。

 

 

 彼女はこんな状態のクソガキが思わず心配になるほど顔を青褪めさせ、カチカチと歯を打ち鳴らしながらこちらを見下ろしていた。

 

 

 クソガキは思わず彼女へ手を伸ばして助けを求めようとするが、腕も上がらなければ声すらも上手く出ない。

 

 

「あ」とか「う」とか意味のない掠れ声をどうにか出した所で、喉から何かが溢れてきた。

 

 

「ご、ごめんなさい……っ」

 

 

 クソガキが大量に吐血したタイミングでミリィがようやくそう言った。

 

 

 意味がわからない。

 

 

 突然倒れて血を吐いた自分を心配するでも、驚きの声を上げるでもなく、謝罪を口にする。

 

 こんな状態の時にいきなり「ごめんなさい」などと言われても、クソガキは「なにが?」と混乱するだけだ。

 

 

 その時、ガタリと椅子を動かす音ともに、セラスフィリアが席を立つ。

 

 

 膝に置いていたナプキンで口元を拭い、それを放り投げた。

 

 

 床に転がるクソガキはその布の行方をつい目で追ってしまう。

 

 ヒラリと落ちたナプキンはいつの間にか落下地点に移動していたエルフィーネが回収した。

 

 

 それを見ている間に、いつの間にか顔の近くにドレスミュールがあった。

 

 

 セラスフィリアはつまらなそうにクソガキを見下ろして観察している。

 

 

「助けて」「一体なにが」など、言いたいことは色々とあったが、恐怖と体調不良でクソガキは何も言うことが出来なかった。

 

 すると、ようやくイカレ女が口を開いた。

 

 

「――どう?」

 

 

 端的な問いかけ。

 

 そんな聞かれ方をしても意味がわからない。

 

 

 だが、クソガキはそのたった二文字の言葉だけで、ゾワっと背筋が震える。

 

 恐怖を覚えている身体の方が脳よりも先に記憶を想起した。

 

 

「ご、ごめんなさい……、ユウキくん……っ」

 

 

 またミリィが謝罪を口にする。

 

 

 クソガキは彼女の方を見て何かを言おうとし、しかしまた血を吐いてしまったことで何も喋れなかった。

 

 おそらく「逃げて」などと、頓珍漢なことを言おうとしたのだろう。

 

 馬鹿め。

 

 

「アナタは今、食事に盛られた毒によって死にかけているのだけれど――」

 

 

 自分の血と吐瀉物の混じった反吐塗れのガキに、恐怖の声が降り注ぐ。

 

 

「――どう? 力には目覚めそうかしら?」

 

「――っ⁉」

 

 

 そこまで言われてようやく、頭の悪いクソガキは自分が食事に毒を盛られたことに気が付く。イカレ女に言われたまんまだが。

 

 

「私考えたの。単純に生命の危機に直面するだけでは条件不足で、他になにか精神的なショック、感情が爆発するほどのインパクトが必要なのではないかって」

 

 

 イカレ女が何やら自説を語り出しているが、クソガキには答えるどころか、それを聞いて理解するだけの余裕もない。今も血を吐き続けている。

 

 

「アナタは臆病すぎて直接的な暴力に晒されると恐怖で萎縮するだけになってしまう。それだといまいち自分の生命に必死になれないみたいだから少しアプローチを変えてみたのよ」

 

 

 そんなクソガキにご高説を垂れてやがるが無駄だ。

 

 そいつは頭が悪いし、何よりお前は頭がおかしすぎる。

 

 体調万全で聞いたって何一つ理解出来ねえよ、イカレ女め。

 

 

「どう? 普段から甲斐甲斐しく世話をしてくれている信頼していたメイドに毒を盛られるなんて。ショックじゃない?」

 

 

 二度目だが、そこまで聞いてクソガキはようやく、毒を盛ったのがミリィであることに気が付く。

 

 彼女の様子を観れば一目瞭然だろうに。本当に愚かなガキだ。

 

 

 呆然とミリィへ目をむける。

 

 彼女は激しく目を泳がせ、何か言い訳のような譫言のような、はっきりとしない言葉を繰り返していて、酷く動転しているようだった。

 

 頭の中にお花畑でもあるに違いない馬鹿なクソガキは、この期に及んでそんな彼女の様子が心配だと思った。

 

 

「……わたし、だって……、やらないと、お父さんが……っ」

 

 

 辛うじて聞き取れて記憶に残っているのはそんな言葉だった。

 

 当然クソガキには意味がわからなかった。

 

 

 後になってセラスフィリアに聞かされた話だが、故郷の村にいるミリィの父が何か税の不正などで捕まったそうだ。

 

 この国では税の不正は皇族への背信なので死刑になる。

 

 セラスフィリアはこの父親の助命を対価にして、ミリィに俺を毒殺するように強要したらしい。

 

 クズ女め。

 

 

 ミリィは自発的に他人を害そうなどと考えるような少女ではない。

 

 イカレ女に脅迫じみた交渉を――というか脅迫をされ、こうせざるを得ないよう追い込まれたのだろう。

 

 突然どこから湧いたのかも知れない得体の知れないクソガキと、故郷で一緒に暮らしていた自分の家族。

 

 天秤にかけるまでもない。

 

 だからミリィ。キミがそんな顔をする必要はない。キミは悪くない。ただ、運がなかったのさ。

 

 

 そんな事情を知る由もないクソガキだが、死の間際の超常的な勘でも働いて何かを感じたのか、彼女の表情を見て罪悪感を覚えた。

 

 今の俺がこのミリィを見ても特に何も感じることも思うこともないが、当時この瞬間のクソガキが罪悪感を感じたと――そう記録に残っている。

 

 そうだ。お前が生きているせいだ。悔い改めろ。

 

 

「どうやらこれもダメみたいね。いいわ。またアプローチを変えます」

 

 

 その言葉にクソガキにまた悪寒が奔る。

 

 

 セラスフィリアがミリィの方を向いた。

 

 

 クソガキは必死に口を動かそうとしたが、やはり声が出なかった。

 

 多分「逃げて」と言おうとしたのだろう。

 

 

「殿下……、これで、お父さんは……っ」

 

「心配しなくていいわ」

 

 

 パニック状態にある彼女にイカレ女はニッコリと笑いかけた。

 

 解体訓練が始まる前までのクソガキにずっと向けていた、清らかで美しい笑みだ。

 

 

 嘘吐きの笑みだ。

 

 

「え……? あっ……⁉」

 

 

 混乱の極みにいるミリィに新たな苦難が。

 

 突然彼女の身体が足先から徐々に凍り付いていった。

 

 

 セラスフィリアの魔術だ。

 

 

 このイカレ女は氷の魔術が得意で、やろうと思えばミリィを一瞬で凍り付かせることも出来る。

 

 彼女に恐怖を感じさせるため、何よりクソガキを追い詰めるために、わざとゆっくり嬲るようにミリィを凍らせたのだ。

 

 

「な、なんで……っ、わたしっ、これ……っ⁉」

 

「心配しなくていいの。アナタが家族のことを心配する必要はないわ――」

 

「で、でんか……っ」

 

「――だってアナタはもうここで死ぬのだから」

 

 

 セラスフィリアは決定された事実を彼女へ告げて、クソガキの方へ向く。

 

 

「ほら。アナタのお気に入りの女の子がピンチよ? どうにかしなくていいのかしら?」

 

「セ……ッ、リア……ッ」

 

「文献に書いてあったの。親しい女性が危機に陥ると覚醒することがあったって」

 

「や……、ミリ……ッ」

 

「どうかしら?」

 

 

 自分の喋りたいことだけを口にし、イカレ女は藻掻くクソガキを観察する。

 

 何秒かしてその目の失望の色が濃くなった。

 

 

「ダメみたいね。それとも足りないのかしら?」

 

 

 イカレ女はミリィの方へ振り向く。

 

 ミリィは顔だけを残して、身体は完全に氷像のようになってしまっていた。

 

 

 カツカツとミュールの踵を鳴らして近づき、そしてほぼノータイムでイカレ女はミリィの腕を折った。

 

 折ったといっても骨を折ったわけではない。

 

 凍り付いていたミリィの腕を折って捥いだのだ。

 

 

 ミリィの悲鳴が上がる。

 

 クソガキは動けない。

 

 こいつはこの場面で立つことも出来ない役立たずだ。

 

 

 もっとも、立ち上がったところで、身体が万全だったとしてもこのイカレ女には勝てないが。

 

 

「ほら? この子が死んじゃうわよ?」

 

「い、いたくない……、なんで……?」

 

「痛みを感じないように凍らせたのよ。私嫌いなの。女の悲鳴って。耳障りだから」

 

 

 そう言ってセラスフィリアはミリィの脇腹を千切った。

 

 一瞬、赤い腹の中が見えたが、外気に触れると立ちどころに凍り付き、血が零れることはない。

 

 

 だが、クソガキには、凍った彼女の内臓が見えている。

 

 

「どうかしら? ユーキビトー」

 

 

 セラスフィリアに問われるが、クソガキはもう目を向けることすら出来ない。半狂乱のミリィよりも先に死にそうだ。

 

 

「また失敗か」

 

 

 遠のいていく意識の中でクソガキにはそんな声が聴こえた。

 

 

 セラスフィリアはそんなクソガキの方へ向けてミリィを倒した。

 

 

 バチッと、クソガキの意識に火が入る。

 

 

 全身が凍り付いたミリィが床に倒れたらどうなるか。

 

 考えるまでもない。

 

 

「あら?」

 

 

 イカレ女の少し感心したような声が聴こえたがそんなものに構っていられない。

 

 何の馬鹿力かは不明だが、瀕死の力を振り絞って膝で立ったクソガキは倒れるミリィの半氷像に手を伸ばす。

 

 

 世界がスローモーションになったように錯覚した。

 

 思えば、この現象を初めて体験したのはこの時が初めてだったのかもしれない。

 

 だとすると、このイカレ女の所業も無駄ではなかったのかもしれない。

 

 

 否。

 

 無駄ではなかったと思いたいのだ。

 

 

 彼女の生命が。

 

 

 

 どうにかミリィの身体に手が届きそうになった瞬間――

 

 

 彼女と目が合った。

 

 

 ゆっくりと彼女の唇が動く。

 

 

 その動きに遅れて声が頭に届く。

 

 

 

 

――あなたのせいで。

 

 

 

 

 確かに、そう記録に残っている。

 

 

 クソガキは思わず身体を硬直させた。

 

 一気に全身から力が抜ける。

 

 

 その目の前をゆっくりとミリィが通りすぎて、彼女は床に当たった。

 

 

 パリンっと――

 

 

 そんな小気味のいい音を立てて、彼女の全身がバラバラに砕け散る。

 

 

 皮も肉も骨も血も内臓も着ている物さえ。

 

 全ては氷の破片となって撒き散り混ざって、どれがどれかもわからなくなる。

 

 

 心か、身体か。或いはどちらも。

 

 限界となったクソガキは再び床に倒れる。

 

 その目の前にミリィの首が転がってきて、見開いたままの彼女と近い距離で目が合う。

 

 だけどもう、彼女はクソガキを見てはいなかった。

 

 

 氷と生身との境界となっていた首の切断面から血が漏れる。

 

 その血のぬくもりが凍った彼女の破片をいくらか溶かした。

 

 

 喉からまたせり上がってきた血を吐くと彼女の死に顔が汚れた。

 

 

 イカレ女がまだ何か喋っていたような気がするが、これは記録に残っていなかった。

 

 聞いて認知する。その能力がクソガキにも残っていなかった。

 

 

 

 

 クソガキは恐怖した。

 

 

 当然、初めて見た死体にビビったということもある。

 

 人が死んだという事実だけでも怖かった。

 

 それが親しくしていた女の子だったということも、もちろんショックだった。

 

 

 だが、それ以上に、このセラスフィリアという女が只管に恐ろしかった。

 

 

 確かに、親しい人間、仲間、好きな人、それらがピンチの時や、それら大切な人たちが死んだ時に、怒りや悲しみによって力に目覚めるというのは俺も聞いたことがある。

 

 だが、それはクソガキがこの国に来る前に日本で見た漫画やゲームの話だ。

 

 現実のことじゃない。

 

 

 それを現実で再現する為に、わざと手頃な女の子を近づけ、好意を抱き情を持たせるように仕向け、それからその子自身に毒を盛らせ、そして目の前でその子を殺す。

 

 

 こんなことは人間の発想じゃない。

 

 常軌を逸している。

 

 

 俺は――クソガキは、セラスフィリアが恐ろしくて仕方がなくなった。

 

 

『これは初めて見たな。こんなことまでやってやがったのかテメェらは。ガキを殺すんじゃあねェよ』

『…………』

 

『見て見ぬ振りか? ア? テメェもよ』

『……申し訳、ありません』

 

『チッ、クズどもが。地獄に落ちろ』

『…………』

 

 

 というか――

 

 

 なんで女を殺す前に、いちいちそいつに俺を毒殺させるんだ?

 

 この段落いるか?

 

 

『ア?』

『ユウキ……』

 

 

 好きな女が殺された怒りによって力に目覚めるのだとしたら、そのまま殺せばいいじゃねえか。

 

 普通、自分を毒殺しようとした女への好感度は下がるだろ。これ完全にいらねえよな。

 

 

 それとも、あのイカレ女には恋人に毒を盛られたいという願望でもあったのだろうか。

 

 どう考えても普通に殺した方が効率がいいと思うのだが。

 

 理解に苦しむ。

 

 

『ほれ見ろ。テメェらがイカレた虐めばっかすっから、コイツの頭がおかしくなってこうやってワケのわかんねェことばっか考えるようになったんだ』

 

『そ、それに関しては貴女の責任もかなり大きいと……』

 

 

 まぁ、死んだ人間は生き返らないし、過ぎた時間も戻らない。

 

 それにもうあのイカレ女には会えないんだ。

 

 考えても意味がないな。

 

 

 そういえば、もう一つ後で聞いた話があった。

 

 

 この時よりも数年後、イカレ女からではなくエルフィーネから聞いた話だ。

 

 

 ふとした時にミリィのことを思い出した俺は、そういえばミリィの父親はちゃんと釈放されたのかとエルフィに尋ねたことがあった。

 

 すると帰ってきた答えは「NO」だった。

 

 

 司法が死んでいたこの国では、軽犯罪以外の大体の犯罪者はとりあえず死刑ということにしてムショにぶちこんでおくようになっていた。

 

 そうしておいて、後から関係者が金を払ってきた者だけ減刑したり、額によっては容疑が晴れて釈放されたりする斬新な制度が採用されていた。

 

 ミリィの父は収監されたままだという。それにそもそもの話、脱税自体が冤罪だったという。

 

 全てクソガキを追い込むための仕込みで、軽い実験の一つのためにミリィとその家族は犠牲になったのだ。

 

 

 その時の俺はそれなりにやれるようになっていたので、ミリィへのケジメとして父親を脱獄させてやろうと気紛れを起こし、刑務所に侵入した。

 

 看守を何人か殺して得た情報を元にミリィの父親が入っているという部屋を突き止めそこへ辿り着くことが出来た。

 

 だが、既にそこに彼は居なかった。

 

 

 既に死刑は執行された後だったようだ。非公式に。

 

 

 さらに後になって聞いた話では、ミリィの家族に何か騒がれても面倒だという理由で父は早期に処刑。そして故郷に残されていた彼女の家族にも何か不幸が起こっていたようだった。

 

 

 見事に無駄足を踏んだ俺はあのイカレ女にさらなる憎しみを募らせた。

 

 まるで俺がこうすることを見越していたようにも感じられた。

 

 

 だが、それは気に食わないので、とりあえずミリィの父が入っているはずだった部屋に投獄されていた男を、ミリィの父だと勘違いしたことにして彼を脱獄させることにした。

 

 何も成果がないのは効率が悪いから仕方がない。

 

 

 脱獄の道中そのミリィの父に聞いた話によると、彼は女性を数十人も強姦した罪を問われ死刑を言い渡されたそうだ。

 

 あの心優しいミリィの父がそんな酷い男なわけがないので、俺は彼に「何かの間違いではないのか」「冤罪では」と確認をとった。

 

 

 ミリィの父は「気持ちよくしてやったのに文句を言う女たちが許せない」と言った。

 

 被害者の何人かは住んでいる場所がわかるので、ここを出たら報復にもう一度犯しに行くと豪語していた。

 

 

 俺は「なるほど」とだけ答えて、脱獄中だからもう黙るようにとミリィの父を注意した。

 

 

 結局特に問題なく脱獄は成功した。

 

 看守や警備の兵を何人か殺すことになってしまったが、邪魔な所に居るのだから仕方がない。

 

 

 追手がないことを確認し、もう自由に逃げられる場所まで来たところでミリィの父と別れることにした。

 

 

 ミリィの父は涙ながらに俺に礼を言い握手を求めてきた。

 

 俺は握手を固辞し、彼に謝罪をした。

 

 

「貴方の大事な娘が死んだのは俺のせいです。もしも貴方が俺を殺したいというのなら甘んじて受け入れます。当然それで許されたなどとは思いません」

 

 

 頭を下げながらそう言って、俺はミリィの父にエルフィから貰った黒鉄のナイフを差し出した。

 

 

 ミリィの父は困惑した様子で「犯した女が誰かガキを産んだのか?」と首を傾げていたが、あまり物事を深く考えない人物のようで、「ま、いいか」と足りない歯を見せてニカっと笑った。

 

 

「頭をあげてくれ」と言った後、「どこかで会えたら酒を奢るよ」と言い残しミリィの父は俺に背を向けて歩いて行った。

 

 俺はミリィの父に感謝し、そして彼が受け取らなかった黒いナイフで背後から彼の首を刺した。

 

 

 そして首を斬り落として強姦魔の死体を川に棄てた。

 

 

 無事にミリィの父を救出し、無事に脱獄した強姦魔を始末した。

 

 任務達成に満足した俺は帰りがけにセラスフィリアに反抗的な貴族の屋敷に侵入し、そこの当主の首をとった。

 

 

 そしてその足でセラスフィリアの寝室に行き、寝ている彼女の部屋へ二つの首を放り込んでおいた。

 

 どうせあのイカレ女にはこの事はバレるだろうと予測して、「これで手打ちにしろ」そういった意味をこめての行動だ。

 

 

 そうして自分の部屋に帰ろうとしたところで、俺は気が付く。

 

 

 あの強欲で傲慢なイカレ女がプラマイゼロ程度で納得するわけがないと。

 

 イカレ女にプラスになるようにして終わらせないと納得しないだろうと。

 

 

 さて困ったなと思ったところで、この日は運よく教会の関係者が皇宮に宿泊しているという情報があったことを思い出す。

 

 何か俺の行動に文句があるらしく、そのクレームを付けに皇宮まで乗り込んできたそこそこの立場のある司祭だそうだ。

 

 

 これは運がいいと、俺はその司祭の部屋に侵入し、その首を捥ぎ取って、追加でセラスフィリアの寝室に転がしておいた。

 

 これで完璧だと自らの仕事に満足し、俺は就寝した。

 

 

 翌朝、俺はセラスフィリアに呼び出される。

 

 何かすごい剣幕で俺に何かを言っていたが、俺は前日の激務により疲れていてあまりそれが耳に入ってこなかった。だから記憶にも残っていない。

 

 

 何故かイカレ女がやつれていたような気もしたが、気がしただけなので恐らく気のせいだ。あいつはワーカーホリックの気があったからそのせいだろう。

 

 仮に俺に文句があったとしても、俺をこういう風に仕上げたのはセラスフィリアだ。だからその全ての責任はあいつにある。

 

 

 そう思った俺はほぼそのままを本人に伝え、絶句するイカレ女を置いて勝手に部屋を出た。

 

 そして出たところでエルフィにブン殴られて意識を失った。

 

 

 

 この事から得られた教訓としては、代替行為など全く意味がないし、過ぎたことに対しての感傷も何も意味がないということだ。

 

 だが、この国の国民を僅かにでも減らせたのなら、それは無駄ではなかったと思った。

 

 

 俺はイカレ女に戦争を終わらせるように命じられ、それが俺の目的と為った。

 

 戦争を終わらせるにはどちらかの勢力が滅びる必要がある。

 

 それは敵でも味方でも、どちらでも構わない。

 

 

 やはり目の前の人間を一人一人殺していく地道な努力こそが、目的達成への一番の近道なのかもしれないと、そう学んだ。

 

 せっかくミリィという一人の無辜の民の生命が減ったのだ。

 

 その生命を無駄にしない為に、これからも国民を減らして必ず戦争を終わらせると、俺は死んだミリィとその家族に誓った。

 

 

『…………』

 

『…………』

 

 

 目的を達成する為ならその手段は問わない。

 

 

 俺がそれまでの日々で学んだ唯一のことで、それが俺にも出来る唯一のことだ。

 

 

『オマエらのせいだぞ……』

 

『貴女の……、いえ、すみません……』

 

 

 

 

 今の顛末はこうして喋っている俺がふと思い出した出来事であり、それとは関係なく夢が見せる映像は続いている。

 

 

 朝まで――

 

 

 水無瀬が目を醒ますまではあともう少し時間がある。

 

 

 夢はもう少しだけ続く――

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