俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章68 破滅の入口 ②

 ジリっと、水無瀬は後退る。

 

 

 ズリ、ズリと、足を引き摺りながらゆっくりと、だが確実に“屍人(しびと)”の群れが迫ってくる。

 

 半数近くは街の方へ向かっており、こちらへ向かってくるのは残った半分だが、それでもパっと見ただけでは数えきれないほどの人数で、百は下らないだろう。

 

 こうしている間にも水路の中から次々に這い出て来ている。

 

 

 これら一体一体全てがゴミクズーだ。

 

 

 すぐにでも向かってくる群れを蹴散らし、街へ移動している群れも止めなければならない。

 

 

 だが――

 

 

『――アナタが魔法を使えば、その瞬間にこの娘の首を斬り落とします』

 

 

 チラリと目を向けると、アスの手から伸びた魔法の刃は今も少女の首元に添えられている。

 

 

 戦う体勢を整えることも出来ないまま、戦いが始まると同時に水無瀬は絶体絶命のピンチに陥っていた。

 

 

 どうして最初から変身をしておかないのか。

 

 準備は戦場に来る前に終わらせておけ。

 

 

 弥堂からそんな風に言われていたことを思い出す。

 

 戦いが始まってから慌ててもどうにもならないと教えられていた。

 

 さらに――

 

 

『――言うまでもないが、罠だぞ』

 

 

 つい一時間ほど前にもそう言われていて、その通りの状況になっている。

 

 彼の言葉を思い出して水無瀬は苦笑いを浮かべた。

 

 

(弥堂くんはやっぱりすごいな……)

 

 

 彼はいつも正しい。

 

 思慮深く色んなことを心配していて、悪いことが起きないように真面目に頑張っている。

 

 恐らく100人に言って1人が共感してくれたらいい方だが、愛苗ちゃんの認識ではそうなっている。

 

 

「そうだ……! 諦めちゃダメ……! 弥堂くんならこんなことで諦めたりなんかしない……! 弥堂くんだって魔法が使えなくたって、がんばってゴミクズーさんと戦ってたんだ……!」

 

 

 彼の戦っていた姿を思い出して勇気をもらう。

 

 魔法なしでも戦うことは出来る。

 

 

(こんな時、弥堂くんだったら――)

 

 

 彼ならどうするか。

 

 そう考えた時、水無瀬の脳裡に閃きが生まれ、頭の上にピコーンっと電球が浮かぶ。

 

 

 水無瀬の瞳に強い光を灯ったことをアスは察知する。

 

 

「どうやらやる気になったようですね。しかし、どうします?」

 

「私……、がんばります……!」

 

「わかっていると思いますが、魔法を使ってはいけませんよ」

 

「……はい、わかってます!」

 

 

 アスからの警告に水無瀬は強く頷き、そして胸元のペンダントをギュッと握った。

 

 

「ん?」

 

「お願い、“Blue Wish”!」

 

「は?」

 

 

 少女の願いに応えてペンダントはぺかーっと光り、一瞬で彼女を魔法少女へと変えた。

 

 同時に埠頭周辺の空間に波紋が奔り、一帯を結界の中に封じ込める。

 

 街の方へ向かおうとしていたゾンビさんたちは見えない壁のようなものに行く手を阻まれ、何もない空間を爪でカリカリし始めた。

 

 

「ふぅ……、とりあえずこれで安心……」

 

「…………」

 

 

 その光景と、一仕事終えたとばかりに額を拭う愛苗ちゃんとを、アスはあんぐりと口を開けて茫然と見る。

 

 彼に似つかわしくない表情で暫し放心し、それからハッとした

 

 

「ちょ、ちょっとちょっとちょっと……、何してるんですか⁉」

 

「え?」

 

 

 激しい抗議の声に愛苗ちゃんはコテンと首を傾げる。

 

 

「な、なんですかその態度は⁉ なんでいきなり約束を破るんですか⁉」

 

「えぇ⁉ どどどどどういうことですか⁉」

 

 

 そして身に覚えのない罪を問われて彼女も動揺し始めた。

 

 

「どういうことって……、あの、魔法は使っちゃダメって言いましたよね?」

 

「はい」

 

「アナタはわかりましたって言いましたよね?」

 

「はい」

 

「それで、なんですぐに魔法を使うんですか⁉」

 

「えぇっ⁉」

 

「どうしてアナタが驚くんです⁉」

 

 

 詳しい説明を聞いたが、やはり身の覚えのないことだったので水無瀬は混乱してしまう。

 

 でも、頭のいいアスさんが怒ってるから、きっと何か誤解が生まれてしまったのだと思い、とにかく自分の思ってることを“ごせつめい”しようと思った。

 

 

「あ、あの……、私、魔法使ってません……!」

 

「使いましたよね⁉」

 

「でも、あの……、誤解があると思うんです!」

 

「目の前で起こったことでしょう⁉ どこにそんな余地が⁉」

 

「でもでもっ、私魔法してないんです……!」

 

「変身したでしょうが!」

 

 

 お手てをぶんぶんしながら魔法少女のコスチュームのフリフリを揺らす彼女へ、アスは事実を適示する。

 

 

「あの、確かに変身はしましたけど、でも魔法は使ってないんです……!」

 

「意味がわからないんですけど⁉」

 

「えっと、結界しないとゾンビさんたちが街に行っちゃうじゃないですか? それは大変だぁって思って……でも、変身しないと結界出来ないじゃないですか? だから私困っちゃって……、それで変身したいなって思いました!」

 

「お気持ち⁉ だからなんですか⁉」

 

「だから……、あの、変身しちゃいました!」

 

「だから! 変身しちゃダメでしょう⁉」

 

「えぇっ⁉」

 

「なんでそこで驚くんです⁉ 変身は魔法でしょう⁉ 変身魔法!」

 

「そ、そうだったんですか⁉」

 

「自分のことでしょう⁉ なんでわかってないんです⁉」

 

 

 “愛苗ちゃんわ~るど”に引き摺り込まれ、アスは彼という人物には似つかわしくなく連続で声を荒げる。圧倒的に有利な立場であったはずなのに、ゼェゼェと息を切らすことになった。

 

 

「アナタ魔法少女でしょう⁉ 自分をなんだと思ってるんです!」

 

「あ、あの、魔法少女です! ごめんなさいっ!」

 

「謝ればいいってものではないでしょう! 大体魔法じゃなくってどうやって別物に変身なんか出来るって言うんです!」

 

「で、でもでもっ! 私、変身は魔法じゃないかなぁって思うんです!」

 

「どう違うんです! 説明してごらんなさい!」

 

 

 愛苗ちゃんは身振り手振りを添えていっしょうけんめいに魔法を“ごせつめい”する。

 

 

「えっと、魔法ってまず『むむむ』ってしてから、『ほわほわ』を探して『にこー』ってするじゃないですか?」

 

「……は? ……えっ?」

 

「それから『みゅんみゅん』してる私のキラキラを『ぎゅぅーん』ってして……、あっ、弥堂くんは『ひだりーみぎー』って言ってました! それでぇ、お外の、みんなのキラキラと『なかよし』して『ぎゅっ』てして。それから『えいっ』てすると『ぴゃー』ってなって……、あれ? アスさん……?」

 

「…………」

 

 

 がんばって魔法について説明をしていた水無瀬だったが、アスの様子がおかしいことに気が付く。

 

 アスは真顔のまま固まっていた。その目線は一切動いていない。

 

 やがて、彼はハッと我にかえる。

 

 

「あの……?」

 

「あぁ、いえ……、ちょっと意識が飛んでました。お気にせず」

 

「えぇ⁉ 意識が⁉ だだだだ大丈夫ですか⁉」

 

「問題ありません」

 

「そうですか……、あっ、じゃあ私、最初からまた説明しますね? まずー、『むむむ』ってするじゃないで――」

 

「――いいえ結構です! やめてください! これ以上聞いていたら頭がおかしくなります……!」

 

 

 “愛苗ちゃん言語”は天才すぎて受け入れがたかったようで、聡明なアスの頭脳は聞くことを拒絶した。

 

 

「それで、変身魔法はどう違うのです?」

 

「はいっ、変身の時は“Blue Wish”に『おねがーい』ってすると、『しゃらぁーん』ってなるんです! だから魔法じゃないんです!」

 

「…………」

 

 

 一応一通り聞いてはみたが、やはりなにもわからなかった。

 

 

「クッ……、ダメだ……! 何を言っているのかさっぱりわからない……! そもそもあれが魔法でないなんてはずが……、いや? あながちそうも言い切れない……? そんな馬鹿な。だが、コストに魔力が使用されていない。術理にも法理にも拘束されていない。あれを魔法だとしてしまうとそもそもの魔法の定義がブレる……? しかし……いえ、確かに父の創ったものですからブラックボックス化されていることも多いですが、“生まれ孵る卵(リバースエンブリオ)”の本質と特性を考えれば、これを魔法とするわけにはいかない……?」

 

 

 突然小声でぶつぶつと何かを早口で唱えるアスに水無瀬はコテンと首を傾げる。

 

 アスはそんな彼女をチラリと見る。

 

 

「……ちなみに結界は?」

 

「え? 結界はやっぱり『おねがーい』ってすると“Blue Wish”がやってくれるから……」

 

「……グレーなラインですが、一応魔道具を使用して、あくまでその道具の効果――そう言うことも出来る……、クッ、完全に否定することは出来ない……」

 

 

 アスが口惜し気に呻くとその横で「プッ」と吹き出す声が。

 

 続けて「クックックッ……」と笑いだす。

 

 クルードだ。

 

 

「オイ、もういいじゃねェか。テメェの負けだよ」

 

「……仕方ありませんね」

 

 

 そう窘められるとアスは渋々納得することにした。

 

 一人理解出来ずに首を傾げたままの水無瀬へジト目を向ける。

 

 

「大分屁理屈にも近いですがいいでしょう。アナタの主張を受け入れます」

 

「えっと……?」

 

「まったく。一体誰の影響を受けたのでしょうね。付き合う人間は考えないと碌な大人になれないと言ったでしょう?」

 

「あ、あの、弥堂くんは真面目なんです……!」

 

「オイ、さっさと始めろよ」

 

 

 水無瀬はお友達の弥堂くんの擁護をしようとしたが、クルードに打ち切られてしまう。

 

 アスもそのつもりのようで、スーツの埃を払うとチリンっとガラスベルを鳴らした。

 

 いつの間にか立ち止まって待機してくれていたゾンビさんたちが再び進軍を開始した。

 

 

「少し予定を修正する必要がありますか……、これだから天然は……」

 

「あの、アスさん……?」

 

「そのまま臨んでもらって結構ですよ。ですが――」

 

「え?」

 

 

 水無瀬の足元の影が濃く広くなる。

 

 恐る恐る背後を振り返ると――

 

 

「――きゃあああぁぁぁっ⁉」

 

 

 もうすぐ傍までゾンビの群れが迫っていた。

 

 近付いてくるグロテスクな顔に恐怖し、彼女は弾かれたように走り出す。

 

 

 追いかけっこが始まった。

 

 

「ぅきゃあぁぁぁ……っ!」

 

 

 奇怪な悲鳴をあげて逃げる水無瀬の後をゾンビたちがズリズリと追う。

 

 

「ですが、魔法で倒すことが出来なければ結局大して変わらない」

 

 

 アスが呆れた目を向ける。

 

 

 ゾンビたちの速度も遅いが、変身中とはいえ元々の運動神経がよろしくない水無瀬の足も速くない。

 

 つかず離れずの距離を保ったまま「きゃいきゃい」喚く彼女に続いて、あっちへ行ったりこっちへ行ったり群れが動く。

 

 ピンチなのには変わりないが少々緊迫感が足らず、どこかコミカルな絵に見えた。

 

 

「……おかしいですね。こういう構図になるはずだったんですが、何かそうじゃないというか……」

 

 

 アスは不満げに眉を歪めて状況を観察する。

 

 

「テメェは小細工しすぎなんだよ。だからツマンネエことになんだ」

 

「ふむ。しかし仕上がりはチェックしなければなりませんからね」

 

 

 言いながら見守っていると、水無瀬がベチャっと転んだ。

 

 そこにゾンビたちが圧し掛かってくる。

 

 

「ひゃあぁぁぁっ⁉ のっからないでぇーっ!」

 

 

 やめるようお願いしてもそんなことは通用しない。

 

 あっという間に腐った死体たちにもみくちゃにされる。

 

 

「か、かじっちゃだめぇー!」

 

 

 生きる者の肉を喰らおうと齧りついてくる。

 

 だがゾンビの歯や顎の力よりも、魔法少女のコスチュームの防御力が圧倒的に上回っているようで水無瀬には傷一つつかない。

 

 もしも変身していなかったら、ここで終わってしまっていただろう。

 

 

「う、うえぇぇ……っ⁉」

 

 

 だが、彼女は既に半べそになっていた。

 

 

 殺傷能力には乏しいゾンビたちだが、その見た目と腐臭のインパクトは強烈だ。

 

 血色の悪い肌、崩れかけた顔面を近づけ、ガパッと口を開けば吐き気を催す異臭がする。

 

 

 “よいこ”の愛苗ちゃんは、たとえ相手がゾンビさんであっても決して「臭い」などとヒドイことは言わないが、さすがに気分はとても悪くなってしまう。

 

 

「きゃあぁぁ、こわいぃぃぃっ……!」

 

 

 半狂乱になり、馬乗りになってくる男性ゾンビを思わずドンッと力一杯に突き飛ばしてしまう。

 

 するとそこはさすがの魔法少女ぱわー。

 

 突き飛ばされたゾンビは激しくぶっ飛び、背後に居た他のゾンビも巻き込んで派手に転がっていった。

 

 ゾンビのドミノ倒しが起こり下敷きになったゾンビはグチュグチュッと潰れ、出来上がったゾンビの小山の下からは汚い汁が漏れ出てきた。

 

 

 恐怖の坩堝にいた水無瀬だったが、目の前で大きな事故が起こったことでハッと冷静さを取り戻す。

 

 慌てて倒れた男性に駆け寄る。

 

 

「あ、あの、おじさん大丈夫ですか?」

 

 

 仰向けになってモガモガするおじさんゾンビの手を引っ張って起こしてあげようとする。

 

 すると――

 

 

「――へ?」

 

 

 ズルッとおじさんゾンビの腕が捥げた。

 

 

「ぅきゃあぁぁっ⁉」

 

 

 愛苗ちゃんはびっくり仰天して両手を上げてぴょんことジャンプする。

 

 その拍子に背後に迫っていた別のゾンビの顔面に頭をごっつんこした。

 

 慌てて振り返る。

 

 すると今度は、ぶつかった拍子にそのゾンビさんの首が捥げてしまっていた。

 

 

「きゃああーーーっ⁉」

 

 

 おまけに手を振り上げた拍子に持っていた捥げた腕はどこかへ飛んでいき、その辺りを徘徊していた別のゾンビのコメカミに突き刺さった。

 

 首を失くしたゾンビは両手をパタパタさせながら失くしたモノを探すようにして見当違いの方向へ歩いていく。

 

 

「あ、あの、お姉さん……っ、お顔忘れてます……!」

 

 

 水無瀬は他のゾンビに引っ張られながらお姉さんゾンビのお顔を抱えて後を追った。お姉さんゾンビの顏が水無瀬の手をガジガジしている。

 

 

「…………」

 

「これホントに意味あんのか?」

 

「……少し危機感を足してみますか」

 

 

 アスはパチンっと指を鳴らした。

 

 すると水無瀬が張った結界の一部に人が通れるほどの穴が空く。

 

 

「――あっ⁉」

 

 

 そして、結界に阻まれて見えない壁をカリカリしていたゾンビさんたちはその穴へと移動を開始した。

 

 

「た、たいへん……っ!」

 

 

 水無瀬は結界の外へ出ようとするゾンビを止めるため、そちらへ急行しようとする。

 

 しかし纏わりつくゾンビたちのせいで思うようにスピードが出ない。

 

 

 ズルズルと彼らを引き摺りながら進んでいく。

 

 彼女の腰にしがみつくゾンビは下半身が引き摺られる形になり、アスファルトに擦れて脚の肉が削げ落ちていき白骨が露わになった。

 

 

「あ、あの、私急いでるので、掴まってたら危ないですよ……?」

 

 

 水無瀬は振り向きながら腰に掴まるおばさんゾンビを気遣う。

 

 おばさんは「あー」と唸るだけで放してはくれず、愛苗ちゃんはふにゃっと眉を下げた。

 

 おばさんの脚が大根おろしされてしまっているとは露とも知らない。

 

 

 やがて結界の穴に群がるゾンビたちの元まで辿り着く。

 

 すでにもう何体かは外に出てしまったようだ。

 

 

「お外に出ちゃだめぇー!」

 

 

 水無瀬は彼らを止めようとする。

 

 どうもゾンビたちは複雑な行動の選択が出来ないようで、水無瀬に掴まれて引っ張られても襲ってきたりはしない。最初にとっていた『街へ向かう』という行動をそのまま続けるだけで、結界の穴にグイグイと頭を捻じ込もうとしている。

 

 それは水無瀬を追ってきたゾンビたちも同様のようで、彼女に襲いかかるという行動をとり続けている。

 

 

 すると自然と、結界から出ようとするゾンビを引っ張る水無瀬をゾンビがさらに引っ張るという構図が出来上がる。

 

 結果的に一体のゾンビを大勢で協力して引っ張る格好となり、結界に首を突っ込んでいたゾンビさんがスポーンっと引っこ抜ける。

 

 ついでに首も引っこ抜けてしまったようだ。

 

 

「あわわわわ……っ⁉」

 

 

 またも自分のせいでゾンビさんの首が取れてしまい泡を食っていると、そんな彼女へ他のゾンビが襲ってくる。

 

 水無瀬は齧りつこうとするおじさんの顔を咄嗟に抑える。

 

 そうすると、おじさんゾンビの顔の横に何かが付いているのが目に入った。

 

 

「あ、おじさん。お耳にザリガニさんが入っちゃってますよ? 私とってあげますね」

 

 

 おじさんの耳からは尻尾部分を耳の中に入れる恰好で、ザリガニの体半分が外に出ていた。

 

 ザリガニが入っているというか、おじさんの耳からザリガニが出ていると言った方が正しいか。

 

 手を近づけるとザリガニさんは両のハサミを持ち上げて水無瀬を威嚇してくる。

 

 

 意を決して「えいっ」と指で摘まみにいくと、ハシッとその指をハサミで掴まれた。

 

 

「ぅきゃあぁぁぁっ⁉」

 

 

 驚いて水無瀬は手を引っ込めてしまう。

 

 すると、サリガニさんも指についてきておじさんの耳からズルリと抜けた。

 

 

「いやああああっ⁉」

 

 

 単純にザリガニが取れるだけかと思ったら、ザリガニの殻を剥いた時のように生々しい肉の幹がズルズルと引きずり出されてきた。それは妙に長さがあり、どうもゾンビの脳と繋がっているようで、見たことのない何かが耳からこぼれ出てきてしまった。

 

 そのあんまりなグロ映像に水無瀬は「きゃーきゃー」叫びながら走り廻る。

 

 すると、彼女に跳ね飛ばされたゾンビたちがどこかへ吹っ飛んだり、中には結界の穴から外に出てしまったりと、状況はしっちゃかめっちゃかで、やはり緊迫感に欠けていた。

 

 

「…………」

 

「いつまでやんだよコレ?」

 

「……こんなはずじゃなかったんですがね」

 

「つーか、あんな脆い雑魚何万いたって意味ねェだろ」

 

「もう少し強化できるんですが、まずは数が欲しいのですよ」

 

「チッ、もういい」

 

 

 うんざりしたように吐き捨て、クルードは前に出る。

 

 

「クルード様?」

 

「ちょっと追い込んでやればいいんだろ?」

 

「……約束を――」

 

「――わかってる。それより、テメェこそ約束を忘れんなよ?」

 

「……わかっています」

 

「フン」

 

 

 鼻を鳴らすとクルードは僅かに膝を撓め、それから高く跳び上がる。

 

 そして水無瀬のすぐ近く、ゾンビが集まる場所へ隕石のように勢いよく着地をした。

 

 

 轟音とともにアスファルトにクレーターができ、無数のゾンビたちが宙へ舞い上がる。

 

 

「――え?」

 

「護れよ」

 

 

 突然のことに驚く水無瀬へ目掛けてクルードは拳を振り落とす。

 

 水無瀬は避けることも防御することもなく、ギュッと目を瞑った。

 

 すると――

 

 

「――チッ」

 

 

 苛立ったように舌を打ち、クルードは水無瀬の顔ギリギリで拳を止める。

 

 落下してきた付近のゾンビたちは、クルードが拳を振るった風圧で方々へ吹き飛ばされた。そこら中に体液と肉片が飛び散る。

 

 

「オイ、解禁だ」

 

「え……?」

 

「使えよ。魔法。じゃねェと、あっさり死んじまうぜ」

 

 

 強烈な眼光とともに、クルードはもう一度拳を振りかぶる。

 

 

「ちょっと遊んでやるって言ってんだよォォッ!」

 

「ス、【光の盾(スクード)】……ッ!」

 

 

 水無瀬は咄嗟にめいっぱいの魔力をこめて光の盾を創り出して、クルードの拳を受け止めた。

 

 

「……ヘェ? 昨日よりはマシになってんじゃあねェか……ッ!」

 

「きゃあぁぁっ⁉」

 

 

 クルードが力尽くで拳を押し込むと、水無瀬は魔法の盾ごと吹き飛ばされる。

 

 

「リ、【飛翔(リアリー)】……ッ!」

 

 

 空中でバランスを崩しながら飛行魔法を発動させてどうにか姿勢を制御する。

 

 

「ギャハハハハハ……ッ! ようやく暴れられるぜェ……!」

 

 

 さっきまでの無気力さは何処へやら。

 

 戦い始めると途端に狂乱したようにクルードは嗤いだす。

 

 これが彼の気性なのだろう。

 

 

「加減してやっからよォ……ッ、少しは持ちこたえてみせろよ……!」

 

 

 そして、周辺のゾンビの存在など認知もしていないようで、彼らを轢き殺しながら水無瀬へと突っ込んできた。

 

 

 昨日の彼との戦闘を思い出し、水無瀬は怖気づきそうになる。

 

 しかし、彼に吹き飛ばされるゾンビたちの向こう――結界の外へ出ていく無事なゾンビたちが目に入った。

 

 

「私がここでがんばらなきゃ……っ!」

 

 

 きっと昨日よりも酷いことになってしまう。

 

 街への脅威はゾンビだけではない。今もアスの近くでは地面に突き立った杖が不気味な慟哭を続けていた。

 

 龍脈の暴走が何を意味するのかは水無瀬にはわからなかったが、しかし絶対に放置していいものではないことだけはわかる。

 

 

 全てを投げうってでも止めなければならない。

 

 

 彼女の瞳に強い決意の光が灯る。

 

 

「【光の種(セミナーレ)】ッ!」

 

 

 魔法の弾丸を生み出し、クルードへ応戦した。

 

 真の戦いはここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ひぇぇぇっ⁉ なななななんですのぉ……⁉」

 

 

 情けない悲鳴をあげてマリア=リィーゼが紅茶を溢した。

 

 

 少し遅い昼食を摂っていたら突然地震が起きたためだ。

 

 外国出身で地震に慣れていない彼女は泡を食ってテーブルの下に潜り込む。

 

 

「オイッ! 大変だッ!」

 

 

 慌てた蛭子が食堂へ駆けこんできた。

 

 蛭子はテーブルクロスの裾からはみ出たでっかいお尻に一度目を遣り、見なかったことにして全員に声をかける。

 

 

「龍脈の暴走が始まった! すぐに対応に出るぞ!」

 

「蛮、僕はどうしたらいい?」

 

 

 その蛭子へ、席を立った聖人が真剣な目を返す。

 

 

「オマエはとりあえず姫さん連れて門を見張ってろ! 真刀錵はオレと手分けして穴が空いてるとこがねェか見廻りだ!」

 

「わかった!」

「承知」

 

 

 さすがの彼らも今回はおふざけはなしで、蛭子の指示に従ってすぐに行動に移して外へ出ていく。

 

 食堂の中には蛭子と望莱だけが残った。

 

 

「ったく、マジかよ。オマエの言ったとおりだったな、みらい」

 

「…………」

 

「みらい……?」

 

 

 皮肉交じりの称賛をかけたが彼女の反応がなかったので、蛭子は望莱へ怪訝な目を向ける。

 

 すると、彼女は――紅月 望莱は目を見開いて硬直していた。

 

 

「オイ、どうした?」

 

「え? あ……、いえ……」

 

 

 もう一度声をかけると彼女はようやくハッと我にかえった。

 

 

「……オマエ寝てたんじゃねェだろうな?」

 

「ふふふ、まさか」

 

「まぁいい。オレも出るから学園と連絡とって向こうの状況聞いてくれねェか」

 

「仕方ありませんね。頼まれてあげましょう」

 

「その後の行動は任せる。今日はマジメにやってくれんだろ?」

 

「はい。仕方ありませんので」

 

「じゃあ、頼んだ」

 

 

 言葉少なに会話を終わらせ蛭子は外へ走って行く。

 

 

 彼が立ち去って少ししても、望莱はテーブルに手を乗せたまま動かないでいた。

 

 いつものようにふざけているのでも、怠けているのでもなく、いつも微笑みを絶やさないその顔はとても真剣なものだった。

 

 

「……どういうことです?」

 

 

 ポツリと漏らした小さな疑問の声に答える者はいなかった。

 

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