俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章75 水無瀬 愛苗 ⑤

「――お前の名前は水無瀬 愛苗(みなせ まな)。ごく普通の高校生だ。誕生日12月24日。年齢は16歳。性別は女。逮捕・犯罪歴はなし。小学校低学年時から心臓の病で入院、高校入学の半年ほど前に完治、退院。それ以降目立った病気の疾患はなし。現在健康体。結婚歴はなし。妊娠・出産の記録もない……」

 

 

「うそ……」

 

 

 スラスラと既に出来上がっている文章を読み上げるような低い声音に、水無瀬 愛苗は茫然とする。

 

 

「……座学の成績は同学級内上位。体力・身体能力においては同年代平均を大きく下回る。身長148cm、体重42kg、靴のサイズは22cm。私立美景台学園高等学校二年B組所属。出席番号は22番。寄付金の上納ランクはC。平均だ。両親は花屋を経営しており、本人はその手伝いをしている。あと、なんか魔法少女とか意味のわからん副業をしている……」

 

 

「うそ……うそ……だって……」

 

 

 真っ黒で真っ暗な世界は砕け散り、途端に広がった夕陽の光が眩しくって、視界が涙で滲む。

 

 抑揚のない低い声が腕の中から聴こえてくる。

 

 その顔を見下ろそうとするが、やっぱり涙でうまく見えなかった。

 

 

「……性格は極めて温厚。協調的でもある。教員や生徒からの評判も上々。顔がよくて胸がデカイからだろう。主な交友関係があるのは同クラスの生徒の希咲 七海。お互いに親友だと認め合っている。他の生徒との関係も良好。誰にでも優しく、校内では揉め事なども起こさない……」

 

「わた……し……、びとっ……」

 

 

 ポロポロと零れる涙でまた彼の顏を汚してしまいそうで、蔓で葉で、一生懸命に自分の顔を拭った。

 

 彼の声も言葉もちゃんと聞きたいのに、頭が真っ白でなかなか入ってこない。

 

 

「……だが校外では副業の関係で、毎日街を徘徊し、化け物を探して殺しまわっている。極めて危険な人物だ」

 

「えぇっ⁉」

 

 

 しかし、次に聞いた言葉の内容に愛苗ちゃんはびっくり仰天して、チャームポイントの木の根っこがブオンっと跳ね上がった。

 

 その根が地に落ちて何体かの悪魔をぶっ殺した。

 

 

「“闇の秘密結社”を名乗る悪魔どもと抗争状態にあり、悪魔の使役する魔物を何体も始末している。暴力団体との対立、並びに副業・バイトのはずの『魔法少女業』を専業にしている場合、校則違反に当たる可能性があるので、継続的な調査対象として指定中だ」

 

「あ、あの……? びとうくん……?」

 

「少なくとも一年以上のキャリアがある。あるはずなのに、戦闘中の振舞いは素人そのもの。どうやって生き残ってきたのか理解に苦しむ。『可哀想』だの『頑張る』だのと、意味のわからないフワフワとした感情で戦う甘ったれのクソガキで、そのくせ頭がおかしいくらいに戦闘能力が高い。非常に理解に苦しむ」

 

「あ、あのね……?」

 

「おまけに、鈍くてバカで、察しが悪くてバカで、乳が邪魔でバカで、ガキくさくてお花畑でトロくさくてやっぱりバカで……」

 

「あぅ、あぅ、あぅ……、あぅぅぅ……」

 

 

 面と向かっていっぱい悪口を言われて愛苗ちゃんはシュンとしてしまう。

 

 だが――

 

 

「――だが、俺からしてみたら『ふざけてるのか』と言いたくなるが、お前自身はいつも真剣で、直向きで、思い遣りに溢れ。俺は見てるとイライラするが、お前自身に一欠けらほどの悪意もなく、人格的に悪いところなど一つも無い。俺は引っ叩いてやりたくなるが、お前は何も悪くない」

 

「あ……」

 

 

 フォローなのか中傷なのかいまいちわからない言葉が続いて――

 

 彼女はもちろん“そう”受け取る。

 

 

「底抜けのお人好しで、底抜けのバカ。それがお前だ――」

 

「――びとうくん……っ」

 

 

 ジロリと見上げてくるのっぺりとした黒い瞳と、ようやくちゃんと目が合い――

 

 ようやく彼の顔がちゃんと見えて――

 

 

 愛苗の瞳からは、やっぱりまた涙が溢れてきた。

 

 

 世界が戻った――

 

 

 

 

 

 ポロポロと涙を溢す少女を弥堂 優輝(びとう ゆうき)は無感情に視て、そして周囲へ視線を一周させ状況を確認した。

 

 

「――バ、バカな……⁉ 確かに絶命していたはず……ッ!」

 

 

 驚愕の眼差しを向けるアスを横目で一度見下し、とりあえず馬鹿にして煽ってやろうと考えたが、自身の顔にボタボタと水滴が落ちてくるのを感じて、鬱陶しそうに愛苗へと顔を戻した。

 

 意図せずに無視をした格好となり、アスの顔が屈辱に歪んだ。

 

 

 そんなことには構わず、弥堂は起き抜け一番にクレームを開始する。

 

 

「おい、ボタボタかかってるんだよ。止めろ。きたねえな」

 

「あぅぅぅぅ……っ」

 

 

 ボロ泣き状態で顔に涙を落としまくる愛苗に文句をつける。

 

 

「だ、だって……、だっでぇえぇぇぇぇっぇえぇぇ……っ」

 

「…………っ」

 

 

 話しかけたら余計に感極まらせてしまい、涙だけでなく鼻水まで落ちてきた。

 

 弥堂は一瞬額に青筋を浮かべるが、諦めて嘆息した。

 

 

「なにガキみたいに泣いてんだよ。バカじゃねえのかお前」

 

「だって、わたし……っ、びとうくんが……ぅくっ、しんじゃだっでえぇぇ、ぅあああぁぁぁぁっ!」

 

「……お前ら女の、何言っても泣く無敵モードに俺は心から遺憾の意を表明する」

 

「ごべんなざあぁぁぁぁいっ!」

 

 

 遺憾を表明しても泣かれてしまうので、弥堂は男性という自身の立場の弱さを嘆いた。

 

 

「死んでなかったんだからもういいだろ」

「だって、血がいっぱい出て、動かなくなっちゃって、キラキラも……」

 

「何言ってっかわかんねえよ」

「なんで大丈夫になったの……?」

 

「それはお前アレだ。がんばったんだよ」

「でも、がんばっても死んじゃうのは……」

 

「いっぱいがんばったんだよ」

「でもでも、がんばれなくなると死んじゃうんだし……」

 

「チッ、いつになくしつけえな」

「あぅぅぅ……っ!」

 

 

 うんざりとしながら弥堂は彼女の顔を視る。

 

 今も零れ続ける涙を眼にした。

 

 

「あー、じゃあアレだ……」

「どれぇ?」

 

「なんか女が泣いて涙がかかると生き返ったりするだろ。たまに」

「そうなの……?」

 

「そうなんだ」

「じゃあ、私もっといっぱいかけてあげるね?」

 

「あ? おい――」

「――うえええぇぇぇぇっ!」

 

 

 お目めをぱっちり開いて大量の涙を顔にかけてくる少女に弥堂は強い不快感を抱いた。口の中に入った涙をペッと吐き捨てる。

 

 

「やめろ、しょっぺえだろテメェ」

「ご、ごめんなさあい……っ」

 

「もう生き返ったからいらねえよ。即座にやめて速やかに泣き止め。それ以上は敵対行動ととるぞ」

「だ、だってぇ……」

 

 

 ダーと涙を滝のように流す彼女へ再び嘆息した。

 

 とりあえず別のことにケチをつけて彼女の気を逸らそうと画策する。

 

 だが身動ぎしようとしたことで、自身の身体が蔓や根で固定されていることに気が付いた。

 

 ピクっと睫毛を揺らす。

 

 

「おい貴様。今すぐ俺を解放しろ。不当な拘束だ。こんなことをしてタダで済むと思うなよ」

 

「あっ、うん。ごめんね……」

 

 

 シュルリと弥堂の身体に巻き付けた蔓や根を緩める。

 

 

「早くどかせ。このぶっといの邪魔なんだよ」

 

「で、でもでもっ、これ離したら弥堂くん落っこちちゃうし」

 

「落ちねえよ。なんだこれ? 鬱陶しいな」

 

「ぁいたぁーっ⁉」

 

 

 首に巻き付いていた蔓を毟り取ると何故か愛苗が痛みを訴える。

 

 

 弥堂は彼女の様子をジッと視る。

 

 愛苗も弥堂の首をジィッと見た。

 

 首の傷はきれいさっぱりに無くなっていた。

 

 

「お前、これ千切ると痛いのか?」

 

「え……? あ、うん。なんか髪の毛ひっぱって抜けちゃったみたいな……?」

 

「そうか……」

 

 

 彼女の“魂の設計図(アニマグラム)”を視て、視比べて――

 

 

(これはもう……)

 

「ねぇ、弥堂くん?」

 

「なんだ」

「お首の傷は?」

 

「あ? 治った」

「治っちゃったの?」

 

「あぁ。治った。不思議だな」

「え? うん、不思議だねー」

 

「そうだな」

 

 

 中身のない会話でゴリ押しして納得させる。

 

 目の前で見せてしまった以上もう隠さなくても構わなかったのだが、彼女相手に説明してすぐに理解させる自信がなかったので、弥堂は効率のいい方を選んだ。

 

 

「あと……」

「なんだよ」

 

「弥堂くん、私のこと忘れちゃったのに……」

「憶えてる時のモノに戻したんだ」

 

「え?」

「どうでもいいだろ」

 

「でも、私……、こんなになっちゃったし……」

 

 

 俯く彼女の視線に合わせて、弥堂も今の彼女の姿を視下ろす。

 

 

「俺には大して違いがわからないな」

 

「えっ?」

 

 

 魔眼に魔力を流して彼女にもわかるように蒼銀の光を灯す。

 

 

「俺には魂のカタチが視えるんだ」

「たましい?」

 

「そうだ。見た目では誤魔化せないお前の根底にある魂が俺には視えている。だからこんな風にちょっとバケモノっぽく巨大化した程度では俺の眼は誤魔化せない。俺には前と同じに視える」

「そ、そうなの……?」

 

 

 それは嘘だ――

 

 

 今の彼女の“魂の設計図(アニマグラム)”は以前とははっきりとベツモノに為ってしまっている。

 

 その変遷の記録を並べているからまだ弥堂には彼女を彼女だと認識出来ている。

 

 それが真実だ。

 

 

「で、でも……」

「しつこいぞ。そんなに気に食わないなら、生き残ってからもう一回聞いてこい」

 

「生き残る……?」

「お前な……」

 

 

 小首を傾げる彼女に思わず脱力してしまう。

 

 

「お前もう一件落着したみたいに勘違いしてないか?」

「え?」

 

「まだ何も終わってねえだろうが」

「あっ、そうだった!」

 

「お前はいちいちズレてるんだよ」

「えへへ、弥堂くんが無事だったから安心してつい」

 

 

 照れたように蔓で後ろ頭を掻きながら笑う彼女を胡乱な瞳で視た。

 

 

「だいたいさっきもだ」

「さっき?」

 

「最期だからだのと勝手に言いたいこと言ってバックレようとしやがって。俺相手に言い逃げが出来ると思うなよ」

「わ、私、そういうつもりじゃ……」

 

「それに、最期だというのなら、俺にだって言いたいことはある」

「うん。なぁに?」

 

 

 真っ直ぐ自分を見つめてくる彼女の金色の瞳を視返す。

 

 

 しかし、言われっ放しは癪だったので何かやり返そうと思ってそう言ったのだが、特に言いたいことなどはなかった。

 

 仕方ないので適当にイチャモンをつけることにする。

 

 

「……前から思ってたんだが」

「うん」

 

「お前変身すると何でいちいちおぱんつが変わるんだ?」

「え?」

 

 

 何を言われてるのかわからないと彼女はまた首を傾げてしまう。

 

 

「だからお前のおぱんつだ」

 

「ぱんつ?」

 

「変身前は違うおぱんつを穿いてるのに、変身すると必ず横縞の――」

 

 

 言いながら無造作に手を伸ばし、ちょうど目線の高さにある愛苗のやたらと短くなった黒いスカートを捲る。

 

 しかし、そこにあったのは――

 

 

「――貴様っ」

 

 

 弥堂は愛苗をギロリと睨みつけた。

 

 

「なんだこれは?」

 

「えっ? えっと……ぱんつ……?」

 

 

 男の子にスカートを捲られて「これはなんだ?」と尋ねられたことなど経験がなかったので、愛苗ちゃんは戸惑いながらも正直に答える。

 

 しかし、コンプライアンスなどカケラも持ち合わせていない尋問官は一層眼つきを鋭くさせた。

 

 

「貴様、なんだこのやたらと布が小さい黒おぱんつは」

 

「え? あ、ホントだ。ぱんつも悪魔さんになっちゃったのかな?」

 

 

 彼女のおぱんつは何故か変貌をしていた。

 

 しかもそれだけではない。

 

 

「貴様……、これは黒のローレグおぱんつだな? 俺の眼は誤魔化せないぞ」

 

「ろーれぐ?」

 

「これはなんかエッチなギャルが好むおぱんつだそうだ。ガキのくせにこんな黒いもん穿きやがって、希咲に怒られるぞ」

 

「あぅ、ご、ごめんなさい……」

 

 

 悪魔になってしまった可哀想な女の子は、パンツにダメ出しをされて謝罪をさせられてしまう。

 

 

「それに上もだ――」

 

 

 調子に乗ったクズ男はさらに彼女のお胸へと鋭い眼を向けた。

 

 

「お前なんだ、この紐は?」

 

「あぅ……、なんかこうなっちゃったの……」

 

 

 彼女の胸は現在かなりの肌色面積が露出しており、いくつかの蔓が申し訳程度に大事な部分を隠しているだけだった。

 

 

「これがおブラと認められるかどうかは議論の余地がある。仮に否認された場合はお前はノーおブラということになる。ノーおブラは校則違反に当たる可能性がある。自分のしたことがわかってるのか?」

 

「わ、わかんないけど……、なんかえっちになっちゃったの……!」

 

「これは生徒会長閣下のご判断を仰ぐ必要がある。後日出頭の上で閣下の前で脱衣してもらうからな。覚悟をしておけ」

 

「わ、私、怒られちゃうのかなぁ……? ごめんなさい……」

 

 

 愛苗ちゃんは悪魔になっても“よいこ”なので、ムチャクチャなセクハラを受けてもとりあえずごめんなさいをした。

 

 

「弥堂くんの言いたかったことってブラとパンツなの?」

 

「ん? あぁ。いや、ちょっと待て」

 

 

 反射的に適当に返事をしたが、まるで自分が性犯罪者であることの自白にされかねなかったので訂正することにした。

 

 

「まだある」

「なぁに?」

 

「お前の魔法、呪文とか。イタリア語を使ってるだろ」

「うん。お家のお花屋さんがイタリア語でね? ちょっとお勉強したの」

 

「ふん、底が割れたな」

「え?」

 

 

 またもギロリと睨まれてしまい、愛苗ちゃんは思わず手をワタワタと動かしてしまう。

 

 でも現在の彼女にちゃんとした手足はなかったので、代わりに大地に根差すゴン太の根っこがワタワタしてまたも悪魔さんに被害者を出した。

 

 

「イタリア語とかイキがっているが、貴様の呪文にはたまに英語が混ざる」

「え? あ……うん、そうかも?」

 

「そういうのは統一しろ」

「しないとダメなの?」

 

「ダメだ。それは俺の上司をナメていることになる」

「そ、そうだったんだ……、今度ごめんなさいしに行くね?」

 

「ふん、簡単に会わせてもらえるなどと思うなよ」

「えっと、うん……」

 

 

 無表情だがどこか得意げな弥堂に、愛苗ちゃんは優しいので指摘しないであげた。

 

 

「まだまだお前には言いたいことが山ほどある。これで終わったと思うなよ」

 

「あぅぅ、ごめんなさい……」

 

「そういえばついでに思いだした」

 

「え?」

 

 

 弥堂は制服の上着のポケットから一つの物を取り出す。

 

 それを彼女に手渡そうとして、自身の目の前でプラプラする蔓をジッと視た。

 

 

「お前ちょっと俺の手が顔に届くように俺を持ち上げろ」

 

「うん、ちょっと待ってね」

 

「さっさとしろ。あまりのんびりしてる時間はないんだ。急げ」

 

「あわわわ、たいへんだぁ……っ」

 

 

 放せと言ったり、持ち上げろと言ったり、ワガママ放題のクズ男の介護に愛苗ちゃんは目を白黒させる。

 

 蔓がシュルリと弥堂の身体に巻き付き、彼を目の前まで持ち上げる。

 

 弥堂は射程圏に入るとすぐに彼女の前髪に手を伸ばした。

 

 パチンっと音が鳴る。

 

 

「あっ……、これ……」

 

「落とし物だ。お前のだろ」

 

「失くしちゃったと思ったのに……」

 

 

 前髪についた花のヘアピンを蔓で大事そうに撫でる彼女の顔をジッと視た。

 

 

「それはモっちゃんが持ってきた」

「モっちゃんくんが?」

 

「普段落とし物など拾っても、その辺に適当に捨てちまうようなクズが、何故かわざわざ俺のところまで届けに来た」

「でも、モっちゃんくんは私のこと……」

 

「忘れてたな。だが、それでも俺のところに持ってきた。別に風紀委員会に届ければいいものを」

「それって……」

 

「さぁな」

 

 

 示唆だけをして、そこから先は突き放す。

 

 しかし、彼女はどこか嬉しそうな顔をした。

 

 

「これね……」

 

 

 そしてポツリと溢す。

 

 

「ななみちゃんがくれたの」

 

「そう言ってたな」

 

「なくなっちゃったと思って……、これまでなくなっちゃ……、よかったぁ……」

 

 

 また彼女の目からポロポロ涙が溢れだす。

 

 

「あいたい……、ななみちゃんにあいたい……っ。もう一回、あいたいよぅ……っ」

 

 

 それが今の彼女の切実な願いなのだろう。

 

 決して叶わない願い。

 

 

 それを想って泣きじゃくる少女の顔をよく見て、

 

 

「……“おあいこ”だったか」

 

「……え?」

 

「俺を下ろせ」

 

 

 弥堂は彼女へ要求を伝えた。

 

 

「あ、あのね? 弥堂くん――」

 

 

 それが何を意味するのか、この一週間の共闘で彼女にはよくわかっていた。

 

 彼を説得しようとする。

 

 

「弥堂くんは逃げて」

 

「またそれか」

 

「だって、せっかく助かったんだから」

 

「お前に指図される謂われはない」

 

 

 だが、やはり彼は聞いてはくれない。

 

 だけど引き下がるわけにはいかなかった。

 

 

「あのね? 聞いて? 私ね、王さまなんだって」

 

「魔王とか言ってたか。それがどうした」

 

「だからね? 私がお願いすれば、きっと悪魔さんたちは街を攻撃するのをやめてくれると思うの」

 

「随分と都合のいい妄想だな」

 

「私が、いい王さまになれば、みんななかよしで、人間も悪魔も仲良くできるんじゃないかなって……」

 

「……で? お前は?」

 

「え?」

 

 

 何を聞かれているかわからないといった、いつも通りの彼女の仕草。

 

 それに対して弥堂は、やはりいつも通りに苛立ちを感じる。

 

 

「それで? それが上手くいったとしてお前はどうする? どうなる?」

 

「わ、わたし……?」

 

「勝手にそんなバケモンにされて、いいように騙されて、使われて、それでいいのか?」

 

「で、でも……」

 

 

 反論をしようとして、彼女の首がカクッと一瞬下を向く。

 

 

「おい? どうした?」

 

 

 怪訝に思って問いかけると、こちらを向いた彼女の顔はどこかウツラウツラとしているようだった。

 

 

「……眠いのか?」

 

「……うん、ごめんね? さっきも、いきなり眠くなっちゃったんだけど……また……」

 

「…………」

 

 

 何が起きてそうなっているかは理解出来ないが、確実にいいことではないと弥堂は判断した。

 

 

「下ろせ」

 

 

 だから再度要求をする。

 

 

「び、弥堂くん、でも……」

 

「お前がこのまま寝ちまったら俺が落ちるだろ。その前に下ろせ」

 

「う、うん……」

 

 

 ダメだと言いたいが、反論できない理由を言われてしまって、彼女は渋々彼の指示に従った。

 

 

 太い木の幹から洞に入り込んでいるように、顔と胴体だけを露出している彼女は、そのままの状態で滑るようにして地面まで弥堂と共に自分を下ろした。

 

 

「…………」

 

 

 その現象に弥堂は思わず言葉を失う。

 

 

「弥堂くん? どうかしたの?」

 

「お前、木からお前が生えてるのか?」

 

「え? どうなんだろ? 不思議だねー」

 

「……そうだな」

 

 

 彼女らしく、こんなことになっても細かいことは気にしていないようだった。

 

 

 弥堂は地に足をつけて立ち上がる。

 

 

「び、弥堂くん……っ」

 

 

 次に彼が何をしようとするか予想がついている愛苗はそれを止めようとする。

 

 

「“おあいこ”だと言ったな?」

 

「え?」

 

 

 だが、すぐに踵を返そうとすると思った彼は、こちらへ身体を向けたままそう問いかけてきた。

 

 

「なんかやられたら、やり返すんだろ?」

 

「え、えっと、あのね? 仕返しとかじゃなくって」

 

「わかってる」

 

 

 訂正しようとする彼女を遮って、弥堂は一方的に伝える。

 

 

「別に頼んだわけじゃないが、お前には去年から俺のことで随分と気を揉ませていたみたいだな」

 

「え? あっ……、でもそれは私が勝手に……」

 

「他にも、ここ最近お前には何度か生命を助けられたな」

 

「そ、それも、でも……」

 

「あとは、弁当か。メシを世話になったな」

 

「そんなの……、それだって私が勝手に……」

 

 

 彼女の言葉など聞かず、視線を強めて黙らせる。

 

 

「全て大きなお世話だ。だが、借りは借りだ。俺は、お前に、先にしてもらった」

 

「弥堂くん、なにを……」

 

 

 弥堂は一つ息を吐き、少し言葉を選んで、口を開く。

 

 

「――今回だけだ」

 

「え?」

 

「この一回だけ。俺が替わってやる」

 

「替わる……?」

 

 

 いつも通りの無表情、いつも通りの湿度の低い瞳。

 

 だが、どこかいつもとは違う、いつもにはなかったような何かが彼にあるように愛苗には感じられた。悪魔と為った彼女にはより強く感じられた。

 

 

「お前は戦えないだろう?」

 

「わ、わたし、まだ……っ」

 

「多分もう戦わない方がいい。魔法を、魔力を使わない方がいい」

 

「で、でも……」

 

「それに、眠いんだろ」

 

「それでも……っ」

 

「だから、今回は俺が替わってやる。そこで寝てろ」

 

 

 問答は終わりだと示すように弥堂は身体を反転させ、敵の方を向いた。

 

 

「弥堂くん……、まさか……⁉」

 

「今回は俺がどうにかしてやる」

 

「どうにかって……」

 

「決まってるだろ。皆殺しだ」

 

 

 愛苗は慌てて弥堂に蔓を巻き付けて、彼を引き止めようとする。

 

 だが、動いた蔓は少しだけ、それには力もこもっていなかった。

 

 気持ちとは裏腹に瞼が重くなってくる。

 

 

「ダメだよ……、にげて……」

 

「俺のことより、お前は自分のことをどうにかしろ」

 

「ど、どうにかって……」

 

 

 愛苗は自身の躰を意識する。

 

 そしてふにゃっと眉を下げた。

 

 

「これ、どうにかなるのかなぁ?」

 

「知るか。お前みたいなの視たことねえよ。なんだこれ、ウネウネしやがって触手かよ。俺に卵なんか産みつけるなよ? 気持ちわりぃな」

 

「あうぅ……、ごめんなさい……」

 

「気合いで頑張って気持ちでどうにかしろ。じゃあな」

 

 

 とってもヒドイことを言って、とってもいい加減なことを言って、それから突き放し弥堂は歩き出そうとする。

 

 

「待って! だめ! お願いだからにげて……っ!」

 

「うるさい黙れ」

 

 

 振り返りもせず斬り捨て、弥堂はボロボロになった制服の上着を脱ぎ捨てる。その下のバトルスーツも上半身の前面は大きく引き裂かれていて胸が露わになっている。

 

 もはや衣服としても防具としても役には立たない。

 

 

 ブレザーが地面に落ちると、カンっと何かかがコンクリに当たって音を鳴らした。

 

 

 弥堂は捨てたばかりの上着を拾って、その内ポケットに入っていた物を取り出す。

 

 手にあるのは缶ケース。

 

 それを開ける。

 

 

 中には数本の注射器。

 

 路地裏のギャングから奪い取った麻薬――“WIZ”だ。

 

 

 弥堂が常用していた魔力増強の麻薬と非常に酷似した薬品。

 

 

 それを一本取り出して首の血管を針で突き刺した。

 

 

 グッと押し込むと内容液が血管の中に無理矢理注入されていく。

 

 

 用量など知らないので全て流し込んで空にしてから適当に投げ捨てる。

 

 

 残った物はケースごと腰のホルダーに捻じ込んだ。

 

 

「――グッ!」

 

 

 すぐに身体に反応が現れる。

 

 慣れ親しんだものと少しばかり違う反応。

 

 こちらの方が品質がいいのか、効きがいつもよりも強く速い。

 

 

 激しく心臓がアイドリングを開始した。

 

 

 首筋から膨らんだ血管が皮膚を盛り上げて葉脈のように瞼にまで上がってくる。

 

 

 瞳と聖剣に蒼銀の輝きが蘇った。

 

 

「弥堂くんっ!」

 

「素人は引っ込んでいろ」

 

 

 傷ついた少女の前に立ち、見渡す限りの悪魔を向こうにまわす。

 

 

 

「ここはもう、俺の死に場所(せんじょう)だ――」

 

 

 

 その宣誓と祈りは戦場に響きながらも何処にも届かない。

 

 

 それが向くのはきっと全ての過去だ――

 

 

 足を前に出しても進んでいるのはきっとずっと後ろ(かこ)

 

 

 たった独りでの悪魔との全面戦争。

 

 

 だが、これは聖戦などではなく、清算だ――

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