俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章78 弥堂 優輝 ③

 

「――ようこそ、✕✕✕✕」

 

 

 それがクソガキが初めて聴いたセラスフィリアの声だが、しかし異世界に召喚されたクソガキが一番最初にその世界で聞いた言葉ではない。

 

 

 クソガキをその世界へ召喚したのはイカレ女――グレッドガルド皇国の皇女であり、召喚に成功したことによって第一皇位継承者となった、セラスフィリア=グレッドガルドだ。

 

 だが、クソガキは彼女の目の前に召喚されたわけではない。

 

 

 世界を越えるほどに道を踏み外したクソガキの足が初めて踏んだのは汚ねえ路地裏の地面だった。

 

 そこは皇都の外れ、外壁間際にあるスラム街だった。

 

 

 移民や戦争難民が押し込められ犯罪者が隠れ住むような区画で、不法入国者であり道を外した者でもあるクソガキには相応しい場所だと謂える。

 

 

 当然それは皮肉で、クソガキのような育ちが良さそうでケンカも出来ないほどひ弱で、さらに上質な服を着た子供が一人で居ればすぐにクズどもに目をつけられることになる。

 

 何を言っているかわからない言葉でゴロツキに絡まれるが、彼らの言葉が自分の知らない言語であると気が付くよりも早く、クソガキは乱入してきた誰かに助けられた。

 

 

 その誰かはゴロツキたちに負けず劣らずガラの悪い言葉でヤツらを怒鳴り付け、適当に彼らを小突き回して金を巻き上げてから、彼らを細い路地の奥にぶっ飛ばした。

 

 その誰かがクソガキの方を向く。

 

 

 (あか)い女だった。

 

 

 赤より熱い黄色混じりの緋色の髪が揺れて逆光を点滅させる。

 

 黒いズボンで上半身の露出は高く、肩に外套を引っ掛けていて、背中には大きな剣を背負っていた。

 

 

 目の前に居るだけで彼女の発するその熱量、その鮮烈さにクソガキは圧倒される。

 

 そんなクソガキを見て彼女は獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 この時のクソガキはゴロツキたちよりも彼女の方が恐いと感じた。

 

 どうみても山賊の女ボスにしか見えなかったからだ。

 

 

 クソガキを助けたのはルビアだった。

 

 

 ただ、彼女は偶然通りがかったわけではない。召喚された者が何処に現れるかはわからないので、セラスフィリアは皇都中に手駒を放っていたのだ。

 

 つまり目論見通りにその手駒の一つであるルビア=レッドルーツがクソガキを見つけたというわけだ。

 

 とはいえ、彼女に助けられなければクソガキはクズどもに掘られて売られてすぐに死んじまっていたことだろう。まったく運の悪いガキだ。

 

 

 ガラの悪い男たちに怒鳴られてすでに泣きの入っていたクソガキだが、恐怖はまだ終わらない。

 

 クソガキを助けたルビアもクズどもに負けず劣らず人相が悪くガラが悪いのだ。

 

 言葉が通じないことでイライラした彼女はすぐに怒鳴り始める。

 

 女山賊に恫喝されて、クソガキは泣いた。

 

 

 その情けない様を見たルビアはポカーンと口を開けてしばし呆気に取られた後、大きく溜息を吐いてクソガキの襟首をひん掴み、自分の乗ってきた馬に乗せた。

 

 そのまま無言でどこかへ移動し始めた。

 

 

 街の風景がゆっくりと変わっていく。

 

 スラムを通り抜けると次は何か恐ろしい雰囲気のする場所に出た。後で知ったがそこは処刑場でその隣は刑務所だったらしい。

 

 そこを過ぎるとようやく住宅街に出て、土の地面が石畳に変わっていくと市場のような場所に繋がり、兵士のような者の姿が散見されるようになっていく。どこか高級感のある建物や人の多い場所に差し掛かり、それから建物のない開けた空間に出るとその先に城が見えた。

 

 

 クソガキの目に映った街並みは2時間ほど前まで居た日本で見ていた作品の中では中世ヨーロッパのような雰囲気だと表現されていたように思える。

 

 だが不勉強なクソガキは中世ヨーロッパを見たことがないのでそうは思わなかった。

 

 クソガキが思ったのは、まるで異世界転生ファンタジーで見たような光景――だ。

 

 恐らくそれは正解で、今はそう言った方がパッとイメージがつく者が多いかもしれない。

 

 

 ルビアは正門には行かずに、関係者だけが使う裏口のような場所へ回った。

 

 そしてそこに立つ兵士に、ゴロツキからカツアゲした金を握らせて城の中へ入った。

 

 クソガキはルビアの掛けていた外套を被らされていたのでまるでコソ泥のように城の中を移動した。馬鹿なクソガキは城の中をじっくりと見たいと、そんな暢気なことを考えていた。

 

 

 クソガキがなんの警戒心もなく大人しくルビアに連れられて行ったのは、自分が見ていた作品たちから学んだパターンによれば、この後自分を召喚した者に会わされるはずだと考えていたからだ。

 

 頭が悪すぎる。

 

 もう一つ、無理矢理理由をあげるとするならば――

 

 ここまでの道中でルビアは一言も喋らなかったが、街を見て燥ぐ言葉も通じない見知らぬガキの頭を、彼女が何度か撫でてくれたからかもしれない。

 

 

 そして連行された先でクソガキは、自分を召喚した者――

 

 

 お姫様に出逢った。

 

 

「――✕✕✕✕、✕✕✕✕」

 

 

 クソガキは言葉を失った。

 

 

 美しい声、美しい姿。

 

 まるで後光でも差しているかのように錯覚するほどの高貴な雰囲気。

 

 

 通された場所は皇宮の離れにある聖堂のような部屋だった。

 

 天井に近い高い位置にある窓から差し込む光が後ろから彼女を照らしている。

 

 その光に反射した蒼みがかった銀色の髪がキラキラと輝く。

 

 この時のクソガキは気付かないが、まるで計算された位置関係、それによる演出のように今の俺には視える。

 

 

 そして計算通りに、クソガキは一目惚れだ。

 

 クソガキはバカなので顏のいい女が好きだったのだ。

 

 

 クソガキは彼女の喋った言葉がわからないことにも気が付かないほど、彼女に見惚れていた。

 

 

 そこでクソガキを待っていたのは、完璧な猫を被っていた頃のセラスフィリアだった。

 

 

 初めて見る本物のお姫様の前で呆けるクソガキが何も喋らないので、セラスフィリアは計算し尽くし訓練でもしたような完璧な仕草で小首を傾げる。

 

 すると彼女の一歩後ろに控えていた若い女――といってもクソガキやイカレ女よりは年上だが――が進み出てクソガキの耳に謎の器具を挿し込んだ。

 

 それを通して謎の魔術を流し込まれると、クソガキの言語野がバグって何故か彼女らの言葉がわかるようになった。

 

 それをやった女はセラスフィリア付きの大魔導士だという。

 

 

 そうしてセラスフィリアは名を名乗り、召喚のことを打ち明けてクソガキに詫び、それからこの国と世界の現状を説明し、クソガキに願った。

 

 それはまさにクソガキが期待していたものと寸分違わないものであったと言っていいだろう。

 

 

 クソガキは二つ返事で請け負った。

 

 そしてクソガキとセラスフィリアの間に契約が結ばれてしまった。

 

 

 セラスフィリアがその時に言ったことは決して噓ではなかったが、100%そのまま真実でもなかった。

 

 クソガキがそれを知るのは何ヶ月や何年も後のことだ。

 

 この時のクソガキは完全に浮かれていて、見たこともない美貌を持ったお姫様の前でイキっていた。

 

 もしかして僕この子と付き合えるのかな――なんてバカな考えで頭がいっぱいで、だから疑うこともしなかったのだ。

 

 本当にバカなガキだ。

 

 

 その時その場に居たのは、皇女であるセラスフィリア、そのお付きであるメイドのエルフィーネ、護衛の騎士ジルクフリード、大魔導士のルナリナ、そして山賊ルビアだ。

 

 クソガキがアニメで見ていた光景そのものだ。

 

 

 クソガキが求められたのは『世界を救って欲しい』という聞き慣れた願いだった。

 

 この世界は今、人類と魔族が戦争をしていて、この国は人類の先頭に立って戦っているらしい。だけど悪い魔族たちは強く、人々はとても困っている。

 

 悪い魔族の悪い魔王を倒せば人類は救われる。

 

 だから戦いを終わらせて欲しいとセラスフィリアが言った。

 

 

 戦争を終わらせる――つまり『英雄』になれと言われたのだ。

 

 セラスフィリアによって、『英雄』という『役割』がクソガキに与えられた。

 

 

 異世界から召喚された者には神から特別な力が能えられ、その証として身体のどこかに“聖痕”が刻まれているはずだと説明される。

 

 自分の身体を確かめてみると、クソガキの胸には見覚えのない入れ墨があった。

 

 黒ずんだ古傷にも見える途切れた葉脈のような入れ墨。

 

 それだけでクソガキは自分にはその力があるのだと根拠もなく妄信した。

 

 

 張り切るクソガキにその場にいた者たちは微笑んだ。

 

 浮かれていて当時は気が付かなかったが、記録を再生してみればルビアだけは笑っていなかった。

 

 

 

 このようにしてクソガキの異世界での物語が始まった。

 

 

 それからそこでどう過ごして、それからこの日本に帰って来て、今こうしているか――

 

 その詳細を一気に語ることは難しい。なにせ6年か7年ほどの期間のことだからだ。

 

 それにその際にはセラスフィリア=グレッドガルドという人物や、エルフィーネという人物、それに聖女であるシャーロット、他にも何人か――

 

 必ず語らねばならない者たちが居る。

 

 

 それには一晩まるまるあったとしても恐らく時間が足りないだろう。

 

 

 だから俺の感情や感想は極力排して、起こった事実のみをなるべく簡略に並べてみたいと思う。

 

 

 

 クソガキや廻夜部長が嗜んでいた“異世界転生モノ”に倣うのなら、まず重要な情報としてはクソガキがどんなチカラを得たか――だろう。

 

 

 答えはカスだ。

 

 この場合ゴミと表現した方がいいのだろうか。

 

 まぁ、意味は同じだ。

 

 

 この世界に召喚された者はクソガキで3人目だったそうだ。

 

 なので、慣例と謂えるほどの実例があったわけではないが、召喚された者にはまず莫大な魔力が与えられるらしい。

 

 それに加えて、それぞれの個性に合った強力な“加護(ライセンス)”も得るようだ。

 

 そして聖剣である『エアリスフィール』を使う資格が与えられる。召喚時に身体に勝手に刻まれる“聖痕”がその証らしい。

 

 

 まぁ、俺で3人目というのは真っ赤な嘘だったのだが、とにかく初代と二代目にはそれがあった。そして三代目候補のクソガキにはなかったというのが事実だ。

 

 

 まず魔力は非戦闘員や一般人に比べればまぁ多いかなくらい。だが下手したら一兵卒にすら劣る。

 

 ちょうど聖剣が魔力の大きさによって刃の長さが変わる仕様だったので、魔力量はそれで調べた。

 

 

 ちなみに『魔力量』とは、身体に保有しておける魔力の量の最大値と、心臓の一鼓動で生成できる魔力の最大値と、一度の魔力運動で運用できる魔力の最大値と意味が多岐に渡るのだが、ここでの魔力量は保有量のことになる。

 

 

 クソガキは聖女シャーロットに渡された聖剣を握り魔力をこめる。

 

 すると、かろうじて聖剣を使う資格はあったようだが、生み出された刃は果物ナイフ程度だった。

 

 

 この時、クソガキは出来上がったのがこんなショボイ剣でも、目の前のファンタジー的な現象に興奮していて周りが見えていなかった。

 

 だが、記録に残っているこの瞬間のセラスフィリアの顏が、今視ると傑作だ。

 

 滅多にミスをしない超人イカレ女の完璧に取り繕っていた微笑みが、一瞬真顔になって固まっていた。笑えるぜ。

 

 

 そして加護についてはどうやら魔眼があるようだという話になった。

 

 魔力的な素養が低いのに魔眼の加護――このちぐはぐさに一同は首を傾げていたが、一旦は魔術に適性があるタイプであると仮定される。

 

 そしてこの場に居た大魔導士の女――ルナリナに預けられることとなった。

 

 

 ちなみに初代は魔王に匹敵するほどの圧倒的な魔力量があり、加護は剣術を極める類のものだったそうだ。

 

 魔力にモノをいわせた身体強化と聖剣で向かう所敵なしというわかりやすい英雄像を地でいっていたそうだ。

 

 通常時から大剣ほどある聖剣の刃は本気で魔力をこめると天にまで上るほどに巨大化したらしい。

 

 その剣を振り下ろせば山を断ち、薙げば一軍を一太刀で斬り伏せたと記録にあり、それはそのまま有名な物語にもなって語り継がれていた。

 

 

 一方で二代目は魔術や魔法の達人だったそうだ。

 

 聖剣はレイピアのような形状でそれで直接斬るよりは魔法使いの杖のように扱ったらしい。

 

 魔力量も初代に勝るとも劣らずで、だが魔法の運用に秀でた才能を持っていた。数km離れた位置から敵の一軍を消滅させるような大魔法を使ったらしい。

 

 加護は不明だが恐らく魔術に関するものだろうということになっている。

 

 

 しかし、二代目は戦闘・戦争においても強かったが、戦闘能力よりもその頭脳が後世において高く評価されている。

 

 新たな魔術や魔法の開発だけでなく人々の生活に直結するような技術の発明。それから法や国の仕組みの整備などに関してだ。

 

 後で知ることだが、どうやら二代目は俺と同じ日本人だったようで、所謂発明チートや内政チートというやつをやっていたらしい。文明を二世代以上進めた偉人として教科書にも載っていた。

 

 

 これだけ聞くと如何に三代目が役立たずで能無しかがよくわかる。

 

 

 クソガキの魔眼はルナリナが一週間ほど綿密に調査した結果、【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】だということになった。

 

 こんなものは2時間もあればすぐにわかることなのだが、ルナリナがその結果を受け入れられず何度もやり直したために時間がかかってしまった。

 

 

 この【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】というやつは全く珍しいものではなく、魔術師や錬金術師には持っている者がそれなりにいる。

 

 魔術師や錬金術師の組織のそれなりに大きな支部に行けば数名は保有者がいるというレベルだ。その能力は魔素や魔力の存在感知にその流れが少し視えるというだけの代物で、戦闘にはあまり向かない。

 

 魔族との戦争を終わらせる英雄の加護としてどうかと聞かれれば、現地民の100人中100人がゴミだと答えるだろう。

 

 

 一応今の俺がそうしているように、俺の【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】には霊子の観測を可能とするスペシャルがあったわけだが、それに気づいたのはこの時から何年かしてからなので、この時はただの凡百な魔眼だと判断された。

 

 とはいえ、霊子が視えても、それを自由自在に操って何かとてつもない現象が起こせるわけでもないので、この時点でそれがわかったとしても後の展開に大した違いはなかっただろう。

 

 

 村人の魔力、オモチャの聖剣、そしてちょっとだけよく視える眼――

 

 

 一週間もかけて判明したこの素晴らしい調査結果をルナリナは青褪めた顔で報告書に認めていた。

 

 ペンを持つ手は震えているし、この世の終わりみたいな顔をしていたので、クソガキは彼女が心配になり日本語で声をかけた。クソガキは顔のいい女が好きなのでそういう女には甘いのだ。

 

 そうしたらヒステリーを起こした彼女に知らない言葉で怒鳴られてしまった。

 

 

 この言語の壁も厄介だった。

 

 

 クソガキが読んでいた物語では、大抵召喚された時に『翻訳スキル』とかいう意味のわからない加護のようなもので自動的にクリアされる問題だったのに、クソガキにはそんな加護すらも能えられなかった。

 

 それをクリアするのがルナリナが使った耳に突っ込む電極のような謎の器具だ。これは二代目が開発した現地語をインストールする魔導具らしい。

 

 本来は一度電極をぶっ刺して脳に直接魔力を流し込めば何故かこの世界の言葉が使えるようになるらしいのだが、クソガキの魔力や魔術に対する適性があまりに低かったせいでそれすらも失敗した。

 

 

 なので、常に電極をぶっ刺して魔力を流しとかないと会話すら儘ならないので、この日からしばらくルナリナはクソガキの専属通訳兼家庭教師というクソのような役目に就かされることとなった。

 

 彼女は名のある魔術師を多数輩出している名門貴族の娘だ。

 

 うちの母とは違い、エリート志向を隠そうともしていない彼女にとって、このことは強いストレスとなった。

 

 

 王族には一人ずつ魔術の教師や兄姉弟子として貴族の魔術師がつけられる。その役目に就くと宮廷魔術師の一員として数えられる。

 

 ルナリナはこの時で既に魔術の知識、それを行使した戦闘の実力、さらに研究分野での一定の評価まで得ていて、若くして大魔導士という称号を貰っていた。

 

 だからこの仕事で箔をつけてから魔術院の教授としてステップアップし、自分の研究室を持つことが彼女の描いた理想のキャリアだったのだ。

 

 

 第一皇女付きの魔術師という同期の中でもトップクラスのポストに就いたまではよかった。

 

 セラスフィリアは頭もよく魔術の才能にも秀でていたので、生徒や妹弟子としては非常に優秀だった。しかし如何せん頭がイカレていたのだ。

 

 魔術の才能は国内でも一、二を争う才媛だったが、ルナリナは世間知らずだった。あっという間にセラスフィリアに弱みを作られそれを握られ、この時には既に決して逆らうことの出来ない手駒とされてしまっていたらしい。

 

 

 そんな彼女は今回、教会に秘密裏に召還を行うなどという、バレたら異端認定間違いなしの犯罪の片棒を担がされた。

 

 そして第一皇女に魔術を教えるという栄誉を掴んだはずが、何処の馬の骨ともしれないクソガキに幼児にそうするように言葉や常識を教えるハメになったのだ。

 

 

 彼女の屈辱の日々はクソガキが一般会話を出来るようになるまで数ヶ月ほど続いた。

 

 頭にぶっ刺す電極が無ければ恐らくもっと倍以上の時間がかかっていただろうから二代目の魔導具は本当に優れている。

 

 

 あまり人物には触れずに出来事を語ると言ってセラスフィリアやエルフィーネの話を省いたのについルナリナのことに少し触れてしまった。

 

 だがそれも仕方ない。

 

 彼女は一応俺の妻ということになっている。

 

 婚姻届は正式に出されていないはずなので、正確には“内縁の”ということになる。

 

 

 彼女と婚姻関係になったのはこの召喚の時から5年以上経ってからだが、細かい経緯は省くとして、その時の俺は貴族としての実権が急に必要になったのだ。

 

 だから彼女の実家をハメてやり天文学的な額の借金漬けにしてやった。

 

 そして“英雄の妻”という地位につけば代々続いた名門のお家のお取り潰しも免れるかもなと、彼女と彼女の両親を脅迫――ではなく求婚したのだ。

 

 

 彼女は色々と便利で役に立ち――健気に俺に尽くしてくれた。

 

『死に戻り』という教会が最大の禁忌として指定する禁術の開発にも貢献してくれた。

 

 奴隷商に売り払ったりなどもしたが彼女は今も元気だろうか。

 

 

 俺は夫として彼女に対して責任をとるつもりだったが、今こうして物理的に越えられない世界の壁がある以上それも叶わない。実に残念だ。

 

 それに、イカレ女を殺しに行った最期の戦いでルナリナが俺の前に立ちはだかりやがった際に、まともにやっても大魔導士の彼女には敵わないので自爆特攻を仕掛けてやった。だからもしかしたらあの時に彼女は死んでしまったかもしれない。非常に残念だ。

 

 だが、俺は彼女に「俺の邪魔をすれば殺す」と何度も伝えていたので、これは仕方のないことだ。多くの夫婦の間にもこういった擦れ違いは起こり、その結果別れてしまうことはよくある。

 

 だからそれほど特別なことではないし、死んだ人間のことを考えても生きている俺には一つも得がないので彼女のことはもういいだろう。

 

 

 そういうわけで、こうしてクソガキは魔術の才能なしとして無事にルナリナに匙を投げられ、じゃあ剣術をということでその後騎士ジルクフリードに預けられ、そこでも無事に落第することになる。

 

 一通りの身に着かない通常の訓練の成果を鑑みて、セラスフィリアは梃入れを考案した。

 

 

 そして昨晩視た夢――

 

 

 あのイカレた拷問の日々が始まる。

 

 

 そしてそんな異常な訓練すら施してもクソガキは役立たずのままだった。

 

 

 セラスフィリアはクソガキを見限った。

 

 

 この『召喚』というやつには大きな利権が絡んでいる。

 

 

 グレッドガルド皇国はその皇女がそうであるように国自体がイカレている。

 

 皇帝の跡継ぎは正室の長男から順番に継承権が与えられ、基本的には男子が継ぐ。

 

 だが有事の際には皇族の女性のみが行える『召喚の儀』を執り行い、それに成功した場合にはその代のみその皇族の女が王位に就くことになるのだ。意味のわからない習わしだ。

 

 

 セラスフィリアは6歳の時からその準備をしてきて、この時現皇帝が病に伏した瞬間に、教会や他の皇族を出し抜いて迅速に召喚を実行し、そして見事成功をさせた。

 

 つまり皇位を獲るためにクソガキを日本から攫いやがったのだ。

 

 

 彼女の計画は完璧だった。

 

 ただ、一つ誤算だったのは召喚したクソガキが常軌を逸した役立たずだったことだ。

 

 

 以上の理由からイカレ女は第一皇位継承者であり、実質的なこの国の為政者と為っていたのだが、召喚した英雄がカスだったとなると話は違ってくる。

 

 召喚の失敗は許されないのだ。

 

 クソガキの無能さがバレれば皇位を剥奪されるだけでは済まず、結果オーライでゴリ押しした教会からも異端認定を受けることになる。

 

 この『召喚の儀』は教義により、神が人間を救う為に齎した儀式魔法――ということになっている。

 

 それに失敗するということは神に背いたことになるそうだ。

 

 何故なら神は決して間違わないからだ。

 

 

 ここで『俺が三代目である』、これが何故嘘なのかという話に戻る。

 

 実は召喚された者はこれまでの歴史の中で、もっと多く居たそうだ。

 

 しかし強大な力を持つことを確認出来たのは初代と二代目の二人だけだった。

 

 

 初代が召喚されたのが俺の時から二千年ほど前、二代目はその約千年後。

 

 なんなら初代すら本当の初代ではなく、この『召喚の儀』が創られ一番最初に召喚を行われたのはもっと大昔になるらしい。

 

 

 これらの真実は二代目の残したノートで知った。だから証拠はなく彼の証言を信じるしかないので実際は真偽不明ということになる。

 

 だが、俺は二代目の記したことが真実だと思っている。

 

 それは教会や国の所業を見たことでそうとしか思えなかったからだ。

 

 

 じゃあ、俺のように碌な力を持たずに召喚された者がどうなったかというと、もうわかるだろう。

 

 無かったことにされたのだ。

 

 何故なら神は決して間違わないからだ。

 

 

 召喚は一度に一人まで。聖痕が一つしかないからだ。

 

 だから早急に首を挿げ替える必要がある。

 

 

 ということでイカレ女はクソガキを始末することにした。

 

 しかし、召喚成功のことはまだ世界的には発表していないが、皇位を取る際のケツモチになってもらう為に、教会の一部の有力者にはもう内密に話を通してある。

 

 さらにクソガキの身近には教会の重職である聖女まで居る。

 

 安易に暗殺は出来ない。

 

 

 だから教会の者の目が届かない魔族との戦争の最前線へクソガキを送って、ヤツが死んだ瞬間にまた召還をやり直すことにしたのだ。

 

 

 そういうわけで、たらい回しの役立たずは最前線へ送られ、ルビアに預けられることになった。

 

 

 この召喚に関する嘘をこの時のクソガキはまだ知らなかったが、それでも自分がこれまでに見てきた『異世界転生』や『異世界召喚』は嘘だらけだとやさぐれていた。創作なのだから当たり前なのだが。

 

 だが、そんなクソガキは足を踏み入れた最前線で、また一つ嘘で覆われた真実に気が付き、ショックを受けることになる。

 

 

 クソガキはバカなので、この時まで、自分に何が出来るのか、出来ないのか――そればかりに気を取られていて、一つの重要なことへ全く思いを巡らせたことがなかったのだ。

 

 それが何かというと――敵のことだ。

 

 

 セラスフィリアは魔族と戦えと云った。

 

 

 クソガキは魔族というモノが何なのか知らなかった。

 

 

 ただ漠然と、今俺の目の前に居るような悪魔たち――こんな邪悪な異形の怪物たちだとばかり思い込んでいたのだ。

 

 人間とは全く違う凶悪な動物のような魔物――その王である魔王。

 

 自分はそういったモノと戦うのだとばかり考えていたのだ。

 

 

 しかし現実はそうではなかった。

 

 

 昨晩の夢で視た、初めての戦場。

 

 それを前にしてクソガキは身を竦ませていた。

 

 

 数えきれない人間による生命と生命の殺り取り。

 

 その現場に驚いたというのも勿論ある。

 

 だがそれ以上に初めて見た敵の姿に驚いていたのだ。

 

 

 魔族とは人だった。

 

 

 人類に害をなす魔物との戦いなど何処にもなく、其処では肌の色が違う人と人とが殺し合いをしていた。

 

 

 クソガキが身を投じた戦争とはそういうもので、その瞬間にクソガキが最初に聞いたセラスフィリアの言葉の意味が悉く変わる。

 

 

 この戦争において敵を倒すということの意味。

 

 

 この戦争を終わらせるということの意味。

 

 

『英雄』に為れということの本当の意味。

 

 

 それは人殺しに為れということだった。

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