俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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1章裏 4月26日 ⑩

 

 弥堂はメロのそんな様子をジッと視て、そしてポツリと漏らすように口を開いた。

 

 

「――死にたくないか?」

 

「え……?」

 

「ここで殺されたくないかと、訊いている」

 

「あ、アタリマエだろ……ッ!」

 

 

 何を今さらとメロは声を荒らげた。

 

 

「今、何がネックになっていると思う?」

 

「そ、それは……、ジブンが信用ならないってことだろ…?」

 

「そうだな。よくわかっているじゃないか」

 

「でも……! オマエはなに言っても信じないし、絶対に裏切らないなんて証明しようがないじゃないか……ッ!」

 

 

 半ばヤケクソ気味にメロは非難を口にする。

 

 言った後で自分の失策を自覚して顔色を悪くするが、弥堂には特に気にした様子はなかった。

 

 

「その通りだ。証明できない。家族だから、友達だから。親愛や友情、この眼に視えないモノを、実感も出来ないモノを俺は視止めない。実在を認めない。無いモノは証明できない。無いことも証明出来ない。悪魔の証明と言うんだったか? 悪魔自身にも不在を証明出来ないんだな? 笑えるぜ」

 

「…………ッ!」

 

 

 悪魔である自分がここで生きている限り、永遠に『悪魔が存在しないこと』は証明出来ない。

 

 生まれながらに存在に定義づけられたジレンマ。

 

 

 それを揶揄する彼の顏には言葉とは裏腹に、当然だが笑いなど一切ない。

 

 しかしその煽るような物言いに、己の真への指摘に、メロは感情が搔き乱された。

 

 

 自分の存在そのものへの侮辱に反射的に罵詈雑言を返してやりたくなるが、弱者の立場ではそれをすることも出来ない。

 

 それを選べば自分の生命という致命的な損害が発生する。

 

 選ぶことの出来ない選択の前で苦しみ続けるのがメロという存在だ。

 

 

 そうやって一生懸命口を噤む彼女の様子を何秒か観察して、それから弥堂は再度口を開いた。

 

 

「リスクはゼロにはならない。しかし今よりもゼロに近づけることは出来る」

 

「え?」

 

 

 真意のわからないその言葉をメロは訝しむ。

 

 

「眼に視えない、実感も出来ないモノは信用できない。なら、それが出来るモノなら一定の信用は出来る。そういう話をしている」

 

「ど、どういう意味だ……?」

 

 

 警戒心を浮かべながらメロが問うと、弥堂はそれに一定の満足を得た。

 

 メロの魂のカタチを視ながら先に進む。

 

 

「意味を問うのは俺の方だ」

 

「……?」

 

「仮に――これはあくまで仮の話だが。一定の信用を可視化する方法があったとして。その方法を提示すれば、お前はそれを出来るか?」

 

「い、意味がわかんねえ……」

 

「仮の話だと言っただろ。もしもお前の信用を示す機会と手段があれば、お前にはそれをする気が――その覚悟があるのかと訊いている」

 

「そ、そんなのあるなら、やるに決まってる……! 教えて欲しいくらいだ! ジブンにはオマエと話して信用させるなんて、ムリだ……ッ!」

 

「へぇ……?」

 

 

 メロのその反応に、弥堂はさらに満足そうに唸った。

 

 

「例えば――これはあくまで例えばの話だが。その方法が、通常は実行することが憚られるようなものでもか?」

 

「マ、マナによくないことをするってわけじゃないなら……」

 

「そもそも彼女を守るための話だ。その彼女に対して俺が酷いことをするわけがないだろう?」

 

「…………」

 

 

 どのクチが――とメロは思ったが、その言葉は飲み込んだ。

 

 何か、彼の雰囲気が、話の流れが変わったように感じたからだ。

 

 もしかしたら見逃してもらえるのではと、光明が見えた気がした。

 

 

「じゃあ、お前にはそれをする気があるんだな?」

 

「す、する……ッ!」

 

「そんなに助かりたいか?」

 

「アタリマエだろッ! 死にたくないし……、せっかく助かったんだから、マナともっと一緒に居たいに決まってんだろ……ッ!」

 

「そうか。なら、その為に必要なことが出来るな?」

 

「出来る! やる……ッ! ジブンならなんでもする……ッ!」

 

「そうか。それはよかった。これで――」

 

 

 弥堂の言葉の途中でメロは違和感を覚える。

 

 自分の尻の下が、ぼんやりと光っていることに気が付いたのだ。

 

 

「な、なんだ……ッ⁉」

 

 

 現在彼女が座っているビニールシートの下の床が、僅かに赤い光を発しているように見える。

 

 床を見て、それから弥堂の顏に視線を戻そうとして、そしてその途中でまた別のことに気が付く。

 

 

 ポタリ――と。

 

 

 床に赤い雫が垂れた。

 

 

 血だ――

 

 

 

 その血の源はメロ自身の顏ではなく、弥堂の手。

 

 彼が右手で持っているナイフ。

 

 いつのまにか彼が自分の親指をその刃に押し当てていて、そこから血が流れている。

 

 

 黒刃を滴り床にまた一滴血が落ちた。

 

 落ちた先には溝がある。

 

 

 床のタイルとタイルの継ぎ目かと思ったが違う。

 

 それは人工的に掘った溝だ。

 

 彫刻刀で木を削ったような浅く僅かな溝。

 

 そこに弥堂の血が落ちると、溝が赤く光り線と為る。

 

 

「――これで、契約の条件は整った」

 

「え?」

 

 

 弥堂の顏を見上げようとしたが、その前に床の光がさらに強くなり、メロは再び目線を下げることを余儀なくされる。

 

 もはや気のせいでも何でもなく、メロが座る場所の床が強く輝きを放っていた。

 

 

「い、一体これは……」

 

「何でもすると言ったな?」

 

「――ッ⁉」

 

 

 彼の声に釣られて顔を上げると今度こそ目が合わさる。

 

 すると、メロは驚愕に息を呑んだ。

 

 

 改めて視線を戻した彼の顏。

 

 その口の中に黒いナイフの切っ先が突っこまれている。

 

 

 一体何をしていると問う前に、その刃が引かれた。

 

 

 頬肉の裏が斬り裂かれ、弥堂の口の端から溢れた血がダラダラと垂れる。

 

 その血がボタボタと床に落ちると、ビニールシートの下の床が一層強く輝き出した。

 

 

「オ、オマエ……⁉」

 

 

 突然の自傷行為にメロはわけがわからなくなる。

 

 そんな彼女にも、流れる自身の血にも構わずに、弥堂は腰を折るとビニールシートを掴んで乱暴に引っぺがした。

 

 

「う、うわ……っ⁉」

 

 

 シートの上に尻もちをついていたメロは引っ繰り返る。

 

 床の上に転んだ彼女の目に、シートの下に隠されていたモノが露わになった。

 

 

「こ、これは――」

 

 

 点が連なり線と為り、線が繋がり図形を描く。

 

 

――そこに在ったのは、魔法陣だ。

 

 弥堂の血と同じ色に光っている。

 

 シートの下に隠されていたモノが露わになった。

 

 

「――魔術だ。使い魔契約のな」

 

「つ、使い魔だって……?」

 

 

 異世界にて悪魔の殺し方の練習をしていた頃、大魔導士のルナリナに使わせていた魔術だ。

 

 記憶の中に完璧に保全されていたその魔術式を丸コピーして展開している。

 

 

 使い魔契約の魔術は、魔術の中でもそれなりに高度な部類に入りはするが、最も難度の高い魔術式の構築をクリアしさえすれば、時間をかけて準備をすることで弥堂にも行使は可能だ。

 

 足りない魔力は自らの血を燃料に充てて補ってやればいい。

 

 

「ま、まさか……ッ⁉」

 

 

 遅れて、メロはこれから何が行われるのかを理解する。

 

 大袈裟に顔色を変えた。

 

 

 悪魔にとって人間との使い魔契約は決してポジティブなものではない。

 

 悪魔には眷属という上下関係の概念がある。

 

 人間との使い魔契約とは、格下の種族である人間の眷属になることと等しい。

 

 

 時には個人的に興味を持った人間や、親交を深めた人間と自発的に契約を結ぶ物好きな悪魔もいる。

 

 しかしこの契約が結ばれるのは大抵の場合、人間に騙されたり陥れられたりして強制的に結ばされることがほとんどだ。

 

 だからメロがそうであるように、悪魔は通常この魔術に嫌悪感を持っている。

 

 

「お前を俺の使い魔にする」

 

「――ッ⁉」

 

 

 弥堂の言葉はメロの嫌な予感を肯定するものだった。

 

 

「な、なんだと……!」

 

 

 当然メロは反発心を露わにする。

 

 

「お前は水無瀬とは使い魔の契約はしていないんだろ?」

 

「それは、そうだけど……ッ!」

 

 

 魔法少女とそのマスコットという与えられた役割(ロール)を実行しなければいけなかった関係上、確かにそのような契約を結んではいない。

 

 

 メロは物好きな方の悪魔だ。

 

 契約はなくとも実質的に自分は愛苗の使い魔のようなものだと思っている。

 

 そして、それ以上に彼女のことは友達であり家族であると、親愛の情を抱いている。

 

 

 故に、もしも使い魔の契約をするのなら、その相手は愛苗以外にはありえない。

 

 他には考えられない。

 

 

 だから、よりにもよって――

 

 

「――なんで、オマエなんかと……ッ!」

 

 

――彼女を差し置いて、こんな男と契約するなどというのは言語道断だ。

 

 

「まだ勘違いをしているようだな」

 

「なんだと……ッ!」

 

 

 メロが敵意を剥き出しにしてきても、隠していた自身の悪辣さが白日の元となっても、弥堂の態度は変わらない。

 

 血に汚れた顏を歪めもせずに静かな瞳を向けてくる。

 

 

「『お前なんかと』――それはこっちの台詞だ。本来ならお前のような無能の役立たずを使い魔になどする理由はない」

 

「だったらなんで……!」

 

「口の利き方に気をつけろよ。お前は死にたくないんだろ?」

 

「お、脅すのか……⁉」

 

「違うな。脅しではなく提案してやっているんだ」

 

「ど、どういう意味だ……⁉」

 

 

 理解の遅い悪魔の少女を弥堂は飽きれた眼で視下した。

 

 

「お前を生かしてやる上でのマイナス要素。信用が足りないというリスクを可能な限り無くす方法を教えてやったんだ」

 

「そ、それって……」

 

「立場が逆なんだよ。俺がお前に使い魔になれと頼んでいるのでも命令しているのでもない。お前が俺に頭を下げて頼むんだ。『どうか殺さないで下さい。使い魔にして下さい』とな――」

 

「なっ――」

 

 

 そのあまりに侮辱的な言い様に言葉を失う。

 

 同時に、彼の言わんとしていることと、自らの置かれている立場が正確に理解出来た。

 

 

「使い魔の契約で縛れば最低限の信用は担保出来る。それがお前を許容する上での最低条件だ」

 

「うっ……、うぅ……っ」

 

「決めるのも選ぶのもお前だ。俺はどっちでもいい。究極的には水無瀬を守る上で、俺は他者の存在など必要としていないからな」

 

「そ、それなら……、マナと……契約を……ッ」

 

「それは駄目だ」

 

 

 メロの懇願を素気無く切り捨てる。

 

 

「彼女には他人に何かを強制することは出来ない。本当ならこの『世界』のほとんどの生物を跪かせることが彼女には許されているのに、彼女は絶対にそれをしない。そうだろ?」

 

「…………」

 

 

 メロは答えられない。

 

 それに関しては弥堂の言う通りだったからだ。

 

 

「もしも彼女がそうしてくれれば、彼女を守ることはより容易になるのだが、まぁ、無理だろう。だから――俺がやる」

 

「ぐっ……、うぅ……ッ」

 

「お前が本当に彼女を守りたいのなら――これからも生きて彼女の傍に居る必要がある。この場を生き延びるには契約を結ぶしかない。なら、採るべき選択は考えるまでもない。そうじゃないか? それとも、彼女を守りたいというのは、やはり嘘だったのか? どうなんだ?」

 

 

 ここにきて一気に追い詰めるように饒舌になった弥堂の言葉に、メロは進退窮まる。

 

 彼の言うとおり考えるまでもなく、そして選択の余地がなかった。

 

 

「オ、オマエ、最初からこのつもりで……⁉」

 

「さぁ? そうでもないな。言っただろ、俺はどっちでもいいと。そしてこうも言った。決めるのはお前だと」

 

「ク、クソやろう……ッ!」

 

「口の利き方に気をつけろとも言ったな。そしてもう問答は面倒だ。条件を受け入れるのなら名を差し出せ。悪魔としてのお前の本当の名を――」

 

「――ッ⁉」

 

 

 その要求にメロは一層の動揺を浮かべた。

 

 ある程度の存在の強度を持った悪魔には、真実の名というものがある。

 

 己の存在そのものを表す名だ。

 

 メロにも一応それがある。

 

 

 契約を重んじる悪魔たちは、一定以上の強力な悪魔でもない限りは通常この名を他者には隠す。

 

 その名を差し出した上で契約をすると不利になるからだ。

 

 

 真実の名を呼ばれることは己の存在の根幹に触れられることとなる。

 

 それは魂に直接影響されることとなり、存在を揺らがされやすくなる。

 

 すると自然、イニシアチブの握り合いで不利となり、それに負ければ明確な上下関係を作られることとなる。

 

 

 使い魔の契約をするだけでもある程度の強制力が働いてしまう。

 

 それが名を差し出した上での契約ともなれば、今後この男に逆らうことはほぼ不可能になると言っても過言ではない。

 

 

 だから名のことは隠したままで、この場を切り抜けることをメロは考え始めていた。

 

 しかしその矢先にこれだ。

 

 

 この男は何もかもを知った上で自分を陥れてきたのだと気付く。

 

 そして、これ以上はもうどこにも逃げ場がないことにも。

 

 

「う、うぅ……っ、なんで、オマエなんかに……」

 

「さぁな、運がなかったんじゃないのか」

 

「マ、マナにだって、まだ教えてないのに……ッ!」

 

「知ったことか。俺が出せと言っているんだ」

 

「オ、オマエなんか大ッキライだ……ッ!」

 

「そうか。それは契約はしないという意味でいいか? もう殺していいか?」

 

「ま、待て……ッ!」

 

 

 慌てて手を前に突き出して弥堂を制止すると、メロの目からボロボロと涙が零れてきた。

 

 

「うっ、うぁ……ッ、イヤだ……! こんなヤツと契約なんて……っ、イヤだ……ッ」

 

「嫌ならしなければいいだろ。誰も頼んでねえよ」

 

「なんで……っ、なんでこんなヒドイことするんだ……! 一緒にがんばったのに……ッ!」

 

「俺の記憶にはそのような事実はないな。あったとしても関係ないが」

 

「こんなことしなくったって……! ジブンはマナを裏切らない……ッ!」

 

「だからそれを証明する為に名を差し出せと言っているんだ。出来ないのならお前は嘘つきだ」

 

「う、うぁああぁぁぁ……ッ!」

 

 

 まるで人間の子供のような仕草で泣く悪魔を、弥堂は表情を変えずに冷酷な視線で射貫く。

 

 

「俺はな、お前の言う『友達』だとか『家族』だとかいうモノに、これっぽっちも信を置いていない」

 

「クズめ……ッ!」

 

「そうだな。俺がクズだからだというのもあるが、それだけではない」

 

「え?」

 

「俺が共感できないからというだけで、信用しないと言っているわけではない。他にもっと重要な理由がある」

 

「ど、どういうこと……」

 

 

 不安そうな目でメロは弥堂の顏を見上げた。

 

 彼女のその顔を視ても弥堂は揺らがず冷淡に告げる。

 

 

「悪魔は自分よりも上位の存在にほぼ無条件に従う。そしてお前は悪魔だ」

 

「だ、だけど……! ジブンはニンゲンのマナと……ッ!」

 

「本当にそうか?」

 

「え――?」

 

 

 大切な者への親愛を疑われて怒り悲しむ少女へ、容赦なく残酷な問いを投げかけた。

 

 

「彼女は――水無瀬は人間だ。だが、彼女は魔法少女に為り、そして悪魔に為った。それも魔王だ。最上位の存在だ」

 

「あっ……⁉ あぁ……ッ、や、やめろ……ッ!」

 

 

 弥堂が何を言おうとしているのか――それに気付いてしまったメロは拒絶するように頭を抱える。

 

 当然、そんなことで弥堂が情けをかけることはない。

 

 

「友達? 家族? お前はただ悪魔の本能に従い、魔王に従っただけじゃないのか? 最も強く身近な魔王に」

 

「ち……、ちがっ……、ジブンは……ッ」

 

「今回出てきた蠅の魔王はカスだったが、水無瀬よりも強い魔王が出てきたらお前は寝返るんじゃないのか?」

 

「そんな……、そんなことない……ッ! ジブンはマナの……っ」

 

「そもそも普通じゃない。魔王や大悪魔を裏切って、契約しているわけでもない弱い人間に味方する三下悪魔? なんだそりゃ。そんなことは普通はしない。普通はそんな悪魔はいない。そんな普通でないことが今後も永遠に起こり続ける? そんなわけがあるか。だから俺は信用しない――」

 

 

 動揺するメロへ追い打ちをかけるように続ける。

 

 決定的な部分を崩すまで。

 

 

「だがそうではなく、ただ一番強い悪魔を本能で嗅ぎ分けてそれに従っただけなら――それなら俺はある程度信用出来る。その理屈なら納得は出来る。当たり前で、普通のことだから。なぁ? 本当はそうだったんだろ? お前はなにも特異な個体ではなく、水無瀬にとって特別な家族でも友達でもなく――そんな、普通の、ただの、悪魔なんじゃないのか? 答えろよ。どうなんだ?」

 

「あっ……あっ……、う、うぅ……っ」

 

 

 メロは返答に詰まる。

 

 

 真実、彼女はそんなことを今まで考えたことはないし、愛苗の件もそんなつもりは微塵もなかった。

 

 そんな考えはこれまでほんの少しも頭を過ぎったこともないし、そんな発想をしたこともない。

 

 

 だが、死か服従かを迫られたこの極限状況下で、理解不能な悍ましい男からそんな歪な思考を植え付けられたことで――

 

 彼女の思考は――

 

 その存在が――

 

 

「――揺らいだな?」

 

 

 悪魔の赤い目よりも怖ろしい蒼い眼が鋭く光る。

 

 その凍てつくような輝きとは裏腹に、赤よりも熱い蒼い焔が瞳の奥で燃えている。

 

 

 自分への疑いや迷いを植え付けられたことで、メロの自信や自己認識は大きく揺らいだ。

 

 それは魂の――存在の揺らぎだ。

 

 

 そして、厳密な肉体を持たない精神的な存在である悪魔や天使には、それは致命的な状態にもなる。

 

 弥堂はその隙を逃さず、右手に持ったナイフを今度はメロへと向けた。

 

 

「ひっ――」

 

 

 メロの目玉の何ミリか手前で、黒の切っ先が止まる。

 

 

「言え。殺されたくなければ自分から差し出せ――」

 

 

 今まで聴いた彼の声の中で最も冷たく感じたそれは、言われずとも最後通牒であることをメロにわからせた。

 

 眼前の黒い点を凝視したまま、メロは硬直する。

 

 

 少しして固まった躰が激しく震え出した。

 

 その振動のせいで目玉にナイフが刺さるのではと一層恐怖が膨らみ、それが生存本能へ強く呼びかける。

 

 震えを自制しようとすると、痙攣でもしたかのように余計に大きくなったように錯覚する。

 

 まばたきも出来ないまま、大きく見開いた目からは冗談のように涙が溢れだした。

 

 

「――し、しにたく……ない……っ」

 

「知ったことか」

 

「い、いやだ……っ、おねがいっ……、ころさない、で……っ」

 

「それを決めるのはお前だ。どうすればいいかは、もうわかるだろう?」

 

「ひっ……うっ、ぅぇぇっ……」

 

 

 しゃくりあげながら数秒メロは固まる。

 

 頭の中では何も考えていない。

 

 死にたくないということ以外、何も考えられない。

 

 

 そのまま何秒かが過ぎる。

 

 

 やがて震えるメロの唇が動く。

 

 口の中で小さく、短い言葉が発音された。

 

 

 すぐ目の前にいる弥堂にも聴こえるか聴こえないかのか細い音。

 

 だが、弥堂の【根源を覗く魔眼(ルートヴィジョン)】は明確にその唇の動きを捉え、記憶の中に正確に記録した。

 

 

「――契約成立だ」

 

 

 その低い声音に続いて眼前の黒点が消えると、メロはハッと顔を上げた。

 

 無意識での行動だったのか、自分が何をしてしまったのか――

 

――何を差し出してしまったのかに遅れて気が付いた。

 

 

「ク、クソやろう……ッ!」

 

 

 殺されるかもという恐怖すら瞬間的に忘れるほどの激昂。

 

 その衝動に任せて手の爪を凶悪なカタチに伸ばし、メロは弥堂に襲いかかった。

 

 しかし――

 

 

「遅いんだよ」

 

「――うぐっ……⁉」

 

 

 意図も容易く首を掴まれてそのまま宙吊りにされてしまう。

 

 

「やるなら追い込まれる前のもっと早い段階で仕掛けるべきだ」

 

「ぐぅ……っ! は、はなせ……ッ!」

 

 

 自身の首を掴む弥堂の手を両手で外そうとしながらメロはジタジタと暴れた。

 

 だが弥堂の手も心も――彼の何一つとして微塵も揺るがすことは出来ない。

 

 

 弥堂は手に力をこめてメロの首を絞め、無理矢理抵抗をやめさせる。

 

 それから徐にメロを掴む手を引き寄せて、彼女の顔へ自分の顔を近づけた。

 

 

「――ひっ……⁉ な、なに……っ⁉」

 

 

 怯える彼女に何も答えずに弥堂は血に塗れた口を開けた。

 

 その中から赤い舌を伸ばし、それを使って彼女の顔を汚す彼女の血を舐めとる。

 

 そして、集めたそれを自身の口腔内に溜まっていた自らの血と混ぜ合わせた。

 

 

「な、なにを……⁉」

 

 

 ゾワリと生理的な嫌悪感がメロに湧き上がる。

 

 人外である自分よりも醜悪で、淫魔である自分よりも淫猥なこの男のことを、本気で気持ちが悪いと感じた。

 

 

 弥堂はメロの首を絞めて拘束しながらも、まるで彼女など存在していないかのように振舞う。

 

 他の生命や人格にこれっぽっちも価値を感じていないからこそ表れる外道の仕草だ。

 

 

 自分とメロの血を口に含みながら、次に弥堂はポケットから一つの物を取りだす。

 

 

「そ、それは――」

 

 

 メロにも見覚えのある物だった。

 

 

 弥堂の手にあるのは注射器。

 

 粗末なプラスティックだかガラスだかで出来た細長い容器だ。

 

 その中には液体が入っている。

 

 それは――

 

 

 “WIZ”だ。

 

 

「オ、オマエそれ……」

 

 

 それが麻薬として出回っている物だとは、厳密にはメロは知らない。

 

 しかしそれを使った弥堂が尋常でない様子になったことは彼女の記憶にも新しく、鋭利に光る注射針に本能的に恐怖を感じた。

 

 

 弥堂は注射針をメロに突き刺す――

 

 

――ことはせずに、親指を使って容器の一部をヘシ折るようにして割った。

 

 

 思わず強く目を瞑ろうとしていたメロはその行動に拍子抜けしたように呆気にとられる。

 

 だが続く彼の行動にまた身を強張らせることとなった。

 

 

 弥堂は顔を天井に向けてから、口の上で割れた注射器を傾ける。

 

 中身の液体を自分の咥内に注ぎ入れた。

 

 

「な、なにを……ッ⁉」

 

 

 全く先が読めないし、実際に目にしても理解が出来ない彼の行動にメロは動揺しっぱなしだ。

 

 そんな彼女を尻目に弥堂は口の中で自分の血と、メロの血と、そして魔の薬を混ぜ合わせた。

 

 

 まさかそれを飲むつもりかとメロが信じられないような目で見ている。

 

 この状況下で暢気な行動だとも謂える。

 

 

 だから――

 

 

 その目はさらに驚きに見開かれることになった。

 

 

 ほんの僅かな意識の空白。

 

 その間にメロの視界は弥堂の顔で埋め尽くされていた。

 

 

 唇に唇が押し付けられている。

 

 

 メロは普段の煽るような言動とは裏腹に、彼が自分に対して性的な行動をとってくるとは思っていなかった。

 

 それはある意味で正しい認識だ。

 

 

 これは性的な営みなどでは全くない。

 

 

「――ッ⁉」

 

 

 悲鳴をあげる間もなく、次の驚きに意識を持っていかれる。

 

 

 頬肉を指で挟まれて無理矢理口を開けさせられる。

 

 続いて弥堂の舌に唇を抉じ開けられ、そうして出来た隙間を貫かれて咥内へと侵入された。

 

 

 その舌の感触を認識するよりも先に、別のモノの感触に気をとられてしまう。

 

 

 液体だ。

 

 

 今しがた弥堂の咥内で生成されていた液体。

 

 

 それが喉へ向けて流し込まれた。

 

 

 反射的に血の味を押し返そうとするが、その瞬間に強く首を絞められ息が出来なくなる。

 

 

 一瞬で視界が白むほどの圧迫感に何も考えられなくなる。

 

 頭の中から思考がすっぽ抜けると、ただ本能的に、生理的に、求めてしまう。

 

 

 意識が飛びかけたタイミングで絞首が緩められた。

 

 

 すると躰は勝手に咳き込み始める。

 

 

 息を吸いたいのに息を吐き出してしまう。

 

 

 吐き出した息と一緒に口の中の液体を吐き出してしまいたいが、それは弥堂の口に塞がれていて儘ならない。

 

 息を吸う為には口の中を空っぽにしなければならない。

 

 

 それを思考で理解し命令するよりも先に、躰が勝手にそうしてしまう。

 

 

 メロは弥堂に注ぎ込まれた薬物を飲み込んでしまった。

 

 

 嚥下による喉の動作が手に伝わる。

 

 弥堂はジロリと眼玉を動かして彼女の顔を視て、飲み込んだことを確認した。

 

 

 それから顔を離して彼女を床に放り捨てる。

 

 そして口の中に半分残っていた薬品を弥堂も飲み込んだ。

 

 

 血と血を共にし分け合う。

 

 口約束によりその儀式が完了した。

 

 

 床に蹲ったメロは嘔吐きながら咽る。

 

 しかし彼女にはまだ落ち着く暇も与えられない。

 

 

 魔法陣が一層輝きを強めた。

 

 魔術が成功した証左だ。

 

 

「い、いったいなにを――」

 

 

 その疑問を最後まで口にすることも許されない。

 

 魔法陣の赤い光が強まるのと同時に、メロの体内でもその赤さと同じような熱が発生しだしたのだ。

 

 

「ぐっ――⁉ うっ、うがぁあぁぁ……ッ⁉」

 

 

 喉にせり上がってくる灼けるような熱と痛みにメロは苦しむ。

 

 喉を両手で抑えながら魔法陣の上をのたうちまわった。

 

 

 弥堂にも彼女と同じだけの痛苦が発生している。

 

 だが、それに慣れている弥堂は一切揺らぐことない。

 

 

 唇に刺さっていたガラスの細かい破片を咥内に残った血と唾液で絡めとり、ベッと床に吐き捨てた。

 

 その動作を目線も遣らずに下の感触を頼りに行いながら、眼を離すことなく術の経過を観察する。

 

 

 ゴロゴロと床を転がる少女の腹に足の甲をあて、彼女を仰向けに引っ繰り返す。

 

 そのまま足裏で胸を踏みつけて無理矢理押さえ込み、ジッとその様子を視た。

 

 魔眼が蒼白く光る。

 

 

 その光を見上げながら、苦痛の中でメロは怯えることしか出来ない。

 

 冷酷な瞳の光に、自身の躰の痛みに。

 

 

 彼の顔を見上げながら自覚する。

 

 自分の躰に起こっている変化を。

 

 

 自分の体内に今までには存在しなかった、新たな魔力の通り道が無理矢理造られていっている。

 

 それは自分の奥底にまで伸びてきて、やがて魂にまで到達する。

 

 自分を足蹴にしている外道の男によって、自分の躰がほんの僅かに変えられていっていることを自覚してしまう。

 

 

 この男の為のモノに造り変えられている――と。

 

 

 それが何を意味するのかを、メロは本能で理解した。

 

 

 年端もいかない少女の姿には相応しくない露出の多い服装。

 

 その服から露わになっている薄い肌色の腹部。

 

 そこに見える臍のわずかに上に、やがて一つの紋章のようなものが浮かぶ。

 

 

 それと同時に床の魔法陣は輝きを徐々に失い、少しして赤い魔力光が消えた。

 

 

 メロの躰からも僅かずつ苦しみが緩和されていく。

 

 

 だが、これは終りを意味したものではない。

 

 当然、無かったことになったわけでもない。

 

 

 臍の上に浮かんだ紋章の奥、腹の中にジンジンとした痺れを感じている。

 

 余韻を残すように紋章の刻印が薄っすらと蒼銀の光を明滅させた。

 

 

「これにて契約は結ばれた。たった今から、お前は俺の消耗品(つかいま)だ」

 

 

 自分を足蹴にしながら、主と為った男が残酷な視線で見下ろしてくる。

 

 メロは口をパクパクと動かして何かを答えようとしたが声は出なかった。

 

 

 息が苦しくて発声出来ないのもあるし、何より何を言っていいかもわからなかった。

 

 

「昨日の戦いは、魔法少女として全力を出した水無瀬が大威力の魔法でクルードを斃した。アスはそれに巻き込まれて死んだか、その隙に撤退したかで安否は不明。しかし戦いはそれで終わり、街は彼女によって救われた。魔王なんてモノは現れていないし、存在もしない。当然、存在しないモノに彼女が為ってしまうなんてことも起こり得ない」

 

「……?」

 

「それが設定だ。昨日の顛末はそういうことにする。ちゃんと覚えておけ。水無瀬が目覚めたらそう説明する」

 

「…………」

 

 

『なんでそんな嘘を?』――そう言おうとして、メロはやはり声を出すことに失敗する。

 

 だが弥堂にはその仕草で考えが伝わったようで、彼は勝手に説明を始めた。

 

 

「おそらく目覚めた彼女の記憶には何かしら齟齬が起こる」

 

「――っ⁉」

 

「どの程度のものかはわからないが、少なからず記憶に定かでない部分が出来るだろう。昨日の最後の方だけが曖昧なのか。それとも昨日のことをまるで覚えていないのか。もしかしたら生まれてから昨日までの全ての記憶が失われている可能性もある」

 

「……なっ……⁉」

 

 

 掠れた声でメロは驚きを表す。

 

 そんな重大なこと、今まで一言も聞かされていなかった。

 

 

「俺が彼女にしたこと。聖剣の加護で、彼女の心臓から寄生している悪魔を切り離した。だが、それだけでは元には戻らない。悪魔に――魔王に為りかけていた彼女が残り、そこでそれ以上の進行が止まるだけだ」

 

「……ッ」

 

「だからもう一つやったことがある。それは俺の“死に戻り”と同種のことだ。彼女の“魂の設計図(アニマグラム)”を悪魔に為る前のモノに戻す。俺の記憶の中に記録された彼女の“魂の設計図(アニマグラム)”を、現在の彼女のそれに上書きをする行為だ」

 

 

 ここにきて明かされたその内容にメロは自分の心臓が止まったように錯覚する。

 

 何故ならそれは――

 

 

「――そう。禁忌中の禁忌だ。そして通常不可能な術だ。生命体をベツモノに造り返ることに近く、そしてある意味生き返らせることにも等しい。やってはいけないし、出来てはいけない行為だ」

 

 

 事実、弥堂は以前にそれをしようとして失敗していた。

 

 死んだ人間を生き返らせようとして。

 

 

 今回はあの時になかった膨大な魔力でのゴリ押しで、一か八かの賭けに挑んだ。

 

 死んでいないモノを生き返らせるという矛盾。

 

 

 弥堂のその説明は、メロを驚かせる。

 

 あの時は無我夢中だったが、まさかそんなことが行われていたとは思ってもいなかった。

 

 

「まぁ、それはどうでもいい。結果として術は上手くいった。見た目上は、カタチ上はな。だがどんな不具合が起きているかは彼女が起きてみるまではわからない。俺が“死に戻り”を行った際に、記憶の整合性をとる部分はエアリスがやっていたらしい。その彼女が水無瀬の記憶を弄った。“魂の設計図(アニマグラム)”は以前のもの。それの記憶部分だけを出来るだけ現在のものに近づける。だからそう大きな不具合はないとは思うが、何もないというのも考えられない。なにせ歴史上行われたことのない行為だからだ。エアリスがそう言っていた」

 

「…………」

 

 

 メロは絶句する。

 

 愛苗が目覚めさえすれば何もかも元通り。

 

 そう思っていた自分の考えは本当に甘かったのだ。

 

 

「だが、せっかくだからその記憶の不具合を利用する。彼女を守る上で都合のいいように。今言った設定の通りにするからお前も口裏を合わせろよ。これは命令だ」

 

「…………ッ!」

 

「やらないのなら、出来ないのなら、ここで殺す」

 

 

 何故大好きな愛苗にそんな嘘を吐かなければならないのかと、メロはなけなしの敵愾心を視線にこめる。

 

 するとそれが伝わったかは定かではないが、弥堂は続きを喋り出した。

 

 

「理想は彼女がチカラも失っていることだが、とりあえず魔法少女には今後も為れるということを想定する。その場合、彼女はまた戦いを続けるだろう」

 

 

 それはメロにも想像することが出来た。

 

 

「これまでのように悪魔どもがちょっかいをかけに来なくなったとしても、彼女はもう知ってしまった。平和な人間たちの日常の裏側に居るゴミクズ――魔物の存在を」

 

「…………」

 

「今回はお前らが悪さをしていたようだが、魔物は悪魔の意思とは関係なく、『世界』の理に基づいて自然発生するモノだ。しかし彼女は、それを仕向ける“闇の秘密結社”という連中の存在も知ってしまった。きっと探すだろう。黒幕だと思い込んでしまっているモノを。それはこれまでの彼女の魔法少女活動が証明している。誰に頼まれたわけでもないのに、自分の正義感に従って勝手に自警団のような真似を個人でやっていたんだ。彼女は“いいこと”をしていて、今回は結果も“いい方”に転がったが、しかしそれは非常に危険だ」

 

「……!」

 

「困るんだよ。“悪の幹部”だとか、“闇の秘密結社”だとか――そんなモノに存在されていてはとても不都合だ。だからそれはもう滅んだことにする。一旦戦いは終わったことにする。彼女を完全に戦いから遠ざけることは出来ない。俺たちでは彼女を止めることは出来ない。だったらどうする? 騙せばいい」

 

「……ッ!」

 

 

 一見筋が通っているように聴こえなくもないが、その言い様にメロはやはり反発心を覚える。

 

 

「悪魔なんていう強大で膨大な存在を知っていてもらっては困る。そんなモノに戦争を仕掛けられたら守れるものも守れなくなる」

 

「……!」

 

「当然彼女が好戦的だと言っているわけじゃない。しかし悪魔や魔王の存在を知っていれば最終的にはそういうことになる。連中の在り方を彼女の正義は受け入れないだろう。おそらく天使とも相性は最悪だ。そうなると殺し合う以外に決着の方法がない」

 

「…………」

 

「それなら、無かったことにすればいい。死体が無くなれば犯人も居ないことになる。だからお前には口裏を合わせてもらう」

 

「――ぐぅっ⁉」

 

 

 言いながら弥堂はメロを踏みつける足にさらに力をこめた。

 

 

「もう一つ、彼女に嘘を吐く理由はある。それはまだ定かではないこともあるから、ここではまだお前には言わない。だがお前に言わない理由はもう一つある。それが何かわかるか?」

 

「あっ……ぅぐっ……っ!」

 

「俺がお前を信用していないからだ。お前が裏切って今俺が話したことを彼女に言ったとしても、それはまだ許容内だ。挽回できるし修正できる範囲内だ。しかしもう一つ俺が懸念していることに関しては、もしかしたら取り返しのつかないことになる可能性がある。だからお前には言わない。これは水無瀬にとってとても重要なことだ」

 

 

 弥堂は殺意すらこめた眼で、苦しむメロの顔をを視る。

 

 そしてわずかに足の力を緩めて彼女にも自分の眼を見させた。

 

 

「何が言いたいかわかるか? 使い魔にしたからといって、お前が俺に忠誠を誓うなどとはこれっぽっちも思っていない。俺は生涯お前を信用しない。だが、お前もお前で彼女を守りたいんだろう? なら、お前は俺が気付いていて、お前が気付いていない――そんな水無瀬に関する重要な情報を入手しなければならない。その為にはどうすればいい?」

 

「ど、どう……っ?」

 

「成果を出すことだ。俺が『使える』と思えるように。そうすればお前の評価を上げて開示する情報を増やしてやることもあるだろう。お前も俺を信用していない。だが、その情報を入手する為には、お前は俺の為に働くしかない。その先に居る水無瀬の為に――」

 

 

 弥堂の使い魔にされる。

 

 それが具体的にどういうことなのか――それが早くもわかってきて、その業と罪の深さにメロはまた震え出した。

 

 

 弥堂はメロの前にしゃがみ、髪を掴んで彼女の顔を上げさせる。

 

 強制的に視線を合わさせた。

 

 

「おい、悪魔。お前は今までもそうだったように、これからも彼女を騙し続けろ。これまで家族ヅラをしながらずっとそうしてきたんだろう? なら、簡単だよな」

 

「あっ……、あ、ぅぁあ……っ」

 

 

 その残酷な命令にメロの口からは意味のない嗚咽しか漏れない。

 

 

「彼女を守るためにお前に出来ることはそれだけだ。違うというのなら成果を見せろ。俺は眼に視える事実しか信用しない」

 

「な、なんで……」

 

「お前の評価は未だマイナスだ。なにせ、あれだけ壮言を吐いてつい今、また彼女を裏切ったんだからな」

 

「え……?」

 

 

 呆けたようなメロの目を覗きこんで、その眼窩の奥まで届くように事実を突きつける。

 

 

「死にたくないからと、俺の使い魔になっただろ。それは彼女に対する裏切りじゃないのか? もしかしたら一般的にはそうは言わないかもしれない。だからお前が決めろ。彼女を差し置いて俺と契約することが裏切りかどうか。お前にはわかるだろ?」

 

「うっ、うわああぁぁぁぁ……っ!」

 

 

 メロは答えずただ泣き崩れた。

 

 

 彼女の答えに――心になど興味がない。

 

 お互いの立ち位置をはっきりさせる為になおも彼女を詰る。

 

 

「なにを泣く必要がある。彼女を守る為にお前に出来る最も効果的なこと。契約の主である俺が愚図の使い魔にわざわざ丁寧に教えてやったんだ。喜べよ。自分にも彼女の為に出来ることがあることを。どうだ? 俺は優しいご主人様だろ?」

 

 

 蹲ろうとする彼女の髪を引っ張って無理矢理自分の方へ顔を向けさせる。

 

 メロはどう答えていいかわからない。

 

 

 だから言葉を発することは出来ず、ただ目の前の恐ろしい男の機嫌を損ねたくなくて、ボロボロと泣きながら表情だけをどうにか動かし、ヘラッと卑屈に笑った。

 

 

 その顔をつまらなさそうに視て、弥堂はメロの髪から手を離すと立ち上がる。

 

 メロは途端に床に蹲って泣き出した。

 

 

「俺たちは割と予断を許さない状況だ。ヘラヘラ笑ってんじゃねえよ、クズが」

 

 

 弥堂は蹲るメロの肩を足裏で押すように蹴って引っ繰り返し、冷たく罵声を浴びせる。

 

 激しく慟哭をするメロは暴れまわる胃や肺のせいで、自身の感情を言葉にして吐き出すことも出来なかった。

 

 

「――な、なんで……ッ」

 

 

 少しして、彼女の口からそんな意味があるような無いような言葉が漏れ出る。

 

 

 それにはいくつかの意味があった。

 

 

 何故こんな酷いことを自分にするのか。

 

 何故こんな酷い嘘を、愛苗に吐くのか。

 

 そして、何故こうまでするのに自分を見逃すのか。

 

 

 そのうちのどれを訊いたのかはメロ自身にもわからない。

 

 だが、弥堂は答える。

 

 彼がどの意味を受け取ったのかもわからない。

 

 

 

「――言われていたんだ」

 

「え……?」

 

「いつかそのうち、選ばなければいけないと」

 

「な、なにを……?」

 

「共犯者だ――」

 

 

 弥堂の言うことはやはりメロにはわからない。

 

 そして、弥堂自身もそれをよくわかっていない。

 

 

 自分の言葉ではないからだ。

 

 

 弥堂にそれを言った者の真意を理解などしていない。

 

 だが、わからなくても言われたとおりにすることは出来る。

 

 

「今出会っている誰か、過去に出会った誰か、これから出会う誰か。その中から“共犯者”と為る者を俺は選ばなければならないと言われたんだ」

 

「きょうはんって、なんの……?」

 

「口裏を合わせる者だ。死体なんて無かった、酷いことなんて無かったと――そう口裏を合わせる者が必要だ」

 

 

 弥堂は表情に出さずに口の端を持ち上げる。

 

 

 また彼の――廻夜 朝次の言ったとおりだった。

 

 

「仮に水無瀬が昨日のことを覚えていたとしても、俺とお前が口裏を合わせて『そういうこと』にすれば、彼女は折れる。自分の思うことを性格上押し通したりはしない。二人が言うのならそうなのだろうと騙され、大きな戦いは終わったのだと思い込むだろう」

 

「そ、そんな……」

 

「三人しか居ない場所で、三人ともが同じことを言えば、それはそういうことになる。顔を会わせて、口裏合わせて、言葉を合わせて、口を揃えて、声を揃えて、揃いも揃って、こう言えばいい。『悪魔なんていなかった』と。だから――」

 

 

 弥堂は再びメロの前に膝をつき、彼女の顎を掴んで眼を合わせた。

 

 

「だから――俺はお前を選んだぞ。悪魔メロゥ=ネリィーズ――過熟腐敗のジレンマ。お前が俺の――“共犯者”だ」

 

「あ、あぁ……っ」

 

「お前は俺と共に、これから彼女の前から徹底的に死体を隠し、何も酷いことなど起こっていないと――そうやって彼女を守り続けるんだ。平穏であるということにすれば彼女は守られていることになる」

 

「そ、そんな……、ジブンにまた、ウソを……ッ」

 

「黙れ。どのクチが抜かす。これまでずっと彼女を騙し続けてきたお前は、これからも彼女を欺き続けろ。それがお前に出来る“守る”ことであり、彼女へ示せる“誠意”だ。『嘘』を吐き続けることが、彼女に対しての『誠実』と為る。お前はこれからもずっと“ネコ妖精”のままだ。やがてコインが裏返されるその日まで――」

 

「うあああぁぁあぁあ……っ⁉」

 

 

 メロは自分が結ばされてしまった最悪の契約に――そのあまりの最悪さに、頭を抱えて嘆いた。

 

 

 上役の悪魔に怯え、魔法少女のマスコット妖精だと偽り続けた日々。

 

 それがようやく終わって、何もかもをオープンにして、これから彼女と本当の関係を築けていけるのだと思っていた。

 

 

 なのに――

 

 

 大悪魔や魔王などよりも遥かに悪辣な狂犬に捕まってしまった。

 

 生命という全てが破綻するまで、彼は喰いついた首元を決して離しはしないだろう。

 

 メロはその身に打ち込まれた契約の牙に絶望した。

 

 

 ふと頭を過ぎる。

 

 

 もしも――

 

 

 昨日の戦いで裏切ることなく悪魔らしく行動していれば――

 

 

 その場合、当然何もかも今まで通りというわけにはいかないが、ニンゲンではもうなくなってしまうが、それでもこれ以上は何を隠すこともなく彼女と――愛苗と共に。

 

 強大な魔王となった彼女の眷属と為り、これからの永い時をそれなりに楽しく共に過ごすことが出来たのかもしれない。

 

 

 それは考えてはいけないことであり、考えてしまったとしたら決して肯定してはいけない考えだ。

 

 

 だが、過ぎってしまった。

 

 目の前の苦難からの逃避の為に、思い浮かべてしまった。

 

 

 どうしても考えてしまう。

 

 その方がまだマシだったのではないかと。

 

 この男と共に人間社会で生きるよりも、彼女と共に悪魔として生きる方が。

 

 

 そんなことを考えてしまった自分のどうしようもなさと――

 

 そんな自分の変わらぬ現実のどうにもならなさに――

 

 

 さらに深く嘆きと絶望を覚え、自分自身に失望をした。

 

 

 

 

 弥堂にとっては勿論そんなことは知ったことじゃない。

 

 目的を達する為に、その為に自分がしたことで、誰がどうなろうが彼は知ったことではない。

 

 今度こそ彼女から興味を失い立ち上がった。

 

 

 共にとは言ったが、出来なければ処分する。

 

 これまで通りだ。

 

 

 “治癒強化”の魔術刻印を起動し、口の中の出血を強引に止めた。

 

 

「ど、どうして……っ、どうして、こんなことに……っ⁉」

 

 

 すると、足元からそんな悔恨が聴こえてくる。

 

 弥堂はどうでもよさそうな顔で振り返り、下階への階段に引き返すべく歩き出した。

 

 

「今がどんなに酷くても、いつかの未来で、あの時は楽しかったねと、そう言い合えば――」

 

 

 彼女の方を見向きもしないまま、一方的に言葉を置く。

 

 

「――そうすれば、そういうことになるらしい。だから、いつかそのうち、俺がお前にそう言ってやるよ。彼女を守れたその後にな。その時はお前は笑え。そうすればそういうことになる。得意だろ? 嘘の愛想笑いは」

 

「オ、オマエはクズだ……ッ!」

 

「よく言われるよ。そしてお前はそのクズの使い魔(パシリ)だ。これから、せいぜいよろしくな?――メロゥ=ネリィーズ」

 

「うっ、うわああぁぁぁぁ……っ!」

 

 

 真実の名を口にし、無遠慮に彼女の根幹を撫でてやると、メロは自身の躰を抱いてまた蹲った。

 

 再び響く少女の慟哭を背中に置いて弥堂は立ち去る。

 

 

 歩きながら自身の服の下を意識する。

 

 

 腹部の臍の少し上、メロと同様の位置。

 

 弥堂の身体にも彼女と同じ刻印が新たに刻まれている。

 

 その刻印がジクジクと痛んで、彼女の悲しみを伝えてきた。

 

 

 広間を出る寸前、口の中に残った唾液交じりの血溜まりを床に吐き捨てた。

 

 

 床に汚れを一つだけ残し、メロを置いて建物を出る。

 

 

 必要なことは終わり、次に必要なことをする。

 

 

 これまでどおりに。

 

 

 遂に、ようやく、これまでどおりに。

 

 

 今も病室で眠っているだろう、彼女(もくてき)への道のりを踏みだした。

 

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