俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章11 Bitterness supplements ⑨

 ドサっと音を立てて、目の前に大きめの紙袋を置かれる。

 

 

「多くないか?」

 

 

 パンパンという程ではないが、大分横に膨れた袋を見て弥堂はトーマスに視線を戻す。

 

 

「量が増えたんならちょうどいいだろ?」

 

「それはそうかもしれんが、随分用意がいいな。そんなこと知らなかったはずなのに」

 

「豆を挽いたのも用意しておいたのもマスターだ。オレじゃない」

 

「そのマスターはいつ来るんだ? この店には随分通ったが、まだ一度も会えたことがない」

 

「やめろ。オレの雇い主を探るんじゃない」

 

 

 僅かに眼を細めた弥堂を牽制する。

 

 弥堂もそれ以上は追及しなかった。

 

 これまでに何度もこの店のマスターについて聞いたが、何かを教えて貰えたことはなかったからだ。

 

 

 眼つきを緩め、代わりにジトっとした目線に変える。

 

 

「というか――」

 

「アン?」

 

「アンタ、その見た目でマスターじゃないって詐欺だろ」

 

「そう言われてもな。オレはただのバイトだよ」

 

「そうは見えねえぜ。ここに来る前は何をしていたんだ?」

 

「まぁ、イロイロだよ……」

 

 

 トーマスは肩を竦めて、新しい煙草に火を点けることで話題の継続を拒否する。

 

 弥堂も深追いはしなかった。

 

 

 フゥーっと煙を吐き出し、

 

 

「狂犬。オマエ、しばらく来るな」

 

 

 暖色ライトのぼやけを見上げながらトーマスは言った。

 

 弥堂は片眉を跳ねさせる。

 

 

「出禁にされるようなことをした覚えはないぜ」

 

「…………」

 

 

 トーマスはまずカウンターに突っ伏する女、それから店の隅で身を寄せ合って怯えるゲロモンとタンクトップの男を見てから何かを言おうとし、そして止める。

 

 言いたいことを自制しながら、元々言うつもりだったことを言葉にする。

 

 

「そういうことじゃない。言っただろ? しばらくキナ臭いことになるってよ」

 

「だから?」

 

「街にヤバイ連中が入ってくる。主に北口の方だろうが、こっちにも来るだろう。せめてG.Wが終わるまではオマエはこの辺に来るな」

 

「治安が悪くなるからって心配してくれてんのか。随分優しくなったな」

 

「バカ言うな。オレが心配してるのは、観光のお客さんが不幸にもオマエと出遭っちまうことだ」

 

「酷い言い草だ。俺は基本的に全ての人間の幸福を祈っている。もしもそいつらに不幸があったんだとしたら、そいつは運がなかったのさ」

 

「そうかもな。別にオマエや他のクズどもに不幸があるのは自業自得だ。だが、それで迷惑を被るのは平和に暮らしている関係のない人々だ。本当に幸福を願われるべき、な」

 

 

 お互いに目を合わさないまま、淡々と言葉を交わす。

 

 

「なら、何故俺に情報を売った?」

 

「仕入れをするのも、それを商品として店に並べるのもマスターだ。俺の仕事は、来た客が欲しいって言ったモンが店にあればそれを売るだけだ」

 

「随分と無責任だな」

 

「言ったろ。オレは雇われ(バイト)だ」

 

「いい歳なんだ。真っ当な職に就けよ」

 

「オレは十分に真っ当なつもりだぜ」

 

 

 トーマスは一際深く煙を吐き出し、弥堂へ右目を向けた。

 

 

「……歳を実感するから、あんまこういうことを言いたかないんだが」

 

「あ?」

 

「足を洗える機会があるんならその時にキッチリ洗った方がいい。その機会ってのは次もあるとは限らない」

 

「なに言ってんだアンタ?」

 

 

 想定外のことを言われて弥堂はキョトンとしてしまう。

 

 トーマスの方もどこかばつの悪そうな顔をしていた。

 

 

「足を洗えた側の先輩のアドバイスってヤツだ」

 

「アンタそれで足を洗ってるつもりなのかよ」

 

「十分洗えてるだろ。どこで何をしてきたんだか知らねェが、テメエの過去と今のオレのバイトを比べてみろよ」

 

「…………確かにそうだな」

 

「そうだろうよ」

 

 

 言われた通り、記憶の中に記録された自分のロクでもなさと比較すると、このバーでのバイトは十分に真っ当(カタギ)だと思えてしまい、弥堂はグゥの音も出せなかった。

 

 トーマスは「フン」と鼻を鳴らす。

 

 

「……どうしてそう思った?」

 

「なんとなくだ。オマエの経歴も知らねェし、厳密に今何やってんのかも知らねェ。ただ、オマエは足を洗いかけてる。だが清潔なトコは居心地が悪ィからクセェ場所に足が向かう。境界線上をフラフラとしてやがる」

 

「……そう見えるか?」

 

「少なくともオレにはそう見えてたな」

 

 

 カウンターテーブルに眼を落したまま答える弥堂の前髪に、トーマスの不機嫌そうな視線が刺さっている。

 

 

「中途半端はやめろ。その機会に次はねえかもしれねェ。今回はいいチャンスかもな。トンじまえよ」

 

「それなら問題はない」

 

「ア?」

 

 

 弥堂は顔を上げてトーマスに視線を返す。

 

 

「中途半端はしない。やるさ。徹底的にな……」

 

「テメェ……」

 

 

 トーマスの目が鋭くなる。

 

 

「……オマエ、少し変わったか?」

 

「そう見えるか?」

 

「先週とは違う。そんな気がするな」

 

「気がしただけなら、気のせいさ」

 

「……そうかよ」

 

 

 トーマスは咥えていた煙草を床に落とし踏みつぶすと、またグラスを磨き始めた。

 

 

「説教は終わりか?」

 

「そんなんじゃあねェよ。だが、忠告はしたぜ」

 

「そんなガラじゃなかっただろ」

 

「マスターからの忠告だからな。なんせその豆を挽いてんのはオレじゃあねェ。オレのはそのついでだ」

 

「そうか。だが、アンタの言ったことはマスターの意向に反してないか? 俺には真逆のことに聞こえたぜ」

 

 

 トーマスは一瞬だけグラスを磨く手を止める。

 

 

「どう考えても、アンタのマスターとやらは俺を連中と揉めさせたがってるだろ」

 

「……そうかもな。だが、一方でマスターはオマエを贔屓しているようにも感じる」

 

「贔屓だと?」

 

「それこそ気のせいだろうがな。なんにせよ、言った通りオレは店にあるモンを来た客が欲しがれば売るだけだ。何も矛盾はない」

 

「そうか」

 

「……正直な話。マスターの考えてることはオレにはわからねェよ。他には何処からもあがって来ねェような情報を仕入れて、何を店に出して何を出さねェかを選別してる。それを全部ひとりで、だ。人間業じゃあねェ。そんな人間の意向なんてオレには測りようもない」

 

「…………」

 

 

 その心境は弥堂にもわかるような気がしたので、何も言わなかった。

 

 

「個人的なことを言うのなら。オレぁせっかく足洗ってこの街でカタギやってんだ。だがその街が複雑な状況になる。そこにオマエみてェなイカレた狂犬がいると何をするかわからねェ。もう少し平和を満喫してェからな。だからオマエを関わらせたくない。わかりやすい話だろ?」

 

「善処するよ。ところで、お節介を返すが」

 

「アン?」

 

「煙草を減らしたらどうだ? 早死にするぜ?」

 

「これも仕事のうちなんだよ」

 

「そうか。カタギは大変だな。俺には出来そうもない」

 

 

 弥堂は自分のグラスを手に取るとそれを一気に傾けて中身を飲み干す。

 

 

「行くのか?」

 

「あぁ。いくらだ?」

 

 

 コーヒー豆の紙袋を持って会計を尋ねると、トーマスは鼻を鳴らした。

 

 

「フン、いらねェよ。そいつはサービスだそうだ」

 

「代わりにしばらく来るなって? サツとのゴタゴタに巻き込まれたくないってことか?」

 

「そんなんじゃない。仮に今この瞬間にそこのドアが開いて警官隊が雪崩込んできたら――オレぁ、オマエの首根っこ摑まえて『どうぞ持っていってくれ』って差し出すぜ。ウチは健全な飲食店だからな」

 

「よく言うぜ」

 

 

 弥堂は席を立ちながらトーマスの前に万札を置く。

 

 

「オイ――」

 

「――そうじゃない。ブランデーをストレートで。一番高いのを」

 

「アン?」

 

 

 トーマスは一瞬だけ目線をテーブル席に遣り、黙って弥堂の注文を用意する。

 

 

「オラよ」

 

「ごちそうさん」

 

「おぉ。じゃあな。しばらく出禁だぞ」

 

「あぁ、わかってるよ」

 

 

 琥珀色の液体の入ったロックグラスとカウンターテーブルに置かれていた水差しを持って、弥堂はバーカウンターを離れる。

 

 それから店の出口にではなく、一つのテーブル席に向かった。

 

 

 ブランデーの入ったグラスをうっとりと眺め続けるスーツ姿の男の席だ。

 

 

「――邪魔するぜ」

 

「…………」

 

 

 一応断りを入れてから男の対面の椅子に腰を下ろすが、男からは反応がない。

 

 変わらずにグラスの中の液体に映った自分の目と見つめ合っている。

 

 

「おい、瀬川さん」

 

「…………」

 

 

 弥堂は男の持つグラスに顔を近付け、反対側から男の目を覗く。

 

 しかし、やはり男からの反応はなく、弥堂に気付いてもいない様子だ。

 

 

 弥堂は諦めたように溜息を吐き、カウンターから持って来た水差しを男のグラスの上で傾けた。

 

 重力に従い水が注がれ、男が浸る世界が見る見るうちに薄められていく。

 

 一口も飲まれていないグラスからはどんどんと中身が溢れていき、やがて琥珀色だった液体はほぼ透明なものに為った。

 

 

 すると、自然とグラス越しに弥堂と男の目が合う。

 

 

「――うおぅっ⁉ 狂犬……っ⁉」

 

「おっと――」

 

 

 男は本当にその段になって初めて弥堂に気が付いたようで、大袈裟に驚いて身を仰け反らせる。

 

 あまりのオーバーリアクションに椅子が後ろへ傾き、男はそのまま倒れそうになる。

 

 弥堂は男の手首を掴んで、元通りに座らせてやった。

 

 

「あぁ、こりゃどうも。悪いね」

 

「問題ない。久しぶりだな、瀬川さん」

 

「おっと、今日は山畑なんだ」

 

「そうか。久しぶりだな、山畑さん」

 

「あぁ。久しぶり。元気そうでよかったよ弥堂君」

 

 

 スーツを着た男は、先程まで一人で陶酔していたとは思えないほど爽やかな顏でニカっと笑った。

 

 

 男はシャレた営業マンのような風貌だ。

 

 パッと見清潔感があり、男前のように印象を受ける。

 

 だが、いざ彼の顏の特徴をあげろと言われると途端に言葉選びに困る。

 

 歳も表情によって二十代半ばのようにも、三十代半ばのようにも見え方が変わる。

 

 物腰も柔らかで話しやすく、明るい。

 

 不快感が一切ない分、実は特徴もなく、後に印象も残らない。

 

 そんな男だ。

 

 

「おっと、テーブルを汚してしまったね」

 

「あぁ、悪い」

 

 

 男はハンカチを取り出して濡れた手を拭う。

 

 ブランド物の品のいいハンカチだ。

 

 

 その仕草を一瞥して弥堂は席を立つと奥の席へ向かう。

 

 そしてピーナッツを齧るゲロモンの首根っこを掴んで片手で持ち上げると、元の席へ運んでいく。

 

 それから濡れた床の上にゲロモンを落とした。

 

 

 毛むくじゃらのボディを踏んづけて、足で踏み躙りながらモップのように使う。

 

 やがて用が済んだらゲロモンを蹴り転がして奥へと戻した。

 

 それから改めて席に着く。

 

 

「それで? なにか仕事の話かい?」

 

 

 今の出来事に何も関心がないようで、山畑と名乗った男は人の好さそうな笑顔を造った。

 

 

「いや、そういうわけじゃない。こいつを買いに店に寄ったらアンタを見かけてさ。挨拶だけしに来た」

 

「それはわざわざお気遣いどうも。とても素晴らしい行動だよ、弥堂君。挨拶は大事だ。積極的にするように心掛けるべきだよ」

 

「最近クラスメイトにも言われたよ。挨拶くらいちゃんとしろって」

 

「それはいいことだね。その女の子は大事にした方がいい。僕も挨拶は大事だって思うよ。いつでもどこでも誰にでも挨拶をするべきだ。他人からよく見られることだけが重要なんじゃあない。こいつは誰にでも声をかけるヤツだって周囲に思われておけば、何処かで誰かと会話しているところを見られても不自然に思われない。それに、自分でその行動を習慣化しておけば、誰に話しかける時にも不自然さが表れないようになる。挨拶は訓練でありテクニックさ」

 

「なるほど。勉強になるな」

 

 

 男の垂れる講釈に弥堂は一定の含蓄を認める。

 

 この男と弥堂は知己の間柄であり、弥堂は彼のスキルに一定のリスペクトを持っていた。

 

 

「この間は助かったよ、山畑さん」

 

「この間?」

 

「ほら、女子供を説得するための話し方についてアドバイスを貰っただろ?」

 

「あぁ……! はいはい。その様子だと上手くいったようだね。僕もうれしいよ」

 

「あぁ。おかげさまで相手に首を縦に振らせることが出来た。流石はプロの詐欺師だな」

 

 

 詐欺師に教わった話術で女子高生に同居することを同意させた男は、プロフェッショナルな彼のスキルを素直に称賛した。

 

 だが、山畑さんは苦笑いを浮かべる。

 

 

「弥堂君。僕はプロではないよ。詐欺はあくまで趣味だ」

 

「だが、詐欺で一番金を稼いでいるんじゃないのか? それなら十分に本業だと謂えるだろう?」

 

「いや、そうじゃないよ。大事なのはプライドさ。自分で自分は何者だと思うのか。僕自身の身の裡で凝り固まったその自意識に従うのなら、僕にとって詐欺は趣味で、営業代行やコンサルは副業だ。大事なのは決して金じゃあない」

 

「……なるほど。勉強になる」

 

 

 そういえば先日の悪魔たちとの大決戦の時に、弥堂自身、自分で自分が何者であるかを定めるのは重要なことだと考えた。そのことを思い出す。

 

 人様を騙して不当に金を得ている男の言うことに、『流石だな』と頷いた。

 

 

「今日はキミの顏が見れてよかったよ。最近僕も出張が増えてきてね。直接会えてなかったから心配してたんだ。ほら、キミって目を離すと死んじゃいそうだからさ」

 

「そうだったのか。本業の関係か?」

 

「いや、副業の方さ。前からお世話になってる大口のクライアントがいてね。その方の依頼でちょっと関西の方に行ってたんだ」

 

「それで先週もいなかったのか」

 

「先週? なにかあったのかい?」

 

 

 いかにもこちらの話に興味がありそうな仕草で首を傾げる男に弥堂は頷く。

 

 弥堂の前に置いたブランデーにさりげなく手を伸ばしてくる山畑さんからグラスを避難させつつ答える。

 

 

「俺じゃないんだが、先週ここに来た時に“伯爵”に会ってさ」

 

「“伯爵”だって? うわぁ、しばらく会ってないなぁ。あの御仁はお元気だったかい?」

 

「あぁ。向こうも同じようなこと言ってたよ。アンタに会いたがってた」

 

「それでキミに伝言を?」

 

「あぁ。もしも会ったら伝えてくれって」

 

「ふふ、わかるかい弥堂君? そこでトーマスじゃなくってキミに頼むところに、あの人のお茶目さがあるんだ。あれだけの立場の人でもそういうカワイイところを残しておくのって結構大事なんだぜ?」

 

「そうなのか。勉強になる」

 

 

 何を言っているのかはわからなかったが、要は他人を使って楽をしろということなのだろうと弥堂は勉強をした。

 

 

「僕も会いたいんだけど、中々あの御仁とはタイミングが合わないんだよなぁ……」

 

「……そういえば、アンタと“伯爵”が同時にこの店にいる時をあまり見た覚えがないな」

 

「そうなんだよ。いっつも擦れ違ってしまってさ。あの人の話はすごく面白いし、為になるものも多いからまた一緒に呑みたいんだよね。僕のスケジュールのこともあって、本当に疎遠になってしまいそうだよ」

 

「あぁ、出張だったか?」

 

「そうそう。結構人使いの荒いお嬢さまでさ――」

 

 

 そこまで言いかけてから山畑は「しまった」とばかりに自分の口を手で覆う。

 

 

「参った。ちょっと口が滑ってしまった。今のは僕とキミだけのここだけの話ってことで内緒にしてくれな? 本業じゃないからって言い訳は通用しないけど、キミと話していると楽しくってつい口が緩んじゃうよ」

 

「あぁ、俺は何も聞かなかった」

 

 

 肩を竦めながら、弥堂は内心で相手に感心をする。

 

 

 今のは、言っても問題ないことをわざと言ってしまった風に見せかける技だ。

 

 そして、『二人だけの話』『アナタだから言ってしまった』と続け、相手に親近感と優越感を感じさせる為の詐欺のテクニックである。

 

 他ならぬ彼から以前に教わったものだ。

 

 こうして実践してお浚いをしてくれているのだろう。

 

 

「――そういえば」

 

「どうしたんだい?」

 

 

 女性と謂えばと、前の会話で気付くことがあった。

 

 

「どうして女だとわかったんだ?」

 

「うん?」

 

「さっき、俺はクラスメイトとしか言わなかった。どうしてそれで相手が女だとわかったんだ?」

 

「あぁ、さっきの挨拶の話かな?」

 

 

 男は悪戯が成功した風に「くっくっくっ」と笑う。

 

 

「なに。そんなに複雑なタネじゃないよ」

 

「聞かせてくれ」

 

「シンプルなことなんだけど、キミは相手が男だったら『クラスメイト』という呼称を選ばない」

 

「そうか……?」

 

 

 意識しての言葉選びではなかったので、弥堂は首を傾げてしまう。

 

 

「もちろん、その相手に対して比較的好印象だったらそう呼ぶこともあるだろう。だが、今回はシチュエーションがある。他人から『挨拶をしろ』と言われたらキミは反発をするだろう? 相手が男だったら殴ることだってあるだろうし、それが教師でもきっと従わない」

 

「…………」

 

「もしもそんな出来事だったらキミは『クラスメイト』ではなく『クラスのヤツ』とか、そういう言葉を選ぶはずだ。ということは、キミに挨拶を指摘した人物は女の子である可能性の方が高い。キミは男女関係なく殴るし毒づくけど、それでも女性の方が無事に済ませる確率が高い。敵でさえなければね」

 

「…………」

 

「だから今回の相手は女の子。それも比較的キミが好意的に見ている相手、それか頭が上がらない相手。そうである可能性が高いと踏んだ」

 

「いや、山畑さんそれは――」

 

 

 ベラベラと口を回す詐欺師の話を黙って聞いていた弥堂だったが、そこで堪らずに口を挟む。

 

 自分は決してあの女に対して好意的でもなければ、頭が上がらないわけでもないからだ。

 

 

「――ままま、ちょっと聞いてくれよ」

 

 

 山畑さんは弥堂の反論を遮って自分の話を続ける。

 

 口を開く直前、弥堂のこの反応を確認して薄く唇を舐めた。

 

 

「今の僕の最後の言葉はね、本当は言わなくていいことなんだ。むしろ言わない方がいい。何故だかわかるかな?」

 

「……いや」

 

「キミの気分を害するからさ。僕はキミと仲良くしていたい。だから本当は言わない方がいい。でも言った。それは今後のキミにとって大事なことだからだ」

 

「どういうことだ?」

 

 

 弥堂は彼の話に興味を向ける。

 

 

「今の僕の手管ってやつは、要はキミのワードチョイスの癖を見抜くことだ。普段の為人、好み、物言いの癖。それがわかるとどういう感情の時にどういう言葉を選ぶかを知れる。逆に謂えばワードチョイスからそれを口にした時の感情を測ることも出来る。これは前にも教えたね?」

 

「あぁ」

 

 

 弥堂が頷いたのを確認して山畑は先を続ける。

 

 

「今回はその応用さ。今言ったことは、他人の言動に一定の法則を設けて覚えること――とも謂える。次はその先、その法則が崩れた時は?」

 

「……何かしらの理由がある」

 

「そう。動揺してのミスかもしれないし、そうでないなら嘘を吐いていることになる。何気ない物言いの中に多くの情報があるのさ」

 

「それが応用?」

 

「そうだけど、それだけじゃない。今のは他人の嘘を見抜くだけでなく、自分が嘘を吐く時にも使える」

 

「自分の法則が崩れないように注意するということか」

 

「そうだね。それとそのもう一歩先。わざと法則を崩すことで噓を吐かずに嘘を吐いていると思い込ませることも可能だ」

 

「嘘を吐かずに?」

 

「あぁ。そして普段の振る舞いで自分を他の者にどう見せるか次第で、自分の法則なんてものはいくらでも捏造出来る。そうすれば、キミを知る人たちは実のところ、誰一人キミを知ることは出来ない。キミの望んだとおりの自分の印象を他人に押し付けることが出来る。そんなことも可能だ」

 

「それはもしや……」

 

「そう。最初にした挨拶の話だよ。挨拶はただの一つの例さ」

 

「なるほど……」

 

 

 弥堂は深く感心し、頷く。

 

 今言われた内容もそうだが、彼のトークにも感心した。

 

 

 男は『これは本当は言わない方がいいことなんだけど……』と前置いて話しだした。

 

 この語り口も以前に教わったものだった。

 

 

 これを言うことは自分にはデメリットにしかならないのだが、アナタにだけ特別に教えます――

 

 そんな風に切り出す詐欺の口上だ。

 

 

「勉強になる」

 

 

 自身でも希咲に何回か仕掛けて悉く失敗したが、これはこのように使うのかと弥堂は勉強した。

 

 そして山畑さんのスキルをリスペクトする。

 

 

 詐欺はただの趣味だなどと謙遜をしていたが、こうした何気ない世間話の一つ一つの中でも惜しむことなくこちらを騙しにくる。

 

 日常の総ての所作に詐称が染みついている。

 

 やはりこの男はプロフェッショナルだと恐縮した。

 

 

『ユウキ! いい加減にしなさい!』

 

「む?」

「ん……?」

 

 

 ふと、聴こえてきた自分を咎める声に目線を横に動かしてみれば、そこにはご立腹の様子のお師匠様の幻覚だ。

 

 

『アナタはどうしてこのように怪しげで軽薄な男の言葉にばかり感化されるのです。もっと誠実な人間付き合いをしなさい。神がお許しになりませんよ』

 

「…………」

 

 

 弥堂は彼女の言葉を無視する。

 

 エルフィーネは確かに弥堂の師であり恋人だった。

 

 

 しかし彼女はメンヘラだ。

 

 メンヘラはその時の気分で言うことがコロコロ変わる。

 

 なので明日になれば変わるかもしれない真実を訴える女よりも、変幻自在に操れる嘘を極めた男の方へ目線を戻した。

 

 

「どうしたんだい?」

 

「いや、なんでもないよ。いいことを聞いたと感動してね」

 

「そうかい。それはよかったよ。キミはどうやらより嘘が必要な状況に追い込まれそうなんだろ? 少しでも足しになればと思ってね」

 

「……感謝するよ」

 

 

 弥堂は持ってきたブランデーを山畑さんの前にスッと差し出す。

 

 彼はそれを両手で持つとグラスに顔を近づけて中を覗き込み、それっきりもう喋らなくなった。

 

 

 陶酔した表情の彼を見下ろしながら弥堂は席を離れる。

 

 今度こそ出口へ向かおうとして、引き返す。

 

 次に向かったのは奥の席だ。

 

 

 ビッチョビチョになったゲロモンの毛を紙ナプキンで甲斐甲斐しく拭いているタンクトップの男の前に立った。

 

 

「おい――」

 

 

 声を掛けながら男の首を掴んで片腕で持ち上げる。

 

 宙吊りにしたまま彼と眼を合わせた。

 

 

「テメエこの野郎。借金持ちの分際で酒場になんか来やがって随分と景気がよさそうじゃねえか。今月分はキッチリ払えるんだろうな?」

 

「ゔぇ……っ、ゔぉぇぇ……っ⁉」

 

「先月も遅れたよな? 今月は期日内に返済しろよ。見る度にここで呑んでやがるが、それで金がねえは通らねえからな」

 

 

 嘔吐く男に構わずに一方的に言い捨ててから床に放り捨てる。

 

 男が床に倒れると、心配したゲロモンが彼を抱きしめた。

 

 男のダルダルのタンクトップがビショビショになって、真っ黒な乳輪が透ける。

 

 

 その乳輪のデカさに弥堂はイラっときたので、足で踏みつけてさらに追撃をする。

 

 いい加減に見咎めたトーマスが注意をしてきた。

 

 

「オイ、店の中で取り立てなんかすんじゃあねェよ。出禁にするぞテメェ」

 

「もう出禁になってただろ。だったらルールを破った方が得だろうが」

 

「このクソガキ……ッ!」

 

 

 ギリっと歯を軋らせて、トーマスは咥えていた煙草を噛み切る。

 

 手に持っていたグラスを放り捨てて、その手でカウンターに刺さっていたナイフを引き抜いた。

 

 

「オマエもう二度と来るな――」

 

 

 そしてそのナイフを、男とゲロモンを足蹴にする弥堂目掛けて投げつけた。

 

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