ガラガラガラガラ……と――
そんな音が夜闇の下で鳴り響いている。
窓の下の地面にて、ライトに照らされて浮かび上がっているのは水車のような物体だ。
だが、より近い物を挙げるのならばそれは水車というよりも、ハムスターが永遠にカラカラと回しているオモチャに近い。
ただ大きさはそれとは比較にはならず、サイズを基準に見るのならばやはり水車の方が近くなる。
その大きなホイールの中で走っているのは勿論ハムスターなどではなく――
「――あれって……、ペトロビッチくん……?」
みらいさんの都合でこんなわけのわからない島まで密輸されてしまったコディアックヒグマのペトロビッチくんだった。
ペトロビッチくんは何処かヤケクソにも見える様子で必死にデッカいホイールの中で四本の足を動かしていた。
「な、なにしてるの……? あれ……?」
「回し車の隣をご覧ください」
茫然と当然の疑問を口にする聖人に、みらいさんはドヤ顏で指し示す。
「なんか変な機械……?」
そこには一目では何かと判別の出来ない箱型の大きな機械が置かれていた。
「あれは発電機です」
「発電……?」
よく見てみれば、ペトロビッチくんの走る回し車から伸びたケーブルが横の機械に繋がっており、そしてさらにその機械からも黒いケーブルが2階にあるこの部屋の窓まで伸びている。
ケーブルは窓枠を越えて最終的には室内の窓際に置かれた機械に繋がっていた。
「この屋敷用の発電機とは別の、わたし専用の発電機です」
「ってことは、あれって発電させてるの……?」
「はい。みらいちゃん専用移動式熊力発電機です」
「これって動物虐待にならないのかな……」
ゾッとしたような顏で聖人がつぶやくと、
「なるほど。兄さんは炎上を懸念しているのですね。わかりました。試してみましょう」
「え?」
みらいさんはスマホを取り出すとカメラを起動しレンズを階下の熊力発電機に向ける。
「ちょ、ちょっとみらい?」
「試しにこの動画をSNSにアップしてみて世間様の声とやらに耳を傾けてみましょう」
「や、やめた方がいいって……!」
聖人は慌てて妹の凶行を止める。
どう考えても肯定的な意見など期待できないからだ。
望莱も然程本気ではなかったようで、素直にスマホを仕舞う。
聖人は一先ずホッと息を吐き、改めて階下へ目を向ける。
そして、どうしてこんなことになってしまったのだろうかと考えてみた。
ヒグマの気持ちなど彼には知り様もないが、見る限りペトロビッチくんは必死に走っているようだ。
ハムスターに同じことをさせれば嬉々として走り続けるのだろうが――
「――熊にも同じ習性ってあったっけ……?」
――そんなことは寡聞にして知らなかったが、どうも嫌々とやらされているわけではないようには見えた。
そんな風に安心しかけたところで、聖人は一つの点に気が付く。
「なに、あれ……?」
ホイール内で走るペトロビッチくんの鼻の少し先に、釣り竿のようなもので何かが吊るされていた。
目を凝らしてみると、吊るされているのは謎の黒ビキニのように見える。
ペトロビッチくんは血走った目でその謎の黒ビキニを凝視しながら一心不乱に走り続けていた。
「…………」
脳が理解を拒み、聖人には余計に何がなんだかわからなくなる。
彼はもう深く考えることをやめた。
そんな兄に対して妹は自慢げに話す。
「このまま一晩走らせれば、明日は快適な回線速度でわたしのゲーミングPCをフルスペックで動かせるはずです。きっとFPSのプレイにだって耐えられます」
「一晩って……、あれ? ていうか、ペトロビッチくんはいつから走ってるの?」
「んー? まだ4時間くらいじゃないですか?」
「えっ⁉」
単純計算すると明日の朝までに半日ほどぶっ続けで走らせることになる。
熊の体力がどれほどのものかは聖人には正確な知識はなかったが、あれだけ身体の大きな動物がそんなに全力運動を続けられるわけがない。
紛うことなき動物虐待であることが発覚した。
「そ、それはさすがにカワイソウというか、死んじゃわない⁉」
「死んだらそれまで。自然の世界とは厳しいものです」
「人為的だよね⁉」
「もしもペトロビッチくんがお亡くなりになったら、涙を飲んでその生命を頂きましょう」
「罪悪感で喉を通らないよ!」
兄は必死にクマさんの助命を請うが、非情な妹は歯牙にもかけない。
「せ、せめて他の子と交代しながらとか出来ないの?」
「うーん……、あれを回せるほどのパワーを持つ子となると難しいですね……」
「ほ、ほら? 一度に無理させすぎちゃって、発電自体出来なくなっちゃったら余計に大変じゃん……?」
「ご安心を。ペトロビッチくんの電池が切れたら兄さんか蛮くんに回してもらいます。一番適任なのは真刀錵ちゃんですが、『斬れば発電出来る』とか頭のおかしなことを言いだしそうなので」
「や、やっぱりそうなるのか……」
マリア=リィーゼ様はさりげなくここでも戦力外だった。
聖人は諦めたように溜息を吐いて窓枠に足を乗せる。
「兄さん?」
「ちょっと交代してくるよ……。寝てる時に起こされて交代になるよりは先に回しとこうかなって……」
「まぁ、素敵です兄さん! 妹のためにカラカラ回して発電してくれるなんて」
「あはは……」
嬉しそうな笑顔を浮かべる妹に空笑いをしつつ聖人は飛び降りる。
当たり前のように着地し、そして回し車の方へ近寄って行った。
兄の頭部と背中を見下しながら、望莱はスッと真顔になった。
「あ、ペトロビッチくん? ちょっと換わるから休憩を――って、うわぁっ⁉」
階下から聴こえる獣の咆哮と、兄の驚いたような声を無視して、望莱は夜空へ視線を上げる。
今夜は曇り空だ。
斑模様のような雲が月明りの前を漂い、光に階層を作っていた。
「こ、このクマなんか僕にだけ敵意強くない……⁉」
「ガゥーーッ!」
「や、やめ……っ! 僕は敵じゃ――あっ、あっ……、うわあぁぁぁぁっ⁉」
「ガゥガゥガァーーッ!」
下界の物事から意識を外して望莱はスマホを見る。
画面に表示されるのは例の怪文書だ。
――――
G.Wが終わるまでお前たち5人は美景に戻って来るな。
そうしないと、希咲七海と水無瀬愛苗は永遠に戻ることはない。
そしてお前たちは皆殺しにされるだろう。
――――
脅迫文紛いの内容にもう一度目を通し、それからまた空へと戻した。
「一応は従ってみましたが――」
「――これで一体どうなるのでしょう」
自分へ問いかけ、自分で答える。
「前回――」
「――結果としては指示通りで七海ちゃんは無事でした」
「天使なんて厄ネタはあったものの」
「七海ちゃんだから乗り切れた?」
「それとも必要な一つのプロセスに過ぎず」
「それ故の必然の結果なのでしょうか」
だが、前回の事件の続きのような今がここに在る。
「前回はヨシとしても」
「今回もそうだとは限らない」
「ですがそれは」
「結果を観測しなければわからない」
「兄さんはそれほど危機を感じていないし、焦ってもいない」
「それはポジティブな要素ですね」
「だからといって」
「安心はできませんが」
怪文書の主の正体に思いを馳せる。
「同一人物でしょうか?」
「まだなんとも」
「法廷院先輩のフィクサーさんが確信犯なら」
「同一の可能性は上がります」
「未来予知」
「或いは予測」
「同じことを出来る人物が複数は」
「考えづらいですね」
「敵でしょうか?」
「味方ではない」
「本当に?」
「利用されています」
「でも、今回も七海ちゃんに利しました」
「でも、味方だと考えるには足りない」
判断は保留し、出来事に目を向ける。
「味方と言って近づいてきた法廷院先輩たちが」
「味方ではなかったと七海ちゃんには言いました」
「でも、今回」
「彼らはやはり七海ちゃんの味方だったように思えます」
「また、七海ちゃんに嘘を吐いてしまいました」
「困りました」
悩ましげな溜息を漏らす。
「一見、泥沼のドローで終わったような」
「せんぱいと七海ちゃんの対決」
「ですが、実質現状はこちらに有利になりました」
「どっちみち学園では踏み込んだ話までは出来ないですからね」
「それなら束縛彼女として」
「彼を逃がせなくなったのは大きい」
「彼が今後も美景に留まることを選択肢に入れている内は」
「七海ちゃんを無視することは出来ない」
「これも怪文書の主の敵性を識別するのに」
「ポジティブな要素です」
もしも怪文書の主とフィクサーが同一人物ならば。
「前回の事件では」
「七海ちゃん、弥堂せんぱい、水無瀬先輩を舞台に上げる為の操作のように感じました」
「それが今回」
「わたしも舞台に上げられた」
「或いは上げようとしている?」
「面白いですね」
「浮気相手」
「ふふ、いい役柄のチョイスです」
「わたし個人の予定を考えるのなら」
「ちょうどいいですね」
「ですが、嘘には消費期限があります」
「ちょっと残り時間が心許無いですね」
自分の吐いたいくつかの嘘の後始末について考える。
「『法廷院先輩たちは味方ではなかった』」
「それはおそらくどうでもいいでしょう」
「では、『せんぱいを守る為にも保護が必要』」
「これは急ぎたいですね。明日のイベントで何か成果が欲しいです」
「『キャラじゃない』」
「ふふふ、これもそろそろバレちゃいそうですね。困りました」
口ぶりとは裏腹に愉しげに笑う。
「4月16日」
「放課後のバトル」
「七海ちゃんの意思ではなく」
「“緊急回避”が発動した」
「それは七海ちゃんが致命傷を受けたことを意味する」
「なのにわたしがヘラヘラ笑ってる」
「そんなことはありえません」
「これこそキャラじゃない」
スッと目を細め、光の消えた瞳に、光の薄い夜を映す。
「今は“せんぱい”に振り回されてそれどころじゃないですが」
「ちょっと落ち着いたらバレちゃいますね」
「その前に決着をつけたいというか」
「アプローチをしたい」
「横から手を出して」
「せんぱいにこっちを向かせたい」
「あぁ、なるほど」
「まさしく浮気ですね」
「そのためには」
「早く美景に帰りたい」
逸る気を鎮めるように瞼を閉じる。
「前回は兄さんをここに縛り付けるため?」
「今回はわたしをここに縛り付けるため?」
「わかりませんが、いずれにせよ」
「気に喰わないです」
ドロリとした怒気が漏れ出す。
「真の天才とは」
「答えまでの道を作る論理を必要とせず」
「直接答えを見つけ」
「ゴールまで飛ぶ」
僅かに瞼を開ける。
ぼんやりとした世界がうっすらと目に映る。
「兄さんの直感」
「七海ちゃんの勘」
「それと同じモノ」
「同じ世界を見ている」
「わたしですら見えないのに」
「七海ちゃんと同じ世界を見ている」
「ぜったいに」
「ゆるさない」
夜空へ向けた掌を握る。
その手に掴む糸の先はまだ見えない。
答えは見えない。
手を振って頭を振る。
窓を閉めた。
「なんにせよ」
カーテンに手を掛けて、両手を寄せる前にもう一度夜空を見つめる。
「G.Wが始まりますね」
斑な雲が風に流れて一際白の濃いタッセルに月が隠れた。
望莱が夜空に始まりを見た時より数時間ほど前――
行きつけのバーを出禁になった弥堂は自宅アパートに帰って来ていた。
部屋に鍵をかけ中に入り、ダイニングテーブルまで歩く。
未消化だったルーティンを潰すためにコーヒーを淹れようと考える。
だが、その前に仕事のメールを確認するべきかと思い直し、紙袋を開けないままテーブルに置いた。
ノートPCを開く。
画面が点灯し、OSが起動する直前で。
ぺぽーん――と。
ここ数日聞いていなかった気がする間抜けな音が鳴った。
「…………」
弥堂は強い警戒心を持ちながら慎重な手つきでスマホを取り出す。
それを丁寧にテーブルの上に置くと、自動点灯した画面に表示されたポップアップに通知が出ている。
“edge”がメッセージの着信を報せている。
そのメッセージの相手の名前が記されている。
『@_nanamin_o^._.^o_773nn』さんだ。
迂闊に触って既読が付いてしまってはいけないので、弥堂はゆっくりと足を後ろに動かしテーブルから離れようとした。
だが――
「――待てよ……」
そこで気付いてしまう。
今の自分は『@_nanamin_o^._.^o_773nn』さんの彼氏であること。
彼女である『@_nanamin_o^._.^o_773nn』さんからのメッセージを無視することは、交際関係上不自然なことなのではないかと。
一晩くらいなら問題ないだろう。
だが、明日になっても返事をしないどころか、既読を付けることすらしないというのは、一般的な付き合っている男女の間では通常ありえないことだ。
さらに、偏執的で異常な執着を見せるあのクソ女が、このままメッセージ一件だけで大人しくしているはずがないと弥堂には思える。
以前にもあったように、弥堂が返事をするまで執拗にメッセージを送りつけてくることだろう。
その全てを無視することの、正当性と合理性のある言い訳が思いつかなかった。
「バカな……」
弥堂はここで完全に自分の立場を認識した。
自分はもう希咲の連絡を無視することを許されなくなった。
少なくとも、美景で生活を続ける以上は彼女からはもう逃れられないのだ。
反射的に夜逃げの準備を始めるために動こうとする身体を強く自制する。
水無瀬 愛苗を守るという目的を果たすためには仕方ないと割り切り、変に怪しまれる前に当たり障りのない返事を送るべきだと判断した。
とりあえず『好き』だとでも送っておけばどうにかなるだろうと考えながらスマホへ手を伸ばす。
すると、指がスマホに触れる直前に、『ぺぽぺぽーん』と連続で着信音が鳴る。
まるでこちらの動きを監視しているかのようなその反応に強い敵愾心と危機感が沸き上がる。
スマホに拳を叩きつけたくなる衝動を抑えながら、アプリを起動した。
すると、蒼銀の光を発する弥堂の魔眼にまず映ったのは――
『@_nanamin_o^._.^o_773nn:デートしよ♡』
「…………」
弥堂はスマホをテーブルに置き、代わりに隣の紙袋に手を伸ばした。