俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章17 cracked chemistry ①

 弥堂 優輝(びとう ゆうき)は歩いて新美景駅の方面へ向かう。

 

 

 先程出てきた華蓮さんの家は美景市駅近くに並ぶ高級マンションの内の一つであり、新美景駅とは一駅分離れている。

 

 モノレールの高架下を静かに歩いていた。

 

 

 風に触れると薫ってくる匂いに眉を顰める。

 

 華蓮さんの部屋にあったシャンプーやボディソープなどの香だ。

 

 これらは弥堂にとっては匂いが強く感じられ、どこか落ち着かなくなる。

 

 

 進路を少し変える。

 

 

 元々は、目的地へ行く前に一度自宅に寄って、着替えてから向かうつもりだった。

 

 しかし、華蓮さんが着替えを用意してくれていたのでそれは不要になった。

 

 

 チラリと腕時計を見る。

 

 これも華蓮さんが用意してくれていた物で、以前に学園で夜中に化けネコと戦った時に壊れた物と同じ物だ。

 

 

 それはどうでもいいとして、正午まではまだ2時間ほどある。

 

 予定時間は昼過ぎという話だったので、今から真っ直ぐに目的地に向かっては少々時間が早い。

 

 

 それなら昨日は帰ることが出来なかったので、時間つぶしも兼ねて自宅へ寄ることにした。

 

 通り道には普段使っていない書類上自宅ということになっている別拠点もあるので、そちらの様子も見ていくことに決める。

 

 それらをしてから出社をする。

 

 そう予定を変えた。

 

 

 本日弥堂が行くつもりなのは、例のバイト先だ。

 

 これまではリモートで業務を熟していたので、オフィスの方にはほぼ行ったことがない。

 

 

 だが、これまでのようにインターネットだけで仕事を完結することは厳しくなってしまった。

 

 理由は先程試した魔術などと同じで、聖剣(エアリスフィール)が手元に無いからだ。

 

 

 内職が出来なくなった以上は現場に出るしかない。

 

 これまでは雇い主から頼まれても現場に出ることは断っていたが、もはやそうも言っていられなくなった。

 

 今後の水無瀬との共同生活、或いは逃亡生活を考えると、どう転んでもまとまった金が必要となる。

 

 

 とはいえ、仕事は選ぶ必要がある。

 

 業務の内容は何でも構わないが、報酬は別だ。

 

 

 ケチな張り込みや捜索をするのは効率が悪すぎる。

 

 弥堂が一番得意とするのは殺しだが、そんな仕事があるかは期待出来ないだろう。

 

 

 なので、バイト先に碌な仕事がなかった時のための第二候補として、皐月組にも仕事を貰えるように要請している。

 

 こちらは非合法な分、報酬は比較的高くなるだろうが、そもそも力を失って落ちぶれたヤクザだ。

 

 一発で数千万を稼ぐようなことは望めないかもしれない。

 

 そんなデカいシノギがあるのなら、彼ら自身がもう少し繁栄しているだろう。

 

 

 頭の中で適当に弾いていたソロバンを投げ捨て、思考をまとめる。

 

 

 何にせよ午後に合わせてまずバイト先に出社をする。

 

 当然アポなどとってはいない。

 

 

 展開中の魔術の調子を確かめながら、弥堂はひっそりと街を歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あ゙ーーっ、いいっ……!」

 

 

 少し年季の入った事務所内で、中年男の汚い声が響く。

 

 

 キッと睨みつけて、希咲 七海(きさき ななみ)は視線で抗議の意思を発した。

 

 

「いいぜ……、すげぇいい……っ!」

 

 

 しかし、手にした写真類に男は夢中で、そんな希咲の気持ちには気が付かない。

 

 

「……きもいんだけど。黙って見ててよ……!」

 

 

 仕方なく、希咲は直接的に嫌悪を伝えた。

 

 

 だが――

 

 

 

「――いやぁーっ、捗る……っ! 報告書がめっちゃ捗るぜ! なぁ、みんな⁉」

 

 

 男はお構いなしに歓声をあげ、周囲にも同意を呼び掛けた。

 

 他の者たちもそれに応える。

 

 

「ほんと……、ほんとに仕事が進む……っ!」

「ありがとう……! 本当にありがとう七海ちゃん……! いつもいつもすまないね……っ!」

 

 

 ここまで希咲と同行してきた中年男と同様にスーツ姿の若い男性、私服姿の女性など、数名の人間が事務所内に居た。

 

 希咲の手をとって涙ながらに礼を言ってくる女性の顏にはうっすらと隈が出来ており、希咲は頬をヒクっとさせる。

 

 他のメンバーたちも似たような疲れた顔色をしており、握られた手を振り払う気にはなれなかった。

 

 

 ここは“御影探偵事務所”――

 

 

 希咲のバイト先だ。

 

 

 希咲が集めてきた写真などの証拠類によって、滞っていた彼らの仕事が一気に進み、その結果盛大に感謝をされているという構図だ。

 

 

「大袈裟なんじゃ……?」と希咲には感じられた。

 

 だが、彼ら彼女らの草臥れた顏や身嗜みを見るに、どうやらいつものように修羅場化しており、誰も彼もナチュラルハイ状態にあるようだ。

 

 

 希咲は「あははー」と空笑いしてから、「はぁ……」と溜め息を吐いた。

 

 少し所在なさげにしながら、彼らの仕事に目を向ける。

 

 

 数名の調査員たちが希咲の持って来た写真を整理している。

 

 その写真に写っているのはもちろん希咲ではない。

 

 主に男女がホテルから出てくるシーンで、写っているのは一組のペアではなく、様々な男女の写真が何枚もある。

 

 つまり、複数件分の浮気証拠だ。

 

 

 この探偵事務所は慢性的な人手不足だ。

 

 なのにも関わらず、お人好しの所長は断れずにどんどんと仕事を受けてしまうのだ。

 

 

 この事務所に舞い込んでくる仕事は主に浮気調査やペットの捜索がメインなのだが、それらはパッと終るような仕事ではない。

 

 失踪したペットは見つからない時はいつまでも見つからないし、浮気の証拠確保には張り込みが必要になる。さらには依頼人(クライアント)と会ったりもしなければならない。

 

 

 なので業務の性質上、複数件を同時進行することが難しく、人が足りないとどんどんと次の仕事が溜まっていくのだ。

 

 それを解決したのが希咲ということになる。

 

 

 大はしゃぎの調査員たちにお茶を配り終えた事務のお姉さんが、興味深そうにテーブルに散らばった写真を覗く。

 

 彼女も嬉しそうに中年男に声をかけた。

 

 

「いやー、マジで一気に片付きますねこれ」

 

「おぉ! 正直浮気の証拠撮りに関しちゃもう七海がウチのエースだな!」

 

 

 勝手なことを言う中年男に希咲はまた声を荒らげる。

 

 

「うれしくないっ! あたしだってホントは事務の手伝いだったのに……!」

 

 

 割と切実に抗議をしてくる彼女に、男はガハハっと笑った。

 

 

「まぁ、でもよ? こっちのが報酬はダンチにいいだろ?」

 

「娘にこんなことさせて……! 少しは申し訳なさそうにしろ! ばかパパっ!」

 

「そこはオマエよぉ、血は繋がってねえからセーフってことに……」

 

「なんねーわ」

 

 

 血も涙もない言い訳をする中年男に、七海ちゃんはガチめの軽蔑の視線を向けた。

 

 

 この草臥れた風でいい加減な中年男は、希咲の二番目のパパだ。

 

 希咲の実の父と離婚後に母と再婚をした義理の父で、彼の連れ子が義理の弟で長男の大地となる。

 

 

 クズパパは不可解そうな顔をした。

 

 

「つーか、なにがそんなに嫌なんだよ? これだって真っ当な仕事だぜ?」

 

 

 希咲は拗ねたように唇を尖らせる。

 

 

「だって、これのせいでどっかの家庭が壊れちゃうかもじゃん?」

 

「もう壊れてっからウチに依頼が来るんだよ」

 

「でもさ、もしもあたしが見つけなかったら――とかって考えちゃうし……」

 

「気にすんなよ。そんなモン浮気するヤツが悪いんだ。クズに同情する価値なんざねェよ」

 

「……さすが浮気と借金で離婚されたクズ親父は言うことが違うわね。説得力ばつぐーん」

 

「おっと、こりゃやべえ」

 

 

 義理の娘に論破されたお義父さんはばつの悪そうな顔をして、湯呑に口をつけて誤魔化した。

 

 

 希咲は「ふんっ」と鼻を鳴らして、経済的にも人間的にも頼りにならない義父から視線を外す。

 

 代わりに事務のお姉さんににこやかに話しかけた。

 

 

「まだみんな忙しいの?」

 

 

 事務員さんは「うーん……」と困ったように言葉を探す。

 

 

「ケガ人もまだ帰ってきてなくて……、ずっといっぱいいっぱいねぇ……」

 

「そういえば――」

 

 

 他の調査員のことに考えを巡らせると、希咲は一つ思い出す。

 

 

「写真の確保。あたしがエースって言ってたけど……」

 

「え? うん。ホントにスゴイと思うし助かってるよ?」

 

 

 希咲はちょと他人には言えないその特殊な隠密能力や索敵能力、それから機動力を活かして、浮気の証拠写真や迷子のペットの確保をしている。

 

 先程彼女自身が言っていたように、元は事務のバイトとしてここに入ったのだが、当時から現在のような修羅場が常となっており、その地獄っぷりを見兼ねてつい現場を手伝ってしまったのだ。

 

 それからもズルズルと本当はやりたくない仕事を続け、だがその能力が優秀過ぎるが故に依存されて止められなくなっている。

 

 

 だが、事浮気の証拠集めと謂えば――

 

 

「――あの人は?」

 

「あの人?」

 

「や、ほら居たじゃん。どんな証拠も即日メールで送り付けてくるって超人。例のリモートさん」

 

「あー……」

 

 

 この事務所にはもう一人、所長以外に誰も会ったことがないが、飛び抜けた調査能力を持つリモート専門の謎のスタッフが居るのだ。

 

 彼か彼女かわからないが、希咲はその人物のことを思い出した。

 

 

 そのことを尋ねられた事務員さんは、少し困った顔をした。

 

 

「確かに仕事はすごく速くて正確なんだけど、ちょっと難しい人みたいで……」

 

「あー、都紀子さんが現場のヘルプ頼んだら断られちゃったんだっけ?」

 

「そうそう。すっごく個人主義の人みたいで。雇用形態も特殊なのよ」

 

「特殊……?」

 

 

 希咲が首を傾げると事務員さんは顔を寄せて声を潜める。

 

 

「実はウチの会社と雇用契約をしてないの」

「え?」

 

「自分の記録を残すのが絶対にイヤみたいで。連絡もお金も所長との間だけで、あくまで個人的にやりとりしてるのよ」

「あ、あやしい……っ。そんな人いるんだ――ってか、大丈夫な人なの?」

 

「所長の妹さんとか親戚の筋からの紹介みたいで、色々複雑な事情の人みたい」

「まぁ、怪しいからってその人追い出したら余計に仕事回んないしね」

 

「あはは……、想像しただけでお腹痛くなる……」

「あ、ご、ゴメンなさい……」

 

 

 顔色を悪くした事務員さんは退散していく。

 

 すると、今度は調査員の若い男がメニュー表片手に全員に呼びかけた。

 

 

「みんな昼なに食います? 出前頼みますんで」

 

 

 希咲の持って来た写真に群がっていた従業員たちはその声に喜色を浮かべ、手にしていた書類を放って「わぁーっ」と一斉に移動していった。

 

 

 目の前にヒラリと落ちてきた作成途中の報告書をキャッチして、希咲は誰もいなくなったローテーブルに目を向ける。

 

 これから希咲の持って来た証拠を添えて、各依頼の報告書を作成することになる。

 

 

 証拠を集めてきた段階で希咲の仕事は終わっているのだが、ここからがまた大変なこともよく知っている。

 

 仕方ない、手伝ってやるかと、散らばった書類を整理して、自分にも出来そうなものを物色し始めた。

 

 

(正体不明の調査員……)

 

 

 なんかどっかで聞いたことのあるフレーズだなと考えると、一人の男のイメージに紐づく。

 

 正確にはその男のストーカー(仮)のことを思い出したのだが――

 

 

(気難しい。個人主義。記録に残りたくない……)

 

 

 あの男の性格と似ているなと思った。

 

 

 だけど、あんな頭のおかしい人間がこの世に何人もいるわけがない。

 

 

(あのバカと一緒にしてゴメンね……、謎のスタッフさん……)

 

 

 心の中で顔も知らぬ同僚に詫びを入れてから、希咲は報告書の作成に取り掛かろうとし――

 

 

「――あっ!」

 

 

――そういえば自分のお昼を頼んでいないことを思い出して、慌ててみんなの方へ駆けて行く。

 

 ポイっと放られた紙が、またもヒラヒラ舞う。

 

 今度こそテーブルの上に着地をして、爛れた人間の実情を隠した。

 

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