御影探偵事務所の会議室にて――
義理の父と娘は仲睦まじく他所のご家庭の不貞に関する資料を整理していた。
「――これと、これも終わり……。次はこっちの依頼人に渡す報告書作りだな」
「おけ。これで少しは仕事落ち着きそ?」
「う~ん……」
実際、今日だけで何件も報告書が完成したのでそう尋ねたのだが、意外にも義父は答えに困る様子を見せる。
「あれ? まだあんの?」
「いや、よぉ。実はオマエが旅行してる間に、所長がまた新しい依頼受けちまってよ……」
「えー? またぁー?」
「あのお方は押しに弱ぇからなぁ。基本相手が困ってると断れねえんだよ」
「わかるけどさぁ……」
それ自体は決して悪いことではないので非難しづらいが、ヨシとするにはあくまでも受けた仕事を処理できることが条件になる。
そのことを考えると、一応はこれまでもどうにかギリギリ処理出来てしまっていたことに気が付いた。
もしかしたら、自分がこうして普通じゃない能力まで使って手伝ってしまっていることで、余計に多くの人が苦しみ続けているのではないかと、希咲は俄かに不安を覚えた。
その考えを振り払うために口を動かす。
「つかさ。ウチってベツに大々的に広告出してるわけでもないのに、なんでこんなに人気あるわけ?」
娘の質問に義父は苦笑いを浮かべた。
「人気ってほどでもねえよ。これは単純に人手不足だ。大手はこんなもんじゃあねえぞ?」
「うぇー。これより忙しいとか儲かってても地獄ね。でもさ、ウチも仕事途切れたことないわよね? 老舗ってわけでも大手でもないのに、結構認知されてるのはなんで?」
「いや、認知されてるってわけでもねえんだよなあ……」
「どゆこと?」
かなり複雑な表情になった義父に、希咲は首を傾げる。
「他所で言うなよ?」と前置きをして、義父の晋平は少しだけ声を潜めた。
「実は、皐月組経由で結構な仕事が回ってくるんだよ」
「皐月……って、ヤクザ屋さん?」
思ってもみない名前に驚く。
「あそこの子分さんたちがよ。地域に愛される暴力団目指すっつって地回りしてっだろ?」
「まず暴力団を止めるところから始めるべきよね」
「まあな。だが、そんな簡単に看板は捨てられねえさ。それはともかく、だ。連中、カタギ衆のお悩み相談とか受けててよ。そんでここが紹介されたりするわけだ」
「な、なんか、フツーに親身ってゆーか、役に立ってるってゆーか……。いいことしてるみたいに思っちゃう。ヤクザなのに」
「その部分だけならな? つか、地回りって本来はそういうとこもあっし。だが、それだけじゃ済まねえのも本来のヤクザだわな」
「だから愛されないのね……」
『暴力団なんて滅ぶべし!』という基本的な考えまでは変わらないが、少しだけ彼らに同情もしてしまう。
「およよ……」とウソ泣きの涙を拭うフリをすると、義父が新たな書類を寄こしてくる。
「てことで新規の依頼リストだ。オマエはこっちのヤツな?」
「えー?」
希咲はパッと態度を切り替えて、形ばかりの抗議をしてみる。
義父は肩を竦めた。
「いいだろ。金が欲しいんだろ?」
「そりゃそーだけど」
「こんだけ得意なのに、そんなに浮気調査嫌いなのか? つか、オマエどうやってこんなに早く見つけてくんだ?」
「ひみつ」
「カァー、年頃の娘を育てんのは難しいねえ」
「育てられてないし。この蒸発オヤジ」
「こりゃキッツイなあ……」
娘のジト目に義父は上辺だけ苦しんで見せる。
「それよりよ――」
「ん? あ、質問に答えてないか」
「おう。この仕事嫌いか?」
「好きなわけないでしょ。つか、パパはなんとも思わないわけ?」
「なにが?」
「娘にこんな卑猥な写真を撮らせて……」
言いながら希咲は自分で撮ってきた証拠写真の一枚を指先で摘まんで、義父の前でヒラヒラとさせる。
義父は不思議そうに首を傾げた。
「卑猥か? これ」
軽く言い放つ彼に希咲は眉をナナメにする。
「だってラブホじゃん! これってそういうことじゃんっ!」
写真に写っているのは中年の男女が腕を組んでホテルから出てくるシーンの切り取りだ。
直接的なモノではないにしろ、写真の場面の少し前の出来事を想像出来てしまう。だからこそ浮気の証拠足りうるのだが。
これも希咲がこの仕事に乗り気でない理由の一つだ。
他所の家庭崩壊にトドメを刺しているかもしれないこと。
他人の情事を覗き見ているような後ろめたさ。
それと、普通でない能力を使用すること。
これらが希咲に罪悪感と後悔を抱かせていた。
そんな彼女の心情に気付かぬフリをし、義父は笑い飛ばす。
「なんだよ。オマエこんなので恥ずかしがってんのかよ。“さーな”の娘なのに?」
「ママと一緒にしないでっ!」
「おいおい、オマエまさか高2になってまだ処女なのか? パパ心配になってきたぜ」
「しねっ!」
ノンデリ親父にガチめの罵倒をする。
希咲は写真をテーブルに叩きつけて、代わりに義父の持つ書類を引っ手繰った。
「オマエさっさとあの坊ちゃんとくっつけよ。そんで玉の輿でパパを養ってくれ」
「ばかじゃん」
「まぁ、ジョーダンだよ。なんせ、紅月だからなあ……。深入りしねえに越したことはねえ」
「……あたしの友達なんだけど?」
「おっと、こりゃ失言したぜ」
ガハハと笑う義父に嘆息して、希咲も続けたい話題ではないので話を変える。
「つーかさ、養ってもらうにも、まず帰ってきなさいよ」
「う~ん……、そりゃ、まだ色々危なくってなあ……」
「それって、パパはだいじょぶなの?」
「最近は連中も忙しいみてえで大人しいな。捨てるモンのねえオッサンの相手なんてしてらんねえんだろ? だが、嫁や小せえガキがいるとなると……」
「ったく……」
希咲の母とこの義父の離婚の理由は表向きは彼の浮気と借金ということになっている。
だが、本当はとある依頼の最中で一つの宗教団体に踏み込んだことで、家族を危険に晒す可能性が強まったためだ。
とはいえ、浮気も借金も事実なので、決定的な理由がそれということである。
そのことをわかっている希咲はそれ以上のことは言わなかった。
キッパリと切り替えるために、テーブルの書類を掻きまわす。
「都紀子さんたら、またこんなに仕事増やしちゃって……」
「本人また泣いてたぜ」
「そういえばその都紀子さんは? オフィスで見かけなかったけど。依頼で外に出てんの?」
「いや、あのお方は応接室の掃除だ」
その答えに希咲はキョトンとする。
「掃除してくれる事務の人いなかった?」
「あー……、そういう普通の掃除じゃなくってよ。これから所長は大事な商談なんだ」
「へー。お客さん来るんだ……、え? まだ来るの?」
テーブルの上の書類に目を向けながらギョッとした。
すると、義父は少し深刻な声になる。
「そうだ。しかもVIPだ」
「え? 有名人ってこと? 芸能人の浮気調査とかマジしたくないんだけど……」
「いや、そんなパチモンのVIPじゃなくって、マジモンの方だ」
「マジモンって……」
義父の言い様に希咲も釣られて真顔になる。
「オモテでは知られてねえヤツだから、来るのも代理人だな」
「うわぁ。聞かなかったことにして、あたし今の内に帰ろっかな……。つか、今のウチでそんな仕事受けれるの?」
「無理だな。つか、そうじゃなくっても受けられない仕事だし、受けちゃいけねえ仕事だ」
「じゃあ、断る気ってこと?」
「あぁ。つっても、相手のメンツもあるから、会いもしねえで電話口で断るわけにもいかねえ。代理人の男には世話にもなってるしな。向こうからわざわざ出向いてくるってのも半分圧力だぜ」
「へぇ、オトナの世界って感じ」
戦闘能力はあっても一介のJKに過ぎない希咲には、どこか実感の湧かない話だった。
「でも、なんでそんなのがウチに?」
「相手も相当な人手不足みたいでな。ほら、こないだの港の件でよ」
「あー……」
その言葉で希咲にも“どの世界”の話なのかが察しがついた。
宙空を見上げながら得心する彼女の様子を義父はチラリと見て、悟らせぬように眉を顰める。
彼女が『今ので察しがつくことが出来る』ことを測ったのだ。
娘がどの程度紅月に関わっているのかを想像し、もう義理とも名乗れない父親は複雑な思いを腹に溜めた。
だが、言及することはせずに話を進める。
「とはいえ、だ。そんなヤバイ仕事はウチの戦力じゃあ捌けねえ。それに社の方針的にもやらない」
「じゃあ、がんばって断らなきゃね」
会社としての結論に希咲はどこか他人事のように頷く。
それから「あれ?」と疑問を抱いた。
「めんどくさ。てか、ねぇ……?」
「アン?」
「ちゃんと断れるの? 対応するの都紀子さんでしょ?」
「…………」
義父の反応に希咲はサァーっと顔を青褪めさせる。
「もし断れなかったら……?」
「……今動けるのはオマエだけだな」
「絶対イヤッ!」
そんな如何わしい仕事には関わりたくないと、希咲は強く主張する。
すると、義理の父はコクリと真顔で頷いた。
「わかってる。いくらオレでも流石にこのヤマを娘にはやらせられない」
「パパ……」
「だから所長には絶対に断ってもらう。もしも危なそうなら乱入してでも破談にさせる」
そう言って義父はテーブルに散らばる書類を雑に腕で払い、その下にあったトランシーバーのようなものを希咲に見せる。
「これは……?」
「応接室に盗聴器を仕掛けてある。これで様子をモニタリング出来る」
「うわっ、ガチじゃんパパ」
「ったりめえだろ? 大事な娘にドンパチなんざさせられるかよ」
「パパ……」
七海ちゃんはパパの頼もしさにジィーンっと感じ入る。
そして唐突にジト目になった。
「お金は貸さないわよ?」
「オレって信用ないのな……」
「あたりめえだろ」
「わるかったよ……」
思春期の娘の気難しさにオジさんはガックシと肩を落とす。
情けない義父の手から希咲は受信機を奪い、物珍しそうに眺めた。
大きめのスマホくらいのサイズの受信機の下側はスピーカーになっており、上半分には液晶画面も付いている。
「これ押すと聴けるの? つか、画面も映るの?」
「ん? おぉ。そういやもう始まってる頃だな……」
時計を見て義父は希咲の持つ受信機に手を伸ばし、スイッチをONに入れた。
すると小さなモニターに、見下ろすような画角で応接室内の様子が映る。
「え――?」
パッと目に飛び込んできたその映像に、希咲は驚きに瞳を膨らませた。