俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章17 cracked chemistry ⑤

 

 無慈悲で無法な行いが繰り返される。

 

 

「ちょ、ちょっとちょっと……っ!」

 

 

 あまりに突然始まった荒事に、佐藤は尻もちをついたまま呆然と見入る。

 

 暫くしてからハッとすると、弥堂を止める為にその重い腰を上げようとした。

 

 

「動くナッ――!」

 

「うわわ――」

 

 

 だが、その大きなお尻を持ち上げた瞬間に、その上のベルトを掴まれて引っ張られる。

 

 佐藤を止めたのは彼を守っていた犬耳カチューシャの少女だ。

 

 

 鋭い声を発してベルトを引く少女の力に負けて佐藤の肥満体が後ろにでんぐり返りをする。

 

 

黄沙(フワンシャ)ちゃん……⁉」

 

「動くナ、オヤジ……ッ!」

 

 

 慌てて顔を上げる佐藤の方へは振り返らず、黄沙(フワンシャ)と呼ばれた少女は弥堂から目を離さない。

 

 

「ヘタ、打ったラ、殺されル……ッ!」

 

 

 発音は平坦だが硬く鋭い声音。

 

 弥堂へ警戒を剥き出しにする少女の頭の上の灰色の犬耳はピンっと前方を向き、その毛が逆立っていた。

 

 

 弥堂は少女をジロリと一瞥だけして、暴行中の大山に向き直る。

 

 

 大山はもう壁にもたれてグッタリとしていた。

 

 

 弥堂はジャケットで隠れた腰から黒鉄のナイフを抜く。

 

 

「お、おいおい、それは――」

 

「ダマレッ! オヤジッ!」

 

 

 流石に見過ごせないと動こうとする佐藤を黄沙(フワンシャ)が抑えつける。

 

 今度はそちらへ視線を向けないまま、弥堂は大山の前でしゃがみこむと、髪を掴んで無理矢理彼の顔を上げさせた。

 

 

「うっ……、ぅあぁ……?」

 

 

 意識朦朧な風に反応の鈍い大山のズレたサングラスに、ナイフの切っ先を引っ掛けて勢いよく上に引く。

 

 

「ひ――っ⁉」

 

 

 大山の顔はどこも切れてはいない。

 

 ただサングラスを弾き飛ばしただけだ。

 

 

 弥堂は髪を掴む力を強めて、大山の意識を自分へ向けさせる。

 

 それから彼の眼球にナイフの切っ先を近づけた。

 

 

「まだ元気じゃねえか。サボってんのか? あ?」

 

「や、やめ……」

 

「ナメたクチきいてんじゃねえよ三下が。殺すぞこの野郎」

 

「うっ、うぅ……っ」

 

「いいか、よく訊け。俺は――」

 

 

 目線を逸らそうとする大山の頭を抑えつけて至近距離から眼を合わせた。

 

 数cmの距離のお互いの眼球の間で黒鉄の先端がギラつく。

 

 

 

「――俺は抜かずに三発出せる」

 

「は……? あっ? えっ……?」

 

 

 

 理解不能な言葉に目を白黒させる大山の額をナイフの柄尻で殴りつけて彼を打ち捨てた。

 

 

「床でも舐めてろ、ゴミクズが」

 

 

 顔を抑えて蹲る彼の脇腹を爪先で蹴りつけて、弥堂は元の位置へと戻ってくる。

 

 

 通りすがりに倒れたローテーブルを軽めに蹴り上げて、元通りに立たせようとした。

 

 だがそれは上手くいかず反対側に倒れてしまったテーブルにイラついて、もう一発ガンっと蹴りつける。

 

 

「ひっ、ひぃぃぃ……っ⁉」

 

 

 自分の目の前にテーブルが倒れてきて、御影所長はか弱い悲鳴を上げた。

 

 そんな彼女の隣に弥堂はバフっと尻を落として、足を組むような仕草で振り上げた右足の踵をダンっと横倒しのテーブルの上に乗せる。

 

 

「座れ。話を聞かせろ――」

 

 

 そして当然のことのように、賓客へと命令をした。

 

 

 

 

 

「――び、弥堂君……っ! いきなりなにを……!」

 

 

 隣で声を荒らげる所長に弥堂は鼻を鳴らす。

 

 

「俺の実力が知りたかったんだろ? 望み通り見せてやったんだ。俺の力を疑っていた本人が全く問題にならない程度の実力――これで満足だろ?」

 

 

 その答えは所長へ向けたものではない。

 

 

「ははは。いやあ、強いねえキミ」

 

 

 倒れていたソファを戻して、対面に座り直した佐藤へ向けたものだ。

 

 佐藤の顔には元通りの笑顔が貼りついている。

 

 

「これはアドバイスだが。今すぐにSPを替えた方がいい」

 

「うん?」

 

「まず弱い。現場に身を置いて何の準備も出来ていない。感情で喚いているだけ。動物の鳴き声と一緒だ。そしてそれによって起こるであろう事態を予測できず、実際に対応が出来ない。下手をしたら護衛対象を危険に晒すだけだ。身を持って今知っただろ? 彼は素人だ」

 

「これは耳が痛いねえ」

 

 

 つらつらと述べる弥堂の言葉に佐藤は後ろ頭を掻いてみせる。

 

 そして、僅かに目を細めた。

 

 

「でも、ちょっとやりすぎじゃあないかなあ?」

 

「そんなことはない」

 

「本当かい?」

 

「あぁ。ちゃんと壊さないように気を遣ってやった。不倶もなければ生命に別状もない。ただ、痛いだけだ。根性があれば自分で歩いて帰ることも出来る。根性があればの話だがな」

 

「ふぅん……」

 

 

 その言葉を受けて、佐藤が背後の大山に目を向けると、彼は悔しげに目を逸らした。

 

 

「まぁ、それならいいか」

 

 

 佐藤は軽く流すことにしたようが、そうはいかない者もいた。

 

 弥堂の隣であたふたしていただけの御影所長がハッとする。

 

 

「そ、そうです――」

 

 

 ケガ人がいることに今更思い至ったようで、彼女はソファを立つとパタパタと大山の元へ駆けて行った。

 

 彼を介抱するためか、所長は床に膝をついて大山に手を伸ばす。

 

 

「大山さん、大丈夫ですか……?」

 

「お、おやめください……っ。触ってはいけません……!」

 

「そうは参りません。今暫しご辛抱を……」

 

 

 一言二言言葉を交わして、所長は自身のスーツの内ポケットに手を入れる。

 

 そして――

 

 

(あれは――)

 

 

 所長が何やら札のような物を取り出すところを、弥堂の眼が捉えた。

 

 

 さらに所長が口の中で何か呪文のようなものをモゴモゴと唱えると、札の文字に光が奔り、大山の身体に淡い光が灯る。

 

 やがて――

 

 

「も、申し訳ございません……っ」

 

「いいんですよ、大山さん。お気になさらないで」

 

 

――何秒か経つと、大山の苦しげな表情と顔色が若干和らいだ。

 

 

(――治癒……? あれがこいつらの魔術……いや、陰陽術なのか……?)

 

 

 その様子が、魔力の動きが、弥堂の魔眼に映り、そして記憶の中に記録されていく。

 

 ある程度まで見てから、こちらの興味関心を悟られる前に佐藤の方へ視線を戻した。

 

 

「――ということで、俺が勝ったから仕事を寄こせ」

 

「そういうルールだったかなあ……」

 

 

 強気に要求する弥堂に佐藤は惚けた笑みで返した。

 

 

「一番得意なのは“殺し”だ。言え。大体のヤツの首は獲ってきてやる」

 

「おいおい。オジさんは公務員さんなんだよお?」

 

 

 お互いに相手の態度を気に留めず、自分のペースを押し付けようとする。

 

 だがすぐに――

 

 

「面倒なことを言うな――」

 

 

 弥堂の方が強行に出る。

 

 

「国だか市だか知らんが、こんな寂れた探偵事務所に依頼だと? そんなわけがあるか」

 

「…………」

 

 

 実質的な話だけを好む彼の口から出る言葉を、佐藤は笑みを浮かべたまま慎重に待つ。

 

 

「どうせヤバイ案件(ヤマ)なんだろ? 人様には言えないような。さっさとそれを言え。効率が悪い」

 

 

 ギロリと怜悧な瞳を向けてくる彼の顔を見て、佐藤の方も決めたようだ。

 

 

「あははっ! 気に入ったよ! 戦闘技術よりもその察しの良さと、判断の速度が……! 随分と鼻の利くワンちゃんだねえ?」

 

「それは挑発か?」

 

「いいや称賛だよ! そして警告でもある……」

 

 

 弥堂はスッと眼を細めた。

 

 先程目の前で凶悪な暴力を奮った男を相手に、佐藤はヘラヘラとしながら、しかし堂々と交渉をする。

 

 

「ヤバイ話だって察しているのなら言うまでもないかもしれないけれど。これを聞いたら受けてもらうしかなくなるよ? なんせキミの言ったとおり、オモテには絶対に出せない話だ」

 

「それを早く言えと言っている」

 

 

 脅しのようなその言葉に、弥堂も1秒すら躊躇わなかった。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 無表情と笑顔。

 

 お互いに固定されたままの表情で視線を合わせる。

 

 

 すると――

 

 

 

「…………狂犬、メ……ッ」

 

 

 

 吐き捨てるようにボソっと呟いたのは、佐藤の隣に座る少女――黄沙(フワンシャ)だった。

 

 弥堂は無機質な瞳をジロリと動かす。

 

 

「犬かもしれんが狂ってはいない。依頼(めいれい)を果たす為に何でもする正常で優秀な犬だ――」

 

「…………ッ」

 

「今なら報酬次第でお前らの犬になってやると言っている。だが、思うようなエサを貰えなくて、気に喰わないことがあったら。即座に無能な飼い主の喉笛を喰いちぎる狂犬に為るかもな」

 

「こわいねえ」

 

 

 言葉は返さず、黄沙(フワンシャ)は犬歯を向いて喉奥を「グルルッ」と鳴らす。

 

 そんな彼女の代わりに、佐藤がペシンっと自分のおでこを叩いて笑った。

 

 

「弥堂君いけません。本当に危険なんです……!」

 

 

 すると、大山の介抱が終わったのか、弥堂の隣に戻ってきた御影所長が強く止めてくる。

 

 弥堂はジャケットの胸ポケットに入っている物を取り出して彼女へと渡した。

 

 

「これをやるから大人しくしていろ」

 

「なっ、ななななな……っ⁉」

 

 

 彼女は手にした物を見て目を剥いた。

 

 弥堂が所長に手渡した物は、この事務所へ来る道中にティッシュ配りのバイトから貰った風俗店のポケットティッシュだ。

 

 

「どどどど、どういう意味ですか……っ⁉ ここに体験入店に行けと⁉ わたし所長なのにぃ⁉」

 

 

 激しく動揺して詰め寄ってくる彼女を適当に手で押しやって、視線で佐藤に促す。

 

 佐藤は満足げに頷いて、話を先に進めた。

 

 

「今回お願いしたいのは、とある要人の護衛任務への参加なんだ」

 

「あっ、あああぁあぁ……、聞いてしまいました……っ。もう後戻りできません……っ」

 

 

 所長は隣に座る弥堂の太もものすぐ近くに両手をついて、ソファにおでこを付いて項垂れる。

 

 弥堂はそんな彼女の頭を掴んで自身の太ももの上に乗せた。

 

 

「ふむ……」

 

 

 そしてシームレスに艶のある彼女の黒髪を撫でながら思案する。

 

 

「あ、あの、弥堂君……? こ、こまります……っ」

 

「黙ってろ」

 

「あう……」

 

 

 意思の弱い女は強い言葉で命じられて、抵抗を躊躇った。

 

 

 弥堂は、こうすれば女は大人しくなるというルビアの教えの手応えを認める。

 

 相手はただ困惑しているだけなのだが、こうしてノンデリ男の勘違いは補強されていく。

 

 

 それはそれとして、思考を戻す。

 

 

 対面に座る佐藤の向こう側で、床に膝をついたままこちらを見て何故かギョッとしている大山のことは無視する。

 

 考えるべきは三下SPのことでも、このやたらと手触りのいい髪をした女のことでもなく、目の前の肥満体系の中年男のことだ。

 

 

(こいつ、見た目ほど無能じゃない……)

 

 

 人の好さそうな笑顔で人畜無害を強調する役人への認識を改める。

 

 この男が愛苗ちゃんに売春の交渉を持ちかけていたことは忘れていない。

 

 

 しかし、終始柔らかい物腰、腰が低く、常に下手に出る言葉選び。

 

 意識をしていないと容易くこの男を侮ってしまう。

 

 侮らせるためのこの立ち振る舞いなのだ。

 

 

 この手のタイプの役人が一番怖い。

 

 弥堂はかつての経験でそれをよく知っている。

 

 

 決して侮りはしない。

 

 だが、決して恐れもしない。

 

 

 上手くやれば金を巻き上げることも出来るかもしれない。

 

 しかしそれよりも――

 

 金よりもよっぽど価値のあるモノを得られるかもしれない。

 

 

 ルビア・レッドルーツに与えられた傭兵としての流儀と知識、そして経験。

 

 それらから培われた嗅覚に引っ掛かるモノがあった。

 

 だから――

 

 

(――内容はどうあれ、この依頼(シノギ)は“受け”だ)

 

 

 そう決め打ちをする。

 

 

「聞かせろ」

 

「ふふふ……」

 

 

 不遜に言う弥堂に佐藤は微笑み、そしてようやく依頼内容を開示した。

 

 

「護衛対象は福市 穏佳(ふくいち しずか)、日本人女性だ。アメリカの軍関係者と協力して、彼女を約2日間護衛して欲しい」

 

「知らない名前だな。有名人なのか?」

 

「いや? 彼女は有名人ではないよ。“まだ”有名じゃない」

 

「まだ?」

 

「これから有名になる予定の人なのさ」

 

 

 不可解そうに眉を寄せる弥堂に、佐藤は楽し気な口調で説明する。

 

 

「彼女は日本生まれ、日本国籍の日本人。だけどアメリカの大学で博士号を取得し、アメリカの研究機関に勤めている」

 

「研究、要人……。なんかヤバいモンでも作っちまったのか?」

 

「そのとおりさ! とんでもない大発見! 世紀の大発明だよお!」

 

「“まだ”有名じゃない……。そういう意味か。オモテに出せないのか」

 

「そうなのさ! 量産体制と防衛体制を整えるまでは、迂闊に公表できないような代物を彼女は作ってしまったんだあ」

 

「それはロクでもねえな」

 

 

 佐藤はニチャアと粘り気のある笑みで表情を歪めた。

 

 弥堂は表情を動かさずに、すぐに肝心な部分に踏み込む。

 

 

「それで? どんな厄物を生み出しちまったんだ?」

 

「フフフ、それはね――」

 

 

 佐藤はこれまでずっと糸のように細めていた瞼を開ける。

 

 その中の目玉は全く笑っていなかった。

 

 

 

「彼女が発明したのは“賢者の石(アムリタ)”……不老不死の薬さ――」

 

 

 

 弥堂は眉間を歪め、目を細める。

 

 

 本当にロクでもねえな――と、心中でもう一度繰り返した。

 

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