俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章17 cracked chemistry ⑥

 

 仕事を頼む者、仕事を受ける者。

 

 

 向かい合って座り、商談が始まる――

 

 

 

「――まず。“アムリタ”って聞いてピンっとくるかい?」

 

「アムリタ、ね……」

 

 

 佐藤の問いを受けて、弥堂は記憶を探ってみる。

 

 

 言葉自体には聞き覚えがあるような気がする――と、考えているとすぐに思い出せた。

 

 

 弥堂の所属する部活動の長である廻夜 朝次(めぐりや あさつぐ)部長。

 

 彼に資料として渡された漫画や小説、それにゲームにアニメと、いくつかの作品の中でそれは登場していた。

 

 それのどれもが似通った設定だったので、“アムリタ”がどういうモノなのか、大体の見当がつく。

 

 

 すると、それらよりももっと以前の記憶にも引っ掛かるものがあった。

 

 

 それは弥堂が異世界に転移してしまうよりも以前の、普通の中学生である“クソガキ”だった時の記憶だ。

 

 彼が嗜んでいた漫画やアニメにもアムリタが登場しており、なにより彼が手ずから編纂した黒魔術書の中に記されたページの一つには、“アムリタ”を媒体として伝説の英霊を召喚する禁呪も――

 

 

「――物語での話なら、少しはわかる」

 

 

 弥堂は記憶の再生を強制終了し、コクリと佐藤へ頷いてみせた。

 

 

「あぁ、大丈夫。今ボクが話しているのも物語に登場する“アムリタ”のことだよ」

 

 

 佐藤も満足げに頷いてみせる。

 

 弥堂はあの黒魔術書という名の大学ノートが現存しているのかどうかが無性に気になったが、努めて思考から追い出し佐藤の話を聞く。

 

 

「古代のインド神話だね。仏教とかヒンドゥー教で伝えられている不老不死の霊薬や賢者の石、それが“アムリタ”だ」

 

「国家間のトラブルじゃなくて宗教の話なのか?」

 

「うーん……、細かい話にして源泉を辿っていくとバラモン教だのゾロアスター教だのまで出てきちゃうけど、今回はそこまでは気にしないでいい。これは国として対処すべき問題であり、現代において現実的に絡んでくるのが仏教やヒンドゥー教ってことだ」

 

「そうか。勉強は苦手だから助かるよ」

 

「とりあえず、今言った神話のアムリタを、今回の“賢者の石(アムリタ)”の前提知識として覚えておいておくれ」

 

 

 佐藤のその言い様に弥堂は眉を寄せる。

 

 

「妙な言い回しだな?」

 

「そうかい?」

 

「神話のアムリタと、今回問題になっている“アムリタ”。それらは別物のように聞こえる」

 

「ふふふ……」

 

 

 佐藤は感心したように笑った。

 

 

「その通りだよ。その二つはまるで別物さ。いいね。良い理解だ」

 

「おべんちゃらはいい。進めろ」

 

「お世辞じゃないんだけどなあ……」

 

 

 困ったような仕草だけを見せて、佐藤は続ける。

 

 

「まず今回重要となる“賢者の石(アムリタ)”と、福市 穏佳(ふくいち しずか)博士。この二つは分けて考えよう。順番に説明するよ」

 

「あぁ」

 

「まず本件における“賢者の石(アムリタ)”。これは神話にあるアムリタをどこかの遺跡から発掘しただとか、文献を基に再現しただとか――そういう話じゃあない。ただ、その名に(あやか)っただけなんだ」

 

「アムリタを作ろうとしたわけじゃないが、出来たものにその名を付けた。ということは――」

 

「――そう。不老不死の薬が出来てしまったから、『あれ? これアムリタじゃね?』って感じで名前を貰ったのさ」

 

「そうか。わかった」

 

 

 弥堂は大して興味なさそうに相槌を打ち、質問を投げかける。

 

 

「というか、本当に実現したのか? 不老不死が」

 

「ふふ……、そんなのもちろん――していないよ?」

 

「……だろうな」

 

 

 当然のことのように言う佐藤に、弥堂も同様に頷く。

 

 

「現時点では完成していない。だけど、不老不死に辿り着く可能性がある。それもお金も権力もある大人が大勢血眼になるくらいの現実味を持って。それが現時点でのその薬のフェアな評価だね」

 

「そうか」

 

 

 軽く答えながら、弥堂は内心で息を吐く。

 

 

 護衛任務だという話だが、“ナニから”守るのかをまだ聞いていない。

 

 仮に不老不死の薬なんて代物が本当に完成してしまっていたのだとしたら、戦う相手が“ナニ”になるのかは容易に想像出来る。

 

 その場合は報酬が高額だったとしても非常にワリに合わない依頼となるから、とりあえず一安心といったところだ。

 

 

「これは半分は偶然の産物なんだよ」

 

「半分?」

 

 

 佐藤は“賢者の石(アムリタ)”の説明を続ける。

 

 

「元は新たな医療薬品を開発していたんだ。人類全体の生活を良くするような――そんな病気の治療薬を。そうしたら……」

 

「……そういうことか。うっかり成功してしまったんだな」

 

「そう! まったくをもって、“うっかり”にもね……! 一部成功してしまったのさ」

 

 

 何もかもに疎い弥堂にも、少しだけ話が見えてきた。

 

 しかし、それは彼の表情や仕草にはまったく表れない。

 

 佐藤は不思議そうな目を弥堂へ向けた。

 

 

「それにしても、何を聞いても驚かないんだね?」

 

「あ?」

 

「不老不死の薬。実はそれが完成してない。なのに狙われる。特別疑問を感じないのかな?」

 

「どうでもいいな。俺には関係ない。それに――」

 

「うん?」

 

「――そんなモノが完成するわけがない」

 

「おや? そう思うかい?」

 

「当然だ。『世界』が許さない」

 

「そうだね。世間様がそんなこと許すわけがないよね。人々にとっていいことのはずなのにね」

 

「…………」

 

 

 弥堂は頷くフリをして僅かに顔を俯ける。

 

 そして前髪の隙間から佐藤の表情を窺った。

 

 彼は話の前後と変わらぬ笑顔を浮かべたままだ。

 

 

(腹芸か……?)

 

 

 少し疑って、すぐにそうではないと考えを切り捨てる。

 

 彼らの知識にはないのだと――そう判断することにした。

 

 

「じゃあ次に。何故アメリカの研究機関で開発された未完成の眉唾物の話が、日本のボクらのところまで回ってきたかを説明しよう。その為に、博士――福市 穏佳(ふくいち しずか)氏についてお話するよ」

 

「あぁ」

 

 

 話が進み、より引き返せない階層まで足が沈む。

 

 

「本名、福市 穏佳(ふくいち しずか)、26歳。日本で生まれ育ち、アメリカの大学に進学するために留学。卒業後は在学中に所属していた研究室からの延長で、アメリカ政府下のある研究開発機関に進む」

 

「…………」

 

 

 基本的なプロフィールは適当に聞き流す。

 

 興味が無いし、聴こえてさえいれば後で必要になった時にいつでも記憶から引き出せるからだ。

 

 

「彼女はガンの治療薬を研究していた。それを開発するためにその進路を選んで渡米した」

 

「ガン……、不老不死……」

 

「そう。似て非なる――だね。同義ではないけど、ある意味同じモノとも謂える」

 

「つまり、不老不死になればガンになっても死なないという答えに行き着いたのか?」

 

「あはははっ、それはいいジョークだ! キミは面白い発想をするね。恐ろしいとも謂えるけれど。でも、そうじゃないよ。研究に没頭するあまり頭が狂ったわけじゃない。彼女は至極真っ当な研究者さ」

 

「じゃあ、どうしてそんなことになったんだ?」

 

 

 冗談を言ったつもりではなかったのだが、訂正する意味も見出せなかったので先を促す。

 

 

「専門的なことはオジさんも門外漢だから、ざっくりと話すよ?」

 

「あぁ」

 

「福市博士はガンの治療に効果があると思われる成分――それを抽出できる植物の品種改良を任されていた。そこで彼女は特殊な植物の開発に成功した」

 

「それがガンを治したのか?」

 

「いや、ガンには効かなかった。だけど、ヒトの生命力の活性化に成功したんだ」

 

「生命の活性化……?」

 

「そうだ」

 

 

 佐藤は深く頷く。

 

 弥堂は首筋の髪の生え際にチリチリと焦げ付くような感覚を覚えた。

 

 危険の薫りだ。

 

 

「被験者の体力や筋力の増強。“うつ”の改善。劇的なアンチエイジング。ようは服薬した人が“元気”になるんだ」

 

「元気、ね……」

 

「次の段階で衰弱した患者に使用してみた。すると容態を持ち直したんだよ」

 

「へぇ。だが、それでは不老不死とは――」

 

「そうだね。程遠い。だけどその効果があまりに目に見えるカタチで表れるものだから、可能性を感じることは禁じえない」

 

「言いたいことはわかるが」

 

「大袈裟すぎるって?」

 

 

 頷く弥堂に、佐藤は授業でもするかのような調子で話す。

 

 

「ここからは現代的なビジネスの話だ」

 

「ビジネス?」

 

「うん。その“半分”成功した実験結果を聞きつけた人たちがいる。もっと進めろ。必ず成功させろと、血眼になる人たちだ」

 

「金持ち連中か?」

 

「正解。古くからのお歴々だろうと、成金だろうと、財を抱えて人生一区切りつき、必死になって働くこともなくなった人たちが残りの人生で考えることと言ったら?」

 

「ロクなもんじゃねえな」

 

 

 辟易とした答えを返しながら、しかし酷く納得もいってしまう。

 

 

「より正確にいうと、彼らは聞きつけたわけじゃない。彼らを唆して投資を促したい者たちがリークしたのさ。夢を見せて、財を吐き出させるために」

 

「だけどその金で研究は加速する」

 

「そうだね。あともう少し、メディアを通じて世界に発信できる段階まで進めば、さらに世界中の資産家や企業からの投資も集まる。だけど、その前に……?」

 

「……知る人間が増えて規模が拡がれば、スパイが入る」

 

「いいね。その通りだよ」

 

 

 依頼内容を説明しながらこちらを値踏みしてくるような佐藤の態度に、弥堂が特に不快感を覚えることはない。

 

 弥堂としても、仕事を受ける側として、この場は売り込みの機会なのだ。

 

 

「ここでミソになるのが、『アメリカ政府直下の研究機関』ってところだ。つまり、そこで完成したものはアメリカ政府の利権となる。となると、今回の敵は?」

 

「……ロシアと中国?」

 

「うん、それと一部の油の国に、アメリカ政府と仲の悪い国内の大企業のいくつかもだけど、今回のメインはその2国だと思ってくれ」

 

「わかった」

 

「まぁ、表立ってアメリカと敵対していなくても、このままだと完成後に足元を見られるのは確定してるわけだから、他の国にとっても他人事じゃない」

 

「日本も」

 

 

 佐藤はそれには答えず、ただ笑みを深めてみせた。

 

 

「だから、一人の博士を要人としてアメリカの軍人と特殊組織がガードに付き、それを他国が狙い、ボクたち日本も関わる。こんな話になったのさ」

 

「直接的に強奪に来るのか? そんなことをしたらその後タダでは済まないだろ?」

 

「もちろん。大々的な戦争にするわけにはいかない。だから今回投入されるのは所属不明、国籍不明の使い捨ての戦力。欲に目が眩んだ暴徒たち。そういう設定なんだろうね」

 

「中国やロシアの軍が来るわけじゃないのか。だが、そんな寄せ集めで成功するのか?」

 

「ふふ、成功には何段階かのラインがあるんだよ」

 

「ライン?」

 

 

 佐藤は弥堂の前で指を一本立ててみせる。

 

 

「まず彼らにとっての大成功。これは博士本人と“賢者の石(アムリタ)”の現物の強奪の成功。しかし、これはキミの言う通りあまり成功率が高くない」

 

「…………」

 

「だから、現実的な成功のラインがもう一つある……」

 

 

 佐藤は立てる指をもう一本増やす。

 

 

「派手な騒ぎにする。世界中の目に留まるような大惨事に。そして“賢者の石(アムリタ)”の存在を明るみに出すのさ」

 

「つまり、今回起こるのは戦争ではなく、テロということか」

 

「そうだね。大騒ぎにして、彼らの準備が整う前に事を明るみにする。そしてデマと工作を駆使してメディアに彼らを非難させる。長生きを独占しようとしたってね。次は貿易で制限をしたり色々数字にイタズラをして、これはアメリカのせいだってことにする。そうやって外国からの投資を削るのさ」

 

「難しい話だな」

 

「この手のことは日本も何度かやられているから覚えておくといいよ。自動車だったりコンピューターだったりでね」

 

「実感がないな」

 

「じゃあ例の研究機関だけに絞ろう。お金が減ったらどうなると思う?」

 

「研究が進まなくなる……?」

 

「そう。だけど目的は研究を潰すことじゃない。完成させるまでの時間を引き延ばすことだ」

 

「引き延ばす?」

 

 

 怪訝そうな顔の弥堂に佐藤は手を下ろしてから、喋る速度を緩めた。

 

 

「そう、引き延ばす。敵方からしても最終目標は“賢者の石(アムリタ)”の独占。そこは見失ってはいけない。だからアメリカの研究速度を遅くさせればその間に何ができる?」

 

「スパイを増やすのか?」

 

「そうだね。彼らのお家芸だ。スパイを増やし、中核の人間とコンタクトをとり買収して引き抜く。同時にスパイ自身にもレシピを学ばせる。ある程度引き抜けば今度は自国にも同様の研究機関が作れる。そうしたら同時進行で研究を進められる」

 

「だったらそれを今すぐにやればいいんじゃないのか?」

 

「建前が必要なのさ。何の理由もなく圧力はかけられない」

 

「面倒だな」

 

「大人ってのはそういうもんだよ」

 

 

 弥堂のような異世界にドロップアウトしたチンピラには縁遠い話だが、それは確かにそうだなと肩を竦めてみせる。

 

 

「そうして10年、20年かけている間のどこかで左翼側の誰かが大統領の椅子をとれば一気に物事が進められるだろうしね」

 

「随分と悠長な話だな」

 

「それもそういうものなんだよ。例えば共産主義なんかだと『暴力だ!』『革命だ!』『流血だ!』なんて短絡的なイメージがあるかもしれないけれど、それは末端だけで。その実、彼らの大元はとても気が長い。たった一つの工作に何十年だってかけていたりして、さらにそういった工作を同時にいくつも展開している。侮るべきじゃないよ」

 

「それは怖いな。だが、そうしている間に自分が死んじまうんじゃないか?」

 

「はははっ! それは否めないね。なんせ自分たちで仕掛けた少子化工作の煽りで、自分たちも高齢化してしまっているからね。彼らだけじゃなくどっかの王族や資産家の人たちだって同じ気持ちだろうさ。継承できる人間が減っていくんだから。だから――」

 

「……そうか。だから必ず手にしたくなる」

 

「――そう。不老不死を……」

 

「その為の手段は問わない」

 

「これはそういう話だ」

 

 

 会話に間が出来ると、部屋の空気が重くなっていたことに気が付く。

 

 隣で、膝枕中の御影所長が胃のあたりを押さえたような仕草をした。

 

 

「まぁ、今のは予測さ。オジさんだったらそうするかもって。裏の取れている話じゃない」

 

「だが妄想や杞憂で済ませるわけにもいかないということだな」

 

「そのとおり」

 

 

 しかし、話している本人たちだけは全くそれを気にもせずに、会話を続ける。

 

 

「じゃあ、そんな恐ろしい攻防の舞台として、何故今回日本が選ばれたかだけど」

 

「あぁ」

 

「クローズドな講演会と、諸々の手続きの為に、今回秘密裏に福市博士が日本に来訪するんだ」

 

「そうか」

 

「来訪っていうのは変だね。正確には帰国だ」

 

「もう来ているのか?」

 

「いいや、まだだ。でも、本来ならもう着いているはずだった」

 

「はず?」

 

「襲撃を受けたんだよ。道中で」

 

 

 既に始まっている話なのだと知らされる。

 

 

「機関内でオープンになっている博士のスケジュールに合わせてダミーの専用ジェットを飛ばした。だけど、実際はその何日も前にアメリカを発っている。海軍の艦でね」

 

「それが漏れていた」

 

「そのようだね。日本近海に入る手前の海上で襲撃を受けて、撃退には成功した」

 

「博士は?」

 

「もちろん無事。軍用艦をこれみよがしに海上で奔らせておいて、博士を乗せた潜水艦がこっそり着いていく。出発直前で潜水艦の方にサプライズで変更をさせた。そのことを知っている者を制限していたから、そこまでは漏れなかったみたいだ」

 

「いっそそこまで漏れていたらスパイが絞れたのにな」

 

「まったくだね!」

 

 

 あっはっはと――可笑しそうに佐藤は笑うが、御影所長は「笑えない冗談です……」とボソッと呟いた。

 

 もちろん冗談のつもりではなかったので、弥堂は小首を傾げる。

 

 

「元々、艦は横須賀の基地に入港する予定だった」

 

「素直に向かえなくなったか」

 

「うん。だから本隊といえる艦を囮にしてそのまま横須賀に。博士は海上でこっちが用意した偽装船に乗り換えさせて、護衛と一緒に別の港に入る」

 

「あぁ……、そういうことか」

 

「そう。そういうことだ」

 

 

 弥堂が察したことを確認し、佐藤は頷いた。

 

 

「自衛隊だの警察だのが出るような話じゃないのか? いっそのこと大量に動員したらどうだ?」

 

「それが出来ないんだよお」

 

「出来ない……? そうか。大袈裟なことにすると、大騒ぎになるのか」

 

「そうなんだ。それにアメリカ様のメンツもあって、ボクらが主導権を握れない。ボクらの国なのに」

 

 

 佐藤は首を動かさずに背後の大山の方へ視線を動かす。

 

 そのことで、どういう意味なのかが弥堂にも理解できた。

 

 

「つまり、とある地域に滞在する間、護衛の頭数が必要ってことだな?」

 

「そう。目立たない程度で、またあちらの面子を潰さないような人員で。彼らとともに、とある地域に滞在してから基地に移動するまでの期間内の護衛への参加。それが依頼だ」

 

「なるほど」

 

「予定では2日間。出来ればそのケツ何日かは空けておいて欲しい」

 

「わかった」

 

 

 弥堂は躊躇なく頷き――

 

 

「――日時と場所、それから報酬を聞かせろ」

 

 

――自分にとって重要な質問へ移る。

 

 

「おや? 勇ましいね。少しも恐れないのかな? 期間中は何があってもおかしくないよ?」

 

「何も問題はない。他にも確認したいことがいくつかあるんだ。無駄なやりとりは省こう」

 

 

 効率よく物事を進めようとするが――

 

 

「――弥堂君……っ!」

 

 

 ここまで膝枕で大人しくしていた御影所長がガバっと勢いよく起きた。

 

 

「いけません! これは危険な犯罪組織やテロリストが相手ですよ⁉」

 

「だろうな」

 

「ここまでの話になるともはや探偵の受ける仕事ではありません!」

 

「安心しろ。俺が個人的に受けるだけだ。俺は探偵ではないからな」

 

「そういう問題では――」

 

 

 所長が尚も言い募ろうとした時――

 

 

「――報酬は手付で300万円。プラス成功報酬だ」

 

 

 それを遮るように佐藤がテーブルに札束を3つ積んだ。

 

 弥堂は感心したようにその金を見下ろすが、所長は顔を青くする。

 

 

「へぇ、ずいぶん羽振りがいいな」

「あわわわ……っ」

 

「命懸けの仕事としては安すぎるくらいだよ」

 

「そんなに人材不足なのか?」

 

「ちょっと別件で立て込んでいるのもあってねえ」

 

 

 佐藤からの意味ありげな視線を弥堂は受け流す。

 

 弥堂がどうあっても受けるつもりであったのと同じように、あちらも絶対に受けさせる心づもりのようだ。

 

 

「少ないけど、このお金はボクのポケットマネーだ。厳密には違うけれど、そういう風に捉えてもらってかまわない。そういうお金だ。意味がわかるかい?」

 

「記録に残らない金だ」

 

「ふふ、いいね。オジさんキミのことが好きになりそうだよ」

 

「あ、あわわわ……っ、私の事務所が犯罪的な取引現場に……っ」

 

 

 所長は顔色を悪くしているが、二人ともそれを無視して契約を纏めにかかる。

 

 

「で? 成功報酬は――」

 

「――まってください!」

 

 

 しかし、所長も頑張って食い下がってくる。

 

 彼女は彼女で、どうしてもこの仕事を弥堂に受けさせたくないようだ。

 

 

「こんなの認めませんっ! こうなったら私が――」

 

「――チ、うるせえな」

 

「キャアァーーッ⁉」

 

 

 いい加減に鬱陶しくなってきた弥堂は、無造作に伸ばした手で彼女の胸倉を掴むと、力づくでブラウスのボタンをいくつか引き千切る。

 

 

「金が欲しいんだろ? 分け前はくれてやる」

 

 

 そして露わになった彼女の胸の谷間に、テーブルから掴み取った札束の一つを捻じ込んだ。

 

 こんな場末で探偵事務所を営んでいるとはいえ、元々は良家の子女である御影所長は、経験したことのない侮辱行為にプスンっと音を立ててフリーズする。

 

 佐藤の背後の大山が泡を吹いて白目を剥くのをチラリと見て――

 

 

「悪かったな。続きを」

 

 

 そして何事もなかったかのように続きを促す。

 

 

「キミ無茶するねえ。オジさんの若い時でもオフィスでこんな無茶は――」

 

「――続きを」

 

「コホン。じゃあ、成功報酬についてだけど――」

 

 

 それが弥堂にとって最も訊きたい話だ。

 

 

 しかし、それが語られる前に。

 

 先程弥堂がこの部屋に入ってきた時と同様、突然応接室のドアがバンっと開かれた。

 

 

「ちょっと待ったァ……!」

 

 

 新たに現れたその声に反射的に会話が止まる。

 

 部屋の中の全員の視線がそちらへ動いた。

 

 

 

「そのシゴト、ボクにも一枚噛ませてよッ!」

 

 

 

 キャップを深く被って顔の見えない、若くて、華奢な体躯の男――

 

 部屋に乱入してきたのは、そんな印象を受ける人物だった。

 

 

「えっ? えっ? なっ……?」

 

「…………」

 

 

 大事な会談中に次々に現れる乱入者に御影所長が泡を食っている横で、弥堂はスッと眼を細める。

 

 

 その視線の先で、乱入者が口元だけで不敵に笑う。

 

 

 頭の後ろで結んでいるのであろう長い髪が、細長い尻尾のようにうねりと揺れた。

 

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