(絶対訊いちゃいけないことだったなぁ、あれ)
『――そうだな。そういうことなら、キミの言うとおりエルフィは俺の彼女なのだろう』
(あいつもあんな顔すんのね…………そりゃそうか……)
私欲と興味本位で訊いただけの問いに彼が答えてくれた瞬間のことを思い出す。
(まぁ、あんな顔って謂っても――)
――あの時の弥堂の顏は別にいつもどおりのものだった。
いつもどおりの無表情で平坦な声で、野に咲く花を見て『これは花だ』とただ見たままの事実を告げるだけのような、いつもどおりの調子だった。
しかし、希咲は何故かあの時の彼の、いつもどおりの色のない渇いた瞳の奥に――その向こう側に『なにか』を見たような気がした。ほんの一瞬言語化のできないものが燻りゆらめいた気がした。
科学的な証拠も論理的な根拠も何もない。
だが、感受性が強く共感能力の高い彼女は、時折感じとるこのような直感めいた勘を外したことがなかった。
だから、自然と希咲は『そうである』と思ってしまった。
(傷つけた――とまではいかないだろうけど……)
だから許されるというものでもない。
(せっかく上手くやってけるかも、って思ったのになぁ……)
『キライだしムカつくけどちょっとおもしろいヤツ』
初めて弥堂と直接に関わりをもって、彼という人物の印象を実体験から得た情報でそのように上書きをしたばかりだった。
その矢先だったのに。
何を言っても動じないし、向こうもこちらの悪口雑言と同等かそれ以上のヒドイ言葉を投げ返してくるので、何をしても『おあいこ』でいられると、だから大丈夫だとなんとなくそう思ってしまった。
それを認めるのはまるで自分が浮かれていたみたいで、酷く業腹で口惜しいのだが――
(――チョーシのりすぎたな……)
心から反省をする。
省みるのは無神経に彼の内面に踏み込んだことだけではない。
それよりももっと希咲の心を苛むのは、あの時の弥堂の瞳の奥に『終わり』を感じ取ったことで自身の内から湧き上がった利己的な悦びだ。
自身の親友である水無瀬 愛苗が、もしも本当に弥堂 優輝のことを好きなのであれば――
彼に今現在恋人が居ないのは酷く都合がいい――
――希咲 七海はそのように悦んでしまった
もちろんそれが最も大きな感情でも感想でもないのだが、あの時確かに自分はそのように感じてしまった。それは誤魔化しようのない事実だ。
「ホント、サイッテー……」
囁くように毒づく。
(謝るわけにも……いかないわよね)
謝らなければ。もしくは謝りたい。
そのように思うのは、傷つけてしまったかもしれない彼のためではなく、きっと自分の後ろめたさや罪悪感を帳消しにして、自身の過失をすらなかったことにしたいからだ。
無神経に踏み込んだことを悪いことだと思うのならば、もうこれ以上は触れるべきではないのだ。
普段の彼の他人との距離のとり方を考えれば、きっとそうされることを強く嫌うはずだ。
だから、気付かないフリをした。
軽口を叩いてトイレに逃げた。
そして、気付かないフリをしたまま彼のところへ戻るのだ。
それでいいはずだ。
しかし、逆にそう思ってしまうことが、そう考えてしまうことこそが自身の過ちを認めず向きあうこともしない不誠実な――
「――あーーっもうっ! やめやめっ!」
手間暇かけて整えている髪が乱れるのも構わずに、ガシガシと両手で雑に頭を掻き毟りながら顔をあげる。
その勢いに任せて、コイントスのように答えが裏返り続ける思考のループを断ち切る。
(――それこそ、自分の悪癖にあいつの事情を利用すんなってね)
深呼吸をするように息を吐いて気分を切り替える。
(てか、でもまぁそうよね…………そうなっちゃうわよね)
切り替えた気分で、先程訊いた弥堂の事情をライトに思う。
(マジでボサツさまだったとしても、『アレ』とは付き合ってらんないわよねぇ)
意識的な切り替えだが、明るく軽く考えてみる。
(たぶん、こっぴどいフラれかたしたんだろうなぁ……あいつふつーに頭おかしいし)
ある意味こちらの方がよっぽど失礼な詮索なのだが、同じ女性の立場から件のカノジョさんの境遇や気持ちを考えてみると、どう考えてもそういうことになる。
100人に訊いても100人が同じ回答をするだろう。
(さて。髪もメイクもなおしたいとこだけど、せめてものお詫びに少しでも早く戻りますか)
自分にとっての一番大事な用件を済ませようと制服ブラウスのボタンに指を伸ばそうとしたら――
「――うっ」
腰が小さくぶるりと震えた。
失礼な想像をした罰があたったのか、散々弥堂に疑われていたとおりの問題がその身に起こる。
「…………うぅ……」
腰に感じた冷えとは裏腹に、首元に熱が灯る。
あれだけ無神経に弄られ続けて、あれだけ強く否定し続けたのに、結局彼の言うとおり――というのが大変悔しい。そして何故だかそれ以上にひどく恥ずかしくもある。
しかしこうなってしまってはもう仕方がない。
希咲は腰を浮かせると学園の指定制服であるプリーツスカートの両サイドから左右それぞれの手を内側に入れる。お尻とゴムとの間に人差し指をひっかけるように挿し入れ、それによって出来た隙間に今度は上から親指を入れる。
そしてひと思いに下着を下ろして便座にお尻をつけた。
「はぁ」と、自分に対して呆れるような溜息を漏らす。
すると自然と顏が下がり、まるで手錠のように両膝に引っ掛かっている、今しがた自分で下ろしたばかりの下着が目に映る。
「――――――っっ!」
反射的に強く息を呑んだせいで引き攣ったような声が喉から漏れた。
カァァっとそんな音が聴こえるような気がしたのは、驚きと羞恥で急速に身体中にいきわたった熱に、どうしようもなく顔を紅潮させ瞼に涙を滲ませてしまったことを自覚させられたからだ。
思わず隠すように、両膝の間に両手を突っ込んでそれを握りしめ、目に入らないようにする。
そんなことをしても起こってしまった事実はなくならないのに。
顔を伏せて羞恥を堪えるように「むーー」と悶えるような声を出してから――
「――ああぁぁっ! もうっ!」
振り切るように立ち上がる。
そして左右の膝をそれぞれ順番に一回ずつ上げた。
「ふぅ」と陰鬱に溜め息を漏らす。
とても業腹で認めたくないが、先に教室に寄って荷物を持ってこれたことが幸いした。決して感謝はしないが。
「ほんと…………最低……」
悔恨の声は今なら誰にも聴かれない。
静まった廊下に金属部品が擦れギィギィと軋む音が鳴っている。
法廷院たち『
車輪の回転に合わせてガシャコンと壊滅的な異音が響く。
「いやぁ~、敗けた敗けた。今日もいい感じに敗けたねぇ。ナイス敗北!」
口ぶりとは裏腹にどこか朗らかな調子だ。
「いやぁ、でも代表。今日はなんだかんだ余裕でプラスじゃないですか? 多分もう死んでも見れないようなもの見れましたし。へへ」
「キミも好きだねぇ、西野くん」
「お恥ずかしい限りです」
何かしらの満足感を得たと申告する同志を見て、リーダーである法廷院も嬉し気だ。彼らの会話を聴きながら本田もどこか夢見心地な様子で車椅子を押しており、白井は我関せずとスマホを見ながら少し離れた場所を歩く。
「しかし代表。希咲さんは圧倒的優勝でしたけど、弥堂は大丈夫ですか? 僕ら普通に明日から狙われたりしません?」
「ん? あぁ、それなら多分大丈夫だよぉ。ボクの予想が正しけれ――」
一転して不安を滲ませた表情で尋ねる西野に法廷院が自身の見解を述べようとした時、それを遮るように愛と勇気が詰まっていて希望を見せてくれそうな感じの軽快なメロディが流れる。
「おや、この着信音は――」
――魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパークのテーマだ。
魔法少女プリティメロディ。
毎週日曜日の朝に放映されている公式には女児向けとなっているアニメ番組で、もう20年近くもシリーズが続いているご長寿コンテンツである。
通称プリメロ。
魔法少女プリティメロディ☆フローラルスパークはその第12代目の作品である。
ロングヒットシリーズとはいえ、さすがに10年ほどでマンネリ化しその人気にも陰りが見え、このまま終わってしまうのでは――とファンの間で存続が危ぶまれていた時期に、その息を吹き返すきっかけとなった制作陣の乾坤一擲の作品である。
今ではシリーズ最高傑作との呼び声も高く、新作がリアルタイムで配信されている最中でも絶えず再放送が途切れることなく放送され、映画版や2期目3期目などの続編が足され続けているキラーコンテンツなのだ。
甘ロリ風味な変身衣装でちっちゃな女の子たちからおっきなお友達にまで大人気であり、常にプリメロシリーズの沼に多くの人々を放り込み続け、プリメロといえばフロスパと、シリーズの看板となっている。
「代表、スマホ鳴ってますよ」
西野は気を遣い法廷院に電話に出るように促すが、彼は動かない。
「まだだ…………まだ早い……」
着ソンはイントロから始まりAメロを経て、今はBメロに差し掛かっている。次はサビだ。
ちなみに着ソンとは着信ソングの略であり、着信すると歌が流れるサービスだ。最近はあまり使っている人を見ない。
スマホをマイクのように持った法廷院は肩を揺すってBメロ最後の8小節のビートを刻むと、サビが始まる直前でスマホの通話ボタンをタップする。
「はいはーい、ボクだよボクぅ! え? 詐欺? そんなわけないじゃないかぁ。だってそうだろぉ? 掛けてきたのはキミの方なんだから」
サビを奪われた西野と本田はどこか心に物寂しさを感じ、しょんぼりしながら静かにする。
「――で? 一体何の用だい? うん…………。あぁ、それならちょうど今さっき終わってこれから帰るとこだよ。うん…………。なぁに、気にするなよ。ボクとキミとの仲じゃあないかぁ」
人気のなくなった廊下には半壊した車椅子が鳴らす異音と、通話中の法廷院の声だけが響く。
「――てことで、大体言われたとおりにしてきたよ。キミの目的がわからないから問題がないかどうかまではボクにはわからないけどねぇ。まったくいつもいつもキミは『不公平』なんだよぉ」
意識して聴いていたわけではないが法廷院の話しぶりから、先程の希咲との会話内容が想起され、西野と本田は顏を曇らせた。
「――じゃあそういうことで……え? なに? 余計なこと? もちろん言ったよ? 言ったに決まっているじゃあないかぁ。だってボクだぜぇ? そんなの当たり前だろぉ?」
言いながら法廷院は頭をガシガシと掻き、どこか苛立ったような、でもどこか楽しそうな、そんな表情を浮かべる。
そしてやがてその目に挑戦的な色を灯した。
「一応ボクはキミの味方だよ。トモダチだからね。だから基本的には無条件でキミの側に立つ。だけどね――」
言葉を切ると同時に足を止める。
「――だけどね。あんまりにもキミが『ひどいこと』をしようってんなら、ずっとそうであるとは限らない。トモダチの味方をするかどうかは理性では考えない。だけど、もしも『その時』が来るのなら、『その時』が必要ならば。『その時』は、理性以外の総てを切り捨ててキミを裁く」
『
「裏切られただなんて言われたくないから先に言っておくよ? もしも『その時』がきてしまったなら、ボクが――ボクの『法廷』が、キミの『富』を――『優位性』を奪い取り、『公平』で『平等』にこの世界を均してみせるよ。それはキミのためでもなければ、ましてや『彼女』のためでもない。ボクがボクで在る為に、だ」
電話の先の顏の見えない相手を捉えるようにその目をギラつかせ、
「――あぁ、もちろんだよぉ。ボクだってキミと争いたいわけじゃあない。『その時』が来ないことを本気で真剣に願っているよ。それに、ボクの『法廷』はいつだって事が起きてから、終わってしまってからじゃあないと裁くことができないしねぇ」
その目から険しさを取り払い、法廷院は目線を同志たちに遣って謝意を示すと再び歩きだす。
「――てーか、そんなことよりさぁ、聞いてくれよぉ。え? 長いかって? そりゃ長いよ。そんなの当たり前じゃあないかぁ。だってそうだろぉ? なにせ『優勝』だからねぇ。…………ん? 違う違う。そっちの優勝じゃなくてさ…………え? いやいや違うって! ガチでエモいから聞いた方がいいって。マジで後悔するぜぇ?」
先程までの緊迫したやり取りが嘘だったかのように軽薄な口調で通話が続く。
「――わかったよぉ。じゃあ今度会った時にね? 絶対聞いてもらうからね。ボクは大変感銘を受けてしまってさ。でもSNSにあげるわけにはいかないからどうしても共有したいんだよ。マジでキミもおったまげるぜぇ?」
ギィギィとフレームの軋む音と、ガシャコンガシャコンと車輪があげる苦悶の嘆きが放課後の廊下を支配する。
「――そういやさ、キミはどうなると思う? なにって、もちろん次回のフロスパだよぉ。ついに幼馴染の男の子にプリメロの正体がバレちゃったじゃあないかぁ。……え? いまさら? なんだよ淡泊だなぁ…………。てかさ、何回か言ったと思うけどやっぱりボクはプリメロに男はいらないと思うんだぁ。だって回を重ねていくとさぁ、恋愛を匂わせてくるじゃない? そんなのいくとこまでいったら火傷じゃあ済まないぜぇ? …………あれっ? キミ容認派なの? 嘘だろぉ? 冗談だって言ってくれよぉ…………うん……うん…………いや、わかるよ? 確かに
中身のない話し声は誰の記憶にも残らず消えていく。
誰もいなくなった廊下には車椅子の発した悲惨で歪な残響だけが空間にこびりついて、いつまでも残り続けているようだった。