自身の前に差し出された掌を二つ、弥堂はジッと見下ろす。
白く滑らかな肌、細い指。
そんな男の手、に見える。
それらを映す瞳に力をこめようとすると――
『――ユウくん。【
左耳に填めたイヤホンから機械による合成音声が聴こえてくる。
エアリスが入力したメッセージを読み上げソフトが喋っているのだろう。
『視界良好なのだ。ボクがバッチリ見定めて危なかったらすぐに視界共有を切断するのだ』
「…………」
その口調に苦言を呈したくなるが弥堂は堪える。
(こっちからの言葉は声に出して通話に乗せないといけないのは不便だな……)
そう考えるとメロの念話や、これから行うウェアキャットのテレパシーとやらには一定の価値があると認めざるをえない。
『とりあえず相手に任せてみて様子を見るのだ』
この後の仕事に円滑に進むにはエアリスの言う通りだ。
しかし、何かしらの魔術契約のようなものを、詳細を知らぬまま内部的に繋がれるというのは、どうにも心理的に抵抗があった。
そうして無言のままでいると――
「――ん? あれ? キミ、イヤホンつけてるの?」
ウェアキャットに顏の側面を覗かれて、弥堂は思わず舌打ちが出そうになる。
耳を意識したのが僅かに仕草に出ていたのかもしれない。
「別に」
とりあえず適当に答える。
「別にっていうか、ついてるじゃん」
「イヤホンつけてるヤツなんて世の中にいくらでもいるだろ」
「そりゃそうかもしんないけど。でもキミは似合わないよ」
「ほっとけ」
のらりくらりと躱そうとするが、ウェアキャットからジィっとした視線を向けられたままだ。
「キミって音楽とか聴くの?」
「人類のほとんどが聴くだろ」
「なに聴くの?」
「別に」
「言えばいーじゃん」
「関係ねえだろ」
「ふぅん……」
終いには何やら疑いを持たれたような雰囲気になってしまう。
『ユウくんマズイのだ。適当になにか答えておくのだ。いざとなったらボクが歌うのだ』
エアリスからの助言を受けて、それは確かにそうだなと認める。
だが、この奇怪なボイスに歌わせるのは割と致命的な気がしたので弥堂は何か適当なものを考える。
「…………」
だが、弥堂のような野蛮人に音楽を鑑賞するなどという文化的な行動の習慣はなかったので、特に何も思いつかなかった。
(なにかなかったか……)
仕方がないので記憶の中から、何か適当なものを探す。
すると――
――弥堂君……、耳舐めASMRって……、あ、いや、なんでもない。なんでもないけど……、でも、あれはスンゴイよぉ……
記憶の中に記録された廻夜部長のネットリボイスが再生される。
これだ――と、弥堂は思った。
「――耳舐めASMRだ」
「はい……?」
クワっと眼を見開いて放たれた弥堂の言葉に、ウェアキャットは首を傾げる。
「俺は耳舐めASMRを視聴している」
「……今も?」
「今もだ」
「……そう」
「聴いてみるか?」
『えっ⁉ なのだ⁉』
「……結構です」
スッと身を引いて、ウェアキャットはそれ以上の追及をしてこなくなった。
(流石は部長だ)
首尾よく疑惑を回避出来たことで弥堂が廻夜への信頼をさらに篤くしていると、後ろの座席から声をかけられる。
「ASMRを嗜むのかい弥堂君」
「なにか文句があるのか?」
「いや、いい趣味だよ。どんなのを聴いてるんだい?」
「あ? それはアレだ。エロギャル共演のダブル耳舐めだ」
「へぇ、若さが溢れてるね。ちなみに僕は年下のママによしよしされる系の作品を愛しているよ」
「そうか」
男と男がASMRによって親睦を深めようとしているが――
「――あの。そういうの仕事終わりに居酒屋とかでやってもらえます?」
「オマエら。キショイ」
ウェアキャットと
大事な仕事前に下ネタトークをし始めた男たちに二人はドン引きだ。
「これは参った。ところでウェアキャットくん。キミはどんなASMRが好きなんだい?」
「いや、ボクそういうの聴きませんから」
「まぁまぁ、男同士なんだしいいじゃない」
「イマドキは同性でもそういうのよくないです。セクハラです」
中年男性らしくネットリと絡んでくる佐藤をウェアキャットは冷たく突き放す。
歴戦の役人である佐藤は『イマドキ』と『セクハラ』という単語に敏感に反応して速やかに身を引いた。
だが役人とは正反対の男は違う。
シテが嫌がっていると見ると果敢にそこを攻めていく。
「ふん、男のくせになにがセクハラだ。軟弱な」
「は? イマドキの男子高校生がなに言ってんだ。ノンデリは嫌われるよ」
しかしウェアキャットの方も呆れたように鼻で笑う。
「それにそっちに女子がいるでしょ。ちっちゃい子の前でヘンな話はやめなよ」
しかし――
「チッチャイ言うナ。コロスぞ、ニセネコ」
「え……? ここでハシゴ外されるの……?」
すると、ここぞとばかりに弥堂が攻勢に出る。
「ノンデリは貴様のようだな」
「はぁ? 意味わかってんの?」
「わかる」
「じゃあなに?」
「言わない」
「言えばいーじゃん」
「……ノン……、デリヘルを呼ばない、配慮をするということだ」
「バカじゃん? デリカシーがないキミみたいなヤツのことを言うんだよ」
しかしジェンダー指数の低い弥堂はすぐに馬脚を表す。
またも鼻で笑われることになった。
「大体さ。仕事中にヘンな音声聞いてるようなヤツにノンデリとか言われたくないよ」
「ふん、その言葉自体がデリカシーに欠けると何故気付かない」
「はぁ?」
弥堂の意味深な言葉にウェアキャットは怪訝そうに唸る。
「これは仕方なくなんだ」
「仕方なくエロい音声聴かなきゃいけないことなんてありえないでしょ」
「そんなことはない」
「じゃあなんで?」
「これはトラウマによるものでな」
「はぁ?」
「耳元で常に女の喘ぎ声や水音が鳴っていないと手の震えが止まらなくなるんだ。だからこのイヤホンは外せない」
「……それがホントでもウソでも、キミは病院に行った方がいいよ。マジでしょーもな」
「…………」
あまりに適当な弥堂の言葉に、『これ以上は相手にする価値なし』とウェアキャットは顔を逸らす。
伸ばしていた手を膝の上に下ろし、運転席の背もたれに視線を置きながら口を閉ざした。
弥堂の方もそれ以上は特に言うことはないので、同様に助手席の背もたれに眼を向ける。
そうしてしばらく車内は無言となった。
少ししてウェアキャットはハッとした。
「――って! テレパシー繋ぐんでしょ……っ!」
どうやらバレてしまったようだ。
言葉と共にウェアキャットは勢いよく弥堂の方へ向き直る。
弥堂は白けた眼をした。
「お前が勝手に話を打ち切ったんだろ」
「キミがヘンなことばっか言うからだろ⁉ あっぶな。騙されるとこだった……」
「特にそういう意図もなかったんだがな」
改めてウェアキャットが両手を向けてくる。
これ以上抵抗をしても怪しまれるだけなので、弥堂も観念することにした。
ウェアキャットの右の掌の上に自身の左手を置く。
「そっちも」
「あ?」
「そっちの手も。手二つ出してんだからわかるだろ」
「ちっ」
「態度悪いなぁ……」
「黙ってやれ」
左手を振って要求をするウェアキャットのその手に、弥堂は右手も重ねる。
言いたい文句を飲み込むようにしてウェアキャットは口を閉ざし、そして帽子の陰で両目を閉じた。
「繋ぐよ? ビリっとくるかもだけど怒るなよ?」
「駄目だ。受けた被害に関してはきちんと賠償してもらう」
「はいはい。佐藤さんが払ってくれるって」
「ん? キミはお金に困ってるのかな?」
「……別に」
「じゃ、繋ぐねー」
興味ありげに佐藤から関心の目を向けられると、弥堂は都合が悪いので口を紡ぐ。
そうしている間にウェアキャットは先に進めることにした。
ちっちゃい子がオモチャに関心を示している間に注射を射つお医者さんの姿が脳裡に浮かぶ。
内心でそんなことを想像していることを悟らせぬようにしながら、ウェアキャットは弥堂とテレパシーを繋いだ。
事前注意どおり、弥堂の手にビリっとした感覚が奔る。
小さな静電気のように肌の上で弾けるだけのものではなく、その中の骨でもなく。
もっと中心的な部分を通って自身の芯の近くまでナニカが近付いてきたように感じた。
その不快さに眉を顰めると同時に、ウェアキャットの手が離れる。
「多分オッケーかな。試してみよっか」
「……あぁ」
『今のところは問題は起きていないのだ』
耳の中で鳴るエアリスからのメッセージに意識を向けないようにしながら、弥堂は慎重な眼でウェアキャットを見た。
<――えっと、聴こえるかな?>
間もなくして頭の中でウェアキャットの声が聴こえる。
「…………」
<あれ?>
だが弥堂が何も答えないので彼は首を傾げてしまった。
「聴こえなかった?」
「聴こえたが?」
「は? なんで返事しないの?」
「返事の仕方がわからないからだ」
「普通に喋ればいいじゃん」
「うるさい。早く使い方を説明しろ」
「ホントマジでさぁ……」
色々なものを堪えるようにしながらウェアキャットは話を進める。
<思うだけでいいよ。それをボクに向けるって意識するだけで出来るはず>
最近聴いた憶えのある説明だなと考えながら、弥堂は試してみる。
<……こうか?>
<お、上手上手。スゴイじゃん。一発で出来るなんて>
<別に>
<あ、ちなみにだけど。キミが伝えたいと思ったことしかボクには伝わらないから>
<なんか聞いたような話だな>
<ん? ともかく。勝手にキミの思考を覗けたりはしないから安心してって言ってるんだよ>
<それも聞いたな>
<どゆこと?>
<わからないのか?>
<わかんないから聞いてるんだけど?>
<別に。喋ってる裏で考えていることが本当に伝わっていないのかという実験だ。嘘はないようだな>
<キミさ。マジで性格悪いよね……>
呆れたような感情が思念からも目の前の仕草からも伝わってきた。
(それにしても――)
それを無視して弥堂は内心で考える。
――一週間ほど前に聞いたメロの念話魔法の説明とそっくりだなと。
そんなことを考えていると――
「――じゃあ、一回切ったから今度はキミの方から繋いでみて」
――これまたメロの時と同じ流れになる。
「その必要はない」
「え? なんで?」
無駄な工程を省こうとウェアキャットからの指示を拒絶する。
「俺はその手の外に作用する魔術は苦手なんだ。どうせ出来ないから試すだけ無駄だ」
「出来ない? いや、でも別にこれ魔術?とかじゃないし。試しとかないといざという時に困るでしょ?」
「ち、めんどくせえな」
「そのへん把握してないとボクが困るからやってみてよ」
だが正論で返されてしまい、仕方なく付き合ってやることにした。
念話を使う時の要領で思念を作り、現在は何処にも向いていない宛先を目の前の人物に向けたつもりにする。
「…………」
何と呼びかけようかと一瞬考える。
しかし、どうせ聴こえないのだからどうでもいいかと適当にやることにした。
<このカマホモ野郎>
「はぁ……っ⁉」
「は?」
しかしその言葉を浮かべた瞬間に目の前のウェアキャットが怒りを露わにした。
それは弥堂にとっても予想外のことだったので、思わず気の抜けた声が口から漏れる。
「なんでキミが『は?』なんだよ! こっちの台詞だよ!」
「……聴こえたのか?」
弥堂の疑問などウェアキャットには知る由もない。
なので、猛烈な抗議をしてくる。
「聴こえるに決まってるだろ! そういう風にしてるんだから!」
「出来ないと思ったんだがな」
「そうだったとしても! なんで唐突に悪口言ってくるわけ⁉」
「どうせ聴こえないと思ったからだ」
「……聴こえなきゃ何言ってもいいと思ってるその考え方から改めなよ」
クレームを適当に受け流しながら弥堂は内心では別のことに気をとらえる。
(どういうことだ……?)
メロの魔法でも、異世界の魔術道具でも、念話の類を弥堂の方から発信することは出来なかった。
だから今回も出来ないはずだった。
『――ユウくん。これちょっと変なのだ』
すると、いいタイミングでエアリスからのメッセージが届く。
『起こっている現象と全体的な建付けはクソネコの念話魔法と同じはずなのだ』
(どういう意味だ?)
『なのにネコの時みたいに、ユウくんの中に新しく魔術的な回線が出来上がっていないのだ』
弥堂の思考は届いていないはずだが、それが聴こえているみたいにエアリスからは適格な返答が続けられる。
『使い魔の契約が成立した時、ユウくんとネコの間には魔術的な回路が繋がったのだ。その回路を念話――通信の魔術専用に特化させたものが回線だと考えてほしいのだ』
(それがこいつとのテレパシーにはない?)
『感覚的には回路を繋げられたというより、なんというかアンカー――錨のようなモノを“
それをされているのは弥堂の“
『考えられる可能性は魔術ではないから。“二人の間で念話が出来るようにした”、“だから出来る”――そういう考え方なのだ。回線を通って運ばれるのではなく、直通で直接思念が飛ぶ。そんなイメージなのだ』
(それはつまり――)
『――そうなのだ。これは“
それは『世界』から許された特権。
他の理を無視して問答無用で結果を成立させるチカラだ。
この世界で“ギフト”と呼ばれる能力。
それはかつての異世界で“
弥堂とエアリスはそのように予測していた。
その仮説が真実味を帯びてきた。
『今のところ問題は起きていないのだ。でも、どんな隠し種があるかわからないから、やっぱりネコの念話は使わない方がいいのだ』
それには同意し、そしてここで思考を打ち切る。
これ以上は考えてもわからないからだ。
まして本人に直接訊ねるわけにもいかない。
だから黙ってジッと視線を向ける。
魔力を流して魔眼を起動したくなるのを努めて自制する。
代わりに脳内で思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。
「……なに? めっちゃ見てくるし」
「別に」
どうやら思考を読めるわけではないというのは本当のようなので、弥堂はフイっと顔を逸らした。
得体の知れないモノを打ち込まれた気持ちの悪さはあるが、結果としては悪くない。
魔術的なモノを繋がれていたら悪魔との契約を見破られる可能性もあった。
それを考えれば上々と謂えるかもしれない。
“
それならば加護に抗う術はない。
自殺して無かったことにする以外は。
この場でそれをするわけにはいかないので、とっとと切り替えをすることにした。
最初の問題を乗り越えたということにして、本題であるこの後のバイトについて意識を注力していく。