「――顔を上げろ」
カツッという靴音に続いて、硬質な声が頭上から届く。
ペンで串刺しにされた鼻を押さえて蹲りながら、フェリペは焦燥していた。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ――ッ!)
この拷問を続けられることへの焦りもある。
だが、それ以上にマズイのが――
(――コイツ……、
スパイを見破るギフト――弥堂の能力に何よりも危険を感じていた。
適当な言いがかりで自分たちをスパイ認定してきたとは到底思えない。
この部屋には他にも隊員は居るのに、ピンポイントで自分たちを指名してきた。
それは何かしらの確信があるからだ。
(コイツが見たのはアレックスだけのはずだ……ッ!)
街で直接弥堂と対面したのはアレックスで、他に顔を見たというのも精々がアレックスに声をかけて合流をしたダリオやビアンキくらいのはずだ。
あの時、フェリペやシェキルも近くにはいた。
だが、メイングループであるアレックスたちとは無関係を装って人ごみに紛れていたのだ。
外国人だからか?
(いや――)
あの時街にはフェリペたち以外にも日本人じゃない一般客はいくらでもいた。
外国人だからという理由だけで目をつけられたとは思えないし、そもそも顏も見られてはいないはずだ。
それなら、彼の言う『視れば嘘吐きがわかる』という“
(それは……、マズイ……ッ!)
現在このホテル内にはフェリペ達以外にも仲間が“
この日本人がホテル内を巡回して、同様の手段で片っ端から見て回ったら他の仲間たちまで吊るし上げられてしまう。
(クソが……ッ!)
それは何としても阻止しなければならない。
フェリペの覚悟が決まる。
第一に、この尋問を止めさせてこの男の自由にさせないこと。
第二に、逆にこの尋問を長引かせて仲間たちが気付いて逃げる時間を稼ぐことだ。
最低でも第二目的は果たさねばならない。
フェリペは勢いよく顔を上げて、そして弥堂ではなくミラーを睨んだ。
「――ミラー指揮官! コレは不当ダ!」
まずは正当な主張を通すことにチャレンジする。
フェリペにそう訴えかけられ、ミラーはハッとした。
フェリペは尚も言い募る。
「何故オレが疑われたのカハ一旦置いてオク……ッ! ダガッ! コンナやり方は“
「そ、それは……」
「こんな昔に敵地でヤッテいたような拷問ハ許されナイ! コイツを止めナイのナラ、アナタも同罪として訴えるゾ! 本国ニ帰っタラ……!」
「……ッ! 彼の言う通りよ。止めなさい、マッドドッグ!」
ミラーはフェリペの主張を受け入れる。
どう見ても、どう考えても、彼の言うことの方が正論だったからだ。
しかし――
「――グァッ⁉」
弥堂はそれを無視してフェリペの後頭部を踏みつけた。
無理矢理黙らせるように。
この行動にはミラーの怒りも買う。
「聴こえないの⁉ ワタシは止めろと言っているの! これは命令よ!」
「命令だと?」
弥堂は足裏でフェリペの首根っこを押さえつけながら、ゆっくりと首だけでミラーの方を向いた。
「お前の命令を聞く筋合いはない」
「なんですって⁉」
「お前は俺の雇い主じゃないからな」
「問題発言よ……!」
「勝手に問題にしろ。俺の知ったことか。俺は『博士を守れ』という依頼と命令を受けた。その為に最善な行動をする。お前の命令がそれに抵触しなければ守るし、そうでないのなら聞かない」
「な……、な……ッ⁉」
ほんの数時間前の初対面の時には『そちらの指示に従う』『迷惑をかけない』『弁える』と言っていた男の大胆な翻しっぷりに、ミラーは言葉を失う。
「俺に言うことを聞かせたければ、俺の雇い主になることだな。待遇についてはこいつの尋問が終わったら聞いてやるから、それまでによく考えておけ」
「な、なんなのアナタ……ッ!」
『好待遇で俺を雇わなければ、お前らが訴訟されるような問題を起こしてやる』という脅迫をしてきたイエローモンキーに、金髪美女はビックリ仰天した。
「それに、お前も勘違いをしているようだが……」
「――グッ!」
弥堂はフェリペを踏む足に力をこめる。
「国に帰ったら? 帰れると思っているのか? 殺すに決まっているだろ。スパイめ」
「ナ、ナンダトッ……⁉」
「生きて訴訟をしたいのなら、俺がお前を生かしておきたくなるような、俺の喜ぶことを喋るんだな。お前の生き死には俺の気分次第だ」
「ク、クソ野郎が……ッ!」
フェリペは自分の勘違いに気が付く。
今回の自分たちの仕事は、手口や目的の大小はともかくとして、犯罪行為の範疇だと思っていた。
あくまで犯罪を起こす者と、それを取り締まる者との戦い。
そういう種類の案件だと思っていた。
しかし、違った――
少なくともこの日本人の男は。
ヤツの言動や立ち振る舞いは戦場のそれだ。
勝つか負けるか、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。
勝つために何でもやる。
それこそが唯一正しい。
まさしく戦争だ――
(――クソ! アレックスめ……ッ!)
この日本人と偶然接触をした自分たちのリーダーに心中で恨み言を吐く。
だが、それはアレックスのせいでこうなったという考えではない。
(どうなってんだよアイツ……ッ!)
今回の直前のホテルの変更について、アレックスだけが嗅ぎつけていた。
そのおかげで“
アレックスには昔からそういう“運の良さ”と言うべきか、“鼻の良さ”と言うべきか――そういった才能があった。
それはこの弥堂のことに関してもそうだ。
あのタイミングであの場所で出会うことが出来るというのは普通のことではない。
だとしても――
(――アタリを引きすぎなんだよ……ッ!)
いい意味でも悪い意味でもアタリになる。
もしも街でアレックスが弥堂にちょっかいをかけていなければ、こうして弥堂の印象に残ってしまうことはなかった。
そういう風に解釈することも出来るが――
(――本当に偶然か……⁉)
フェリペの心に疑いが生じる。
美景市での滞在開始の直前に日本の清祓課によって捻じ込まれてきたエージェント。
この日本人についてはそう聞かされていた。
だが――
(――本当にそうか?)
その編成がまだ決まる前に、街でオフを過ごしていたら偶然にも敵方となる自分たちと出遭った。
そんな偶然があるだろうか。
「マ、マサカ……ッ!」
ハッとしたフェリペは勢いよくミラーへ顔を向ける。
この金髪の小娘は現状に狼狽えているように見えるが、これが演技なのだとしたら?
元々弥堂が組み込まれることは決まっていて、フェリペたちの入国も事前に掴んでいて、外人街との繋がりを確かめるためにあの日あそこに配置されていたのでは。
そして、こうして本隊と分断した後にスパイとして捕えるためにこの時まで泳がされていたのでは。
そんな気付きを得る。
「す、すべてシコミだったのか……⁉」
「え?」
全てはこの女の策だったのかと、ミラーを睨みつける。
困惑を浮かべた彼女の表情が見える前に、再び弥堂に踏みつけにされた。
「ふん、今頃気付いたのか? だが、もう手遅れだ」
「ク、クソ……ッ!」
「え……?」
弥堂が嘲笑するように鼻を鳴らすと、フェリペはつい毒づいてしまう。
ミラーさんはやはり困惑だ。
当然、フェリペが何を気付いたのかなど弥堂にはわからない。
なんとなくこうやって馬鹿にしてやれば相手は悔しがる――それだけはわかっていたので、適当にイキっただけだ。
「ク、こうなっタラ……」
フェリペは方針を変える。
最早自分が逃げ果せることは不可能だろう。
だったら、なるべく騒ぎを大きくして他の潜伏中の仲間に危機を報せることに決める。
自分はそれで捕らえられるだろうが、運がよければいずれ本隊が襲撃を仕掛けてくるタイミングで、どさくさで救出してもらえるかもしれない。
この期に及んではそれに生存を賭けるしかないと判断した。
フェリペはさりげなく部屋の出口に目線を遣る。
部屋の外にまで伝わるような騒ぎを起こすにはどうすればいいかと考えようとした。
その時――
「――うっ……、グゥ……ッ」
視線の先、ドアの方からうめき声が聴こえる。
先程、初撃で無力化されていたシェキルが目を醒ましたようだ。
(マズイ……ッ!)
フェリペはそれに安堵ではなく、焦りを覚える。
対処を考え付く前に、そのシェキルと目が合った。
「――フェリペッ!」
(見捨てろと言っただろ、バカが……ッ!)
弥堂に足蹴にされる流血状態のフェリペを見て、シェキルは血相を変えた。
フェリペは脳裏で舌打ちをしながら、反射的に怒鳴り返した。
「――ウルセエんだよ! このクソガキが……ッ!」
「え……?」
仲間を傷つけられたことで激昂しかけたシェキル。
だが、その仲間本人から怒声を浴びせられ、わけがわからずに感情が冷えてしまう。
「慣れ慣れシク呼ぶナと言っただろクソガキッ! 俺はフィリップスだ! 会ったばかりのオマエにそう呼ばレル筋合いはナイ……ッ!」
「フェリペ……?」
茫然とするシェキルから目線を動かして、フェリペは弥堂の様子を窺う。
無駄な足掻きかもしれないが、シェキルと自分の繋がりがバレなければもしかしたら彼だけでも逃がせるのではと考えたのだ。
弥堂はジッとシェキルの顔を視ている。
「おい、ガキ――」
「ア?」
呼びかけられてやっとシェキルは弥堂を認識した。
それからさらに数秒遅れて、自分はこの男にさっき伸されたのだと気が付く。
「お前はスパイか?」
「な、なんダト……?」
その質問でシェキルは現状にも察しがついた。
どういった理由かは不明だが、自分たちがスパイであることがバレたのだ。
「チ、チガウ……ッ、スパイじゃナイ……ッ!」
原因がどうであれ、スパイだと訊かれて「そうだ」と認めるメリットなど一つも無い。
シェキルはとりあえず否定をした。
「そうか」
特に問い詰めることもなく、弥堂はシェキルから顏を逸らした。
そして――
「――ぐぁっ……⁉」
「ナッ――」
無言でフェリペに蹴りを入れた。
シェキルは一度冷めた怒りが再燃する。
「ナニしてル……ッ!」
「なに、だと?」
怒声を上げるシェキルに弥堂は醒めた眼を向けた。
「お前はスパイじゃないんだろ? じゃあこいつがスパイだ」
「ナ、ナンダト……ッ⁉」
「スパイは甚振って殺す。常識だろ」
「ヤ、ヤメロ――」
弥堂はシェキルに見せつけるようにフェリペに暴行を加える。
「こ、このヤロウ……ッ!」
すると、フェリペよりも大分直情的なのか、激昂したシェキルが弥堂へ向かってきた。
(素人め)
心中で嘲りながら弥堂は【身体強化】への魔力を強める。
あと数歩の距離まで近付いたところで、シェキルの髪が獣の毛皮のようにブワっと膨らむ。
《よせシェキル! 使うなッ!》
《――ッ⁉》
何かを制止するようなことをフェリペが叫ぶと、シェキルの目に迷いが生じ僅かに減速をした。
その隙を弥堂は逃さない。
沈み込むように膝を折って一瞬だけ相手の視界から逃れる動作と同時に一歩を踏み出す。
その一歩で相手の側面へと近付いた。
「ガァ――ッ⁉」
身体ごと伸び上がるようにしながら腕を伸ばし、シェキルの首を掴んで壁に押し付ける。
「学べよ。さっきと同じだぜ――」
「――ぅゴァッ⁉」
そして初撃の焼き直しのように腹に手を当てて“零衝”を打ち込む。
手加減した一撃でまず無力化し、それから派手な暴行を繰り出す。
「オラァッ! クソガキがっ! ナメやがって! 殺すぞっ!」
シェキルの首を吊りながら、怒声とともに打撃を与えて彼を痛めつけた。
ここまでに見せた弥堂の印象からは『らしくない』ように感じる――そんな大声を上げる様をミラーは訝しむ。
その為、弥堂を止めることを忘れてしまった。
「くたばれクソがっ!」
グッタリとしたシェキルの首を振り回し、弥堂は部屋の中央へ力尽くで彼の身体を投げる。
「エマッ――」
「え――」
ぶっ飛んで行ったシェキルの身体は中央の尋問用のテーブルを越えて、その後ろの秘書官の席に向かう。
寸でのところで護衛の隊員が席に座っていたエマを避難させた。
誰もいなくなった机にシェキルの身体が衝突する。
机の上にあった何もかもを巻き込んで床に倒れた。
「殺すぞこの野郎……ッ!」
弥堂はなおも怒声を上げながらシェキルを追う。
床を踏み切って尋問テーブルを飛び越えて、倒れたシェキルの上に着地するとそのまま暴行を再開した。
大声を出しながら倒れているシェキルを蹴り続ける。
行動はいつものことだが、その声量は普段の弥堂を知る者からすれば不自然にも感じるものだ。
やがて目測を誤ったのか、弥堂の踏みつけは相手を外れて床に落ちているノートPCを踏みつぶして破壊した。
その破砕音で、茫然と凶行を見つめていたミラーが我にかえった。
「や、やめなさいマッドドッグ!」
先程と同じ制止。
そんなものでは一度も彼を止められなかった。
だが――
「――あぁ、いいぞ」
「え……?」
ミラーの声とほぼ同時に、ピタっと弥堂の暴行は止まった。
止めた本人であるミラーや周囲の者が呆気にとられてしまう。
「おい――」
そんな中で弥堂は一人の男に声をかける。
エマを庇った護衛の男だ。
「あっちの奴を押さえておけ」
「ナニ?」
「早くしろ。逃げられたらお前の責任だぞ」
「ア、アァ……」
弥堂の命令など聞く筋合いはないのだが、冷静になる暇を与えてもらえないせいで男はつい頷いてしまう。
急いでフェリペの元へ駆け寄ると、彼の腕をとって拘束した。
それを満足げに視てから弥堂はシェキルに一発蹴りを入れる。
そうして戦闘不能であることを確かめてから部屋の隅へ歩き出した。
「返すぞ」
「ハ……?」
部屋の隅で銃を持つ隊員に近付き、手に持つ物を差し出す。
隊員の目玉が動いてそれを見る。
自分の方へ向けられているのは、血に塗れた棒状の物だ。
「さっき借りただろ」
いつの間に抜き取っていたのか、それは先程フェリペの鼻に突き刺したボールペンだった。
それを見ながら、隊員の男は卑屈げに愛想笑いを浮かべる。
「ハ、ハハ……、カンベンしてくれヨ……」
「そうか。とりあえず助かったよ。感謝する」
「ハハハ……」
彼が受け取りを拒否したようなので、弥堂はどうでもよさそうにペンを適当な方へ放り投げる。
それが足元に落ちてきたエマは顔を引き攣らせた。
弥堂は再びシェキルの元へ戻ってくる。
それをミラーの視線が迎える。
その目にあるのは疑心と警戒だ。
「マッドドッグ、ここまでにしなさい」
「なにを?」
「アナタのした拷問行為よ……ッ! こんなことは正規の組織では許されることではないわ! これは犯罪行為よ」
「…………」
「それともなに? アナタの言った『本当の能力の使い方』というのはこれのことなの⁉ こんなもの――」
「――勘違いをするな」
「え?」
言い募るミラーに弥堂は冷えた声を浴びせる。
先程激昂でもしたように怒声を上げていた人物と同じとは思えない。
そんな静かさと冷たさだ。
「こんなものは挨拶代わりだ」
「なんですって……?」
「まず上下関係をわからせる。尋問を始めるのはそれからだ」
「アナタまさか……」
「その黒人から手を離さずによく『見て』おけ。今から教えてやるのが、サイコメトリーを使った正しい尋問のやり方だ――」
フェリペの身体に触れているミラーの手に思わず力が入る。
今感じている感情は、果たして自分のものか彼のものか――
この狂った日本人の齎す混乱の中で、それがわからなくなった。