俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章26 福市 穏佳 ③

 

 弥堂は倒れているシェキルの髪を掴み、引き摺って行く。

 

 

「――ぐぅッ……⁉」

 

 

 そして、ミラーやフェリペの前に放り捨てた。

 

 

 それからシェキルの隣にしゃがみこみ、彼の顏を上げさせる。

 

 向かい合う者たちによく見えるように。

 

 

「ヤメロッ!」

 

「やめるわけねえだろ。バカかよ」

 

 

 フェリペから向けられる怒りを弥堂は適当に受け流す。

 

 彼ら二人の様子から『今回の仕事の間だけの行き摺りの仲間ではない』と判断した。

 

 

 シェキルの顔を覗き込むと、彼は傷だらけの顏で強気に睨み返してくる。

 

 

「こ、こんなモンで誰が喋るかヨ……ッ!」

 

「そうか。それは残念だ」

 

 

 その言葉は半ばスパイであることを自白しているようなものだが、弥堂は敢えて無視した。

 

 

「お前の決意は固いようだ。すごいガッツだな。尊敬するよ」

 

「ナ、ナンダト……⁉」

 

 

 急に白々しい褒め言葉を口にした弥堂をシェキルは訝しむ。

 

 

「お前の言う通り、お前に訊いても無駄そうだ。だから――」

 

 

 弥堂はジロリと――シェキルにもわかりやすいように目線を動かした。

 

 

「――代わりにこいつに訊くことにしようか」

 

「ヤ、ヤメロ……ッ!」

 

 

 その目線の先に居るのはフェリペだ。

 

 彼もまた敵意をこめた目で睨み返してくる。

 

 

「というわけで、こいつがこう言うからさ。またお前に訊くことになったよ」

 

「テメエ……ッ!」

 

「お前にはもう随分と酷いことをしてしまった。これ以上やるのは気が引けたんだが、このガキが『お前に訊け』って言うもんだからさ。仕方ないんだ」

 

「どのクチが……ッ! こんなことで仲違いスルと思うカ⁉ 下手くそがッ!」

 

「酷いことを言うな。インポになったらどうすんだ? 心が痛むぜ」

 

 

 今のフェリペの発言も、先程のシェキルの発言も、自分たちが繋がっていることを言ってしまっているようなものだ。

 

 だが、やはり今度も弥堂はそれを聞き流して追及することはしない。

 

 

 彼らがスパイであることは弥堂の中ではもう決定事項なので、別にこのことをとっかりにする必要はないからだ。

 

 しかし、そうではない者もいる。

 

 

「…………」

 

 

 それはミラーや他の隊員たちだ。

 

 

 異能によってスパイがわかると言われても、本人以外にはその確証は伝わらない。

 

 仕組みや理屈がわからず、また物証もない。

 

 そんな中で、その者の異能を信じられるかどうかは、『何が』その能力者と能力を保証しているかという点に比重が置かれる。

 

 

 弥堂は日本と清祓課と郭宮と御影が、今回の任務のために送り出してきた人物だ。

 

 今見せている彼の人間性には懐疑的な部分があるが、しかしそんな人物を上記の国や組織や家が、身元保証するはずがない。

 

 だから、『視ればわかる』という彼の異能も、そういうものなのかと受け取るしかない。

 

 

 実際に、異能――“加護(ライセンス)”というのはそういうものだ。

 

 特にミラー、彼女もその“加護(ライセンス)”を持つ者である。

 

 

 仕組みや理屈を飛び越えて、そういう能力だからそれが出来る――その実感が彼女自身にもある。

 

 そして、ここで見えたフェリペやシェキルの態度も、弥堂を信じる方へと後押しする材料となった。

 

 

「傭兵団ね……」

 

「アァッ⁉」

 

「別に」

 

 

 ポツリと弥堂が呟くとフェリペが眦を上げる。

 

 名前の無いBARで買った情報から、この彼らが外人街の雇った傭兵団なのではないかとアタリを付けていたが、どうやら当たりのようだ。

 

 

 この二人を見ていて、弥堂はふとルビアの傭兵団を思い出した。

 

 

 傭兵団なんてものはほぼ犯罪集団と変わらない。

 

 仕事内容もそうだし、仕事外の振舞いも犯罪者と大して変わらないのだ。

 

 もしも傭兵をやっていなければ、マフィアか盗賊にでもなっていたような連中ばかりなのだから、それも当然だろう。

 

 

 そんな対外的には過激で乱暴で犯罪的な連中も、身内には打って変わって甘かったりもする。

 

 もちろん裏切っていないことが前提だが。

 

 

 そういう連中の、そういう所を、時に人は美徳や美談として見ることもある。

 

 だが、自身も傭兵団に所属していた弥堂は、そうではないと考えていた。

 

 

 身内に甘いのは、自分が咎められたくないからだ。

 

 

 自分がクズで、自分が悪だという自覚があるから、そしてそれを非難されたくないから、許されたいから――

 

――だから身内の悪徳にも目を瞑るのだ。

 

 

 そうでないと、自分も非難を受け、そして償わなければならなくなる。

 

 だから、お互いの悪性を肯定し合って、内輪の外の世界から目を背けるのだ。

 

 そうやって暗い裏道をグネグネと曲がり続ける。

 

 行き止まりにぶつかって寸詰まるまで。

 

 

 弥堂は客観的にはそれが本質で事実だと思っている。

 

 だけど、それをいいとも悪いとも思っていない。

 

 

 ルビアの傭兵団にいたクソタッレどもはもう皆死んでしまったが、今でもあのバカなクズどものことは嫌いではない。

 

 仮に彼らが生きて目の前に現れたら、その場合は彼らのことを殺すことになるが、しかし決して嫌いではない。

 

 

『オイ、なんかヌルくねェか?』

 

 

 その傭兵団のボスをやっていた女山賊が何か言ってきたが弥堂は無視をした。

 

 

 とにかく。

 

 

 好き嫌いでも、善い悪いでもないが――

 

 

――しかし、今はそういった連中のそういう習性は、弥堂にとって都合がいいという話だ。

 

 

「冤罪ダ……ッ! こんなコトをしてタダで済むと思うナヨ……ッ⁉」

 

「恐いな。そんな目で睨むなよ。震えちまうだろ?」

 

「ナメてんのカこのガキ……ッ!」

 

「凄い敵意だな。ミラー、こいつの敵意は本物か?」

 

「え?」

 

 

 意味のわからない質問。

 

 ミラーは反射的にサイコメトリーでフェリペの感情を見てしまう。

 

 

「……本物よ。強い怒りと憎しみがアナタに向いているわ」

 

「そうか。そうだろうな。俺に向けられる愛情や友情などの様々な感情は俺を裏切るが、敵意だけは俺を裏切らない。昔の保護者もそう言っていたよ」

 

『あれー? アタシそういう意味で言ったっけかァ……?』

 

 

 首を捻らせる幻覚女を無視して、弥堂はフェリペを視下ろす。

 

 

「だが、ミラー。お前の判定は間違いだ」

 

「え――」

 

「こいつは『自分はスパイじゃない』と言っただろ? 俺は優しいからな。お前の言葉を信じるよ、フェリペ」

 

「き、気安く呼ぶなこのクソジャップ……ッ!」

 

「差別的な発言だ。ちゃんと記録しておけよ、エマ」

 

「は?」

 

「あぁ、パソコンがぶっ壊れちまったのか。じゃあ仕方ないな」

 

「ア、アナタまさかわざと……」

 

 

 混乱するミラーやエマを無視して、弥堂はフェリペから眼を離さない。

 

 彼への尋問を再開していく。

 

 

「お前はスパイじゃない。なら、俺に敵意を向ける理由がない。俺たちは仲間だからな」

 

「ダ、ダレが……ッ!」

 

「さてフェリペ。もう一度訊くぞ。お前はスパイか?」

 

「チガウって言ってんだ――」

 

「――グゥアァァッ⁉」

 

「――シェキル⁉」

 

 

 フェリペが否定した瞬間、弥堂は拘束しているシェキルの指を一本ヘシ折った。

 

 絶叫を上げるシェキルを目にして、フェリペは瞠目する。

 

 

「もう一度だフェリペ。お前はスパイか?」

 

「オ、オマエ――」

 

「――ギャアァァァッ⁉」

 

 

 弥堂はもう一本、シェキルの指を折る。

 

 

「無回答は否定と受け取る。さて、フェリペ、お前はスパイか?」

 

「マ、マテッ! ヤルならオレを――」

 

「――イガァァァァッ⁉」

 

「――ヤメロって言ってんダロォォォッ!」

 

 

 三本目の指を折ると、ようやくフェリペにも何が行われているかがわかったようだ。

 

 彼の目に宿る感情が敵意だけでなくなり、その色が強くなった。

 

 

 弥堂は痛みに苦しむシェキルに話しかける。

 

 

「おい、ガキ。痛いか? 可哀想にな」

 

「こ、こ、このヤロウ……ッ!」

 

「だが仕方ないんだ。あいつが我が身可愛さに口を閉ざすから。全部あいつのせいだ」

 

「ふ、ふざけるナッ!」

 

 

 堪らずにフェリペが口を挟む。

 

 

「もういいッ! ふりほどけ! 逃げろシェキル……ッ!」

 

 

 弥堂を一喝してからシェキルにそう言うが――

 

 

「――ダ、ダメだ……ッ! コイツ、とんでもないチカラで……ッ!」

 

 

 シェキルは先程からふりほどこうとしていたが、【身体強化】の魔術でブーストした弥堂の腕力の前に為す術もない。

 

 

「ダガッ――」

 

 

 シェキルは弥堂を睨みつけた。

 

 

「この程度のコトでダレが言うとおりニなんかスルかヨ……ッ! フェリペ! オレなら大丈夫ダッ……!」

 

「シェキル……ッ、オマエ……ッ!」

 

 

 強気に言い張るシェキルにフェリペも目を見張る。

 

 弥堂は『語るに落ちたな』と嘆息し、特に何も言わなかった。

 

 

 すると――

 

 

『だからヌルいって言ったんだよ。もっとガツンとイケよ。ナメられてんぞクソガキ』

『個別に監禁して拷問すべきです。生き残れるという希望を持たせる。ですが死をもっと身近に感じさせなければなりません』

 

 

――刀傷沙汰のニオイを嗅ぎつけた血気盛んなお姉さんたちがしゃしゃり出てきた。

 

 

『とりあえずチン毛燃やそうぜ。男なんてチンコ握って焼いてやればピーピー泣いて聞いてもねェことまで喋んだよ』

『いえ、それだと混乱の方が勝ります。相手に見えるようにしながら先端から少しずつ性器や、女なら乳房を削いでいくのです。とはいえ、最初から流血させるのはあまり勧めませんが』

 

『アァ? 血ィ見せなきゃビビんねェだろ?』

『確かに視覚的な効果はありますが、しかし血が流れれば流れるだけ使える時間も減ります。大した情報を取れる前に死なせてしまっては元も子もありません。そう教えましたよねユウキ?』

 

(悠長に時間をかけていられるか。とりあえず一人殺す)

 

 

 仕方なく弥堂が答えてやると、幻覚お姉さんたちは二人とも難色を示す。

 

 

『バッカ、オマエ、殺しはヤベエって』

『そうです。もっと慎重になりなさい』

 

「…………」

 

 

 揃って否定したきたので弥堂は気分を害した。

 

 

(なんでだよ。二人いるってことは一人殺しても構わないってことだろうが)

 

『そういう問題じゃねェんだよ。向こうだったらそれでいいけど、一緒に考えんなよ』

『こっちでは殺人は許されないといい加減覚えてください』

 

(ちょっとくらい大丈夫だろ)

 

 

 異世界組三人は人の生命の扱いについて緊急会議を行う。

 

 もっと人としての根本的な部分で殺人はNGだという価値観を持っている者は一人もいなかった。

 

 

『あっちのよ、あんま戦争とかしねェ戦線から遠い国の騎士団の坊ちゃんたち思い出せよ。行儀ばっかいいだけのふにゃチンどもが居ただろ?』

『ルビアの言うとおりです。周りを見てごらんなさい。この“ごーすと”とかいう者たちは素人です』

 

(…………)

 

『ドン引きしてんだろ? テメエの生命を敵の刃の前に晒したことねェカスなんざこんなモンなんだって』

『ただでさえ貴方はすぐにうっかり弾みで人を殺害してしまうんですから。敵襲の前にまた牢屋に入れられますよ?』

 

(うるせえな。わかったから二人とも帰ってくれよ。気が散る)

 

 

 女二人に責め立てられて弥堂は堪らずに議論を放棄して追い払った。

 

 

 異世界にいた頃から、彼は一人でお外に出すとすぐに異端審問の対象になるような大惨事を起こしていた。

 

 彼女たちから見ると、エアリスとも連絡がとれない現状、何をやらかすか心配で気が気でなかったのかもしれない。

 

 

 弥堂はバイト先までお母さんに様子を見に来られたような気分になったが、持ち前の精神力でどうにか気を持ち直す。

 

 そして部屋の隅に目を向けた。

 

 

「おい、アンタ――」

 

 

 弥堂が声をかけたのは先程ボールペンを借りた隊員だ。

 

 

「アンタ今ヒマだろ? ちょっとあのドア開けて来てくれよ」

 

「ハ?」

 

 

 隊員はわけがわからずにこの部屋唯一の廊下へ繋がるドアへ視線を遣る。

 

 

「早く。必要なんだ。頼むよ」

 

「ア、アァ……」

 

 

 場の雰囲気に呑まれていたこともあって、隊員は弥堂の指示に従ってしまう。

 

 彼が横を通り過ぎようというタイミングで弥堂はスッと立ち上がった。

 

 

「…………?」

 

 

 そして隊員の耳元で何かを囁いた。

 

 その言葉を聞いた隊員は少し緊張した顔で頷いた。

 

 それから出口へと進み、部屋のドアを開け放った。

 

 

 その様子を視ながら弥堂は再びしゃがみこむ。

 

 

『オイ、クソガキ。オマエなにする気だ?』

 

(いいから黙って見てろ)

 

 

 ルビアを適当にあしらったままのどうでもよさそうな眼を、次はフェリペへと向けた。

 

 

「――と、いうわけで。このガキはまだまだ余裕だとよ。お前の答えも変わらないか?」

 

「アタリまえダッ! オレたちは元々無実なんダッ! 変わるワケがナイ……ッ!」

 

「へぇ、そうか。それは立派だな」

 

 

 フェリペは唾を飛ばしながら断言した。

 

 弥堂は気だるげな態度のまま、そのフェリペにもう一度訊ねる。

 

 

「それで? お前はスパイか?」

 

「シラネエヨッ! バァァァァカッ!」

 

 

 フェリペは右腕を伸ばし、明後日の方を向いた中指を弥堂に突きつけた。

 

 

 弥堂は嘆息混じりに肩を竦めてみせる。

 

 

 次の瞬間――

 

 

 弥堂はシェキルを押さえつけていた手を一度離した。

 

 

 すぐに右手で彼の頭を上から押さえつけ、そしてもう片手でシェキルの左の耳朶を掴む。

 

 そして――

 

 

――魔力をさらに【身体強化(ドライヴド・リィンフォース)】の刻印へと流し込み――

 

 

――グッと力をこめて、ソーセージのビニールでも破るようにシェキルの耳を引き千切った。

 

 

「――イギャアアアァァァァッァッ⁉」

 

 

 絶叫を上げて暴れようとするシェキルを力尽くで押さえ込む。

 

 ビチャビチャと血で濡れていく床に彼の顏を叩きつけた。

 

 

 そして、そのシェキルのすぐ目の前の床に、引き千切った耳を落とす。

 

 空いた左手で弥堂は黒鉄のナイフを抜いた。

 

 

「――ヒッ⁉」

 

 

 ナイフの切っ先をシェキルの目の前に出す。

 

 だが、その刃が向くのは彼にではない。

 

 

「ヤ、ヤメロ……ッ!」

 

「…………」

 

 

 弥堂は無言のまま、シェキルの目の前で――

 

 

 まるでまな板の上の具材をそうするように、千切れた彼の耳をトントンっと細かく切り分けていった。

 

 

「ウ、ウワアアァァァ……ッ⁉」

 

 

 悲鳴を上げるシェキルの眼前の床に、彼に刃を向けた状態でナイフを突き立てる。

 

 その手で次は彼の左肘をとる。

 

 関節の隙間にグイっと親指を押し込んで、後は魔術の効果任せに力尽くで肘を折った。

 

 

 シェキルの悲鳴がさらに強まるが、そんなことには一切構わない。

 

 再度ナイフを抜きながら、折れた彼の左の前腕を足で踏みつける。

 

 そうして押さえつけて、彼の小指の先に刃を当てた。

 

 

「知ってるか? ジャパンのマフィアはな、下手こくと指を切り落として詫びを入れるんだそうだ。『ケジメ』だか『オトシマエ』だかって言うんだとよ」

 

「グッ、グアァァァ……ッ!」

 

「スパイだとバレた愚図のお前らに、お前らのボスや雇い主は大層お怒りだろうな。『やれ』と命令される前に事前に自分でケジメつけてから行った方が心証がいいぞ。手伝ってやるよ」

 

「マテッ――」

 

 

 シェキルの指先をジッと見つめながらクールな日本文化を教えてやっていると、正面から声がかけられる。

 

 一連の事を見ていたフェリペだ。

 

 

 弥堂は無言で彼の顏を視る。

 

 

「マ、マテ……ッ! いや、マッテくれ……ッ!」

 

「…………」

 

「ス、スパイだ……ッ! オレがスパイだッ! ダカラ……ッ!」

 

「だから?」

 

「ダカラ、モウやめてクレ……ッ!」

 

「へぇ?」

 

 

 弥堂は関心のなさそうな態度で返すと、シェキルの指に縦に当てていたナイフの刃を返す。

 

 そして刃を横向きにすると、じゃがいもの皮でも向くようにシュッと軽快な動作でシェキルの爪を削いだ。

 

 

「ギャアアアァァッ⁉」

 

「ヤメロって言ってんダロォォォッ⁉」

 

 

 二人の絶叫を耳にしながら視線をドアの方へ向ける。

 

 騒ぎを耳にした外の隊員たちが何人か、廊下から様子を窺っていた。

 

 

 顔を覗かせる者たちを視て、弥堂は眼を細める。

 

 だが、すぐに視線をシェキルの手に戻し、今度はナイフの背を彼の指先に当てた。

 

 そのまま再びフェリペに問う。

 

 

「さて、フェリペ。お前はスパイか?」

 

「ソウダッ! オレがスパイだッ!」

 

「グアァァァ……ッ⁉」

 

「テメエェェェッ!」

 

 

 弥堂は彼の答えを無視して、ナイフの背でシェキルの爪を剥がした傷口をゴリゴリと削った。

 

 意味がわからず、どうしていいかもわからず、混乱を極めたフェリペは怒声で喉を震わせることしか出来ない。

 

 

「スパイだって言ってんダロォがァァッ!」

 

「……だが、お前はさっきはスパイではないと言った」

 

「ソ、ソレは……ッ!」

 

「スパイだと言ったり、スパイではないと言ったり……。俺はどっちを信じればいいんだ?」

 

「スパイだって言ってるダロ! オレは本当にスパイだ!」

 

「ということはさっきは嘘を吐いたのか?」

 

「ソウダッ! あれはウソだった!」

 

「酷いぜ。傷ついたな……」

 

「うぎゃあぁぁぁああッ……!」

 

「もうヤメテくれェェ……ッ!」

 

 

 弥堂はわざとらしく傷心のフリをしながら、いつの間にか返していたナイフの刃でシェキルの指先の肉を削ぎ落とした。

 

 

「信じてクレッ! ホントウにスパイなんダ……ッ!」

 

「そうは言ってもな。どっちが嘘なのか、難しくて俺にはわからないな……」

 

「フザケルなッ! オマエは見ればワカルんだロォォッ!」

 

「どうかな。もしかしたら気のせいだったかもしれん」

 

「ナ、ナンダト……ッ⁉」

 

「なぁ、フェリペ。アンタ本当はスパイじゃないんだろ?」

 

「ハ……? ア? え……っ?」

 

 

 何を訊かれているのかわからない。

 

 どう答えていいのかわからない。

 

 フェリペは完全に呆けてしまった。

 

 

 弥堂は目線を上げて彼のそんな顔を視る。

 

 弥堂のその眼も表情も、最初から何も変わっていない。

 

 

「仲間を疑って悪かったな。無理に言わせるつもりはなかったんだ。アンタはスパイじゃない。そうだな?」

 

「スパイ、ジャナイ……? オレ、は……、スパイ……、チガウ……?」

 

「そうか」

 

 

 翻訳に自信がなくなったのか、フェリペの日本語が覚束なくなる。

 

 弥堂は適当に返事をすると、ナイフをシェキルの手の甲に突き刺した。

 

 もう何度目か、シェキルの絶叫が部屋の外まで轟く。

 

 フェリペはハッとすると慌てて発言を撤回した。

 

 

「チ、チガウッ! スパイだ! スパイなんダ! オレは……ッ!」

 

「どっちなんだよ。はっきりしないな……、だが、そうだ」

 

「……ッ⁉」

 

 

 弥堂がわざとらしく何かを思いついたようなことを言うと、フェリペの警戒度が最大にまで上がる。

 

 何を言われるのか、何をされるのかまるで予想が出来ない。

 

 そんな恐怖に支配された。

 

 

「うってつけのヤツがいるじゃないか。お前の傍に」

 

「え……?」

 

 

 弥堂が顎を振って示したのは、状況に付いていけていなかったミラーだ。

 

 

「驚くなよ? なんと彼女はサイコメトリーという“異能(ギフト)”を持っている。嘘を判別できるんだそうだ」

 

「……ッ⁉」

 

 

 今更わかりきった白々しい説明に、ミラーは身を硬くする。

 

 呆然と自分へ顔を向けてきたフェリペの目に、何故か恐怖を感じてしまった。

 

 

「俺にはわからないが、彼女にはお前の嘘がわかる。彼女に聞いてもらえよ。誠心誠意心をこめて告白すればきっと思いは伝わるはずだ」

 

 

 完全に馬鹿にした弥堂の物言い。

 

 だが、フェリペはそんなことは気にならずに、堰を切ったようにミラーに叫んだ。

 

 

「タノムッ! オレはスパイだ……ッ! ホントウなんダ! 神に誓ウッ! お願いだから信じてクレッ! オレはスパイなんだヨォォォォッ!」

 

「――ッ⁉」

 

 

 その声の剣幕と手から伝わってくる感情に、ミラーは喉から悲鳴が漏れそうになった。

 

 

 彼の言っていることも、感情も、言葉の真偽も。

 

 ミラーには全てわかる。

 

 

 だが、それなのにわけがわからなかった。

 

 

 スパイを疑われた者が、自分がスパイだと信じてくれと必死に懇願してくる。

 

 こんな状況は意味がわからなかった。

 

 

 だが、彼女の能力が『これが真実だ』と彼女に教えてくる。

 

 

 そのことに吐き気を感じた。

 

 得体の知れない気持ちの悪さがあった。

 

 

「――グァッ⁉」

 

 

 すると、大きな物音と少年の悲鳴が上がり、ミラーはハッと我にかえる。

 

 慌てて顔を上げると、どうやら弥堂が部屋の左隅に立っていた隊員の方へシェキルを投げ飛ばしたようだった。

 

 

「おい、そのガキを拘束しておけ。逃がしたらお前もスパイだ」

 

「ワ、ワカッタ……ッ!」

 

 

 弥堂に眼を向けられた隊員は慌ててシェキルを押さえる。

 

 それを確認してから弥堂はミラーの方へ近づいた。

 

 

「手間かけさせんじゃねえよクズが」

 

「――ゥゲェッ⁉」

 

 

 弥堂はフェリペの腹を蹴りつけてから、ミラーへ手を伸ばす。

 

 そして、彼女の襟首を掴まえて乱暴に引っ張り上げた。

 

 

「キャ――」

 

 

 ミラーの口から女らしい悲鳴が漏れる。

 

 彼女は自身がそういった振る舞いをすることを普段は恥じる性格だ。

 

 しかし今は一切気にならなかった。

 

 先程よりも自分の顔へ近づいた弥堂の眼が恐ろしかったからだ。

 

 

 思わず身体から力が抜けて、握っていたフェリペの手を離そうとしてしまう。

 

 しかし、その手を上からフェリペの手ごと弥堂に握られた。

 

 手を引くことを許してもらえない。

 

 

 弥堂はミラーの耳に口を寄せる。

 

 そして低い声で彼女の耳を震わせた。

 

 

「これがサイコメトリーの使い方だ」

「え……?」

 

「平常心の時に、質問に答えさせて、それを嘘か判断する。それじゃ意味がない」

「どういうこと……?」

 

 

 身を緊張させる彼女へ尚も囁く。

 

 弥堂は彼女の服から手を離して、代わりに無遠慮に彼女の腰を抱いた。

 

 

「平常心はある程度コントロールできる。だから精度が下がるんだ」

「…………」

 

「だったら喋らせる内容はなんでもいい。そいつが本当に言いたいことを言わせればいい」

「…………」

 

「今、お前が見ているそいつの感情を覚えておけ」

「この、感情……」

 

 

 ミラーはフェリペの手から伝わる感情を意識しようとする。

 

 だが、それよりも腰に回された力の強い手の方を強く意識してしまう。

 

 

「それが人間の本気だ。本当に追い詰められた人間の本気の感情」

「ほんきのかんじょう……」

 

「人は余裕があると嘘を吐く。必ず打算を働かせる。だからずっと本気の状態に追い詰めておくんだ。それよりも少し余裕が出来たら、必ず嘘を吐く。今の本気の感情の時以外は一切信じるな」

「…………」

 

「相手の答えをコントロールして感情を見るんじゃない。使い方が逆だ。相手の感情をコントロールして、そこから出てくる言葉を見ろ。それがサイコメトリーの本当の使い方だ」

「ほんとうのつかいかた……」

 

「人が本気になる時は大抵死にたくないと思った時だ。だからそう思うような状況に追い込んでやればいい。たまに死んでも構わないと考える頭のおかしなヤツもいるが、その時はどうすればいいかは今見ただろ?」

「で、でも、こんなこと……」

 

「俺だってお前に読まれる側だ。ここまで教えるとデメリットだってある。だが教えた。お前だから特別に教えたんだ。嘘だと思うか? 読めよ。俺を」

「……う、うそじゃない……」

 

 

 それは正直なところミラーにはわからなかった。

 

 彼の感情は最初に彼を尋問していた時と変わらない。

 

 何も一切変わっていない。

 

 誰もが動揺する混沌の中で、一切変わらず、揺れもしない。

 

 

 だけど、そう答えないといけないと、そんな気がして、そう答えてしまった。

 

 

 奇しくも、彼自身のこの不明さに、彼の言った『サイコメトリーの本当の使い方』の信憑性を感じてしまった。

 

 

「そうだ。俺は、俺だけはお前に嘘を吐かない。何故なら使える女と便利な女は好きだからだ」

 

「…………」

 

「さぁ、ジャスティン。次だ」

 

「え――」

 

 

 呆然と弥堂の声を聴いていたミラーは目を見開いて彼の顔へ向ける。

 

 

「次の裏切者を教えてやる。部屋の外に集まってる連中が居るだろ? あいつらにすぐに中に入るように命令しろ。一人も逃がすな」

 

「つぎ…………?」

 

 

 これで終わりではないのか。

 

 まだこれが続くのか。

 

 

 スパイを見つけることが目的で、自分はスパイを見つける側だ。

 

 それなのにミラーは絶望感を抱いてしまう。

 

 

 気が遠くなって膝を落とすが、腰を抱く力強い腕が倒れることを許さない。

 

 

 爪先が血溜まりに落ちてピチャっと音を鳴らす。

 

 

 思考が真っ白になる。

 

 

 だけど、異能を通して伝わってくる冷たくて揺るがない一定の大きさのままの火が――

 

 

 自分は冷静なのだと彼女に錯覚させた。

 

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