俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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2章26 福市 穏佳 ④

 

 ドアを開けっ放しにして拷問が行われていた部屋からは被害者の悲鳴が何の障害もなく外へと漏れて、当然15Fのフロアに響き渡る。

 

 部屋の前の廊下で番をしていた者、尋問の順番を待っていた者、また手が空いていた者たちが一体何事かと集まってきていた。

 

 

 その者達は今、指揮官であるミラーの命令で部屋の中へと入れられた。

 

 

『――なんつーかよォ、スッキリしねェんだよなァ。やり口が陰湿っつーか、男らしくねェっつーか……』

『ですが、結果は出ています。そこをちゃんと評価してあげて下さい』

 

『いやだからよ、その「勝った」とか「負けた」みてェな結果以外何も残らねェから、このバカこんなんになっちまったんだろ?』

『この子は一生懸命やってるんです。貴女が認めてあげないでどうするんですか』

 

『オマエだってさっき文句言ってただろうが』

『結果がまだ出る前なら、どうかと思うことはちゃんと言います。ですが、結果が出た後に責めてもしょうがないじゃないですか』

 

『バッカ逆だって。結果が出た後だから厳しく叱れよ。そうやって甘やかすからこんなワガママになったんだよ』

『ユウキはワガママなんかじゃありません。むしろずっと我慢を強いられてきたんです。ようやく自分の裁量で自由に出来る範囲が広がってきたんですよ。少しくらいいいじゃないですか』

 

『ホント懲りねェな、バカ女がよォ。オマエ油断すんなよ? 絶対ェまだこんなモンじゃ――』

 

 

 何やら息子の拷問についての感想戦のようなものをやりあっている幻覚女どもの声を弥堂は聞き流す。

 

 

 そんなことよりも、部屋に入ってきた隊員たち一人一人へ魔眼を向けた。

 

 彼らは部屋内の惨状を見て不審そうにしたり、顔色を悪くしたりしている。

 

 

 尋問の順番待ちの為にこのフロアに来ていた者は特にそれが顕著だ。

 

 次は自分の番なのではないかと――

 

 

 すると、一通り隊員たちが入り切った後で、先程弥堂にドアを開けるように頼まれた黒人隊員が、駆け足で廊下から部屋の中に戻ってきた。

 

 その隊員はミラーの元に来ると、彼女へ耳打ちをする。

 

 

「……えっ?」

 

 

 何名かの名前を告げられたミラーが困惑するのを尻目に、弥堂は出口の方へ向かった。

 

 廊下を覗いて外には門番以外は残っていないことを確認し、部屋のドアを閉める。

 

 

「マッドドッグ、どういうこと……⁉ 彼に何を命令したの?」

 

 

 ミラーとミラーの横で気まずそうにしている隊員を視て返事をする。

 

 

「あぁ。今説明しに行くよ」

 

 

 言いながら、弥堂は所狭しと立っている隊員たちの間を通ろうとした。

 

 

「悪い。ちょっと通してくれないか?」

 

「エ? ア、アァ……」

 

 

 何人かには日本語が通じなかったが、わかる者が道を空けようとすると他の者たちも察してそれに倣う。

 

 

「ありがとう」

 

 

 弥堂はその隙間に自分の身体を入れて一人の隊員に密着すると――

 

 

「――ゴァァァッ⁉」

 

 

――瞬時に“零衝”を打ち込んだ。

 

 

 一撃で白目を剥いた黒人の男が胃液を撒き散らしながらミラーたちの前まで転がって倒れる。

 

 

「マッドドッグ⁉ アナタいきなり――」

 

「――スパイだ」

 

「――え……?」

 

「そいつもスパイだ」

 

 

 事も無げに言ってみせる弥堂にミラーも隣の隊員も茫然としながら、足元に倒れて悶絶する男を見た。

 

 

「スパイ……? 彼も……? そんな、まさか……」

 

「後は、そうだな……」

 

 

 譫言のように声を漏らすミラーを気にもかけず、弥堂は並べられた男たちをジロリと眺める。

 

 瞳の奥に灯った蒼銀の光の不気味さに、隊員たちはビクリと肩を反応させた。

 

 

 弥堂はその内の一人に視線を合わせる。

 

 目が合った隊員の男は慌てて英語で何かを喋り出した。

 

 

“な、なにが……ッ、一体何が起こってる……⁉ 何故バレた……⁉”

 

「アイアムハロー」

 

 

 弥堂は自身の知る数少ない英単語を駆使して、精一杯のフレンドリーさを演出しながらその男に近づいていく。

 

 

“く、来るな……ッ! オマエはなんなんだ……ッ!”

 

「ユー、スパイ、ファック」

 

 

 手短に罪状と害意を伝えると、歩行の動作から無拍子で繋げて足を伸ばす。

 

 無造作に繰り出したように見えるその蹴りで、慌てるスパイの膝を横から踏み折った。

 

 

 悲鳴をあげて転がるその男を部屋の中央の方へ蹴り転がし、ミラーの前に突き出す。

 

 ミラーは新たな罪人をジッと見て、それから弥堂へ視線を向けた。

 

 

「コイツも、なの……?」

 

「そうだ。この二人も最初の二人と一緒に街に居た。外人街が雇った傭兵団。その一味だよ」

 

「こ、こんなに這入りこんでいるの……⁉」

 

「こんなものじゃない」

 

 

 ゼロだとは思っていなかったが、予想以上だったのだろう。

 

 戦慄するミラーに弥堂はなおも冷淡に告げる。

 

 

「わかりやすく仲間の悲鳴を聞かせてやったら簡単に釣れたな」

 

「……わざとエサにする為にドアを開けさせたの?」

 

「それだけじゃない。そっちの彼から報告は聞いたな?」

 

「え?」

 

 

 弥堂は先程ミラーに耳打ちをした黒人隊員に目線を遣る。

 

 男は慌てて頷いてみせた。

 

 弥堂はミラーへと目線を戻す。

 

 

「彼に頼んでおいたんだ。部屋を覗きに来て慌てて何処かへ行こうとするヤツがいたら顏と名前を覚えてアンタに報告しろと」

 

「なるほど。そいつらもスパイの……」

 

「仲間である可能性が高い。今から彼にそこに残ってる連中を連れて、逃げたヤツらを捕らえるよう命令をしろ」

 

「……そいつらを次に尋問すればいいのね?」

 

「そうだ」

 

 

 弥堂はミラーの察しの良さに満足すると、また隣の隊員の男の方を向いた。

 

 

「おい、聞いていたな? すぐに行け。逃げたヤツと接触したヤツも残らず引き摺ってこい。抵抗したら殺せ」

 

「え? あ、いや……、だが……」

 

 

 命令をしろとミラーに言っておきながら、弥堂は勝手に自分で命令をする。

 

 自分の都合しか考えていない効率厨のバカ犬はせっかち過ぎて、一切の待てが出来ないのだ。

 

 

 そんな身勝手で偉そうな余所者の日本人の若造に黒人隊員さんは困惑する。

 

 すると、弥堂の眼光がギロリと鋭さを佩びた。

 

 

「なんだ? スパイを捕らえる為の行為に何か文句があるのか? もしかしてお前もスパイなんじゃないのか?」

 

「マ、マテッ! 誤解ダッ……! スグに行ク……ッ!」

 

 

 先程の残虐な行為を目の当たりにしていた男は慌てて、他の隊員の方へ駆けて行った。

 

 そしてすぐに部屋の外から集められた隊員たちに指示を出し始める。

 

 

 弥堂はつまらなそうに鼻を鳴らしてその様子を眺めていたが――

 

 

「――あぁ、待て……」

 

 

――突然制止の声をかける。

 

 

 隊員たちは困惑と不審を表情に表すが、弥堂は続きを何も言わない。

 

 ただ、その視線は彼らの内の一人にずっと固定されていて、ある隊員をジッと視ていた。

 

 

 アジア人種の男だ。

 

 

 弥堂に眼を付けられたその男は困惑を強めた。

 

 

 無言のまま弥堂が近づいていくと、男の表情には強い不安が見えるようになった。

 

 

 あと数歩という距離まで近づくと、隊員の男は弁明をする為か、口を開けようとする。

 

 

 そのタイミングに合わせて弥堂は一気に距離を詰めた。

 

 

 ヒュンっと右肘が振られると、カキャッと軽い音が鳴る。

 

 

 男の顎の付け根を打った弥堂の肘が一撃で彼の顎を壊した。

 

 

 また一人、悶絶しながら床をのたうつ。

 

 弥堂はその男の鳩尾を蹴り上げて気絶させ、また他のスパイたちの方へと転がした。

 

 

《――えっ……⁉》

 

 

 目の前に転がってきたアジア人種の男の顔を見て、フェリペが困惑の声を漏らした。

 

 

「一人忘れてた。こいつもスパイだ」

 

「これでもう5人よ……ッ」

 

「うっかり顎割っちまったから喋れないが、他に4人もいるから別にいいよな」

 

「…………」

 

 

 深刻な顔をするミラーに弥堂は軽く肩を竦めて、それから他の隊員たちに顎を振る。

 

 

「早く行け。さっさと裏切者の首に縄を架けて引き摺って来い」

 

“ア、アァ……! オイ、オマエとオマエは残れ。残りはオレに着いて来い!”

 

 

 英語での返答だったので何を言っているか弥堂にはわからなかったが、特に気にせずにミラーに近寄った。

 

 

「アナタは行かないの?」

 

「俺は他にやることがある」

 

「……それは何?」

 

「今出て行ったヤツらが連れてきた連中をお前が尋問している間に、もっと見つけて来てやるよ。スパイを。だからジャスティン――」

 

 

 ジロリと魔眼がミラーを覗く。

 

 

「――権限を寄こせ。自由に動ける権限を。俺に」

 

「…………」

 

 

 当然即答できる話ではなかった。

 

 ミラーはチラリと床に転がるスパイたちを見る。

 

 

 弥堂の異能の力はわかった。

 

 だが、彼の見せた人間的な危険性のせいで頷けない。

 

 彼一人で野放しにしたら何が起こるかわからない。

 

 

 やはり許可は出来ないと決めて視線を戻そうとした時に気が付く。

 

 

「――ッ⁉」

 

 

 目を離した隙にいつの間にか弥堂がすぐ間近にまで寄っていた。

 

 

 スッと伸びてきた手がミラーの顔と横髪の隙間に侵入してきて頬に触れる。

 

 

 年下。男。日本人。

 

 そんな存在に無遠慮に触れられることに屈辱を感じる。

 

 だがその屈辱は彼の手を跳ねのける原動力には至らない。

 

 頬から伝わる彼の心に萎縮してしまう。

 

 

「よく考えろ。この時間たまたまこの部屋に集まってきただけで5人だ。ホテル全体となったら何人いるかわからない」

 

「…………」

 

「今までのやり方で続けていたら夜が明けても終わらんぞ。目的を間違えるな。目的はあくまで博士の護衛だ。スパイ探しはその一環に過ぎない」

 

「……そうね」

 

 

 それを見透かしたかのように彼がズケズケと言葉を連ねる。

 

 タチの悪いことに、その意見自体は正しい。

 

 

 弥堂はなおも続ける。

 

 

「おかしいと思わないか?」

 

「……なにが?」

 

「今回のヤマ、殺し合いが起きるのは最初からわかっていただろ」

 

「そうね。それが?」

 

「じゃあ何故この部隊には“使える兵隊”が少ない?」

 

「――ッ」

 

 

 図星。

 

 痛いところを突かれたとミラーは肩を跳ねさせた。

 

 

「戦場育ちだ。異能がなくても見ればわかる。アメリカは兵士が多いんだろ? 不自然だ。博士が本当に大事なら」

 

「……何が言いたいの?」

 

 

 思わずキッと睨み返して聞いてしまう。

 

 そうしてから後悔した。

 

 

「俺はお前らの内情など知らない。だが居るだろ?」

 

「……誰が?」

 

「お前の上に。お前を気に入らないヤツが」

 

「……なんですって?」

 

「若くて、美しく、賢い。おまけに“異能(ギフト)”まである。そんなお前のことを――お前が出世することを妬み、疎ましく思っている老人が。無能な男が」

 

「…………ッ」

 

 

 聞いてはいけない――

 

 ミラーはそう危機感を覚える。

 

 

 だが、浮かんでしまった。

 

 

 確かに居る。

 

 

 弥堂が言った内容に該当する人物が。

 

 

 いくらなんでもそんなわけはない。

 

 

 だが、思い浮かべてしまった。

 

 

 だからこれ以上は聞いてはいけない――

 

 

 ミラーは反射的に身体を離そうとする。

 

 逃げるために。

 

 

 だが――

 

 

「――ッ⁉」

 

 

 後ろに一歩下がると、強い力で腰を掴まれて引き戻されてしまう。

 

 グイっと、さっきよりも密着するように身体を付けられた。

 

 

 そして、彼の顔が耳元に近づく。

 

 先程のように耳元で低い声音で囁いてくる。

 

 

「ハメられたんだよ。お前は」

「そ、そんなわけ――」

 

「このままだと失敗するぞ?」

「それは……ッ」

 

「お前を陥れる罠じゃなかったとしても。だが、居るだろ? お前が失敗すると喜ぶヤツが」

「…………ッ!」

 

「いいのか? 嘲笑っているぞ? そいつは。今のお前を」

「ア、アナタ……ッ!」

 

 

 疑心の種を耳から入れられ、脳に植え付けられる。

 

 彼が自分たちの内情など知っているはずがない。

 

 だが、思い当たることはある。

 

 否定の言葉は吐けても、自分自身心の裡で疑ってしまう。

 

 

「だけど……ッ! アナタのやり方は過激すぎるわ。ワタシたちは半分は警察組織なの。あんなことは許されない……!」

 

 

 自身の裡で生まれた闇を祓うように、拒絶の言葉をぶつける。

 

 

「誰が許されないんだ?」

 

「え?」

 

 

 だが、簡単に、そしてまた思いもしない言葉を返されてしまう。

 

 

「俺は“G.H.O.S.T(ゴースト)”じゃない。お前らの規則も、アメリカの法律も、俺には関係ない」

「だからって好き勝手――」

 

「――勘違いするな。そうじゃないだろ。お前が規則違反を咎められても、それは外部の人間が勝手にやったこと――俺はそう言っているんだ」

「ア、アナタ……ッ⁉」

 

 

 そして頭のいいミラーには、何を唆されているのかがわかってしまう。

 

 

「お前は俺を“G.H.O.S.T(ゴースト)”に組み込もうと考えていたようだが、それは思い違いだ。俺の使い方はそうじゃない」

「子飼いや私的な手駒にしろと言うの?」

 

「それはお前の好きにすればいい。だが、俺は“G.H.O.S.T(ゴースト)”じゃないから、お前らの出来ないことが出来る。お前に都合のいいことだけをしてやる」

「…………ッ」

 

「今後のことは気が早いとしても、だ。今夜に関してはそうでもしないとしくじるぞ。それはお前もわかってるだろ?」

「そ、それは……」

 

「今夜をしくじれば先は無い。俺も、お前も。どうするかを考えるのは今日を越えた後だ。お前のキャリアも。家の再興も。俺たちの関係も。そうだろ?」

「…………ッ」

 

 

 否定を許されない悪辣な問い。

 

 事実として、今夜の博士の護衛を失敗すれば規則も、野心も、夢も、何もかもが意味がなくなる。

 

 

 正義。道徳。遵法。

 

 それらがまだ枷となり、彼女を頷かせない。

 

 先程までとは違い、今はそれらが邪魔だと感じてしまった。

 

 

「ジャスティン。お前のサイコメトリーには一つ致命的な弱点がある」

「じゃくてん……?」

 

 

 激しい迷いを抱いていると、急に違う話をされてしまう。

 

 結論はどこかへ消えた。

 

 

「それは疑わしいヤツ、怪しいヤツがお前の目の前に居ないと、お前は何も出来ないことだ」

「それは……」

 

「だが、俺はその弱点をチャラにしてやれる」

「――ッ⁉」

 

 

 その一言でミラーは察する。

 

 

「頭のいいお前ならわかるだろ? 俺はその怪しいヤツをお前の前に引っ張ってこられる。お前のフルポテンシャルを引き出してやれる」

「…………」

 

「ジャスティン・ミラー。俺とお前は二人で一つ。二人で完全だ。俺が居ればお前はパーフェクトに為れる」

「ワタシは……ッ」

 

「それは俺も同じだ。俺には嘘吐きは見つけられても、それだけでスパイだと確定はさせられない。別にスパイじゃなくても嘘吐きなんていくらでもいるからな。何が言いたいかわかるよな?」

「や、やめて……ッ」

 

 

 弥堂はミラーの身体を抑える腕の力を抜く。

 

 だが、彼女の身体は離れない。

 

 

「俺にもお前が必要なんだジャスティン。お前はどうだ? 必要じゃないか? お前の代わりに手を汚すヤツが」

「ワ、ワタシは……ッ」

 

「俺が欲しいのは生活に困らない金と、権力との程ほどの距離だ。他には何もいらない。お前が全部持っていけ」

「だ、だけど……」

 

 

 弱気な声を出す女を弥堂はジロリと見下ろし、さらに彼女を勾引(かどわ)かす。

 

 

「俺が清祓課や“G.H.O.S.T(ゴースト)”なんてものの存在を知ったのはつい数日前。この依頼を持って来られた時だ」

「……だから?」

 

「つまり、現在最もスパイと遠い人物が俺だ」

「…………」

 

「仮に俺がクロな場合、その時は清祓課と佐藤、なんなら日本そのものがクロだということになる」

「……その場合、日本がアメリカに敵対するということになる。いくらなんでもそれは考えづらいわね」

 

「そうだ。お前は賢いな」

「バカにしないで」

 

「ちなみに。俺は以前に全く別の関係ない依頼で、御影と一緒に外人街の連中を殺しまくったせいで、連中には相当嫌われているだろう」

「…………」

 

 

 それは安心と保証という名の痺れ薬だ。

 

 疑いと危機感を麻痺させる。

 

 

「あとは俺を尋問したお前のスキルと判断。それと俺が目の前で見せたもの。それらを踏まえてお前が決めろ」

「……ワタシを試しているつもり?」

 

「別に。俺が受けたのは『博士の護衛』だ。『スパイの検挙』じゃない。もちろんヤツらを排除出来れば任務の成功率は上がるが、それが出来なければ絶対に博士を守れないというわけでもない。厳しい戦いにはなるだろうがな」

「…………」

 

「だが、仮に失敗しても別に俺は責任を問われない。金を貰えなくなるが、また別の機会に別の依頼を受けるだけのことだ。だが、お前はどうだろうな?」

「それは脅しているの……?」

 

「違う――」

 

 

 弥堂はミラーの耳に唇を触れさせた。

 

 

「――口説いているのさ」

「――ッ」

 

「もう一度言うぞ。俺を求めろ。そうすればお前はパーフェクトだ。ジャスティン」

「…………」

 

「俺を上手く使え。お前にならそれが出来るだろう? 優秀なお前になら――」

 

 

 答えてはいけない。

 

 これは悪魔の囁きだ。

 

 

 ミラーは自分をそう戒める。

 

 だが、了承の言葉も、拒絶の言葉も、喉からは出てこなかった。

 

 

「言葉にしづらいのなら、別の方法をくれてやる――」

 

 

 すると、弥堂の手がミラーの手を取る。

 

 弥堂はそれを動かして、彼女の手ごと自身の首から垂れるネクタイを握った。

 

 

「これはリードだ――」

「え……?」

 

「お前の犬を縛る。そんな鎖、縄、言い方はなんでもいい」

「なに……?」

 

「言葉に出来ないのならこうしよう。もしも了承ならこの鎖から手を離せ。逆に、拒否するならこうしてずっと縛っておけばいい」

「…………ッ」

 

 

 グッと弥堂が手に力をこめると、ミラーは僅かな痛みに身を縮める。

 

 ネクタイを掴まされている手。

 

 だが、そこにミラーの力は殆ど入っていない。

 

 

「これを離せば戒めは解かれ、お前の犬が戦場に放たれる……」

「犬……? 狂犬……?」

 

「違う。犬ではあるが狂ってはいない。正常で優秀なお前の犬だ。お前の為にお前の敵の首を咥えて引き摺ってくる――そんな便利な犬に俺がなってやる」

「…………」

 

「恐いのなら今晩だけ試してみるのはどうだ? 使い心地を確かめて、最終的な答えはそれが終わってからでもいい。仮の契約。あくまで、仮のな。どうだ?」

「ワタシ……あっ――⁉」

 

 

 言うだけ言って弥堂はあっさりと手を離す。

 

 ミラーの手もネクタイから離れて落ちていく。

 

 自分の意思で離したのかどうか、彼女には判断がつかなかった。

 

 

「契約成立だな――」

 

「まっ――」

 

 

 否定をする前に弥堂は身体ごと離れていく。

 

 自身の身を覆っていた体温がなくなると、ミラーは喪失感を覚えてしまった。

 

 

 その喪失感は物理的なものなのか、それとも取り返しのつかないことをしてしまったという後悔なのか。

 

 彼女にはわからなかった。

 

 

 撤回しなければと弥堂へ声をかけようとした時、部屋の中に何名かの隊員が駆け込んでくる。

 

 先程尋問を終えた博士の護衛担当のケインたちだ。

 

 

「なにかあったのか――」

 

 

 部屋に入ってきたケインはそう訊ねようとして、床に転がる血塗れの隊員たちを見てギョッとする。

 

 

「ゴメンなさい。私が呼んだの。彼らにも現状の説明が必要だと思って……」

 

「エマ……」

 

 

 どうやら秘書官のエマが気を利かせたようだ。

 

 

 弥堂もその秘書官の方へ眼を向けて魔眼で視る。

 

 弥堂の視線に気付いた秘書官は怯えを見せた。

 

 

「…………」

 

「これは――」

 

「――そいつらはスパイだ」

 

「なんだと⁉」

 

 

 ケインが現状を問うと弥堂はエマから視線を戻して素早く回答する。

 

 ミラーに喋らせないように。

 

 

「ケイン。連れてきた連中はアンタの側近か?」

 

「ア、アァ。そうダ」

 

「ミラー。彼らは信頼できるか?」

 

「え? えぇ……、最も信頼できるメンバーよ。博士の護衛だもの」

 

「そうか。俺の眼から視ても問題ない。ケイン、そいつらにホテルの従業員や出入りの業者を洗わせろ。何人かは残してお前と一緒にこのスパイどもの尋問だ」

 

「ナ、ナンダト……ッ?」

 

 

 勝手に指示を出し始めた弥堂に困惑したケインはミラーを見る。

 

 弥堂はケインからは見えないように、背後からミラーの腰に手を回してベルトを掴んだ。

 

 ミラーはそのショックでつい頷いてしまう。

 

 

 ケインは怪訝そうにしながらも、職業軍人らしくすぐに連れてきた部下を振り分け始めた。

 

 ミラーは不安に満ちた目で弥堂に問う。

 

 

「……アナタはどうするの?」

 

「まず博士に近い者から洗う。ダニーに、俺が部屋に戻ったらヤツのチームのヤツらを連れてお前のところに来るよう指示を出せ」

 

「ダニーを? それでどうするの?」

 

「ヤツらをもう一度尋問しろ」

 

「彼らも怪しいの……?」

 

 

 窺うような目のミラーに弥堂は即答で頷く。

 

 

「ジェイミーってヤツがいるだろ? 麻薬の横領をした黒人だ。アイツはスパイだ」

 

「なんですって……⁉」

 

「同じチーム内の他のヤツはグレーだ。元から犯罪者だから俺では判断が難しい。お前がもう一度確かめてみてくれ」

 

「……わかったわ」

 

「その間、俺はホテル内の他の隊員を視て回る。判定の終わった者から博士の近くに配置をしなおせ。まだ確証のないヤツは博士の遠くに動かせ」

 

「そうして遠ざけた者から洗っていくのね」

 

「そうだ。夜までには粗方終わらせるぞ」

 

 

 ミラーは一度目を瞑り、そして瞼に力を入れる。

 

 目を開いて弥堂を見た。

 

 

「――いいわ、マッドドッグ。アナタのアイディアを採用します」

 

「そうか。じゃあ――」

 

 

 弥堂は聞きたいことが聞けた瞬間に足を動かす。

 

 真っ直ぐ部屋の出口へと向かった。

 

 

 ミラーはその背を見送り――

 

 

「――コナー!」

 

 

――そうになったところで、エマの隣にいた護衛の隊員に声をかける。

 

 

「一人連れてマッドドッグに着いて行って。彼のサポートと……」

 

「ラジャー――」

 

 

 それはミラーのせめてもの抵抗だったのかもしれない。

 

 コナーは言葉尻の続きを読み取り、一人の隊員に声をかけて弥堂の後を追う。

 

 

 弥堂が廊下に出ると、建物全体に慌ただしさを感じた。

 

 大きな混乱の気配を感じる。

 

 それはよく肌に馴染む。

 

 

「さぁ、ネズミ狩りだ――」

 

 

 様々な勢力の思惑が蠢く巨大な箱の中へ――

 

 

――返り血に塗れてなお血に飢えたままの狂犬が解き放たれた。

 

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