ポートパークホテル美景、907号室――
《――どうなってんだ、クソッタレめ……ッ!》
《…………》
部屋のドアのすぐ近くでビアンキが歯を噛み毒づく。
そのすぐ傍――ドアに肩をつけたアレックスは眉間に皺を寄せて考えを巡らせていた。
《なんだよ日本人のガキって……! ふざけやがって……ッ!》
(日本人……? まさかな……)
アレックスの頭にふと一人の男の顏が過る。
それはつい最近街で出会った同類のニオイがした男。
《なぁ、アレックス。なにが起こってると思う?》
《ん? あぁ……》
だが、ビアンキに水を向けられると、その想像は霧散した。
《わかんねェな》
《わかんねェって……》
《この情報だけじゃまだはっきりと答えは出せねぇよ。それより……》
アレックスはビアンキの方からドアの方へ顔を向ける。
《……オマエは大丈夫だったのか? エマ――》
アレックスたちの居る部屋の中とドア一枚を挟んだ反対側――
《――とりあえず、はね……》
廊下で907号室のドアに背を預けるようにして立っているのは、“
――秘書官のエマだった。
《でもわからねェ。アタシにも何がなんだか……》
先程とは打って変わった口調の荒さ。
あの尋問室での出来事の後、数時間で起こったことを彼女はアレックスたちに伝えていた。
《あのジャップのガキ。気味のワリィ目でみやがって……ッ!》
《オイオイ、素が出てるぜ? そんなんじゃ育ちがワリィってバレちまうぞ》
揶揄うようにアレックスが窘めると、黒人女性は息を吐いて気を落ち着ける。
エマはアレックスたちの仲間で、かなり前から“
《スパイを見破るギフトだと……? 冗談じゃねェぞ……ッ!》
今しがたエマから聞いた話にビアンキも危機感を覚えている。
《アタシは泳がされてる可能性もある。出来るならこの後、潜伏場所を変えた方がいいかもしれない》
《そうだな……》
アレックスは返事をしながら状況を整理する。
アメリカの“
それを外人街に雇われた自分たちやカルト宗教の鉄砲玉が狙いに来た。
元々リークされていたホテルに伏兵を配置して待ち受けていた所、直前で宿泊先が別のホテルに変更された。
アレックスたちと“
自分たちが内部できっかけを起こし、外の本隊を攻め込ませることを考えていた。
しかし、突然現れた日本人の“
これが彼らの現状だ。
《そんな“
《実際清祓課と仕事するのも今回が初めてらしいわ。完全なイレギュラーね。クソッタレ》
《隠し玉ってことか? 思ったより日本も今回の件にマジなんだな》
《でも、おかしいこともあるわ》
《おかしいこと?》
エマの言葉にアレックスは眉を跳ねさせる。
《スパイとして捕まったヤツの中に、アタシの知らないヤツが何人も混じってる。アイツらも本当にスパイなのか……⁉》
《なんだと? どういうことだ?》
《わからない……ッ! なのにアタシは見逃されてる……! なんなんだあのガキ……ッ!》
《…………》
焦燥したようなエマの声を聴き流しながら、アレックスは目を閉じて思考に集中する。
《クッソ。ダメだ。オレには全然わっかんねェ。なぁ、アレックス。どういうことだよ?》
《ちょっと待てよ。今考えてる》
《フェリペやシェキルも捕まっちまったんだろ⁉ 助けにいかねェと……ッ!》
《少しは落ち着けって、しょうがねェなァ……》
仲間を案じて焦るビアンキの様子に呆れつつ、ようやくアレックスは目を開けた。
《考えられることは2つだ――》
仲間たちを落ち着かせるために、アレックスは冷静な声音を心掛けた。
《まず一つ。そのジャップの異能が完全でないこと》
《完全じゃない?》
《あぁ。シンプルだよ。スパイの選別を完璧には出来てないってことだ。本人がそれをわかっていないかもしれないし、もしかしたらわかってて手当たり次第吊るしてるイカレ野郎な可能性もあるが、そこまではわかんねェ》
《……なるほど。もう一つは?》
アレックスはビアンキに一つ頷いてやり、先を続ける。
《もう一つはオレたちがハメられたってことだ――》
その言葉にビアンキとエマはハッとした。
《計画が狂ったから強引な襲撃を仕掛ける為に“
《ど、どういうことだ?》
《わざと本物のスパイとそうでないのを混ぜて捕らえてるってことだ。偽物のスパイだけじゃすぐに尋問でバレるだろ? だから本物のスパイも捕まえる》
《そ、そういえば……ッ》
アレックスの仮説にエマは一つ思い当たることがあった。
《捕まったスパイの中で、アタシが仲間だと把握してない連中。口もきけないくらいに重傷を負わされてるのが多いかもしれない……!》
《クセエな。こりゃあちょいとマズイかもしんねェぞ》
《外人街……、あのチャイナども……ッ! オレらをハメやがったのか……!》
《そりゃあちょっとわかんねェ。その場合はそのジャップは外人街に雇われたスパイってことにもなるしな》
怒り心頭のビアンキに冷や水をかけるようにアレックスは肩を竦める。
《オレらは元々ヤツらとは関わりがないに等しかった。そのオレらをわざわざ呼び寄せてこんなとこに放り込んで始末する。そりゃあ無理筋だ。メリットがねェよ》
《それは、そうか……》
《予定が狂ったから形振り構わなくなった。オレはその線を推すぜ》
《…………》
《…………》
ビアンキとエマは沈黙した。
先行きが見えなくなったからだ。
《エマ。ダリオは?》
その暗雲を払うように、アレックスは軽い調子でエマに訊ねる。
《……外の清祓課の網にかからないギリギリにまで戦力を配置してる》
《そうか。捕まった仲間は?》
《15Fで纏めて拘束されてるわ。ありえない人数で本部はもうパンク状態よ》
《なるほどね。必ず助けに行くから無茶すんなって言っとけ。どうせ元々の計画はオジャンだ。多少喋ったとこで関係ねェしな。博士は?》
《変わらず20Fよ》
《オーケー……》
状況を整理し直してアレックスは次の手を考える。
《15Fを襲撃して仲間を解放。そいつらと一緒に20Fの博士を奪う。そのまま屋上まで駆け抜ける――これしかねェな》
《でも、どうやって?》
《幸い“
《ダリオはきっかけをくれればいつでも突入出来ると言っていたわ》
《そうか……》
《アレックス。例のヤツを使うの?》
《それしかねェよなァ……》
アレックスは懐に手を入れて、ポケットからそれを取り出す。
《ダリオに伝える?》
《いや。オマエも監視されてる可能性がある。通信が盗聴されたらもう終わりだ。それに、ダリオならアドリブで合わせてくる。大丈夫だ》
《わかったわ》
《オマエはなるべく大人しくしとけ。自分の身の安全を優先しろ》
《えぇ、ありがとう》
そこまで情報を交換したところで、エマはドアから背を離して廊下を歩いていく。
遠ざかる足音を途中まで追ってから、ビアンキは不審げな目をアレックスの手に向けた。
《それマジで使えんのか?》
《さァな》
懐疑的なビアンキにアレックスは肩を竦める。
《一応コイツを調べさせたが、ちゃんと生きてるし問題なく作動するだろうってよ》
《まぁ、それに賭けるしかねェか……》
《そうだな――》
ビアンキに答えながら、アレックスは手の中の物を意識する。
彼の手にあるのは小型のリモコンのような機械。
ボタンは一つだけ。
《やるしかねェ――》
――アレックスはニヤリと口の端を吊り上げて、獰猛に歯を剥きだしにした。