15F、指揮官執務室――
“――ジャスティン、このままじゃマズイぞ……!”
“
焦燥を浮かべるケインに、ミラーは重く息を吐き出した。
“わかっているわ……。だけど、今はそうも言っていられる状況じゃない……”
次々と送られてくるスパイ容疑者たちへの対応で、彼女は疲弊していた。
確かに、スパイを見破るという弥堂の能力を目の前で見て有効性を認めはした。だが、彼に自由を与えた瞬間にこんな数十人ものスパイが湧き出て来るとまでは想定していなかったのだ。
想定外なのは彼女だけではない。
ケインもギリッと歯噛みをする。
“状況は理解している……! 現在の危機的状況も……ッ! だが、あまりにも……ッ!”
“何が言いたいの?”
“これでは粛清だッ! 我々はU.S.A.だぞ⁉ こんな旧ソ連のようなやり方は受け入れられない……ッ!”
“…………”
それに関してミラーは反論の言葉が見つからなかった。
スパイの検挙という点では実際に途轍もない成果を上げてはいるが、人道を無視した弥堂の苛烈な振舞いは大きな反感も生み出していた。
おまけに、スパイ認定の根拠は“
そして、不都合はそれだけでなく――
“――深刻な人員不足だ……ッ!”
あまりに大量のスパイが見つかったこと。そしてそれへの対応にもさらに人数を割かれ、実働戦力が半減してしまっていた。
“確かにスパイに気付かずにそのまま運用していたら大変なことになっていた。オレにも責任はある。しかし、このままでは……ッ!”
襲撃をされた時に守り切れるのかという不安が生まれており、博士の最も近くで護衛をする彼にはとても受け入れられる状況ではないという主張だ。
それはミラーにとっても同じ悩みの種である。
“襲撃を想定した場合、2Fの防衛ラインの数は減らせない……”
“巡回する隊員の数が足りていない。ツーマンセルで3フロアを見なければならない状態だ。仮にまだ侵入者が居た場合、これではあまりに不安定だ……!”
“わかっているわ。だけど、それなら尚更スパイを見過ごせない”
“だが――”
“――オイッ! いい加減にしろよッ!”
ケインが尚も反論をしようとした時、背後から怒鳴り声が挿しこまれる。
ダニーだ。
再度尋問をするとここに連れて来られその順番を待っていたのだが、二人の口論に痺れを切らしたようだ。
“兵隊が足りねェってんなら、さっさと尋問を終わらせてオレを解放しろッ! テメエらの無駄話の方がよっぽど現状を悪くしてんだよッ! ボケがッ!”
“ダニー……”
その無礼な物言いにミラーが舌を打つ。
すると目の前にケインが手を差し入れて、彼女を制止した。
“すまない。ダニーの言う通りだ。つい口が過ぎた。許してくれジャスティン”
“……えぇ。ワタシも悪かったわ”
“では持ち場に戻る”
形式上の手打ちを行い、ケインはジャスティンのデスクから離れようとする。
“――ジャスティン! 大変よッ!”
そこへ秘書官のエマが駆けこんできた。
ミラーは眉を顰める。
“どうしたの、エマ”
“11Fで隊員同士のトラブルよ”
“具体的には?”
“ケンカよ。執成す人を寄こして欲しいって……”
“――オレが行こう”
ミラーが額を押さえようとした時、ケインがそう申し出る。
“そちらを収めてから博士の護衛に戻る”
“……悪いけれど、よろしく頼むわ”
“どうにかこのまま今夜を乗り切るしかない。協力し合おう”
“えぇ、そうね……”
あまりにくだらないトラブルの内容だと吐き捨てたくなったが、そんなトラブルが起きるほどに空気が悪くなっているのが現状なのだ。
それに愚痴を言っても何も解決されず、ケインの言う通りに協力して乗り切る他なかった。
“待たせて悪かったわね、ダニー。座ってちょうだい”
部屋を出て行くケインの背をチラリと見て、それからミラーは尋問を再開した。
20F、博士の部屋――
「――影武者、ですか……?」
「そうだ。お前は本物の福市 穏佳ではない」
こちらの言葉を反芻する彼女へ弥堂ももう一度繰り返した。
<え……? どういうこと? この人はニセモノってこと……⁉>
<そうだ>
驚くウェアキャットにも当然だと即答する。
「狙われているとわかっている場所に、わざわざ本物を持って来る馬鹿はいない」
「はぁ……」
弥堂は確信を持ってそう言った。
<そ、そうか……。言われてみればそうだよね……>
その意見にはウェアキャットも納得がいったようだった。
<スゴイねキミ。よくわかったね。もしかしてそれもギフトで?>
<そうだ>
本当は違うが、弥堂は説明が面倒だったので適当に即答した。
(それに――)
上記の理由以外にもそう考えた要因はある。
それはこの女生徒の初対面の時にも既に考えたことだった。
(こんな毒気のない女に禁忌が創れるわけがない)
“
そういったことをやらかす人間には、表向きそうは見えなくても必ずどこかに闇のようなものがある。
弥堂はそれをよく知っていて、だからそう判断をした。
「それで? 自分が替え玉だということを秘密裏に伝えたかったのか? それともアメリカには秘密で日本側に何かを伝えたかったのか? どうなんだ。言え」
<こ、こらっ! なんでそうやってすぐ詰めるの!>
脳内の声を無視して、弥堂は目の前の女性へ鋭い眼を向ける。
だが――
「…………?」
彼女は不思議そうな顔でコテンと首を傾げてしまった。
「なんだ?」
「あの、私、福市です」
「それはさっき聞いた。そういう役柄なんだろ」
「い、いえ……っ。私、本物の福市 穏佳です! 本物というか本人ですっ!」
<え……?>
「…………」
彼女は自分は本物であると訴えてきた。
弥堂は気分を害した。
「嘘を言うな。お前のような鈍くさそうな女を戦場に持って来るはずがない」
「で、でも、本人なんですっ」
「そう言うように命令されているんだろ。面倒をかけるな。効率が悪い。さっさと真実を言え」
「で、ですから、本当に私は福市 穏佳なんです……っ!」
弥堂は口調を厳しいものにしたが、それでも結果は変わらない。
「ほう、強情だな。好きなだけ言い張るがいい。これからする拷問に耐えられるのならな」
「ごうもんっ⁉ あ、あの、やめてください! ヒドイことは……!」
「だったらとっとと吐け。俺を甘く見るなよ」
<ちょ、ちょっと……!>
不穏で暴力的な気配を出し始める弥堂をウェアキャットが慌てて止める。
この時までに彼が何をやってきたかを見ていたので、流石に女性をあんな目に遭わせることは看過出来なかった。
すると、その隙に何かを思いついたのか、博士がハッとする。
彼女はハンドバッグを手繰り寄せるとゴソゴソと中を漁る。
そしてそこから取り出した物を弥堂へと差し出した。
「あ、あの、これ……、社員証です……っ!」
「…………」
弥堂はそれを無言で受け取る。
その社員証は写真付きのものだった。
名前も書かれていたが英語表記だったので、弥堂はそれは見なかったことにした。
油断のない眼つきで写真と実物とをジロジロと見比べる。
そして――
「――ふん」
――つまらなそうに鼻を鳴らして、彼女の社員証をペイっと放り投げた。
「あっ⁉」
博士の手をすり抜けた社員証は、ベッドの上に座る彼女の両足の付け根の中心あたりに写真を上にした状態で落ちる。
「こんなものはいくらでも偽造が可能だ。騙されるバカはいない」
「そ、そんな……、嘘じゃないです……!」
「どうだかな」
「じゃ、じゃあ、これなら……っ」
博士は続いてスマホを取り出す。
「あの、これ、見て下さいっ」
「なに?」
スマホの画面を向けてくる彼女に弥堂は眉を寄せて椅子から立つ。
そしてベッドの彼女の隣に座り、スマホの画面を覗き込む。
「……これがなんだ?」
「大学時代の学生証の写真です。前に撮影したものですが……」
「ふん。見え透いた嘘を。とっくに卒業済みのはずの大学の学生証の画像などが何故ある? むしろ用意が良すぎて余計に不自然だな」
「えぇ……」
弥堂の疑り深さに博士は眉をふにゃっと下げて困る。
<ねぇ、なんかその絵面イヤすぎんだけど……>
ベッドで並んで座る二人の様子を見ているウェアキャットからクレームが入ったが、やはり弥堂は無視した。
「それならこれならどうです?」
「これは、動画か……?」
博士は尋問官へ新たな証拠を提出する。
「はい。博士号を頂いた時の記念式の映像なんですけど……」
「そうか。よく出来ている寸劇だな。いくらかかったんだ?」
「うぅ、なんにも信じてくれないですぅ……」
「信じて欲しければそれに足るものを出せ」
「じゃ、じゃあパスポートとか……」
「そんな物はさっきの学生証と変わらんな。他にはないのか?」
「そ、そんなこと言われましても……」
困り果ててしまった博士は思案する。
そしてもう一つ思いついたようだ。
「あ、それなら――」
彼女は着ているブラウスの上のボタンを一つ外す。
そして服の中から何かを取り出した。
「それは……?」
チェーンで繋がれたペンダントトップのように見えた。
薄いピンク色の小さな石が飾られている。
こんな物がなんの証明になるんだと弥堂は眉間に皺を寄せた。
だが――
「――これ、“
「なんだと――」
続く博士の言葉に驚きを表した。
「と言っても、加工後の余り物を御守りみたいにしているだけなんですけど」
「固形物なのか? 本物か?」
「はい」
「…………」
弥堂は博士が顔の前で摘まんでいる細いチェーンから垂れるその石へ魔眼を向けようとする。
その瞬間――
「――ッ⁉」
反射的に右眼を手で覆い隠し、すぐに魔眼を解除した。
「あ、あの……?」
その様子に怪訝そうにする博士には答えず、彼女の持つ石を睨む。
ズキズキとコメカミが軋んだ。
(本物だ……)
弥堂の【
だが、どういった理由かは知れないが、生物よりも無生物を視る方が負担が大きくなる。
特に普通でない物を視る時はその負担は危険なものになる。
以前に、聖剣を詳しく視ようとした時があった。
その時は脳が破裂して弥堂は一度死んだ。
特殊な物を視る時はそこまでの危険がある。
記憶に新しいところだと、先日路地裏で“WIZ”を視たことがあった。
そしてその時も眼球や鼓膜に軽微な傷を負った。
今回の負荷は“WIZ”の時よりも遥かに負担が大きく、聖剣を視た時に近いものがある。
ということは、これは本物の禁忌――“
「……いいだろう。お前を本物の福市 穏佳だと認めてやる」
「え? あ、ありがとうございます……?」
「それで? 実用に足る分の“
「あ、いえ、それは“
「へぇ。金庫にでも入れているのか?」
「あはは、そこまでじゃないですよ。すっごく頑丈なシルバーのアタッシュケースみたいなのに入れてました」
「そうか。それなら安心だな」
「はいっ」
やはり人が善いのか。
あらぬ疑いをかけられたことに怒りもせずに、福市博士は疑いが晴れたことに嬉しそうな表情を見せた。
弥堂は効率のいい女が好きなので、適当にコクリと頷いてやる。
すると、言葉よりも先に疑惑の思念が届いた。
<ねぇ、キミ、あのさ……>
<なんだよ>
弥堂は初手から逆ギレ気味にいった。
<スッゴイ確信ありそうな顏で影武者だーとか言ってたけどさぁ。なんなのこれ>
<ありそうだっただけで、実際にあったわけじゃない>
<ねぇ、キミのギフトってさぁ……>
<あれは嘘だ>
<はぁ⁉>
“
<お前と喋るのが面倒でな。出来るだけ会話数を減らしたいと思っていた。だから異能で判断したと適当に嘘を吐いた。悪かったな>
<うわぁ……。珍しく謝ってるけど全然謝られてる気がしない。スゴイねキミ……>
しかし弥堂の誠意は伝わらなかったようだ。
<過ぎたことだ。切り替えろ>
<キミが言うな>
<いずれにせよ、博士の本人確認が出来た。必要な作業だった>
<まぁ……、うん……>
<これで先に進めるな>
<……なんだかなぁ……。結果が出てるから余計にモヤるなぁ……>
目の前の女性が護衛対象本人であることの確認。
それだけでなく、“
弥堂としては夜までにやっておかねばならない必須事項だったので、一定の満足感を得る。
その必須事項はこれにて全て完了することが出来た。
後はもうどうでもいいので、目の前の女の話を適当に消化することにする。