弥堂は国家間の利権争いに巻き込まれ、卑劣なテロリストに生命を狙われることになった不幸な女性に事情の聴取を試みる。
「大体なんで生命のやり取りの覚悟もなく禁忌なんぞに手を出したんだ?」
「き、禁忌……? アムリタのことですか?」
「そうだ。あんなモン作ったらそりゃこうなるだろ。大それたことをしようとしなければよかったんだ」
「わ、私だって、別にあんなモノ創りたくて創ったわけじゃ……」
「あ? どういうことだ?」
「……偶然出来てしまったんです……。私そんなつもりじゃなかったのに……」
不可解だと弥堂は眉を寄せる。
「それならお前は何をしていたつもりだったんだ?」
「私は……、ただ、人の生命を救える薬を作りたくて……」
「それで“
「違うんです……。私はガンの治療薬の研究をしていたんです。あんなよくわからない恐ろしい物質を創るつもりなんてなかったんです……!」
初めてかもしれない。
福市博士が強く否定の言葉を返してきた。
そういえばそんな話だったなと、弥堂は記憶の中の記録を探る。
護衛対象の背景や人格に興味が無かったので聞いたことを忘れていた。
佐藤から説明されていた内容を思い出しながら、彼女の話の続きに耳を傾ける。
「私、おばあちゃんっ子で……。日本で生まれて、高校生までは日本で過ごしていたんです。それで、おばあちゃんがガンになってしまって……。そのまま医者を目指しても、おばあちゃんが生きてる間に治す方法を見つけるのは無理だと思って……」
「それでアメリカに渡って、医者ではなく薬の開発者を目指したと?」
「はい……」
その発想と行動力は普通の人間とは言えないなと、感じた。
そして彼女が出した結果も。
「それで薬は間に合ったのか?」
「…………」
博士は黙って首を横に振った。
「こんなモノは出来ても、ガンを完治させる薬は出来ませんでした……。末期状態から少しステージを戻せるところまでは来れたんです……! あともう少し時間があれば……っ。でも、間に合わなくて……」
「なるほど」
「私が作りたかったのはおばあちゃんを助けられる薬だったのに……! でも、おばあちゃんはもういなくって……、でも誰か他の人の助けになるのならと……。それなのに……っ! こんな人が死ぬような争いの種を作りたかったわけじゃない……! もうアメリカにいる意味も、研究を続ける意味もないのに……。だけど……っ!」
「そうか」
彼女のありのままの心情の吐露に、弥堂は短い返事だけをする。
博士は今度は両手で顔を覆って俯き、静かに泣いた。
こちらを向いた彼女の旋毛をジッと視て、弥堂は声を発する。
「一つ訂正をしよう――」
「…………」
顔を上げない彼女に、そのまま一定の調子で続ける。
「お前にガッツがないと言ったことは訂正する。お前は気合いでやれるだけのことはやった。成果も出せた。だが、運がなかった。それは仕方がないことだ。お前は悪くない」
「え……?」
ここまで意味不明に自分を詰り続けていた男が急に寄り添ったようなことを言ったので、博士は驚いて顔を上げる。思わず涙はどこかへ行ってしまった。
弥堂はやはり一定の平淡さで、メガネのレンズの向こうの彼女の目を視て続けた。
「だが、アンタのばあちゃんが死んじまったことと、アンタが今殺されようとしていることは別の話だ。ばあちゃんが死んじまったからって、アンタが大人しく殺される理由にはならない。違うか?」
「そ、それは……」
「ばあちゃんの死も、アンタの死も。どっちも理不尽だって思うなら反抗するしかねえだろ。失敗したって死ぬだけだ。一緒だろ?」
「え、えぇっと……?」
「逆らって死ぬのも、利用され尽くして死ぬのも変わらないだろうと言っている。だが、逆らってみたら勝つことだってあるかもしれない。だったらワンチャンスがある分、反抗した方が得だろうが」
「それは……、フフ、そうかもしれませんね……」
「その確率を1%でも上げるために俺はここに来た。俺はその為に雇われたからだ。俺は金になるなら仕事に手を抜かない。アンタと同じでやれるだけのことはやる。不要か?」
「……ふふ、いえ……。じゃあ、よろしくお願いしますね?」
福市博士は一度キョトンとした後、おかしそうに笑い弥堂に手を差し出した。
弥堂はその手を握った。
契約成立だ。
「まぁ、結果が出るかは運次第だ。ダメだったら諦めろ」
「うふふ、そんな考え方があるんですね。新鮮です」
「難しいことじゃないだろ。アメリカの大学まで行ってこんなこともわからないのかお前は」
「あはは。私、研究以外はけっこうダメダメなんです」
「へぇ。研究には自信があると?」
「だって私、世紀の発明をしちゃったんですよ?」
おどけてウィンクをする彼女に弥堂は軽く肩を竦めて、それから手を離した。
すると、ウェアキャットが感心したように話しかけてくる。
<うわぁ、ちょっと感動した。キミ、ちゃんと相手のためを想ったことも言えるんじゃん>
<別に>
<なに? 照れたの?>
<別に>
弥堂はそれに素っ気なく返す。
当然照れたわけではなく――
そして博士の為を想って言ったことでもないからだ。
目の前の彼女に言っているようで、きっと別の相手に向けた言葉だ。
この福市博士の境遇に少しだけ思うことがあった。
彼女は善良な人だ。
純度の高い善意で、他人のためを思って全力で行動している。
そして才能もあり、人には出来ないことをやってのけた。
だが――
それに目を付けたクソッタレどもの悪意にその善意は流され、クソッタレなことに利用される。
こんな話につい最近覚えがあったのだ。
この福市 穏佳という女性は一緒だ。
彼女と――
水無瀬 愛苗と。
だから弥堂は少し苛立ってしまったのだ。
<この人すごくいい人だよね>
<…………>
<さっきキミが言ったみたいにさ、替え玉だったらよかったのにね。今さら言ってもしょうがないけど>
<そうか?>
<だって、こういう人をこんな危険な場所に居させるのは可哀想じゃん>
<そうかもな>
<適当に答えてない?>
<そんなことはない。彼女が本物の彼女でよかったと思っているよ>
<どういう意味……?>
<別に。適当に言った>
<キミさぁ……>
ウェアキャットの呆れの声を聞き流し、そして――
(その方が都合がいいからな)
――心中でそう嘯いた。
弥堂はスマホを操作し表示されているアプリを切り替える。
そのついでに時刻を確認した。
時間はもう22時を過ぎていた。
外は暗く、またここいらはベッドタウンでもない。
オフィスビルやホテルなどが多い場所で、この時間になると外の人通りもほとんどないだろう。
おまけに今日は一帯が偽装された火事で封鎖されている。
なおさら人気は少ない。
お天道様に顔向けの出来ない夜闇に潜んで生きる者たちにとっては、うってつけのステージだ。
(
何をしているだろうかと、ふと考える。
彼女のことを思い浮かべたばかりだからつい気にかかってしまった。
病院はもう消灯時間のはずだし、そうでなくても小学生並みのタイムスケジュールで生活する彼女のことだ――もう眠ってしまっているかもしれない。
弥堂はデジタル時計のカウントをジッと見て――
(――そろそろか……)
――思考を切り替える。
弥堂にはこの仕事を長引かせるつもりはない。
愛苗から離れる時間が延びれば延びるだけ、リスクが高まる。
今夜中に決着をつける心づもりだ。
(さて――)
弥堂がスマホの画面に指を触れさせようとした時――
唐突に部屋のドアが開けられた。
ホテル20F廊下――
博士の護衛担当のアルファチーム、そのNO.1であるケインは急ぎ足で進んでいる。
ミラーの尋問室を出た後、彼は11Fで起こっているという隊員同士の揉め事を収めに向かった。
ただでさえ各フロアの人員が不足しているというのに、複数人の隊員同士が殴り合いのケンカをしていた。
“
このような種類の揉め事が起こることは――それも任務中に――非常に珍しい。
だが、それも無理はない。
現在のこの現場は非常に空気が悪くなっている。
それもこれも――
(あの男……ッ)
ケインは一人の日本人の顔を浮かべる。
日本の清祓課という“
異能を駆使したスパイ検挙。
確かにその実績は認めざるをえないが、彼のやり口によって部隊内は混沌とした雰囲気に陥ってしまっているのも事実だ。
彼の人間性とこの結果への不安感。
それもあるが、なによりも――
(あの目、あの雰囲気……)
――彼から感じる得体の知れないそれがどうにも気にかかった。
ケインは元軍人であり戦場の経験もある。
その後、テロや凶悪犯罪を秘密裏に鎮圧する警察の部隊にも所属していたことがある。
得体が知れない――
だが、どこか覚えもある。
テロリストやカルト宗教の暴徒。
それが今回の敵であるはずだ。
しかし、味方であるあの日本人からも、かつて戦場や現場で交戦したことのあるその敵たちと似たようなものを感じ取っていた。
あれは決して正義を行い治安を維持する側の人間の目ではない。
そのことがずっと頭から離れなかった。
ケインは頭を振って、その嫌気を振り払う。
今は戦力が少ない。そんな中でこれ以上味方を疑っている場合ではない。
それに、現状この現場で最も成果を挙げているのは彼だ。
その事実を無視してはいけない。
ケインは少し歩くペースを落とす。
このような感情を抱えたままで護衛対象の前に顔を見せるわけにはいかない。
今回の被害者は彼女ただ一人であり、そんな女性を不安にさせるようなことは慎むべきだ。
床を見ながら深く吸った息を長く吐き出し、そして顔を上げる。
すると、視線の先に人影が見えた。
二名の男だ。
博士の部屋の前に立っている。
今の時間は部屋の前の見張りは1名のはずだった。
少し怪訝に思う。
そのまま歩いてもう少し近づくと、男たちの顔がハッキリと見えるようになった。
一人はケインが見張りとして指名した隊員。
だが、もう一人の男には見覚えが無かった。
それに男たちの立ち位置が不自然だ。
見張りは通常ドア枠の横に立つ。2名なら両サイドだ。
ケインの知る隊員はその位置に立っている。
ドア枠の右側で、部屋へと近づくケインから見て手前となる位置だ。
だが、もう一人の見覚えのない男はドアの真ん前に立っている。
見張りの隊員にやたらと近い位置だ。
ケインは不審に思う。
まさかここでも何かを揉めているのかと。
足を速めて一気に彼らへ近付いた。
“オイ、何かあったのか?”
声をかけるが返事はない。
彼ら同士も何か言いあっている様子もない。
ますます不審に思う。
“聴こえているのか? それに、そっちのオマエ。オマエはどこの所属だ?”
そう訊ねた相手は何も答えない。
代わりに手前に立つ見張りの隊員がケインへ目線を向けた。
その目と、彼の身体には、怯えと緊張があった。
“オイ……。オレの質問に答え――”
ケインが視線を鋭くさせてホルスターで装備している銃の位置を意識した瞬間――
ゴリっとした感触が背中に奔る。
この感触は小銃の銃口を押し付けられている時のものだ。
“――なに……⁉”
慌てて顔だけ振り返らせると、背後にはやはり“
その顔の後ろで、ケインが通りすぎた部屋のドアがパタンと閉じる。
空き部屋の中に隠れていたようだ。
“オ、オマエは――”
“声を出すな。手を上げて前に進め。抵抗をすればオマエの部下を殺す”
正体を訊ねるも答えは返ってこず、一方的に要求を突き付けられる。
今の自分には相応しい待遇だ。
“た、隊長……ッ、すみません……ッ”
その部下の声でケインは前を向く。
彼もまたドアの前に立つ見覚えのない男に、背後から銃で脅されていた。
ケインは状況と、男たちの正体を察する。
これは最悪の状況だ。
“部屋に入れ。博士に会わせてもらおう――”
もう一度銃口を押し付けられ、命令をされる。
人数としては2対2だが、圧倒的に自分たちが不利だ。
ここで抵抗をしても二人とも殺されるだけであり、そしてこの男たちはそのまま博士のいる部屋に踏み込むだろう。
生命をベットする意味が無い。
“くっ……!”
ケインは悔しげに呻く。
今はこの男たちに――
福市博士を奪いに来たテロリストたちに従う他なかった。
あれだけ準備した外の守りを嘲笑うかのように、本丸となる博士の居所まで一瞬でチェックメイトをかけられている。
それが現状だ。
防衛側にとって有利なはずの堅牢な要塞――
その幻想は凍り付き状況とともに急転降下、割れながら地面へと崩れ落ちていった。