15F、執務室――
尋問を終えた隊員が部屋から出て行きドアが閉まる。
間隙のような静寂が部屋に満ちると、ミラーは机に両肘を立て、重ねた手の甲に額を押し付けて瞼を強く閉じる。
本来全体の指揮を執らねばならない彼女のタスクは、この何時間かは終わらない尋問でパンクしていた。
先程ケインに指摘された通り、このままでは全体の業務が破綻してしまう。
彼女もその危機を強く感じていた。
長く息を吐き出して切り替えをしようとする。
“――ジャスティン”
その様子を見計らっていた秘書官のエマが声を掛けてきた。
ミラーは手の甲から片目だけを上げて彼女へ向ける。
“11Fのトラブルは無事に片付づいたそうよ。さっきケインから報告があったわ”
“そう……、ありがとう”
そういえばそんな話もあった――
そんな感想が浮かんでしまったが、表情に出さないようにする。
そろそろスパイへの対応は切り上げて、本来の業務にリソースを戻さなければならないと考えた。
“ジャスティン……、言いづらいのだけど……”
すると、エマが気まずそうに先を続ける。
“なに? 他にもトラブル?”
“いえ、今のところはまだ……”
“まだ?”
“えぇ。隊内の空気がちょっとマズイことになっているわ”
それはケインからも聞いたし、ミラー自身もよくわかっている。
何を今さらという顔をするミラーへ、エマは一度躊躇してから意を決し、そして口を開いた。
“スパイとして拘束された者たち、白人がほとんど居ないわ……”
“……それが?”
“誤解しないで欲しいの。私がそう考えていると言ってるわけじゃないわ。だけど……”
“……そうね”
エマの言葉尻の後を汲み取る。
これこそが隊員同士の空気の悪化の大きな原因となっているのは誤魔化しようはない。
“そう受け取るなと言ったとしても、理屈じゃ防げないわよね……”
“さっきのケンカもこれが原因よ。このままじゃ同じようなトラブルがまた起こるかもしれないし……、それに――”
“――確かに。このままじゃマズイわね……”
仮に隊員同士のトラブルにならなくても、いざ敵の襲撃が起こった際にスムーズな連携など望めなくなってしまう。
“どうにかしないと……”
“――失礼します!”
“……入りなさい”
ミラーが思案げにギリっと爪を噛んだ時、部屋のドアがノックされた。
入室を許可すると、隊員が一人入ってくる。
“大変です。また隊員同士のトラブルです”
“……また? 今度はどこ?”
“一つ上。16Fでケンカです”
“……仕方ないわね。ワタシが行きます。エマ、ちょっとここをお願い”
“了解よ”
溜め息混じりにミラーが立ち上がるとエマは苦笑いしながら頷く。
報告に来た隊員は先導する為に廊下に出た。
その隊員の後を追うためにミラーが出口へと向かおうとしたその時――
――轟音と共にホテル全体が激しく揺れた。
その揺れは中に居る者たちが立っていられなくなるほどで、ミラーも倒れかけながらデスクにしがみついた。
“な、なに……⁉”
耳鳴りに顔を顰めながらそう叫ぶが、断続的に続く同様の轟音に掻き消される。
エマや他の隊員たちも床に転んで、混乱の表情を浮かべていた。
パニックになりかける中、一つだけ直感的に理解出来ることがあった。
これは、爆発音だ――
“ミラー指揮官! 大丈夫ですか……⁉”
廊下で膝をついていた隊員はハッと我にかえると、慌ててミラーに駆け寄ろうとする。
彼がドア枠を越えて部屋の中へ入った瞬間――
“ガッ――⁉”
――頭部に強い衝撃を受けて白目を剥いた。
ミラーの目に隊員の男が倒れていく姿がゆっくりと映る。
男の身体が床に崩れ落ちると、その背後に立っていた者の姿が露わになった。
“エマ……”
その者の名をミラーが呟く。
彼女からの言葉は無い。
エマの手には拳銃が。
エマはジッとミラーを見下ろした。
その爆発より少し前の時間――
20F、博士の部屋――
<――なんか博士のこと知れてよかったね。こう、守るのに気合が入るっていうか>
「…………」
一通り福市博士の身の上話を聞いた後、弥堂がスマホに眼を向けた時、ウェアキャットからそんな暢気なテレパシーが届く。
弥堂は特に言うことが思いつかなかった。
<キミにも相手のことを知ろうっていう心があったんだね>
<別に。佐藤から聞けたら直接話を聞けと言われていただけだ>
<え? そうだったんだ。佐藤さんも直接博士と連絡とれるわけじゃないんだね>
<さぁな……、あぁ、だが、ちょうどいい>
<ん?>
自分で口にして佐藤からそう頼まれていたことを弥堂は思い出した。
ついでにとウェアキャットに頼みごとをすることにする。
<お前も一緒に聞いてただろ? 佐藤に報告をしておいてくれ>
<え? ベツにいいけど。でも、自分で言わないの?>
<俺が次に佐藤に会うことがあるとしたら、この仕事が成功して終わった後だ。もしも任務が失敗したら報告する機会がないからな>
<ふ、不吉なこと言わないでよ……っ。え? なに? なにか不安があるっていうか、自信ないの? あれだけやりたい放題してたのに?>
<別に。結果もそうだが、それに関わらず生き残れるかどうかは運次第だ>
<…………>
弥堂の変わらぬ物言いに、ウェアキャットは怒るでも揶揄するでもなく沈黙する。
なにか逡巡でもするような間を置いて、それから言葉を口にする。
それはウェアキャット自身の抱える不安だ。
<……あのさ? これから何か大きなことが起こると思う?>
<どういう意味だ?>
<スパイはいっぱい捕まえたし、ホテルの外は清祓課も固めてる。この状況で敵が博士を奪うって結構ムリめだと思う>
<そうかもな。その為にこうしたのだから>
<でもさ――>
そこまでの楽観的な言葉とは裏腹に、ウェアキャットの思念はどこか重さを増した。
<――すっごくイヤな予感がしてるんだ。とてもよくないことが起きるんじゃないかって……>
<何か見落としがあったか? あるならそれを言え>
頭の中に響く思念に答えながら弥堂はスマホの時計を確認し、『そろそろか』と考える。
<ううん。そうじゃない。ゴメン。理屈じゃないんだ。なに言ってるんだって思われるかもしんないけど。でも、昔からボク、こういう勘って結構……>
<へぇ>
<キミに言っても信じてもらえないかもしれないけど――>
<――いや? 信じるぞ?>
<へ――>
意外そうな声を出すウェアキャットに、弥堂はスマホを見つめながらどうでもよさそうに答えた。
<いい勘をしていると思うぞ>
<ど、どういう――>
どういう意味だとウェアキャットが訊ねようとした瞬間――
博士の居室のドアが突然、乱暴に勢いよく開けられた。
そして――
“――動くなッ!”
銃を持った男たちが部屋へと乱入してきた。
「きゃああぁぁぁっ⁉」
福市博士の悲鳴を聞き流しながら弥堂は「ちっ」と舌を打った。
<な、なにこれ……⁉>
<なんて言ってる?>
<動くなって!>
<そうか>
あまり興味がなさそうにしながら、弥堂は緩慢な動作でスマホから乱入者へと目線を動かした。
男たちは4人。
その内の1人はケインだ。
“動くなよ日本人。従わなければコイツらを殺すぞ!”
ケインのすぐ背後に張り付いている男が、弥堂へ英語でそう怒鳴る。
弥堂は男たちの隊列の不自然さに気付いた。
ケインともう一人の隊員が前に立ち、それぞれの後ろに1人ずつ銃を出した男たちが張り付くようにして立っている。
<なんだって?>
<キミが動いたらあの男の人たちを殺すって! 多分2人は“
<まぁ、そうだろうな>
<キミなんでそんなに落ち着いてるの⁉>
弥堂はテロリストの男の警告も、ウェアキャットの慌てた声も無視して、再びスマホへ眼を遣った。
“両手を上げて博士から離れろ! オイ! 聞いてるのか⁉”
「あいあむとむ」
“な、なんだと……⁉ 指示に従えッ!”
“待て! 彼は英語がわからないんだ!”
怒りを滲ませる襲撃者にケインが慌ててそう伝える。
襲撃者はベッと唾を吐いて、たどたどしく口を開き直した。
「――オイ、ニホンジン」
「のー。あいあむとむ」
「コッチを見ロ! オレは敵ダゾ! そのスマホを床に置ケッ!」
「のー。でぃすいずぺん」
「ペンじゃないダロウがッ……! スマホに触るナッ! とイウカ、ニホンゴで話してるダロ……ッ!」
「うるせえなこいつ」
弥堂は不快げに眉間を歪ませ、ベッと唾を吐き捨てる。
<おい、『黙らねえと舌と歯を引っこ抜くぞ』って英語でなんて言うんだ?>
<知らないよ! それより挑発しちゃダメだって!>
<挑発などしてないが>
<キミは息してるだけで挑発的なんだよ!>
<理不尽だな>
<スマホを置けって言ってる! 多分それでどこかに連絡とられることを気にしてる! 博士が危ないから言うこと聞いた方がいいって……!>
ベッドの上に弥堂と博士は並んで座っている。
博士は弥堂のすぐ傍ではあるが、位置関係的には襲撃者と弥堂の間に居ることになる。
相手が銃を持っているので、ウェアキャットはそれを危惧しているのだろう。
そんな忠告に弥堂はどうでもよさそうに肩を竦める。
“こ、このヤロウ、ナメやがって……ッ!”
すると、テレパシーのことなど知らない襲撃者は、弥堂の仕草を自分への挑発と捉えたようで銃口を向けてくる。
“オイ! やめろ! 博士に当たったらどうする⁉”
“このジャップがよォ! コイツのせいでフェリペたちが……ッ!”
襲撃者同士で怒鳴り合っている。
弥堂たちの位置に近い男が、ケインではない方の隊員の首にナイフを突きつけながら、もう片方の手で銃を弥堂の方へ向けてきた。
奥側に居るのがケインと、彼を拘束する男だ。
先程日本語で弥堂に話していたのは奥側の襲撃者の男で、手前の銃を向けてきた男は日本語がわからないのかもしれない。
<ほらぁ! だから言ったじゃーんっ!>
「…………」
頭でも抱えているようなウェアキャットの声を無視して、弥堂は男たちを観察している。
“仲間たちを取り戻すには博士が必要だ! 彼女が無事なままでないと交渉材料に出来ない……!”
“わかってるよ、クソッタレ! アレックスたちはまだかよ……ッ!”
怒鳴り合う敵の会話の中から『フェリペ』『アレックス』という単語だけ聴き取れた。
怒っているのは犯人側だけでなく、人質になっている“
“マッドドッグ! おかしなことをするな! 犯人の指示に従え!”
“テッドよせ! 彼を刺激するな! オレが話す”
手前側の人質の隊員が弥堂に英語で怒鳴るとケインがそれを窘める。
弥堂には彼らの言葉はわからないが、彼ら4人の様子から予測をつける。
この状況は計画されたタイムテーブル上のタスクを予定通り行っている出来事なのではなく、一発逆転を狙った場当たり的な行動による出来事なのだろう。
弥堂がそのように判断をした時、ケインが日本語で話しかけてきた。
「マッドドッグ。彼らはテロリストだ。マダ潜入していたスパイがいたんダ。今は指示に従エ」
「あ? あー……、ふぁっく」
「マッドドッグ!」
弥堂がまだ言ってない知っている英語を絞り出すとケインが眦を上げる。
そして彼だけでなく――
“貴様! ふざけるな!”
“ナメてんのかガキが!”
“殺すぞクソジャップ!”
敵味方関係なく外人さんたち皆で唾を飛ばして怒鳴ってきた。
弥堂は不思議そうに首を傾げる。
<『うるせえ全員死ね』って言ったつもりだったんだが通じてないか?>
<通じちゃったからみんな怒ってるんでしょ⁉ つーか、マジでヤバイって!>
<そうだな。ヤバイな>
<お願いだから大人しくしてよ! 博士だけじゃなくってキミも撃たれちゃうから! 今はホントにヤバイって!>
<それは勘違いだ>
<は?>
わかっていないのはずっとお前の方だと、弥堂は伝える。
<今、ヤバくなったんじゃない。ヤバイのは最初からずっとだ>
<え……? な、なに……?>
弥堂はジロリと手近な方の襲撃者を視る。
スマホは離さないし、博士からも離れない。
人質をとられて脅されている側とは思えないその態度と不気味な目つきに、襲撃者は僅かに気圧された。
弥堂はその男の顔を見ながら、彼らと自分との間にいる福市博士の身体にゆっくりと腕を回す。
「――え?」
驚く彼女に構わずにその身体を抱き寄せた。
そして身体の前面に回した左手で彼女の胸を鷲掴みにする。
さらに、男たちに見せつけるようにしてその胸を揉みしだいた。
“は……? なッ……⁉”
「えっ……? えっ? えぇっ……⁉」
博士も襲撃者も“
<『これは俺の女だ。すっこんでろインポ野郎』って、英語でなんて言えばいい?>
<知らないから! つーか、こんな時まで何やってんだバカやろうッ!>
<ちっ、使えねえな>
弥堂はウェアキャットに悪態をついて、通訳としての運用を見限った。
すると、抱き寄せた博士の身体から強い緊張と、恐怖による震えを感じとる。
弥堂は憐れな被害者女性の緊張を和らげてやることにした。
背後から耳元に唇を寄せる。
「まずはお名前をお願いします」
「――んぅっ⁉ あ、あの……っ」
「年齢は?」
「や、やめてくださ……っ、みられて……っ」
「初体験はいつですか?」
「す、少なくとも今じゃないと思います……っ!」
しかし、彼女は増々緊張をしたように身を固めてしまう。
それに苛立った弥堂が耳の裏で「チッ」と舌を打つと、博士はまた「んぅっ」と嬌声を堪えた。
弥堂は今度は福市博士の肌に直接唇を触れさせ、「ちゅっ」「ちゅっ」とリップ音を立てながら首筋を下に降りていく。
そして、後ろ髪を結んでいる剥き出しの彼女のうなじに鼻を押し付けるようにして顔を埋めた。
“なっ……⁉ あっ……? はっ……?”
その様子を見せつけられる襲撃者たちや“
目の前に立つ襲撃者から見ると、弥堂の姿は性感と羞恥に震える女性がブラインドになり隠れてしまう。
銃口を向けている自分の存在などまるで無いもののように扱われ、怒りがその身をブルブルと震えさせた後にやがて弾けた。
“ふッ、ふざけるな……ッ!”
その怒鳴り声に弥堂は一瞬だけ彼に眼を向けたが、すぐに興味を失くし博士の肌に舌を這わせる。
“見ろォ! こっちを見ろォ……ッ!”
あまりの屈辱に男はさらに怒声を轟かせた。
“このヤロウ! 殺す……! もう殺す……ッ!”
“おい、やめろッ! 撃つなよ!”
“うるせえんだよッ! このクソガキを殺させろォ……!”
その様子に危険を感じた襲撃者の仲間が止めるが、仲間同士で口論になってしまう。
怒りを覚えているのは襲撃者だけではなく、身柄を押さえられているテッドという隊員も弥堂の振る舞いに激昂した。
“いい加減にしろォッ! 護衛対象も味方も殺す気かッ⁉”
“あ? テ、テメエ暴れるな……ッ!”
弥堂に掴みかからん勢いで彼が暴れると、それを押さえていた襲撃者はより強くナイフを突きつけた。
銀色の刃が首筋でギラリと光る。
それに危機感を覚えたのはケインだ。
“テッド暴れるな! 危険だ!”
“ですが……! このクズのせいでオレたちはもう滅茶苦茶だ……ッ!”
“あぁッ⁉ 誰がクズだ⁉ このアメリカの犬が! 立場わかってんのかァ⁉”
“テメエに言ってねえんだよ! ゴミクズの犯罪者め!”
激昂した者同士、誰を示す言葉なのかで生じた誤解から互いに殺気立つ。
ケインと彼の背後の襲撃者は、その仲間の様子に焦る。
どちらにとっても福市博士は生きていてもらわねば困る存在だ。
その彼女の近くで殺し合いを起こすのは互いに本意ではない。
申し合わせたわけでもなく、どちらも自分の仲間に落ち着くよう注意をする。
すると、彼らはみな弥堂から目線を外してしまうことになる。
今度は彼らが弥堂たちをそっちのけで顔を向け合って怒鳴り声を上げ始めた。
場は一気に混乱を極める。
もちろん焦っているのは彼らだけでなく、この様子を見守るウェアキャットもだ。
<な、なにこれ⁉ 敵も味方もみんなキミにキレてんじゃん⁉ どういうこと⁉>
<知るか>
<とにかくまずセクハラをやめろ! 大人しくして少しだけ時間稼いで! 今ボクが助けに――>
<――不要だ>
<えっ――>
弥堂がそう斬り捨てた時、ついに事は起こる。
生命のやりとりをする場で一度加熱した怒りは簡単には収まらない。
僅か一滴でも血が流れることになれば、その加速はもう止まることなく行き着くところまで行くことになるだろう。
テッドと襲撃者は唾を飛ばしあい、やがて危惧した通り――
――“