弥堂はケインの死体に近づく。
腕を足で踏んづけて手の甲に刺さったままだった黒いナイフを回収した。
『――爆弾の乗っ取り成功したのだ』
「見ればわかる」
無駄なやり取りだと、エアリスからの報告を適当に流しながらナイフを腰の後ろのホルダーへと移す。
「そういえば俺が近くに居ないのにどうやって操ってるんだ?」
『人力でいっぱい頑張ってるのだ』
「あいつの真似をするな。人でもねえだろ」
『ひどくてありがとうございますのだ』
「…………」
どこまでが本気なのかわからない返答にうんざりとして、弥堂はそれ以上の追及をやめた。
口を閉じた後で、少々迂闊なやり取りだったかと思ったが、少し前からウェアキャットのテレパシーは停まっている。
外も今頃大騒ぎだろうし清祓課からの問い合わせで忙しいのかもしれない。
それに――
(――もう手遅れだ)
こうなってしまったらもう、何もかもが止まらない。
しかしこの混乱は期間限定でもある。
敵が冷静さを取り戻す前に次の行動を急ぐことにした。
弥堂はベッドの上でペタンと座ったままの福市博士に近付く。
「おい、行くぞ。立て」
「え……? あ……」
そう急かすが博士は腰でも抜かしてしまったかのように反応が鈍い。
弥堂は彼女の腕を掴み、引き寄せようとする。
しかし、彼女はその力に抵抗を見せた。
弥堂の眼がギラリと剣呑な色を放つ。
「抵抗するつもりか?」
「え……? ゃ、あの、ちがうんです……っ」
「だったら早く立て。大人しく着いて来い」
「あ、あの、その前に……」
「あ?」
「き、着替えを……」
博士は俯きながら、女の子座りをしている太ももをモジモジと動かす。
弥堂は無言で彼女を引っ張った。
「あ――っ⁉」
博士はバランスを乱しながら床に足を付ける。
弥堂は彼女がどいた後のベッドシーツを視て、それから彼女の下半身に目線を移す。
博士の穿いているストッキングの一部分が先程までよりも色濃くなっていた。
「なんだ。ションベン漏らしたのか」
「あ、あぅ……」
「ちっ」
弥堂は舌を打って部屋の隅のスーツケースの方へ向かう。
ナイフをスーツケースの合わせ目に捻じ込んで無理矢理それを開いた。
「あぁっ⁉」
そんなことをしなくても言われれば開けたのにと、博士が頭を抱える。
弥堂はそれを無視して中身を適当に外に散らばした。
衣服類に眼を遣り、その内の一つを拾う。
「これでも着てろ」
「え……、って、これ、白衣……?」
「博士と言えば白衣だろ。何で最初から着ておかない。見分けがつかねえだろうが」
「す、すみません……、でも……っ」
「なんだよ」
弥堂はいちいち反応の鈍い彼女に苛立ってきた。
「こ、これだけ着てたら、私すっごく変態になってしまいます……っ!」
「あ? なに言ってんだ? そのまま上に羽織ってろ」
「そ、それじゃ着替えの意味が――きゃぁっ⁉」
弥堂はもう会話を打ち切り彼女に白衣を押し付けると、髪を掴んで歩き出した。
「――い、いたいです……っ! やめてください……っ!」
「黙れ。余計な手間をかけさせるな。痛いのが嫌ならとっとと歩け」
強盗に攫われた人質のように引き摺られる博士の視界に、床に転がる死体が映る。
彼女はハッとした。
「あ、あの……っ! なにするんですか⁉ どうして“
「今更かよ」
弥堂は呆れながら彼女の眼前にナイフの刃を近付けた。
「ヒッ――」
「いいか? 俺は今からお前を攫う。敵も味方も知ったことか。邪魔するヤツは全員殺す。言うことを聞かねえとお前もそこに転がる死体と同じにしてやるぞ」
「い、いやあぁぁっ」
極めて直球な脅し文句で伝えると、ようやく彼女は自分の立場がわかったようだ。
まるで――ではなく。
彼女はまさしく強盗に攫われた人質なのだ。
「荷物の分際で喚くな。死にたくなければ声を出すんじゃねえぞ」
「むぐぅ――っ⁉」
弥堂は先程のスーツケースからパクっていた博士の物と思われる白いおパンツを、彼女の口に詰め込んで黙らせる。
「それを取ったら殺すぞ。命がけで咥えてろ」
「ん……んぅ……っ」
そうして追加で脅しているとエアリスから連絡が入った。
『ホテル内の警備システムと監視カメラを眠らせたのだ』
「了解。俺が出ると同時に電気も落とせ」
『おかのした! 通信とケータイの電波も、一帯まるごと無差別にジャミングするから、しばらくボクともお話できなくなるのだ』
「だったらそもそもイヤホンなんかいらなかったんじゃねえのか」
『一応捨てないでなのだ。なにかあったら一時的に復旧させて連絡するのだ』
「わかった」
『ホテルの非常用の発電機とかでエレベーターを緊急モードで動かされたら、もしかしたらボクたちじゃ邪魔出来ないかもなのだ』
「どうでもいい。後は上手くやる。そっちも油断するなよ」
『おかのした!』
弥堂は連絡を打ち切ると、泣いている女性の髪を掴みながら廊下に出た。
その数秒後――
ホテル周辺一帯が大規模停電に陥った。
ホテルの外では――
「――うっ、うわああぁぁぁっ⁉ な、なんなんだぁ……っ⁉」
断続的な爆発に清祓課の指揮官佐藤係長が泡を食っていた。
当然だが、突然のホテルの爆破に外を守っていた者たちも混乱している。
「オヤジ、クルマのカゲ、入レ」
「ひ、ひぃぃ……っ」
情けない悲鳴をあげる中年男を
「こ、こっちがいくら気を遣ってあげても、元々こんなに這入りこまれてたんじゃ世話ないよぉっ!」
「オヤジ、ウルサイ」
やけくそ気味に愚痴を溢す中間管理職を、犬耳ロリは侮蔑の目で見る。
まさかこの爆発は、自分たちが送り込んだ男が起こしたものだとは夢にも思わない。
佐藤は無線機を手に取った。
「ウェアキャトくん、聞こえるかい⁉ そっちから見てて、何が起こったかわかるかい⁉」
すぐ近くのビルの屋上でホテル建物の全体を監視するウェアキャットへと声を送った。
その声が20Fほどの高さの屋上に居るウェアキャットの無線機から聴こえてくる。
「――あ、え、えっと……、ホテルが爆発、して……」
ウェアキャットは思わず情報量を削ってしまう。
『あー、やっぱりホテル内からの爆発なんだね』
それに対する佐藤の返事を聞いた時に、遅れて罪悪感がやってきた。
『何が原因かとか、わからないよね?』
「…………」
声が、出なくなる。
言うか、言わないか、迷う。
迷っているのに、頭は高速で回転して言葉を選び出している。
そして――
「……ゴメンなさい」
――精一杯選び抜いた言葉がそれだった。
『あぁ、うん。気に病まないで。外から見てただけじゃわからなくてもしょうがないよ』
(サイテーだ……っ!)
そういう風に受け取られることはわかりきっていたのに。
自分でもどうして庇ってしまったのかわからない――
――なんてことはない。
これには極個人的な都合が絡んでいる。
ここで引くわけにはいかないのだ。
『しかし、困ったなぁ。電話が使えなくなっててホテルの中と連絡がとれない……』
「え?」
『“
「一般人……?」
ウェアキャットはハッとする。
そういえばそうだった。
従業員や業者など、何人かの非戦闘員も弥堂がスパイだと言って拘束していた。
その人たちは今――
「佐藤さ――」
通信を送ろうとした瞬間、フッと辺りが一気に暗くなる。
「な、なに……⁉」
それは目の前のホテルを見れば一目瞭然だった。
電気が全て消えている。
それはウェアキャットの居るビルどころか、周辺見渡す限りの電気の灯りが消え失せていた。
『ウェアキャットくん。ちょっとマッドドッグくんと連絡を――』
「佐藤さん……?」
佐藤からの通信が途中で切れた。
自分の方から呼びかけてみても応答はない。
スマホを取り出して画面を見れば、電波が受信できていない。
佐藤の言っていた通り、こっちも使えないようだった。
電気、電波、無線、全てが一斉に機能不全を起こした。
「まさか……っ」
一つ思い当たる。
それを確かめるためにテレパシーを使おうとした瞬間――
――また爆音が聴こえた。
だが、今度はホテルからではない。
ウェアキャットは急いで屋上の縁から下を覗き込んだ。
するとー
「――う、うわあぁぁぁっ⁉ 今度はなんだい⁉」
「オヤジ、顔を出すナ、クルゾ――」
ホテルの周囲を守る清祓課の部隊に異変が見られていた。
手榴弾かロケットランチャーでも撃ち込まれたようにに爆発が起きている。
それが消えると断続的な銃声が聴こえてきた。
「これって襲撃――⁉」
ホテルへの封鎖された道にも次々に外から車が突っ込んできている。
外の防衛線でも戦闘が起きているようだった。
この現状を好機と見たか、或いはもうここしかないと急いたか――
分断して外へ追いやっていたテロリストたちの本隊が攻めてきたのだ。
下では清祓課が応戦を開始した。
「~~~~っ!」
苛立ちは声にはならない。
ウェアキャットはテレパシーを繋いだ。
<――ねぇ! これもキミの仕業⁉>
言葉の足りない質問だが、返事はすぐに返ってきた。
<さぁ>
この答え方は恐らく正解だ。
時間が無いのでそれをいちいち確かめない。
<ホテル……ッ! 一般人も居たでしょ⁉ その人たちは⁉>
<あ?>
<あの人たちもホントにスパイだったの⁉>
<何の話だ?>
<なんのって……>
本気でわからないといった風な彼の言葉にまた絶句してしまいそうになる。
だけど――
ウェアキャットはグッと歯を噛み締めた。
今、自分が止まってしまったら、きっとあの人たちは助からない。
<従業員さんとか、居たでしょ⁉ キミがスパイだって捕まえた人もいた! あの人たちは無事なの⁉>
<俺が知るわけないだろ。無事だったとしてもすぐに無事ではなくなる>
<な、なにを言って……>
どうにかなってしまいそうな正気をギリギリのところで繋ぎ止めながら、狂人との会話を続けた。
<さっきも言ったがスパイかどうかなどどうでもいい。このホテルに居る人間は全員敵だ>
<ま、まさか……っ、関係ない人も……、普通の人たちも……っ! 全部巻き添えにするってわけ……⁉>
<それがどうした?>
<あんた、自分が何してるかわかってんの⁉>
思念で溜息が聴こえた気がした。
<わかっていないのはお前だ>
<弥堂っ!>
<お前と議論をしている暇はない。俺は忙しいんだ。意見を聞く筋合いもない。邪魔をするならもう切れ>
<あ、あんた……ッ!>
怒気をこめてさらに言い返そうとして、ハッとする。
一般人が戦争に巻き込まれている。
悔しいが確かに言い合っている暇はない。
<もういいっ――!>
ダンッとブーツの踵で屋上の床を打つ。
そして――
「【
スキルの機能を最大発揮させてホテル内のMAPの表示を強めた。
目に映る地図上にパパパパっと光点が増えていく。
ホテル内の全ての生命反応を視覚化した。
「――一般人はこっちで何とかする……っ!」
確か5Fに従業員たちの休憩スペースが設けられていたはずだと思い出し、そこにフォーカスする。
数名の生体反応が固まっていた。
そのフロアの割と近く、4Fと7Fからは火の手が上がっている。
「――ッ!」
短く息を吐いてウェアキャットは20Fの屋上から飛び降りた。
ブーツで空中を蹴りながら、ホテルの5Fを目指す。
「もう……ッ! 全部メチャクチャ……ッ!」
言っても無駄だが言わなければ気の済まない愚痴を、光の無い夜闇へと投げ捨てた。
足元の夜空のあちこちで、マズルフラッシュの光が星のように瞬いていた。