「――助かったわ。マッドドッグ」
少し通路を引き返した場所で、弥堂と博士と合流をしたミラーは改めて礼を言った。
「問題ない」
「二人とも無事でよかったわ」
「そちらもな」
当たり障りのない言葉を返しながら、弥堂は彼女の表情をジッと視る。
「なにがあったの?」
ミラーからの問いに弥堂は間を空けずに答えた。
「未発見だったスパイたちに20Fの部屋で襲撃を受けた。ケインとテッドは敵とともに……。俺はどうにか彼女を……」
「そう……っ。他に生き残りは?」
「ここまでの道中にはいないな」
「……わかったわ。マッドドッグ、よく博士を連れだしてくれたわ」
「…………」
神妙そうな顔で悔しげにするミラーの顔を見たまま、弥堂は頷くことだけをする。
ミラーは続いて、福市博士の方へ顔を向けた。
「危険な目に遭わせてゴメンなさい、博士。ここからは責任をもってワタシが……、えっ――?」
しかし、博士の姿を正面をから視認した瞬間にミラーは大きく目を見開いて驚きを露わにする。
「……?」
不思議そうに首を傾げる博士の恰好は――
ブラウスの胸元のボタンが引き千切られており、その下のキャミソールは斬り裂かれて黒い下着が見えている。
さらにスーツの色と暗がりでわかりづらいが、あちこちに血の跡が見られ、スカートとその下の脚の境目あたりではストッキングが千切られているようにも見えた。
その様相はどこからどう見ても――
最悪の想像をして、ミラーはサァっと顔を青褪めさせる。
「は、博士……? も、もしかして、テロリストたちに乱暴を……」
「え?」
恐る恐る事実確認をしようとすると、博士はさらにコテンと首を傾げてしまった。
少々考えてから言われたことを理解したのか、博士はミラーを安心させるように笑顔を浮かべる。
「いえ、違いますよ?」
「ち、ちがう……?」
「はい。テロリストには乱暴されてません」
「そ、そう……。それはよか――ん……? 『には』……?」
ミラーは博士の言い回しに違和感を覚えた。
「じゃ、じゃあ、一体誰に……?」
聞きたい話ではないが、そうしないわけにもいかないので、改めて聴取を行おうとする。
ミラーはとても不可解に思っていた。
着衣が乱れまくった博士の姿からは女性にとって最も凄惨な出来事が想像されるが、当の本人はとてもそうとは見えないくらいにケロっとした様子だ。
そもそも、普段からしてどこかオドオドとした様子が見られる人物だったのだが、今日の襲撃が始まる前よりもむしろ落ち着いているようにさえ見えたからだ。
「――ジャスティン。彼女のケアは後にするべきだ」
すると、弥堂が口を挟んだ。
あられもない博士の姿が、誰による犯行なのかを明らかにされると都合が悪いからだ。
「確かに、女性に対するこのような卑劣な暴力は非常に許し難い。俺も心が痛む。だが、全ては生き残ってからの話だ。今するべき話をしよう」
「そ、そうね……」
言っていることだけは正論なので、ミラーは同意をした。
弥堂は続けて博士の方を向き、彼女の肩に手を乗せる。
「博士。辛いだろうが、俺たちを信じてもう少し頑張ってくれ」
「……ハイ、ソーデスネ」
博士は若干ジト目になると、棒読みでそう返事をした。
(そういえば……)
博士は弥堂の顏を見る。
(どうするつもりなんでしょう……?)
先程弥堂がミラーの方へ走って行った時、そのまま彼女に襲い掛かるものだと思ってしまった。
彼は“
だが意外にも、彼はミラーに加勢する形でテロリストを殲滅した。
そしてその後はまるで味方面をしてミラーへ報告を行っている。
内容は嘘だが。
(あれ……?)
そう思いかけて疑問を覚える。
(嘘は、言ってない……?)
本当のことを全部言っていないのは確実だが、明確に嘘となる言葉を彼は口にしていなかった。
(わ、わるい人です……っ!)
嘘を吐かなくても人を騙せるのかと、博士は背筋を震わせる。
(あ、もしかして……)
仲間面をしてミラーとやり取りをしていたのは、現時点で自分の所業がどの程度“
――そんなことを思いつく。
嘘吐きの殺人鬼は一般人を装って平然と日常に紛れている。
昔に見たそんなサイコホラーを思い出して博士は涙目になった。
(な、なんておそろしい……っ)
襲撃犯は――
“
――誰が誰に殺されたのかを最後まで言わない。
さらに、
生き残りはいない――
――見た、見てないとは答えない。
生き残りがいないのは彼が全て殺したからだ。
なのに彼はおくびにも出さずに平然と振舞う。
(よくこんな平気な顔を……、あ、でも……)
そこでもう一つの可能性に思い当たる。
博士はスッとジト目になった。
「なんだよ」
「……あの、女の人だから助けたんですか?」
「なんのことだ?」
弥堂は意味がわからないといった顔をする。
しかし、それすらも嘘かもしれないと、博士は引き続き彼の顏をジッと見た。
数秒ほどそうして見つめ合っていると、やがて弥堂は溜め息を吐き――
――スッと、博士の耳元に顔を寄せた。
「――余計なことを言うなよ」
「――ッ⁉」
ゾッとするような低い声音に耳朶を震わされると博士は身を縮める。
それと同時に、脳裡に先程の光景がフラッシュバックした。
上の部屋で、ベッドの上で、彼に背後から抱かれて愛撫を受けていたシーンだ。
当然だが――
いくらそういった経験が乏しいからといって、あんなことをされただけで性感を覚えたりもしなければ、相手のことを好きになったりもしない。
それどころか異性として意識するようになるだなんてこともありえない。
だが――
銃を持った男たちに突然部屋に踏み込まれ――
初めて会った男に背後から身体を弄られて――
その痴態を複数の男の目に晒して辱められ――
そして目の前の人間が全て死体へと変わる――
――一つ一つでも理解が及ばないのに、一つの情報を処理する前に、それらが次々に目まぐるしく展開される。
生と性と凄。
それらがグチャグチャに混ざった状態で頭の中を埋め尽くし、彼女から正常な判断能力を奪っていた。
そうして博士がお目めをグルグルとさせていると、弥堂は近付いてきた時と同様にスッと離れて行く。
弥堂が博士へ一度鋭い眼を向けてからミラーの方へ近寄っていくと、博士はホッと息を吐いた。
その時、博士の目にミラーの姿が映る。
(ん……?)
博士はまたすぐに別の違和感を持った。
今度のそれは弥堂に対してではない。
彼が素知らぬフリで現状の“
指揮官ミラーの様子からすると、彼のやったことはまだバレてはいないようである。
それどころか20Fが襲撃を受けたことすら把握していなかったようだ。
だけど――
(――あれ? 確か部屋で……)
ケインが死の間際に本部と通信を繋いだ。
弥堂がその通信機を使って、今しがたミラーに報告をした内容は既に伝えたはずである。
それはこの停電前の出来事だ。
指揮官のミラーは本部かその近くにその時居たはずだし、席を外していたとしてもすぐにその報告を受けるはず。
なのに、彼女はそのことを知らない様子だった。
(どういうことなんでしょう……?)
弥堂とミラーは言葉を交わしている。
「マッドドッグ、どうしてここへ?」
「本部の捕虜を解放されたら厄介なことになると思ってな。様子を見て可能なら始末しようと考えた」
「奇遇ね。ワタシもそう思ったの。行きましょうか」
「あぁ」
(またさらっと嘘ついてます……)
二人は効率よく意思を統一すると、一緒に本部の方へ進み直していく。
博士は考え事をしながら無意識に後を着いて行った。
通信での報告を受けた時にミラーが席を外していて、そのまま爆発と停電が起きてしまったという可能性は普通にある。
(隊員さんが通信が使えなくなったと言ってました……)
それっきりミラーも孤立してしまって、それでここに戻ってきたということも十分考えられる。
博士はミラーの背中を見て、それからチラリと弥堂の背中を見た。
そこで、そういえばまだこの男の名前も知らないことに気が付いた。
彼はマッドドッグというコードネームを名乗った。
(狂犬……。うぅ……、ピッタリですぅ……っ)
そんな彼の背中を見ながら、
(伝えた方がいいんでしょうか……?)
今しがた気が付いたジャスティン・ミラーに関する違和感を、彼に教えるべきかと迷う。
伝えるにしても、すぐ近くに本人も居る。
そうして、もう一度ミラーの方へ目線を戻した時――
「――あれっ……?」
――さっきよりもずっと大きな違和感を覚えて、思わず声を出してしまった。
「博士? どうかした?」
「い、いえ、なんでもないです……っ。すみません……」
その声に反応して立ち止まった二人に慌てて頭を下げる。
一行は再び歩き出した。
(あれ……?)
何故という言葉で思考が埋まる。
(違う。そうじゃなかった……)
そもそも根本から自分がズレていたことに気が付いた。
弥堂が、ミラーが――ではない。
そもそも自分はどっち側なのだ。
前を歩く二人の背中。
自分の味方はどちらなのだろうと、今更そんなことを考える。
普通に考えれば、ミラーだ。
元々アメリカからずっと自分のことを護衛していた部隊の指揮官でもある。
それにもう片方の男はそもそも論外だ。
誰の味方でもなく、全てを敵に回している。
そんな殺人鬼に何故ミラーのことで気付いた違和感を教えようというのだ。
そんなことは発想すること自体がおかしなことだ。
普通に考えれば、この男のしたことをミラーに報告するべきだ。
彼のしたことは考える余地もなく犯罪行為であるし、裏切り行為だ。
迷ったり考えたりする必要すらない。
だが――
ミラーに伝えるにしても、やはりすぐ近くに彼がいる。
彼にわかるようにそれをしたら、すぐに戦闘になるだろう。
ミラー一人ではおそらく彼には勝てない。
やるなら他にも“
とはいえ――
(――何人いれば……?)
ここまで、彼は既に20人近く殺している。
それも意図も容易く。
普通の兵士だけでなく、魔術師のコンビですら歯牙にもかけなかった。
あらゆる接敵を効率よく秒殺で制圧していた。
戦闘や異能の素人である博士には、そんな弥堂は恐ろしく強い人間のように見えていた。
一体どれだけの戦力があれば、この男を止められるのだろうか。
下手に彼のことを伝えたら、より多くの死人が出るような事態になるかもしれない。
自分のせいで。
(あ、でも、そういえば……)
もう一度弥堂の方を見る。
(ここからどうするつもりなんでしょう?)
思考が戻る。
ミラーと行動を共にして本部の様子を見に行くようなことを言っていた。
その後はどうするのだろうか?
これまでのように突然ミラーを殺害するのだろうか。
それとも、自分を攫うのは諦めて、当初のように“
ここまでのことは無かったこととして。
(あ……、そうか……)
生き残っている“
――そうであるなら、やろうと思えば彼はまた“
福市博士はそのことに気付いて――
――出来ればそうして欲しいと、そんなことを考えた。
“
彼の強さがあれば、テロリストを撃退することは難しくないのではないかと思えた。
そうして、そうすれば、その後はまた元通りに――
(元通りに……? なにをするの……?)
元通りとは逆戻りでもある。
アメリカに戻って研究を続けるのだろうか。
そうすることの意味を失ったまま。
(私は……、私が……、私は何処にいるの……?)
結局どうするかの答えを彼女は出せなかった。
誰が味方なのか――
誰の味方をするのか――
――その2つは似ているようでいて、全く別の問題なのだということを知った。
「――何故本部を離れていたんだ?」
「ちょっと他のフロアで隊員同士のトラブルがあってね。タイミングが悪すぎたわ」
「緊張感のないヤツらだな」
「むしろ緊張感が高まり過ぎたのよ。誰かさんのおかげでね」
「そうか。それなら仕方ないな」
遠慮がないようでいて本質を掠めるだけのような会話を、弥堂とミラーは躱す。
そうすると、先程の戦闘があった曲がり角に着く。
慎重にその先を覗くと、先と同じ――
弥堂に殺されたままの死体が転がっている。
「戻ってきたらあの連中に遭遇したのか?」
「えぇ。本部が今どうなっているのかワタシにもわからない。無線も電話もどっちも死んでいるわ」
「あの爆発が原因か?」
「それはわからないけれど、同一犯であるのは間違いないでしょうね」
「行ってみなければこの先はわからないか」
「そうね。急ぎましょう――」
三人は死体を踏み越えてその先にある本部の部屋の前へと辿り着いた。
元は貸会議室である部屋のドアは他の客室よりも大きなもので、両開きになっている。
「静かすぎるな」
「敵も味方もどっちもいないというのは不自然ね……」
ドアの脇で一度止まって中の気配を探ってみるが、特に何も感じられない。
弥堂は【
先程上階で角の向こうの気配を視た時とは違う。
眼である以上、それに写さなければ何も視えることはない。
ドアと壁で遮られてしまえば、魔眼ではどうにもならなかった。
それは弥堂にはわかりきったことなので、すぐに思考を切り替える。
「俺が突っ込む。援護を」
「待って」
躊躇なく弥堂がドアの取っ手に手を伸ばそうとした時、ミラーがそれを止めた。
「サイコメトリーを使うわ」
「そういえば物にも使えるんだったか」
「えぇ、最後にここを開けた者の感情や思考を覗けるかもしれない」
「わかった」
弥堂は横にずれて彼女に場所を譲る。
ミラーは目を閉じて能力に集中しながらドアノブへ手を近付けていく。
弥堂はそんな彼女の首筋をジッと視下ろした。
博士は彼らよりも数歩後ろの位置で不安げに見守っていた。
彼女自身に出来ることはないので手持無沙汰を感じると、つい先程の思考を繰り返してしまいそうになる。
それではいけないと頭を振った時、気が付く――
――ミラーの背後に立つ弥堂が手を上げたのを。
その手に握られているのは黒鉄のナイフで――
彼の視線はミラーの首に向けられている。
それを見た博士は反射的に走り出した。
「だ――」
博士が『だめ』と声を発するよりも――
弥堂がナイフの切っ先を落とすよりも――
そしてミラーの指先がドアノブに触れるよりも早く――
ハッと目を開けたミラーがドアから飛び退いた。
そして――
「逃げて――!」
ミラーの警告が先か、自身の危機感が先か――
弥堂もバックステップを踏む。
「ぐきゅ――」
何故か腰に抱き着いてきた博士の襟首を掴んで、飛び退くと同時に彼女を後ろへ放り投げる。
その瞬間、本部のドアが2枚とも轟音とともに廊下側へと吹き飛んできた。
反対側の壁にぶち当たって派手に拉げる防音扉を意識しないよう努め、弥堂はオープンになった入口を睨む。
《――チッ、避けやがっただとォ……ッ》
聴こえてきたのはイタリア語。
部屋の中から出てきたのは長身の若い男だ。
造型は整ってはいるものの凶悪な人相がそれを台無しにする。
浅黒い肌に色の薄い金髪。
その表情は怒りに歪んでいて、見開いた瞼の中で瞳孔は狩りをする犬のように大きく開いていた。
“やってくれやがったな、クソゴーストども……ッ! ブチ殺してやんぜ……ッ!”
廊下を見回してからその視線を弥堂へ向け、今回の襲撃の為に雇われた傭兵団の構成員であるビアンキは、英語でそう啖呵を切った。