廊下に出てすぐに気付いたことだが、辺りの様子に違和感を覚えた。
先程聞いた女性の悲鳴は結構な声量だった。
しかし廊下に並ぶ病室には明かりの点いている部屋は一つもなく、ドアも全て閉まっている。
誰かが起きて動いているような気配も全くない。
愛苗に聴こえたのならこの辺りの病室の患者たちにも悲鳴が聴こえていたはずである。
全員ではないにしろ、誰か一人くらいは悲鳴に気付いて起き出していてもおかしくはないのに。
そして愛苗の進む廊下にも明かりは少なく、人影は一つもない。
まるで世界に自分一人だけのように感じられた。
「これって……」
愛苗にはこの感覚に覚えがあった。
「まるで結界の中みたい……っ」
一体何が起こっているのだろうと緊張感を高めると、また悲鳴が聴こえた。
愛苗はクンクンと鼻を鳴らす。
「こっち――っ!」
上の階から困ってる人のニオイを感じとって階段の方へ急ぐ。
さっきまで何かしなきゃいけないことがあったような気がしたが、そのことはすっかり頭から飛んでしまっていた。
愛苗ちゃんはアナログ回線なので目の前のことに“むちゅう”だ。
それは彼女の魔法少女としての本能や本質でもある。
目の前で困っている人――泣いている子を守って、その涙を笑顔に変える。
その魂の意味に従って、愛苗は階段を駆け昇っていった。
一方――
夜空の下の中庭では、ネコさんとネズミさんが対峙している。
二匹の間を冷えた夜風がゆるやかに抜けた。
「やれやれッス……。出てこなければもう少し長生きできたものを……」
「キュィィ……ッ!」
ベロリと爪を舐めてつまらなそうに蔑むメロに、ネズミのゴミクズーは鼻息を荒くする。
<――ちょっと! バカネコ!>
二匹の戦意が高まりきる前にエアリスからの念話が入った。
<待ちなさいって何度言ってるでしょ……⁉>
これまでも何度もメロを呼び止めていたのだが、テンションが上がって走り出してしまったネコさんには聴こえていなかったのだ。
<お姉さん、止めないでくれッス。ジブン、メスッスから……! 女には殺らねばならぬ時があるんッス……!>
<意味のわからないことを言ってないで戻ってきなさい!>
<それはムリな相談ッス。ネコさんとして、ネズ公に背を向けるわけにはいかねえんッス。それに――>
メロはギラリと、ネズミさんに鋭い目を向ける。
「自然界の道理ってヤツから外れたモンがいれば、上位の動物さんとしてシメてやらなきゃなんねえんッス……! 何を恨みに思ったのか知んねえッスけど、このメンヘラネズミめ。ノコノコとこっちのナワバリに入ってきやがって、許せねえッス!」
メロのそのイキリにネズミさんは憤慨した。
甲高い鳴き声を上げて、怒りの反復横跳びを披露しメロを煽る。
「コ、コイツ……ッ! めっちゃキレてるッス……!」
<だからそのネズミはオマエがさっき――>
「――うおぉぉぉ……ッ! ジブンも負けてらんねえッス!」
<聞けッって言ってんのよ……!>
メロは激しい対抗心を燃やし、近くにあった木の幹をカカカカッ――と駆け上がって己のアジリティを誇示した。
ネズミさんは恨めしげに「チチチチッ」と鳴く。
メロがクルリンと空中で回って着地すると、それが合図となる。
2匹の間に最早言葉は無い。
開戦だ――
<この下等生物どもがァ……ッ!>
「行くッスよ!」
「キュィーッ!」
2匹は同時に相手に向かって駆け出す。
先手をとるのはメロだ。
「フッ、まずは小手調べに新技を試させてもらうッスよ――」
メロはニヤリと笑って魔力を高める。
「ハァァァァ……ッ、ネコさんフラッシュACT2――ッ!」
通常のネコさんフラッシュは自分自身の身体を光源として光を放ち、相手の目を眩ませるネコさん魔法だ。
それを応用し、光源を射撃として放てるように改良したのが『ネコさんフラッシュACT2』なのだ。
接近しながら肉球から放たれた光の弾は、メロとネズミさんの顏の間でカッと激しく発光した。
「ぎゃぁぁぁぁッ⁉ 目がァァァ……ッ⁉」
「キュィィィ――⁉」
その強い光に目が眩んだ2匹は顔を押さえながらゴロゴロと地面を転げ回る。
一頻り悶え苦しんで、そして同時に我にかえった。
2匹はバッと、お互いに襲い掛かる。
「キュイィィッ!」
ネズミさんは身体を勢いよく横に回転させる。
シッポを使っての薙ぎ払い攻撃だ。
「――甘いッス!」
それを読んでいたメロはその場でビョーンっと跳び上がる。
だが、そもそもこのネズミさんにシッポはないので、攻撃も回避もどっちも意味はなかった。
ネズミさんがクルっと回転を終えた目の前にメロがスタっと着地をする。
ジッと見つめ合ってから、次手の差し合いが始まった。
「ギィィィ……ッ!」
ネズミさんはガバっと口を開けてメロに顔を近付ける。
鋭い前歯を使っての噛みつき攻撃だ。
「――遅いッス!」
それを読んでいたメロは華麗にバックステップで回避した。
そして――
空振って顔を突き出す格好になったネズミさんに、ヌルりと肉薄する。
ネズミさんの鼻先にそっと右の肉球を押し当てた。
イメージするのは契約で繋がった弥堂の動きとその業――
「ビトー……、オメエの業を借りるぜェ……?」
メロはシッポの先端を地面に着けて、キュルンっと捻る。
「ハァァァァ……ッ! “
説明しよう! “零猫《ぜっびょう》”とは、ご主人さまである弥堂くんの“
もちろんダメージも
「…………」
「…………」
プニっと肉球で押すと、こそばゆかったのかネズミさんのお鼻がヒクヒクと動く。
2匹は至近距離で見つめ合いながら、パチパチとまばたきをした。
やがて――
「フンガァーーーッ!」
「ギャァァァァッス⁉」
ネズミさんが前足を天に突き上げて激昂する。
「う、うわあぁぁぁ――ネコさんクロウッ!」
「ギィィィッ⁉」
ビックリしたメロは反射的にネズミさんのお顔を爪でバリバリした。
その痛みに驚いてから、ネズミさんのお目めが真っ赤に光る。
攻撃色だ。
「くっ……、もはや万策尽きたッス……ッ!」
強大な敵の前で息を切らしながらメロは悔しげに呻く。
ゴミクズーは咆哮をあげた。
「ひっ、ひぃぃ……ッ! おたすけーッ!」
それにビビったメロは一目散に逃げだした。
<こんのバカネコーッ! 戻って来いつってんだろォがァ……ッ!>
エアリスが怒りの念話を送るが、怯えて走り出したネコさんは止まれない。
追ってくるネズミさんを引き連れながらどっかへ走って行ってしまった。
「――ハッ……ハッ……ハッ……」
病院の廊下に女の荒い息遣いと足音が響いている。
ギャルナースのリンカさんだ。
時折背後を振り返りながら、彼女は恐怖に染まった顔で逃げ続けている。
後ろからは「ヒタッ……ヒタッ……」という足音が一定距離を維持して着いて来ていた。
足音の間隔はゆっくりなのに、彼女がどんなに走る速度を上げても全く引き離せない。
見回り中に遭遇した妖しい人影。
近づいてライトを当ててみたら、それには服も肌もなく、内臓と筋線維が剥き出しのヒトのカタチをしていた。
驚いて悲鳴を上げて逃げだしたら、“ソレ”は自分を追ってきた。
「な、なんで……ッ⁉」
息を切らしながら思わず疑問が口から出る。
何故自分を追ってくるのか。
そもそも何故あんな化け物が存在しているのか。
わからないことだらけで彼女はすっかり混乱してしまっていた。
恐怖からくる本能がただ、彼女へ逃げるという行動を起こさせている。
それに――
もう一つおかしいことがある。
さっきから何度も悲鳴を上げて危険を報せているのだが、聴こえるのは自分の息遣いと足音ばかりで、他の人間の反応が一切ない。
これだけ静かな夜の病棟で、これだけ音を立てて走っているのに、誰にも気づかれないだなんてことがあるわけがない。
現在走っている廊下に並んでいるどの病室にも明かりは灯らず、誰の気配も感じない。
いつもなら頼んでもないのに勝手に病室から出て徘徊している人を見かけたりもするのに、今日に限っては誰にも遭遇しない。
まるで自分以外の人間がこの病院から居なくなってしまったかのように――
「ワケ……、わかんない……ッ!」
だけど足は止めることは出来ない。
アレの正体がなんなのかはわからないが、捕まった時にいいことが起こることなどありえないだろう。
院内に誰もいないのなら、外に逃げるしかない。
彼女はこの病院で働いて数年。
建物の構造は熟知している。
5Fを見回り中にこの化け物に遭遇し、助けを求めて4Fに降りてきていたが、それは望めないようだと判断した。
リンカさんは廊下の端まで駆け抜けて非常階段へと繋がる扉へ手を伸ばした。
しかし――
「――な、なんで……ッ⁉」
――ドアノブは回るのにガチャガチャと音を鳴らすだけで、ドアを押しても引いてもビクともしない。
焦りが加速してメチャクチャにドアノブを揺すった。
すると――
「え――?」
――ふと、背後に気配を感じた。
恐る恐る振り向くと、顏のすぐそこには自分でない別の顏が――
「ひ――っ」
ここまでずっと着いて来ていたモノの正体が明らかになった。
それは人体模型だ――
男性を模した短髪の人間のカタチをした顏。
その顏に嵌ったビー玉のように虹彩のない目玉が、至近距離で自分の顏を覗き込んでいる。
「ヒュ――ッ」
リンカさんは恐怖に息を呑み、思わず視線を下げる。
模型のような男の首の下には両肩から回ってきている布があり、それを両手で握っている。
なにか風呂敷包みのようなものを背負っているようだ。
さらにその下に視線を下げると、目に入るのは内臓。
模型のはずなのに、剥き出しの筋線維と内臓だけはやたらと肉肉しい。
表面はヌラリと艶めき、生命を強調するように蠢いている。
「――っ⁉」
再度悲鳴を上げそうになった時、突然ドアノブを掴んだままだった手に、模型の手が重ねられた。
「え……?」
生理的な嫌悪感から振り払おうとするが、模型の方が力が強いらしくビクともしない。
恐怖から反射的に模型の顏を見てしまうと、彼はコクリと頷いた。
「は……?」
そして――
模型の人はリンカさんと一緒にドアノブをガチャガチャし始めた。
「きゃぁーーっ⁉」
意味不明な行動にビックリしたリンカさんが一際大きな悲鳴を上げる。
すると、その悲鳴に模型の人もビックリしてパッと両手を上に上げた。
手を解放されたことで、リンカさんは非常扉にズルズルと背を擦りながらヘタりこむ。
腰が抜けてしまったようだ。
しかし、茫然としている暇はない。
リンカさんは床を這いずりながらその場を逃れようとする。
しかし、その上にスッと陰が差した。
リンカさんは涙目になりながら頭上へ目を遣る。
模型の人が覆い被さるようにして、またビー玉のような目玉で見下ろしていた。
「い、いやぁ……っ」
弱気な声を漏らすと、模型の化け物はガバっと近付いてきた。
リンカさんは思わず目を閉じてしまう。
すると、履いていたナースシューズをスッと脱がされてしまう。
「は……?」
余りに想定外のことに思わずリンカさんは目を開けた。
模型の人は背負っていた風呂敷を下ろすと、ギャルナースさんからパクった靴をその中に押し込み、代わりに何かを取り出した。
出てきたのはハイヒールだ。
随分と踵が高い。
「え……? ちょ、ちょっと……?」
模型の人は困惑するリンカさんの足にそのハイヒールを履かせる。
リンカさんが、妙にサイズがピッタリなのがキモイなと思っていると、模型の人は更なる行動に移った。
「んな――っ⁉」
模型の人は自分の腹からズルっと大腸を引っ張り出す。
そしてその大腸の直腸部分の先端を、リンカさんが履くハイヒールの踵の先端にグイグイと押し付け始めた。
「ギャァーーッ⁉ なになになに⁉ なんかわかんないけどコワイィーーッ⁉」
色んな意味で恐怖を感じてリンカさんは悲鳴を上げながら大腸から逃れようと足を暴れさせる。
すると、タイト気味なナーススカートが捲れて白ストッキングに包まれた足が露わになった。
模型の人は手を止めて、リンカさんの足の付け根をジッと見る。
そして徐に自身の下腹部へ手を遣った。
「――ッ⁉」
だが、模型の股間には在るべきモノが無い。
模型の人は激昂した。
「ヴォアァァァァーッ!」
「きゃぁーーーーーっ⁉」
絶叫を上げた模型の人は自身の目玉をポコンっと外すと、今度はそれをギャルナースさんのスカートの中にグイグイと押し込んでくる。
「いやぁーーっ! ワケわかんないけどキモコワイィーーーッ⁉」
想像をしていたような種類の恐怖ではないが、恐いものは恐い。
ここまで気丈にも頑張ってきたリンカさんも意味がわからなすぎてパニックになってしまった。
今のところはホラ―展開ではないが、とはいえこのままで済むとも思えない。
そして自力での解決は不可能。
そんな時、人は救いを求める。
自分よりも、もっと大いなるモノに――
「だ……っ、誰かたすけてぇーーッ!」
罪無く力無き人が救いを求める叫びをあげたその時――
「――待ってください……っ!」
「え……?」
――この場に誰かが現れた。
リンカさんが呆然と声のした方へ目を向けると、そこ居たのは何やら「ぜぇぜぇ」と息を切らせて疲弊した様子のパジャマを着た少女だ。
「え、えっと……はぁはぁ……っ、あ、そ、そこまでです……っ!」
「愛苗、ちゃん……?」
正義の魔法少女が、か弱きギャルナースさんのピンチにやってきた。
もちろん、彼女を助けるために。