俺は普通の高校生なので、   作:雨ノ千雨

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序章37 夕魔暮れに滅ぶいくつかの幻想 ③

 

 そのまま弥堂は無言で踵を返し再び階段を降りる。

 

 

 すると――

 

 

「――ちょいまちっ。すていっ。おすわりっ」

 

「…………」

 

 

 これで何度目の繰り返しになるのか、また希咲に引き留められる。

 

 

 彼女の言い様が気に食わなかったので『ナメてるのか』などの反論がしたかったが、何故か言葉が出てこなかったので表情だけを歪ませた。

 

 

 そんな弥堂の様子を全く気にせずに、希咲は肩から提げているスクールバッグに手を突っ込んで何かを取り出す。

 

 バッグから引き抜かれた希咲の手にあったのは、あまり彼女には似つかわしくないデザインのがま口の小銭入れだ。どうやらブタをデフォルメしたもののようで中身の小銭がパンパンなのかやたらと太っている。

 

 

 面倒なので特に何も言わずに弥堂は彼女の行動を見守る。

 

 

 次に彼女はそのブタの腹の中から小銭を取り出し、自販機のコイン投入口へ向かった。

 

 必要な分の硬貨を投入すると一瞬も迷わずに特定のボタンを押す。

 

 

 ガシャコンと、先ほど弥堂が購入した時と同じ自販機の排出音が鳴り、それに加えて先ほどにはなかった落ちてきた商品が投入口の中でぶつかった硬質な音も聴こえた。

 

 

 希咲は両足を揃えてしゃがみ、投入口へ手を突っ込む。

 

 

「はいっ」

 

「?」

 

 

 滞りなく目的の物を回収し立ち上がりながらこちらへ振り向いた彼女が買った物を差し出してくる。

 

 弥堂は意図が掴めず、彼女の手の中の物に怪訝な眼を向けた。

 

 

「あげる」

 

「いらんが」

 

「ダメっ。あげる」

 

「なんで拒否権がねぇんだよ……」

 

 

 理不尽な物言いに疲労を感じた。

 

 

 だから、そのせいで自身のパフォーマンスが低下していたのだと、後に彼はそう自分に言い訳をする。

 

 

「いいからっ。ほらっ、キャッチ!」

 

 

 弥堂の意思などお構いなしに、無理やりにでも彼に受け取らせるため、希咲は手に持った缶ジュースを弥堂の方へと下手で放った。

 

 

 階段数段分ほど高い場所から放られたアルミ缶は、放物線を描きながら階段下の弥堂の方へと落ちてくる。

 

 しかし飛距離が不足しており弥堂の立つ場所よりも手前の位置が落下地点となりそうだ。

 

 

 此処に立ったままではそれを手にすることは出来そうにない。

 

 空中のジュース缶を見つめながら弥堂はそんなことを考えた。

 

 

 別に彼女から与えられる理由も、それを受け止めなければならない理由もない。

 

 買ったばかりの新なそれが地に落ちようが、最悪破裂して中身をぶちまけることになろうが、それはどうでもいいことだ。

 

 だから彼女が投げ放ったそれを受け止めるつもりは弥堂にはこれっぽっちもなかった。

 

 

 そのはずなのに――

 

 

 目の前で落ちゆくその缶が、自身の目線の高さを上から下に通りすぎた瞬間、意思とは裏腹に弥堂の足は一歩を踏み出した。

 

 

 歩みよる。

 

 

姿勢を下げ腕を目いっぱい伸ばし、落下するジュース缶が地に触れるその前に自身の手を間に滑り込ませて受け止めた。

 

 

 特に達成感も安堵もなく、自問でもするように手の内の物を見つめる。

 

 

「お、やるじゃーん。ないすきゃっち!」

 

 

 僅か上方より掛けられた称賛のような声に釣られ、自然とそちらを見上げる。

 

 

「…………投げるならしっかりと狙え。下手くそ」

 

「わざとよ! イヤがらせに決まってんじゃんっ」

 

「意味のないことをするな」

 

「あんただってさっき意地悪してペンとメモ投げたじゃん。おかえしよっ!」

 

 

 そう嘯いてビシッとこちらを指差してから「ふふん」と得意げに踏ん反り返る段上の彼女の姿を夕陽が照らす。

 

 周囲の物すべてが色を失いまるでそこだけがライトアップされたようで、弥堂は缶を受け止めたままの姿勢を戻すことも忘れ、彼女に視線を縫い留められた。

 

 

――当然錯覚だ。

 

 

 胸中でそう独り言ち、目を逸らすように手の中のアルミ缶へ視線を下げる。

 

 

 弥堂が視線を逸らしたその隙をつくように、希咲はトッと軽やかに地を蹴り壇上から身を躍らせた。

 

 

 弥堂のすぐ手前の地点を目掛けて飛び降りて、着地とほぼ同時に手の中の缶ジュースを見ている彼の頭に手を置く。

 

 

 突然頭を抑えられ反射的に顏を上げようとした弥堂の眼前、鼻先に触れそうなほどの距離近くで、ふわりと柔らかにスカートの裾が舞う。

 

 

 重さを感じさせない僅かな足音で地に降り立った希咲は、その一連の動作の華麗さとは真逆に乱雑に弥堂の髪をわしゃわしゃと撫でる。

 

 

「わ。あんた髪ごわごわ。ちゃんとシャンプーのあとコンディショナーとかしてんの?」

 

「……そんなものはない」

 

「ないわけないでしょ。ちゃんとしなさいよ。外で飼ってる犬みたいになってんじゃん。どこのやつ使ってんの?」

 

「どこ? どこにでもある石鹸だ」

 

「……身体洗うのとおんなしやつってこと……?」

 

「? 石鹸は石鹸だろうが。手洗い場にいくらでもあるだろう」

 

「……うそでしょ……」

 

 

 希咲は現代日本で暮らす高校生として持っていた当たり前の価値観をまたも大きく揺るがされる。プロフェッショナルなJKとしては俄かには信じ難く、身体を折って弥堂の頭に顏を近づけ、珍妙なものでも見るようにして両手で髪を掻き回す。

 

 

 希咲が普段行動を共にすることの多い、幼馴染同士で集まったコミュニティ(断じてハーレムなどではない)には、蛭子 蛮(ひるこ ばん)という典型的なヤンキー男子がいる。

 

 その彼はわかりやすく真っ黄色な金髪に染髪しているのだが、先日も彼からいいトリートメントはないかと相談を持ち掛けられたので、普段よく利用する美容院の担当さんと一緒にオススメを世話してやったのだ。

 

 あんな喧嘩ばかりして停学になるようなヤンキーでも、イマドキの高校生らしくヘアケアには気を遣っている。

 

 だのに、目の前のこいつときたら……

 

 

 希咲は身の内から謎の憤りが湧き上がり、現代高校生として意識の低すぎる男の頭頂部に向ける眼差しを鋭いものにした。

 

 

「……くさくはないし、ギトギトもしてないから洗ってはいるのよね……? マジで石鹸なの? いくら男子だからっていっても、そんな高校生いる?」

 

「どうでもいいだろうが。馴れ馴れしいぞ、やめろ」

 

「あによ。ひとのこと好き放題さわってきたくせにっ。こんくらいでガタガタ言うんじゃないわよ。くらえっ! お客さまカユいとこはございませんかぁ~?」

 

 

 ジトっと睨みつけるのも一瞬のことで、普段自分が客の立場でされていることを冗談めかして、実に楽し気に弥堂の頭をわしわしと掻き回す。

 

 すぐに弥堂が頭を下げて逃れようとしてきたので、右膝を上げることで彼の顔をふとももで押し上げて頭皮をぐにぐにする両手と挟みこむようにして摑まえた。

 

 

 希咲のふとももに顔を押し付けさせられている格好の弥堂は、触られただなんだと大騒ぎするくせに、こうして自分から触れることには抵抗感を見せない彼女の理不尽さに白目になった。

 

 とはいえ、こうしてされるがままになっていても不愉快さしかないので、やめるように抗議をしようと視線を彼女へ向けるべく頬を擦りながら無理矢理顏を動かす。

 

 

 すると、膝をあげているせいで射線がクリアになった彼女のスカートの奥が目に入る。

 

 弥堂はスッと瞼を細めると、黒目を戻した眼で油断なくそこを注視した。

 

 希咲は嫌がらせに夢中で、至近距離から自分のスカートの中の股間を覗く男の様子に気が付かない。

 

 

「あんたってヘンよね。こういうことされるのイヤがりそうだし、ジッサイめっちゃ文句言ってくるけど、意外と無抵抗よね」

 

「……そう思うんならそろそろやめたらどうだ?」

 

「そうね。今日はこのくらいで許してあげようかしら。希咲さんゆるしてくださいってちゃんと言えたら放したげる」

 

「あまり調子にのるなよ、この――」

 

「きゃーへんたーい」

 

 

 いい加減に我慢の限界だと弥堂が希咲の細い腰に手を伸ばそうとすると、彼女はクルっと身体を回して華麗に回避し、棒読みの悲鳴をあげながらすれ違うように弥堂から離れていった。

 

 目の前を横切っていくスカートの裾を眼で追いながら弥堂もようやく体勢を戻す。

 

 

 こちらに背を向けた希咲は正門の方へとゆっくり歩き出していた。

 

 

「おい――」

「ねぇ――」

 

 

 その背中へと声を掛けようとしたらほぼ同じタイミングで顏だけ振り向かせた彼女からも呼びかけられる。

 

 思わず二人とも続く言葉を呑み込んだ。

 

 

「あ、ごめん。なに?」

 

「……いや。大した話ではない。キミが話すといい」

 

「そ?」

 

 

 無遠慮に他人の頭を掻き回しておいてまるで悪びれもしないのに、たかが発言のタイミングが被っただけのことには謝意を示す――彼女のそんな価値観や基準に疑念を抱いた弥堂はそちらに気をとられ、今しがた発しようとした言葉を続ける意気を削がれたため希咲へと発言を譲った。

 

 

「ジュースそれでよかった?」

 

「あ?」

 

「『あ?』っつーなっつってんだろ。……コーヒーよ。ブラックで平気だった?」

 

「あ? ……あぁ」

 

 

 希咲の言葉を受けて自身の手の内に目を落とし、ここでようやく彼女に何を渡されたかを認識する。

 

 

「……貰うとは言っていないぞ」

 

「まーだそんなこと言ってんのかあんたは。なんか顏的に甘いものキライそうな感じだから無糖ブラックにしたんだけど、まる? ばつ?」

 

「三角だな。甘さも苦さも別に好きでも嫌いでもない」

 

「なーんでいちいち素直じゃないかなー。べつにいーけど」

 

 

 訊かれたことに真っ直ぐに答えを返さない捻くれた男に、希咲は立ちどまり呆れたような声を出す。ただ、その表情は不快感を露わにしたものではなく苦笑いだ。

 

 

「それさ。おかえし兼お礼だから、ちゃんともらってよね」

 

「…………」

 

「ジュース買ってくれたお礼と、助けてくれたお礼」

 

 

 足を止めたままこちらを待つように立っていた彼女に追いつくと、希咲は前を譲り弥堂の隣に周って再び歩き出した。

 

 隣に居る彼女に、手の中の物を突き返そうと思えばそれをすることは可能だ。

 

 

「……くれてやると言ったのは俺だ。俺の勝手だ」

 

「そーね。おかえししたのもあたしの勝手。助けてくれたのは?」

 

「仕事だ。風紀委員の通常業務だ」

 

「んーと……じゃあ、そうね。おまわりさんとかがさ、助けた市民からのお礼を受け取るのは義務じゃない? そんな感じでどう?」

 

「言葉や気持ちならともかく、警官が物品を受け取るのはまずいだろうが」

 

「あ、それもそっか。じゃあじゃあ、あたしの感謝は『むむむっ』ってさっきその缶の中のコーヒーに込めたから、開けないと受け取れないわよ」

 

「なんだそりゃ」

 

 

 悪ふざけのようなゆるい希咲の反論に呆れる。

 

 そんなことが出来るはずがないと、思わず手の中のアルミ缶に目を向けた隙に、隣をゆっくり歩いていた希咲が前方へ踊り出た。

 

 

 軽やかに大きく大袈裟なストライドで一歩を踏み出す。

 

 置き去りにされ、靡く彼女の後ろ髪を見つめながら、手の届く範囲に居なくなったからこれはもう返せないなと、弥堂はそんなことを考えた。

 

 

 ステップを踏むように――

 

 

 いち――

 

 

 に――

 

 

 さん――で一際大きく跳ぶ。

 

 

 宙に身を躍らせ舞うように身をまわし振り向きながら着地をした。

 

 

 一切バランスを崩すことなく、腰の後ろで手を組んで弥堂の方へ輝度高い眼差しを向ける。

 

 

「あのね、悔しいし恥ずかしいから、ホントはあんたなんかにこんなこと言いたくないんだけど――」

 

 

 表情はそのまま、希咲は一度言葉を切る。

 

 

「――わけわかんなくなっちゃって、あたしホントに怖かったから――」

 

 

 その彼女の瞳を弥堂は黙って見た。

 

 

 

「――だから。助けてくれて、ありがとっ!」

 

 

 

 その瞬間、虹を内包するかのような彼女の瞳の絢爛さが、その身から溢れ『世界』へと拡がったように感じられた。

 

 

 夕陽が彼女を照らし、彼女の周囲に舞う薄桃色の桜の花びらたちがそのオレンジ色の光を乱反射させ、『世界』が彼女を――希咲 七海という美しい少女を輝かせ、煌めかせ、まるで特別なものかのように見せてきた。

 

 

――当然錯覚だ。

 

 

 陽の光は地を這う総ての惨めな物どもへと与えられている。

 

 特定の個体だけを照らしたりなどはしない。

 

 

 得も知れぬ強烈な後悔を感じた弥堂は、彼女の眩さから目を逸らす為にその中身の黒い液体を思って手の中の缶コーヒーを見遣る。

 

 

 この国の全土で販売をする為に大量生産された物で、この学園の誰が購入するかもわからない自販機に入れる為に運送されてきた物だ。

 

 

 決して弥堂の為に作られた物ではないし、弥堂の為に運ばれてきた物でもない。

 

 

 その自分の為の物ではない物に一定の安心感を認め、弥堂は希咲から貰った缶コーヒーをバッグの中へと入れた。

 

 

「ん? いま飲まないの?」

 

「……帰ったら頂く」

 

「そ? んじゃ、あたしもそうしよっと」

 

 

 そう言って、希咲はバッグに入れていたパックジュースを一度取り出して、ハンドタオルで包んで仕舞いなおす。

 

 

「ちゃんと飲みなさいよ? 見えないとこ行ったからって捨てんじゃないわよ」

 

「そんなことはしない。神は無駄をお許しにはならないからな」

 

「ならばよろしいっ」

 

 

 彼の内心は知る由もないが、その言葉を認めた希咲は笑う。

 

 

「これで、おあいこねっ」

 

 

 自信に満ちたような、悪戯げなような、そんな貌で笑った。

 

 

「いくぞー」

 

 

 そう言って再び彼女は歩き出す。

 

 

 その跡を追うことに何故か躊躇いを感じられた。

 

 

 しかし、躊躇いとは裏腹に自身の身体はもう歩き出している。

 

 

 

――これらは幻想だ。

 

 

 幻想は抱えれば必ず骸となる。

 

 

 地に堕ちて血を流し身が朽ちて魂は壊れ存在を滅ぼす。

 

 

 だから総ては錯覚なのだ。

 

 

 なかったことにしておけば何も失われない。少なくともこの手からは――

 

 

 

 キラキラと粒子を放ちながら揺れる希咲のサイドで括った髪を見る。

 

 

 ――錯覚だ。

 

 

 実際の歩調に乱れはないが、どこか頼りなげに歩を進める。

 

 そう感じられると錯覚する自分の後ろ姿を、昔の保護者が呆れたように、昔の女が悲し気に――

 

 

 そんな目で、こんなに惨めで無様な自分を見ている気がした。

 

 

 

――それも錯覚だ。

 

 

 

 そして感傷だ。

 

 

 過程で気を揉まず心を痛めず、なんのストレスもないまま気持ちよく望んだ成果を得る。そんな虫のいい話はない。

 

 

 自分で吐いた言葉だ。

 

 

 では、自分は何かしらの成果を得たのだろうか。どこかにメリットはあったのだろうか。

 

 

 それはわからない。

 

 

 一つだけ思い浮かんだものはある。

 

 

(――俺は、今ここで、生きている)

 

 

 だが、それは果たして本当にメリットなのだろうか。

 

 

 それもわからない。

 

 

 答えを教えてくれる人はもう何処にもいない。

 

 

 

 何処にも繋がっていない道を歩む。今も先を歩む誰かの跡に続いて、独りで歩く。

 

 

 

 女子高校生。

 

 

 桜の並木道。

 

 

 舞う花びら。

 

 

 照らす夕陽。

 

 

 

 地を踏む踵に力が込もる。

 

 

 路上に敷き詰められた花びらごと踏み躙る。

 

 

 周囲をキラキラと舞う花びらを輝かせている、その光を供給する夕陽を憎々し気に睨みつける。

 

 

 その光を浴びている女の背中に突き刺すように視線を下ろす。

 

 

 そしてこの場に満ちた幻想の中心点であるかのような、その美しい後ろ姿を、その本質的で核心的な深奥の『魂の設計図(アニマグラム)』ごと、奥歯を噛み締め殺意をこめて睨みつける。

 

 

 その意の切っ先を向けている先は自分自身かもしれない。

 

 

 桜の絨毯の上でまた一歩を踏みだす。今は先を歩む彼女の後に続いて、独りで歩く。

 

 

 死に別れた者を踏み越えた先には恐らく誰もいない。

 

 残されたのは幻想の骸。

 

 

 この美しいものはいつか美しかったことにされる。

 

 

 だから――

 

 

 

(――すべて錯覚(うそ)だ)

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