咆哮とともに獣の爪が振り下ろされる。
2本足で立つ2m超の獣。
それは“
人狼の爪は、先程武装解除の件で揉めていた傭兵と“
「う、うわぁぁーーッ⁉」
突然現れた怪物の前では敵も味方もなく、ニンゲンはパニックに陥る。
飛び散って床をベチャっと鳴らした肉片と目玉が血溜りに浮かんだ。
それらを失った肉体が遅れて倒れる。
ある骸からは頬肉が削げ落ちて歯茎と口腔が露わになり、また別の骸からは頭皮が剥がれて割れた頭蓋骨から脳漿が漏れ出ていた。
その様相に思わず身を強張らせるが、ここに居る者たちは素人ではない。
自失してしまっては、数瞬後には自分もこれらの骸のいずれかと同じ姿になることをわかっている。
人狼のファーストアタックから一拍を空けて、それぞれが反応した。
傭兵たちは即座に逃げ出す者と、足元に捨てた銃火器を拾う者とで半々だ。
「――カルトのクソヤロウが……ッ!」
アレックスは武器ではなく負傷したビアンキを担ぐと素早くその場を離脱した。
対象的に、人狼に近い位置に居た幾人かの“
狙いをつけるとほぼ同時に引き金を絞り、パラパラパラと銃弾を叩きこんだ。
だが、人狼がグッと筋肉を固めると、それだけでアサルトライフルの銃弾が毛皮に阻まれてしまう。
人狼の足元にボロボロと弾が落ちてきた。
その結果に、攻撃を行った隊員は目を剥く。
思わず射撃を止めてしまうと、人狼の目がギラリと攻撃色に光った。
傷は負わずとも痛みはあったのか、怒りに喉を震わせながら隊員に掴みかかった。
「く、くるな……ッ!」
標的となった隊員は再度銃を撃つ。
だが、怪物の突進は止められない。
ガシッと両肩を手で掴まれると人狼の鋭い爪が突き刺さる。
その痛みにもめげずに銃弾を人狼の腹に撃ち込み続けるがビクともしない。
余計に怪物を怒らせるだけだった。
人狼は恐慌状態の隊員の顏をジロリと見下ろし、ガパリと大きく口を開ける。
「ひ――」
その口腔内のヌラつきとニオイに、隊員の指から力が抜けた。
人狼は2本の前足で器用にエサを引き寄せて、その大きな口の中に「あぁ~ん」と隊員の頭部を収める。
そしてその凶悪な咢を閉じると、ボギンッと簡単に首の骨が断たれた。
ブチリと千切れた首から噴水のように血が噴き上がる。
その血飛沫を浴びながら人狼は口の中で、バギンッという骨を砕き潰す音と、グチャリピチャリという肉から歯を抜き刺しする音を鳴らした。
「う、うわぁーーッ⁉」
その光景を近くで見ていた他の隊員たちは恐怖に駆られて小銃の引き金を引く。
その銃弾は食事中の人狼だけでなくその手の中のエサにも当たる。
バケモノが糸で人形を操ってでもいるように、首無し死体が血肉を飛散させながら不細工な踊りをした。
人狼は銃弾を浴びながら数度顎を動かしただけで口の中のモノを呑み込み、今度は銃撃中の他の隊員を見た。
血とヒトの肉の味を知ったその目には確かな愉悦が浮かんでいた。
すぐに次のエモノに襲い掛かるとあっという間に死体が増えていく。
その光景は離れた位置にいるミラーの目にもしっかりと映っていた。
まるで想定外の出来事によって自身の指揮する部隊が瓦解する様を前に、彼女は歯軋りをする。
「これは一体どういうこと……⁉」
彼女自身も混乱の中にいるが、何をきっかけにこうなったのかを冷静に思い出そうとする。
答えにはすぐに辿り着く。
「――そうだ。ヨギは……ッ!」
ここに配置していないはずの隊員。
彼が捕虜の獣人の少年に何かの薬品を射ちこんだら、怪物に変貌したのだった。
ミラーは人狼を睨みつけてからチラリと視線を動かす。
その先に居るのは獣人の傭兵――ビアンキだ。
“
本来はこのビアンキと同じように、耳や尻尾、手足の一部など――その程度の割合のはずだ。
だが、獣人の少年シェキルが変貌したこの怪物はもうその範疇に収まらない。
ニンゲンとの類似点など最早2本足で立っていることだけで、それ以外は姿形の総てがオオカミのようなそれに為っている。
ミラーはこういった怪異現象への対処をする部隊である“
霊害やモンスターを処理する任務をこなしたこともある。
しかし、目の前でニンゲンがモンスターに変わる光景を見たことは初めてだった。
ヨギが使用した薬品の正体。
どうやってこんな現象を実現しているのか。
何の目的でこの場でそれを行ったのか。
様々な疑問が浮かぶが、瞬時にそれらの全てを斬り捨て、実力行使を選択する。
「ヨギを捕らえなさい!」
部隊に指示を出すと、何名かの隊員が小銃を向けながらヨギと彼の仲間と思われる者の方へ向かう。
警告を呼び掛けながら近づいていくと、ヨギがまた先程も使った笛を吹いた。
すると、死体を荒らしていた人狼がその笛の音に反応する。
ニンゲンを超える速度で走ってきて、ヨギに近付く“
人狼はあっという間にヨギを捕らえに来た人員を蹴散らすと、また手当たり次第に倉庫内の人間を襲い始める。
怪物にはどうにも手が付けられず、ミラーはまず福市博士の安全の確保を優先させることを余儀なくされた。
数人で固まって射撃をする傭兵たちに人狼は真っ直ぐ突っこむ。
纏めて爪で引き裂くと勢い余って背後にあった車両に衝突した。
その体当たりでグシャグシャになった車体からタイヤが吹き飛ぶ。
それは周囲に居た傭兵の一人に当たって、彼を転倒させた。
「う、うわぁぁぁぁ、やめろぉぉ……ッ!」
逃げ遅れる形になったその男に人狼は大口を開けて飛び掛かる。
男が死を覚悟して目を閉じようとした時、彼の前に大きな影が踊り出た。
獣人のビアンキだ。
「――オイ、はやく逃げろ……ッ!」
「す、すまねェ……ッ!」
人狼の右腕を両手で受け止めながら叫ぶと、傭兵の男は立ち上がって離脱していく。
ビアンキは全力で人狼を押し返そうとした。
だが、ビクとも動かせない。
「……ッ! クソ……ッ! シェキル! オレがわからねェのか……⁉」
必死に呼びかけるが人狼の瞳に知性が宿ることはなかった。
不思議そうに小首を動かして、腕を押し込む力を強めた。
ビアンキの靴底がコンクリを砕いて沈む。
「も、もうやめろ……シェキルッ! 獣を引っ込めろ! 戻れなくなるぞ……ッ!」
限界以上の負荷を受け止め切れなくなり頭に血が昇ったのか、ビアンキの鼻から血が噴き出す。
だが、それでも人狼にはまるで通用しない。
シェキルは同じ獣人で傭兵団の後輩でもある。
ルーツが似通っているので何かと面倒を見てやっていた。
仲間意識の強いビアンキは同じ獣人であるシェキルを特別目にかけており、自分より年下で自分よりも弱い彼のことは守るべき家族のように思っていたからだ。
なのに、今ここで完全に獣の性質に染まってしまった彼とは、力関係が逆転してしまっていた。
人狼は押し合いに飽きたのか、空いていた左手でビアンキの巨体を掴んで持ち上げると適当な方向に放り投げた。
「グォォォ――ッ⁉」
ビアンキの飛んでいく方向には工事用の車両がある。
「こんのバッカヤロウが……ッ!」
ビアンキがそれに衝突する前に、射線上に割り込んだアレックスが自分の身体で彼を受け止めた。
二人絡まるようにして床を転がる。
「い、いってェ……、これだけでオレ死ねるわ……」
「アレックス! シェキルが……!」
幸い大きなケガにはならなかったようで、アレックスはフラつく頭を振って正気を取り戻した。
そのアレックスにビアンキが訴えかけてくる。
アレックスは舌打ちをすると、近くに転がってる小銃に気が付いた。
「お、ツイてるぜ……」
そして、他の傭兵仲間や“
銃弾は命中したが、やはり殺傷には至らない。
「アレックス!」
仲間に発砲したアレックスを咎めるように、ビアンキが掴みかかってきて銃口を押さえた。
「やめろ! シェキルを撃つな!」
そこでアレックスもハッキリと苛立ちを露わにする。
「バカ言ってんじゃあねェよ!」
「アァ⁉」
「シェキルは……、あれはもうダメだッ! どうも見ても正気じゃあねェ……ッ!」
「だが――」
「あんなん元に戻しようがねェだろうが……! 他の仲間を全員殺す気か⁉」
アレックスに胸倉を掴まれてそう怒鳴られると、ビアンキは悔しげな顏で返す言葉を失くした。
「アイツは例のカルトのヤツだ。シェキルはイカレた魔術に使われちまったんだよ……ッ!」
ヨギの方を睨むアレックスの目にも確かな怒りがある。
「外人街のクソッタレどもめ……! どういうつもりだ。こんなの聞いてねェぜ……ッ!」
そして、この件を仕組んだ者たちにも怨嗟を漏らした。
「――なるほどな」
この頃には弥堂にも大体状況が掴めてきた。
(あれが佐藤の言っていたカルト宗教のテロリストか)
視線の先にいるヨギを視て、ホテルで戦ったハサンという魔術師のことも頭に浮かべながら、仕事を受ける時に佐藤から聞いた説明を思い出す。
だが、だからといって、あの人狼を何が何でも倒そうという気にはならない。
人間を魔物のように変えてしまう行為にも、その魔物が目の前で人を殺すことにも、弥堂は特に怒りを覚えることはない。
むしろ、あのバケモノがこのままここに居る人間を皆殺しにしてくれるのなら、そっちの方が都合がいいとさえ思っていた。
いっそこの混乱に乗じてバックレてしまおうかと考える。
(いや――)
それはすぐに思い直した。
佐藤の説明では、あのカルト教徒は『アムリタは自分たちの信仰する神の成果物である』と考えていると言っていた。
だから自分たち以外の者が『アムリタの生成』や『アムリタの所有』を喧伝することが許せなく、それをモチベーションにこの日本まで犯罪をしにきたのだ。
ヤツらが“
しかし、仮にあのカルト教徒たちが博士を生かしたまま連れ帰って、自分たちのためにアムリタを創らせるようなことをした場合、最悪レベルの失敗と評価されるだろう。
(それならあの女を暗殺してからバックレるか……?)
さらに、博士が死んだ場合のその先のことも考えてみる。
皆殺しならOKだ。
だが、“
しかし、カルト教の信者は同じ信者以外は味方と見做さないからそれは難しい。
それに、ここを皆殺しにしてくれたとして、ヤツらはその後あのバケモノをどうするだろうか。
きちんと持ち帰ってくれるのなら問題ないが、恐らくそうはならない。
ここに人狼を捨てていくだろう。
そうなると、あのバケモノはその後街に行くか、明日の朝にでもこの港に仕事で来た人間を襲う。
そうなると、今回の件が表沙汰になってしまう可能性が高いし、あのバケモノが地上波でデビューしてしまう。
ああいったバケモノを秘密裏に処理して秘匿することが役目の清祓課は、そうなった時に弥堂の評価を著しく落とすのは間違いがない。
これらのいくつかのパターンを総合して考えると――
(――仕方ないか)
――とるべき行動は必然的に決まり、弥堂は歩き出した。
「――こんなの聞いてないわよッ!」
「落ち着いてジャスティン!」
一方こちらでは、傭兵団のボスであるアレックスと同じようなことを叫ぶミラーを、秘書官のエマが宥めている。
「シズカ博士を連れて脱出しましょう……!」
「それはムリよ! あのモンスターを表沙汰にするわけにはいかないわ。それは今回の件とは関係なく“
「だけど――」
「――丁度いい話をしているな」
言い合いになりかける二人の話に、弥堂が割って入った。
「おい、ミラー」
低く静かな声だが、端的で強い。
二人の会話に参加するような口ぶりで近付いてきたようで、彼には自分の話以外をする気がない。
「アレを仕留めたらボーナスは出るか?」
「え……?」
顎を振って人狼の方を示す弥堂の言葉に、ミラーは驚く。
「待って。アレと戦ってどうにかするつもりなの?」
答えたのはミラーではなく、エマだ。
彼女は何としてもミラーを説得して博士を連れてここを離脱したいのだろう。
「まともにやりあうのはムリよ。どうしてもやるならヨギの方を狙うべきよ」
エマの指摘に従って弥堂は痩せぎすの魔術師の方を視た。
「笛か?」
「えぇ、そうよ」
端的な回答にエマも頷く。
だが――
「――無駄だ」
「え?」
――弥堂は即座に彼女の提案を斬り捨てた。
「今もあの
弥堂の言うとおり、今はヨギは笛を吹いてはいなかった。
「一つ一つの細かい動作まであれで操作しているわけじゃない。優先的な攻撃目標を指示する程度のものだろう」
「それは……」
エマが反論の言葉へ繋げる前に、弥堂は先を続ける。
「それに、あの笛がなくなったところであのバケモノが消えるわけじゃない。ガキをバケモノに変えたことと、そのバケモノに指示を出していることは別々の事象だ」
「…………」
「あれは生き物だ。笛がなくなっても死なない。逆に制御不能になってその後は本能に従うままに暴れる可能性の方が高い。だから結局は殺すしかない」
それ以上はエマも反論は出来なかった。
「でも――」
だから、別の方向で説得を試みる。
「実際、勝てるの?」
それは現実的な問題だ。
「いくらアナタが魔術師でも難しいわ。現に、魔術も効果がない」
「…………」
弥堂はエマの主張を聞きながら、面倒そうに人狼の方へ顔を向けた。
すると、“
しかし、エマの指摘どおり――
電撃の魔術は人狼の毛皮を膨らませただけで、氷の魔術も簡単に弾かれ、そして今、火の玉が直撃したが人狼は僅かに嫌がる素振りを見せただけだ。
魔術が通じたというよりは、獣の本能的な部分で火を嫌っただけだろう。
弥堂は火を放った魔術師の魔術式をつまらなそうに視る。
「火の魔術は『火を熾す』ための魔術だ。火で燃やせるモノしか燃やせない」
(――ルビアの“
最後の部分は口には出さずに、途中で言葉を切って適当に吐き捨てた。
すると、黙っていたミラーが口を開く。
「……出来るの?」
窺うような彼女の仕草を受けて、弥堂はもう一度“
その弥堂の眼を見た瞬間、ミラーとエマが後退った。
「出来るだろ。あれは生き物だ。生きてるなら必ず死ぬ」
「…………」
当たり前のことを口にしただけの弥堂の言葉に、彼女たちはすぐに言葉を返せない。
彼の発言内容よりも、その身から放たれる雰囲気に気圧されたのだ。
人を殺すモノがバケモノなのだとしたら、弥堂はあの人狼よりも遥かに多くの人を殺している。
暗殺者とは云えども、オープンな戦場に立てば最早殺意を隠す必要はなくなる。
異世界にて完成された最悪の人殺しがその本性を隠すことをやめた。
その身から露わになる異質に、純粋な戦闘者ではない彼女たちも感じとるものがあったようだ。
「――で? 成功ボーナスは?」
弥堂がもう一度問うと、ミラーも覚悟を決めたように頷いた。
「便宜を図ってあげるわ。色々と」
「具体的じゃないな」
やる気をなくしたように肩を竦める弥堂に、ミラーはニヤリと口の端を持ち上げてみせる。
「あら? いいの? 具体的に言っても」
「…………」
「じゃあ、そうね……、例えば、不問にしてあげるわ」
顔には笑みを携え、しかしその目の奥は笑っていない。
「アレを単独で撃破出来るだけの戦闘能力があるのなら。ワタシにとってアナタはそれを上回る価値になるわ」
「いいだろう。見せてやる」
やはり全く具体的な言葉ではなかったが、弥堂は即答する。
「フフ」と満足げな笑みを浮かべるミラーの顔を最後に一瞥してから人狼の方へ歩き出した。
「――ちょっと、ジャスティン! ダメよ。あの男は危険よ」
背後からエマの窘める声が聴こえる。
特に反論の言葉を思いつかなかったので、足は止めなかった。
「あれは、あの目は違うわ……! あれはあっち側の……、カルトのイカレた人間と同じよ……ッ!」
それについては心外だと思ったが、否定したところで意味がない。
否定するのなら他人の言葉ではなく、常に自分だ。
だから――
「【
――この『世界』から自分を消してしまう。
次に姿を現した時は、人狼のすぐ間近だ。
「――っ!」
背中側からニンゲンであれば脾臓のある位置に掌を当て、爪先を捻る。
零衝――
正確に発動したその技は2m超の人狼の身体を吹き飛ばした。
床を離れ横っ飛びに進み、工事用の車輛にぶち当たって粉塵を舞散らす。
「そういうことになったから、お前は俺の敵だ――」
破れたセメントの袋が吐き出す白煙の向こうへ一方的に伝わらない宣告をする。
「――敵は殺す」
煙の向こうの魂のカタチを蒼銀の魔眼が捉えた。