粉塵の煙の中から
不意打ちで弥堂の零衝を喰らった形だが、特にダメージを感じていないようで簡単に起き上がってきた。
(やはり効かないか)
弥堂にとってもそれは意外な結果でもなく、静かな眼で怪物の姿を捉える。
獣人であるビアンキにも致命傷を与えられなかったのだ。
そのビアンキよりも獣の性質が強く表れているこの人狼の方が、彼よりも耐久力が高いのは当然のこと。
そして、それだけでなく――
(あれは半分魔物になっている)
弥堂は先程の零衝の手応えの残る自身の手をチラリと見下ろして感触を確かめる。
先日に何度も戦ったゴミクズーを殴った時の手応えに近かった。
弥堂の魔眼に映る“
零衝然り、銃弾然り――
物理的な攻撃が効きづらいことの理由としては、魔物の性質に近いからという理由の方が大きな部分を占めるかもしれない。
だが、魔物であるのならば、魔物用の殺し方が通用するだろう。
最も効果的なのは、愛苗の魔法のように魔力的なダメージを与えることだ。
先程“
火の魔術はあくまで火を熾す技法に過ぎないし、電撃の魔術も電流を発生させる技法に過ぎない。
火炎放射器やテーザーガンを使うのと同じで、ただの物理現象だ。
結果に辿り着くまでに選ぶ技術のバリエーションの一つでしかない。
そこからもう一段階上の領域にいく魔術師は、その物理現象に自身の意思をこめた魔力をのせて魔力的なダメージをプラスさせる。
それが出来るようになってようやく魔術師としては二流だと、弥堂は以前にルナリナから聞かされていた。
つまり、“
(……ん? そうか……)
ルナリナと謂えば――と思い出す。
そのルナリナが、エルフィーネの武術は魔術に近いと言っていた。
零衝弐式、
自身の“意”を魔力にこめて撃ちだし、相手を殺す“威”とする。
(弐式ってそういうことなのか……)
そう気付くだけの知識はエルフィーネからもルナリナからも大分前に与えられていた。
だけど、弥堂はエルフィーネの修業はやっても出来ないから嫌いだし、ルナリナはムカつくから嫌いだしで、彼女たちの話を真面目に聞いていなかった。
魔眼の能力によってそれでも彼女たちの発言は正確に思い出すことが出来る。
しかし、それは思い出そうとしなければ頭の中に出てこないし、弥堂自身が自分で興味を持って理解しないと知識とはならないということだ。
英語の台本に書かれた台詞を完璧に暗記出来ていて、それを一字一句違わずに書き出すことも出来るが、そもそも英語がわからないのでその文章の意味は理解出来ていない。
そんな感覚に近い。
弥堂の記憶能力の欠陥の一つだった。
そして理解出来たところで実践が出来なければやはり意味がない。
この人狼はルナリナの魔術でなら殺すことが出来るが、“
エルフィーネの零衝でなら殺すことが出来るが、弥堂には出来ない。
要するに弥堂も三流だということを自分自身で証明しただけだった。
しかし、他に人狼を殺す方法がないわけではない。
悪魔にやったようにメンタルを弱らせて存在の強度を削る。
ゴミクズーで実験したように死ぬまで殺す。
(やりようはある)
迷いも恐れもなく、弥堂は怒りに唸る人狼の方へと進み出す。
一定の距離まで近づくと、人狼は一吠えしてから襲い掛かってきた。
凶悪な爪が伸びた手が力尽くで振り回され、弥堂はそれを躱す。
まずは捌くことに専念し、相手のパターンと速度を覚えることにした。
戦いの様相としては、ビアンキとの戦闘と似たような恰好となった。
その光景が繰り返される。
ブンッと、頭のすぐ近くを剛腕が通り抜けた。
ビアンキと似たような――とは謂ったが、この人狼は彼の上位互換だ。
直撃をもらえば終わり。
人体の形状を維持することすら出来ないかもしれない。
だがこの時、弥堂はビアンキとの戦いよりは、先日のクルードとの戦いの方を思い出していた。
クルードが本気になる前の、愛苗が来るまでの余興として遊ばれていた時のことだ。
この人狼はその時のクルードの強さに近い。
しかしそれは人狼の強さのレベルがクルードに近いという意味ではない。
クルードは粗暴なイメージとは裏腹に、獲物の強さに合わせて戦うことに抜群に長けていた。
弥堂がどうにかクルードとの攻防を凌げていたのは、ヤツが弥堂に対応できるギリギリの範囲を正確に見定めていたからだ。
ヤツが遊ぶのが上手かっただけで、弥堂の戦闘技術が優れていたわけでも、当然この人狼が彼の大悪魔と同じレベルにあるわけでもない。
その人狼とあの時のクルードを並べて考えるというのはつまり――
(――ギリギリ……っ、対応できる範囲だ……っ!)
――目の前に立つことすら出来ない程に戦闘力に乖離があるわけではないということになる。
だが、一度のミスで直撃を受ければ即死だ。
『死に戻り』の記憶のバックアップはそろそろ終わる頃だろうが、“
この
こっちの世界の人間社会でも『死者蘇生』が禁忌と認定されているのなら、弥堂としてもここに居る人間を生かして返すわけにいかなくなるだろう。
弥堂が一対一で人狼と向き合うその周囲では、“
しかし、攻防のあまりの激しさに援護も出来ない。
弥堂はリスクの方に大きく天秤が傾いた綱渡りに身を投じた。
敵対していたはずの二つの軍勢は、たった一人で怪物の前に立つ男の戦いに目を奪われている。
1分、数分と――
時間が経過すると弥堂の方にばかり手傷が増えていく。
直撃は受けずとも少し掠るだけでバランスを崩したり、体勢が悪ければ吹き飛ばされたりもする。
もう何分か経過した時には、服も肌もあちこち裂けて流血もしていた。
時間をかけて粘るしかないという戦術だったが、時間とともに目に見えて削れているのは弥堂の方だった。
「――勝てるわけねェ……! あのシェキルはオレよりもずっと強い……!」
その光景を見ていることしか出来ないビアンキが苛立ちまぎれに吐き捨てる。
アレックスはそれには答えず、頭の中で計算をしていた。
チラリと――
自分たちと同様に人狼と弥堂との戦いを見ているだけになってしまった“
福市博士がまだ手元にあればこの隙に逃げ出しているところだ。
なんなら最早博士を諦めてでも撤退を選んでもおかしくない事態だ。
(オレたちは傭兵だ。国の飼い犬やカルトの狂信者とは違う……)
時には目的である依頼を放棄してでも、自分たちが生き残ることを最優先させるのが傭兵というものだ。
今はもう見極めるべき時にきているのかもしれない。
逆に、あの化け物を倒せた場合の後のことも考えてみる。
(それならこの隙を使って“
あの化け物のおかげで“
今のこの時に奇襲を仕掛ければかなり敵の数を減らせるだろうが――
そこまで考えてアレックスは人狼を睨む目をさらに険しくする。
(ダメか……)
あのバケモノがどう動くかわからない以上迂闊なことは出来ない。
アレを生み出したカルト教徒は自分たちと同じく外人街が手配した工作員ではあるが、しかしアレは傭兵たちのことも殺した。
あの連中は金で雇われた自分たちとは違って、外人街にアムリタの件で唆されて勝手に参加してきたイカレた人間だ。
味方だと判断するに足るほどの信頼をすることは到底出来ない。
それどころか、あの日本人の魔術師が殺された後でまた自分たちにも嗾けられる可能性の方が高く思える。
むしろ“
それならばいっそのこと――
「――あのニイチャンが仕留めてくれねェもんかね……」
顏から垂れる冷や汗と一緒に願望が思わず口から出てしまう。
すると、隣のビアンキが鼻で嘲笑った。
「あんなクソヤロウにやらせるかよ」
「アン?」
そう言って急に立ち上がったビアンキを、アレックスは不思議そうな顔で見た。
「――ぐっ……⁉」
人狼の攻撃で弥堂は吹き飛ばされる。
振り回された腕はしっかりと回避はした。
だが、あまりに攻撃が当たらないことで苛立ったのか、人狼はその腕を力尽くで振りすぎたことでバランスを崩した。
転倒しかけたその動きが上手い具合にタックルのようになり、弥堂の身体にぶつかったのだ。
ギリギリの綱渡りの最中では例え自分がミスをしなくても、こういった想定外のことが起こっただけで突然危機に陥る。
弥堂が意図的にその想定外を利用するように、不意の混沌が自分に牙を剥くことも当然起こる。
つまり、運が悪かったのだ。
弥堂はその辺に停まっていた車の残骸に激突した。
「ガァァァ――ッ!」
人狼は口を大きく開けて弥堂に襲い掛かる。
弥堂は先程転がされた時に死体から盗んでおいた拳銃をその口の中に向けて引き金を引いた。
人狼はキャンっと鳴いて嫌がり、後ろに飛ぶ。
やはりゴミクズーと同じで体表面はやたらと物理攻撃に強いが、体内を直接攻撃される方が効果があるようだ。
弥堂は素早く立ち上がろうとするが、その瞬間にクラリと眩暈を感じて膝を着いた。
こちらもやはりだが、仕留めるための決定的な手段がないのでは、ジリ貧になるのは自分の方のようだった。
口腔内に攻撃を受けたことで驚いた人狼はこの頃にはもう立ち直っている。
すぐには動けないままの弥堂へ再び襲い掛かった。
歪む視界にその様子が映る。
弥堂が自分を『世界』から引き剥がそうとした時、目の前に立つ者がいた。
「――グッ……⁉ この……ッ!」
「お前は……」
それは獣人の傭兵ビアンキだった。
人狼の腕を受け止めながら弥堂へと目線を向ける。
まるで弥堂を助けたかのようなその振舞いに、弥堂は眉を寄せた。
「何の真似だ」
「ウルセェ! いいから早く立て! この狂犬ヤロウ……ッ!」
弥堂が立ち上がると、ビアンキは人狼の攻撃を横にいなして自分も離れる。
そして怪物から目を離さないようにしながら横目で弥堂を見遣った。
「“
「なんだと」
どうも敵である弥堂に共闘を呼び掛けているようだ。
「今のシェキルとやりあえるとしたら、それはオレとオマエだけだ……!」
「……いいだろう」
弥堂は大して考えることもなくビアンキの横に立つ。
戦場で敵として殺し合っていたとしても、状況が変わればこうして手を組むことは、傭兵にはよくあることだ。
だが――
「もう戻れねェなら……、せめてオレの手で……」
小さく聴こえたビアンキのその呟きには眼を細めた。
「――死ぬぞ」
「ア?」
同じくらいの声量で忠告をすると、獣人の彼にはしっかりと聴こえたようで険しい顏を向けてくる。
弥堂は彼へ横目で冷たい視線を浴びせた。
「感傷は過去に向く思考だ。未来の勝利へは近付かない。その先にあるのは死に場所だけだ」
つい最近、自分で強く感じたことだった。
だからこの言葉はビアンキに向けたものではない。
しかし――
「――知ったことか!」
当然ビアンキはそう叫ぶ。
意味は違えども。
こうして突如作られたタッグで
弥堂も、ビアンキも、今ここに居る人間たちの戦力の中ではトップクラスの戦闘力を有している。
敵同士であったその二人が手を組んで怪物と戦う。
ビアンキが攻撃を受け止めている隙に弥堂が“零衝”を打ち込んだり――
弥堂に敵が執着している間にビアンキが爪で引き裂きにかかったり――
だが――
やはり所詮は急造コンビ。
碌な連携など望めもしないし、どちらも人狼への決定打を持たない。
5分は保って、だが10分もしない内に――
弥堂もビアンキも、二人とも床に倒れていた。